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子どもの楽園(1)

2009年10月18日 | マンガ・アニメの発信力の理由
2009年09月13日の記事『子供観の違いとアニメ』では、pkさんからの興味深いコメントを取り上げた。

「日本のアニメと西欧のアニメは何が違うのか。
たぶん、メインターゲットの「子供(未成年)」に対するスタンスの違いが
かなり大きいからじゃないかな。
西欧では、子供は未完成な人間であって、教え導かなければいけない
動物のようなモノ。洗礼を経て、教育で知性と理性を磨くことで、
初めて一人前の「人間」に成ると考えているっぽい。」
対して日本では、子供が動物(自然)に近いと考えてるのは同じだけど、
むしろ成長する事で、子供が持って居る「何か」を失ってしまうと考えている。
知性と理性を持って、動物(自然)と一線を画し、神に近づく西欧と、
自然にこそ神が存在すると感じ、それに近い子供に神性を見る日本と。」

この子供観の違いが、日本でアニメやマンガがこれほど盛んになり、そして世界に広がっていった理由のひとつだということだった。

上のような日本と西欧の子供観の違いは、『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)』で、幕末から明治初期、あるいはそれ以前に日本を訪れた西洋人の観察の中で浮き彫りにされている。

たとえば、イザベラ・バードは明治11年の日光での見聞として書いている。
「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたり、それに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭に連れて行き、こどもがいないとしんから満足することができない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている。毎朝六時ごろ、十二名か十四名の男たちが低い塀に腰を下ろして、それぞれの腕に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。その様子から判断すると、この朝の集まりでは、子どもが主な話題となっているらしい」。

イザベラ・バードの目には、日本人の子どもへの愛は、ほとんど「子ども崇拝」にすら見えたのではないかという。まさに子どもの無邪気さのなかに神性を見る日本文化と日本人の特性が、遠い昔からあって、その子育ての姿が、西欧人には驚くべきものとして映っていたようなのだ。イザベラ・バードの観察と同じような、西欧人の観察が、『逝きし世の面影』の中にはたくさん紹介されている。
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