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今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

日本回帰の二つの波:自由にいいとこ取りした日本05

2012年11月04日 | いいとこ取り日本
日本文化のユニークさ7項目を8項目に変更した。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

これに従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。

続けて、新たに付け加えた(5)「大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。」に関係する記事を集約して整理する。

『日本辺境論』をこえて(8)日本史上初めて
内田樹『日本辺境論 (新潮新書)』の書評ということで始めたが、これをきっかけにして自分の論を展開する形となった。要は、遣唐使の廃止以降に起こった外来文化の内面化と対比できるようなプロセスが、現代の日本で、しかも若者を先頭にして起こり始めているのではないか、ということである。かつて日本は、唐文化の影響が頂点に達した後、今度はその消化、日本化に向かって進んでいった。それと同じようなことが現代の日本で、今度は西欧文明との関係で起こり始めているのではないか。そして、その理由をこれまで3点から説明した。

1)明治以来、西欧文明を学び続けた日本は、多くの分野で「師」に追いつき、いくつかの分野では「師」を超え始めた。しかも「師」が掲げていた近代文明の原理そのものが今問われ始めている。つまり外部に「師」を求め得なくなった。これは日本の歴史の中で初めての経験である。(→『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら

2)日本で開発された技術や製品が世界中の人々の生活に大きな影響を与えるようになり、日本人自身がこうした事実をある程度自覚するようになった。これも有史以来、日本人にとって初めての経験である。(→『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力

3)マンガ・アニメに代表される日本のポップカルチャーが、近年広範に世界に広がり、世界の若者たちに影響を与えるようになった。日本人はまだその影響力を充分自覚していないが、それでも若い世代は、インターネットなどを通してかなり知るようになった。日本の文化が世界にこれほどの影響力を与えるようになったことも、日本の歴史上初めての経験である。(→『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力

これらの事実が示すのはいずれも、太古の昔から大陸の文明を「師」として学び続けた「辺境」日本という前提が崩れ始めたということである。とくに2)と3)で示されたような事実は、外部から学んだものを日本独自に再生させた技術や文化が世界に向けて発信され始めたということである。これらは比較的よく知られた事実だが、有史以来の日本史の中での位置づけや、日本人の意識に与える影響という観点からはほとんど論じられなかった。上の調査に示されるような若者中心の日本人の意識変化は、これらの事実を多かれ少なかれ反映しているのではないか。

『日本辺境論』をこえて(9)現代のジャポニズム
今、環境問題や経済の混乱の深刻化などにより、近代の文明原理はかなり問題をはらむのではないかと疑われ始めた。では日本は、それに替わる新たな「世界標準」を生み出すことが可能なのだろうか。これに対する私の答えは、従来の「世界標準」という意味でなら「否」というものである。しかし、「世界標準」という言葉にこだわらずもっと柔軟な見方をすれば、必ずしも否と言えない。

日本は「辺境」の島国であったために、これまで「世界標準」を生み出すことはなかった。大陸で生まれた「世界標準」をひたすら吸収してきた。そうやって形成され日本の文化は、「受容性」を特徴としていた。それは、もっぱら「師」から学ぶ姿勢で吸収し続けることである。

ところが現代の日本は、長い長い受容の歴史の結果、その豊かな蓄積の内側から次々と独自の文化を生み出すようになった。江戸時代の独自な文化も幕末から明治初期にかけてフランスなどヨーロッパに知られ、その流行はジャポニズムと呼ばれた。現代のジャポニズムは、中国文明だけではなく西欧文明やアメリカ文明の受容と蓄積が加わり、それが縄文時代以来の日本の伝統の中で練り直され、磨かれることによって豊かに開花したものだ。それがインターネットなどの情報革命によって江戸時代とは比較にならないほど広範に世界に影響を与え始めた。

さて、日本文化のユニークさのひとつは、普遍宗教によって完全に浸食されてしまわずに、農耕文明以前の縄文的な文化が現代にまでかなり濃厚に受け継がれたことだ。これは世界史上でも稀有なことである。儒教や仏教を受容したときも、自分たちが元来持っていた自然崇拝的な宗教にうまく合うように変形した(神仏習合など)。

「世界標準」の普遍宗教は、激しい闘争の中で民族宗教の違いを克服することによって生まれたも言える。それもあって、それぞれの普遍宗教を背景にもつ「世界標準」自体は、お互いに相容れない傾向がある。自分こそ「世界標準」だと言い張って互いに争うのである。現在までのところ、その勝者が近代ヨーロッパだったわけだ。ところが日本人は、そうした「世界標準」の原理原則にこだわらずに、自分たちに合わせて自由にいくつもの「世界標準」を学び吸収してきた。神道を残したまま儒教も仏教も西欧文明も受けれ、併存させたのである。それが日本文化に豊かさと発想の自由さを与えた。そういう日本人が新たな「世界標準」を生み出すはずがないことは明らかだろう。

そして逆説的なことだが、ひとつの「世界標準」にこだわらず自由に学び吸収しつづけたからこそ、そこから生まれた独自の文化が、今後の世界にとって新たなモデルになる可能性を秘めているのではないか。

『日本辺境論』をこえて(10)なぜ若者は伝統に回帰する?
明治時代の日本の知識人は、自分たちの過去や伝統を激しく否定することによって、いわばその否定をバネにして西欧の文明を懸命に吸収した。西欧と日本の力の差が圧倒的だったことも、そうした日本人の態度の背景にある。

それと似たことが、太平洋戦争後にも再び起こった。もちろん西欧文明の吸収は、明治時代とは比べられないほど進んでいたが、敗戦のショックと戦中の軍国主義への嫌悪が、またもや自分たちの過去と伝統を全否定する方向へと日本人を向かわせた。そして、今度の学びの対象となった「世界標準」はアメリカ文明であった。

《参考記事》
日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(1)
日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(2)

自己否定の強さは、敗れた相手である米国の文化やGHQの占領政策を礼賛する感情と表裏をなしていた。米国側でも、日本が米国と戦う意志や力を二度と持つことのないよう、軍国主義の社会的基盤を根こそぎにし(財閥解体など)、戦中の軍国主義がいかに邪悪であったかを日本人の意識に徹底的に植え付ける政策をとった。

そして、この政策は見事に成功した。この政策が、日本人の「辺境人」根性と合致して相乗効果を生んだからである。日本人が、「世界標準」の文明からすみやかに効率的に学び取るのが得意なのは、そのさい自己卑下に徹し、自分たちの伝統をなかったことにして、ほとんど白紙の状態で学べるからである。つまり過去を否定するからだ。日本人のそうした性向と米国のプロパガンダとが、誰も予想しなかったほどにうまくかみ合てしまった。こうしてアメリカ文明が礼賛される一方で、日本の伝統的な文化は、軍国主義や封建制に結びつくものとして極度に否定される結果になったのである。

この傾向は、太平洋戦争を体験した世代から、戦後生まれの団塊世代への確実に受け継がれていった。しかし、その子供たち、さらにその子供たちの世代になると、さすがに戦争のトラウマや、その体験と結びついた自己否定や、アメリカの洗脳などからの解放が進んだ。まさに「呪縛」がとかれ始めたのだ。

「呪縛」がとかれると、いままで強く抑圧していた反動からか、伝統的なものが逆に新鮮で価値ある大切なものとして若者たちの心をとらえ始めた。その時期と、日本のポップカルチャーが世界で注目を浴び始める時期とが重なった。ポップカルチャーだけではなく日本の文化全体が世界で高く評価されるようになった。トラウマから解放された日本の若者は、親たちの世代が想像できないような自信をもって自分たちの伝統文化を肯定することができるようになったのである。

《関連図書》
欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)
論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)
人類を幸せにする国・日本(祥伝社新書218)

《関連記事》
『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が
『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』
『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が
『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら
『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力
『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力
『日本辺境論』をこえて(8)日本史上初めて
『日本辺境論』をこえて(9)現代のジャポニズム

若者の文化的「鎖国」が始まった?今後の計画など(1)
日本人が日本を愛せない理由(1)
日本人が日本を愛せない理由(2)
日本人が日本を愛せない理由(3)
日本人が日本を愛せない理由(4)
日本文化のユニークさ01:なぜキリスト教を受容しなかったかという問い
日本文化のユニークさ02:キリスト教が広まらなかった理由
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
日本文化のユニークさ18:縄文語の心
日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?
日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ
日本文化のユニークさ30:縄文人と森の恵み
日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤
日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)
日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)
日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

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日本の新たな自信へ:自由にいいとこ取りした日本04

2012年11月03日 | いいとこ取り日本
日本文化のユニークさ7項目を8項目に変更した。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

これに従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。

続けて、新たに付け加えた(5)「大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。」に関係する記事を集約して整理する。

島国日本は、弥生時代以来、異民族による侵略という脅威なしに文化の受け入れを続けてきた。そのような形での異文化を受け入れ続けることができた幸運は、世界史上でもまれなことである。ところが、海の向こうの圧倒的に優れた文明を、平和的に吸収し続けた日本人は、自分をつねに「辺境人」の立場において、中心文明の優れた文物をひたすら取り入れる姿勢を、あたかも自分の「アイデンティティ」であるかのように思い込むようになった。そういう「辺境人」根性は日本人の血肉化しており、逃れようがない。だったらその根性に居座って、むしろ積極的にそれを活かそうというのが内田樹の『日本辺境論 (新潮新書)』の主張であった。従来の日本人に、内田のいう「辺境」人根性があったのはたしかだろう。しかしそれは永遠のものではない。近年、日本人は「辺境」人の呪縛から脱しつつあるというのが私の見方だ。

『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら
近年の日本の動きとしてはっきりしているのは外向きだった戦後の大きな流れが、内向きに変化し始めているということだ。戦後の日本は、敗戦にいたるまでの日本の過去を否定し、アメリカを中心とした欧米の強い影響下で新しい日本を築こうとした。そうした外向きの流れが、今再び内向きに転じつつある。それが、若者の伝統志向や日本回帰という現象にもはっきりと現れている。

一方この戦後のサイクルは、より大きなサイクルと重なりながら同じ方向に動いている。それが、明治以来の西洋文明志向からの転換というサイクルなのだ。このサイクルは、かつての日本が中国文明の取り入れから脱して、平安の国風文化から鎌倉仏教へと独自の文化を開花させていったサイクルと対比することができる。なぜ今がそのような時代の大きな曲がり角だと言えるのか。いくつかの根拠を挙げてみよう。

1)明治維新前後から百数十年、日本はひたすら西欧の文明に学び、それによって近代の日本を建設しようとした。そうした日本の姿勢は、時々内向きになる小さな波はあったにせよ、大きな流れとしては変わらなかった。日本に比べて欧米は、あらゆる分野で圧倒的に優位に立っていて、そこから学ぶことなくして日本の生き残りと発展はないと思われたからである。

そのような状況で外部から学ぶとき日本人は、自らの過去全体を激しく否定する性向がある。自分たちの伝統を末梢してしまうことで、新しいものを受け入れ易くするのだともいえる。良し悪しは別として、それが日本の近代化のエネルギーになったのは確かだろう。

ところが現在、科学技術力、経済力、社会制度、文化などどれにおいても、欧米と日本で圧倒的に差のある分野はなく、個々の分野では日本が優位にたつ場合も多い。「師」の域に少しでも近づきたいと必死に学んでいた「弟子」が、いつの間にか「師」と肩を並べ、一部では「師」を超えてしまった。にもかかわらず、相変わらず自分はまだだめだと思い込み、もはやどこにもいない「師」の幻影をもとめて「ふらふらきょろきょろ」している。それが、今も続く日本の姿なのだろう。

ところが、「もう外に師を求めても無駄なのだ。師はもう、どこを探したって見つからない。だとすれば、自分の内側に立ち返って、そこから新たなものを作り出していくほかないのだ」と気づいた人々がいる。それが、今の若者たちの世代だ。もちろん彼らは、そのような明確な意図を自覚していないかもしれない。しかし少なくとも彼らは、文明の「保証人」を外部にもとめ続ける「呪縛」から解放されている。

かつて何度も日本回帰の波は繰り返されたが、それは欧米文明の過度の崇拝に対する反動という側面があった。欧米崇拝も日本回帰も、圧倒的な欧米文明を前にしての、同じコンプレックスの両極端の表れであった。しかし今の若者たちはもう、欧米の文明へのコンプレックスにほとんど囚われていない。日本が、多くの分野で欧米と肩を並べ、一部欧米を超える時代に育った彼らは、団塊の世代のような欧米への劣等感から、すでに解放されている。

だから欧米崇拝や劣等感の裏返しとしての伝統回帰ではなく、もう外に「師」を求め続けることが無意味な状況になったから、自分たちの内側からあらたな価値を生み出していくほかないと、直感的に分かってしまう世代が出現したのである。こういう世代の出現は、おそらく明治以来初めてのことである。こういう変化に匹敵する変化を過去に求めるとすれば、あの圧倒的な唐文明の「呪縛」から徐々に開放されていった、9世紀から16世紀の時代しかないであろう。

『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力
日本人が今、大きな意識変化を経験しつつあると言える他の理由を考えよう。それは、日本文化の発信力にかかわる。日本文化は、「師」に追いついただけではなく、今かなり広範な影響力を世界に及ぼしつつある。そのようなことは日本史上初めてであり、この事実が人々の意識に変化を与え始めたのである。

2)その影響力はまず、科学技術と深く結びついたところで生まれた。たとえば新幹線である。時代の主役が自動車や飛行機に移りつつあった時代に、日本の技術者たちの辛苦と英知によって実現した新幹線は、世界中の交通システムに影響を与えた。高速鉄道システムはアメリカはじめ世界中で、安全で環境にやさしい輸送システムとして再評価されつつある。時代遅れになると見れれていた高速鉄道が、日本の新幹線の成功によって地球環境時代の旗手として息を吹き返したのだ。

このように日本の科学技術が、文化的な発信力をともなって世界の人々の生活を変えていった例はかなり多い。ホームビデオは、日本人が業務用の巨大なビデオを小型化し、家庭で見られるシステムとして世界に普及させたものである。電卓も日本が小型化に成功して世界中の家庭に普及させたハイテク技術である。その価格は40年間で50万円から1000円と、五百分の一に下がった。これらは、巨大なものを極小化するのが好きな日本文化の特質が世界を幸せにした例だ。今世界中で使われているクオーツ腕時計も、世界に先駆けて日本で商品化された技術だ。

これ以外にも、カラオケ、インスタントラーメンなど、日本で開発された製品が世界中の人々の生活に大きな影響を与えている例は、他にも数多い。もちろん日本人は、こうした事実をある程度自覚しており、その自覚が、これまで二千年の長きにわたって、海外の高度文明をひたすら学び続けるばかりだった日本人の「辺境人」根性に変化をもたらしていないと見るのはかなり不自然だ。

『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力
高度成長期からバブル期に至るまでの日本経済の発展と膨張は、確かに日本人に自信をつけさせたかもしれないが、まだそれ以前のj時代の劣等感の裏返しという側面が強く、どこか「成り上がり者」という意識があって、等身大の自分たちに確たる自信を持つということではなかった。しかし、新幹線に代表されるような日本の高度技術が、人間の生活や社会のあり方の変革を伴う形で真似られ輸出さされるようになると、有史以来「辺境人」に甘んじていた日本人の意識に静かな、しかし確実な変化が生まれ始めたのではないか。いわゆる文化的な影響力は、経済や「金」による影響力とちがって、日本人により深いレベルでの自信を与える結果になったと思う。

3)マンガ・アニメに代表される日本のポップカルチャーが、近年広範に世界に広がり、世界の若者たちに影響を与えるようになった。その影響力が、日本人の想像する以上のものであることは、櫻井孝昌氏の以下のレポートからも知ることができる。

『日本はアニメで再興する』(1)
『日本はアニメで再興する』(2)
アニメ文化外交 (ちくま新書):YouTubeでのJapan熱を裏付ける本(1)
アニメ文化外交 (ちくま新書):YouTubeでのJapan熱を裏付ける本(2)
「カワイイ」文化について
世界カワイイ革命 (1)
世界カワイイ革命(2)
マンガ・アニメの発信力:「かわいい」文化の威力

これらのレポートの中で私がいちばん強く印象に残っているのは次のようなものである。櫻井氏が、海外に出るたびに現地のメディアからされる質問は、「若者たちの考え方や生き方に、アニメやマンガがものすごい影響を与えていることを日本人は知っているのですか?」というものだ。

このような質問を受けたのは一度や二度ではなかったようだ。ということは、アニメ・マンガが世界の若者の生き方に与える影響がかなり普遍的なものになっているということだ。そしてその事実を知らないのは日本人だけということに、世界の人々がうすうす気づいているから、こういう質問が何度も出るのだろう。

逆の言えば、若者の考え方や生き方に大きな影響を与えるだけの内容や魅力や力があるからこそ、これだけ世界の若者に受け入れられているということだ。

このような影響力は、まだ日本人は充分自覚していないが、それでも若い世代は、インターネットなどを通してかなり知るようになった。「辺境人」的な劣等感から解放され、等身大の自信をいちはやく持つようになったのが若い世代に多いのは、そのようなことが一因かもしれない。

《櫻井孝昌氏の関連著作》
アニメ文化外交 (ちくま新書)
世界カワイイ革命 (PHP新書)
日本はアニメで再興する クルマと家電が外貨を稼ぐ時代は終わった (アスキー新書 146)
ガラパゴス化のススメ

《関連図書》
欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)
論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)

《関連記事》
若者の文化的「鎖国」が始まった?今後の計画など(1)
日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(1)
日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(2)
日本人が日本を愛せない理由(1)
日本人が日本を愛せない理由(2)
日本人が日本を愛せない理由(3)
日本人が日本を愛せない理由(4)

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自虐の時代を脱しつつある:自由にいいとこ取りした日本03

2012年11月02日 | いいとこ取り日本
日本文化のユニークさ7項目を8項目に変更した。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

これに従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。

今回も新たに付け加えた(5)「大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。」に関係する記事を集約して整理する。

大陸から海で隔てられた「辺境」の島国日本にとっては、大陸から渡来するものはつねに崇拝の対象だった。中国や欧米の文明にたえず範を求め続けた。自分に自信がなく絶えずキョロキョロと外の世界に「世界標準」を探し続ける、これが日本人に染みついてしまった「辺境」人根性だと内田はいう。しかし内田は、外国に侵略された経験がなかったというもう一つの条件をほとんど見逃している。大陸をつねに崇拝できたのは、彼らの負の面を身を持って経験することがなかったからである。

さて、いずれにせよ従来の日本人に、内田のいう「辺境」人根性があったのはたしかだろう。しかしそれは永遠のものではない。近年、日本人は「辺境」人の呪縛から脱しつつあるというのが私の見方だ。

『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
海の向こうから来た文明の基準に合わせることに汲々とし、自ら文明の基準を生み出すことができない。それが「辺境」日本のさだめだと内田はいう。だから知識人のマジョリティは「日本の悪口」しか言わなくなる。この悪口は、「だから世界標準にキャッチアップ」という発想と込みになっていて、その世界標準を紹介・導入することが自分たち知識人の存在価値だと感じている。そういう人間たちが中心になって作っているから、メディアもそういう論調になってしまう。(内田樹『日本辺境論 (新潮新書)』)

しかし私は、内田のいう辺境人の「呪縛」から日本人は徐々に解放されつつあると感じる。団塊世代はまだ「呪縛」のなかにいるが、若い世代には明らかに変化の兆しが見える。そう私が感じるのは、いくつかのデータや、インターネット上での傾向などを見たときの全体的な印象からだ。個々の現象を見ていたのでははっきりしないが、総合的に判断すると、「辺境人」からの解放という像が浮かび上がってくると思う。

戦後に生まれ育った世代は、「近代合理主義」「進歩」「科学」「未来」「夢」などの価値意識を当然のごとく受け入れ信じていた。社会が近代化するということは、科学技術が進歩し、国民の意識がより民主的で個人主義的な方向に進歩することであった。しかし、1990年のバブル崩壊以降に小学生時代を送った世代(Z世代)は、こうした価値観が溶解するなかで育った。現代の若者にとっては、近代的でないもの、科学では説明できないもの、伝統的なものが新たな魅力を持ち始めたというのだ。その傾向はいくつかのデータで確認できる。(三浦展『ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)』)

『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)』(調査期間は2007~2008)で示された若者の和風志向・日本回帰という傾向は、別の調査でも裏付けられる。『欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)』(山岡拓、2009)は、若者の消費動向を探るための調査結果をまとめたものだが、『ニッポン若者論』で示された傾向がより鮮明に見えてくる。その調査結果から浮かび上がる若者像をあらかじめ言葉で表現すると、以下のようになるという。

「今の若者が目指すのは、実にまったりした、穏やかな暮らしである。自宅とその周辺で暮らすのが好きで、和風の文化が好き。科学技術の進歩よりも経済成長を支える勤勉さよりも、伝統文化の価値を重視する。食べ物は魚が好き。エネルギー消費は少なく、意図しなくとも、結果的に『地球にやさしい』暮らしを選んでいるようだ。大切ななのは家族と友人、そして彼らと過ごす時間。親しい人との会話や、ささやかな贈りものの交換、好みが一致したときなどの気持ちの共振に、とても大きな満足を感じているようだ。彼らは消費の牽引車にはなれなくとも、ある意味では時代のリーダーなのかもしれない。」

これらの調査は、『日本辺境論 (新潮新書)』(内田樹、2009)がいう、文明の「保証人」を外部に求めようとする日本人のあり方が変化し始めていることを物語るのではないか。日本人に世界標準の制定力がなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうことこそが「辺境人」の発想で、それは「もう私たちの血肉となっている」からどうすることもできないと、かんたんに断定できない変化が、日本人に起こり始めているのではないか。日本人に「世界標準の制定力」があるかないかは別として、文明の「保証人」を外部にもとめていつも「ふらふらきょろきょろ」していた日本人の姿は、少なくとも今の若者には見られないということである。

『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が
これまで、現代日本の若者の間に和風志向や日本回帰の傾向が見られることをいくつかのデータで見てきた。それは、日本の社会や文化をバカにし欧米の文化に憧れ追い求めていた親の世代に比べるとかなり大きな変化である。このような変化をどのような歴史的なスパンで見るかによって、その意味のとらえ方ににかなりの違いが生じる。

かつて奈良から平安時代の日本で、唐文化の影響が頂点に達した後、今度はその消化、日本化に向かって進んでいったことだ。それと同じようなことが現代の日本で、今度は西欧文明との関係で起こり始めているのではないか、というのが私の仮説である。前に「その変化は、千年二千年単位の日本歴史のなかでも重要な変化であるような気がする」と言ったのはそのような意味である。つまり、遣唐使の廃止以降に起こった外来文化の内面化と対比できるようなプロセスが、現代の日本で、しかも若者を先頭にして起こり始めているような気がするのである。日本を取り巻く世界情勢の変化がそれを加速している。

《関連図書》
欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)
論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)

《関連記事》
若者の文化的「鎖国」が始まった?今後の計画など(1)

日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(1)

日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(2)

日本人が日本を愛せない理由(1)

日本人が日本を愛せない理由(2)

日本人が日本を愛せない理由(3)

日本人が日本を愛せない理由(4)

クールジャパンに関連する本02

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