クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

海外の本音プチ炎上 日本人が親切?規律正しい?

2024年05月14日 | 日本の長所
★この記事の内容は、次のユーチューブ動画の要約です。議論の全体は次の動画で御覧になれます。
 ⇒ 「海外の本音プチ炎上 日本人が親切?規律正しい?」

私は最近、自分のXアカントで次のような質問をしました。
「日本人はなぜ規律や礼儀、敬意を大切にするのでしょうか。それは、日本が単一民族が住む島国であり、他国に侵略されたことがなく、自然災害があっても協力して立ち直ってきたからだと思います。これについてどう思いますか。」(原文は英語です)

この質問に対し、それほど多くの回答を期待していなかったのですが、意外にも海外から90以上の回答がありました。しかもかなり否定的、批判的な意見も多く、ちょっとした炎上かなと感じたくらいです。

上の私の問いかけに対してもかなり無礼な発言が散見しました。たとえば日本語にすると「アホなおいぼれめ、すぐにくたばるだろうがな」というような感じです。これはさすがにブロックしたので、もう見れませんが。この人も含め、「日本が単一民族が住む島国」だから規律や秩序があると表現したことにお怒りの人が多かったようです。もちろん日本を単純に単一民族の国とは言えないかもしれませんが、あえて単純化して言いました。言いたかったのは世界の他の国々に対してきわめて均質性の高い国で、それが日本人の規律性や秩序ある社会の一因になっているということです。

多様性と均質性。現代の世界は多様性を重視します。日本のように比較的に均質な社会だから、社会の秩序や規律性が保たれたと言えば、当然強い反発が起こります。そういう立場からの反対意見はたくさんありました。いくつか例を挙げます。

★私の考えでは、規律、礼儀正しさ、敬意と単一民族であることとのつながりはかなり希薄で、その間に因果関係をこじつけるのは、日本の多民族性を否定したい人々による神話作りの一部です。

★日本には単一民族が住んでいるのではありません。初期にはさまざまな地域から複数の移住がありましたが、最も明白な例は北海道のアイヌです。性格、行動、特性は国民に本来備わっており遺伝するという誤った考えに基づく意見は、すべて国家主義的なアプローチに過ぎず、まったくのナンセンスです

★彼らが秩序を保っているのは、人間の生命にとって非常に危険な場所において、それが生き残るための最も合理的な反応だからです。そして日本は単一の民族ではなく、複数の民族(少なくとも縄文人・弥生人のような2つの大きな民族)があり、さらに琉球人やアイヌもいます。

★「単一民族」という言葉には納得できません。歴史的に見て、それは正確ではありません。はるか昔、日本は北と南の部族が混在していました。そのため、顎の形や肌の色は多種多様です。

私の主張は、「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をほとんどもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。そうした歴史的継続性や統一性という背景が一因となって、現代の日本社会の規律性や秩序の高さが生まれた」ということに尽きます。

上に挙げた例にも見られるように、私の質問に対して、先住民アイヌの例を持ち出し、真っ向から否定する意見もいくつかありました。しかし、アイヌについての最先端の研究成果を知れば、問題はそれほど単純でないことが分かるでしょう。少なくとも以下のような学説もあることを知っておくべきです。

北海道では、本州が弥生時代に入ってからも縄文文化を継続し、続縄文文化とよばれました。つまり縄文人がその文化を本州よりも長く継続していたのです。その頃、樺太からオホーツク文化が南下し、北海道の北と東の広い地域に広がりました。そして7世紀からは東北の農耕民が北海道西部に移り住み、本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とする擦文文化に移行し、擦文人は勢力を北海道全域に広げました。

その結果、オホーツク文化は北海道の東部地区に残りましたが、擦文文化と融合してトビニタイ文化となりました。そして擦文文化がトビニタイ文化を吸収して、13世紀に成立したのがアイヌだと言われています。つまりアイヌとは、北海道縄文人の子孫である続縄文人と東北弥生人が融合し、樺太から下がってきたオホーツク人を吸収して一体となることで形成されたのです。近年の遺伝子調査によると、アイヌ人とDNAが最も近いのは、琉球人で、次に近いのが本土日本人でした。つまりアイヌは、琉球人とともに縄文人の血統を色濃く受け継いでいるのです。現代の日本人が、縄文人と弥生人の両方の血を受け継いでいることはよく知られていますが、アイヌや琉球の人々は、縄文人の血をより濃く残していると言えるのです。このような研究成果を踏まえるなら、アイヌを先住民と単純には言えないし、アイヌや琉球人を単純に別民族とも言えないのです。

最後にひとつだけ付け加えます。日本人の規律や秩序や治安の良さについては、先の意見(動画の中で見ることが出来ます)の中にあったように、もしかしたら表面的なものかも知れません。しかし犯罪や無法状態が蔓延する社会よりは、安心して暮らせる社会を誰もが望んでいます。日本が今そういう社会であるのは、いくつかの地理的・歴史的な条件が幸運に働いた結果かもしれません。しかし、日本人がそういう状態をいつまでも維持することで、それが世界に何かしら良い影響を与える可能性は高いと思います。そういう社会が存在することが可能なのだということを現実に示し続けることは十分に意味があるのです。そこに人々は可能性と希望を見つけ出すことができます。そして人々の意識が少しでも変われば世界が変わる可能性があるのです。かすかな可能性かもしれませんが、否定できない事実でしょう。

★この記事の内容は、次のユーチューブ動画の要約です。議論の全体は次の動画で御覧になれます。
 ⇒ 「海外の本音プチ炎上 日本人が親切?規律正しい?」



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日本人の優しさ・礼節・敬意——その驚くべき背景(世界の反応)

2024年05月07日 | 日本の長所
★この記事の後半は、次のユーチューブ動画でご覧いただけます。
 ⇒ 日本人の優しさ・礼節・敬意——その驚くべき背景(世界の反応)

私は自分のXアカントで行ったアンケート結果や、関連するユーチューブ動画や読んだ本のなどを参考にて、海外の人々が見た日本人や日本社会の特質をおよそ次のようにまとめてみました。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)謙虚さ、親切、他人への思いやり 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)治安のよさ、犯罪率の低さ

では、日本人の礼儀、規律性、謙虚さ、優しさはいったいどこから来るのでしょうか。これに関し私は、東北大震災の直後に見せた日本人の秩序ある行動が、驚きと賞賛をもって世界に報道されたのを思い出します。当時、アメリカのニューヨークタイムズ紙は、「混乱の中での秩序と礼節、悲劇に直面しても冷静さと自己犠牲の気持ちを失わない、静かな勇敢さ、これらはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ」と評しました。

逆にアメリカでは2005年のハリケーン・カトリーナの際に無法状態での略奪など混乱状態に陥りました。日本では災害時にそういう無法状態に陥らず、略奪もなく秩序が維持されていました。この違いはどこからくるのでしょうか。

ある意味でそれは、日本が、大陸から適度に隔てられた島国であるという特殊な地理的条件から来るとも言えるでしょう。そのため日本は、民族と国家がほぼ一致し、共通の文化と言語を保ちながら1500年以上も続いてきたのです。

ヨーロッパ大陸やアジア大陸などの大陸においては、異民族間の戦争や、侵略、虐殺が繰り返されてきました。そういう歴史の中では、信頼を前提とした人間関係は育ちにくいのです。戦争と殺戮の繰り返しは、不信と憎悪を残し、それが歴史的に蓄積されていきます。

一方、海に囲まれた日本では、異民族による大規模な侵略や殺戮をほとんど経験せず、自分たちの言葉や文化が根こそぎ奪われてしまうような体験もありませんでした。国内に戦乱はあったにせよ、その規模は世界史レベルからすれば小さく、長年培ってきた文化や生活が断絶してしまうこともありませんでした。異民族による侵略や虐殺のない平和で安定した社会は、長期的な安定した人間関係が生活の基盤となります。互いの信頼に基づく安定した人間関係を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値観となったのです。

★この記事の後半は、次のユーチューブ動画でご覧いただけます。
 ⇒ 日本人の優しさ・礼節・敬意——その驚くべき背景(世界の反応)

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ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を! 役所広司主演『Perfect Days』

2024年01月28日 | 日本の長所
ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を!
昨年12月22日に日本でも公開が始まった『Perfect Days』を見てきました。監督のヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders)は、数々の受賞歴に輝くドイツ人巨匠です。1982年の『ことの次第』が、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。1984年の『パリ、テキサス』がカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞。1987年、『ベルリン・天使の詩』ではカンヌ国際映画祭にて監督賞を受賞などです。そして『Perfect Days』は、2023年第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所広司が最優秀男優賞を受賞しました。

この監督が、東京を舞台に清掃作業員の平凡な日々を描いた『Perfect Days』を作ることになったのは、次のようないきさつによります。元々この映画は渋谷区内17箇所の公共トイレを新しいユニークなものに作り変えるプロジェクト「ザ・東京トイレット」のPRのために企画され、そこにドイツの映画界の巨匠ヴィム・ヴェンダース監督を迎えて作られたのです。当初は短いアート作品の製作を考えていたようですが、監督は、日本滞在時に受けたサービスや公共の場所の清潔さに感銘を受け、それを長編作品として再構想したというのです。

ヴェンダース監督が、日本で感銘を受けたサービスの質や公共の場の清潔さは、『Perfect Days』という映画の内容とどのようにつながるのでしょうか。まずこの映画の内容に触れたうえで、最後にこの問いに答えたいと思いすので、少しお付き合いください。

この映画のなかで役所広司が演じる平山という中年の男性は、スカイツリーが近くに見える押上の安アパートに一人で住んでいます。そして毎朝薄暗いうちに起き、ワゴン車を運転して仕事場へ向かいます。行き先は渋谷区内にある公衆トイレ。「The Tokyo Toilet」のプロジェクトで作られたユニークなトイレを次々と回り、隅々まで心を込めて磨き上げてゆくのです。

主人公の平山は、何かしらの過去があり、現在の孤独な生活に至りついたらしいことが暗示されますが、それが何であるかは語られません。彼はただひたすらに自分の仕事に打ち込みます。しかも、つねに何か満ち足りた表情をしています。それはまるで、禅の僧侶が、禅寺の中の雑務に修行として打ち込んでいる姿のようです。

それもそのはず、ヴェンダース監督は当初、平山に僧侶のイメージをだぶらせていたということです。しかし、過去に平山が僧侶だったというわけではなく、むしろ熱心なビジネスマンでありながら、心の中に虚しさを抱えているような男を想定しているようです。その虚しさが極限までに至ったとき、彼はこれまでの生き方をすべて捨て、トイレの清掃作業員として働くことを選ぶのです。

彼は、日々の生活の中で出会う木々を愛します。とくに昼休みに、樹木に囲まれた神社で見る木漏れ日の美しさを愛します。一瞬一瞬の木漏れ日の美しさは、彼がひたすらにトイレの清掃に励む姿と重なります。木漏れ日の一瞬一瞬の輝きの連続のような、トイレ掃除の日々。その姿が、禅寺でひたすらに座禅し、薪を割ったり、庭や廊下を掃除したりする僧侶の姿とも重なるのです。

ひたすらに座禅をする、それは只管打坐とも言われます。只管はひたすらとも読むのです。ひたすらに、只管に掃除をする平山の一瞬一瞬の充実。すべてを忘れて、自分の目の前の仕事にひたすらに、只管に打ち込む、それがそのまま悟りの姿なのだと仏教は教えます。それを意味するのが「修証一如」という言葉です。もっとも、平山自身はこんな言葉は知らないでしょう。ほとんどの日本人が、こうした言葉を歴史の背後に忘れ去っています。ただ、ビジネスマンとしての経歴を捨てて、一介の清掃作業員になったときに平山は、木漏れ日のように一瞬一瞬の輝きに生きることの充実を知ったのです。

そんな彼の、平凡ながら満ち足りた日々に、かすかな波風がたつこともあります。あまり仕事に熱心でない若い同僚の清掃員、そしてそのガールフレンドとのちょっとしたかかわり等々。

続きは動画でご確認ください。⇒ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を!

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世界的ユーチューバーが日本に移住 その理由は日本人の英語力?

2024年01月25日 | 日本の長所
みなさんはピューディパイという世界的なユーチューバーを知っていますか。私の家族や友人は誰も彼を知りませんでした。日本ではほとんど知られていないと言えるでしょう。しかし世界的には彼は超有名人です。チャンネル登録者数が世界で最初に1億人を突破したYouTuberであり、King of YouTubeとも言われています。個人運営のYouTubeチャンネル世界一位を長らく保っていましたが、今は二位になりました。それでも1億1千万人以上の登録者がいます。彼はスウェーデン人ですが、英語で発信するゲームの実況プレイで登録者数を伸ばしていきました。英語圏ではあまりに有名な人物です。日本に移住する前はイギリスに住んでいました。

彼は2022年に妻や愛犬二匹とともに日本に移住し、東京の世田谷区に住み始めました。彼が日本に移住した理由は何でしょうか。日本に移住して一年が経ったころに彼はジャパンレビューというタイトルの動画を投稿し、日本の好きなところと嫌いなとことを挙げています。その中で彼が日本の好きなところの第一に挙げていることが、実は日本人の英語力のなさに深く関係しているのです。日本人が英語に弱いことと、ピューディパイの日本移住がどう関係するのでしょうか。

彼は、東京の人混みの中を歩いていても、誰も彼のことをじっと見ないし、追いかけてこないし、変なことをされることもないと言います。周囲の人々のことを気にしないで街中に出られるという感覚が大好きだと言っています。誰も彼のことを知らないのがいいというのです。これを日本の好きなところの第一に挙げているのです。確かに声をかけられることは少しはあるけれど、それは大抵日本に住んでいる外国人で、日本人に話しかけかれることはめったにないといいます。

これが日本人の英語力のなさとどう関係しているのか、もうお気づきの人も多いと思います。日本では彼はほとんど知られていない人物なのです。1億人以上の登録者がいて世界中で名前と顔を知られているけれど、日本ではほとんど無名なのです。その理由はもうお分かりでしょうが、日本では、英語で発信されるユーチューブ動画を見る人の数は、きわめて限られているからです。つまり日本人は、英語のユーチューブ動画を日常的に楽しむほど英語が得意な人はそれほど多くはないということです。もし彼のことを知っている日本人がいても、自信をもって気軽に英語で彼に話しかける日本人はきわめて少ないでしょう。日本人が彼に話しかけないのは、シャイであったり、他人のプライバシーをやたらに犯さない慎み深さや、礼儀正しさもあるかもしれません。ともあれ、それらすべての理由で彼は、人々の注目や干渉を全く気にせずに、日本のどこでも歩けるという分けです。

ピューディパイと同じような理由で、日本に住みたいと考える海外セレブ達が最近増えているということです。たとえばハリウッド女優のレイチェル・マクアダムスは、都内に別宅を購入し、引退したら日本に住むかもしれないといっているそうです。イギリス人女優のデイジー・リドリーも京都に家を購入したことを明かし、ハリウッド女優のミラ・ジョヴォヴィッチは、将来子供と移住することができればと考えているようです。

彼らが日本に住みたい理由は、日本や日本人、日本文化を愛しているという背景は共通しているでしょう。しかし他にも大切な要素があって、人々にやたらにサインを求められたり、話しかけられたりせず、パパラッチに追われる心配もなく、気軽に外出したり旅行したりできるという点があるようです。つまりピューディパイと同じような理由があるのです

彼女たちが日本に住みたい理由はもちろん他にもります。主なものは食べ物のおいしさや犯罪率の低さ、新鮮で楽しめる体験の多さなどでしょう。ピューディパイが日本に住むことにした理由も、すでに述べた一つだけではありません。そのいくつかについて、彼が挙げている日本の嫌な面と共に紹介しましょう。続きは以下の動画で御覧ください。


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なぜ日本は「希望の星」なのか

2014年03月24日 | 日本の長所
最近、何冊かを本を読んでいて気づいたことは、世界の様々な地域や国が、一様に日本から学びとりたいと切望していることがあるということだ。それは、日本が高度に近代化し経済的繁栄を謳歌しながら、どのようにしてそれらと自国の伝統や文化的アイデンティティを両立させることができたのかということだ。世界、とくに発展途上国から見ると、日本が日本らしさを失わずに近代社会を築いたことが奇跡と見えるらしい。生活水準は向上させたいが、伝統的な人間関係や共同体も失いたくない。日本はどのようにしてこの二つを両立させることができたのか。

その何冊かの本で、具体的にどのように言っているかを紹介したい。

☆『いま本当に伝えたい感動的な「日本」の力』より

著者は、外交官としてインド、タイ、キューバ、ウクライナ、モルドバなどに勤務したが、これらの国々が日本からぜひ学びたいと思っていることは、日本がどのようにして近代化とアイデンティティを両立させて経済的繁栄を達成したのかだという。 

たとえば、2007年に外務省がウクライナ最大の日刊紙『デニ』のイフナシ編集長を日本に招待した。彼女は帰国後、新聞に「ウクライナは日本の経験に学ぶことにより、近代化とアイデンティティの両立を達成することができると確信した」と書いた。ウクライナの国造りの最大の課題は、「ウクライナのアイデンティティを保持しつつ、近代化を計ること」だからだ。

☆『実は日本人が大好きなロシア人 (宝島社新書)』より

在日ロシア人、セルゲイ・グリス氏の言葉、「キリスト教が入る以前のロシアも神道のように多神教で自然崇拝をしていたし、そこにロシアと日本とを結ぶ精神的な繋がりがあると思っています」、「ロシアの伝統と文化は、共産主義者によって破壊されたため、ロシア民族としての伝統と文化は、ソ連から逃れて日本をはじめとする海外に亡命したロシア人たちによって受けつがれてきました。」

「ロシアはアジアとヨーロッパを繋ぐ橋です。すなわちロシアには、アジアとヨーロッパの良い部分を融和させる使命があります。日本文化もまた、伝統的な文化に、大陸を通して伝わった文化を融和させて独自な文化として発展させてきました。そこで私は、日本文化こそ、キリスト教が入る以前のロシア的な精神と通じるものであると思います。」

☆『日本の敵 グローバリズムの正体』より

著者(馬淵睦夫氏)によると、ロシアのプーチン大統領は、自国をいつまでも石油や天然ガスに頼るだけの経済から脱却させ、近代的な産業国家に育てようとしている。そして、ロシア的なナショナリズムに基づく近代国家を作るにあたって、日本をその参考にすべき国としているのではないかという。ロシアは、単なる欧米化を求めるのではなく、伝統的なスラブ主義との両立を目指している。ロシア的な産業国家の建設がプーチン大統領の悲願であり、そうした背景もあってプーチン大統領は、日本文化に関心をもっているのだという。

ちなみにプーチン大統領の次女エカテリーナは、サンクトぺテルブルグ大学東洋学部で日本語を専攻している。

☆『イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか』より

アラブ首長国連邦(UAE)]のムハンマド・エル・ターイブさんは言う、「2030年のイスラム世界を決めるのは若者たちです。日本は古い伝統、習慣を維持しながら、急速な経済発展を実現しています。我々は日本を教訓にしなければなりません」と。こうした視点から日本をモデルにしようとする国々が、イスラム世界でも増えているようだ。

☆『中韓以外、みーんな親日 ~クールジャパンが世界を席巻中~ 』より

これは著者が聞いた話として紹介されているのだが、日本の伝統と技術のバランスという点については、サハラ以南のアフリカ諸国でも、評価が高いということだ。この地域の国々では、日本が西欧によって植民地化されず、戦後経済成長を成し遂げながらも、日本古来の伝統や儀礼を残し、調和と融合がなされていることに驚嘆を示す人が多いようだ。たとえば、今生天皇の即位の礼を報道する日本の新聞でも、ガーナの指導者が、神道と近代が融合した日本の姿に強く感心していたという。

かつてほとんどの国々が西欧に植民地化され、発展が阻害されたアフリカ諸国にとっては、独自の伝統を守りつつも高度に産業化し近代化した日本の姿は、「羨望の的」であり、「希望の星」なのであろう。

私は、いくつかの本でこのような記事を立て続けに読んだので、世界がそういう眼差しで日本を見ているのだなと強い印象を受けた。自国内から見ると何が日本の良さなのか意外と分からない。しかし世界の発展途上の国々にとって近代化しつつ自国の伝統や伝統的な共同体を守るということは、抜き差しならぬ課題であり、日本はその見事な成功例に見えるのだろう。

日本の隣国である中国や韓国では、この課題に成功したといえるかどうかおぼつかない。日本が模範的な成功例とまでは言えぬにしても、多くの国が日本に学びたいと考えているのは確かなようだ。しかし今、日本ですらこの点で危機に瀕しているかもしれない。日本のなすべきことは、地域の伝統を無視する傾向にある経済のグローバル化に、日本が先頭を切って抗し、自国の伝統や良さを守り続けることだろう。

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日本の長所と神道(3)

2014年02月03日 | 日本の長所
◆『本当はすごい神道 (宝島社新書)

前回は縄文・弥生文化と神道の関係について触れた。その上で今回は、「日本の長所11項目」(→「自覚すべき日本の良さ」参照)と神道の関係について、上の山村氏の本も参考にしながら、私なりに考えてみたい。

山村氏は、神道の構造を三角形で図式化して三つの観点からとらえている。第一の角に日本人の「美意識」があり、第二の角に「日本人の生き方」があり、第三の角に「魂」がある。

まず「美意識」についてだが、神社では、鳥居をくぐり、参拝の前に「手水舎」で手と口を注ぐ。これは「禊ぎ」を簡略化したものだという。日本人の長所の一つに清潔さ、きれい好きということを挙げたが、それと神道の禊ぎの精神が深く関係するは確かだろう。問題は、では禊ぎの精神そのものはどこからやって来たのかということだ。これは推測の域を出ないが、禊ぎは太古からの日本列島の自然環境に深く関係していると思われる。大陸の大河に比べればほとんど急流といってよいような河があちこちに流れ、しかも豊かな森を経ることできれいに澄んでいた。その流れで身を清めた体験が、いつか禊ぎの心を育んでいったのではないか。

また自然災害の多さも、どこかで禊ぎの精神に繋がっているかもしれない。私たちの祖先は、人間の手によって築いたものが自然の力によっていとも簡単に破壊され、あとかたもなくなってしまうという体験をいやというほど重ねてきた。すべてを破壊され、否応もなくゼロの状態に引き戻される。いつしかため込んでいた穢れを、自然の力によってはぎ取られてしまう。そのたびに生まれ変わったかのように心を新たにして再出発する。自然環境に根ざすそういう体験も、禊の心に関係があるのかもしれない。

神道の三角構造の第二の角は、「日本人の生き方」である。山村氏は、本の中に示された三角形の構造図の中で、具体的には礼儀作法、伝統文化、思いやり、おもてなし、謙虚さなどの特徴を挙げている。これは、以下の「日本の長所11項目」のうち、1)~6)に関係するだろう。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

これらもおそらく、日本列島の太古からの歴史のなかで長い年月をかけて育まれきたものであり、その意味でも神道の精神と表裏一体である。その多くは、遠く縄文時代にまで遡ることができるだろう。1万数千年も続いた縄文時代が平和で平等な社会であったことについてはなんども触れた(→日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤強い日本女性のルーツは?など)。縄文人が基本的には狩猟・漁撈採集の民であったことが社会の平等性と維持できた最大の理由だっただろう。しかも縄文時代は、湿潤で森の豊かな環境のなかで1k㎡の土地で3人を養うことができたという。世界の狩猟採集時代の平均では0.1人だから、日本の土地は世界平均の30倍の扶養能力があった。自然の豊かさは争いの原因を少なくする。さらに母系社会であったことが平和な社会を保つ大きな原因となった。平和や平等性が保たれない社会では、謙虚さや思いやりなどは育ちにくい。

前回見た通り、大陸からの渡来人が一気に大量に押し寄せることもなく、まして彼らは牧畜民はなく稲作漁撈民であったため、縄文人が培ってきた精神性や宗教心は、かなり色濃く弥生時代に流れ込み、融合していった。この段階でもし、大陸の諸民族の間にあったような征服民と被征服民の強固な支配-被支配関係が成立していれば、縄文時代以来の遺産は引き継がれなかっただろう。

縄文文化が弥生文化と融合していったという事実は、日本列島に住む私たちの原体験の一つといってよいと思う。日本文化のユニークさとして挙げた四番目は、「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった」ということである。縄文人が被征服民として支配下に置かれていれば、それは大規模な奴隷制の発端になっていたかもしれない。渡来人との間でそうした熾烈な関係がなかったからこそ、大陸の進んだ文化を屈託なく学び受け入れるという、その後現代にまでつらなる日本人の精神態度が生まれたのである。

上の「日本の長所11項目」を眺めると、そのおおくが何らかの形で性善説の人間観に関係していると思うが、とくに2)~6)あたりは関係が深い。人間の誠意や真情を互いに信頼することで、社会の「和」や秩序が保たれる。自分のわがままを抑えることで、相手も譲ってくれ、そこに安定した「和」の関係ができるという性善説を無意識のうちに共有しているから、規律や秩序、治安のよさ、謙虚さ、親切、思いやりなどが維持される。

では、こういう日本人の特徴はどこから来るのかと言えば、その源は縄文時代であろう。そして弥生人が渡来した時期も含め、長い歴史を通じて異民族による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたなかったことがいちばん重要な要素だと思う。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが可能だったし、それを育て守ることが日本人のもっとも基本的な価値感となった。その背後には人間は信頼できるものという性善説が横たわっている。

加えて、弥生時代以降の日本は稲作農業を基盤とした社会であった。人口の8割以上が農民であり、田植えから刈入れまでいちばん適切な時期に、効率よく集中的に全体の協力体制で作業をする訓練を、千数百年に渡って繰り返してきた。侵略によってそういうあり方が破壊されることもなかった。礼儀正しさ、規律性、社会の秩序、治安のよさ、勤勉さ、仕事への責任感、親切、他人への思いやりなどは、こうした歴史的な背景から生まれてきたのであろう。

異民族に制圧されたり征服されたりした国は、征服された民族が奴隷となったり下層階級を形成したりして、強固な階級社会が形成される傾向がある。たとえばイギリスは、日本と同じ島国でありながら、大陸との海峡がそれほどの防御壁とならなかったためか、アングロ・サクソンの侵入からノルマン王朝の成立いたる征服の歴史がある。それがイギリスの現代にまで続く階級社会のもとになっている。

日本にそのような異民族による制圧の歴史がなかったことが、日本を階級によって完全に分断されない相対的に平等な国にした。武士などの一部のエリートに権力や富や栄誉のすべてが集中するのではない社会にした。特に江戸時代、庶民は自らの文化を育て楽しみ、それが江戸文化の中心になっていった。庶民は、どんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持つことができる。自分の仕事に誇りや、情熱を持つことができる。

階級によって分断された社会では、下層階級の人々はどこかに強力な被差別意識があり、自分たちの仕事に誇りをもつという意識は生まれにくい。奴隷は、とくにそういう意識を持つことができない。日本文化のユニークさのひとつは、奴隷制を持たなかったことであった。奴隷制の記憶が残り、下層階級が上層階級に虐げられていたという記憶が残る社会では、労働は押し付けられたものであり、そこに誇りをもつことは難しいだろう。

このように日本人の長所は、日本列島という自然環境と縄文時代以来の長い歴史のなかで様々な要素に影響されながら作られてきた。神道も同様な様々な要素に影響されて形づくられた。というよりも、その地理的、歴史的環境の中で育まれてきた、日本人の世界観、価値観、様々な風習や風俗こそが、「神道」の実体をなしているのだ。だから日本人の長所が、どれも神道と深く関係しているのは、当然といえば当然なのである。

《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

《関連記事》
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(3)

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日本の長所と神道(2)

2014年02月02日 | 日本の長所
投稿が遅れたが、引き続き『本当はすごい神道 (宝島社新書)』に、私が挙げた「日本の長所11項目」(→「自覚すべき日本の良さ」参照)が引用されていたことをきっかけとし、「日本の長所と神道」というテーマで考えてみたい。その際、振返るのはやはり、このブログの柱になっている「日本文化のユニークさ8項目」である。その第一から第四までの項目は次のようなものであった。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

従来の多くの神道学者は、神道を弥生文化以降の農耕文化に根ざすと考えていた。これに対し何人かの研究者は、稲作、農耕以前の縄文時代から神道の母型があると主張してきた。私は、このブログで何度も縄文文化と弥生文化の融合ということを主張してきたので、当然後者の立場をとる。

1万数千年に及ぶ縄文時代は、本格的な農耕を伴わないにもかかわらず、複雑な文様を持つ土器、煮炊きに使う土器をもち、しかも、かなりの規模で定住するという、世界史的にも独自な位置づけをもつ時代であった。列島に住む人々が、その長い体験によって独自の文化や宗教心、世界観を培っていたのは確かなことだ。その体験が、神道に強く反映されていないと考えるのは不自然だ。

縄文時代から弥生時代への移り変わりは、大量の渡来人が一気に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではなかった。大陸から一度に渡来できる人数はごく限られたものだったろう。少しづつ渡来しては列島の風土に馴染んでいったであろう。日本文化のユニークさ8項目のうちの(4)の「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった」という事実は、縄文時代から弥生時代という日本という国の創成期にも当てはまるのである。

現代人に占める縄文系と渡来系の血の配分は、1対2ないしは1対3だとされ、大量の渡来人が流入してきたと信じられてきた。しかし、渡来人が北九州に稲作を根づかせ、少なからぬ縄文人も稲作を受け入れ、渡来人と混じり合っていったとすれば、どうか。狩猟採集民は自然環境とのバランスの中に生きざるを得ないので基本的に人口は増加しないが、稲作民の人口増加率はかなり高い。それが渡来系の血を圧倒的に多くしていった。しかし文化的には、縄文系の風俗、習慣、信仰心などに溶け込んでいったので、縄文文化は抹殺されず、むしろ生き生きと後の時代に受け継がれていくことになったのである。つまり、日本の歴史はその原初から、従来の文化を基盤としつつそこに新しい文化を取り入れ、自分たちに適した形に変えていくという、その後何度も繰り返えされる歴史の原型を作っていたのである。

こうした事情に加え、もう一つユニークな視点を紹介したい(『対論 文明の原理を問う』)。それは、日本列島に稲作を持ち込んだのは長江流域にいた稲作漁撈民だったのではないかということである。彼らは、4200年前に気候変動によって北方からやってきた畑作牧畜民に追われて、貴州省や南雲省の山岳地帯、さらには台湾や日本列島に逃げたという。もちろんこれは、日本文化のユニークさの3項目目、「ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した」に深く関係する。

長江文明の人々は太陽信仰をもっていたが、それは女神であった。中国の少数民族であるイ族やミャオ族も同様に、女神としての太陽を信仰する。これに対し漢民族の太陽神は炎帝であり、男性神だ。ギリシア神話のアポロンも男性神だ。つまり稲作漁撈民の太陽神は女神であり、畑作牧畜民の太陽神は男神である。もちろん日本でも太陽神はアマテラスであり、女神だ。

さらに稲作漁猟民にとっては、山も崇拝の対象であった。 長江の人々も山を大切にしていた。なぜなら稲作に必要な水は、山から川となって流れてくるからだ。川の源流がある山は、最も聖なるものだった。しかも山は、天と地をつなぐ架け橋であり、梯子だった。日本の会津磐梯山も天と地をつなぐ磐の梯子ということだろう。天と地が結ばれることによって豊饒の雨がもたらされる。それは、天地を結合し豊饒をもたらす聖なる柱という考え方と結びつく。伊勢神宮には心御柱があり、熱田神宮には五柱があり、諏訪大社にも御柱がある。

縄文人にとっても山は、その下にあるすべての命を育む源として強烈な信仰の対象であっただろう。山は生命そのものであったが、その生命力においてしばしば重ね合わされたイメージがおそらく大蛇、オロチであった。ヤマタノオロチも、体表にヒノキや杉が茂るなど山のイメージと重ね合わせられる。オロチそのものが峰神の意味をもつという。蛇体信仰はやがて巨木信仰へと移行する。山という大生命体が一本の樹木へと凝縮される。山の巨木(オロチの化身)を切り、麓に突き立て、オロチの生命力を周囲に注ぐ。蛇は再生と循環の象徴でもある。そのような巨木信仰を残すのが諏訪神社の御柱祭ではないか。

つまり日本列島に稲作を伝えた人々は、もともと日本列島に住んでいた人々とよく似た生命観・世界観をもっていた。それゆえ縄文人の文化や宗教心は、弥生人のそれと自ずと融合していくことができたのではないか。縄文人の心性を大きく三つに整理すれば次のようになるだろう。 第一に、豊かな自然の中で育まれた、自然への畏敬を基盤とする宗教的な心性。第二に、豊かな自然の恵みを母なる自然の恵みとみなす母性原理の心性。第三に、農耕の発達にともなう階級の形成や、巨大権力による統治を知らない平等で平和な社会が1万数千年も続いたことから来る強い平等意識である。このうち、第一と第二の心性が、弥生人が携えてきたものとかなり響きあうものだったのだ。

縄文人の遺跡には、貝塚などの遺跡と並んで石群や木柱群がある。以前に触れたように、石群と木柱群は「先祖の祭祀」と「太陽の観測」という二つの機能をもつと思われる。縄文人は、太陽と先祖の二つを拝んでいた。そして竪穴住居で大切に守られた火は、太陽の子であった。ところで太陽と先祖とはどのように結びつくのか。縄文人は、氏族の先祖を遡ったおおもとに元母のイメージをもっていただろう。その元母と太陽の両方の性格をそなえていたのは、女性神アマテラスである。元母の根源にアマテラスを見ると、先祖信仰と太陽信仰は完全につながるというのである。つまり縄文人の宗教心は、母系社会の先祖信仰と「母なる自然」への信仰、その大元としての太陽信仰とが結びついていたのではないか。

以上で見てきたように、自然への畏敬、再生と循環の生命観、太陽信仰、山岳信仰、先祖への尊崇の念などは、この日本列島に縄文時代から培われてきたと同時に、大陸から渡来したもかなり共通した世界観をもっていた。それゆえにそれらは融合し、縄文人の心は現代日本人の心にまで受け継がれることになった。

神道は「宗教」であると認識することが困難なくらいに、日本人の価値観や文化、習慣に溶け込んでいる。その源流を探れば、遠く1万年以上前から、縄文人がこの日本列島で培ってきた「宗教心」に至りつくのだ。

《関連記事》
日本文化のユニークさ8項目

日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ

日本文化のユニークさ29:母性原理の意味

日本文化のユニークさ30:縄文人と森の恵み

日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤

日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)

日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)

日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

日本文化のユニークさ35:寄生文明と共生文明(1)

日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理


《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

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日本の長所と神道(1)

2013年12月23日 | 日本の長所
◆『本当はすごい神道 (宝島社新書)

最近、この本を読んでいてちょっとびっくりした。「インターネットのサイトで『自覚すべき日本の良さ――クールジャパン』という匿名ブログがあります。例えば、日本のマンガやアニメ、音楽などがいかに海外から評価されているかが記されています」とあるのだ。

「自覚すべき日本の良さ」は、このブログの一記事のタイトルとして使ったことがあるので、「あれ、もしかしたら」と思いながら読み進めると、まさに「自覚すべき日本の良さ」という、かつて書いた記事で整理した「日本の長所11項目」が引用されていた。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

これらは、日本を訪れたり、住んだりしている多くの外国人の感想などをもとにして、その最大公約数的なものを整理したものである。上の本の著者である山村明義氏は、記事のタイトルをブログのタイトルと勘違いして紹介したものらしい。

この11項目をそのまま引用した後に、「これは、日本と日本人の良さが列挙され、大変的を得ている内容だと思います。しかし、日本の『クールジャパン』のほとんどすべての要素が、実は神道に由来しているといったら、日本人はどう思うでしょうか」かと問いかける。そして、この11項目に沿いながら、これらと神道とがどう関係するかを説明している。

1)の「礼儀正しさ」については、「例えば『小笠原流』など、日本の伝統的な礼法を見ても、『相手の心を大切にする』という神道の祭式礼法に端を発していると思われるものが少なくありません」とし、神道との関係を強調している。さらに4)の「勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること」については、神道の精神性との関係を、別章で詳しく論じている。

私自身は、これら11項目と、このブログの中心である日本文化のユニークさ8項目との関係を少し取り上げたことがあり、今後ももう少し探ってみたいと思っていた。そこで、山村氏のこの本をきっかけにし、参考にしながら、私なりに何回かに分けて考えてみようかなと思っている。

《関連記事》
日本の長所は、島国の歴史がつくった
日本の長所15:伝統と現代の共存

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自覚すべき日本の良さ

2012年06月10日 | 日本の長所
日本人、そして日本文化のユニークさ、不思議さということをずっと考えてきた。日本人自身はあまりそれを自覚していないが、世界の歴史や文化を見渡してみると日本はやはりかなりユニークな歴史と文化を持っている。

そのユニークさが、マンガやアニメなどの影響もあって世界中に知られ始めている。日本のポップカルチャーの世界での広がりを積極的に取材する櫻井孝昌氏によれば、世界の若者たちは、日本中に当たり前のように溢れているアニメやマンガやファッションを、他の国にないユニークさとオリジナリティに満ちたものと感じ「敬意」を抱いているという。そして、海外に出るたびに現地のメディアから、「若者たちの考え方や生き方に、アニメやマンガがものすごい影響を与えていることを日本人は知っているのですか?」と聞かれるという。(『日本はアニメで再興する クルマと家電が外貨を稼ぐ時代は終わった (アスキー新書 146)』)  マンガやアニメの独自性は、それを生み出す日本の歴史や文化のユニークさから生まれる。 

東日本大震災のときに日本人が見せた落ち着いた行動やいたわり合い、危機的な状況のなかでも略奪や暴動などがなく素晴らしい秩序が保たれていたことなども、あらためて日本人の不思議さ、ユニークさを世界に印象づける結果となった。海外の多くのメディアがその様子を報道した。多くの人々がそうした記事に接したと思うが、ここでは一つだけ思い起こしてみよう。

アルゼンチン紙、略奪起きない日本を称賛 (2011.3.16)

「なぜ日本では略奪が起きないのか」。南米アルゼンチンの有力紙ナシオン(電子版)は16日、東日本大震災の被災地で、被災者らが統制の取れた行動を取っていることを驚きを持って報じた。

中南米では、昨年1月と2月に起きたカリブ海のハイチと南米チリの大地震の際、混乱した被災者らがスーパーなどから商品を略奪し、強盗被害も多発した。

同紙は茨城県内にいる特派員の情報として、被災者がわずかな食事の配給のために根気よく一列に並んで待っている様子を紹介。「仕方がない」と「我慢」の二つの言葉を胸に耐える日本人の強靱な精神をたたえた。

また別の記事で「どんな状況下でも隣人を尊敬するのが日本人の特性だ」と指摘。過去の戦争や原爆被害などを踏まえ「過去の世代が惨事を経験している」として、非常時の冷静な行動が「日本人のDNAに組み込まれている」と分析した。(共同)


日本人にとって当たり前と思われていることが、実は世界にとって当たり前ではない。それでいて日本人は、そのことの重要性をあまり気づいていない。しかし今、日本人自身が自分たちの文化やそのユニークさとその意味をもっと自覚すべきときに来ていると思う。日本の社会や文化、そして日本人の人間関係に含まれる見えない長所、日本人が多かれ少なかれもっている道徳心、好奇心、改善や創意工夫の意識、仕上げに凝る、仲間を助けるなどの姿勢などを、日本人はしっかりと自覚し、それを守っていくことがますます大切になっている。

それらは、日本人にとって当たり前すぎることなので、これまではきちんと分析して対象化する必要など感じなかったかもしれない。しかし、自分たちの文化や伝統にどのような意味と価値があるのかを知らずにいると、グローバリズムという名のもとに国外から押し寄せてくる変化の波によって、それらがかんたんに失われてしまい、取り返しのつかないことになる。だからこそ、これからはそれらがどれほど「価値ある資産」としてプラスの意味をもっているのかを、分析し、可視化し、体系化することがきわめて重要となる。分析され、その資産としての意味が自覚化されることで、その長所を守り、さらに活かし、伸展させていく方法も見えてくるからだ。

私は、これまでこのブログで、不十分ながらそのきっかけとなるような試みをしてきた。たとえば日本の長所として次のような11項目を挙げて見た。これらは、日本を訪れたり、住んだりしている多くの外国人の感想などをもとにして、その最大公約数的なものを整理したものである。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

そして、こうした日本の長所が出てくる背景を「日本文化のユニークさ」7項目として整理し、上と関連づけながら論じる試みもした。(その7項目については次を参照されたい→日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07))今後は、「日本文化のユニークさ総まとめ」というタイトルの連載として、この7項目にそいつつ、また「日本の長所」11項目も必要に応じて触れながら、これまでこのブログで書いてきたものを整理・統合して、さらに深めていくつもりである。

《関連記事》
日本の長所03:長所を自覚する大切さ
『日本はアニメで再興する』(1)
東日本大震災と日本人(2)日本人の長所が際立った

《参考図書》
★加藤恭子編『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』(出窓社、2008年)        
★加藤恭子編『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』(出窓社、2010年)
★櫻井 孝昌『世界カワイイ革命 (PHP新書)』(PHP新書、2009年)
★櫻井孝昌『日本はアニメで再興する・クルマと家電が外貨を稼ぐ時代は終わった (アスキー新書 146)
★櫻井孝昌『アニメ文化外交 (ちくま新書)
コメント (1)
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『世界史が伝える日本人の評判記』(3)

2011年01月26日 | 日本の長所
◆『世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)

この本の第1章は、「知的レベル・教育水準の高い日本」となっている。これについては、安土・桃山時代から幕末・明治初期まで日本を訪れた多くの外国人が指摘しており、確実にそういう事実があったのだといえるだろう。シュリーマンの『シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))』の中にも、「教育はヨーロッパの文明圏以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」という記述があった。時代を超えて多くの外国人が同様の指摘をしている。


ポルトガル出身のカトリック司祭、宣教師として戦国時代の日本で宣教した、ルイス・フロイスはいう。「われわれの間では、女性が文字を書くことはあまり普及していない。日本の高貴の女性は、それを知らなければ価値が下がると考えている。」(『ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)

この類の指摘は他にも多いが、ここでは幕末に黒船で来航したペルーの記述を挙げよう。

「読み書きが普及していて、見聞を得ることに熱心である。‥‥‥かれらは自国の事を知っているばかりか、他の国の地理や物質的進歩、歴史についてもかなりの知識を得ており、我々も多くの質問を受けた。‥‥‥長崎のオランダ人から得た彼らの知識は、実物を見たこともない鉄道や電信、銅板写真、ベキサン式大砲、蒸気船などにまで及んでおり、それを得意気に語った。またヨーロッパの戦争、アメリカの革命、(G.)ワシントンや(ナポレオン・)ボナパルトについても的確に語ることができた。‥‥‥」(『ペリー艦隊日本遠征記

幕末の日本人が知識欲にあふれていたことを物語る記録だが、こういう知識欲はどこから来るのだろうか。ひとつは日本の地理的な条件が関係しているのであろう。大陸から進んだ文明を吸収するのに遠すぎるほど離れてはいなかった、ただし大陸から日本を征服しようと攻撃するには海で隔てられすぎていた。侵略されることの恐怖や屈辱から自由に、海の向こうの高度な文明に憧れ続けることができた。それが幕末から明治期の西洋に向けられた憧れにも続いていった。海の向こうの「素晴らしい」文明を憧憬とともに夢中で学んだのだ。

また、異民族に制圧されたり征服されたりした国は、征服された民族が奴隷となったり下層階級を形成したりして、強固な階級社会が形成される傾向がある。たとえばイギリスは、日本と同じ島国でありながら、大陸との海峡がそれほどの防御壁とならなかったためか、アングロ・サクソンの侵入からノルマン王朝の成立いたる征服の歴史がある。それがイギリスの現代にまで続く階級社会のもとになっている。

すでに触れたが、日本にそのような異民族による制圧の歴史がなかったことが、日本を階級によって完全に分断されない相対的に平等な国にした。武士などの一部のエリートに権力や富や栄誉のすべてが集中するのではない社会にした。特に江戸時代、庶民は自らの文化を育て楽しみ、それが江戸文化の中心になっていった。庶民は、どんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持つことができる。自分の仕事に誇りや、情熱を持つことができる。階級によって分断された社会では、下層階級の人々はどこかに強力な被差別意識があり、自分たちの仕事に誇りをもつという意識は生まれにくい。奴隷は、とくにそういう意識を持つことができない。

この「当事者意識」(責任感)についてはすでに何度か触れているが、これが日本人の知的レベルや教育水準の高さにつながっていると思われる。自分が仕事や役割を通して社会の一翼を担い、貢献しているという「当事者意識」、責任感、誇りは、知識や技術において自分の能力をさらに高めようという向上心につながる。日本では、そのような向上心を庶民のレベルにおいても持つことができたのではないか。

この事実は、「マンガ・アニメの発信力の理由の「⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い」という項目にもつながっていると思う。

《関連記事》
日本文化のユニークさ11
マンガ・アニメの発信力と日本文化(5)庶民の力

《関連図書》
外国人が見た古き良き日本 (講談社バイリンガル・ブックス)
世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)
逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))
日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)

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『世界史が伝える日本人の評判記』(2)

2011年01月25日 | 日本の長所
◆『世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)

「日本の長所」11項目は、現代の日本を訪れた外国人による多数の感想(『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』、『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』などや、多くのブログなど)を参照して、最大公約数的なものを抽出したものだ。これらを、過去に日本を訪れた外国人たちの旅行記に記されたことと比較するとどんなことがいえるかを、少しづつ検討しはじめた。

今は試みとして二三の書物に当たっているだけだが、11項目のうち前半の特徴については、安土桃山の時代以来の日本に、ある程度当てはまると言えそうだ。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
7)清潔さ

一昨日(23日)には、おもに礼儀正しさに関係するものを選んだが、礼節や上品さ、優雅さなどは多かれ少なかれ、社会全体の規律や治安のよさにも関係すだろう。実際に、日本の礼儀正しさ以外のそうした長所に言及する言葉も散見されるが、多くの外国人がそうした事実に圧倒的に印象づけられていたと主張するには充分ではない。いずれ裏付けに充分な資料があつまったら取り上げたい。資料が集まれば集まるほど、それぞれの項目がしっかりと裏付けられていくと予測している。

ところで5)の後半、「親切、他人への思いやり」に関係することついては、やはり充分とは言えないが、いくつか言及がある。ここでは参考程度の意味で取り上げておきたい。

ブルーノ・タウトはドイツ生まれの建築家で1933年から数年、日本に滞在した。「日本の人達は、誰でも助力を求められると全力を挙げて援助する、これは単にそういう義務を感じるとばかりは云えないことであって、日本国民の傑出した能力に数えられるものではあるが、この種の助力には、非常に大きな欣びが認められるのである。」(『日本文化私観 (講談社学術文庫 (1048))』)

次はギリシア生まれのイギリス人で、明治時代の日本に住んだラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の言葉。「日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残虐さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的とも思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、眼を見張るばかりだ。」(『新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)』)

最後は、イギリス人の女性旅行家イザベラ・バードより。彼女は、1878年(明治11年)に、東京から、日光、新潟、さらに日本海側から北海道に至る北日本を旅した。この時代に通訳の男性一人を伴うだけでこうした旅行をすこと自体驚きだが、道中、まったく安全で心配もなく、女性が危険や無作法な目に合わず旅行できるのは日本だけだろうと、日本の安全性を身をもって実証したわけだ。以下は、日光に行く途中で雇った人力車の車夫たちついて語ったものだ。

「彼らは私に、細々と多くの世話をしてくれたのであった。いつも私の衣服から塵をたたいてとってくれたり、わたしの空気枕をふくらませたり、私に花をもってきてくれたり、あるいは山を歩いて登るときには、感謝したものだった。そしてちょうど今、彼らは山に遊びに行ってきて、つつじの枝をもって帰り、私にさようならを言うためにやってきたところである。」(『日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)』)

これはたまたまこの車夫たちが親切だったというだけのことではなく、多くの来日外国人たちが、これと同様の細やかな心遣いに接して、感激の言葉を残しているようだ。

《関連図書》
外国人が見た古き良き日本 (講談社バイリンガル・ブックス)
世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)
逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))

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『世界史が伝える日本人の評判記』(1)

2011年01月23日 | 日本の長所
◆『世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)

この本は、16世紀半ばのフランシスコ・ザビエルから20世紀後半のレヴィ=ストロースまで、日本を訪れた外国人が日本をどう見て感じたのかを、テーマ別に彼らの言葉を引用しながらまとめたものである。テーマは、「知的レベル・教育水準の高さ」、「精神性」、「伝統・芸能」、「自然美と感性」などである。日本人について語った外国人の旅行記の類をそれほど読んでこなかった私にとっては、この分野への気軽に読める良き入門書である。今後は、ここに出てくる外国人たちの本に直接あたって、このブログでも順次取り上げたいと思う。

『シュリーマン旅行記』のときと同じく、「日本の長所」の中のいくつかの項目との関連で見ていきたい。

「精神性を重んじる日本人」を語る第二章では、それと関連して日本人の礼儀について語られる言葉が多い。これは安土・桃山の時代から現代に至るまで、日本を訪れる外国人が抱く共通の印象のようだ。

まずは、フロイスの言葉。フロイスは、ポルトガルのイエズス会士で、1563年に来日した。「何しろこの国民は、その文化、作法と習俗の点で、言うも恥ずかしいほど、さまざまの事にかけてエスパニア人にまさっています。」(『完訳フロイス日本史〈1〉 (中公文庫)』)

「言うも恥ずかしいほど」に当時の日本人がまさっていたというのは信じられないくらいだが、同様のことが他の宣教師によっても確認されている。イタリア生まれのイエズス会士ヴァリニャーノだ。彼は1579年に来日して以来、三度日本を訪れている。彼は言う、

「人々はいずれも色白く、きわめて礼儀正しい。一般庶民や労働者でもその社会では驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ、あたかも宮廷の使用人のように見受けられる。この点においては、東洋の他の諸民族のみならず、我等ヨーロッパ人よりも優れている。」(『日本巡察記(東洋文庫 229)』)

「子供の間においてさえ、聞き苦しい言葉は口に出されないし、我等のもとで見られるように、平手や拳でなぐり合って争うことはない。きわめて儀礼的な言葉をもって話し合い、子供とは思えない重厚な、大人のような理性と冷静さと落ち着いた(態度)が保たれ、お互いに敬意を失うことがない。これはほとんど信じられないほど極端である。」(同上)

「日本人は他のことでは我等に劣るが、結論的に言って日本人が優雅で礼儀正しく秀でた天性と理解力を有し、以上の点で我等を凌ぐほど優秀であることは否定できないところである。」(同上)

「優雅で礼儀正しく秀でた天性と理解力を有し」ているなら、他のどんなところで劣っているのかと聞き質したいほどだ。他のところで彼が、「‥‥これほど邪悪な宗教(仏教など)や数多の(罪に陥る)機会や放縦さにもかかわらず」、日本人は優れた天性を保持していると言っているところから判断すると、やはり日本人が劣っている理由の中心は、キリスト教を信じていないことなのだろう。シュリーマンの見解とそっくりだ。宣教師であればなおさら、キリスト教を絶対とする立場から自由ではあり得ない。むしろ、にもかかわらずこれほどに日本人を高く評価せざるを得なかったということにこそ注目すべきかもしれない。

ところで戦国時代であったにもかかわらず、なぜ日本人は、優雅さや上品さや礼節を保ち得たのだろうか。しかも、一般庶民や労働者、子供までそうだというのである。これはあくまでも私の推測だが、「日本の歴史・文化のユニークさ」5項目のうち、

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

が大きく関係しているのではないかと思う。戦国時代ではあっても戦うのは日本人同士、一般の庶民がそれに巻き込まれて大量に虐殺されたりすることはあまりなかったし、敵方の奴隷にされたりすることもなかった。庶民が、代々続く長期的で安定した人間関係が予測できるなかでの戦国時代だったのである。だからこそ、優雅さや礼節や上品さを失わずに済んだのではないか。

そのころヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントの戦いが激しく、ユグノー戦争(1562~98年)では200万人から400万人の犠牲者が出ていた。また中南米では、カリブ海の島々の先住民は、スペイン人(イスパニア人)によってほぼ絶滅され、アステカ王国やインカ帝国も瞬く間に滅ぼされたのである。


《関連図書》
外国人が見た古き良き日本 (講談社バイリンガル・ブックス)
イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)
逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))

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『シュリーマン旅行記 清国・日本』(2)

2011年01月22日 | 日本の長所
◆『シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

シュリーマンは、将軍と大名の関係に触れ、大名が臣下として服従していながら将軍に対抗する姿勢ももつと言っている。そして日本の社会システムについて次のようにいう。

「これは騎士制度を欠いた封建体制であり、ヴェネチア貴族の寡頭政治である。ここでは君主がすべてであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕作された土地が見られる。」

ここで「労働者階級は無である」というのは、もちろん政治権力としては無であるという意味だろう。この本はフランス語でパリで出版されている。フランス革命時の「第三身分は無である」が意識された表現かもしれない。注目すべきは次の文章で、にもかかわらずどの階級でも、区別なく平和、満足感、秩序、勤勉さ(よく耕作された土地)が行き渡っているというのである。つまり、先に挙げた清潔さとともに「日本の長所」としてまとめた項目のいくつかが、シュリーマンの報告から浮き上がってくるのである。

玩具についての記述もある。「本は実に安価で、どんな貧乏人でも買えるほどである。さらに、大きな玩具屋も多かった。玩具の値もたいへん安かったが、仕上げは完璧、しかも仕掛けがきわめて巧妙なので、ニュルンベルグやパリの玩具製造業者はとても太刀うちできない。」

それだけ子どもが大切にされ、子ども文化が確立されていたということだろうか。これは、イザベラ・バードなどの次のような記述と比較すると面白い。イザベラ・バードは明治11年の日光での見聞として書いている。

「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたり、それに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭に連れて行き、こどもがいないとしんから満足することができない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている。毎朝六時ごろ、十二名か十四名の男たちが低い塀に腰を下ろして、それぞれの腕に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。その様子から判断すると、この朝の集まりでは、子どもが主な話題となっているらしい」。(『逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))』)

こういう伝統は、マンガ・アニメ文化や「かわいい」文化とどこかでつながっているのだろう。

最後に「日本文明論」という短い章で、シュリーマンは「日本の文明をどう見たか」をまとめている。

「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人はきわめて文明化されていると答えられるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。それに教育はヨーロッパの文明圏以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる。だがもし文明という言葉が次のことを意味するならば、すなわち心の最も高邁な憧憬と知性の最も高貴な理解力をかきたてるために、また迷信を打破し、寛容の精神を植えつけるために、宗教――キリスト教徒が理解しているような意味での宗教の中にある最も重要なことを広め、定着させるようなことを意味するならば、確かに本国民は少しも文明化されていないと言わざるを得ない。」

全体にシュリーマンは、当時の日本の姿を、ヨーロッパ人の偏見からきわめて自由に、好奇心と好意と尊敬に満ちた明晰な眼で観察している。しかし宗教的な観点では、やはりキリスト教の偏見から抜け切れていない。要するに彼は、宗教的な面以外では日本人は高度に文明化しており、教育はヨーロッパより普及しているが、われわれのようなキリスト教をもっていない以上、真の意味で文明化しているとは言いえない、と言っているのだ。

一瞬垣間見れるこのような限界は、にもかかわらず、この本の価値を少しも減じていない。彼が描き出す、当時の日本の現実のなまの姿が細部に渡って生き生きと輝いているからだ。

《関連図書》
古代への情熱―シュリーマン自伝 (岩波文庫)
外国人が見た古き良き日本 (講談社バイリンガル・ブックス)
イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)
逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))
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『シュリーマン旅行記 清国・日本』(1)

2011年01月21日 | 日本の長所
◆『シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

このブログの企画のひとつとして「日本の長所を、できるだけ過去にさかのぼって、たとえば安土桃山時代に日本を訪れた宣教師たちが本国に送った手紙、幕末や明治初期に日本を訪れた外国人による記録などで裏付けること」を挙げておいた。その時、例としてシュリーマンの上の本の一部を引用した。今回は、この本を取り上げたい。本のレビューのカテゴリーで取り上げるか「日本の長所」のカテゴリーで取り上げるか迷うところだが、後者に入れたいと思う。

古代への情熱―シュリーマン自伝 (岩波文庫)』であまりに有名なシュリーマンが、トロイア発掘(1871年)以前に世界漫遊の旅に出て、幕末(1865年)の日本にも上陸し、旅行記を残していたのである。翻訳(石井和子)の素晴らしさもあってとても読みやすく、内容も興味尽きない。素直に偏見なく観察し、理解し、正確に記録しようとするシュリーマンの強烈な好奇心がにじみ出ており、こうした精神のしなやかさや探求心が、トロイア発掘につながっていくのだとうことが納得できる。

シュリーマンはいう、「これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激しきった面持で日本について語ってくれた。私はかねてから、この国のを訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。」当時、日本を訪れた外国人たちが、その印象をどのように語っていたかが分かる一文である。

シュリーマンは、横浜から江戸に行く。当時、尊王攘夷運動が活発で外国人にとって江戸はかなり危険だったが、江戸を見たいという思いの方が強いのである。

浅草寺を訪れ、あるお堂の仏像の傍らに「おいらん」の肖像が飾られている事実に驚愕し、呆然としている。「日本人は、他の国々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。」「それは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われた。」

仏像と「おいらん」を並べてしまう日本人のタブーのなさ、宗教的ないい加減さ、というかおおらかさは、シュリーマンにとっても理解を超えていたのだろう。しかし、以下の記述からもわかるように、短い滞在(約3ヶ月)にも関わらず日本人の宗教心について全体的に的確にとらえている。

「日本人の宗教心について、これまで観察してきたことから、私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺の民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。」

ここで「真の宗教心」は、キリスト教を判断の基準としており、あとで紹介する彼の文章と合わせて考えると若干の偏見を感じるが、シュリーマンが観察した状況は、江戸時代も現代もほとんど変わっていないようだ。宗教儀式が娯楽と渾然一体となり、宗教なのか娯楽なのか習俗なのか分からないという状況も、今と変わらない。

「日本の長所」というより、昨日の「日本の長所は無宗教から」でも取り上げた「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった」というユニークさが、シュリーマンによっても観察されているようだ。

《関連図書》
古代への情熱―シュリーマン自伝 (岩波文庫)
外国人が見た古き良き日本 (講談社バイリンガル・ブックス)
イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)
逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))
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日本の長所は、島国の歴史がつくった

2011年01月16日 | 日本の長所
こブログの今後の大雑把な計画のひとつとして

日本の長所(11項目)を、日本文化のユニークさ四項目と関連付けて歴史的な背景をさぐること。日本人の長所はどんな歴史的背景から形成されたのかの考察。

というのを挙げておいた。

昨日は、日本文化のユニークさ4項目のうち、

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

について、世界史上での実態と少しだけ比較してみた。日本の長所が生まれてきた歴史的背景を考えるとき、この(3)の要因がいちばん大きいのではないかと思う。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

これら11項目のうち、少なくとも2)、3)、4)、5)、10)は、日本が異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたなかったことがかなり直接的な要因となっており、11)も間接的にはつながっていそうな気がする。

異民族による侵略とは、言葉も生活様式も習俗もまるで違う民族がとつぜん襲ってきて、強奪、虐殺、焼き討ちなどしたうえ、征服民として君臨し、生き残ったものたちは奴隷にされたり、隷属民として過酷な労働を強いられるというようなイメージだ。自分たちの仲間関係や、言葉や、文化やしきたりなども根こそぎ破壊される。

ユーラシア大陸では、中国や韓国も含め、複数民族が入り乱れてのこのような過酷な征服と隷属の歴史が繰り返されてきた。そのたびに文化が断絶し、生活が破壊され、一変したりするのが当然であった。そこでは長期的な相互信頼に基づく人間関係を育てることは難しい。だから、大陸の人々は傾向として、常に相手からつけこ込まれたり、裏切られたりするのではないかと怯え、逆にどうやったら相手を出し抜き、ごかませるかと、攻撃的、戦略的に身構えていることになるのだろう。

一方日本では、自分たちの言葉や文化や習俗が根こそぎ奪われてしまうような、異民族による侵略はなかった。国内に戦乱はあったにせよ、規模も世界史レベルからすれば小さく、長年培ってきた文化や生活が断絶してしまうこともなかった。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となった。

安定した長期的な人間関係と相互信頼を保つことが可能であり、大切だったからこそ、

2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり

などの長所がおのずと育まれたのだろう。1)の礼儀正しさというもの、そのような安定した人間関係を前提とし、またそれそ維持していくための知恵として生じたのかもしれない。伝統技術を世代から世代へ伝えることが可能だったから、職人的な仕事への誇りも育まれた。

11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

についてはどうだろうか。異民族に制圧されなかったことが、日本を相対的に平等な国にした。もし征服されていれば、日本人が奴隷となりやがて社会の下層階級を形成し、強固が階級社会が出来上がっていたかも知れない。江戸の庶民文化が花開いたのは、武士が、権力、富、栄誉などを独占せず、それらが各階級にうまく配分されたからだ。江戸時代の庶民中心の安定した社会は世界に類をみない。歌舞伎も浄瑠璃も浮世絵も落語も、みな庶民が生み育てた庶民のための文化である。近代以前に、庶民中心の豊かな文化をもった社会が育まれていたから、植民地にもならず、西洋から学んで急速に近代化することができたのである。

そして江戸庶民文化(ポップカルチャー)と現代のポップカルチャーは、豊かで創造的で活力のある庶民文化という点で、けっして断絶などしていない。むしろ江戸庶民の想像力と活力が脈々と受け継がれているからこそ、現代のポップカルチャーの興隆があるのだ。それは、異民族による侵略のなかった日本の歴史と無関係に生まれてきたのではない。

10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性

については、別の観点から取り上げることになるので、今回は省略する。

《関連記事》
日本文化のユニークさ09:日本の復元力

《関連図書》
中谷巌『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)
呉善花『日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない

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