クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

日本文化・逆説の魅力

2013年11月15日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
◆『日本とは何か―近代日本文明の形成と発展 (NHKブックス)

引き続き、上の本でも語られている梅棹生態史観に触発されて思ったことを語るが、その前に今読んでいる、まったく毛色の違う本に少し触れる。櫻井孝昌・上坂すみれ共著の『世界でいちばんユニークなニッポンだからできること 〜僕らの文化外交宣言〜』だ。この本について詳しくは、追って取り上げるつもりだが、この中でも櫻井は、日本のポップ・カルチャーが世界に広がるとともに世界でいちばん知られるようになった日本語が「カワイイ」であることを強調している。

私はかつて、日本の「カワイイ」文化は、おそらく一神教的な父性原理の文化とは正反対の、アニミズム的ないし多神教的な母性原理の反映であり、一表現ではないかと指摘したことがある。「かわいがる」という動詞からも連想されるように、「カワイイ」という表現の大元には、母性愛的な感情がある。遠く縄文時代に源を発する母性原理的な文化が日本に息づいていることと、現代の「カワイイ」文化の広がりとはまったく無関係とはいえない。少なくとも父性原理が強い文化のもとで、「カワイイ」文化が生まれ育つことはあり得なかったはずだ。

日本が、農耕文明以前からの母性原理的な文化を破壊されず、それを基盤としながら、一方で西北ヨーロッパとよく似た歴史的な歩みを経て独自に近代を準備し、西洋との接触をきっかけに速やかに近代化を達成したことは、人類の歴史上でも、奇跡的なことなのかもしれない。そこに日本文化の逆説と魅力がある。

ユダヤ・キリスト教を基礎とした父性原理の文明とは最も遠いところに位置しながら、一方で他の非西洋諸国に先がけて近代化していった日本。そういう奇跡的な基盤の上に「カワイイ」文化も花開いたのろう。縄文的な心性を現代にまで残してきた日本文化のユニークさは、世界のどの文明もかつてはそこから生れ出てきたはずの、農耕・牧畜以前の文化の古層を呼び覚ますのだ。

さて、ではなぜ日本では、農耕以前的な母性原理の文化が破壊されず、現代にまで引継がれてきたのか。この問いについては、日本文化のユニークさ8項目のうちの、以下の項目に関する記事で追求してきた。それぞれの項目についての代表的な記事をリンクしておくので参照されたい。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。
 →日本文化のユニークさ40:環境史から見ると(2)

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。
 →異民族による征服を知らない民族:侵略を免れた日本01

(7)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。
 →森の思考と相対主義(日本文化のユニークさ総まとめ04)

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。
 →キリスト教を拒否した理由:キリスト教が広まらない日本01

《関連記事》
日本文化のユニークさ8項目
日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった
日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない
日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観

《関連図書》
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ユダヤ人 (講談社現代新書)
驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)
蛇と十字架・東西の風土と宗教
森のこころと文明 (NHKライブラリー)
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
森を守る文明・支配する文明 (PHP新書)

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日本文化のユニークさ・本当の理由

2013年11月14日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
◆『日本とは何か―近代日本文明の形成と発展 (NHKブックス)

梅棹忠夫は、日本は地理的にヨーロッパから遠く隔たった極東に位置するが、歴史的にはヨーロッパにきわめて似ているという。それは日本がヨーロッパ文明を模倣した結果ではなく、独自に発展した結果がヨーロッパと似た性質の文明になったということである。ヨーロッパと日本の地理的・歴史的な条件の類似性が、類似の文明を作り上げる結果になったのである。

ヨーロッパは、ローマ帝国の辺境としてローマ文明の影響を強く受けた。島国日本も、漢帝国など中華文明の大きな影響ももとに国家形成を行っている。どちらも中世においてはよく似た封建制を経験し、その頃から巨大帝国とは別の独自の道をあゆみはじめた。それが可能だったのは、内陸乾燥地帯から出撃してくる遊牧民の破壊力の犠牲にならずにすんだという生態学的な共通性も無視できない。

さらに梅棹は、徳川政権をフランスのブルボン王朝に対比できる絶対主義王制とみている。また、その200年間に近代日本のほどんどの基礎がつくりだされたという。経済面では、全国的な農地の開墾、鉱山の開発、治水、道路網の発達、手工業、マニュファクチャーの発展、全国的な流通機構の発達など。また江戸は18世紀後半に人口100万を超え、世界最大の都市となった。それにともない社会面では、行政組織の完備、教育機関の発達などが顕著であった。19世紀初頭の日本人の識字率はおそらく世界最高であった。こうした事実からも、日本の近代化が明治以前から始まっていたと考えるのは、むしろ当然のことであろう。

さて、私自身は、梅棹の日本とヨーロッパの歴史的な平行進化説は充分に説得力があると思う。しかし、このように類似性が高いからこそ、逆にその違いも際立つし、違う面に注目することの意味も大きいと感じている。違いとは、このブログで探ってきた日本文化のユニークさ8項目そのものである。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

日本とヨーロッパとは、ユーラシア大陸の両極に位置にしながら、その地理的気候的共通性や生態学的条件から、よく似た歴史的経過をたどった。ともに遊牧民による徹底的な破壊を免れた。しかし、一方で遊牧民とのかかわりにおいて決定的な違いもある。

いちばん重大なのは、ヨーロッパ文明が、砂漠や遊牧を基盤とする一神教の決定的な影響を受け、それを一つの根にして発展したということである。一神教を全面的に取り入れることで、砂漠的・遊牧民的な思考の深い影響下に入るのである。砂漠は厳しい環境で、右にオアシスがあるかも知れないが、左は灼熱の砂漠が続き死んでしまうかも知れない。だから判断を早くするため、話し合いで結論を先延ばしするのではなく、指導者格の一人が決断をしなければならない。一神教的なリーダーシップにより右か左かの二分法的な思考法が必要とされるのだ。それは父性原理の思考法である。

また遊牧民のリーダーは、最初は家畜の群れを統率する存在であったが、それが人の群れを統率する王の出現につながっていく。また、移動中につねに敵に襲われる危険性があるから、金属の武器を作る必要に迫れれた。こうした要素が、農耕民の社会と融合することによって、古代文明が発展していったという。これはまた、母性原理の社会から父性原理の社会へと移行していく過程でもあった。

善悪を明確に区別し相対主義を許さない父性原理に対し、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。一神教を中心とした父性的な文化は、対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。母性原理は逆に相反する極をともに受容する。

かつてヨーロッパからアジアにいたる広大な領域に、森林に根ざす母性原理的なケルト文化が広がっていた。ケルト人は、牧畜・農耕を営んでいたが、都市は発達せず、森との共生の中に生きていた。しかしキリスト教という一神教の拡大に伴いそのほとんどが消え去ってしまった。ただオーストリア、スイス、アイルランドなど一部の地域にはその遺跡などがわずかに残っている。とくにアイルランドはケルト文化が他地域に比べて色濃く残る。ローマ帝国の拡大とともにイングランドまではキリスト教が届いたものの、アイルランドに到達したのは遅れたからだ。

一方、日本の縄文文化は、一部農耕を取り入れながらも、狩猟・漁労・採集中心の豊かな文化で、それが約1万5千年も続いた。しかもその精神的な遺産が、強力な統一国家やそれに伴う、強力な宗教などによって圧殺されずに、現代にまで日本人の精神の中に生き生きと生き続けている。世界がほとんど忘れ去ってしまった、文明の古層が、現代の日本人および日本文化の中に息づいているのだ。

日本文明は、一方でヨーロッパとよく似た歴史的な経路をたどり、非ヨーロッパ世界でもっとも早く近代化したにもかかわらず、他方では一神教的なヨーロッパ文化からは最も遠い側面ももっている。つまり、農耕文化以前の文明の古層、自然崇拝的な多神教の性格をもつ文化の特色を色濃く残しているのだ。この二つの側面のギャップの中に、日本文化のユニークさの、もっとも深い基盤があるように思える。

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日本文化のユニークさ8項目
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日本はなぜ速やかに近代化した?

2013年11月13日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
◆『日本とは何か―近代日本文明の形成と発展 (NHKブックス)

著者・梅棹忠夫は主著『文明の生態史観 (中公文庫)』であまりに有名な文化人類学者であり、その文明学は今もなお強い影響力をもっている。本書は、その二十年を超える比較文明学のエッセンスを、アメリカやフランスなどで講演した内容を中心にまとめたものである。時間に限りのある講演なので彼の主張がコンパクトにまとめられており、梅棹文明学への本人自身による良き入門書にもなっている。

さて、私はこのブログで日本の文化を他地域の文化と比較して、「日本文化のユニークさ8項目」の視点から探ってきた。とくに西洋文化との違いを強調してきた。一方で梅棹は、日本と西洋との、歴史的展開の共通性を打出し、独自の文明論として内外から注目されたのである。私自身、この論が、両地域の歴史展開の深い真実をついていると思う。梅棹が指摘するような共通性が確かにある。しかし、一方で大きな違いもある。その違いのひとつが、遊牧文明や牧畜文明とのかかわりからくる違いである。いずれにせよ梅棹文明学は、ここで取上げるにはきわめて興味深い題材である。

梅棹はまず、日本文明をどのように捉えるかを三つの説に整理する。

ひとつは模倣説である。日本人は模倣の才能に優れ、この1世紀間ひたすら西洋文明を模倣した結果、今日のような一見西洋化した文明を作り上げることができたという説である。もう一つは、転向説とでもいうべきものだ。日本は古来、独自の文化をもって発展した国であるが、19世紀に西洋からの衝撃を受けて、そちらの方向に進路を変更した。トインビーは日本を、伝統的原理をすてて西洋的原理に乗り換えた、文明の「改宗者」と呼んだ。これも一種の、日本「転向者」説である。

模倣説も転向説も、現代の日本文明を西洋文明の一変種としてとらえている点では、視点が同じである。いずれも、日本はいちじるしく西洋化することによって近代化に成功したひとつの例であるとみている。日本文明は、西洋文明という先行者の追随者という関係でとらえている。

梅棹自身は、これらの説をとらず、いわば「平行進化説」というべきものを主張する。日本はもちろん西洋文明の模倣を多かれ少なかれおこなったが、それは全面的なものではなく、一定の方針のしたがっての取捨選択である。その一定の方針こそ、長年の歴史の中で培われた日本文明の基本的デッサンである。ただ、この事実はこれまでも多くの人々が指摘してきたことだ。梅棹の主張が新鮮だったのは、近代日本が、かならずしも明治以来の西洋化の産物ではないことを事実と理論に基づいて明確にしたことである。

ペリーの来航する半世紀も前から、日本には近代社会への胎動が見られた。土地開発がすすみ、手工業的工場が各地に現れ、交通通信ネットワークも完備し、教育は普及した。前近代的な要素をのこしながらも、全体として「近代」の入り口まで来ていた。西洋の衝撃を受ける以前に、そのような事実があったことに注目すべきである。日本の近代化は、西洋文明によってもたらされたのではなく、明治以前から独自の路線による近代化が進行していた。西洋文明の衝撃によって、それがさらに促進されたにすぎないのである。

日本文明は、西洋文明とは独立に、独自に発展してきた別種の文明だ。他にも別種の文明はあるが、西洋文明の衝撃を受けも、多くは挫折か停滞を余儀なくされた。じょうずに近代化に成功したのは日本文明だけだった。それはなぜなのか。

梅棹は、この問いに答えて、西北ヨーロッパと日本の文明には、歴史的にみて様々な共通性があったからではないかという。どちらも古代において、ローマ帝国と秦・漢・唐の帝国という巨大帝国の周辺に位置した。中世においてはこの二地域だけが、軍事封建制という特異な制度を発展させた。その中から絶対王制(梅棹は徳川期を絶対王制の時代とみる)をへて、近代社会が生まれた。つまり、日本の近代化は、模倣説や転向説では充分説明できない。それはいわば、平行進化説によってこそ正しく説明できる。西北ヨーロッパと日本とは、ユーラシア大陸の両極にありながら平行進化をとげてきた。それが西洋の衝撃によっていち早く近代化できた大きな理由である。

ではなぜこのような平行進化が生まれたのか。その基盤にあるのは、西北ヨーロッパと日本との、生態学的な位置の相似性だという。両者は、適度の降雨量と気温にめぐまれた温帯にある。またアフロ・ユーラシア大陸をななめに走る巨大な乾燥地帯から適度な距離で隔てられている。この乾燥地帯が人類にとって果たした役割は大きいが、とくにそこにあらわれた遊牧民の存在が、その後の人類史において繰り返し強力な破壊力をおよぼした点が重要である。西北ヨーロッパと日本との共通性は、その破壊力からまぬがれて比較的平穏に文明を展開できたという点にも見出されるという。

わたしがとくに興味を持つのはこの点である。西北ヨーロッパと日本とは、遊牧民の破壊力からまぬがれたところに共通性があるという。それは事実であろう。しかし、このブログで探っている「日本文化のユニークさ8項目」の中には次のような項目がある。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

ユダヤ・キリスト教は、父性的な宗教であるが、その性格は砂漠や遊牧民との関係が密接である。そして、遊牧民や牧畜民ともっとも関係の薄い文明のひとつが日本文明なのだ。次回は、この点と梅棹の主張とを比べながら検討をすすめたい。

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日本文化のユニークさ8項目
日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった
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遊牧・牧畜と奴隷制度

2012年10月22日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
日本文化のユニークさ7項目にそってこれまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。7項目は次の通り。

日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07)

今回も、(3)「ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。」に関連する記事を集約して整理する。

日本文化のユニークさ40:環境史から見ると(2)
近年、中国文明の源流は黄河流域ではなく長江流域にあったのではないかという説が注目されている。そして、長江文明は、牧畜を伴わない稲作文明であり、森の文明であった。

日本史の通説では、弥生文化は朝鮮半島経由で大量の人々が日本列島に渡来したときに始まるとされていた。そうであれば、当然家畜を伴っていたはずなのに実際はそうではなかった。とすれば弥生文化の基本を作ったのは長江からやってきた越人である可能性も高い。

どちらにせよ弥生人が牧畜を持ち込まなかった、ないしは縄文人が牧畜を取り込まなかったことは、日本文化のその後の性格に大きな影響を与えた。牧畜が持ち込まれなかったために豊かな森が家畜に荒らされずに保たれた。豊かな森と海に恵まれた縄文人の漁撈・採集文化は、弥生人の稲作・魚介文化に、ある面で連続的につながることができた。豊かな森が保たれたからこそ、母性原理に根ざした縄文文化が、弥生時代以降の日本列島に引き継がれていったとも言えるだろう。

一方、ユーラシア大陸の、チグリス・ユーフラテス、ナイル、インダスなどの、大河流域には農耕民が生活していたが、気候の乾燥化によって遊牧が移動して農耕民と融合し、文明を生み出していったという。遊牧民は、移動を繰り返しさまざまな民族に接するので、民族宗教を超えた普遍的な統合原理を求める傾向がが強くなる。

さらに彼らのリーダーは、最初は家畜の群れを統率する存在であったが、それが人の群れを統率する王の出現につながっていく。また、移動中につねに敵に襲われる危険性があるから、金属の武器を作る必要に迫れれた。こうした要素が、農耕民の社会と融合することによって、古代文明が発展していったという。これはまた、母性原理の社会から父性原理の社会へと移行していく過程でもあった。

また天水農業によるムギ作は、かなり粗放的なので、奴隷に行わせることもできた。しかし稲作は、いつ何をするかの時間管理に緻密さが要求され、集約的なので、奴隷に任せることができない。稲作文明で大規模な奴隷制が発生した例は見られない。さらに、家畜管理の技術と奴隷管理の技術は連続的なものだったろうから、稲作・魚介型で牧畜を行わなかった日本では、奴隷制が発生しにくかったのではないか。

牧畜を行わず、稲作・魚介型の文明を育んできた日本は、ユーラシアの文明に対し次のような特徴を持った。

①牧畜による森林破壊を免れ、森に根ざす母性原理の文化が存続したこと。
②宦官の制度や奴隷制度が成立しなかったこと。
③遊牧や牧畜と密接にかかわる宗教であるキリスト教がほとんど浸透しなかったこと。
④遊牧や牧畜を背景にした、人間と他生物の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育んだ。

日本とは何か(1):奴隷制度と牧畜
日本は温暖湿潤で、険しい山地と狭い平野によって構成されているので、水田稲作には向いているが牧畜には不向きだ。日本の歴史には牧畜が存在せず、厳密には有畜農業の経験も乏しい。だから日本の歴史と文明は、牧畜を飛ばして稲作とともに始まったと堺屋はいう。稲作は、面積当たりの収穫量が高いが、一方で労働投入量も非常に高く、しかも家族の単位を超えた共同作業を必要とする。村落共同体による勤勉な共同作業が、勤勉で集団志向という日本人の基本的な性格を作ったというのは確かなことだろう。

堺屋が指摘するのは、牧畜や有畜農業からは奴隷制度が発達しやすい条件が生まれるということである。家畜を使役するとは、意思をもった相手を制御することだ。そこに支配・被支配の関係が生まれる。そこから、意思ももった相手を支配する技術と、それを正当化する思想が生まれる。キリスト教がその正当化のためどう機能したかは、前回取り上げた記事で詳しく検討した。そして日本人は、意思あるものを支配した経験が乏しく、そのせいか、大規模な奴隷制度が発達しなかったのである。

なお、堺屋は日本の特殊な気象と地形から、牧畜と大規模な奴隷制に加え、都市国家をも持つことがなかったという。稲作は、大量の労働力を必要とした。そのため隣の土地を支配した「王」は、そこの住民を殺すよりも働かせた。それゆえ住民もまた、堅固な城壁に立てこもってまで抵抗することはなかった。つまり城壁を巡らせた都市国家を作る必要を感じなかったのである。

こうして日本人は、強烈は支配・被支配の関係を嫌う「嫉妬深い平等主義者」になったという。

《関連記事》
日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった
日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない
日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観

《参考図書》
蛇と十字架・東西の風土と宗教
森のこころと文明 (NHKライブラリー)
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
森を守る文明・支配する文明 (PHP新書)

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遊牧・牧畜と無縁な日本人の生命観

2012年10月20日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
日本文化のユニークさ7項目にそってこれまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。7項目は次の通り。

日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07)

今回から、(3)「ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。」に関連する記事を集約して整理している。

日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった
日本には、牧畜・遊牧文化の影響がほとんどない。日本に家畜を去勢する習慣がなく、したがって人の去勢たる宦官がいなかったのもそのためである。ユーラシア大陸のどの地域にも宦官は存在したのである。また人の家畜化である奴隷制度も根付かなかった。奴隷制度が根付かなかったのは、世界的にはむしろ例外に属するようだ。

旧約聖書を生んだヘブライ人は、もちろん牧畜・遊牧の民であった。ヨーロッパでもまた牧畜は、生きるために欠かせなかった。農耕と牧畜で生活を営む人々にとって家畜を飼育し、群れとして管理し、繁殖させ、食べるために解体するという一連の作業は、あまりに身近な日常的なものであった。それは家畜を心を尽くして世話すると同時に、最後には自らの手で殺すという、正反対ともいえる二つのことを繰り返して行うことだった。愛護と虐殺の同居といってもよい。その互いに相反する営みを自らに納得させる方法は、人間をあらゆる生き物の上位におき、人間と他の生物との違いを極端に強調することだった。

「肉食」という食生活そのものよりも、農耕とともに牧畜が不可欠で、つねに家畜の群れを管理し殺すことで食糧を得たという生活の基盤そのものが、牧畜を知らない日本人の生活基盤とのいちばん大きな違いをなしていたのではないか。

日本人が、ヨーロッパ人の言動に違和感を感じるとき、よく「バタッくさい」という言葉をつかったが、これはまさに牧畜文明に対する馴染みにくさを直感的に表現していたのかも知れない。キリスト教の中にも同じような馴染みにくさを感じるからこそ、日本にキリスト教が定着しなかったのではないだろうか。

日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない
日本人の価値観が、欧米とはもちろん、インドや中国など他のアジアの国々とも大きく隔たり、「日本」と「日本以外の世界」を対比できるユニークさを日本は持っている。それは、「人間-生物-無生物」の中でどこにいちばん大きな境界線を引くかという問題に集約される。

欧米人にとって人間は、被造物全体の中で特別に神の「息吹」を与えれたものとして、他の動物とは本質的に違う。神の似姿である人間は、他の動物より決定的に価値が高い。それは、人間の「理性」に根本的な価値を認め、そこに価値判断の基準を置くからだという。ところが日本人は、「生命」に根本的な価値を認めるので、人間と動物は同じ「生命」として意識され、根本的な境界線は人間を含む「生命」と無生物との間に置かれるという。

この違いを示す面白い例として著者が挙げているのは、愛犬のためにお葬式をしてほしいと神父に頼む日本の老婦人の話である。イタリアから来たファナテリというその神父は、その依頼を受けて心底驚いた。イタリアでは、どんなに無学な人からもペットの葬式をして欲しいという発想は出てこないからだ。

欧米でも子供ならペットの葬式をすることはありうるだろう。しかし大人からはそういう発想は出てこないという。欧米では、大人と子供の世界は違っており、その間もはっきりとした境界線がある。そこにもやはり「理性」が育っているかいないかの価値判断が働いているらしい。

ところが日本では、大人と子供の世界が連続しており、しかも欧米で言えば子供の発想であるペットの葬式が当然のように大人の世界でも真面目に行なわれる。日本製アニメの世界的な流行の背景には、大人と子供の世界が連続しているという日本の文化的な特質が大きな要素としてあるかも知れない。大人が抵抗なくマンガ・アニメを見るのもそうだが、作り手の方も、欧米から見ると子供的な発想を保ったまま製作にかかわれるのだろう。

日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観
「日本」と「非日本」とを対比し、日本人の生命観のユニークさをあえて際立たせるなら、図式としては次のようになる。

非日本人  絶対的な価値をもつものの本体(神)≒人間 →→(隔絶)→→ 動物・物
日本人   絶対的な価値をもつものの本体 →→(隔絶)→→ 生命(人間・動物)∥物

日本人は、「絶対的な価値をもつものの本体」(形而上学的な原理)を打ち立てて、それとの関係で人間の価値を理解するような思考が苦手である。そうした思考法とは無縁に、人間も他の生き物や物と同じように、はかない存在ととらえる傾向がある。それに対して大陸の諸民族は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教教徒はもちろん、ブラフマン=アートマンの世界観を抱くインド人も、儒教中心の中国人も、多かれ少なかれ形而上学的な原理によって人間を価値付ける傾向があるという。儒教も、人間は自然界の頂点に立つ特別の選ばれた存在であるとみなすという。

《関連図書》
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
★『一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)
コメント (3)
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日本とは何か(1):奴隷制度と牧畜

2012年07月10日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
◆『日本とは何か (講談社文庫)

堺屋太一のこの本は、1991年に出版されている。私は1993年に読んでいるから、ざっと20年前だ。最近読み直してみて、私が「日本文化のユニークさ」7項目として取り上げてきたこととかなり重なることを改めて感じた。私がこの本から直接影響を受けていた部分もあるだろうが、それよりも、こ本に書かれた内容がある程度、共通認識になっており、間接的にその影響を受けた面もあるだろう。日本文化論や日本人論において、それだけ影響力のあった本だと思う。

ただし、この本にも限界はある。それは、狩猟時代の文明は「今日の文明を考えるうえでどの程度の影響力を持つかは疑問だ」とし、農耕以前の時代を視野に入れていないことだ。したがって、日本とは何かを考える上で縄文時代が持つ意味についてもほとんど考慮しない。しかし私にとっては、「日本文化のユニークさ」を考える上で縄文時代が果たした役割は、ますます重要だと感じられるようになっている。そうした視点の違いからこの本を考え直してみたいと思った。

この本の第一章「平成の日本」は、今から20年以上前の日本の状況を語っており、抱える課題も現代とだいぶ違うので触れない。第二章「平和と強調を育てた『風土』」で歴史的な視点からの日本論が始まるが、その最初の節の見出しは「稲作からはじまった日本文化」である。この見出しからしてすでに縄文時代からの視点がない。したがって堺屋には、「日本文化のユニークさ」7項目のうち、

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

のような視点はない。7項目のうちまず関係するのは、「(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した」である。

日本は温暖湿潤で、険しい山地と狭い平野によって構成されているので、水田稲作には向いているが牧畜には不向きだ。日本の歴史には牧畜が存在せず、厳密には有畜農業の経験も乏しい。だから日本の歴史と文明は、牧畜を飛ばして稲作とともに始まったと堺屋はいう。稲作は、面積当たりの収穫量が高いが、一方で労働投入量も非常に高く、しかも家族の単位を超えた共同作業を必要とする。村落共同体による勤勉な共同作業が、勤勉で集団志向という日本人の基本的な性格を作ったというのは確かなことだろう。

稲作を始めたあと、牧畜や有畜農業をほとんど知らず、家畜とのかかわりが少なかったことが日本人にどのような生命観を持たせたかは、このブログでもすでに詳しく触れた。

日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった
日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない
日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観

堺屋が指摘するのは、牧畜や有畜農業からは奴隷制度が発達しやすい条件が生まれるということである。家畜を使役するとは、意思をもった相手を制御することだ。そこに支配・被支配の関係が生まれる。そこから、意思ももった相手を支配する技術と、それを正当化する思想が生まれる。キリスト教がその正当化のためどう機能したかは、上にリンクした記事で詳しく検討した。そして日本人は、意思あるものを支配した経験が乏しく、そのせいか、大規模な奴隷制度が発達しなかったのである。

このブログでは、牧畜を行わず、稲作・魚介型の文明を育んできた日本を、ユーラシアの文明に対し、次のような特徴をもつものとしてまとめた。→日本文化のユニークさ40:環境史から見ると(2)

①牧畜による森林破壊を免れ、森に根ざす母性原理の文化が存続したこと。
②宦官の制度や奴隷制度が成立しなかったこと。
③遊牧や牧畜と密接にかかわる宗教であるキリスト教がほとんど浸透しなかったこと。
④遊牧や牧畜を背景にした、人間と他生物の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育んだ。

ここでは詳述しないが、これらは多かれ少なかれ縄文時代以来の日本の文化を抜きにしては語れない。たとえば、日本列島に有畜農業がほとんどなかったのは、弥生人が持ち込まなかったのか、縄文人が取り入れなかったのかという問題もあるわけで、少なくともはじめから縄文文化を無視して論じるべきではない。また、日本にキリスト教がほとんど浸透しなかったのは、私たちが無意識に持っている縄文的な生命観とキリスト教とのそれとの間にに大きな隔たりがあることも一つの理由だろう。→日本文化のユニークさ02:キリスト教が広まらなかった理由

なお、堺屋は日本の特殊な気象と地形から、牧畜と大規模な奴隷制に加え、都市国家をも持つことがなかったという。稲作は、大量の労働力を必要とした。そのため隣の土地を支配した「王」は、そこの住民を殺すよりも働かせた。それゆえ住民もまた、堅固な城壁に立てこもってまで抵抗することはなかった。つまり城壁を巡らせた都市国家を作る必要を感じなかったのである。

こうして日本人は、強烈は支配・被支配の関係を嫌う「嫉妬深い平等主義者」になったという。
コメント (8)
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日本文化のユニークさ40:環境史から見ると(2)

2012年04月12日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
◆『環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)

◆『蛇と十字架・東西の風土と宗教

引き続き「日本文化のユニークさ」5項目を、上の二つの本を参考にしながら検討していきたい。今回は、『環境と文明の世界史』を中心に、2項目目を見ていく。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚介型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

日本の穀物・魚介文化は、より限定的に稲作・魚介文化と言ってもよいが、ともあれ牧畜を伴わなかったことの意味はきわめて大きく、日本文化のユニークさを形づくるきわめて大切な要素だ。

四大文明はムギ作を基盤とした文明であった。そのため、これまでの世界史はムギ作を中心に描かれ、コメの文明は不当に扱われる傾向があった。ムギはコメに比べ生産性が低いので多くは牧畜を伴う。しかし近年、中国文明の源流は黄河流域ではなく長江流域にあったのではないかという説が注目されている。そして、長江文明は、牧畜を伴わない稲作文明であり、森の文明であった。

日本史の通説では、弥生文化は朝鮮半島経由で大量の人々が日本列島に渡来したときに始まるとされていた。そうであれば、当然家畜を伴っていたはずなのに実際はそうではなかった。とすれば弥生文化の基本を作ったのは長江からやってきた越人である可能性も高い。

どちらにせよ弥生人が牧畜を持ち込まなかった、ないしは縄文人が牧畜を取り込まなかったことは、日本文化のその後の性格に大きな影響を与えた。牧畜が持ち込まれなかったために豊かな森が家畜に荒らされずに保たれた。豊かな森と海に恵まれた縄文人の漁撈・採集文化は、弥生人の稲作・魚介文化に、ある面で連続的につながることができた。豊かな森が保たれたからこそ、母性原理に根ざした縄文文化が、弥生時代以降の日本列島に引き継がれていったとも言えるだろう。

一方、ユーラシア大陸の、チグリス・ユーフラテス、ナイル、インダスなどの、大河流域には農耕民が生活していたが、気候の乾燥化によって遊牧が移動して農耕民と融合し、文明を生み出していったという。遊牧民は、移動を繰り返しさまざまな民族に接するので、民族宗教を超えた普遍的な統合原理を求める傾向がが強くなる。(この事実は「日本文化のユニークさ」5項目のうち(3)(4)とも関係する。)

さらに彼らのリーダーは、最初は家畜の群れを統率する存在であったが、それが人の群れを統率する王の出現につながっていく。また、移動中につねに敵に襲われる危険性があるから、金属の武器を作る必要に迫れれた。こうした要素が、農耕民の社会と融合することによって、古代文明が発展していったという。これはまた、母性原理の社会から父性原理の社会へと移行していく過程でもあった。

また天水農業によるムギ作は、かなり粗放的なので、奴隷に行わせることもできた。しかし稲作は、いつ何をするかの時間管理に緻密さが要求され、集約的なので、奴隷に任せることができない。稲作文明で大規模な奴隷制が発生した例は見られない。さらに、家畜管理の技術と奴隷管理の技術は連続的なものだったろうから、稲作・魚介型で牧畜を行わなかった日本では、奴隷制が発生しにくかったのではないか。

さらにムギ作は、天水農業の下では個人の欲望を解放する傾向をもつという。水に支配される度合が少なく、自分が所有する土地を好きなように耕作できるからだ。一方稲作は、水の管理が重要で、共同体に属して協調しないと農耕がしにくい。その分、個人の欲望は解放しにくいわけだ。

牧畜を行わず、稲作・魚介型の文明を育んできた日本は、ユーラシアの文明に対し、どのような特徴をもったのだろうか。

①牧畜による森林破壊を免れ、森に根ざす母性原理の文化が存続したこと。
②宦官の制度や奴隷制度が成立しなかったこと。
③遊牧や牧畜と密接にかかわる宗教であるキリスト教がほとんど浸透しなかったこと。
④遊牧や牧畜を背景にした、人間と他生物の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育んだ。

これらの特徴のうち、③と④については以下で論じているので参照されたい。

《参考図書》
蛇と十字架・東西の風土と宗教
森のこころと文明 (NHKライブラリー)
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
森を守る文明・支配する文明 (PHP新書)

《関連記事》
日本文化のユニークさ01:なぜキリスト教を受容しなかったかという問い
日本文化のユニークさ02:キリスト教が広まらなかった理由
日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった
日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない
日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観

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日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観

2010年05月29日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
◆『日本人の価値観―「生命本位」の再発見』(立花均)02

前回の記事(05)について、ミラーブログの方に、「日本」と「日本以外の世界」という分け方は少し乱暴なのではないか、というコメントをいただいた。ところが、この本の主張のいちばん重要な部分が、「日本」と「非日本」とを対比し、日本人の生命観のユニークさを際立たせせることなのである。図式としては次のようになる。

非日本人  絶対的な価値をもつものの本体(神)≒人間 →→(隔絶)→→ 動物・物
日本人   絶対的な価値をもつものの本体 →→(隔絶)→→ 生命(人間・動物)∥物

日本人は、「絶対的な価値をもつものの本体」(形而上学的な原理)を打ち立てて、それとの関係で人間の価値を理解するような思考が苦手である。そうした思考法とは無縁に、人間も他の生き物や物と同じように、はかない存在ととらえる傾向がある。それに対して大陸の諸民族は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教教徒はもちろん、ブラフマン=アートマンの世界観を抱くインド人も、儒教中心の中国人も、多かれ少なかれ形而上学的な原理によって人間を価値付ける傾向があるという。儒教も、人間は自然界の頂点に立つ特別の選ばれた存在であるとみなすという。

著者は、日本人の価値観・生命観が、欧米とはもちろん、インドや中国など他のアジアの国々とも大きく隔たるユニークさをもつに到った理由を、明確に述べているわけではない。
しかし、もし日本人が、「日本以外の世界」と対比されるユニークさを持っていると言えるとすれば、この「日本文化のユニークさ」という連載を始めた最初に掲げた三つの理由に集約できるのではないか。つまり次の三つである。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

(1)についてはすでに論じたが、今回のテーマとの関連で言えば、土器を使いながら本格的な農耕・牧畜を伴わない豊かな新石器文化が長く続いたため、流入した大宗教(仏教)や儒教も、その基層文化を抹殺することなく、共存・融合した。大陸の多くの地域と違い、自然崇拝的、アニミズム的心性が色濃く残った。だから形而上学的な原理によって人間を価値付けようとする傾向も、本格的には取り入れられなかった。

(2)に関しては、すでに『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見)』などを参照しながら論じた。この牧畜・遊牧を本格的には導入しない農耕文化というのも、かなりユニークである。私は、これもまた日本人のアニミズム的心性を色濃く残したもう一つの大きな理由だと思う。

肉食が、直接的に、人間と他の生命を分離する価値観を生み出すのではないことはすでに触れた。しかし『日本人の価値観』の著者は、『肉食の思想』をそのように誤読している。実際は、「肉食」というよりも牧畜・遊牧という「生活形態」こそが、そのような価値観を生み出すのである。つまり多量の家畜をつねに育て、管理し、その交尾を日常的に目撃し、育てた家畜を解体して食べる、それが生活の重要な一部であればこそ、人間と家畜との徹底的な違いを強調せざるを得なかったのである。

(3)についはまだ論じていない。これについては、グレゴリー・クラーク 『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』という本を取り上げなら論じたい。この著者も、また別の理由から「日本」と「日本以外の世界」の違いを強調する。

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日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない

2010年05月07日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
◆『日本人の価値観―「生命本位」の再発見』(立花均)01

独立した項目でこの本の書評という形にしてもよかったのだが、「日本文化のユニークさ04」と関連が深く、その流れの中で書きたいので「日本文化のユニークさ05」とした。

著者は、日本人の価値観が、欧米とはもちろん、インドや中国など他のアジアの国々とも大きく隔たり、「日本」と「日本以外の世界」を対比できるユニークさを日本は持っていると主張する。それは、「人間-生物-無生物」の中でどこにいちばん大きな境界線を引くかという問題に集約される。

欧米人にとって人間は、被造物全体の中で特別に神の「息吹」を与えれたものとして、他の動物とは本質的に違う。神の似姿である人間は、他の動物より決定的に価値が高い。それは、人間の「理性」に根本的な価値を認め、そこに価値判断の基準を置くからだという。

ところが日本人は、「生命」に根本的な価値を認めるので、人間と動物は同じ「生命」として意識され、根本的な境界線は人間を含む「生命」と無生物との間に置かれるという。

この違いを示す面白い例として著者が挙げているのは、愛犬のためにお葬式をしてほしいと神父に頼む日本の老婦人の話である。イタリアから来たファナテリというその神父は、その依頼を受けて心底驚いた。イタリアでは、どんなに無学な人からもペットの葬式をして欲しいという発想は出てこないからだ。

欧米でも子供ならペットの葬式をすることはありうるだろう。しかし大人からはそういう発想は出てこないという。欧米では、大人と子供の世界は違っており、その間もはっきりとした境界線がある。そこにもやはり「理性」が育っているかいないかの価値判断が働いているらしい。

ところが日本では、大人と子供の世界が連続しており、しかも欧米で言えば子供の発想であるペットの葬式が当然のように大人の世界でも真面目に行なわれる。日本製アニメの世界的な流行の背景には、大人と子供の世界が連続しているという日本の文化的な特質が大きな要素としてあるかも知れない。大人が抵抗なくマンガ・アニメを見るのもそうだが、作り手の方も、欧米から見ると子供的な発想を保ったまま製作にかかわれるのだろう。(この本のレビュー続く)

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日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった

2010年05月05日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
今回は、三つの論点のうち(2)を取り上げる。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

日本文化のユニークさの背景に、日本人が牧畜生活を知らず、また遊牧民との接触がほとんどなかったことがあると指摘する論者は何人かいる。(『日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)』、『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)』、『アーロン収容所 (中公文庫)』など)

日本には、牧畜・遊牧文化の影響がほとんどない。日本に家畜を去勢する習慣がなく、したがって人の去勢たる宦官がいなかったのもそのためである。ユーラシア大陸のどの地域にも宦官は存在したのである。また人の家畜化である奴隷制度も根付かなかった。奴隷制度が根付かなかったのは、世界的にはむしろ例外に属するようだ。

ヨーロッパの牧畜文化が、その思考法や価値観にどのような影響を与えたかを考察することによって、日本人の思考法や価値観との違いを浮き上がらせたのが、鯖田豊之の『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)』である。

旧約聖書の中には、人間と他の動物を明確に区別する考え方がはっきりと表現されている。

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女に創造された。‥‥神はいわれた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。』」(創世記)

旧約聖書を生んだヘブライ人は、もちろん牧畜・遊牧の民であった。ヨーロッパでもまた牧畜は、生きるために欠かせなかった。農耕と牧畜で生活を営む人々にとって家畜を飼育し、群れとして管理し、繁殖させ、食べるために解体するという一連の作業は、あまりに身近な日常的なものであった。それは家畜を心を尽くして世話すると同時に、最後には自らの手で殺すという、正反対ともいえる二つのことを繰り返して行うことだった。愛護と虐殺の同居といってもよい。その互いに相反する営みを自らに納得させる方法は、人間をあらゆる生き物の上位におき、人間と他の生物との違いを極端に強調することだった。

ユダヤ教もキリスト教も、このような牧畜民の生活を多かれ少なかれ反映している。たとえば、放牧された家畜の発情期の混乱があまりに身近であるため、そのような動物との違いを明確にする必要があった。その結果が、一夫一婦制や離婚禁止という制度だったのかも知れない。

「肉食」という食生活そのものよりも、農耕とともに牧畜が不可欠で、つねに家畜の群れを管理し殺すことで食糧を得たという生活の基盤そのものが、牧畜を知らない日本人の生活基盤とのいちばん大きな違いをなしていたのではないか。

日本人が、ヨーロッパ人の言動に違和感を感じるとき、よく「バタッくさい」という言葉をつかったが、これはまさに牧畜文明に対する馴染みにくさを直感的に表現していたのかも知れない。キリスト教の中にも同じような馴染みにくさを感じるからこそ、日本にキリスト教が定着しなかったのではないだろうか。

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