クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

今年アクセス数の多かった本・ベスト10(改訂版)

2009年12月29日 | アクセスの多かったcoolJapan本
昨日アップしたベスト10、私のミスで計算方法に間違いがありました。
大幅な訂正になり、申し訳ありません。訂正したものを以下に掲載します。
ちなみに( )内の数字アクセスされた回数です。

★★★~~~~~★★★~~~~~★★★~~~~~★★★

年末でもあるので、今年このブログで取り上げてきた本のなかでいちばんアクセス数が多かった本のベスト10を選んでみました。
(リンク先は、amazonのその本の画面です。)
最近紹介した本は、それだけアクセス数が少なくなるので、基準は厳密なものではありません。
関連図書として何回か紹介したものは、それだけアクセス数が多くなるでしょう。
タイトルやサブタイトルが関心を引くものであれば、それも影響しますし、私の紹介の仕方にもかなり左右されると思います。
要するに、かなりおおざっぱなランキングですが、何かしら参考にはなると思います。

①『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』(1194)

②『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命』(581)

③『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』(577)

④『どーもアリガトだよ―在日外国人32人の“渡る日本はいい人ばかりだった”』(479)

⑤『あと3年で、世界は江戸になる!-新「風流」経済学』(407)

⑥『ジャパンクールと江戸文化』(327)

⑦『格差社会論はウソである』(295)

⑧『日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書)』(222)

⑨『日本の曖昧力 (PHP新書)』(210)

⑩『ウォーター・マネー「水資源大国」日本の逆襲 (Kobunsha Paperbacks 123)』(191)

★★★~~~~~★★★~~~~~★★★~~~~~★★★

ベスト10には入りんませんでしたが、⑪~⑮は次の通りです。

⑪『なんとなく、日本人―世界に通用する強さの秘密 (PHP新書)』(184)

⑫『アニメ文化外交 (ちくま新書)』(174)

⑬『日本の「世界商品」力 (集英社新書)』(154)

⑬『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)』(154)

⑮『人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)』(153)

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今年アクセス数の多かった本・ベスト10

2009年12月28日 | coolJapan関連本のレビュー
年末でもあるので、今年このブログで取り上げてきた本のなかでいちばんアクセス数が多かった本のベスト10を選んでみました。
(リンク先は、amazonのその本の画面です。)
最近紹介した本は、それだけアクセス数が少なくなるので、基準は厳密なものではありません。
関連図書として何回か紹介したものは、それだけアクセス数が多くなるでしょう。
タイトルやサブタイトルが関心を引くものであれば、それも影響しますし、私の紹介の仕方にもかなり左右されると思います。
要するに、かなりおおざっぱなランキングですが、何かしら参考にはなると思います。

①『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像

②『日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書)

③『格差社会論はウソである

④『日本の「世界商品」力 (集英社新書)

⑤『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)

⑥『数年後に起きていること―日本の「反撃力」が世界を変える

⑦『アニメ文化外交 (ちくま新書)

⑧『縄文思想が世界を変える―呉善花が見た日本のミステリアスな力 (麗沢「知の泉」シリーズ)

⑨『日本型ヒーローが世界を救う!

⑩『あと3年で、世界は江戸になる!-新「風流」経済学

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『「萌え」の起源』(2)

2009年12月26日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『「萌え」の起源 (PHP新書 628)

続けて、①と⑤を中心に見てみよう。

①日本人は本来、生命と無生命を区別しない文化を持っている。
⑤これら日本古来の感性と文化が手塚治虫の出現によって拡大され、マンガ・アニメをはじめとする戦後のサブカルチャーに受け継がれた。

日本という国は、表現というジャンルにおいては昔から性の垣根がきわめて低いか、ほとんどないに等しかった。それどころか、人間と人間以外のものの境界もかなり曖昧で、人が動物や妖怪との間に子供をもうける物語も多く見られる。

歌舞伎は、その始まりからそういう傾向があった。阿国は胸に十字架をつけ男装して踊り、パートナーの男性は女装していたという。日本の芸能には最初から「性の置き換え」というモチーフがあって、観客もそれを楽しんでいたらしい。また桜の精が重要な役割を果たしたり、キツネが芝居にからんだりすることも歌舞伎には多いが、西洋の演劇ではほとんど見られない。

そういう観点から見ると手塚治虫も、日本の古来の文化的傾向を無意識に引き継いでいるところがある。手塚の作品には、メタモルフォーゼ(変身)に対する憧れのようなものが強く表現されている。『メトロポリス (手塚治虫漫画全集 (44))』など初期の作品からそういう傾向が強く出ている。この作品のミッチーという中性的人間型ロボットは、スイッチを押すことで男にも女にもなれる。男女差どころか、人間と機械の差も曖昧で、こうした変身の要素は、最初から手塚作品の根幹をなしている。

この本では、変身のモチーフが、手塚治虫の全作品のなかでどれだけ重要意味をもっていたかを、具体例をあげて詳しく語っている。手塚は、マンガ家として特異なヴィジョンと感性をもった表現者であり、それがその後の日本のサブカルチャーに大きな影響を与えた。しかし、手塚の自由奔放なメタモルフォーゼというモチーフも、もとを正せば日本古来の感性に根ざしているのかもしれない。

「性の置き換え」を自由に楽しんだり、人間と動物との交感が自由になされたりする文化的な傾向は、牧畜文明を知らぬまま、あるいは遊牧民との接触の経験をもたぬまま、高度に文明化した日本の独自の歴史に根ざすと思われる。この点については、次回に触れるつもりだ。

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『「萌え」の起源』(1)

2009年12月25日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『「萌え」の起源 (PHP新書 628)

著者は、「チャンバラ小説や捕物長を書くことを生業としている」という。この本は、著者の時代小説家として知識や感性をいかしながら、日本の伝統という視点を含めてマンガ・アニメを語っている。

「結びにかえて」のなかで著者は、この本で明らかにしたかったことを次のようにまとめている。

①日本人は本来、生命と無生命を区別しない文化を持っている。
②日本人は「小さくて丸っこくてカワイイもの」に愛着を感じる。
③日本のヒーローは他人のため、自分を捨てて、見返りを求めずに戦うことで存在意義を見出している。
④日本人の理想とする正義とは、敵を否定し殲滅することではなく、みんなで幸福になるために互いに知恵と力を合わせることである。
⑤これら日本古来の感性と文化が手塚治虫の出現によって拡大され、マンガ・アニメをはじめとする戦後のサブカルチャーに受け継がれた。
⑥それは日本独自のものでありながら、言語や思想や文化の壁を越えて世界に受け入れられる普遍性を持っている(らしい)。

これらの主張が、いろいろな作品や具体例に触れながら展開されていて興味深い。上の主張のいくつかをもう少し詳しくみながら、私の考えも付け加えていきたい。

まず前回の記事との関連で、「②日本人は「小さくて丸っこくてカワイイもの」に愛着を感じる。」について。

著者が、「萌え」や日本のマンガについて考えるようになったきっかけは、いわゆるSD(スーパー・デフォルメ)キャラクター・フィギュアに興味をもったことだという。その小さく丸っこいフォルムや小さくデフォルメするときの細部の処理法などが根付にそっくりだと気づいたことだという。和服の帯に印籠や煙草入れなどをさげる紐のすべり止めになるあの根付だ。江戸時代に発展した根付の動物などの「丸っこい可愛らしさ」が、SDキャラやマンガ・アニメの可愛らしさに共通するのは、もともと日本文化の中に、二頭身や三頭身のキャラクターを好ましいと思うセンスがあったからではないかと著者は気づいた。

では日本の伝統の中にそういう美的センスがあるのはなぜか、までは著者は探っていない。しかし、前回見たように、そこに日本人の、子供への愛着が関連しているのは確かだろう。鉄砲伝来の時代から江戸時代末期、明治初期に日本を訪れた西洋人が、いちように驚いたのは、日本人の子供への愛情、ときに「崇拝」とさえ思えるような接し方であった。

さらにその背景を求めるなら、日本には縄文時代からずっと続く母性原理の文化が、父性的な一神教によって抑圧されずに生きつづけていたことが指摘できるかもしれない。子供や子供らしい無邪気さ、可愛らしさに高い価値を置く文化は、母性的なセンスを大切にする文化だともいえる。

《関連記事》
「カワイイ」文化について
子どもの楽園(1)
子どもの楽園(2)
子供観の違いとアニメ


《関連図書》
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『「かわいい」の帝国
★『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
★『「萌え」の起源 (PHP新書 628)

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「カワイイ」文化について

2009年12月23日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
世界カワイイ革命 (PHP新書)』のなかで、原宿で話しかけたスウェーデンの留学生が言った言葉を紹介されている。

「日本人は『カワイイ』民族だと思います」

これはどんな意味だろうか。もちろんこの留学生は、日本の印象を直観的にそう表現したのだろうが、そこには日本人は「カワイイ」という言葉に表現されるような考え方や価値観を大切にする民族だという意味合いが含まれているようだ。

著者の櫻井孝昌氏はいう、「カワイイは、それを使用する若者たち、いや若者にかぎらず、それを使用する人にとって、価値判断の基準になっている。『カワイイ』か『カワイくないか』かが、彼らにとっては大事な判断基準なのだ」、と。

もっと言うと、日本発の「カワイイ」という視点からのものの見方が、世界の若者たちの心をとらえ、大きな影響を与えているということだろう。そして、「カワイイ」は、日本発のファッションやマンガ・アニメなどポップカルチャーの大切な一面を表す言葉であり、それら全体がクールなものとして憧れられているのだ。

日下公人氏も『あと3年で、世界は江戸になる!-新「風流」経済学』のなかで、世界が受け入れたオタクやカワイイといった言葉は、単なる表現ではなく、そこに日本人の精神性が反映されており、日本的な文化への憧れが含まれているという。

「カワイイ」という言葉には、もちろん日本人の精神性の一面が色濃く反映されているだろう。2009年09月13日の記事『子供観の違いとアニメ』で触れたような、子供を慈しみ、「崇拝」さえするような日本文化が、その背景にあるのかもしれない。

これもすでに紹介したが、上のような日本と西欧の子供観の違いは、『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)』で、幕末から明治初期、あるいはそれ以前に日本を訪れた西洋人の観察の中で浮き彫りにされている。

「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたり、それに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭に連れて行き、こどもがいないとしんから満足することができない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている。毎朝六時ごろ、十二名か十四名の男たちが低い塀に腰を下ろして、それぞれの腕に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。」(イザベラ・バード)

イザベラ・バードの目には、日本人の子どもへの愛は、ほとんど「子ども崇拝」にすら見えたのではないか。まさに子どもの無邪気さのなかに神性を見る日本文化と日本人の特性が、遠い昔からあって、その子育ての姿が、西欧人には驚くべきものとして映っていたようなのだ。

このような日本の伝統が、現代の「カワイイ」文化と無関係であるはずはない。「カワイイ」という言葉が世界の若者のあいだで使われるとき、その背景にある日本人の子供観も、多かれ少なかれ伝わっている可能性があるのだ。

この「カワイイ」論というテーマも、折に触れて続けていきたい。

《関連記事》
子どもの楽園(1)
子どもの楽園(2)
子供観の違いとアニメ
『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(1)


《関連図書》
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『「かわいい」の帝国
★『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

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世界カワイイ革命(2)

2009年12月19日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『世界カワイイ革命 (PHP新書)

日本のファッションにしてもサブカルチャーにしても、なぜ世界で支持されるのかを考えると、結局は「自由」という言葉に突き当たると著者lはいう。たとえば、日本人は、「何よりも、自由に服をつくっています。いろいろな種類のファッションがあるのもいいですね」など、これに類する感想がじつに多いようだ。アニメの特徴のひとつにそれが扱う世界の「多様性」があるように、東京のファッションは「選択肢の多さ」が素晴らしいという外国人が多い。

外国人は、日本、とくに東京に「選択肢の多さ」、そして「自由」、「可能性」というイメージをもっているようである。日本には、クリエイティブなジャンルにおけるタブーが少なく、製作者が自由に表現したりつくったりできる風土があるのだろうか。アニメは子どもが見るものという呪縛を打ち破ったのも、そうした自由の結果かもしれない。

ではなぜ日本で、そのような自由な風土が生まれたのだろうか。この本では、そうした問いへの分析はしていない。ここからはこの本のレビューを離れて、いくつか理由を考えてみる。

とりあえずマンガにしぼっていえば、ひとつ興味深い指摘がある。欧米のマンガ市場はおとなが子どもに読ませたいものを買う市場なのに、日本のマンガ市場は子どもが自分で選んだ本を買う市場だった。それで、おとなが読ませたいものを書いたマンガではなく、子どもが読みたいものを書いたマンガが発達した。その結果、日本のマンガは欧米ではとうてい考えられないような表現の自由をかなり早くから確立していたのだという。

(この指摘については増田悦佐の『日本型ヒーローが世界を救う!』を参照されたい。実に面白い本なのでこのブログで近々、書評するつもりだ。)

もうひとつ挙げるなら、やはり宗教的なタブーが少ないということ。また、島国であり、ユーラシア大陸から適度が距離で離れているため、大陸の諸民族からの攻撃や暴力的な支配をほとんど経験しなかった。それで、大陸の文化のうち自分たちに合う要素を抵抗感なく自由に取り入れ、自分のものにすることができた。かつては中国やインドから、近現代ではヨーロッパやアメリカから。

そして、昭和の一時期を除いて、強力なイデオロギーによる文化の一元支配が、長い歴史のなかでほとんどなかったから、多様な文化アイテムが自由に並存することができた。その、一元的にしばられない何でもありのごった煮のような状態から、自由な発想や組み合わせが生まれてくるのではないだろうか。

もちろんこれは日本のサブカルチャーの自由な創造性を説明する、ほんの一側面にすぎないだろう。今後、折に触れてこの問題を深めていきたい。

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世界カワイイ革命(1)

2009年12月12日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『世界カワイイ革命 (PHP新書)

著者は、コンテンツメディアプロデューサーという肩書きで、外務省アニメ文化外交に関する有識者会議委員であり、外務省のポップカルチャー外交全般に関するアドバイザーも務めるという。

前著『アニメ文化外交 (ちくま新書)』でも感じたが、この著者の素晴らしいところは、世界中をかけまわって取材し、活きのいい最新の情報を伝えてくれることだ。アニメ外交というテーマからさらに進め、ファッション、カワイイを追いかけて世界各地を回った結果の報告が本書だ。日本発のファッションに嬉々として身にまとう世界中の女の子の写真が満載なのもいい。

「制服を着ると、日本人になれたような気がするんです。」
「東京に恋しているんです。」
「私はロリータにななることで、自分になれました。」
「日本人は『カワイイ』民族だと思います。」

等々、世界の若者が日本のファッション(原宿ファッション)やポップカルチャーに向ける思いは熱い。世界の若者は、日本人が思っているよりもはるかに日本人が好きらしいということが
この本を読むとわかる。

この本で著者が強調していることのひとつは、原宿と秋葉原が、パリでは融合しているということだ。日本では、原宿系とアニメオタクはそれほど交わらない印象があるが、ヨーロッパではちがう。クールジャパンが世界に広がっていく流れは、アニメ・マンガから始まり、それに日本食、ファッション、日本語などが追随していくかたちになっている。たとえば現在のヨーロッパのゴスロリファッションの定着には、『NANA』、『DEATH NOTE デスノート』などが与えた影響が大きいという。日本発が渾然一体となって影響を与えているのだ。

日本の制服も人気で、そこにもマンガやアニメのなかの制服姿の主人公の影響が見られる。『新世紀エヴァンゲリオン』、『犬夜叉』、『時をかける少女』、『涼宮ハルヒの憂鬱』などがそうだ。

著者はスペインの大規模なアニメ・マンガ関係イベントで日本の制服風の服を着た二人組みに会い、彼女たちが

「日本の女子高生の制服は自由の象徴です」

と語ったことに衝撃を受けたという。制服も含めた日本発の「ファッション」全体が、何か新しい「可能性」、「自由」、「未来」などにつながる憧れの対象になっているのだろう。

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ハリウッドではみんな日本人のマネをしている

2009年12月10日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『ハリウッドではみんな日本人のマネをしている (講談社+α新書)

著者は、ハリウッドでプロデューサーをする日本人。ハリウッドの映画人を中心としたアメリカ人が今、日本に大きな関心をもち、日本からいかに必死に吸収しようとしているかを、ハリウッドでの豊富な人脈とビジネス経験から、具体的に語っている。

たとえば10歳の天才野球少女を主人公にした映画の企画会議中に、重役がいった、「『スラムダンク』を知ってかい。あのマンガがまさにリアルタッチなんだ」。だからこの映画もリアルタッチで行こうというわけだ。この重役は、『スラムダンク』だけでなく、『おおきく振りかぶって』や『バッテリー』など、近年のリアル系スポーツ作品を読んでいたという。

映画関係者が集まるブレインストーミング(自由に意見を出し合う)の場でも、「いま日本で何が流行っている?」が合言葉なのだそうで、こうした情報交換の場で日本がもっとも注目されているそうだ。日本のマンガをアイディアの源泉にする脚本家もいるという。流行にもっとも敏感で、つねに最先端の面白いものを探している彼らの最新トレンドが日本のサブカルチャーなのである。日本発がかっこいい=クールというのが、いまやハリウッドだけでなくアメリカ都市部の共通認識になりつつあるという。

さらに著者は、自身の経験から、現在のアメリカは日本文化を抜きにしては考えられなくなっており、とくにアメリカ文化の「進化」、「成長」と思える部分で、日本に学んだ部分が多いと指摘する。あくまでもハリウッド・プロデューサーとしての個人的見聞からかかれた本ではあり、その点はものたりないが、話は具体的で面白い。

著者のこういう主張が容易に信じられないという人には、このブログでも取り上げた『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命』を合わせて読んでもらえば、ある程度納得してもらえるかも知れない。日本人を母に持つアメリカ人のライターが、今、アメリカに大きな影響を与えている「日本発ポップカルチャー革命」を丹念に取材して報告している。

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