クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

ジャパナメリカ03

2009年08月24日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命』03

この記事は、書評というよりは私が関心をもった内容をめぐって、自由に論評するという形になっている。とはいっても、私の関心も、なぜ日本のアニメやマンガがアメリカや世界でこれほど受け入れられているのかというとことにあるので、本書のテーマに沿った論評ではある。

日本は、とくに21世紀に入って世界中やアメリカで起ったアニメ・ブームについてはほぼ不意打ちをくらった感じだった。日本のアニメ業界は、その人気に呆然とし、なぜ世界中がそれほどアニメに関心をもっているのか、理由が分からないでいる。また関心の高さを有効に活用する方法も分からないでいる。では、本書が、その問いに充分に答えたかのか。私が読んだかぎりではイエスとはいえない。アニメ・ビジネスの内部事情や知的財産権の問題、コスプレやオタクの実態など、個々の状況については丹念に取材しているが、なぜ今、世界が日本のアニメに熱い関心を向けているかについては、充分な説得力をもって答えているとはいえない。

たとえば、著者は、手塚プロダクションの清水氏にインタビューして、この「なぜ」を質問している。答えはこうだ。『機動戦士ガンダム』にしても、『攻殻機動隊』にしても、アニメ作品は総じて、ストーリーを導く明確な道徳や解決策に欠ける。それは、日本に道徳の核となるような中心宗教がないからだ。さまざまな状況や前後関係の中で、どのように行動すべきかが判断される。

一方、世界は今、グローバル化によって中心がなくなり、不確かな要素が増し、不安定になってきた。そういう状況の中で人生に起る無数のドラマに対し、一定の道徳的な答えを用意するのではなく、いくぶん場当たり的に対応する日本式アプローチが、見事に時代に適合しはじめているのかも知れない。著者は、清水氏のこの議論を今まででもっとも説得力のあるものとして聴いたという。

みなさんは、この答えを聞いて、なるほどと感じるだろうか。私は、そういう面も確かにあるだろうなと思う。しかし、説明の仕方をもう少し変えた方が、ことの本質に迫ることができるのではないか。上では「中心的宗教がない」という表現をとっているが、別の言い方をすれば、キリスト教などの一神教を受け入れなかったということだろう。仏教や神道も、私たちの倫理や生活の中味を強く縛るような強固なかたちであるわけではない。

私たちの日常生活は、ほとんど無宗教に近いかたちで営まれている。そういう制約のなさから生まれてくる自由なストーリーが、相変わらず多少とも宗教的な制約のなかで生きている人々にとっては、新鮮でクールなものと映る。そんな風に、私たちの文化の無宗教性を積極的にとらえた方が、熱烈なアニメブームの理由をより深く説明できるのではないか。アニメの背後にある私たちの文化の無宗教性、タブーのなさ、奔放で自由な表現、そうしたものに積極的な価値が見いだされ、それが世界でクールと受けとめられ始めているのではないか。

ジャパナメリカ02

2009年08月23日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命』02

日本のアーティストたちが、「アメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアの諸文化から気に入ったものだけを習得し、独創的な作品を作り出した」、そしてその独創性が今、クールと感じられ、世界に受け入れられている。著者のこの指摘は、確かにあたっているだろう。しかし、そのようなことは世界の他の文化のなかでも起らないのだろうか。なぜ、日本では、文化の混ぜ合わせのような状態からクールなポップカルチャーが生まれてくるのだろうか。日本でとくにそのようなことが起る理由については、この本では触れていない。

日本には、異質な文化のパーツを自分の社会に平気で取り入れられる「混合文化社会」であり、原則にこだわらない融通無碍を特色とするという文化的な背景があり、それが強みになっているかもしれない。今、地球上の多くの国々は、キリスト教やイスラム教という一神教を文化の根っこにもっている。あるいは、ヒンドゥー教のような多神教でも、はっきりしたタブーがあったりする。そうするとどうしてもその教えの原則に合わない文化はたとえ無意識にでも排除してしまう傾向がある。日本の文化にはそれがないから、自分が気に入ったものを自由に取り入れて、そこから独創的なものを生み出す可能性がそなわっているのかもしれない。

また、日本に一神教がほとんど広まらなかったことと関係するが、そのためか現代の日本人の心の深層に、古代的なアニミズム的な心性がっかなり残っている。動物はもちろん、山や森や川にさえ魂を感じる世界観が、私たちの心の中に残っている。宮崎アニメは、かなり自覚的にそういう世界観を表現するが、日本人が作り出す、他のアニメやマンガにも多かれ少なかれ、そのような世界観が反映されていないだろうか。そして、それが日本のポップカルチャーが、世界中でクールと受けとめられるひとつの理由になっていないだろうか。

一神教的な文化にしばられない自由さ、一神教的なものに押し殺されない、古代的な生命観の魅力、これまで世界の主流であった文化にない何か新しいもの(同時に古いもの)、それがが混ざり合ったクールな魅力を発しているのではないだろうか。

(このあたりの話は『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)』を参照してください。)

ジャパナメリカ01

2009年08月17日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命

ジャパナメリカ」は、もちろん日本のポップカルチャーが、アメリカに影響を与えている現代の状況を表現する造語である。本書の目的は、海外の人々が日本文化に心酔するジャパノフィリアと呼ぶもの(このブログでクール・ジャパン現象といっているもの)がどうして起ったのか、その原因を探ることである。

著者は、アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれ、日米両国に育ち、住んでいるので、両国の事情に通じ、偏らない見方ができるようだ。しかも、取材やインタビューを丹念に繰り返して、この本を執筆している。本格的なレポートといってよい。日本側でインタビューをした人物には、村上春樹、村上隆をはじめ、日本のアニメ産業にたずさわる中心的な人物たちにもふくまれる。著者のあとがきによれば、この本の英語圏での反応は圧倒的で、アメリカ、日本(英字)、イギリスの主要紙で取り上げられ、称讃されたという。

なぜ今、日本のポップカルチャーがアメリカ、そして世界に広汎に受け入れられるようになったのか。日米のこの分野にかかわる何人かが、著者とのインタビューでこの問いに答えている。著者自身は、それらのインタビューに刺激されながら、この問いに次のように答えている。

「1970年代や1980年代、日本が世界的に認められるようになる中で、活躍中の前衛的なアーティストたちはアメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアの諸文化から気に入ったものだけを習得し、独創的な作品を作り出した。ただし、彼らアーティストの作品は、ものの見方、視覚的アイコン、物語上の前提、そして空想で構成された文化的基盤の核心部分を共有する、自国の列島に住む観衆だけに向けられていた。徳川時代と同じように、日本は熱心に他国の文化を研究しながら、国内の観衆だけを相手に、クリエイティブな表現を磨いていたのだ。」

外国から習得したものを伝統と融合させながら、文化を共有する日本人だけにむけて表現を熟成していった結果、アメリカの若者にとって新鮮に感じられるポップカルチャーが出現したというわけだ。それが今や硬直ぎみのアメリカのポップカルチャーの代替物になろうとしている。

もちろん以上は、日本のポップカルチャーが世界に受け入れられる原因のひとつに過ぎないだろう。この本自身が、もっと多方面にわたる分析をしている。追ってそれを紹介しながら、この本ではほとんど触れられていない、日本の文化的な伝統という要素も視点に入れて、私もこの問いを考えてみたい。

ウォーター・マネー「水資源大国」日本の逆襲

2009年08月08日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『ウォーター・マネー「水資源大国」日本の逆襲 (Kobunsha Paperbacks 123)

日本の水関連技術は、きわめてハイレベルで、世界リードしており、世界の水危機を救う可能性を秘めている。その「水テクパワー」は、世界が強く求める不可欠のものなので、水技術で、石油や食糧との取引おこなうこともありうる。ここから日本の逆襲がはじまるだろう、というのが著者の主張だ。

今、地球規模で水不足や水汚染が深刻となっている。すでに世界の46カ国で27億人が水に関して危機的状況におかれている。とくに安心して水を飲めない人々が13億人もいる。国連は「現在の汚染が続けば、2020年までに1億7000万人が命を失う」といい、現事務総長は「水をめぐる対立は、いつ戦争に発展するかわからない」と警告する。アフリカや中東、中国やインドは急速に水不足が日常化するようになった。

そのなか、日本の造水技術や水浄化技術が、世界で欠かせない役割を果たすようになった。具体的には、海水の淡水化に必要な逆浸透膜の技術や、排水や汚水を生活用水としてよみがえらせるリサイクル技術では、日本が世界で圧倒的なシェアを誇っているのだ。日本の淡水化プラントによる水を、10億人を超える人々が日々利用している。しかも、1トンあたり10円の安さでだ。

著者は、日本の水技術の詳細だけでなく、世界の水問題の深刻さ、とくに中国の水不足と環境汚染が世界にもたらすだろう深刻などを丹念に調べ上げてこの本をまとめている。水の豊かな日本では盲点になりがちな水問題が、世界ではここまで深刻であることについて認識を新たにするだろう。そして、この問題に関して日本が果たすべき役割が、いかに大きく、急を要するものであるかについても。

ペーパーバックスの安価な本だが、きわめて情報量は多い。

マリエ・ディグビー・日本への想いを込めたJ-POPカバー集

2009年08月06日 | 全般
前回紹介したマリエ・ディグビーについて、今回は、彼女の日本の熊本の実家からのブログや、日本語でのインタビュー番組などをを紹介します。

彼女は、母親が熊本出身の日本人なので、小さい頃から30回以上も日本に来ているとのこと。下のリンクは、熊本の母親の実家から。お祖母ちゃん大好きのようです。

Hello from Japan!

次は、熊本のローカル局でのインタビューです。彼女の日本語は、ときどき自信なさそうな表情を見せますが、日常会話は問題なさそうです。この番組で彼女の来歴がおよそ分かります。

Marie Digby TV kumamoto Interview


前回、BREATHING UNDERWATERが彼女の二番目のアルバムと書きました。アメリカでは確かにそうなのですが、日本では、その前に日本限定のJ-POPカバーアルバムが出ているのです。

それがこれです。→Second Home

どんな歌手の曲をカバーしているかというと、歌手名は以下の通り。

Mr.Children / スピッツ / エレファントカシマシ / ASIAN KUNG-FU GENERATION / 河村隆一 / SUGIZO / INORAN / J / 真矢 / 椎名林檎 / Chara / ウルフルズ / 夏川りみ / 今井美樹 / DREAMS COME TRUE

曲名は、上のリンクで確認してください。

ところで最近「外国人ミュージシャン次々と作品 尾崎豊や広瀬香美などをカバー」(2009.8.2 産経新聞)というニュースが流れていました。

「尾崎豊の「15の夜」、広瀬香美の「ロマンスの神様」、久保田利伸の「Missing」…。こうしたJ-POPと呼ばれるおなじみの邦楽を外国人ミュージシャンがカバーした作品が、今年前半に相次いでリリースされた。彼らは口をそろえて言う。「J-POPは名曲ぞろい」だと。(竹中文)

「米国人ミュージシャンのスコット・マーフィーは6月下旬、尾崎豊の「15の夜」、大塚愛の「プラネタリウム」などを収録したCD「BattleGround~スコット・マーフィー vs Scott Murphy~」をリリースした。」

「外国人ミュージシャンがJ-POPのカバー曲を相次いで発表する背景には、洋楽の売り上げが厳しいという側面もある。日本レコード協会によると、洋楽の平成20年の国内レコード(CD、カセット含む)生産実績は過去5年間で最少の約5587万枚で、邦楽の1億9188万枚を大きく下回った。」

マリエ・ディグビーは、アジアでも英語が通じるマレーシアやフィリピンなどでは、抜群の人気を誇っているようですが、日本ではいまいち知名度がありません。セカンド・ホームである日本でももっと知ってもらいたいという思いが、J-POPカバー集につながっているのでしょう。

実力があり、すぐれたソング・ライターでもあるので、日本からももっと声援を送りたいものです。

J-popを歌う人々(YouTubeより)

2009年08月03日 | 全般
 しばらくかたい話が続いたので、今日は音楽の話題。

YouTubeを見ていると、J-popをカバーしてアップする外国の人々がかなり多いことに気づきます。国も様々。そんな中で抜群の歌唱力をもち、それを歌った日本の歌手に実力でせりあうほどではないかと思われる二人を紹介します。

★まずは、YUIの「Good-bye days」 をカバーしているこのアメリカ人の女の子。まずはご覧下さい。

YUIのGood-bye daysのカバー

何人かがコメントでYUIの歌に合わせて口パクしているのではないかと思ってしまうほどYUIに似ている? 確かに似ているけどYUIの声よりソフトでふくらみがあり、とても心地いい声ですね。

まだ高校生くらい? 日本でデビューしたらスターになれる素質があると思います。他のYUIの曲や大塚愛の曲などもカバーしていて、日本語も独学で一生懸命学んでいるようです。日本のアニメも大好きな女の子。

★次は、この人。アメリカ在住のインド系の女性かな。青山テルマの「そばにいるね」をカバーしている。お聴きください。

青山テルマの「そばにいるね」のカバー


この人の日本語も完璧。声も、私は青山テルマよりも好き。だけどこの人は日本の歌はこれだけしか、カバーしていないようです。

★次は、Marie Digby (マリエ・ディグビー)。この女性はれっきとしたプロの歌手です。日本人の母とアイルランド系アメリカ人の父を持ちます。きれいな人ですね。プロにデビューしてからYouTubeに自ら投稿した自分の歌う動画でブレーク。なんと1370万のアクセスを誇っています。

Rihanna - Umbrella (Acoustic)のカバー


次は、「涙そうそう」のカバーです。

Marie Digby - 涙そうそう Nada sou sou (歌詞 Lyrics)


BREATHING UNDERWATERは、彼女の二番目のアルバムで、アメリカに先行して6月下旬に日本で発売されました。

日本人の人間観・その長所と短所(3)

2009年08月02日 | 日本文化のユニークさ
岸田秀が『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』という本の中で論じた日本人の人間観について、いちばん手厳しく批判したのは、それが言語化されていないということだ。

「‥‥日本人の人間観の致命的な欠陥は、言語化されていないという点です。日本列島で日本人だけで暮らしているぶんにはそれでもいいかもしれませんが、これからの日本人は、暗黙の共通前提に立っていない人たちと付き合わなければならないのですから、言語化されていない規範に頼っているのは致命的なのです。その規範それ自体がどれほど正しく立派なものであろうともです。」

日本人が、自分たちの暗黙の前提を言語化せずに来たのは、これまではそうする必要があまりなかったからだろう。長い鎖国の歴史や、四方を海に囲まれ、他文化の人々との深刻な軋轢を経験せずにすんでいたからだ。

これからはそうはいかないというのは確かだろう。ではどうすればいいのか。他文化の人間観と日本人の人間観をつき合わせて違いを確認し、それを言語化していくほかない。ただし、文化の違う生身の人間同士が、トラブルや紛争のなかで違いを確認するしかない、というわけではない。

なぜか。そのひとつの手がかりが、いま世界で巻き起こっているクール・ジャパン現象のなかにある。テレビだけでなくインターネットの普及もあり、これだけ世界に日本のマンガやアニメ、J-POP、小説などが受け入れられている。世界中の人々がそれらを楽しんでいる。その作品には自ずと日本人の人間観も反映されていて、そこがクールと受けとめられている部分もあるのではないか。

「ああ、海外でいま日本の文化がえらい人気だな」とちょっぴり自尊心をくすぐられて終わりにするのではなく、なぜそういう現象が起っているのか、日本の何がクールと感じられているのか、それをしっかりと分析していくことである。世界のこれだけ多くの人々が、日本のサブカルチャーやその他の文化に接するようになった。その膨大な接点を利用しない手はない。世界中の人々の眼を通し、彼らの眼に映った日本を分析することで、他文化との人間観の違いを明らかにしていくことは、有力な方法のひとつであるはずだ。

もちろん、日本に来て日本で生活した人々の観察を参考にするのも、もうひとつの有力な手段だ。何回か紹介した『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』や、『どーもアリガトだよ―在日外国人32人の“渡る日本はいい人ばかりだった”』も参考になるだろうし、インターネット(とくにYouTubeなど)で情報を発信している外国人もたくさんいる。

日本人の人間観・その長所と短所(2)

2009年08月01日 | 日本文化のユニークさ
岸田秀が『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』という本の中で論じた、日本人が前提とする、言語化されていない人間観というのは、ほぼ間違いなくその通りであろう。そして、そうした人間観を前提として行動し、人間関係を作り、日本という社会を作っているのであろう。それは、このブログでも取り上げてきた、外国人が見た日本人の印象からも推測できるであろう。「日本人は穏やかで、非常に親切、かつお人よし。そのぶん騙されやすいともいえる。なぜあんなに簡単に人を信用してしまうのか、不思議だ」というのが、大方の外国人のほぼ共通の印象のようだ。

岸田秀は、こうした人間観のプラス面もひとつだけ取り上げている。それは、「一神教の文化のように、どちらが正しいかを徹底的に詰めないで、和の精神でごまかすほうが、あまり殺し合いにならなくてすむというメリット」だ。ヨーロッパの内戦、激しい宗教戦争などにくらべると、源平の合戦から、戦国時代、明治維新に至るまで、日本の内戦は桁外れに死者が少ないという。

しかし、メリットはそれだけではないだろう。岸田秀自身が近著(『官僚病から日本を救うために―岸田秀談話集』)でいう、「日本人は一神教の神をあまり信用しないが、欧米人は人間を信用しない。日本人が母子関係をモデルとして人とのポジティブな関係を結ぼうとするのに対して、人を信じない欧米人は、神を介することで人と人との関係を結ぼうとした。」と。

性善説に立って人を信用することを前提とした社会と、そうではない社会とで、どちらがうまく行くかは、自ずと明らかだろう。かつて紹介した『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』から少しだけ引こう。

中国から来て帰化した、日本滞在20年の女性の言葉。
「これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。その光景は見ていてとても勉強になります。」

同じ本から、あるアメリカ人教授の言葉。
「‥‥私たちは日本にくると、全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じる。」

日本人の人間観、基本的に人を信用して行動する関係、それこそが家族的な信頼関係を感じさせる背景だろう。詳しい説明は避けるが、殺人、強盗、強姦などの犯罪率は、世界の主要国のなかで日本がいちばん低い状態を保っている。これも、その背景に日本人の人間観があるのではないか。(続く)