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今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

母性原理と男性原理のバランス:神話と日本人の心(1)

2013年10月26日 | 母性社会日本
◆『神話と日本人の心

著者・河合隼雄がユング派の心理療法家であり、その立場から多くの著作を残してきたことは周知の事実である。日本人の心の問題をユング派の立場から語る著作も多い。本書は、ユング派の立場から、古事記や日本書紀に代表される日本の神話を語る本である。長年、記紀を読み込み、世界の神話とも比較し、しかも心理療法家の立場から神話の深層をとらえようとする姿勢がみごとに生かされており、読み応えのある重厚な一冊であった。

これまで無数の日本人論や日本文化論が書かれてきたが、それらで指摘された日本文化の特徴の多くは、日本の神話の中にも何らかの形で表れているということが、この本を読んでよくわかった。その意味でもきわめて興味深い本であった。すでに日本神話の中に、その後に展開する日本文化の特徴がどのように現れているのか、そんな視点からこの本に触れてみたい。

著者が指摘する日本神話の特徴で、日本文化そのものの特徴にも深く関係すると思われるものをざっと挙げて見たのが以下である。

①男性原理とのバランスを取りながらの女性原理
②自国内よりも外国に基準を求める態度
③文明の原始的な根から切り離されず、連続性を保っている
④人間がその「本性」としての自然に還ってゆく、自然との一体感という考え方
⑤日本人の美的感覚である「もののあわれ」の原型が認められる
⑥何らかの原理によって統一するよりも原理的対立が生じる前にバランスを保とうとする調和の感覚
⑦明確なリーダー的存在なしでことが運ばれていく。中心に強力な存在があってその力で全体が統一されるのではなく、中心が空でも全体のバランスでことが運ばれるといいう「中空構造」
⑧恥の感覚の重視

もっと体系的に整理する必要があるかもしれないし、あとで他の項目を付け加えるかもしれないが、とりあえずこれらの項目のなかのいくつかを、本書に沿いつつ取り上げてみたい。お気づきと思うが、これらの中の、①、③、④、⑥は日本文化のユニークさ8項目のうち、それぞれ(2)(1)(6)(7)に対応している。なお上の⑦に出てくる「中空構造」については、かつて日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化でも紹介しているので参照されたい。

まずは、①「男性原理とのバランスを取りながらの女性原理」について。

数多くの日本神話の神々のなかで際立った地位を占めるのが、女神アマテラスである。古代日本人は、天空に輝く太陽に女性をイメージしたのだ。これは世界のほとんどの民族にとって太陽が男性神だという事実に比し、かなり特異なことだという。

しかし一方でアマテラスは、父親イザナギから生まれた、母を知らない女性であった。イザナミと死に別れたイザナギが、黄泉の国から帰って、身のけがれをおとそうと川でみそぎをしたときにアマテラスが生まれる。

神話においては「男-太陽、女-月」という結びつきと、「女-太陽、男-月」という結びつきがある。太陽の月に対する圧倒的な存在感を考えると、太陽-女性とするのが女性優位の文化であると理解するのが自然である。しかし、もしそうだとしても、なぜ日本神話ではその女性が父から生まれたと語られるのか。これはどこか、女性が男の骨からつくられたとする旧約聖書の話と似ている。これはつまり、女性優位といいながら、一方で男性原理とのバランスを取っているということではないか。

人間がすべて女性から生まれるのは自明であり、その厳粛な事実への「感動」からまずは神を女神、大母神とするのは自然であろう。実際、ヨーロッパでもキリスト教以前には地母神を中心とする宗教が広がっていたという。縄文時代の土偶にも地母神は多い。父性原理に立つユダヤ・キリスト教は、先に男性がつくられたとすることで母性優位を克服しようとするのである。

日本神話では、まず大母神イザナミが国土とその他ほとんどすべてのものを生み出したという。ところが、アマテラスを含む「三貴子」は父イザナギから生まれたと語り、極端な母性優位とのバランスをとる。つまり、「男性原理とのバランスを取りながらの女性原理」が、日本神話の特徴なのである。

現代の日本社会が、近代ヨーロッパ文明(父性原理の文明)を大幅に受け入れつつ、縄文時代以来の母性原理が連綿と受け継がれているという事実については、下の《関連記事》や、カテゴリー「母性社会日本」を参照されたい。

《関連記事》
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
日本文化のユニークさ29:母性原理の意味
日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理
ユダヤ人と日本文化のユニークさ07
太古の母性原理を残す国:母性社会日本01

《参考図書》
中空構造日本の深層 (中公文庫)
母性社会日本の病理 (講談社プラスアルファ文庫)
「甘え」と日本人 (角川oneテーマ21)
続「甘え」の構造
聖書と「甘え」 (PHP新書)
日本文化論の系譜―『武士道』から『「甘え」の構造』まで (中公新書)

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AKB48が意味すること:「日本的想像力」の可能性(4)

2013年10月23日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『日本文化の論点 (ちくま新書)

著者によれば、現代の情報社会では一人の天才の仕事よりも、100人の凡才の部分的な才能を集約化した仕事の方が精度が高く、クリエイティブなものを残しやすくなっているという(集合知)。その代表が初音ミクやニコニコ動画であり、その象徴がAKB48である。とすれば、前回見たような日本社会の特質、「権威や権力を尊重せず、知的エリートにコントロールされることを嫌う平均的に知的レベルの高い巨大な大衆が存在する社会」は、情報社会がもっている潜在的な創造性を、より大きく開花させることのできる社会なのかもしれない。

現に著者は、政治や経済といった昼の世界に対し、陽の当たることのない夜の世界、すなわち、日本のインターネット環境やサブカルチャーの世界に、今後の日本の可能性を見ている。ここ数十年、この陽の当たらない世界では、異様なまでの生成・進化が絶え間なくなく起こってきた。誰も発想しなかったような多様で数奇なアイディアと創造性が渦巻いていた。それは、日本社会の片隅、周辺領域にすぎないが、この夜の世界にこそ日本の希望がある。そこで生まれてきたアイディアや技術が、この国を変えていく手がかりになる可能性がある。

マスメディアは、中心から周辺へ情報を一方的に発信し、一点に関心を集めることで個と社会を結び付けてきた。しかし複雑化し多様化した社会は、そのようなマスメディアの回路では対応しきれなくなった。したがって21世紀は、ポストマスメディアすなわちソーシャルメディア的なものに支えられた社会を考えなければならない。テレビなどのマスメディアによって成立した国民的娯楽の象徴がプロ野球だったとするなら、ポストマスメディアの時代のそれに当たるのは何か。著者は、それに当たるもっとも近い例としてAKB48が考えられるという。

これまで国民的興行は、マスメディアを通じてしか形成できなかったが、AKB48はマスメディアに依存せず、現場+ソーシャルメディアで国民的な興行をなしえた最初の文化現象だ。他にコミックマーケットやニコニコ動画が、やはりマスメディアとは切り離された世界で巨大な動員力をもつ。

当初、AKB48の選抜メンバーは秋元康が専制的に選抜メンバーを選んでいたということだが、やがて「運営側が一方的に選抜メンバーを決定するのはおかしい」、「もっとフェアに」という声がファンに広がり、その声を抑えきれなくなって、今の選抜総選挙という形が生まれたという。

ここでは、未完成のものを応援することでレベルを上げていくという、ファン参加型のゲームが成立している。これは、最初から完成されたものを受け取るだけの文化とは決定的に違う。たとえば西洋のプロフェッショナルリズムをアジアががんばって輸入し学んで、完成度の高いものを送り出すというシステムとは、楽しみ方の大元が違う。初めから完成度の高いものが登場してしまったら、ファンは楽しめないのだ。

現在AKB48は、JKT48、SNH48を結成し、アジア諸国への進出を試みる。アジア諸国では、はたして未完成なものに消費者が参加し、手を加えることで楽しみを生み出す参加型(ゲーム型)の文化運動はどこまで受容されるか。すでに述べたようにこの本での著者の主張は、「日本的想像力はソフトウェアを輸出するだけでは世界に拡大しない。ハードウェアを輸出し、日本的な楽しみ方、消費環境を定着させることではじめて輸出できる」というものであった。そして、AKB48の海外展開は、まさに日本的想像力の普遍性を問うものになる。21世紀の日本文化のゆくえを象徴する論点がここに存在するという。

ここでいう日本文化のゆくえへの問いは、著者が本の最初に提示した、現代の日本的想像力が21世紀のスタンダードな「原理」になり得るかどうかとという問いに関係している。

著者は、これから先の世界では、「日本のような」国が増えていく、すなわちキリスト教的な文化基盤もなければ、西欧的な市民社会の伝統もない、にもかかわらず民主主義を実現させ消費社会を謳歌する「日本のような」社会がアジアを中心に拡大するから、日本的想像力が世界に広がっていくと考えているようだ。

しかし、「日本のような」国は、一面で日本のようでありながら、多面で日本のようではありえない。私が、「日本的想像力」が成り立つ空間がどのような日本的伝統に根ざして形成されたかを強調したのは、アジア諸国の、「日本のよう」でありながら「日本のようではありえない」側面を際立たせたかったからだ。確かにキリスト教的、西欧的な伝統をもたなくとも、民族相互の闘争や西洋による植民地化を経験してきた国も多い。宗教的なものの束縛や格差も、日本よりかなり大きな国が多い。「日本的想像力」空間が生まれるのに、日本文化のユニークさ8項目が、多かれ少なかれすべて関係しているとすれば、現代の日本的想像力が、21世紀のスタンダードな「原理」になることはそれほど容易なこととは思えない。

ただし、西欧とはまったく異質な歴史と伝統をもつ日本が、西欧的な近代文明の原理をいち早く学んで近代化を成し遂げることが出来たように、「日本的想像力」が他国に受け入れられていくことは、まったくあり得ないことではない。おそらくそれは「日本的想像力」が、学んで受け入れたいと思わせるだけの強い輝きを放っているかどうかにかかっているだろう。

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権威を嫌う知的な大衆:「日本的想像力」の可能性(3)

2013年10月21日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
ここまで『日本文化の論点 (ちくま新書)』に沿って「日本的想像力の可能性」というテーマを考えてきた。今回は、この本の内容には直接は関係ない話題に少し触れて、次回また本に沿ったテーマに戻すつもりである。

前回、広い意味で「日本的コミュニケーション空間」の基盤をなす日本社会のあり方を以下のように私なりにまとめてみた。それは日本独特の風土と地理的条件、歴史の中で育まれた平等で細やかなコミュニケーション空間であり、それが現代のサブカルチャー空間にも受け継がれているのではないかと指摘した。

①知的エリートにコントロールされない巨大で平等性の高い大衆層が存在する。
②その各自が、現場でどんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持っている。
③だからこそ、互いの仕事を信頼でき、相互に協力し合いながら、共通の仕事を成し遂げたり、社会全体の質を保っていくことができる。

今回とくに触れたいと思ったのは、上のなかのとくに①に関連して興味深い調査結果が報道されたからである。すでに様々なメディアが報じているので目にした人も多いだろう。たとえば以下のような記事である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

成人力「1位」欠ける独創性を鍛えたい

経済協力開発機構(OECD)が16~65歳を対象に初めて行った、「国際成人力調査」の読解力などの分野で、日本が1位という結果が出た。

教育水準も平均的な学力も高いという日本社会の特質が表れた形だ。だが、思考力や創造力をどう育てるか、才能をいかに伸ばすか、日本の課題は少なくない。「1位」に慢心することなく、世界で競える力を育てなければならない。

学力は経済力や国力に反映するとの観点から行われた調査には、先進国の集まりであるOECDなどの24カ国・地域が参加した。

調査は、日常生活で使う知識の応用に重点が置かれた。文章や資料を読んで答える「読解力」と数や図形を扱う「数的思考力」で、日本はOECD平均を大きく上回る1位の成績だった。

特徴的なのは、下位の割合が低く平均点が高いことだ。中卒層の成績が米国やドイツの高卒層を上回るなど、義務教育段階のレベルの高さが示された。就職後の社内教育や生涯学習の成果が発揮されたとの指摘もある。(以下略)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この調査結果については、「ITを活用した問題解決能力」では19カ国中で10位と、それほど高くない、日本成人の「読解力」スキルのレベルの高さは必ずしも賃金の高さに反映されていないなど、いくつかの問題も指摘されている。しかし、日本の成人が世界的にみて学力がトップクラスであるという調査結果は否定できず、上の記事でも指摘されているように、成績下位の割合が低く、他国に比べ学力の面でも格差が少ないこともデータ上否定できない。つまり日本には、

①知的エリートにコントロールされない巨大で平等性の高い大衆層が存在する。

のうち、巨大で(知的にも)平等性の高い大衆が存在することが、データで裏付けられたのである。

では上の文章の前半「知的エリートにコントロールされない」についてはどうだろうか。これについても面白いデータがある。

日本に「強いリーダー」がいないのは、だれも望んでいないからです

リンク先のデータを見れば明らかなように、この調査項目で日本人の意識は世界の中でも例外中の例外に属する。この調査は、1980年代から世界80ヶ国以上のひとびとを対象に、政治や宗教、仕事、教育、家族観などについて訊く「世界価値観調査」の一項目ということだ。かなり大規模な意識調査のようだが、その2005年調査の全82問のなかのひとつで、日本人が他の国々と比べて圧倒的に異なっているのだ。

近い将来、「権威や権力がより尊重される」社会が訪れたとすると、あなたの意見は「良いこと」「悪いこと」「気にしない」のどれでしょうか、という質問項目である。

社会を運営するためには権威や権力は尊重されるべきだと考えている人の割合が、フランス人84.9%、イギリス人76.1%、オランダ人70.9%、アメリカ人59.2%、中国人43.4%。それに対して日本人は、「権威や権力を尊重するのは良いこと」と答えたのはわずか3.2%%しかいなかった。逆に80.3%が「悪いこと」と回答している。権威や権力への信頼度が2番目に低い香港でも22.6%が「良いこと」と回答しているのだから、この結果は驚くべきものである。

権威や権力を尊重したり信頼したりしないという意識をもった人が多い社会が、そのまま「知的エリートにコントロールされない」人々が多い社会とは限らないだろう。しかし、日本人が、社会的なリーダーといわれる人々、政治家や学者や評論家をそれほど信頼していないのは確かなようで、信頼していなければコントロールされにくいと言えよう。

以上二つの調査結果からも、日本の大衆が平均的に知的であり、しかも知的な格差が少なく、一部の権威や知的エリートをそれほど尊重も信頼もしていないということは事実だろう。そして、強力で優秀なリーダーは出にくいが、知的レベルの高い優秀な「平凡人」が多く存在し、そういう大衆が社会を支えていることに日本の底力があるのも確かだろう。同時にそれが「日本的想像力」の基盤でもある。

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二次創作空間こそクール?:日本的想像力の可能性(2)

2013年10月12日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『日本文化の論点 (ちくま新書)

日本のオタク系文化の歴史は、コミックマーケットからニコニコ動画に至る二次創作空間のコミュニティの歴史だと著者はいう。二次創作することで、ときにオリジナルと異なった人生をキャラクターに歩ませ、あるいは自分が作った歌を歌わせることでキャラクターへの愛着を増す。

初音ミクの「擬人化」とその成功に、二次創作の魅力の本質がよく現れている。初音ミクは、とりわけ消費者たちの二次創作的な欲望(キャラクターへの愛)を呼覚ます。その創作の舞台となっているのがニコニコ動画だ。初音ミクは、その中で巨大な存在感をもつ一大ジャンルに成長した。そこでユーザーは、創作者でもあり消費者でもある。どちらかに明確に区別することはできない。この曖昧な「中間の空間」こそが、現代日本の二次創作的な文化空間だと、著者はとらえる。

《関連記事》
日本発ポップカルチャーの魅力01:初音ミク
日本発ポップカルチャーの魅力02:初音ミク(続き)

こうした二次創作的な消費文化なくして、現代日本のサブカルチャーの本当の快楽を味わうことは難しいという。二次創作的な消費をすることで、その快楽の本質にたどり着けるような表現様式こそが、現代日本のサブカルチャーの中核をなしているからだ。作品(ソフトウェア)だけ輸出しても現代日本のサブカルチャーの本質は伝わらない。消費環境とコミュニケーション様式(ハードウェア)が輸出されてこそ、その全体が伝わる。

初音ミクだけ見ていても、楽しみは半分でしかない。ニコニコ動画で二次創作を表現できる環境も丸ごと輸出されることで、その本当の面白みが伝わる。大切なのは、日本産のアニメが世界中で見られることよりも、日本的なアニメの「楽しみ方」がグローバルスタンダードになり、世界中のオタクたちが、それぞれのコミックマーケットに集まることではないか。これが、この本での著者の主張のポイントだろう。

話を少し広げれば、戦後の日本が輸出に成功し、グローバル市場を牽引した多くが、コミュニケーション様式の輸出だったのではないか。たとえばトヨタの「カイゼン・カンバン方式」。とくに「カイゼン(改善)」は、主に製造業の現場の作業者が生産現場のいろいろな問題をボトムアップ方式で改善していく方式で、日本的な集団主義を利用した集合知的なシステムともいえよう。通信カラオケもまた、録音された伴奏に合わせて自分で歌う二次創作的なゲームだともいえる。

ともあれ、欧米から輸入されたものを、日本的なコミュニケーション空間で運用している間に、いつの間にか日本独自のものに変えてしまう。日本車、ジャパニメーション、ニコニコ動画‥‥世界に輸出されるべき日本的想像力の核には、この独特のコミュニケーション様式にあると著者は考えている。これは、先に考えた、日本文化の「造り変える力」とも関係が深い。以下の記事を参照されたい。

日本の秘密「造り変える力」(1)
日本の秘密「造り変える力」(2)
日本の秘密「造り変える力」(3)

さて、このブログでの私の関心は、著者のいう「日本的なコミュニケーション空間」がどのように作られて来たかということである。それは日本文化の伝統とどのようにかかわるのか。具体的には、このブログで追求している「日本文化のユニークさ8項目」とどうかかわるのか。もちろんすべての項目が多かれ少なかれ関係しているであろうが、ここでは「日本的なコミュニケーション空間」とは何かを考えながら、いくつかの項目を取り上げてみたい。

「初音ミク」現象に典型的に見られるような「日本的なコミュニケーション空間」とは何だろうか。

①まず特徴的なのは、多くの人々の協働作業、集合知による創作活動であるということ。
②それが上位に立つ指導者のもとに行われるのではなく、参加者の対等意識、平等意識の上に成り立っているということ。
③参加者一人一人の「自分たちの創作」いう当事者意識が、作品への愛着を増しますます完成度を上げていくこと。

そして、これらの特徴が成り立つ前提には、民族や言語、階級などによって分断さず、宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観を共有する、巨大で知的な庶民の存在がある。

日本は、かつて「一億総中流」といわれたような、巨大な中間層があったからこそ、マスとしてのマンガ市場が出来、そこにいろいろな表現が芽生えてきたと言われる。今は日本も格差が広がったといわれるが、それでも日本の社会は、階層性のきわめて少ない、巨大な中間層が中心をなす社会だ。

さらに言えば、世界中のほとんどどの国にも大衆をがっちり支配する知的エリート階級が存在する。しかし日本ではそのようなエリート階級は、元来大きな力をもたず、近年はますますその存在感を失っている。実は、そのような傾向は江戸時代からあった。江戸の庶民文化が花開いたのは、武士が、権力、富、栄誉などを独占せず、それらが各階級にうまく配分されたからだ。江戸時代の庶民中心の安定した社会は世界に類をみない。歌舞伎も浄瑠璃も浮世絵も落語もみな、そんな庶民が生み育てた庶民のための文化である。庶民は自らの文化を育て楽しみ、それが江戸文化の中心になっていった。

庶民は、どんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持つことができる。自分の仕事に誇りや、情熱を持つことができる。近代以前に、庶民中心の豊かな文化をもった社会が育まれていたから、植民地にもならず、西洋から学んで急速に近代化することができたのである。

このような日本社会のあり方が、上に述べた現代の「日本的コミュニケーション空間」の形成に影響しているのは確かだろう。

階級によって分断された社会では、下層階級の人々はどこかに強力な被差別意識があり、自分たちの仕事に誇りをもつという意識は生まれにくい。奴隷は、とくにそういう意識を持つことができない。日本文化のユニークさのひとつは、奴隷制を持たなかったことであった。奴隷制の記憶が残り、下層階級が上層階級に虐げられていたという記憶が残る社会では、労働は押し付けられたものであり、そこに誇りをもつことは難しいだろう。自分たちの協働作業に当事者意識と責任感をもって取り組んだり、ましてやそれを楽しんだりいう社会風土は育ちにくいのである。

逆に日本には、

①知的エリートにコントロールされない巨大で平等性の高い大衆層が存在する。
②その各自が、現場でどんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持っている。
③だからこそ、互いの仕事を信頼でき、相互に協力し合いながら、共通の仕事を成し遂げたり、社会全体の質を保っていくことができる。

これが広い意味で「日本的コミュニケーション空間」の基盤をなすもので、日本独特の風土と地理的条件、歴史の中で育まれてきたものである。そして、そのような信頼に基づく、平等で細やかなコミュニケーション空間が、現代のサブカルチャーにも受け継がれている。

これらを日本文化のユニークさ8項目との関連でいえば、次の二つに関係が深いだろう。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。

異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となり、そういう信頼を前提とした庶民文化が江戸時代に花開き、現代に引き継がれたのである。

また、異民族に制圧されたり征服されたりした国は、征服された民族が奴隷となったり下層階級を形成したりして、強固な階級社会が形成される傾向がある。たとえばイギリスは、日本と同じ島国でありながら、大陸との海峡がそれほどの防御壁とならなかったためか、アングロ・サクソンの侵入からノルマン王朝の成立いたる征服の歴史がある。それがイギリスの現代にまで続く階級社会のもとになっている。日本にそのような異民族による制圧の歴史がなかったことが、日本を階級によって完全に分断されない相対的に平等な国にした。武士などの一部のエリートに権力や富や栄誉のすべてが集中するのではない社会にした。

《関連記事》
マンガ・アニメの発信力と日本文化(5)庶民の力
マンガは世界にどう広がっているか03
マンガは世界にどう広がっているか04
日本の庶民文化の力
欧米にない日本の大衆社会のユニークさ
日本のポップカルチャーの魅力(2)
世界一の「一般人」がいる日本
平凡な日本人のレベルの高さ
自分の仕事に誇りをもつ日本人
日本の長所10:仕事への責任感、熱心さ、誇り①

《関連図書》
★『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること
★『格差社会論はウソである
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)
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「日本的想像力」の可能性(1)

2013年10月07日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『日本文化の論点 (ちくま新書)

「現代」の「日本文化」は、これからの世の中を考える手がかりや人間存在への洞察を書き換える豊かな想像力が渦巻いていると著者・宇野常寛氏はいう。「失われた20年」と呼ばれた世紀の変わり目に、戦後的なものの呪縛から解き放たれたもうひとつの日本が生まれ、育ってきているというのだ。それは、サブカルチャーやインターネットといった、新しい領域の世界であり、〈昼の世界〉に比べ、陽の当たらない〈夜の世界〉だともいえる。

この〈夜の世界〉が生み出すあたらしい原理のキーワードは、「日本的想像力」と「情報社会」だ。ソーシャルメディア、動画共有サイト、匿名掲示板、アニメ、アイドル‥‥。これらの文化は、日本で近年、独自のガラパゴス的な発展を遂げ、それゆえ世界的にもユニークで、高い評価を受けて注目されているものも多い。そして著者は、今は「ガラパゴス」的だと言われるこうした現代の日本的想像力こそが、21世紀のスタンダードな「原理」になり得ると考えている。

なぜそれらが21世紀の「原理」になり得るのか。それは、これから先の世界では、「日本のような」国が増えていくからだ。キリスト教的な文化基盤もなければ、西欧的な市民社会の伝統もない。にもかかわらず民主主義を実現させ消費社会を謳歌する「日本のような」社会がアジアを中心に拡大するのが、21世紀前半の世界だ。日本の現在と未来は、これから世界の人口の半分が直面する未来かもしれないと、著者は考える。だからこそ、日本の〈夜の世界〉を考えることが重要なのだという。

このような視点から、AKB48などを中心に日本のサブカルチャーを分析するこの本は示唆に富んでいるが、その内容に触れる前にこの視点そのものを少し検討したい。

かつて私は、内田樹氏の『日本辺境論 (新潮新書)』を取り上げ、氏の論の前提となっている日本人の「辺境人」意識から、現代の若い日本の世代はすでに脱しているのではないかと疑問を投げかけたことがある。

島国日本は、弥生時代以来、異民族による侵略という脅威なしに文化の受け入れを続けてきた。そのような形での異文化を受け入れ続けることができた幸運は、世界史上でもまれなことである。海の向こうの圧倒的に優れた文明を、平和的に吸収し続けた日本人は、自分をつねに「辺境人」の立場において、中心文明の優れた文物をひたすら取り入れる姿勢を、あたかも自分の「アイデンティティ」であるかのように思い込むようになった。そういう「辺境人」根性は日本人の血肉化しており、逃れようがない。だったらその根性に居座って、むしろ積極的にそれを活かそうというのが内田氏の主張であった。

しかし日本人は、内田氏が言うような意味での「辺境人」の性癖から脱しつつある。日本は今、そのような大きな時代変化の中にあり、その変化の大きさは、かつての圧倒的な唐文明の影響から脱して、自分たちに独自の文化を築いていった時代の変化に匹敵する、というのが私の考えであった。詳しくは以下を参照されたい。

『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が
『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』
『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が
『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら
『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力
『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力
『日本辺境論』をこえて(8)日本史上初めて
『日本辺境論』をこえて(9)現代のジャポニズム

宇野氏の『日本文化の論点』は、「『日本辺境論』をこえて」で私が論じたような、現代日本の大きな歴史的変化を主にサブカルチャーの面から具体的に論じたものだとも言える。

内田氏が語る「辺境」の意味は、「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」ということであった。日本人に世界標準の制定力がなく、文明の「保証人」を外部の上位者に求めてしまう。それこそが「辺境人」の発想であるが、私は上の一連の文章で、「保証人」を外部に求める日本人の根強い傾向が若者を中心になくなりつつあることを論じた。ふらふらきょろきょろして外ばかり見ていた「辺境人」根性の「呪縛」から解放された世代の文化が育ち始めていることを、若い世代への意識調査などの結果から探った。

おそらくそうした若い世代の意識変化と、若い世代が作り出すサブカルチャーとは密接に関係している。ガラパゴスと言われながらも、それだけユニークで世界のどこにもない若者文化が育っているということは、明治以来の日本がひたすら憧れ、学んできた欧米発の「世界標準」から、若者文化が解き放たれはじめたということでもある。「世界標準」の枠組みに、もはやほとんど関心がないから、それに囚われない自由で独自の文化が生まれ育つのである。

ところで宇野氏は、現代のサブカルチャーに見られる日本的想像力こそが、21世紀のスタンダードな「原理」になり得ると言う。つまり今後日本が、「辺境」どころか新たな「世界標準」の発信源になる可能性があるというのだ。しかし、これについては充分に留意すべき点がある。

その前に内田氏のいう「世界標準」とは何だったのかを確認しよう。それはまずは、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教など、それ以降の文明の基礎を築くことになった普遍宗教であろう。そして、それらの普遍宗教に基づいて生まれた文明の原理であろう。たとえばヨーロッパ文明は、キリスト教をひとつの基礎としながら、また一面ではそれと対抗しながら、近代の各種原理を生み出していった。「自由」「民主主義」「人権」「合理主義」「科学「進歩」「自由主義経済」などがそれにあたる。そして、それらが現代のもっとも強力な「世界標準」になっていったのである。

宇野氏がいう21世紀のスタンダードな「原理」は、上のような意味での「世界標準」ではないはずだ。「世界標準」の普遍宗教は、激しい闘争の中で民族宗教の違いを克服することによって生まれたも言える。それもあって、それぞれの普遍宗教を背景にもつ「世界標準」自体は、お互いに相容れない傾向がある。自分こそ「世界標準」だと言い張って互いに争うのである。現在までのところ、その勝者が近代ヨーロッパだったわけだ。それを全面的に受け入れた世界は、ヨーロッパ的な「世界標準」に何らかの意味で「呪縛」されて、その分自由な発想が制限されるであろう。

ところが日本人は、そうした「世界標準」の原理原則にこだわらずに、自分たちに合わせて自由にいくつもの「世界標準」を学び吸収してきた。神道を残したまま儒教も仏教も西欧文明も受けれ、併存させたのである。それが日本文化に豊かさと発想の自由さを与えた。現代日本のサブカルチャーの豊かさも、そういう日本の伝統なくしてはあり得なかっただろう。そういう日本人が近代ヨーロッパが生んだと同じ性質の「世界標準」を生み出すはずがないことは明らかだ。

そして逆説的なことだが、ひとつの「世界標準」にこだわらず自由に学び吸収しつづけたからこそ、そこから生まれた独自の文化が、今後の世界にとって新たなモデルになる可能性を秘めているのではないか。それはどのようなモデルなのか。宇野氏は、現代日本のサブカルチャーのあり方の中にそのヒントを読み取ろうとしているのかもしれない。

《関連図書》
☆『ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)
☆『希望論―2010年代の文化と社会 (NHKブックス No.1171)
☆『日本的想像力の未来~クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)

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