クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

日本文化と出会いが人生を変えた(2)

2013年08月05日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
ダニー・チュー氏は、日本のアニメと出会うことで日本に魅了され、日本語を独学で学ぶようになった。その熱中ぶりは半端なものではないが、それだけ日本への思い入れが強烈だったのだろう。日本への熱き思いが彼の日本語学習のエネルギー源だった。その努力が、憧れの日本への道を切り開いていく。以下は、『日本文化との出逢いが僕の人生を変えた理由』からの要約である。

彼は、独学する上で自分にゴールを設けようと思い、日本語能力試験に申し込んだ。試験に向けて一年中勉強した。4級に合格して、その次の年には2級に合格した。日本語能力検定を受けたある日、テストセンターの外でチラシを配っている日本人男性2人がいた。そのチラシの内容とはロンドンで開かれているランゲージ・エクスチェンジ・クラブについてのことだった。そのクラブ「アクセル」では、現地の人と日本人が会話し合っていた。アクセルでは友達がたくさんできて、彼らとクラブ以外でも頻繁に集まっておしゃべりしたり、一緒にディナーに行ったりした。この時の日本人の友達はそれまで知り合った中では最高の友達だった。家に招待してスナックをつまみながらカラオケを楽しんだりした。

アニメとマンガに対して燃えるような情熱は高まるばかりだった。これらに関連する何らかの仕事につきたいという思いがつのった。日本語学習、アニメ、マンガ、ゲーム、日本人の友人達との交流を通し、ますます日本文化に惹かれ、ジャパニーズドリームを掴みたいと強く思うようになった。

その頃、紅花という日本料理レストランでもアルバイトをやっていた。日本人のお客さん達と日本語で話す機会があったからだが、日出ずる国へのチケットを購入する資金を溜めたいという理由もあった。日本へのチケット代を蓄えるのには一年も要した。ちなみに彼は、その後このバイト先で、やがて結婚することとなる女性とも出会っている。

紅花で働き、資金をためたかいあって、遂にアニメ、マンガ、雑誌、ドラマで見て憧れた日本に初めて訪れる日がやって来た。彼にとってこの旅は「滞在中のほぼ全ての日の出来事を思い出せる程に、とても感動的な時間だった」という。「コンビニの自働ドアのセンサーの感触、天ぷらの味、ジメジメした夏の熱気の匂いや周囲を飛び交う日本語などが僕の全ての感覚をオーバーロードさせた。」

イギリスに戻った後、部屋の周りにスピーカーをセットし、渋谷で録音した音源を流し、目を閉じた。その瞬間に渋谷に戻った気分になった。渋谷の音を聞いているととてもやる気が上がり、日本語を勉強している間、いつもその音を流していた。

彼にとって日本に住み、働くことはぜったいに実現させたい夢だった。壁に貼ってある新宿の黄昏のポスターを見ては、毎日繰り返し自分にこう言い続けていた。「絶対に僕は日本に行く」、「僕は日本に行くんだ」‥‥

日本で働くことに近づくためのステップとして、日本語を大学で勉強する必要があると感じた。これまで独学で勉強してきたが、彼の日本語は話し言葉に過ぎなかったので、大学で自分の日本語能力を磨き上げずには日本社会で成功することはできないと思った。ロンドン大学の学士課程に入学した。4年間のコースだったが、編入試験を受かり、直接2年生に入学した。

やがて日本食レストランでのバイトを辞め、日本航空のバイトを見つけた。そのバイトではロンドン空港で日本人観光客を案内したりした。そして大学を卒業した。イギリス全国の10%の大学生しかとれない「1st Class」をとれた。以前は落ちこぼれそうな生徒だったが、日本への強い情熱が彼の能力を開花させた。

しかも卒業後、日本航空は正社員にならないかと誘われ、日本航空のコンピュターエンジニアとして働くことになった。それはもちろん満足できる職場だったし、スタッフの何人かは日本人だったので、日本語を話す機会も多かった。しかし、その職場では、日出づる国に住み、働くというジャパニーズ・ドリームは実現できなかった。

それから彼は、ネットで仕事を探し始めるようになり、ある日ついに目を引く求人広告を発見した。仕事は東京に拠点を置き、内容は「東南アジアでのウェブマーケティング。日本語/中国語に堪能でインターネットができるネイティブの英語話者求む」というものだった。

数日後、応募先の会社ネイチャージャパンから面接の連絡が届き、イギリスでの一次面接を受けた。その結果、今度は東京にあるネイチャージャパン本社に一週間に及ぶ面接と試験を受けに来てくれと言われた。もちろんは航空運賃と宿泊代は会社もちだった。

彼は東京に向かい、市ヶ谷にあったネイチャーの事務所に一週間通い続けた。事務所では今迄経験した事のない売り上げ予測を立てる課題が出されたりした。試験と面接が詰まった一週間も漸く終わりが訪れた。面接担当者は、「東京に来てくれてありがとう。君がイギリスに帰ったあとに結果を伝えるよ」と彼に伝えた。

しかし彼は、この先12時間、飛行機の中で返答内容を心配する自分の姿を想像し、担当者に「採用の可否を心配するあまり、手足の指を全部噛み千切ってしまいそうです。可能であればイギリスに戻る前に結果を教えて頂けると嬉しいです」と打ち解けた。担当者は笑い、週明けに電話すると言ってくれた。

彼はホテルに戻ると、心配のあまりストレスに苛まれました。しかし、やれる事は全てやったという思いはあった。こういうチャンスのために日本語だけではなく、パソコン技術も勉強し、巡って来たこの機会を使ってベストを尽くした。なにが何でも日本に住み、働くために。その夜、彼は、こみ上げる思いに泣き崩れながら眠りについた。

そして、雨が降っていた翌日の日曜の朝、ホテルの電話が鳴った。結果は採用決定だった。1999年7月、彼はすでに結婚した、紅花で出会った女性とともに日本に旅立った。ついに夢が叶ったのだ。

「僕は日出ずる国で働き、暮らしに行くのだ。過去何年の苦労が報われた。情熱を発見し、生きていけば結果は自ずとついてくる……いつだってそうだ。絶対にあきらめない。自分自身に壁を作ってはいけない、そして特に他人が自分に対してその道を遮るような壁に自分を止めさせてはいけない。自分の心に耳を傾け、ひたすら前に進め。」

以上が、彼が日本にたどり着くまでの道のりだ。彼が、「日本」への熱情をもち、「日本に住み、働く」という夢を実現させていった過程は、多くの人々の共感を呼ぶだろう。私も要約しながら、思わず「すごいな」と感嘆してしまった。ただ、感嘆すればするほど、もう少し深く知りたいこともある。それは、アニメを通して知った日本のどこに、そんなに魅力を感じたのか、日本の何がそんなに素晴らしいと思ったのかということだ。この点については、もしチャンスがあれば彼に直接会って聞いてみたいところだ。

ところで、日本にたどり着いた後の彼の道のりにも、かなりの紆余曲折がある。それを経て、現在の活躍に至るのだが、それについて触れるのはまたの機会としたい。

日本文化と出会いが人生を変えた(1)

2013年08月03日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
櫻井孝昌氏は、外務省アニメ文化外交に関する有識者会議委員や、カワイイ大使アドバイザーなどの役目を持つ。世界を飛び回って、いま世界で日本のポップカルチャーがどのように熱狂的に迎えられているかを著書『日本はアニメで再興する・クルマと家電が外貨を稼ぐ時代は終わった (アスキー新書 146)』、などで生々しくレポートしている。

この本でとくに印象に残ったのは、海外に出るたびに現地のメディアから「若者たちの考え方や生き方に、アニメやマンガがものすごい影響を与えていることを日本人は知っているのですか?」という質問を受けるという事実だ。同じような質問が色々な国で何度も出たという。ということは、アニメ・マンガが世界の若者の生き方に与える影響がかなり普遍的なものになっているということだろう。そしてその事実を知らないのは日本人だけということに、世界の人々がうすうす気づいているから、こういう質問が何度も出るのだろう。

櫻井氏は『アニメ文化外交 (ちくま新書)』の中でも、日本のポップカルチャーを好きとか嫌いとか言う以前に「僕たちは日本アニメで育っているんですよ」という人々が急増しているという現実を紹介していた。

著者は「世界の若者の人格形成の日本のアニメやマンガがいかに大きなな影響を与えているかを、日本人自身もっとしっかり知らなければいけない時期がきている」と何度も強調する。実際に世界中の多くの若者やメディアに接した上で語る言葉なので説得力がある。いくつか若者の言葉を拾ってみよう。

「今の若いブラジル人の魂は日本のアニメで作られているんですよ」(ブラジル人、バーバラさん)
「夢中になったものは、これまですべて日本のものでした」「みな同じ人間。考えれば考えるほど、同じ結論(日本のものが好きになるということ)に世界の人たちが至るのは当然だと思います」(ブラジル人、カロリーナさん)
「友情、正義、人間関係に何が必要か、人生で大切なことの多くを、私はアニメやマンガから学びました」(イタリア人、シモーナさん)

ところで、日本のアニメ・マンガやポップカルチャーに最も大きな影響を受け、ついに日本に来て、日本から世界に情報発信し、大きな影響を与えるようになった人物がいる。ダニー・チュー氏だ。

ダニー・チュー (Danny Choo)氏について、彼の運営するサイト『Culture Japan』から紹介しよう。

彼は、「マレーシア人の両親を持ち、イギリス生まれ育ちで現在は東京を拠点に活動。彼がプロデュースしているカルチャージャパンブランドは様々な地上波テレビ番組、キャラクター、グッズやイベントを通して日本文化をシェアしている。彼の功績は日本政府に認められ、経済産業省クリエイティブ産業国際展開懇談会のメンバーに任命された。彼が監督と司会を務めているテレビ番組『カルチャージャパン』と『ジャパンモード』は国内外で毎週放送されている。」

彼が、日本にのめり込んでいく過程は上のサイトに詳しい。内容を要約しながら紹介したい。ダニー・チュー氏は中国系マレーシア人の両親の下にロンドンで育った。幼い頃は、かなりつらかったようだ。両親が多忙で里子にとして預けられ、子供時代のほとんどを何家族かの里親の下で過ごした。そこの子どもにいじめられたり、虐待されたり、里親にひどい扱いを受けたことも多かったという。学校生活も、とてもつらいものだったようだ。「あの頃の記憶と言えば、砂利の上を引きずられたり、袋叩きにされたり、持ち物を燃やされたり、フットボールの時間には常に顔を狙われたり、僕はここでも常に虐められていた。」

やがて彼は、両親と一緒に住むようになった。そして、オーストラリア生まれのシンガーソングライターで女優のカイリー・ミノーグの大ファンとなり、ファン仲間と出逢うことで、学校外で本当の友人が出来始めたという。

彼の部屋の壁は、カイリーのポスターで埋め尽くされていたが、やがてその一角を日本のゲーム機器、メガドライブのゲームの山が占めるようになる。彼の興味が「カイリー」一色から「日本」へと移っていったのだ。彼が、日本のものだ知った上でアニメを見たのは『マクロス』が最初だった。そのアニメーションのクオリティー、ストーリー、BGM、メカ、それと可愛い女の子たちに圧倒され、これを切っ掛けにアニメへの関心が高まった。

アニメを通して日本文化に接し、日本に魅了されて、人生で今まで感じた事がないような情熱と願望が目覚めたという。そして日本文化に関する知識をより深めるため、独学で日本語の勉強を始めた。「らんま1/2」や「クレヨンしんちゃん」などのマンガからはたくさんの日本語を身に付け始める事が出来た。

また、ロンドン在住の日本人が見なくなった古い録画ビデオを手に入れ、家にいる時は常にビデオを流しっぱなしにしていた。そうしていると、まるで日本にいるかのような気分にさせてくれたからだという。『なるほど・ザ・ワールド』や『世界丸見えテレビ』などのテレビ番組や、『ひとつの屋根の下』などのドラマも観た。外出中にもウォークマンで聴けるように番組の音源をカセットテープにダビングし、常に日本語が頭の中で流れるようにしていた。

その後も、彼の涙ぐましい日本語学習は続いていく。これほどの情熱があれば確かに語学は急速にマスターできるだろうなと感心してしまう。先に触れたように、学校生活はかなりつらいものだったし、勉強への目的意識も持てず、成績はかなり悲惨なものだったようだ。しかし、一たび目標と情熱を得れば、このようにやる気と能力は開花していくのだ。彼の場合は、情熱の対象が日本であり、目標は、いつの日か「日本で暮らし働くこと」だった。