クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

日本文化の10の秘密

2023年10月18日 | 日本文化のユニークさ
久々の投稿となる。これまでいくつかの項目に分けて日本文化のユニークさを考えてきたが、今回あらたに二項目加えて10項目とした。あらたに加えたのは4番目と10番目である。今回は10項目を列挙するにとどめるが、これを機にすべての項目を、もう一度順次振り返ってみたい思う。

 現在、日本のアニメやマンガが世界中で楽しまれているが、それらのユニークなポップカルチャーを生み出す日本の社会や文化は、他の国々と違うどのような特徴をもっているのだろうか。日本は、最先端の文明と独自の伝統文化とが併存し、融合しながら独特の文化を生み出している。それらの独自性を主に歴史的・地理的な背景から10項目にまとめた。
(1)大陸から海で適度に隔てられた日本は,異民族により侵略,征服されたなどの体験をほとんどもたず,そのため縄文・弥生時代以来,一貫した言語や文化の継続があった。
(2)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が,現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(3)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり,外国に侵略された経験のない日本は,大陸の進んだ文明の負の面に直面せず,その良い面をひたすら尊崇し,吸収・消化することで,独自の文明を発達させることができた。
(4)外国の文化のうち、日本にとって意味があり、プラスになるものは進んで受け入れ、合わないものは受け入れを拒んだ。そして受け入れたものは、日本人に合うように独自な文化へと作り変えていった。
(5)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら,西欧文明の根底にあるキリスト教は,ほとんど流入しなかった。
(6)日本文化は一貫して,宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく,また文化を統合する絶対的な理念への執着が薄かった。その「相対主義」的な性格は,他の項目と密接に関連して形成された。
(7)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして,日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し,それが大陸とは違う生命観を生み出した。
(8)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し,縄文時代から現代に至るまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。
(9)海に囲まれ,また森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら,一方で,地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され,それが日本人独特の自然観・人間観を作った。
(10)「武道」,「剣道」,「柔道」,「書道」,「茶道」,「華道」や「芸道」,さらには「商人道」,「野球道」などという言い方を含め,武術や芸事,そして人間のあらゆる営みが人間の在り方を高める修行の過程として意識され,それが日本文化のひとつの大きな特徴をなしてきた。 

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『宮廷画家ゴヤは見た』

2013年03月30日 | 日本文化のユニークさ
ミロス・フォアマン監督の「宮廷画家ゴヤは見た」(2006年)という映画を見た。スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)の目を通して、ナポレオンの侵攻前のカトリック教会の腐敗や、ナポレオン軍の蛮行、スペイン独立後の歴史の激変に翻弄される人間たちを描く。

この映画をブログで取り上げる気になったのは、映画のテーマがここ数年の私の関心にかなり重なるからだ。そのためもあって久しぶりに充分に見ごたえのある映画だった。以下に書くのは映画そのもののレビューではなく、私自身の関心と重なる面からこの映画をどう見たかについての論考である。

このブログでは、日本文化のユニークさを8つの視点から考察しているのだが、この映画とかかわりがあるのは次の3視点だろう。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(7)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

(以下あらすじ、ネタバレ注意)
18世紀末、フランスは革命の動乱の最中であったが、スペインはまだ絶対王政と教会の支配下にあった。宮廷画家ゴヤは、富裕商人の娘イネスを壁画の天使や肖像画のモデルとしていたが、彼女はちょっとしたことで教会の異端審問にかけられてしまう。異端審問は、神父ロレンソが教会の権威を取り戻すため仕組んで再開したのだが、たまたま居酒屋でブタを食べなかったイネスは、ユダヤ教徒ではないかと疑われ、拷問のすえ事実に反し自分がユダヤ教徒だと告白してしまう。

ばかげた理由で異教徒と疑われ、密室でおぞましい拷問に晒される恐怖がひしひしと伝わる。魔女裁判にも似た愚かしい審判が、フランス革命の前夜においてさえ、キリスト教の名の下にスペインで行われていたのである。宗教がこのような狂気を内包し、罪なき人々に地獄の苦しみを与えるという現実を、私たち日本人はそれほど経験していない。

神父ロレンソは、イネスの父親に追い詰められて娘を救うと約束するが、逆に牢獄で苦しむイネスを犯す。その上、イネスの父親と取引したことが教会に知られてしまい、逃亡する。

ところがロレンソは15年後、スペインに侵攻したナポレオン軍とその傀儡政権の高官となってマドリードに姿を現す。今や彼は、かつての信仰をかなぐり捨て、フランス革命の理念の信奉者となっている。革命や解放、自由や平等、博愛といった理念は美しいが、現実のナポレオン軍はスペインに対する解放者であるどころか、残虐な侵略者であり征服者であった。映画はそのようなナポレオン軍の本質を短いが印象的なショットで描いている。イネスの家族もこの侵略の最中にすべて殺される。

一方フランス軍は解放者らしきことも少しは行っていた。異端審問を行った神父らを裁き、異端審問で牢獄に拘束されていた無実の人々をすべて解放したのだ。その裁きの中心に、かつて異端審問の復活を提案した神父ロレンソがいた。彼は自分が仕えたグレゴリオ神父に死を宣告する。

牢獄から解放された人々の中にイネスがいた。かつての天使のような面影はなく、やつれた痛ましい姿でよろよろと街をさまよう。自分の家にたどりつき、そこで家族の死骸を発見する。ゴヤの家にたどりついたイネスは、牢獄で起こったことをゴヤに伝える。ゴヤは当初気づかなかったのだが、その時すでに彼女は精神を病んでいた。牢獄で神父ロレンソの子を産んだが、すぐに赤子と引き離され、赤子を奪われた苦痛もあって正気を失っていたのだ。

やがてイギリス軍が上陸しスペイン軍とともにマドリードに向かったとの知らせを聞いたロレンソは、フランス軍とともに国外に逃亡しようとするが、途中で見つけられ連れ戻される。立場は逆転し、グレゴリオ神父がロレンソを裁くことになるが、改悛すれば死を免れることを宣告する。これまで保身のために自ら信奉する理念を何度もかなぐり捨ててきたロレンソだったが、改悛を拒むことによって自らの矜持を守り、民衆の罵声を浴びながら死を選ぶ。

イネスは、混乱するマドリードの路上にとり残された見ず知らぬ赤子を見つけ、奪われた自分の子どもを取り戻したと喜ぶ。死刑執行を見守る群衆の中でイネスは、死の恐怖におののくロレンソに、見つかった自分たちの子どもを見せようとして叫ぶが、その直後にロレンソは処刑される。

ロレンソの遺体を運ぶ荷車に寄り添うのは、自分から奪い去られた赤子と、赤子の父とを取り戻した幸せに満ちたイネスであった。近所の子供達がイネスとロレンソを囲うようにして歌い踊り、荷車は、あたかも天に昇るかのように坂道を遠ざかっていく。

この映画は、日本の歴史がほとんど経験しなかったいくつかの歴史的な背景のなかで展開される。まずは国境を越えて繰り広げられる、異なる民族相互の熾烈な戦い。そうした戦いの結果、異民族に支配されたり、異民族を支配したりという関係を、ヨーロッパ大陸は数えきれぬほどに繰り返した。この映画もそうした歴史の一部が切り取られているが、日本の歴史は、異民族による暴力的な支配を経験していない。

民族と民族の戦いは同時に、異なった宗教やイデオロギー相互の戦いでもある。大陸では、キリスト教とイスラム教、カトリックとプロテスタントとの戦いなどが延々と繰り返されてきた。映画では、スペインのカトリック教と、ナポレオン軍のフランス革命の理念との対立が描かれているが、フランス革命の理念は、反キリスト教的な「理性宗教」という一種の信仰という側面ももっている。ロレンソは、カトリック教会から追われたが、フランス傀儡政権の高官として支配者となってからは、かつて自分も率先して行った異端審問の罪でグレゴリオ神父に死の宣告を与える。しかし状況が急変し、あやうく死を免れたグレゴリオ神父が、今度はロレンソを宗教裁判にかけて処刑することになる。人々の運命の中に、イデオロギーの対立が凝縮されたような物語展開である。

日本の歴史は、激しく大規模な宗教戦争をほとんど知らない。織田信長の比叡山焼き討ちや、島原の乱などがあったにせよ、異なる宗教相互の戦争というよりも、支配者の都合による宗教弾圧である。異民族の侵入という危険にさらさられず、また国内にほとんど異民族を抱えていなかった日本は、強力な宗教やイデオロギーで国内を一元的に支配する必要もなかった。仏教や儒教によるイデオロギー支配があったにせよ、それは大陸にくらべ不徹底なものであった。まして他民族による宗教やイデオロギーの押し付け、他民族による自分たちの信仰の弾圧などは経験していない。

フォアマン監督は、米国への亡命前、祖国チェコの共産党政権時の体験とスペイン異端審問が重なり、映画化を決意したという。宗教やイデオロギーと、それに翻弄される人間というテーマは普遍的であるが、一方で日本の歴史と文化は、宗教やイデオロギーとのかかわり方が、大陸、とくにヨーロッパ大陸と比べるとかなり特殊であった。その比較に思いを馳せるのは、映画のテーマとは外れるが、私自身はそのような関心が強烈であるため、そのような視点からもこの映画をいっそう興味深く見ることができた。

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日本文化のユニークさを8項目に変更

2012年10月27日 | 日本文化のユニークさ
日本文化のユニークさ:7つの視点のそれぞれに関係するこれまで記事を集約する作業を(4)まで続けてきた。ここまで来て、7つの視点にもう一つを付け加えて8視点とする必要があると思うようになった。これも、大陸から海で適度に隔てられているという日本の地理的条件に深くかかわるので(4)の次に新たな項目として付け加えるのが適切ではないかと思う。

7項目に付け加えて8項目とすると以下のようになる(太字の項目が新規のもの)。なお、これらの項目も暫定的なものであり、各項目の文章も含めて今後、さらに変更することもありうる。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。

(6)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(7)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。






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再びユダヤ人と日本人

2012年10月07日 | 日本文化のユニークさ
この夏、ある理由で何人ものキリスト教徒(プロテスタント)の方たちとかかわり、たいへんにお世話にもなった。彼らの教会での礼拝や讃美歌の合唱、個々の祈りの場面にも居合わせることが多かった。しかし、そうして彼らに接すれば接するほど、私の中には一種の違和感が大きくなった。

彼らの祈りの言葉や讃美歌の歌詞が、どこか私の肌に合わないのだ。たとえば、以下はいただいた冊子の中の讃美歌の一節だ。

「殺されたまいし 小羊なる 主の血の力に 変わりあらじ 世より選ばれし 神の民の きよめの恵みを 受くるまでは」

たまたま開いたページの一節に過ぎないが、ここにも日本の風土とはあまりに異質なものを感じてしまう。荒れ果てた荒野の民の信仰と、湿潤で豊かな自然に育まれた日本の精神性との違いとでも言おうか。「小羊なる主の血の力」? 日本人は大陸と違い、遊牧・牧畜をほとんど知らない民族なのだ。「世に選ばれし神の民」? まさに砂漠の一神教。キリスト教はヨーロッパの宗教というイメージもあるが、実はその背後にユダヤ人とユダヤ教の全歴史を背負っている。キリスト教の聖典でもある旧約聖書は、まさにユダヤ人の全歴史の書でもある。

日本のキリスト教徒の祈りの言葉や讃美歌を聴いていて感じた違和感は、その宗教が生まれた風土と歴史の違いから来る違和感だったのだ。日本の歴史とユダヤの歴史とはある意味で対極にあり、世界の国々の歴史の中でもこれほど違いが際立つ例も珍しい。これほど異質な風土において繰広げられた、これほど過酷なユダヤ人の歴史と信仰を、日本のキリスト教徒たちは本当に背負い込むことができるのだろうか。違和感なく自己の一部とすることができるのだろか。

さて、ユダヤ人と日本人の歴史や文化の違いついては以下で詳しく書いた。

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(1)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(2)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(3)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(4)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(5)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(6)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(7)


いちばん大切な違いだけ述べると次のようなことだ。

ユダヤ民族は、異民族相互の争いが激しい大陸の歴史のなかでもずば抜けて過酷な歴史をもつ。日本人はそのような異民族間の争いをほとんど知らない。さらにユダヤ人は、自分たちの安住の地としての国土を二千年の長きにわたって失うという歴史をもつ。日本人は、日本列島という自然の境界線によって守られた国土に、だれに追われることもなく安住し続けることができた。

ユダヤ人は、民族のアイデンティティを保つためにユダヤ教という強力な観念を必要とした。日本人は、大陸から海で隔てられた列島に何らかの文化的まとまりをもって住んでいるという事実によって、ほとんど無自覚に(無観念に)日本人としてのアイデンティティを保つことができる。

私があえてユダヤと日本との歴史の対極性を再び取り上げたのは、日本人の精神性を、個人の魂の成長と比較しながら考え直して見たかったからだ。

ユダヤ人の歴史は、言うまでもなく征服され、迫害され、虐殺され等々を繰り返した歴史だった。もちろん大陸の歴史は、ヨーロッパ、アジアを問わず、一般に侵略と征服の繰り返しであったが、日本は、渡航に困難を伴う海峡によって隔てられた島国だったため、大陸に共通する侵略の歴史から免れた。一方ユダヤ民族は、厳しい大陸の歴史の中でも、もっとも過酷に征服、集団捕囚、迫害、虐殺などを味わい尽くした。

この違いを個人の成育歴にたとえれば、どのようにいえるだろうか。ユダヤ人は、誕生と同時に両親(豊かな自然と国土、母なる大地)と死に別れ、歓迎されない親戚の家をたらいまわしされ時には虐待され、どの転校先でもひどいいじめや差別に会いながら、「私は偉人になるべく生まれてきた」と信じて、歯を食いしばって生きてきたたくましい青年とでもいおうか。

それに対して日本人は、いいとこのお坊ちゃんで大事に大事に育てられ(日本列島という豊かな国土に守られ)、いじめも虐待もまったく知らずに生きてきた人のいい青年だろうか。この日本人の育ちの良さ、善良さは、最近世界に知られるようになり、けっこう好かれて、世界でもっともよい影響を与える人(国)と評価されたりもする。ところが、なぜか彼は、変に自信がなく自分はダメだと思い込み、いつもおろおろしている。何よりも世間知らずで、周囲の人はみな良い人たちだと信じて、いつも騙されている。

結局は、それぞれの国にそれぞれの歴史があるが、個人が個人の成育歴を克服して成長していかなければならないように、国家もそれぞれの負の歴史を超えて成長していかなければならない。私は今後、そんな視点も踏まえつつ、日本人および日本文化のユニークさを考察し続けたい。
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日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07)

2012年05月28日 | 日本文化のユニークさ
「日本文化のユニークさ」6項目にかなり修正を加え、以下の7項目とする。(1)の文章を少し変え、これまでの(4)を二つに分けて(4)(5)という独立の項目とした。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(5)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(6)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。

(7)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

修正前の6項目のバージョンのものは以下を参照されたい。

ユニークさ全項目を振返る(日本文化のユニークさ総まとめ01)

新バージョンの(6)(旧バージョンの(5)にあたる)は、日本人の相対主義的な価値観はなぜ生まれたかという問いでもあった。前回までこの問いを、これまでこのブログのあちこちに書いてきたものの総まとめの意味で5つの観点からまとめた。それを振返ってもらえばわかるように、新バージョンの(6)の特徴は、その前のすべての項目の結果だといってもよい。その作業を通して、旧バージョンの(4)を新バージョンのように(4)と(5)として独立させたほうがよいと考えた。

この7項目も、まだ暫定的なもので今後の修正もありうるが、とりあえずこの7項目にそって、今度は(1)からの順番で、「日本文化のユニークさ」総まとめをしていく予定である。(1)と(2)は、あえて分けなくともよいのかもしれないが、分けることで母性原理の文化が存続したという点を強調したい気持ちがある。

何人かの方にコメントをいただいていることはとても刺激になっている。質問や批判をいただいたことをきっかけに、では今度はその点を中心に展開してみようと、このブログを書き進めるヒントになったことも多い。自分の考えの不十分なところや説明の足りないところに何度も気づかされた。

あらためて感謝させていただきます。

《関連記事》
日本文化のユニークさ37:通して見る
日本文化のユニークさ38:通して見る(後半)
その他の「日本文化のユニークさ」記事一覧
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ユニークさ全項目を振返る(日本文化のユニークさ総まとめ01)

2012年05月08日 | 日本文化のユニークさ
「震災後、日本は何を生み出すのか」の連載は、もう1・2回続けるつもりであるが、今回は連載を休んで今後の長期的な計画について触れておきたい。

このブログの中心になっているのは、「日本文化のユニークさ」というカテゴリーものとに書いている一連の記事である。そこでは日本文化のユニークさを5項目にわけ、それにしたがって考えてきたが、最近これにさらに1項目を加えて6項目にすると書いた。6項目にすると次のようになる。これもまだ暫定的なもので、今後項目の追加や文章表現の変更もありうる。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきたこと。

(3)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(5)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(6)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

それぞれの項目ついては、カテゴリー「日本文化のユニークさ」で何回かづつ主題的に論じたり、別のカテゴリーで折に触れて論じたりしている。あるいは、カテゴリー「日本の長所」や「マンガ・アニメの発信力の理由」などで関連した記事を書いたりしている。要するに6項目のそれぞれに関係する記事が、いろいろなカテゴリーや、かなり長い期間の間に散在している。

そこで今後の計画のひとつとして、上の6項目のそれぞれに関連してアップした記事をできるだけ拾い集めて整理し、筋道だてて論じてみたいと思う。たとえば(1)の縄文文化関係で、これまで書いてきたことすべてを整理してまとめる。(2)以下についても同様に整理して、書き直してみるということである。4・5年前に書いたこともすべて拾い集めて整理したい。もちろんこれまで触れなかったようなことも必要に応じて書き加えていく予定であるが、基本的な考え方としては、これまで書いてきたことの総まとめ的なことをしてみたいということである。

《関連記事》
日本文化のユニークさ37:通して見る
日本文化のユニークさ38:通して見る(後半)
その他の「日本文化のユニークさ」記事一覧

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その他の「日本文化のユニークさ」記事一覧

2012年02月22日 | 日本文化のユニークさ
このブログで、「日本文化のユニークさ」というカテゴリーの中で「日本文化のユニークさ01・02・03‥‥」というふうに通し番号をつけてアップしていた記事は、だいたい「日本文化のユニークさ5項目」に沿って書いたものだった。

しかしこのカテゴリー下では、通し番号もつけず、かならずしも5項目には沿わない記事も載せていた。それが以下のものだ。このへんでちょっと振り返っておくのも意味があるだろう。私自身の今後の便宜のためにも、一覧にしておいた。

日本人の人間観・その長所と短所(1)

日本人の人間観・その長所と短所(2)

日本人の人間観・その長所と短所(3)

「かわいい」と日本文化のユニークさ(1)

「かわいい」と日本文化のユニークさ(2)

東日本大震災と日本人(4)突きつけられた問い

日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(1)

日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(2)

日本人が日本を愛せない理由(1)

日本人が日本を愛せない理由(2)

日本人が日本を愛せない理由(3)

日本人が日本を愛せない理由(4)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(1)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(2)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(3)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(4)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(5)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(6)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(7)

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日本文化のユニークさ38:通して見る(後半)

2012年02月15日 | 日本文化のユニークさ
前回に引き続き「日本文化のユニークさ」5項目に沿って行った考察の21~36までを順にならべてみた。これに関連する記事で、他のカテゴリーでアップしたものもたくさんあるのだが、それらは個々の記事の中でリンクしてある場合もあるのでそちらをご参照願いたい。

今後も5項目に沿った形での記事は、「日本文化のユニークさ」プラス通し番号にして続けながら少しずつ内容を深めていければよいと思う。


日本文化のユニークさ21:宗教的一元支配がなかった(1)

日本文化のユニークさ22:宗教的一元支配がなかった(2)

日本文化のユニークさ23:キリスト教をいちばん分からない国(2)

日本文化のユニークさ24:自然災害が日本人の優しさを作った

日本文化のユニークさ25:日本人は独裁者を嫌う

日本文化のユニークさ26:自然災害にへこたれない

日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ

日本文化のユニークさ29:母性原理の意味

日本文化のユニークさ30:縄文人と森の恵み

日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤

日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)

日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)

日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

日本文化のユニークさ35:寄生文明と共生文明(1)

日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理

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日本文化のユニークさ37:通して見る

2012年02月14日 | 日本文化のユニークさ
このブログのカテゴリーの中で一番アップ数が多いのは「日本文化のユニークさ」である。その中でも01から通し番号をつけたものは、だいたい日本文化のユニークさ5項目に沿って考えてきたものだ。最初は、5項目ではなく3項目であったし、5項目になっても少し文章を変えたり付け加えたりしている。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(5)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

現在はこの5項目でまとめているが、今後また少し変わるかもしれない。ともあれ、その変遷も含めて通し番号で一覧できるようにしてみた。

現在は通し番号36まで来ているが、今回は01から20までを順にならべ、次回21から36までを順にならべてみたい。

《日本文化のユニークさ》01~20

日本文化のユニークさ01:なぜキリスト教を受容しなかったかという問い
日本文化のユニークさ02:キリスト教が広まらなかった理由
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった
日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない
日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観
日本文化のユニークさ07:ユニークな日本人(1)
日本文化のユニークさ08:ユニークな日本人(2)
日本文化のユニークさ09:日本の復元力
日本文化のユニークさ10:性善説人間観と日本の長所
日本文化のユニークさ11:平和で安定した社会の結果
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
日本文化のユニークさ14:キリスト教が流入しなかったこと
日本文化のユニークさ15:キリスト教が広まらなかった理由
日本文化のユニークさ16:自然環境が融和を促した
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
日本文化のユニークさ18:縄文語の心
日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
日本文化のユニークさ20:世界史上の大量虐殺と比較すると

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ユダヤ人と日本文化のユニークさ07

2012年01月14日 | 日本文化のユニークさ
このテーマについては前回でいちおうの区切りにしようと思っていたが、少しだけ付け加えたいことが出てきた。それは、この問題を母性原理と父性原理という観点から見るとどうなるかということである。

母性原理と父性原理、あるいは女性原理と男性原理という観点は、これまでも河合隼雄の著作などに触れながらしばしば紹介してきた。砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない男性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。(日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化などを参照)

ユダヤの文化と日本の文化は、さまざまな意味で対極にあるということをこれまで強調してきたが、父性原理と母性原理という視点で見ると、その対極性がさらに際立つようだ。

日本列島という豊かな森に覆われた自然環境は、地球上でも特に狩猟・採集に適し、さらに豊かな海での漁猟も加わっていたからか、日本の人口密度は狩猟採集社会としては、世界一高かったといわれる。その森と海の豊かさもあって、本格的な農耕段階に入るのが遅れ、金属器の採用も遅れている。世界史的には農耕の段階に入ってから土器も使用されるようになるのだが、縄文時代はすでに土器が発達した、異常に高度な狩猟・採集文化の時代であった。

森に覆われた豊かな大地は、母なる大地である。それは多様な動植物を育む大地である。縄文人に狩猟・採集を中心としながらも定住を可能にした豊饒な大地である。そのように豊かな自然環境の恩恵を受けながら生きる人々は、その母性的な自然を崇拝し、母性的な宗教を信じたとしても不思議ではない。

一方ユダヤ人はどうであったか。彼らは砂漠や草原が広がる土地を遊牧していた。そこは、様々な動植物をおい育てる豊かな母なる大地ではなかったし、それ以前に彼らは、そのふところに抱かれて安住できる大地を持っていなかった。縄文人は、ときに自然が猛威を振るうことはあっても、日本列島の母なる大地から追放されることはなかった。ところがユダヤ人は民族の始まりから安住の地をもたず、仮に定住してもやがて集団で連れ去れれ異郷に捕囚されたり、離散したりを繰り返した。迫害されるたびに彼らは「なぜ」と自問しただろう、「なぜわれわれは、かくも過酷な運命を強いられるのか」と。そして考えだだろう、「これは父なる神がわれわれに課した試練なのだ」と。

日本列島に住む人々は、母なる自然の恩恵をじかに受け取りつつ世界史上でもまれな高度な狩猟採集時代を生きた。一方ユダヤ人は、豊かな自然にも安住すべき大地にも恵まれず、自分たちの過酷な運命を意識して「なぜ」を繰り返しながら生きた。一方に、母性的な自然に包まれる自然性があり、他方に安住の地もなく他民族にも迫害され続ける人々の運命への「問いかけ」があった。そしてそれぞれの文化が、母性の原理と父性の原理の両極をなしているのだ。

今世界は、父性原理の濃い西欧文明の影響を強く受けている。その父性原理の源はユダヤの一神教にある。文明そのものが、母性的な自然との一体化を脱して父性的な原理に立つことによって成立するともいえる。一方で日本文化は、農耕文明以前の母性原理の精神の層を脈々と受け継ぎながらも、父性原理的な近代文明の成果もいち早く吸収した。そのような日本文化のユニークさは、文明はほんとうに父性原理の上でしか成り立たないのかと、世界に向けて問いを発する役割を持っている。いや、日本のマンガやアニメは、そのような役割を担ってすでに世界に発せられているような気がする。

《関連図書》
★『森のこころと文明 (NHKライブラリー)
★『森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
★『中空構造日本の深層 (中公文庫)
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
★『一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)
★『論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)


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ユダヤ人と日本文化のユニークさ06

2012年01月09日 | 日本文化のユニークさ
最後に「日本文化のユニークさ」4項目目を検討しよう。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

これも、これまで見てきたこととほとんど重なるのだが、少し新しい視点を加えながら整理しよう。

まず日本文化のこの特徴がどのようなことなのかかんたんに振り返りたい。このテーマに関係する過去の記事には以下のようなものがある。

日本文化のユニークさ21:宗教的一元支配がなかった(1)
日本文化のユニークさ22:宗教的一元支配がなかった(2)
マンガ・アニメの発信力と日本文化(4)相対主義(続き)

要点のみまとめると、

①縄文的・自然崇拝的な心性は、日本人の中に強固な基盤を作っていたので、宗教などによる一元的な支配を拒む力を保ち続けた。

②農耕に適した土地が小規模だったため、強大な権力とそのイデオロギーによる一元的な支配は必要ではなかった。

③異民族との激しい闘争をほとんどしてこなかったので、宗教やイデオロギーを押し付けられたり、それに抗して自分たちの宗教やイデオロギーを正当化して、イデオロギー的に武装する必要もなかった。

などの理由が挙げられ、これらのことが、相乗的にはたらいた結果、「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどない」ままに高度な文明を作り上げるという、歴史的・文化的にきわめてユニークな日本という国が存在することができたのであろう。

世界のほとんどの民族は、キリスト教、イスラム教、儒教などの絶対原理のようなもので飼いならされていくことでしか、民族が入り組む社会をまとめ上げていくことはできなかった。しかし、日本はそうではなかった。原理やイデオロギーというややこしいものに煩わされることが少なかったことが、日本文化のユニークさであり、今そのことの良さが見直されつつある。

日本文化の基盤となっているのは、やはり縄文的・自然崇拝的な心性である。原初的な神道とでもいうべきものが、私たちの心の中に生きているのだろう。日本文化や日本人の心の中には、いわば何も乗せられていない皿のような神道的な空間があって、その上に仏教や儒教や近代文明が乗せられたり、近代文明が乗せられたりするのではないか。さまざまな宗教や観念が乗せられたり下ろされたりするけれど、その神道的な空間だけは、はるか昔から揺るがず存在している。そして、その空虚な空間は、絶対的な観念やイデオロギーといったものからは、もっともかけ離れている。(参考『日本人と日本文化 (中公新書 (285))』)そして、こうした何でも乗せられる皿のような空間を保ち続けることができたのは、上にあげた三点のような地理的・歴史的条件があったからなのだろう。

ユダヤ人の場合はどうか。ユダヤ教の成立にとって重要な意味をもつ出来事の一つが、モーセによる出エジプトである。エジプトで隷属状態に置かれていた人々が、モーセに率いられてエジプト脱出に成功するのだ。異民族の中で虐げられていた人々が、その状態から脱出し、やがてカナンの地に到着して定住する。その成功の導いてくれた神への信仰が強固になる。その成立事情は、日本列島に安住し続けた人々の自然宗教と何という違いだろう。

やがてユダヤは、ダビデ・ソロモンの繁栄の時代を経て、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂する。約200年の後、北の王国はアッシリアに滅ぼされる。残された南王国の人々は、「なぜ神はわれわれの同朋を見捨てたのか」と問う。神がダメだったからなのか。北王国の人々は、そう考えてもっと頼りになる新しい神に鞍替えすることも可能だっただろう。しかし、神に導かれての出エジプトの成功はあまりに強烈な体験だったので、彼らには神を乗り換える気持ちにはなれなかった。逆に、北王国の人々は、一部バアル神などを信じてヤハウェ神をないがしろにしたから見捨てられたと考えた。そして自分たちがこれほど過酷に他民族に迫害されるのは神による試練なのではないかと考えた。あるいは出エジプト以来、神が動く気配がないのはユダヤ人だけではなく全人類に罪があるからではないのかとも考えた。こうしていくたの迫害にもかかわらず唯一神への信仰は強まっていくのである。

こうしてユダヤ教という一神教の成立の背後には、民族の迫害の歴史があった。異民族との生き残りをかけた抗争を知らずに日本列島に住み続けることのできた日本人の宗教との違いはあまりに大きい。

以上、ユダヤ人と日本人の歴史・文化・宗教を比べてきたが、両者がさまざまな意味で両極に位置するという印象はますます強くなっている。そしてその両極性のゆえに、逆にどこかで通じ合うものがあるという思いもますます強くなっている。後者については、まだ充分に言葉にすることはできないが、いずれまた取り上げることがあるかもしれない。


《関連記事》
日本文化のユニークさ07:正義の神はいらない
日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
日本の長所15:伝統と現代の共存
ジャパナメリカ02
クールジャパンの根っこは縄文?

《関連図書》
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
★『一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)
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ユダヤ人と日本文化のユニークさ05

2012年01月08日 | 日本文化のユニークさ
続けて「日本文化のユニークさ」5項目のうち残りの(2)に関連させながらユダヤ人と日本人の比較を続けたい。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

旧約聖書にしたがえば、ヘブライ人の族長アブラハムが、部族とともにメソポタミアからカナンの地(現在イスラエル付近)に移住したという。「ヘブライ人」とは移住民という意味である。彼らはこの付近で遊牧生活を続けていたが、紀元前17世紀頃、エジプトに集団移住する。やがてこの地で奴隷とされ、奴隷時代が400年ほど続いたが、ついにモーセに率いられてエジプトを脱出し、シナイ半島を放浪した末にカナンの地に定住していく。こうしたユダヤ人(ヘブライ人)の「歴史」や文化が遊牧と深く結びついていたことは言うまでもない。

旧約聖書では、神そのものが羊飼いに譬えられることからも、その文化や宗教と遊牧との関わりが分かる。「主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れてたずさえゆき‥‥」(イザヤ書)など、神と人との関係を牧者と羊との関係でとらえる。新約聖書では牧者はキリストとなるが、やはり羊飼いにまつわる比喩は枚挙にいとまがない。それほどに遊牧や牧畜が、古代ユダヤ人の文化と密接に結びついていたということだ。

ところで、日本文化のユニークさの一つは牧畜生活をまったく知らず、さらに遊牧民との接触もまったくなかったというこどである。そのため、遊牧民的な発想や牧畜民的な思考法にまったくなじみがないということである。その例として、日本には宦官と奴隷制度がなかったことが挙げられる(『日本人とユダヤ人』)。

日本は、あれほど熱心に中国文明を取り入れながら、中国史に大きく影響を与えた宦官や宮刑の制度はまったく入れなかった。中国だけでなく、古代ペルシア帝国にすでに後宮の宦官は存在したという。これは、おそらく古代オリエントの文明圏から東西に広がった制度で、西はビザンチン帝国からイスラム諸国の宮廷に栄え、東は秦の時代から清朝末期まで宦官に悩まされた中国はもちろん、朝鮮半島にも宦官は存在した。朝鮮半島では、歴代の朝廷に宦官を供給した村も残っているという。

そして宦官や宮刑の制度は、大陸の牧畜技術の一環として発明された家畜の去勢法が、宮廷生活のなかで応用されたものだという。朝鮮半島まではきたが日本には渡来しなかったユーラシア大陸の文化の多くは、日本ではなじみのなかった遊牧・牧畜文化に属するものであったのではないか。(『論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)』の中の石田英一郎の論文による)

奴隷制度はどうなのか。これもまた遊牧・牧畜と深く結びついた制度なのである。牛や馬や羊を飼い、利用するという発想があったから人間をも同様に家畜化することができたというのである。奴隷制度が、遊牧・牧畜的な発想の上に成り立っていたから、日本では奴隷制度が存在しなかったのかもしれない。ただし、奴隷制度が根付かなかった日本とともに、実質的に奴隷がいなかったのはイスラエルだけで、それはモーセの律法(特に申命典)が奴隷をもてないようにしていたからだという。(『日本人とユダヤ人』)

以上からも、日本文化がユダヤ教・キリスト教的な文化からもっとも遠いところに位置する理由の一つが理解できよう。日本は、遊牧・牧畜文化ともっとも無縁だったのである。そして、遊牧・牧畜に密接に関係する文化は、日本にはなじみにくく、日本人は無自覚のうちにそれを拒否するのである。宦官、奴隷制度、そしてキリスト教などの一神教も‥‥。

ここでも牧畜・遊牧を抜きにして語れないユダヤ人の歴史と、牧畜・遊牧が存在しなかった日本人の歴史が好対照をなしている。ただ、どちらも奴隷制度が本格的には存在しなかったという不思議な共通点はあるのだが。

※以下の関連記事(特に二番目と三番目)は、牧畜・遊牧を知らなかった日本人が、ユーラシア大陸に比べ独自の動物観・生命観を形づくっていったかを考察している。

《関連記事》
日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった

日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない

日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観

日本文化のユニークさ23:キリスト教をいちばん分からない国(2)

《関連図書》
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
★『一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)

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ユダヤ人と日本文化のユニークさ04

2012年01月07日 | 日本文化のユニークさ
「日本文化のユニークさ」5項目のうち残りの3項目は以下のものである。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(2)に関しては、宦官に触れながらすでにかんたんに言及している。(1)(4)との関係もすでにある程度触れている。「日本文化のユニークさ」5項目そのものが相互に深く関連しているから当然といえば当然なのである。

まず(1)から見ていこう。岸田秀が『一神教vs多神教』のなかでユダヤ教徒がキリスト教徒に迫害された理由を論じていた部分を思い起こしてほしい。西欧人は、キリスト教を押し付けられ、元来の民族宗教を捨てさせられ、自分たちの神々を悪魔とされた。その憎しみを強者であるローマ帝国とキリスト教に向けるのは危険が伴うので、強者とつながりのある弱者、つまりキリスト教の母胎となったユダヤ教に向けたという説明である。

キリスト教以前の民族宗教とは何か。それはかつてヨーロッパに広範囲にわたり住んでいたケルト人の宗教、自然崇拝の多神教であるドルイド教であり、ケルト人を圧迫しつつ侵入したゲルマン人の宗教である。ゲルマン人の宗教は北欧神話の神々、オーディン、トールをはじめとする古代チュートン人の神々に代表される宗教である。ナチスドイツは、反キリスト教的な意識から古代ゲルマン人の宗教を復活させようとした。

強調したいことは、一見キリスト教によって文化の深いレベルから統一されているかに見えるヨーロッパにも、一神教以前の自然宗教へ郷愁があり、それが抑圧されてしまったことへの潜在的な怒りや憎しみがあるといことである。その憎しみが、キリスト教を生み出したユダヤ教に向かうのも不思議ではない。

ここでもまたユダヤ民族と日本民族はキリスト教を軸として対極に位置する。ヨーロッパ人は、かつての自分たちの自然宗教を抑圧したキリスト教への潜在的な恨みを、ユダヤ教徒に向ける。一方で日本民族は、一神教に犯されることなく、古代からの自然崇拝的な宗教を現代にまで受け継いでいる。そのような日本から発せられるマンガやアニメなどのポップカルチャーは、自分たちが忘れ、失ってしまったものへの郷愁を駆り立てる何かを背後に伴っているのではないか。ユダヤ人は、自然宗教を抑圧された恨みの転移を受け、日本文化は、抑圧された宗教を思い起こさせるためクールとみなされる。

日本文化に出会うことで、忘れられていたヨーロッパ文化の古層を思い出していった人物の一例をあげておこう。トマス・インモースは、スイス出身だが日本に在住するカトリック司祭であり、日本ユングクラブ名誉会長でもある。彼はその著『深い泉の国「日本」―異文化との出会い (中公文庫)』で、「神道とヨーロッパの先史時代とは共通のものを分かち合っている」という。スイスは、ケルト文明のひとつの中心地であった。それで、縄文的な心性が現代に残る日本という土地で、少しずつスイスの過去に出会うようになった。日本という「深い泉」に触れることで、自分自身のルーツのより深い意味を見出していったというのだ。「日本という土地の上で、私は少しずつ、スイスの過去に出会うようになった。バラバラだったものがひとつにまとまり、私は自分自身の過去も知るようになった。自分を理解するようになった。」

トマス・インモースのような自覚的な営みではないにせよ、ポップカルチャーをきっかけにして日本の文化に触れたヨーロッパの人々は、多かれ少なかれ、忘れていた自分たちの古い古い過去を思い出すのかもしれない。

《関連記事》
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ15:キリスト教が広まらなかった理由
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
日本文化のユニークさ18:縄文語の心
日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

《関連図書》
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
★『一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)

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ユダヤ人と日本文化のユニークさ03

2012年01月06日 | 日本文化のユニークさ
コメントでご質問を受けた。私の言い足りなかった部分もあるので、それにここで答えながら論を進めたい。

最初の質問は、「キリストを有罪にして、処刑させたのはユダヤ人であったわけで、その事に対する嫌悪感は自然な感情ではないでしょうか?」というものだ。

確かに、ユダヤ人イエスを「ローマに反逆を企てる者」として処刑したのはユダヤ人であるが、問題はその事実とその後ヨーロッパで繰り返されたユダヤ人迫害とは釣り合うものかどうかということだ。言うまでもなく、エルサレムを奪回した十字軍によるユダヤ人虐殺、ペスト流行時のユダヤ人虐殺、魔女狩りでのユダヤ人の犠牲、東ヨーロッパでの「ポグロム」とよばれる大規模なユダヤ人迫害、そしてヒトラーによる迫害と虐殺。これらすべてが「自然な感情」と言えるのかどうかということである。

しかもキリスト教信仰の中心をなすのは、「人類の罪を贖うイエスの十字架上の死および復活」である。イエスが十字架上で処刑されなかったらキリスト教は成立しなかったともいえる。その意味では、キリスト教徒はユダヤ教徒に感謝すべきだとの逆説も成り立つ。別の言い方をすれば、キリスト教にとっては、人類の罪をチャラにするためにイエスを殺したのは神の意志だったのである。

次の質問は、ユダヤ人と日本人は「両極にありながら、西欧文明に与えたインパクトという面では、どこかに通じるものがあるのではないか」という私の発言に対するものである。「日本が西欧世界に与えたインパクトは、彼らのキリスト教が失わせてしまった、彼らの文化(正確には教会文化)に足りないものが、日本に在りそうだと気がつかせてくれたというあたりにあるようです、だから、"どこかに通じるものがある"とは思えません。影響を与える文化の中でも、性質が違うものではないでしょうか?」というものである。

西洋文化に「足りないもの」を彼らに気づかせるという意味が日本にありそうだという主張は私も同じである。むしろ、マンガ・アニメなど日本のポップカルチャーがクールなものとして受け入れられる背景には、一神教にない何かが日本文化にあるからだろうというのが、このブログの根底にある考え方である。

前回のブログでも、キリスト教を軸にして考えるとユダヤと日本は両極端に位置することを主張したのだが、逆にあまりにみごとに両極にあるので、陰と陽、プラスとマイナスが補いあい、引かれ合うようにどこかで通じ合うものがあるのではないかと考えたのである。ポジとネガのように好対照なので、かえって逆説的に通じるものがあるのではないか。

その通じ合うものとは、もちろん性質や内容ではなく、真逆の方向でのインパクトの強さにおいてである。ユダヤ教は、西欧文明に対し、いわば過去から、そのもっとも本質的な部分に影響を与え、規定する働きをしてきた。そして西欧近代が生まれた背景には、明らかにユダヤ教的な一神教がある。

一神教からもっとも遠くに位置する日本文化は、いわば未来に向けて、一神教の影響や規定を解き放つ働きをなすのかもしれない。いやマンガやアニメは、一部その働きをなしつつある。それは、西欧近代が忘れ失ってしまった何かを思い出させるのではないか。

《関連記事》
マンガ・アニメの発信力の理由01
マンガ・アニメの発信力の理由02
マンガ・アニメの発信力の理由03
マンガ・アニメの発信力の理由

以上が、陰と陽が通じあうということの意味である。ただ、これで充分明確に言葉にできたとは思っていない。これからの課題になるであろう。ということで、質問に答えているうちにこのテーマの次の展開の内容に触れてきたようだ。項をあらためて進めることにしたい。

《関連図書》
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
★『一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)
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ユダヤ人と日本文化のユニークさ02

2012年01月05日 | 日本文化のユニークさ
すでに前回に述べたことからも「日本文化のユニークさ」残りの4項目との関連がある程度見えてくると思う。ここではまず、関連がいちばんはっきりしている5項目目から考えていこう。

(5)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

ユダヤ民族と日本民族とは、キリスト教との関係においても地球上の他の民族に比べ、両極端に位置して好対照をなしているのである。ユダヤ教徒は、キリスト教を生み出す母胎となる一神教を形成し、信じながら、そのためもあってキリスト教徒にもっとも迫害され、一方日本人は、キリスト教徒に植民地化されなかった数少ない民族の一つである。そして一神教にもっとも無縁な民族である。

なぜユダヤ教徒はキリスト教徒に迫害されたのか。岸田秀は『一神教vs多神教』のなかで次のようにいう。一般に被害者は、自分を加害者と同一視して加害者に転じ、その被害をより弱い者に移譲しようとする(攻撃者との同一視のメカニズム)。そうすることで被害者であったことの劣等感、屈辱感を補償しようする。自分の不幸が我慢ならなくて、他人を同じように不幸にして自分を慰める。 多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し付けられて、心の奥底で「不幸」を感じた。だから一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、自分たちが味わっている不幸と同じ不幸に世界の諸民族を巻き込みたいというのが、近代ヨーロッパ人の基本的な行動パターンだったのではないか。その行動パターンは、新大陸での先住民へのすさまじい攻撃と迫害などに典型的に現われている。

西欧人がユダヤ人を差別するのは、西欧人がローマ帝国によってキリスト教を押し付けられ、元来の民族宗教を捨てさせられ、元来の神々を悪魔とされたところに起源がある。そこで本来ならローマ帝国とキリスト教に向くはずの恨みが、転移のメカニズムによって、強者とつながりのある弱者に向かう。強者に攻撃を向けることは危険だからである。ローマ帝国や、自分たちがどっぷりつかっているキリスト教を攻撃できず、キリスト教の母胎となってユダヤ教を攻撃するのである。つまり反ユダヤ主義は、深層においては反キリスト主義であるという。

影の現象学 (講談社学術文庫)』において河合隼雄はいう、ナチスドイツは、すべてをユダヤ人の悪のせいであるとすることによって、自分たちの集団のまとまり、統一性を高めた。集団の影の面をすべて、いけにえの羊に押し付け、自分たちはあくまで正しい人間として行動する、と。ユングは、ナチスの動きをキリスト文明においてあまりに抑圧された北欧神話の神オーディンの顕現と見ていた。本能の抑制を徳とするキリスト教への、影の反逆であると理解したのである。

ルイス・スナイダーの『アドルフ・ヒトラー (角川文庫 白)』(角川文庫)では、ヒトラーの反キリスト教的な考え方について述べている。「彼はキリスト教を、ドイツ人の純粋な民族文化とは無縁な異質の思想として排斥した。『キリスト教と梅毒を知らなかった古代の方が、現代よりもよき時代だった』とヒトラーは述べている。」 一部のナチ党指導者たちは、キリスト教を完全に否認した。そのかわり、彼らは「血と民族と土地」を崇拝する異教的宗派の樹立を望んだ。新しい異教徒たちは、オーディン、トールをはじめとするキリスト以前の古代チュートン人の神々を復活させた。旧約聖書のかわりに北欧神話やおとぎ話を採用した。そして新しい三位一体――勇気、忠誠、体力を作り出した。

岸田は、「反ユダヤ主義は、深層においては反キリスト主義である」と述べたが、ヒトラーおよびナチにおいては、深層においてどころか声高に反キリスト主義が叫ばれていたのである。西欧の反ユダヤ主義の深層には、確かに自らの文化の中核をなすに到ったキリスト教への反感があり、それが、ナチズムのような「退行」的な現象においては、はっきりと表面に出てくると言えるのかもしれない。

ともあれキリスト教を基盤とした西欧文明は、近代以降の世界史の中心にあった。その西欧文明の軸の両極端にユダヤ人と日本人がいる。ユダヤ教なくしてキリスト教は生まれなかった。ユダヤ教の一神教の精神は、西欧文明の本質的な部分に影響を与えている。しかも、何度も繰り返された迫害にもかかわらず、西欧文明の発達に決定的な影響を与えたユダヤ人が多数いる。マルクス、フロイト、アインシュタイン、それ以前にも名前を挙げればきりがない。資本主義の誕生の一要素となった金融の発達も、ユダヤ人を抜きにしては語れない。ユダヤ教徒は、キリスト教徒に憎まれ、迫害されながらも、西欧キリスト教文明の発達に大きな役割を果たしたのである。

一方日本人は、近代以前、キリスト教、いや一神教そのものの影響からもっとも遠いところにいた。一神教は、遊牧や牧畜と深く関係するが、遊牧・牧畜文化ともっとも無縁だったのが日本民族だった。宦官は家畜の去勢技術と深いかかわりがあり、宦官はユーラシア大陸の各地に存在するが、日本には存在しなかった。インドは、イスラム教の王朝(ムガル帝国)が存在したし、イスラム教は東南アジアのインドネシアにまで進出した。

日本にはもちろんイスラム教は侵入しなかったし、キリスト教国に植民地化された経験もない。にもかかわらず日本は、明治維新以降、西欧文明の、キリスト教という中核を抜きにした成果の部分だけをうまく取り入れ、いちはやく近代化に成功して、世界史の舞台に躍り出ていくのである。そして近代以降の西欧文明に対して脅威を与える、最初の非西欧文明(非キリスト教文明)になっていく。

このようにユダヤ民族と日本民族は、キリスト教文明を軸にすると、まさに正反対の場所に位置する。しかし、一方は迫害されながらもその内部に本質的な影響を与え、他方はそのもっとも遠い外縁にいながら、やがて大きな脅威と影響を与える存在になっていた。両極にありながら、西欧文明に与えたインパクトという面では、どこかに通じるものがあるのではないか。


《関連図書》
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
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★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)
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