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平等意識は日本人のDNA:縄文文明の原理05

2013年05月06日 | 現代に生きる縄文
今回は、日本文化のユニークさ8項目の1項目目を、田中英道の『美しい「形」の日本』に触れながらさらに検討してみる。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

現代に至るまで消滅せずに日本人のあり方の基層となっている縄文時代の記憶は次の三点に顕著に見られると私は思う。第一に、豊かな自然の中で育まれた、自然への畏敬を基盤とする宗教的な心性。第二に、農耕の発達にともなう階級の形成や、巨大権力による統治を知らない平等な社会が1万数千年も続いたことから来る強い平等意識。第三に、豊かな自然の恵みを母なる自然の恵みとみなす母性原理の心性である。

今回は再び、第二番目の平等意識についてやや別の角度からとりあげたい。田中英道は上に挙げた本の中で、文字を持つことが高度な文明へ条件だという過度な「文字信仰」を排し、文字を持たなかった高度な文化の意味を積極的に評価している。

世界最古のシュメール文字は、私有財産の記録や法律、契約のために案出されたという。金銭の貸し借りや契約を、形に残る文字という証拠として書きとめ、ある階層が別の階層を支配するために使用したのが文字の始まりだというのだ。その意味で西洋社会は、契約内容を文字として書きとめ証拠とすることを、必要不可欠とみなす伝統を築いてきた。たとえばローマ帝国は、紀元前から版図を広げ、ヨーロッパ大陸を支配した。その支配関係の中でも文字として記された契約や法は重要な意味をもったのである。

一方、一万数千年続いた日本の縄文時代は、素朴で平和な共同体を営み、支配・被支配の関係がほとんどない平等社会だった。それゆれ文字として記録を残すことで人を縛る必要性がまったくなかった。同時に、火焔土器に見られるような「形」の美しさにこだわる高度な文化を形づくっていたのだ。その後、巨大古墳に見られるような何らかの権力構造が生まれるが、日本列島の広範囲におよぶ、きわめて共通性の高い古墳の形態は、文字による記録にたよらない高度な口承文化という長年の伝統があったからこそ確立されたものだった。

四方を海に囲まれた日本列島は、外部からの侵略者もなかったから、侵略者とそれに抑圧される被支配階級という強い階級差も生まれなかった。また大陸に見られるような強大な権力者もいず、限られた土地のなかで比較的に同質性の高い平穏な社会を保つことができた。不要な争いは避けて、きるだけ話し合いで解決し、みんなが共存共栄できるような社会の伝統が築き上げられた。だからこそ、契約や掟や法律といった、人を縛る証拠としての文字をあまり必要としなかったと思われる。

現代でも、契約書がないと何ごとも始まらない西洋人のやり方に、日本人は少なからず違和感を感じるはずだ。現代日本人も、形としての契約書は取り交わすにしても、それ以前にお互いの信頼関係がはるかに重要視される。信頼関係の上に成り立った口約束から、自然に仕事は始まるのである。

さて、日本文化のユニークさ8項目のうち、7番目と8番目は次のようなものであった。

(7)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

ここにも、縄文時代以来の平等意識の記憶が、何らかの形で反映しているとみるべきだろう。アニミズムや自然信仰のような素朴な宗教は文字との関係が薄いが、儒教、仏教、キリスト教、イスラム教といった巨大宗教が、いずれも文字との関係を抜きにしては語れないというのは、たいへん興味深い事実だ。別の言い方をすれば、これらの巨大宗教は多かれ少なかれ、支配・被支配の関係を抜きにして語れないということである。もちろん、これらの宗教が生まれた当初から支配構造を強化する働きを担っていたわけではない。むしろ正反対の性格をもっていたかもしれない。しかし、歴史上何らかのかたちでそのような役割をになったのは確かであろう。たとえば儒教を抜きにして中国の歴代王朝の歴史は語れないだろうし、キリスト教を抜きにしてローマ帝国によるヨーロッパ支配の歴史は語れない。

逆に言えば、日本はそのような巨大宗教によって社会を強力に一元的に支配するほどには、ひどく抑圧された被支配階級や強い不満をもった異質な分子が存在しなかったということである。それだけ社会が、同質で平穏で、共同体としてのまとまりが強かったということである。日本にキリスト教がほとんど流入しなかった理由はこれまでにも何回か触れた。ここでひとつだけ付け加えるなら、唯一絶対神への信仰は、現実の社会の支配・被支配の構造を何らかの形で反映しているということである。日本社会のように強力な専制君主なり独裁者がほとんど必要なかった社会には、唯一絶対の神への信仰は、何かしら異質な信仰形態だったのだと思われる。

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