クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

環境特許は日本断トツ 

2009年04月17日 | 全般
今回は、日本のポップカルチャーや食文化の話題ではないが、日本の環境関連での技術力の強さを示す記事を取り上げたい。昨日の記事だ。

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◆太陽電池やエコカー、環境特許は日本断トツ 特許庁調査
(2009年4月16日、asahi.com)

地球温暖化対策で注目が集まる太陽電池や次世代自動車などの特許出願で、日本は世界で圧倒的に多い――。特許庁が15日発表した「特許出願技術動向調査」でこんな姿が明らかになった。環境技術に強いとされる日本企業の実力を裏付けた形だが、次世代型の太陽電池では欧米勢が優位に立っており、将来も安泰とは言い切れない。

この調査は、出願件数の多い日本、米国、欧州、中国、韓国の最近の出願状況をまとめたもの。

太陽電池の分野では、00~06年に出願された7970件のうち68%は日本の企業や研究機関によるもので、欧州の15%、米国の11%を引き離した。ただ、製造コストが安く将来の普及が見込まれる次世代の有機半導体系では、668件のうち日本は46%にとどまり、米国29%、欧州19%と欧米の合計を下回っている。

ハイブリッド、電気、燃料電池といった次世代型自動車の分野では、01~06年に出された特許のうち69%を日本勢が占めた。

特許庁は「今後も世界の環境技術をリードできるように、日本の企業や研究機関は研究を怠らず、戦略的に特許を取得することが必要だ」と指摘している。(高野真吾)

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この記事では、「‥‥世代の有機半導体系では、668件のうち日本は46%にとどまり、米国29%、欧州19%と欧米の合計を下回っている」と、表現は否定的になっているが、それでも米国、欧州全体をあわせて48%に対して、日本一国で46%とほぼ肩を並べているのでる。「安心はできない」という意味で、否定的な表現になっているのかも知れないが、この分野でも日本が、他に抜きんでてトップを走っているのは事実だろう。

さて、環境特許に限らず、特許などの知的財産収支において、日本は黒字国となっており、今後この黒字は、ますます大きくなっていくことが予想される。今のところ、2位の日本はアメリカに大きく差をつけられているが、今後この差は大幅に縮小していくだろう。これは、の記事などでも分かる日本の特許出願の多さからも推測できることでる。

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◆日本の特許など知的財産収支は46億ドルの黒字、世界第2位に浮上(ITI)
[2008/05/12]

国際貿易投資研究所(ITI)がまとめた2006年度の世界各国の特許等使用料収支データによると、日本の黒字が過去最大の約46億ドルに達し、05年の4位から2位に浮上したことが分かった。これは、特許や商標、著作権などの知的財産権の使用料について、各国が海外から受け取った額と、支払った額の差額を集計したもの。日本は06年に200億9600万ドルを受け取り、155億ドルを支払った。黒字額1位は前年同様に米国で、約359億ドルと2以下を大きく引き離した。以下、3位英国、4位フランス、5位スウェーデンと続く。

赤字額が最も大きかったのはアイルランド。197億8800万ドルの赤字となった。以下、シンガポールが約97億ドルの赤字、中国が約64億ドルの赤字、カナダが約41億ドルの赤字、韓国が約25億ドルの赤字と続いた。

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「漫画に見る韓日の違いとは」

2009年04月13日 | マンガ
4月6日、7日、11日の3回、「日本のポップカルチャーの魅力」と題して、これまでアップしてきたいくつかの記事の内容を箇条書きにまとめた。一部エリートや上流層に作られ支配される消費社会ではない、本当に庶民や女・子どもが主人公の消費社会、知的エリートに統制されない大衆社会が日本に形成されつつあり、そこから発せられるコンテンツだから世界の共感を呼ぶ、という内容だった。昨日の「朝鮮日報」に、ちょうど関連がありそうな記事が載っていたので紹介する。記事といっても本のレビューだが。

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◆漫画に見る韓日の違いとは(朝鮮日報/朝鮮日報日本語版:2009/04/12)

【新刊】チェ・セッピョル、崔洽著『漫画! 文化社会学的読み方』(梨花女子大出版部)

日本の漫画『美味しんぼ』は、美味しい料理を取材する新聞記者の冒険談を描いた作品だ。この漫画の中で韓国人は、大抵の場合、日本人よりもほお骨が大きく出っ張り角ばった顔の持ち主として描かれている。日本人と韓国人の見た目に大きな違いはないが、このように描く理由は何か。

押しが強く、自国の文化に対する自負が過剰なまでに強いといわれる韓国人に対する日本人の「先入観」がにじみ出ている画法だ。

本書『漫画! 文化社会学的読み方』は、小さな子どもが読む低学年向けとみなされることが多い漫画を、学問分析の対象とした独特な本だ。チェ・セッピョル梨花女子大社会学科副教授と、本紙で漫画愛好家として有名な崔洽(チェ・フプ)経済部記者が、「文化社会学」と「漫画」を同じ器に盛ってもみ溶かし、1冊の本として完成させた。ちなみにこの二人は兄妹同士だ。

二人の著者はひとまず、文化テキストは社会を映す鏡であると同時に、社会によって制限あるいは決定されると見る「反映理論」の観点から、人気漫画『キャンディ・キャンディ』の主題歌を注意深く分析した。

同じメロディーを使ってはいるが、日本の原曲がはつらつとした軽快な感じに編曲されているのに対し、韓国の主題歌は遅めのテンポで味がある、という特徴が見られる。歌詞の面でも、日本の原曲は「そばかすなんて 気にしないわ はなぺちゃだって だって だって お気に入り」といった明朗快活な内容を盛り込んでいる。一方韓国の主題歌は、「寂しくても 悲しくても わたしは泣かない 我慢して 我慢して 我慢しなきゃ 泣いたりなんかしない」という悲しみに耐える内容となっている。

著者らはこれを「1970年代の両国における女性の立場の違いから生じた現象だ」と分析している。「キャンディは本来、戦いながら自分の人生を開拓する積極的で活発な少女だが、当時の韓国社会は、そうした積極的な女性を受け入れられる雰囲気ではなかったため」、韓国ではキャンディが「耐える天使」として翻案された、というのがその解釈だ。

日本の漫画『魔女っ子メグちゃん』は、韓国では『妖術天使コップニ』とタイトルそのものが変わった。主題歌の歌詞も、日本の原曲では「二つの胸の膨らみは 何でもできる証拠なの」というところ、韓国では「たとえ女に生まれても 男でもできないことをてきぱきこなす」と、極めて受動的な内容に改められている。これもまた、同じ流れで読み解くことができる。

また著者らは、無条件に漫画を暴力的で有害な媒体だとみなす既存の見方について批判した。16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャムが残した「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉のように、「堕落した大衆文化が美しい高級文化を駆逐する可能性がある」との視点には、無理があるというわけだ。

人気連載漫画『鉄腕アトム』は、日本のロボット産業を変貌させた。また、2003年まで『週刊少年ジャンプ』で連載されていた人気漫画『ヒカルの碁』のお陰で、1998年には390万人にも達しなかった日本の囲碁人口が、2004年には450万人に増えたという。こうした点には、自然とうなずける。(ソン・ヘジン記者)

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1970年代の日本ですでに、「はつらつとして軽快」、「明朗快活」な、「戦いながら自分の人生を開拓する積極的で活発な少女」が、マンガやアニメの主人公となり、ひろく共感を呼び、受けられていた。一方、韓国では「積極的な女性を受け入れられる雰囲気ではなかったため」、キャンディが「耐える天使」として翻案さたという。

しかし、テーマソングのイメージを変えてもストーリーを中心とした作品全体を変えることはできないから、キャンディの積極的なイメージはそのまま作品のメッセージとして韓国でも受け入れられていったであろう。あるいは、自分の国にはない何かとして、違和感を感じつつ、同時に魅力や憧れを感じていたのかもしれない。いずれにせよ、韓国の少女たちの意識に少なからず影響を与えていたのだ。

少なくとも一面において、マンガやアニメに、日本の大衆社会(この場合はとくに女性)の生き方や価値観が反映されていることは確かであり、それが、それを見る様々な国の人々への強烈なメッセージとなっているのも確かであろう。

日本発のマンガやアニメを楽しむ世界の人々は、そこに自国の社会や文化にない何かを発見し、それをクールと感じている場合が多いのだ。
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「世界一グルメな都市」は東京

2009年04月11日 | 世界に広がる日本食
「世界一グルメな都市」は東京=米誌という、食関係の最新のニュースをきっかけに日本食に関係するニュースを、過去にさかのぼっていくつか拾った。

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◆「世界一グルメな都市」は東京=米誌‥‥‥4月10日13時37分配信 ロイター

[ニューヨーク 9日 ロイター] 米フード・アンド・ワイン・マガジン誌が選ぶ「グルメのための都市」に2年連続で東京がトップに輝いた。革新的なレストランの豊富さと素材の素晴らしさがその理由。

2位はバルセロナで、次いでコペンハーゲン、ロンドン、ニューヨークとなった。

最先端の料理と活力ある食事情を格付けする同ランキングは今年で4回目。
 
同誌の旅行部門編集者ジェン・マーフィー氏は「東京は確固たる『食の都市』だ」とコメント。その上で「東京はシェフたちが革新を求めに行く場所であるとともに、伝統的な食の歴史をも持ち合わせている」と述べ、東京の首位は圧倒的ものだと評価した。

また、今回のランキングでは、ミシュランガイドで評価された多くのレストランを有し、昨年2位だったパリが圏外となる意外な結果にもなっている。

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ちなみにこの米誌のランキング5位までは、以下の通り。

1. 東京
2. バルセロナ
3. コペンハーゲン
4. ロンドン
5. ニューヨーク

ミシュラン東京版での評価と並んで、東京が世界一のグルメとしという評価はかなり定着してきたようである。ちなみにミュシュラン東京版が始めて刊行された2007年、「ミシュラン東京版は東京の飲食店百五十店に計百九十一個の星をつけた。一方、フランス公共ラジオによると、パリのレストランが保有する星の総数は九十七個(パリ郊外を除く)、ニューヨークは五十四個にとどまる。ミシュランの評価に従えば、パリやニューヨークは美食の層の厚さにおいて東京にかなわないことになる」と評価された。この評価は、2009年度版でもゆるぎない、というよりますますはっきりしてきたようだ。

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◆「ミシュランガイド09版」、東京が世界最多の三ツ星都市に(2008年11月19日 ibtimes.com )

レストラン格付け本「ミシュランガイド」東京編の09年版(21日発売)の概要が18日に発表され、最高評価の三つ星が昨年より1店増えて9店となった。これで東京はパリと並び世界で最も三つ星が多い都市となった。

このほか、二つ星は昨年から14店が新しく追加され計36店、一つ星は35店追加の計128店となった。東京の星の総数227個はパリやニューヨークを抑えて世界最多。

今回、三ツ星として新たに加えられたのは、東京・神楽坂にある日本料理店「石かわ」。掲載店舗は、日本料理が約6割は占めており、フランス料理がそれに続く。

08年版では欧州人を中心に選考されたことにより一部から不満が出たため、それを配慮した上で09版では審査員の9割強が日本人という。

評価基準は、三つ星が「そのために旅行する価値がある料理」、二つ星が「遠回りしてでも食べる価値がある料理」、一つ星が「一流の料理」。

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ミシュランは「ミシュランガイド」の京都・大阪版を今年10月に出版するようで、07年秋から現地に調査員が入っているということだ。 しかし京都の老舗の中には、「ミシュランガイド」への掲載を拒否するところも多く、京都版がどうなるか、話題になっていた。

一方、ニューヨークミュシュランの最新版にすし点が3つ星で掲載されたというニュースも数日前に流れた。

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◆すし店が初の3つ星獲得 NYミシュランの最新版

【ニューヨーク6日共同】レストランやホテルの格付けで世界的権威の「ミシュラン」は6日、2009年のニューヨーク版ですし店「雅(MASA)」に最高評価の3つ星を与えたと発表した。同版で日本料理店への3つ星は初めて。雅は08年版では2つ星だった。

昨年発売が始まったミシュラン東京版で多くの日本料理店に星が与えられるなど世界的に日本料理への評価は高まっているが、ミシュランは「料理の品質、個性などを総合的に評価し選んだ」としている。今回のニューヨーク版で、3つ星は計4店で、雅のほかに高級フランス料理「ジャン・ジョルジュ」などが選ばれた。

雅は東京の有名すし店で修業した高山雅氏が04年にマンハッタンに開いた超高級店。お任せコースで1人前400ドル(約4万円)以上という値段にもかかわらず、ニューヨークのセレブ御用達で予約が取れないことで知られる。

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世界の和食ブームという件も含めて、日本の食文化が注目されている。これは、日本のポップカルチャーを中心とした日本文化全体に注目が集まっていることと無関係ではないだろう。

ただ、一方で考えるべき問題点もある。食べ残しの問題だ。日本ではコンビニ弁当を日に300万食、食べ残すという。農林水産省の統計によると、日本国全体が食べ残す食料は、物質にすると世界の発展途上国に対する食料援助の三倍にあたるという。これが、いずれ世界の問題とならないとも限らない。

日本の食糧自給率が三十数パーセントというが、本当に食料危機に陥ったら、食べ残しのような無駄をしている余裕はなくなるから、自給率はもっと高くなるだろう。

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日本のポップカルチャーの魅力(3)

2009年04月11日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
これまで、日本のポップカルチャーの波及力の背景に、日本の庶民、大衆層のパワーや価値観の魅力があることを見てきた。確かに日本の大衆のレベルは高く、しかも層の厚さとしても、社会や文化を形成する力としても、日本の中心となっている。一部エリートや上流層に作られ支配される消費社会ではない、本当に女・子どもが主人公の消費社会、知的エリートに統制されない大衆社会が形成されつつあるようだ。 今回は、その辺に注目してまとめてみよう。

5)子ども文化と大人文化の区別のなさ
欧米では子ども文化であるマンガ、アニメ、ゲームだが、日本では、はっきりとした区別はなく大人をも含んだ領域としても確立している。マンガ、アニメ、ゲームは、大人が子どもに与えるものではなく、大人をも巻き込んだ独立したカルチャーとしての魅力や深さをもっている。子供と大人の領域が融合しているため、エロや暴力の表現が、子供の世界にまで入り込んでいるが、これがコンテンツの国際競争力の強さになっている現実もある。

一方で、日本では、子供が自分で欲しいものを買うという形で、子供の需要がストレートに商品化される。よく知られるように連載マンガのストーリーは、読者である子どもからのフィードバックを通して変えられたり発展されたりする。これは、子どもが独立した消費者となっているからこそ可能なことだ。欧米では、子どもが何を買わせるかついて親が支配する度合いが高いようだ。(『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』)

6)女性自身のメディアの確立
女性自身が、近い年代の女性に向けて描くというマンガのジャンルを発達させたのは日本だけだという。欧米でもアジアでも、女性たち自身のメディアがあることが衝撃的なようだ。女性自身のためのマンガというのは、文化的な影響が強く、特に東アジアでは、同じようにマンガを描きたいという女性が多いという。2000年代以降、欧米でも急速に女性による女性のための日本マンガを読むようになっている。これは、マンガを通して、その背景にある日本の文化や価値観が世界にひろがっていく例のひとつだろう。日本のマンガやアニメが世界に受け入れられる背景には、その背後にある文化や生活様式の全体が、好意的に受け入れられ、ひろがっていくプロセスがあると見てよい。

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日本のポップカルチャーの魅力(2)

2009年04月07日 | マンガ・アニメの発信力の理由
引き続き、日本のポップカルチャーの魅力の背景に何があるかを探っていこう。すでに触れたように日本では、大人の男性が(特に知的エリート)が支配する社会形態が崩れ、「大衆・女・子ども」が、消費社会の主流にあって、みずから文化をリードしているようだ。

3)巨大な中間層、大衆が生み出す文化
日本の社会は、階層性のきわめて少ない、巨大な中間層が中心をなし、大衆を形成している社会だ。そのような大衆が生み出す価値観が、マンガの中に自ずと反映されており、それが日本のマンガが受け入れられるひとつの背景になっているかも知れない。マンガは、そうした巨大な「中間層」に消費され、そのような普通の日本人の意識や希望や挫折や喜びや悲しみを反映している。日本人には意識しにくいが、マンガには、外部から見た日本の社会の魅力が、自ずと反映している。だからこそ、それはクールと感じられ、好感ももって受け入れられるのだろう。

4)普通の庶民の価値観が反映している
日本のマンガがここまで受け容れられた背景には、欧米のコミックとのマンガのストーリーづくりの違いにある。顕著な相違点は、「強くもなく、特別でもない主人公が、試練と努力を重ね、強く成長していく」というところだ。 欧米のコミックの主人公は、特別な才能を持っていたり、タフだったりと、いかにもヒーローらしい主人公が多い。無敵の主人公に憧れるタイプのストーリー展開になっている。

その点、日本のマンガの主人公は、落ちこぼれだったり、不良だったり、ごく普通の学生だったり、と最初からヒーローでない場合が多い。普通の人間として、マンガに登場する主人公に共感できる。

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日本のポップカルチャーの魅力(1)

2009年04月06日 | マンガ・アニメの発信力の理由
日本のポップカルチャーが世界に受け入れられているのは、その背景となっている文化や社会が、他の国の人々に何かしら魅力的なものと感じられているからだろう。マンガやアニメを生み出す、日本という国の文化や人々の生き方に引き付けられるものがあり、共感を感じるからだろう。では、日本の文化のどのような面が魅力と感じられ、憧れられているのか。このブログでは、折に触れてこのテーマを探ってきた。ここで、これまでバラバラに触れてきたことを少しまとめてみたい。日本のポップカルチャーの強さの秘密を、ここではまずは大きな視点からまとめ、次第に個別の問題に触れることにしよう。

1)子供観のユニークさ
まず「子供に対する考え方・見方」に魅力がある。マンガ・アニメの中には日本独特の「子供観」があり、それが受け入れられているというのだ。欧米では、子供は未完成なものという認識がある。大人の理性がない存在は、完成された人間としては扱われない。赤ちゃんに対し英語では「it」とう代名詞を使うのはその表れだろう。欧米では、子供っぽいことは否定されるという。「あどけない」「かわいい」という子供らしさは、教育的観点からはマイナスの見方をされるのだ。

一方日本では、「子供は人間らしさの原点」と考えられる。大人になるとは、その無邪気な人間らしさが何がしか失われていくことを意味する。

「日本の躾は、社会のために理性を押し付けるのではなく、人間として本来覚えるべき心がけや行儀礼儀を、本人のために訓練して教えることである。だから、人間の精神世界の内部は自由である。‥‥したがって日本では子供は、そのまま子供らしく暮らせるし、それがマンガに表現されている。」(『数年後に起きていること―日本の「反撃力」が世界を変える』)

2)江戸時代から受け継がれてきた日本的な価値観の魅力
「宗教的な規制がない」、「イデオロギーに縛られない」、「自由奔放に表現する」、「はかないものを愛する」、「自分で働く」、「他人と協力する」などの日本の伝統的な特質が日本マンガの底流に流れている。大宗教、大思想に強く縛り付けれた一神教的世界から比較的自由なライフスタイルが、マンガやアニメに反映されて、大きな魅力をなす。世界が受け入れたオタクやカワイイ(子供らしさの賛美)といった言葉は、単なる表現ではなく、そこに日本人の精神性が反映されており、日本的な文化への憧れが含まれている。宗教やイデオロギー同士が深刻にぶつかり合って戦争を繰り返してきた歴史に対し、「武器よりもポップを!!」というメッセージを世界に広める意味をもっているかも知れない。(『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』、『あと3年で、世界は江戸になる!-新「風流」経済学』など)

(続く)

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欧米にない日本の大衆社会のユニークさ

2009年04月05日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『格差社会論はウソである』(2)

世界中のほとんどどの国にも大衆をがっちり支配する知的エリート階級が存在する。しかし日本ではそのような階級はすでに崩壊してしまったか、崩壊寸前だと著者はいう。何とか自分たちの失地を回復したい日本の知的エリートは、日本について悲観論を繰りかえし、大衆を脅しつけることで支配したいのだ。あらゆる格差の中で知的エリートと大衆との間の格差ほど深刻で、根絶するのが難しい格差はない。ところが日本では、この知的能力格差が消滅寸前に近いという。政治家を一種の知的エリートと捉えれば、そのお粗末さは誰もが納得するだろう。

先に紹介した『上品で美しい国家―日本人の伝統と美意識』や『カウンターから日本が見える 板前文化論の冒険 (新潮新書)』の中で伊藤洋一氏は、日本の文化のいちばん強いところは庶民的であるとともに、民主主義的であることだといった。日本文化が庶民から生まれた民主主義的な文化だからこそ、世界に受け入れられる。これは、知識人と大衆のあいだで知的能力格差が少なく、大衆の知的レベルが高いとうこととも深く関係するだろう。

日本の大衆のレベルは高い。「大衆・女・子どもこそが、日本経済の今後の繁栄を約束する世界一貴重な資源なのだ」と著者はいう。日本では、「女子どもののために」中年男が作りだす消費社会ではない、本当に女子どもが主人公の消費社会、知的エリートに統制されない大衆社会が形成されつつあるというのだ。

よく知られるように連載マンガのストーリーは、読者である子どもからのフィードバックを通して変えられたり発展されたりする。これは、子どもが独立した消費者となっているからこそ可能なことだ。欧米では、子どもが何を買わせるかついて親が支配する度合いが高いようだ。

日本の子どもは、ひとりで電車で学校に通うこともある。小学高学年なら、友だち同士で電車に乗り、遊んで帰ってくる。こんな安全な社会環境が存在するのは日本だけだ。それに比べアメリカの子どもたちにとって自由に動きまわれる街は、郊外ショッピングモールぐらいのものだ。

さらに日本では、おたくや若者が主導する形で新しい文化や街が出来ていく。秋葉原や、池袋の乙女ロードなどがそれだ。子どもが一方的に巨大資本の餌食となっているとしか思えない欧米社会とは、文明の成り立ちが違っている。

日本のポップカルチャーが世界に受け入れられる背景には、女子どもが主人公の消費社会、知的エリートに統制されない独特の大衆社会が形成されているということがあるのかも知れない。

大著といってもよい厚い本なので、その内容のごく一部しか紹介できないのは残念だが、すこぶる興味深くいっきに読んだ。電車の中で夢中になって読み続け、2回も乗り越してしまった。あわや3回目の乗り越しかと思ったが、ドアが閉まる直前に降りることができた。それぐらい、新鮮な視点とデータなどによる説得力に満ちた本であり、強く勧めたい本の一冊だ。

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日本人が幸福と感じる要求水準は世界一高い

2009年04月04日 | 全般
◆『格差社会論はウソである』(1)

この本のタイトルは刺激的だが、けっして現実にある格差を容認しようとする議論ではない。痛ましい現実に正面から立ち向かおうしない言葉だけの格差社会論は論外だが、統計資料などの根拠を示さず、日本の社会を否定的、悲観的にばかり見るのは危険だといっているのだ。マスコミによって暗い情報ばかり与えられていると見えにくいが、日本は今、困難な状況を克服してすばらしい国をつくっていくのにきわめて有利な立場にあるとし、それをしっかりとしたデータに基づいて主張する素晴らしい本だ。

昨日取り上げた「5カ国の青年意識調査」には、「社会に満足していると答えた人は、日本では43・9%にとどまり、米国(67・6%)や英国(61・2%)に大きく差をつけられた」という調査結果もあった。このような調査をすると、日本は社会への満足度が、いつも低く出る。こういう結果を著者は、まったく否定的にとらえない。むしろ「日本人を幸福にするための要求水準は世界一高い」という事実からこの傾向を解釈し、日本人の長所ととらえる。

著者が挙げているデータから二つだけ示すと、たとえば日本で「貧しさのために食事ができなかった、きちんとした医療を受けられなかった、衣服を買えなかった」という経験があると答えた人の比率は、それぞれ4、5%と、先進国の中で突出して低いという。また、日本の高齢者で「困っている」と答えた人の比率は、3・1%で、他の先進国の多くが6%を超えているいるのに対し、はるかに低い。

にもかかわらず社会への満足度が低いということは、日本人の要求水準が世界一高いということで、このような日本人が集まって作る社会は、結果としてさらに素晴らしい社会になっていくだろうというのが、著者の主張だ。

この本で私がいちばん面白かったのは、日本のポップカルチャーが今世界に広がっている理由を日本の社会のユニークさ(知的な格差の少なさ)から論じている部分だが、これについては、すこし後で触れたい。

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日本の良さはきちんと報じられない

2009年04月04日 | 全般
日本のマスコミは、世界での日本に関する好意的な報道を無視する傾向があると書いた。たとえば、英BBC放送と実施する共同世論調査「好影響を与えている国」で日本は、2006年、2007年と連続一位を獲得した(2008年は順位を下げている。日本4位、1独 2加 3英)。調査に協力した読売新聞はともあれ、朝日新聞はこれを取り上げていない。下に掲げる「世界平和度指数」調査の結果も大手マスコミでまともに取り上げられてはいない。

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平和度調査で日本5位 中国、ミャンマーは下落(【共同通信】2008/05/21 08:53)

【ロンドン21日共同】英調査機関などが平和な国をランキング化した2008年の「世界平和度指数」が20日、発表され、日本は昨年と同じ5位で主要国(G8)の中ではトップだった。1位はアイスランド、最下位が2年連続のイラク。中国はチベット情勢などが響き、67位で昨年より7位下げた。民主化勢力を封じ込める軍事政権下のミャンマーは126位(昨年108位)だった。

平和度指数の発表は今年で2回目。対象国は昨年の121カ国から140カ国に増えた。政治の安定性やテロの危険性、犯罪の発生率や武器取引など24項目の要素を、英経済誌エコノミストの調査部門とシンクタンクが連携して分析、数値化した。

上位10カ国は、北欧を中心に8カ国が欧州の国。米国はランキングで考慮される軍事費が突出しているため97位(同96位)で、核開発問題などで欧米と対立するイランが105位(同97位)。ロシアは治安悪化やチェチェン情勢の影響などで131位(同118位)だった。

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ちなみにこの指数が日本より上だったのは、アイスランド、デンマーク、ニュージーランド、ノルウェーといずれも北欧などの小国だ。

このような調査結果は、何かと暗いニュースに沈みがちな日本の国民にもっと積極的に知らせたり、その意味を深く認識して自信や誇りにつなげたりすることがとても大切だと思うが、なぜか日本のマスコミは無視する。たまに取り上げたとしても、その結果を素直に受け止めようとしない。そのよい例が、次の朝日新聞のコラムだ。

先日、このブログで取り上げた、日本が「ベスト・ツーリスト」の一位に選ばれたというニュースに対して2008年6月12日付の「天声人語」は、次のように述べている。

「わが同胞は行儀、静かさ、苦情の少なさなどの項目で点を稼いだ。米国人は金ばなれの良さで首位ながら、騒がしさや服装の評価が集計対象31カ国のビリ。総合の「ワースト」は中国、インド、フランスの順だった。 「かき捨て」たはずの恥まで、まんまと拾われたか。

ただ、ホテルの評判がいいとは、要するに扱いやすいということらしい。きちんと現れ、きれいに泊まり、黙して去る。 お金だけ落としていく風。加えて、日本語メニューの誤りを正してくれる優しさを持ち合わす。

旅に出てまで気を使い、評判だけいいのは悔しくもある。それで割引があるわけじゃなし、苦情や不満はしまい込まず、サービスのプロ集団にひと仕事させるくらいがいい。わがままな上客というのもある。」

礼儀正しさ、行儀のよさ、部屋を汚さないことなど、いずれも日本人の良さが評価されているのであり、素直に喜んで自分たちの資質として自覚すべきことなのに、「天声人語」氏はそうはとらない。逆に評判がいいのは悔しいという。

こういう大手マスコミの傾向にもかかわらず、日本の若者は健全にも「誇り」と「自信」を取り戻しつつあるのだ。

増田悦佐氏の『格差社会論はウソである』の紹介に入るつもりでいたが、上に書いたような日本のマスコミの悪しき傾向については、この本でも徹底的に批判されている。明日には、この本の内容に踏み込んでいこう。
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日本人の誇り、静かに大きな変化が‥‥

2009年04月03日 | 全般
このブログ、この一年で更新したのはわずか5回であった。にもかかわらず最近覗いてみたらアクセス数が毎日120から130もあって、少し驚いた。こんなに訪れてくれる人がいるなら、もっとこまめに更新しようと、思いを新たにしている。

なぜこんなに更新回数の少なかったブログでも訪れる人が多くなったのだろうか。それは、日本人が、日本の社会や文化が持っている優れた面を自覚しはじめ、それをさらにはっきりと確認したいと思い始めたことが影響しているのではないか。自分たちの文化を不当に低く自己評価していきたことに違和感を感じ始め、自分たちの良さを正当に自覚しなおそうとする動きが、静かに、しかしかなりの勢いを伴って進んでいるからではないのか。

次のような最近の新聞記事を読んだ時も、やはり大きな変化が起きているのか、と強い印象をもった。

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8割が「日本人」に誇り 5カ国の青年意識調査(大阪日日新聞:2009年3月28日)

内閣府が28日発表した日本など5カ国の青年に対する意識調査結果によると、日本で「自国人であることに誇りを持っている」と答えた人は、6年前の前回調査より9・1ポイント増の81・7%に上り、1977-78年に実施した調査で聞いて以来初めて8割を超えた。

自国で誇れるもの(複数回答)は「歴史や文化遺産」が59・4%で最も多く、「文化や芸術」が44・7%で続いた。一方、自国人が「国際的視野」を身に付けていると考えている人は、日本が27・8%で最低だった。

日本の歴史や文化・芸術に誇りを感じる若者の増加傾向が明確になった形。経済の低迷などで「内向き」志向が強まっているとも言えそうだ。

調査は日本や韓国、米国、英国、フランスに住む18-24歳の青年約1000人ずつを対象とし、2007-08年にかけて実施した。

自国人であることに誇りを持っていると答えた割合は、米国が91・2%でトップ。以下英国84・1%、日本、韓国78・0%、フランス77・1%の順だった。社会に満足していると答えた人は、日本では43・9%にとどまり、米国(67・6%)や英国(61・2%)に大きく差をつけられた。

日本人のイメージ(複数回答)は「勤勉」「知的」などが上位。「信頼できない」は米、英、フランスが1けた台だったのに対し、韓国では30・5%に上った。

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「日本人であることに誇りを持っている」と答えた人は、6年前の前回調査より9・1ポイントも増えたということは、かなり大きな変化だ。何がこのような変化を引き起こしているのだろうか。おそらく一つの理由は、海外での日本文化や社会への関心や評価が高まっているからだ。大手の新聞やテレビは、そのような海外の評価をほとんど無視する傾向があるが、インターネットでは逆に積極的に拾い集められ、広められていると感じる。若い人たちがが熱心に、世界の中での日本文化の実像を正確に捉えようとしているのだ。

この新聞記事は、日本の歴史や文化・芸術に誇りを感じる若者の増加傾向が明確になった理由を「経済の低迷などで「内向き」志向が強まっている」ことと結びつけようとしているが、なぜ経済の低迷で内向きになることが「誇り」に結びつくのか、説明もなく説得力もない。

社会に満足していると答えた人は、日本では43・9%にとどまり、米国(67・6%)や英国(61・2%)に大きく差をつけられた」ことについても、この記事では否定的に捉えているが、実はここにもまた日本人の高い可能性が秘められているかも知れない。この点については、昨日も書名だけ紹介した増田悦佐氏の『格差社会論はウソである』でユニークな議論が展開されているので近々紹介したい。

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日本の庶民文化の力

2009年04月02日 | coolJapan関連本のレビュー
日本のアニメやマンガが世界にクールと受けとめられ、広がっているひとつの理由は、それが子ども、庶民、大衆の中から自然に生まれ、展開していったからかも知れない。

伊藤洋一氏と日下公人氏との対話本『上品で美しい国家―日本人の伝統と美意識』のなかで、日本の文化が庶民文化だからこそ、世界を席巻するという。たとえば歌舞伎は、江戸初期にに貧しい芸人がやっていた町人の娯楽が人気となり、それが急速に地位が上がって、今では伝統と格式の代表のようになっている。

料理でも、フランス料理や中国料理は宮廷料理として発展したが、日本料理は完全に庶民のものだ。たとえば寿司や天ぷらは、江戸の街角で職人が食べていた。寿司は当時のファーストフードだったのが、いつの間にか高級料理となって世界に広がった。カラオケも庶民の娯楽だが、これがひろがり始めた1970年代ごろから世界の「日本化」が始まったのではないか、と伊藤氏はいう。

伊藤氏はまた、日本の文化のいちばん強いところは庶民的であることだけでなく、民主主義的であることだという。それは「偉ぶった文化」ではないということだ。そこに日本文化のパワーの秘密があるという。日本の文化がなぜ「民主主義的」といえるのかどうか、一見わかりずらいが、氏は日本のカウンターの例をとって説明する。

カウンターでは、食べる人とつくる人が目と鼻の先にいて会話しながら料理をつくる。カウンターを挟んでの料理人と客の関係はいつも対等で、客がえばって失礼な態度をとると追い出されたたりする。またカウンターでは、料理人とそこに居合わせた見ず知らずの客たちが一体となって会話を楽しんだりする。こういう平等性や否権威性が、日本の庶民文化の底に流れているという。

実は伊藤氏は、このカウンターに注目して『カウンターから日本が見える 板前文化論の冒険 (新潮新書)』というユニークな本も書いている。そこでは、カウンターの店の特徴を「基本的に上座下座がない」、「形状は閉じているが、座る人間の関係は、店と客、客同士を含めてきわめてフラットだ」、「面と向かって座るテーブル席より場の雰囲気がほぐれる」、「常に情報の宝庫である」、「店と客のバトルの場でもある」などから捉えて、そこから日本文化の特質を描くことに成功している。

日本文化が庶民から生まれた民主主義的な文化だからこそ、世界に受け入れられるという主張は、最近、ある別の著者の本を読んで、やや別の角度から同様のことが言われているのを知って、ますますそうかも知れないと思うようになった。その本とは、増田悦佐氏の『格差社会論はウソである』だが、これについてはまた項を改めてじっくり語ろう。

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