クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

『あと3年で、世界は江戸になる!-新「風流」経済学』

2009年01月03日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『あと3年で、世界は江戸になる!-新「風流」経済学

平和と繁栄が長く続く国の典型は、江戸時代と今の日本であると著者はいう。江戸時代と、ここ50年ほどに日本が築いてきた文化は、世界に受け入れられる普遍性がある。江戸時代に創造され流行した文化は現在に受け継がれ、そして世界の人々が憧れるものとなった。寿司、天ぷら、サムライ文化、和服などがそうだ。が、それだけではなく、現代日本のマンガやアニメ、JPOPなどにも、日本の伝統的な精神が反映され、それが世界に受け入れられている。

世界が受け入れたオタクやカワイイといった言葉は、単なる表現ではなく、そこに日本人の精神性が反映されており、日本的な文化への憧れが含まれている。著者は、「自分で働く」「他人と協力する」「はかないものを愛する」「自由奔放に表現する」「宗教的な規制がない」「イデオロギーに縛られない」などの日本的な特質が日本マンガの底流に流れているという。近年、世界で放送されるアニメの70%から80%が日本製だともいわれ、そうした媒体を通して日本的なものがかなりの勢いで受け入れられていく現実がある。

著者の予想によれば、工業国として登場したのち文化産業が栄えるには30~40年のタイムラグがあるから、日本が今後、世界の最先端の文化国となるのは、2010年からだという。そのとき日本は、江戸的なものがより復興しているから、世界は「エドナイゼーション」に向かっていくだろうというのだ。

確かに、フランスで10万人規模で毎年行われるJAPAN EXPOや、YouTubeなどで日本アニメに寄せられる世界規模の関心(コメントの多さ)などを考えると、著者の主張もあながち荒唐無稽とは思えない。日本人は、日本が世界でどれほど憧れられているかを知らなすぎる面がある。今、世界で日本文化についてどのようなことが起っているかを正確に把握しておくことは、今後の日本を考える上でも非常に大切である。なお、著者の主張は、ジャパンクールの原点は江戸文化だったという奥野卓司の『ジャパンクールと江戸文化』と読み合わせると面白いだろう。

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日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像

2009年01月02日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像

スタンフォード日本研究センター所長の中村知哉氏らが、「日本ポップカルチャー委員会」なる産学官コミュニティで4年にわたる議論をつみあげ、その成果に基づいて分担執筆したのがこの本である。日本のポップカルチャーの現状と影響力を非常に広い視野からとらえた貴重な本だと思う。今までジャーナリスティックにとりあげられたことはあても、この分野の本格的な研究は、はじまったばかりのようだ。まずは、現状をできるかぎり正確にとらえて、その意味を考える。そういう作業がようやくはじまったのである。

序章では、日本のポップカルチャーのパワーの源泉がどこにあるのかを分析している。一番目にあげられるのは、メディア融合という特徴である。日本のマンガ、アニメ、ゲームは、それぞれが独立した分野というよりも、マンガはアニメ、ゲームの素材となり、逆にアニメに基づいてマンガが描かれ、ゲームがつくられるというような相互依存的な関係をなしている。アニメやゲームはまたJPOPの人気と一体となっている。第二に、欧米ではこども文化であるマンガ、アニメ、ゲームが、日本では大人向けの領域としても確立している。また日本では、子供が自分で欲しいものを買うという形で、子供の需要がストレートに商品化される。第三の特徴は、第二の特徴と深く結びつく。子供と大人の領域が融合しているため、エロや暴力の表現が、子供の世界にまで入り込んでいるのだ。これがコンテンツの国際競争力の強さになっている現実もある。

ここでは、その一端を紹介することしかできないが、本書ではさらに、アメリカのポップカルチャーが世界に波及していったプロセスを、日本のポップカルチャーのこれからと重ねあわせて考察する章(第3章)や、中国、フランス、アメリカなどで日本のポップカルチャーがどう見られているかの現状報告(第4章)、日本の今後のポップカルチャー政策の展望(第6章)など、多方面から論じているのが特徴だ。

最後に、これはこの本を含めた関連するいくつかの本を読んでの感想だが、日本のポップカルチャーが世界に広がっていく流れは、私たちが自覚する以上に重要な意味をもっているのではないかということだ。もしかしたらそれは、日本人が庶民レベルでもっている世界観、人生観がポップカルチャーという媒体に乗って知らず知らずのうちに世界に広がっていく過程なのかも知れない。大宗教、大思想に強く縛り付けれた一神教的世界観から比較的自由なライフスタイルが世界に波及していく過程なのかも知れない。イデオロギー同士が深刻にぶつかり合って戦争を繰り返してきた歴史に対し、「武器よりもポップを!!」というメッセージを世界に広める意味をもっているのかも知れない。

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『日本にノーベル賞が来る理由』

2009年01月02日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書)

興味深く読むことが出来たひとつの理由のは、ノーベル賞という話題を通して、日本が非西欧世界の中でかなり特殊な位置にあることが明らかにされるからだろう。今、世界では先端的な科学研究が推進されている場は、北米大陸とヨーロッパに限られる。それは、科学分野のノーベル賞でどの国の授賞者が多いかを見れば一目瞭然だろう。それに対するきわめて少ない例外が、日本やオーストラリア、そしてイスラエルなのである。その中でも日本は、「自国で生まれ、自国語で世界最高度の教育を受けた科学者が、内外で世界をリードする研究を進めている」非常に例外的な国だという。

ノーベルの授賞式に先立ち、益川敏英・京大名誉教授は、英語に自信がなく日本語で記念講演を行ったが、これはむしろ恥ずべきことではなく、自国語で世界最高度の教育を受けて最先端の研究を成し遂げることができるということの証しなのだろう。

もうひとつ面白かったのは、ノーベル賞が持っている個性であり、科学分野のノーベル賞でもそこにかなりの政治的な判断が入り込んでいるということである。ノーベル賞には、個別審査以前に「企画段階」が存在し、たとえば湯川秀樹へのノーベル賞の授与は、「原爆投下への謝罪の意を込めて、日本科学を世界の第一線のものと承認するセレモニー」としても企画されたのだという。これ以外にも、朝永振一郎や川端康成などへのノーベル賞授与にどんな企画性が潜んでいたかなどが次々に明らかにされて興味深い。

著者はまた、日本の科学研究は「知の好循環」が充分ではないと指摘する。科学的な発見が特許収入とスムーズに結びつき、その資金がさらに基礎研究の推進に投入されるような好循環。iPS細胞で話題の山中教授が直面している状況を考えると、日本の現状がまだいかに「知の好循環」と縁遠いかが、よくわかるという。

小著だが、ノーベル賞という賞そのものの性格を浮き彫りにし、またノーベル賞をめぐる科学分野の知識も吸収できるように工夫された好著である。

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