◆『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命』03
この記事は、書評というよりは私が関心をもった内容をめぐって、自由に論評するという形になっている。とはいっても、私の関心も、なぜ日本のアニメやマンガがアメリカや世界でこれほど受け入れられているのかというとことにあるので、本書のテーマに沿った論評ではある。
日本は、とくに21世紀に入って世界中やアメリカで起ったアニメ・ブームについてはほぼ不意打ちをくらった感じだった。日本のアニメ業界は、その人気に呆然とし、なぜ世界中がそれほどアニメに関心をもっているのか、理由が分からないでいる。また関心の高さを有効に活用する方法も分からないでいる。では、本書が、その問いに充分に答えたかのか。私が読んだかぎりではイエスとはいえない。アニメ・ビジネスの内部事情や知的財産権の問題、コスプレやオタクの実態など、個々の状況については丹念に取材しているが、なぜ今、世界が日本のアニメに熱い関心を向けているかについては、充分な説得力をもって答えているとはいえない。
たとえば、著者は、手塚プロダクションの清水氏にインタビューして、この「なぜ」を質問している。答えはこうだ。『機動戦士ガンダム』にしても、『攻殻機動隊』にしても、アニメ作品は総じて、ストーリーを導く明確な道徳や解決策に欠ける。それは、日本に道徳の核となるような中心宗教がないからだ。さまざまな状況や前後関係の中で、どのように行動すべきかが判断される。
一方、世界は今、グローバル化によって中心がなくなり、不確かな要素が増し、不安定になってきた。そういう状況の中で人生に起る無数のドラマに対し、一定の道徳的な答えを用意するのではなく、いくぶん場当たり的に対応する日本式アプローチが、見事に時代に適合しはじめているのかも知れない。著者は、清水氏のこの議論を今まででもっとも説得力のあるものとして聴いたという。
みなさんは、この答えを聞いて、なるほどと感じるだろうか。私は、そういう面も確かにあるだろうなと思う。しかし、説明の仕方をもう少し変えた方が、ことの本質に迫ることができるのではないか。上では「中心的宗教がない」という表現をとっているが、別の言い方をすれば、キリスト教などの一神教を受け入れなかったということだろう。仏教や神道も、私たちの倫理や生活の中味を強く縛るような強固なかたちであるわけではない。
私たちの日常生活は、ほとんど無宗教に近いかたちで営まれている。そういう制約のなさから生まれてくる自由なストーリーが、相変わらず多少とも宗教的な制約のなかで生きている人々にとっては、新鮮でクールなものと映る。そんな風に、私たちの文化の無宗教性を積極的にとらえた方が、熱烈なアニメブームの理由をより深く説明できるのではないか。アニメの背後にある私たちの文化の無宗教性、タブーのなさ、奔放で自由な表現、そうしたものに積極的な価値が見いだされ、それが世界でクールと受けとめられ始めているのではないか。
この記事は、書評というよりは私が関心をもった内容をめぐって、自由に論評するという形になっている。とはいっても、私の関心も、なぜ日本のアニメやマンガがアメリカや世界でこれほど受け入れられているのかというとことにあるので、本書のテーマに沿った論評ではある。
日本は、とくに21世紀に入って世界中やアメリカで起ったアニメ・ブームについてはほぼ不意打ちをくらった感じだった。日本のアニメ業界は、その人気に呆然とし、なぜ世界中がそれほどアニメに関心をもっているのか、理由が分からないでいる。また関心の高さを有効に活用する方法も分からないでいる。では、本書が、その問いに充分に答えたかのか。私が読んだかぎりではイエスとはいえない。アニメ・ビジネスの内部事情や知的財産権の問題、コスプレやオタクの実態など、個々の状況については丹念に取材しているが、なぜ今、世界が日本のアニメに熱い関心を向けているかについては、充分な説得力をもって答えているとはいえない。
たとえば、著者は、手塚プロダクションの清水氏にインタビューして、この「なぜ」を質問している。答えはこうだ。『機動戦士ガンダム』にしても、『攻殻機動隊』にしても、アニメ作品は総じて、ストーリーを導く明確な道徳や解決策に欠ける。それは、日本に道徳の核となるような中心宗教がないからだ。さまざまな状況や前後関係の中で、どのように行動すべきかが判断される。
一方、世界は今、グローバル化によって中心がなくなり、不確かな要素が増し、不安定になってきた。そういう状況の中で人生に起る無数のドラマに対し、一定の道徳的な答えを用意するのではなく、いくぶん場当たり的に対応する日本式アプローチが、見事に時代に適合しはじめているのかも知れない。著者は、清水氏のこの議論を今まででもっとも説得力のあるものとして聴いたという。
みなさんは、この答えを聞いて、なるほどと感じるだろうか。私は、そういう面も確かにあるだろうなと思う。しかし、説明の仕方をもう少し変えた方が、ことの本質に迫ることができるのではないか。上では「中心的宗教がない」という表現をとっているが、別の言い方をすれば、キリスト教などの一神教を受け入れなかったということだろう。仏教や神道も、私たちの倫理や生活の中味を強く縛るような強固なかたちであるわけではない。
私たちの日常生活は、ほとんど無宗教に近いかたちで営まれている。そういう制約のなさから生まれてくる自由なストーリーが、相変わらず多少とも宗教的な制約のなかで生きている人々にとっては、新鮮でクールなものと映る。そんな風に、私たちの文化の無宗教性を積極的にとらえた方が、熱烈なアニメブームの理由をより深く説明できるのではないか。アニメの背後にある私たちの文化の無宗教性、タブーのなさ、奔放で自由な表現、そうしたものに積極的な価値が見いだされ、それが世界でクールと受けとめられ始めているのではないか。