クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

アトムと縄文(1)

2012年05月31日 | マンガ・アニメの発信力の理由
アン・アリスンの『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』については、かつて書評という形でとりあげたり、この本の中のセーラームーン論をとりあげたりした。

『菊とポケモン』、クール・ジャパンの本格的な研究書(1)
『菊とポケモン』、クール・ジャパンの本格的な研究書(2)
マンガ・アニメの発信力:セーラームーン(1)
マンガ・アニメの発信力:セーラームーン(2)

今回は、この本の中の鉄腕アトム論をヒントにしながら、日本人の縄文的な心性と「鉄腕アトム」との関係を考えてみたい。

現代日本人の中に縄文的な心性が流れ込んでいるといっても、では、私たちの中の何が縄文的なのかいまひとつピンと来ない。しかし、私たち日本人の多くが、楽しんで読んだり見たりした作品の中にそれが表れているとすれば、これかと納得しやすいのではないか。

『菊とポケモン』の中で著者は、縄文時代とか縄文文化とかいう言葉はいっさい使っていない。しかし、鉄腕アトムなどを例にしながら、テクノ-アニミズムという言葉を使って現代日本のポップカルチャーのある一面を特徴づけている。アニミズムとはもちろん、巨石からアリに至るまであらゆるものに精霊が宿っていると感じる心のことだ。それがテクノロジーとどう関係するのか。

鉄腕アトムでは、たとえば警察車両が空飛ぶ犬の頭だったり、ロボットの形もイルカ、カニ、アリ、木まで何でもありだ。マンガ・アニメに代表される日本のファンタジー世界では、あらゆるものが境界を越えて入り混じっているが、その無制限な融合を可能にする鍵が、テクノロジーの力なのだ。メカと命あるものの結合によってテクノ-アニミズムが生まれる。

アトムそのものがテクノ-アニミズムのみごとな具体例だといってもよい。アトムはメカであると同時に、「心」をもった命とも感じられる。正義や理想のために喜んだり、悩んだり、悲しんだりするアトムの「心」に、私たちは感情移入してストーリーに胸を躍らせる。

手塚治虫によってアトムというロボットに「命」が吹き込まれた(アニメイトされた)が、アトム誕生の背後にある道は、かなたの縄文的アニミズムにまで続いている。手塚の作品には、メタモルフォーゼ(変身)に対する憧れのようなものが強く表現されている。『メトロポリス (手塚治虫漫画全集 (44))』など初期の作品からそういう傾向が強く出ている。この作品のミッチーという中性的人間型ロボットは、スイッチを押すことで男にも女にもなれる。男女差どころか、人間と機械の差も曖昧で、こうした変身の要素は、最初から手塚作品の根幹をなしている。こうした要素の根っこを探っていくと、縄文的アニミズムに至りつくはずだ。

『「萌え」の起源』(1)
『「萌え」の起源』(2)

そして、アトムやドラえもんなどファンタジー世界の「生き生きとした」ロボットたちが、ホンダ ASIMOのような人型ロボット開発への情熱を生み出した重要な要因になっている。つまり、縄文的アニミズムは、アトムなどマンガ・アニメの主人公たちを介して、最先端ロボットへと連なっているのだ。

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日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07)

2012年05月28日 | 日本文化のユニークさ
「日本文化のユニークさ」6項目にかなり修正を加え、以下の7項目とする。(1)の文章を少し変え、これまでの(4)を二つに分けて(4)(5)という独立の項目とした。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(5)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(6)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。

(7)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

修正前の6項目のバージョンのものは以下を参照されたい。

ユニークさ全項目を振返る(日本文化のユニークさ総まとめ01)

新バージョンの(6)(旧バージョンの(5)にあたる)は、日本人の相対主義的な価値観はなぜ生まれたかという問いでもあった。前回までこの問いを、これまでこのブログのあちこちに書いてきたものの総まとめの意味で5つの観点からまとめた。それを振返ってもらえばわかるように、新バージョンの(6)の特徴は、その前のすべての項目の結果だといってもよい。その作業を通して、旧バージョンの(4)を新バージョンのように(4)と(5)として独立させたほうがよいと考えた。

この7項目も、まだ暫定的なもので今後の修正もありうるが、とりあえずこの7項目にそって、今度は(1)からの順番で、「日本文化のユニークさ」総まとめをしていく予定である。(1)と(2)は、あえて分けなくともよいのかもしれないが、分けることで母性原理の文化が存続したという点を強調したい気持ちがある。

何人かの方にコメントをいただいていることはとても刺激になっている。質問や批判をいただいたことをきっかけに、では今度はその点を中心に展開してみようと、このブログを書き進めるヒントになったことも多い。自分の考えの不十分なところや説明の足りないところに何度も気づかされた。

あらためて感謝させていただきます。

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侵略されなかった幸運(日本文化のユニークさ総まとめ06)

2012年05月27日 | 侵略を免れた日本
続けて「日本文化のユニークさ」6項目の5番目を5点から見ていくが、今回はその④と⑤である。

5)文化を統合する絶対的な原理や正義への執着がうすかった。また、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

④弥生時代以降も一貫して、日本列島に異民族が大挙して侵入したり、さらに日本民族を征服したりすることがなかった。したがって「正義」の優劣を決する熾烈な争いも、完璧に異民族の「正義」の支配下に置かれてしまう経験ももたなかった。そのため縄文時代以来の独自の文化を保持しながら、大陸の高度文明の不都合なところはわきにおいたまま「いいとこどり」を繰り返すことができた。

これは「日本文化のユニークさ」6項目のうち(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった」(前半部分のみ)に重なり、これに関連してもこれまで多く書いてきた。

日本文化のユニークさ07:ユニークな日本人(1)
日本文化のユニークさ08:ユニークな日本人(2)
日本文化のユニークさ09:日本の復元力
日本文化のユニークさ11:平和で安定した社会の結果

他民族との戦争を通して、部族の神は、自民族だけではなく世界を支配する正義の神となる。武力による戦いとともに、正義の神相互の殺し合い、押し付け合いが行なわれる。社会は、異民族との戦争によってこそイデオロギー的になる。自分たちの「正義」を絶対視する傾向が強まるのである。

ところが日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったため、自分たちが強力な正義の神でまとまる必要もなかったし、他民族の神を暴力的に押し付けれることもなかった。イデオロギーなしに自然発生的な村とか共同体に安住することができた。

西洋人にもそういうレベルはあるが、そこに留まるのではなく、宗教やイデオロギーのよう原理・原則によって統合されていった。そういう背景から、「イデオロギーを基盤にした社会こそが進んだ社会であり、そうしないと先進文化は創れない」とどこかで思っている。

日本は強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築もなく、村的な共同体から逸脱しないまま、前農耕的な縄文文化さえ、その内側に抱え込んだまま発展した。そして村的な共同体をかなり洗練させる形で、大きくしかも安定した、高度な産業社会を作り上げてしまった。ここに日本人の相対主義的な価値観の源泉がある。

⑤日本列島は、国土の大半が山林地帯であるため、水田稲作は狭小な平野や山間の盆地などでほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきた。巨大な専制権力や、それを可能にする政治的、文化的な統治イデオロギーも必要なかった。強大な権力による一元支配がなかったのである。

中国大陸では、広大な平野部で大規模なかんがい工事を推し進める必要から、無数の村落をたばね無数の労働力を結集させる力が国家に要求された。巨大な専制権力が必要だったのだ。武力的にその権力下に組み込まれる場合も多かった。それを可能にするのに政治的、文化的な統治イデオロギーも必要だった。そのイデオロギーをやがては儒教が担うことになる。こうしてしだいに農耕文明以前の精神性(日本でいえば縄文的・多神教的な精神性)が失われていった。

逆に、日本列島のように農耕に適した土地がみな小規模だと、強大な権力による一元支配は必要なかった。島国であるため外敵の侵入を心配する必要もなかったから、軍事的にも大陸に比べ小規模でよかった。そのため日本では、強固な統治イデオロギーによる支配も必要とせず、縄文時代以来のアニミズム的な精神性が消え去ることなく残った。こうした地形的な特徴も日本人の相対主義的な考え方を形づくる要因のひとつだった。(呉善花『日本の曖昧力 (PHP新書)』)

これで、日本人が相対主義的な価値観を持つにいたった歴史的・地理的および自然環境の面からの考察はいちおう終わりにする。しかし、それが文化の面でどのように表現されたかについては今後の課題として残したい。

日本神話の中の相対主義的な価値観についてはすでに若干ふれた。無常観やもののあわれという美意識との関係についても指摘した。しかし、まだ考えてみたいことはある。

たとえば判官びいき。能。建前と本音の文化。義理と人情、およびその江戸文学における表現。昔話‥‥。これらも何らかの形で相対主義的な価値観や世界観と関係があるのではないか。しばらく後になると思うがじっくり考えてみたい。

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《関連図書》
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『世界に誇れる日本人 (PHP文庫)
☆『中空構造日本の深層 (中公文庫)
☆『山の霊力 (講談社選書メチエ)
☆『日本とは何か (講談社文庫)
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
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縄文と弥生の融合(日本文化のユニークさ総まとめ05)

2012年05月26日 | 相対主義の国・日本
引き続き「日本文化のユニークさ」6項目の5番目を5点から見ていく。5番目のユニークさとは以下のものである。

5)文化を統合する絶対的な原理や正義への執着がうすかった。また、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

これについて5点から見ているわけだが、その5点をかんたんにまとめる。
①縄文時代以来の自然崇拝的・母性原理的な心性。
②自然の豊かさと自然災害の多さ。
③縄文文化と大陸文化の融合。
④異民族による侵入や侵略がなかったこと。
⑤狭隘な地形のため巨大権力による一元支配がなかった。

これらすべてが、日本人の絶対的な原理や正義への関心のうすさ、相対主義的なものの見方を形づくる要因となっている。こうして見ると結局は、①がこの問題のすべての根底にあるような気がするが、今回は、その3点目を見ていく。(以下すでにアップしたいくつかの記事を要約してまとめたものである。)

③高度に発達した縄文文化は、大陸から渡来した弥生文化によって消え去ったのではなく、縄文文化は基盤として根強く生き残りながら、大陸文化と融合していった。その事実の宗教的・政治的な帰結が神仏習合である。

◆なぜ縄文文化は抹殺されなかった?
縄文時代から弥生時代への移り変わりは、大量の渡来人が一気に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではない。大陸から日本列島への渡航は、それほど容易ではなかった。

縄文人がかなり早い段階でかんたんな農耕を始めていたことは、三内丸山遺跡などの発掘で明らかになりつつある。もちろん狩猟採集も行われ、これが生活の重要な位置を占めていた。弥生人により九州北部で本格的な稲作が始まり、それが東進してくると、稲作文化をかたくなに拒んだ縄文人もいたが、稲作を積極的に受け入れた縄文人もいたようだ。

現代人に占める縄文系と渡来系の血の配分は、1対2ないしは1対3だとされ、大量の渡来人が流入してきたと信じられてきた。しかし、渡来人が北九州に稲作を根づかせ、少なからぬ縄文人も稲作を受け入れ、渡来人と混じり合っていったとすればどうか。狩猟採集民は自然環境とのバランスの中に生きざるを得ないので基本的に人口は増加しないが、稲作民の人口増加率はかなり高い。それが渡来系の血を圧倒的に多くしていった。しかし文化的には、縄文系の風俗、習慣、信仰心などに溶け込んでいったのである。(→日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ

◆日本の蛇殺しの曖昧性
弥生時代以降、大陸から渡来した人々は、蛇殺しの神話をもっていた。こうした神話は、稲作と鉄器文化が結びついて伝播した可能性を示している。蛇殺しの神話は日本ではヤマタノオロチの伝説となった。スサノオノ命が、オロチに酒を飲ませ、酔って寝込んだすきに、剣を抜いて一気にオロチの八つの首を切り落とす。

この物語は、旧約聖書にも登場するバール神が海竜ヤムを退治した物語によく似ているという。バールは嵐の神であり、スサノオノ命もまた荒れ狂う暴風の神である。バール神の蛇殺しもスサノオノ命の蛇殺しも、ともに新たな武器であった鉄器の登場を物語っている。バール神がシリアで大発展した紀元前1200年頃は、鉄器の使用が広く普及した時代でもある。日本の弥生時代も鉄器が使用されはじめた頃だ。こうしてみると、蛇を殺す神々の登場の背景には、鉄器文化の誕生と拡散とが深く関わっており、殺される大蛇たちは、それ以前の文化のシンボルだったのだろう。

しかし、日本に関してはスサノオノ命が大蛇を退治したから古い文化を葬り去った新時代の神だったとは単純にはいえない。日本では蛇信仰は形を変えつつも生き残った。縄文文化は弥生文化によって抹殺されてしまったわけではない。縄文の心が稲作農耕を中心とした弥生文化の中に流れ込み、溶け合っていった。

それを反映してか、男神であるスサノオノは、ヤマタノオロチ退治の前、アマテラスが住む高天原で大暴れをして、「根の国」に追放されたのである。つまり女神に男神が敗北しているのだ。女神や蛇に象徴される古い文化(母性原理)が、鉄器をもった男神(父性原理)によって葬り去られるという単純な図式では、きれいに整理できない。

しかも「根の国」に追放されたスサノオが、復活してヤマタノオロチを退治するのは、出雲の国である。出雲はもともと縄文文化の関係が深い地域でもある。もともと出雲族は近畿地方の中央にいたが、外部から侵入した部族によって四方に分断され、その一部が出雲と熊野に定住したという説もある。さらに出雲族の一部は、諏訪地方にのがれ、諏訪大社の基盤を作ったという。諏訪大社は、御柱祭からも推測できるように、蛇信仰や縄文文化と関係が深いのだ。

すなわち、スサノオノ命の大蛇退治は、その前後の物語も含めて考えると、稲作や鉄器に代表される弥生文化が,蛇信仰に代表される縄文文化を葬り去った物語と単純にとらえることはできない。むしろ縄文文化と弥生文化が絡み合い融合していくさまを、そのまま反映して、両方の要素が複雑に入り組んでいるものと理解すべきだろう。(→日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

◆神仏習合
こうした形での文化の融合を端的に表すのが神仏習合である。仏教が初めて日本に入ってきたとき、すでに日本側では「日本的な習俗に仏教をあわせていく」という作業が始まっていたという。仏教というイデオロギーによって社会と文化が一元的に支配されず、神仏習合が起こったため、縄文的な流れをくむ信仰や習俗が抹殺されずに生き残ったのだ。

聖徳太子の後、日本は唐から律令制を導入するが、神祇伯(神祇官の長官)のような唐にない制度を設けた。これも、律令制度や仏教は導入しても、日本の神々のことも忘れていないということを示している。仏教で信仰される大日如来が、天照大神として日本に垂迹(すいじゃく)したという本地垂迹説は、神仏習合の典型だ。これがもっと洗練されると、もともと同じ神が、インドでは大日如来となり、日本では天照大神となったということになる。

世界のほとんどの国では、複数の宗教が両立することはなかった。たとえば百済は、仏教国となったとき、それ以前の土着の宗教(日本の神道にあたる)は消えてしまった。その後、朱子学が入ると仏教がおとしめられ、仏教は迷信の塊とみなされた。李朝でも上流階級には仏教徒は一人もいなくなったという。朝鮮半島に見られるような宗教の歴史こそが、世界の普通のあり方で、日本のように縄文文化やそこに根ざす神道が脈々と受け継がれていくということの方が例外なのだ。(→日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

こうして、縄文文化は抹殺されず、むしろ生き生きと後の時代に受け継がれていくことになった。つまり、日本の歴史はその原初から、従来の文化を基盤としつつそこに新しい文化を取り入れ、自分たちに適した形に変えていくという、その後何度も繰り返えされる歴史の原型を作っていた。神と神の対立抗争よりはその融合を選んだという原体験が、その後の日本人の相対主義的なものの見方の基盤となったのである。

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☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『世界に誇れる日本人 (PHP文庫)
☆『中空構造日本の深層 (中公文庫)
☆『山の霊力 (講談社選書メチエ)
☆『日本とは何か (講談社文庫)
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)
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森の思考と相対主義(日本文化のユニークさ総まとめ04)

2012年05月25日 | 相対主義の国・日本
「日本文化のユニークさ」6項目の5番目を5点から見ていくが、今回はその②である。

5)文化を統合する絶対的な原理や正義への執着がうすかった。また、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

②縄文時代から現代に至るまで、豊かな恩恵をもたらしながら、ときに狂暴化する自然のもとで生きてきた。そうした自然への畏敬が、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)という、神の極端な二面性への信仰となり、また日本人独特の無常観をも醸成した。

ここでは、日本人の相対主義的なものの見方が日本列島の自然の特徴にも深く関係があるのではないかという問題を考える。上の文章では日本の自然の二面性を強調したが、その前に日本の豊かな森そのものが日本人の世界観に与えた影響も大きいと思う。ということでその二つの視点から見ていく。

まずは自然環境が豊かであるか不毛であるかで、世界観にどのような影響を与えるのか。前回、母性原理と父性原理を問題にした。日本は縄文以来の母性原理の文化が破壊されずに持続し、それが相対主義的なものの見方に深く影響したことを確認した。

一般的に言って、母性原理の文化は豊かな森の恵みや大地の豊饒性に根ざしている。たとえば、古代地中海世界では紀元前1500~1000年頃にそれまでの大地に根ざす女神から、天候をつかさどる男神へと信仰の中心が移動した。これには紀元前1200年頃の気候変動が関係しており、北緯35度以南のイスラエルやその周辺は乾燥化した。その結果、35度以北のアナトリア(トルコ半島)やギリシアでは多神教や蛇信仰が残ったが、イスラエルなどでは大地の豊饒性に陰りが現れ、多神教に変わって一神教が誕生する契機となったという。

これまで大地の恵みに頼れば生きていけた時は、地下の蛇や大地母神が信仰されたが、乾燥化が進むと嵐や雷に関係する天候神バールや唯一神ヤーウェの信仰が強大化した。この信仰の変化にとってもうひとつ重要なのは、牧畜民が砂漠を追われて農耕民のオアシスや河畔に侵入し、侵略したことだ。牧畜民は天の神を信じていたので、これも天候神の確立に大きく寄与した。(→日本文化のユニークさ39:環境史から見ると(1)

整理すると、豊かな森や大地の豊饒性は、大地母神に象徴される母性原理の多神教的な文化を生み、一方、乾燥化した不毛な自然は、天候をつかさどる男神に象徴される父性原理的な一神教に収斂していく。それが歴史上も確認できるのである。(ユダヤでの一神教の確立には、その歴史の経過が深くかかわっているがここでは詳述しない。)

一神教は砂漠的な風土で生まれ、砂漠的な思考法と結びついている。砂漠は厳しい環境で、右にオアシスがあるかも知れないが、左は灼熱の砂漠が続き死んでしまうかも知れない。だから判断を早くするため、話し合いで結論を先延ばしするのではなく、指導者格の一人が決断をしなければならない。一神教的なリーダーシップにより右か左かの二分法的な思考法が必要とされるのだ。それは父性原理の思考法である。

一方、豊な自然に恵まれた森では、水も湧くが、獣もいれば突然の豪雨もある。天候や自然の動きが読めない。だからしばらく待って状況をうかがうもよし、多くの意見を聞いてまとめるもよし、という相対主義的な思考になる。リーダーは複数いるし、待つとか動くとか多様な選択肢があってかまわない。これが、母性原理の態度である。(『森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)』、『日本力』)

日本列島は、山が多く雨も多い。ほぼ一貫して豊かな森が保たれ、国土が荒廃することはなかった。これほど森に恵まれた島は温帯地域ではまれだろう。縄文時代以来の森林的な思考法が、母性原理の多神教的な世界観、相対主義的な世界観として、現代の日本人にまで影響を与えているのである。森林型の思考が色濃く残った日本では、いまだに一神教的な思考がなじまない。

さて次に、自然はどんなに豊かであろうと過酷な面を備えている。とりわけ日本列島は、豊かな自然が時に狂暴化して人々を苦しめる。その落差の大きさも、日本人の相対主義的なものの見方に大きく影響を与えているのではないか。母性そのものが生み育む面と呑み込む面という二面性をもっているが、日本の自然はその両面を極端な形で備えているのだ。それが、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)という、神の極端な二面性への信仰となった。

一神教と多神教の違いは、たんに神が一人が複数かという違いだけでなはいという。多神教の神のなかには、ひどい悪さをする神もおり、それが人間にとって大きな苦しみとなる場合もある。日本の神々も例外ではない。天照大神さえも、一人で荒魂・和魂という二面性を兼ね備えていたという。それは自然の恵みと脅威との二面を表しているともいえる。

自然の二面性を表現する端的な例が雷神だろう。雷神は、一瞬のうちに人を焼き殺してしまう祟り神であると同時に、人々に恵みをもたらす豊饒の神ともみなされていた。雷が田に落ちないと稲は実らないと信じられていたからである。稲妻は文字通り稲の妻であった。(『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)』)

恵みをもたらす神だけではなく、わざわいをもたらす神もいる。一人の神の中にさえその両面がある。これは、そのまま大自然が人間に対してもつ二面性を表している。恵み多き豊かな自然であればあるほど、一たび自然の脅威にさらされれば、その二面性を強く意識するようになる。日本人は縄文人以来そういう自然の中で生きてきた。多様で豊かな森の自然そのものが多様で相対的なものの見方を育むが、その自然がときに大災害をもたらすとなれば、相対主義的な世界観はさらに根強いものになっていく。

厳しい自然が、日本人独特の無常観を生み、これも相対主義的な思考に関係することはすでに見た通りである。(→マンガ・アニメと日本の伝統

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《関連図書》
☆『中空構造日本の深層 (中公文庫)
☆『山の霊力 (講談社選書メチエ)
☆『日本とは何か (講談社文庫)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)

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母性原理と曖昧の美学(日本文化のユニークさ総まとめ03)

2012年05月22日 | 相対主義の国・日本
「日本文化のユニークさ」6項目の5番目、

5)文化を統合する絶対的な原理や正義への執着がうすかった。また、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。(文章の前後を入れ替えた。)

を、前回列挙した5点から見ていくが、今回はその一番目を考える。

①前農耕文化だが高度に発達した縄文文化の時代が1万5千年も続き、その自然崇拝的・母性原理的な心性が日本文化の底流をなしている。そして、その宗教的心性が、絶対的正義を標榜する普遍宗教を受け入れるときのフィルターとして働いた。

世界史の流れは、母性原理的な文化から父性原理的な文化へと移行する傾向がある。大まかにいって農耕・牧畜が開始する以前は、母性原理の文化が広がっていた。これについては以下の記事を参考にされたい。

日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理
日本文化のユニークさ39:環境史から見ると(1)

日本列島に住む人々は、母なる自然の恩恵をじかに受け取りつつ世界史上でもまれな高度な漁撈・採集時代を生きた。そのため農耕の段階に入っていくのが大陸よりも遅く、それに応じて高度に発達した母性原理の文化がその後の日本文化の基盤となった。

縄文人の信仰や精神生活に深くかかわっていたはずの土偶の大半は女性であり、妊婦であることも多い。土偶の存在は、縄文文化が母性原理に根ざしていたことを示唆する。縄文土偶の女神には、渦が描かれていることが多いが、渦は古代において大いなる母の子宮の象徴で、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表す。

日本人が、絶対的な原理や正義へ執着が薄いことは、縄文時代以来の日本文化が母性原理の傾向を強くもっていることと大いに関係がありそうだ。

砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない父性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。一神教を中心とした父性的な文化は、対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。母性原理は逆に相反する極をともに受容する。

唯一の中心と敵対するものという、一神教の二極構造は、ユダヤ教(旧約聖書)の神とサタンの関係が典型的だ。神の栄光を際立たせるために、神に敵対する悪魔の存在を構造的に必要とし、絶対的な善と悪との対立が鮮明に打ち出された。両者は、光と闇のように決して交わらることはない。究極的な悪としての悪魔の概念が不可欠なのだ。そうした対立構造が、「魔女狩り」のような集団殺戮を生む背景となっている。

これに対して日本神話の場合はどうか。例えばアマテラスとスサノオの関係は、それほど明白でも単純でもない。スサノオが天上のアマテラスを訪ねたとき、彼が国を奪いにきたと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るための誓いではスサノオが勝つ。その乱暴によって天界を追われたスサノオは抹殺されるどころか文化英雄となって出雲で活躍する。二つの極は、どちらとも完全に善か悪かに規定されず、適当なゆり戻しによってバランスが回復される。

母性原理の日本文化は、「曖昧の美学」にも現れる。「曖昧」は成熟した母性的な感性となり、単純に物事の善悪、可否の決着をつけない。すべてを曖昧なまま受け入れる。能にせよ、水墨画にせよ、日本の伝統は、曖昧の美を芸術の域に高めることに成功した。それは映画やアニメにも引き継がれ、一神教的な文化とは違う美意識や世界観を世界に発信している。

日本は曖昧な「ナンデモアリ」の社会だが、その「いい加減さ」の背景には、父性原理の文明によって圧殺されずに、縄文時代からの母性原理の文化を連綿と引き継いできた事実がある。

農耕文明に入ってからも母性原理的な森の宗教の原型を色濃く残し、しかも大陸の高度文明の精華の部分だけを、その母性原理的な文化の中に取り入れることができた。中国文明だけではなく、下って西欧文明が流入したときも、母性原理的な基盤に抵触しないように何かしら変形して受け入れた。

ただし私たちは、縄文的な基層文化が私たちの個々の意識や文化の底流として生き残っていることにほとんど無自覚である。その基層文化が、自分たちに合わないものはフィルターにかけて排除する働きをしていることについても無自覚である。

その実、海外から入ってくる「高度な文明」には強力なフィルターがかかって取捨選択がなされている。近代文明をこれほど素早く受け入れながら、その根っこにあるキリスト教をみごとにフィルターにかけてしまったというのはその最たる例である。その結果私たちは、相変わらず相対主義的な価値観のもとに生活しているのである。

日本人の日常的な思考や行動様式を、縄文的な基層文化の残滓という観点から次のようにまとめた論者がいる。(→『ケルトと日本 (角川選書)』の中の「現代のアニミズム-今、なぜケルトか」(上野景文)という論文)

イ)自分の周囲との一体性の志向
ロ)理念、理論より実態を重視する姿勢★
ハ)総論より各論に目が向いてしまう姿勢★
ニ)「自然体的アプローチ」を重視する姿勢
ホ)理論で割り切れぬ「あいまいな(アンビギュアス)領域」の重視★
ヘ)相対主義的アプローチへの志向(絶対主義的アプローチを好まず)★
ト)モノにこだわり続ける姿勢

これらの特質は偶然に並存しているのではなく、それぞれの根っこに共通の土台として「アニミズムの残滓」が見て取れると、論者はいう。たとえば、ロ)やハ)についてはこうだ。自然の個々の事物に「カミ」ないし「生命」を感じた心性が、今日にまで引き継がれ、社会的行動のレベルで事柄や慣行のひとつひとつにこだわり、それらを「理念」や「論理」で切り捨てることが苦手である。それが実態や各論に向いてしまう姿勢につながる。

これらのうち★印をつけたロ)ハ)ホ)ヘ)は、理念や原理よりも現実や個々の事物に関心が向いていくという傾向を示す。理念や原理を絶対視しないという意味で、これらは相対主義的なものの見方と関係する。

もちろん、これらの思考・行動様式のずべてを縄文的基層文化の影響だけで見るのではなく、のこりの②~⑤のすべてと、さらにこのブログで繰り返し示してきたような「日本文化のユニークさ」6項目のすべてとの関係で見るべきだが、今回とりあげた①との関係もかなり濃厚だというべきだろう。

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日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
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クールジャパンの根っこは縄文?

《関連図書》
☆『中空構造日本の深層 (中公文庫)
☆『山の霊力 (講談社選書メチエ)
☆『日本とは何か (講談社文庫)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)
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絶対正義は必要ない(日本文化のユニークさ総まとめ02)

2012年05月21日 | 相対主義の国・日本
「日本文化のユニークさ」5項目(現在は6項目)のそれぞれについて、かつて通して考察したことがある。しかしそれ以外のところでも関連したことをいろいろ書いてきた。それらすべてを該当する項目の下に集めて、もう一度整理しながら考え直したいと思っている。

6項目のどこから始めてもよいのだが、たまたま前回まで5番目に関連したことを書いていたので、ここから始めることにする。(→ユニークさ全項目を振返る(日本文化のユニークさ総まとめ01)参照)

前回の記事に関してはpuさんから日本の祟り神と相対主義との関係についてヒントをいただき、名無しさんからは、江戸文学に相対主義的な価値観が表れているかどうかという問いをいただいた。

私は、「日本文化のユニークさ」6項目のもとに、過去に蓄積されてきた多くの日本人論・日本文化論を整理・統合してみたいという意図をもっている。そういう方法意識のもとに、いただいたコメントへの応答もかねて考えていきたい。

まず、6項目のうち5番目を次のように追加修正したい。

5)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。また、文化を統合する絶対的な原理や正義への執着がうすかった。

こう修正したうえで、そのようなユニークさをもつようになった背景を次のような5つにまとめたい。今回はこれらを列挙するにとどめ、詳しい考察は次回以降としたい。読んでお分かりのように、5つのうち3つは、「日本文化のユニークさ」6項目のどれかに重なっている。これら6項目は、相互に深い関係があるので当然といえば当然なのだが。

①前農耕文化だが高度に発達した縄文文化の時代が1万5千年も続き、その自然崇拝的・母性原理的な心性が日本文化の底流をなしている。そして、その宗教的心性が、絶対的正義を標榜する普遍宗教を受け入れるときのフィルターとして働いた。

②縄文時代から現代に至るまで、豊かな恩恵をもたらしながら、ときに狂暴化する自然のもとで生きてきた。そうした自然への畏敬が、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)という、神の極端な二面性への信仰となり、また日本人独特の無常観をも醸成した。

③高度に発達した縄文文化は、大陸から渡来した弥生文化によって消え去ったのではなく、縄文文化は基盤として根強く生き残りながら、大陸文化と融合していった。その事実の宗教的・政治的な帰結が神仏習合である。

④弥生時代以降も一貫して、日本列島に異民族が大挙して侵入したり、さらに日本民族を征服したりすることがなかった。したがって「正義」の優劣を決する熾烈な争いも、完璧に異民族の「正義」の支配下に置かれてしまう経験ももたなかった。そのため縄文時代以来の独自の文化を保持しながら、大陸の高度文明の不都合なところはわきにおいたまま「いいとこどり」を繰り返すことができた。

⑤日本列島は、国土の大半が山林地帯であるため、水田稲作は狭小な平野や山間の盆地などでほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきた。巨大な専制権力や、それを可能にする政治的、文化的な統治イデオロギーも必要なかった。強大な権力による一元支配がなかったのである。

これらがすべて、日本文化の相対主義的な価値観を形成する重要な要因になっているだろう。次回以降は、この5点のそれぞれをやや詳しく見ていきたい。

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《関連図書》
☆『日本とは何か (講談社文庫)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)
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マンガ・アニメと日本の伝統

2012年05月19日 | マンガ・アニメの発信力の理由
前回(15日付)の「日本人はクリエイティブ、なぜ?(4)」で、日本のマンガ・アニメに「相対主義的な価値観にたった作品」が多いことに触れたが、これについて、

「私はこれを先の大戦で負けたことによって,それまでの価値観が全否定されたことに対する反論であるのかと思っておりましたが,もっと昔から「相対主義的な価値観にたった作品」を作っていたのでしょうか?」

というコメントをいただいた。これも、とても興味深い問いなので、十分な答えになるかどうか分からないが、ここで触れてみよう。まず大戦中の価値観への反動として相対主義的な価値観の作品が作られるようになったという面も確かにあるであろう。しかし、相対主義的な価値観そのものが日本文化の伝統に属していることも確かだろう。

では、昔からそのような価値観にたった作品が作られていたのだろうか。その場合、昔とはいつの時代からを指して言えばよいのか。マンガやアニメについて言えば、映画的な手法も取り入れ、現代のような複雑なストーリーをもった作品が作られるようになったのは、手塚治虫などを中心とする戦後の現象だから、戦中、戦前やましてそれ以前については、あまり比較にならない。

もし「相対主義的な価値観にたった作品」がたんなる戦後の現象ではなく、日本の伝統に根ざしているのかどうかを問うなら、江戸時代以前の文学作品を参考にするほかないだろう。そして、その範囲でなら、絶対的な価値観や原理原則を重視しない日本文化の特徴が、かなり色濃く日本の文学作品に反映しているといえよう。

「日本文化のユニークさ」の5番目、「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった」であったが、それは日本人が宗教的な絶対的な正義に一種の拒否反応をもっていたことと重なる。

聖徳太子の神仏習合思想以来、日本人は絶対的正義感から自由になったのだともいえる。もちろん日本人も正義感を大切にするが、それは多くの宗教に見られるような絶対的なものではない。むしろそれは、自分たちが所属する社会や、居合わせる「場」の状況によって変化する。悪くすれば迎合主義になるかもしれないが、時代の変化に合わせて価値観や正義感が変わっていくという事実を日本人は抵抗なく受け入れる。そいいう相対主義的な物の見方を日本人は自然に身につけていたのではないか。

「永遠の絶対的な原理」などないという日本人の感覚は、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返されたという、日本の自然条件とも関係するだろう。それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」(『方丈記』)

という無常への詠嘆は、人の権力の盛衰を前にしても繰り返される。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。裟羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。」(『平家物語』)

「盛者必衰の理」は、権力が人々に押し付ける「正義」の無常にもつながっていた。すべては滅びゆくという無常感や「もののあわれ」の感覚は、日本文学の底流をなす美学だった。それは、日本人の相対主義的な物の見方と深くかかわっていたはずである。少なくとも両者は、一神教世界に見られるような「絶対的正義感」や「永遠の美学」とは、もっとも縁遠いところに位置した。

現代のマンガやアニメが、日本人の伝統的な無常観をストレートに受け継いでいるというのではない。しかし、日本人が伝統的にもっていた自然観や人間観が、どこかでマンガやアニメに反映されているのも確かだろう。そのひとつが相対主義的な価値観なのである。

《関連記事》
日本人はクリエイティブ、なぜ?(1)
日本人はクリエイティブ、なぜ?(2)
日本人はクリエイティブ、なぜ?(3)
日本人はクリエイティブ、なぜ?(4)

《参考図書》
★『偶然を生きる思想―「日本の情」と「西洋の理」 (NHKブックス)
★『日本型ヒーローが世界を救う!
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)

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日本人はクリエイティブ、なぜ?(4)

2012年05月15日 | 全般
今回は、「日本文化のユニークさ」6項目のうち、残りの2項目との関連で、日本人のクリエイティビティを見ていくことになる。

(5)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。
(6)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

これらの特徴がどうして創造性と関係があるのか。いうまでもなく、宗教やイデオロギーによる制約がないと相対主義的で多角的なものの見方が許され、自由な発想と表現が可能となるからである。ただ、この点については、前回すでに触れているので、今回はかんたんに振り返るにとどめたい。

日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったために、儒教であれれキリスト教であれ、宗教による強力な一元的支配を必要としなかった。イデオロギーなしに自然発生的な村とか共同体に安住することができた。強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築を経ず、村的な共同体から逸脱しないで、それをかなり洗練させる形で、大きくしかも安定した、高度な産業社会を作り上げてしまった。ここに日本のユニークさと創造性のひとつの源泉がある。

西洋人は、そしてユーラシア大陸の多くの民族も、宗教やイデオロギーのような原理・原則の方が優れていると思っている。ところが日本人は、イデオロギー的な宗教支配なくして、とくにキリスト教なくして、キリスト教から派生したはずの近代国家を形成した。農耕文明以前の、自然崇拝的な精神を基盤としたまま高度産業社会を発展させた。

この事実は、文明史的な観点からいってもきわめて特異なことだろう。その特異さは、文化的な観点からいってもきわだっている。宗教などによる一元的な価値観の支配なくして高度に現代的な社会を営み、しかも世界のあらゆる文化的アイテムを相対化して自由に使いこなしながら、相対主義的な価値観にたった作品を次々の生み出してく。

一元的な宗教を基盤とし、多少なりともハードな統合性をもった文化から見ると、日本のポップカルチャーはどこか無原則的に見えだろう。しかし、その何でもありの柔軟性や融合性の中から思いがけない発想の作品が生まれてくる秘密があるのだ。堅固な宗教的基盤を背景にする国々は、日本のアニメやマンガに接すると、自分たちがよって立つ文明原理を根底から揺さぶり動かされるような衝撃と、同時に魅力を感じるのかもしれない。

マンガ・アニメの創造性と相対主義的な価値観との関係は次の記事を参照されたい。

マンガ・アニメの発信力と日本文化(3)相対主義
マンガ・アニメの発信力と日本文化(4)相対主義(続き)
ジャパナメリカ02

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《関連図書》
★『日本型ヒーローが世界を救う!
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)
★『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること
★『格差社会論はウソである
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)
★『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力
★『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)
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日本人はクリエイティブ、なぜ?(3)

2012年05月13日 | 全般
日本人がクリエイティブであるなら、それはなぜか。二番目の理由は、「日本文化のユニークさ」(4)に関係する。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

かかわりがあるのはこの前半である。日本が大陸から適度に離れた島国であることは、日本文化に二つの特徴を与えた。

ひとつ目、日本は大陸の文化を侵略などによって押し付けられたことがなく、自分たちの必要に応じて「いいとこどり」(堺屋太一)することができたことだ。日本人は中国の文明も、間接的にインドの文明も、下っては西欧の文明も、抵抗なくむしろ憧れをもって自由に選んで受け入れていった。そして、他文明の原理原則にこだわらないから、さまざまな文明の要素をくったくなく併存させていったのである。おそらくそれは自分たちの縄文的心性を犯さない限りにおいてであった。だからあれほど熱心に西欧文明から学び取りながら、一神教そのものはほとんど拒否したのである。

縄文的心性に合わないものはほとんど無意識に拒否するという傾向は保持した。だから一神教だけではなく、奴隷制も宦官も科挙も日本には入ってこなかった。しかし、一度取り入れたものは、その背景にある原理原則にこだわらず自由に組み合わせて、そこから独自のものを生み出すことができた。それぞれの文化の背景にある宗教やイデオロギーに縛られずに、さまざまな要素を融合させてしまう柔軟さは、現代のポップカルチャーにもいかんなく発揮されている。例を挙げればきりがないが、たとえば宮崎駿のアニメ作品のなかにどれだけ神道的な要素や古代中国的な要素や西欧的な要素が融合しているかを見ればよい。

さて、日本が島国であることからくる二つ目の特徴は、日本が異民族による侵略がほとんどない平和で安定した社会だったというこである。異民族に制圧されたり征服されたりした国は、征服された民族が奴隷となったり下層階級を形成したりして、強固な階級社会が形成される傾向がある。たとえばイギリスは、日本と同じ島国でありながら、大陸との海峡がそれほどの防御壁とならなかったためか、アングロ・サクソンの侵入からノルマン王朝の成立いたる征服の歴史がある。それがイギリスの現代にまで続く階級社会のもとになっている。

異民族に制圧されなかったことが、日本を相対的に平等な国にした。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となり、そういう信頼を前提とした庶民文化が江戸時代に花開いたのだ。

江戸の庶民文化が花開いたのは、武士が、権力、富、栄誉などを独占せず、それらが各階級にうまく配分されたからだ。江戸時代の庶民中心の安定した社会は世界に類をみない。歌舞伎も浄瑠璃も浮世絵も落語も、みな庶民が生み育てた庶民のための文化である。近代以前に、庶民中心の豊かな文化をもった社会が育まれていたから、植民地にもならず、西洋から学んで急速に近代化することができたのである。(中谷巌『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること』)

幕末から明治初期にかけてヨーロッパとくにフランスを中心としてジャポニズムと呼ばれる現象が巻き起こった。これもまた、江戸時代の豊かな庶民文化が背景にあり、庶民の生活から生み出された浮世絵や工芸品だったからこそ、当時のヨーロッパ市民階級の共感を呼ぶものがあったのである。

現代の日本も、江戸時代の庶民文化のあり方を引き継いでいる。近年、貧富の格差が拡大したとはいえ、世界の他地域に比べるとまだまだ階級差の少ない社会を形成している。とくに知的エリートと大衆との間の格差が少なく、教養の高い圧倒的多数の大衆が日本の社会を支え、また日本人の創造性の基盤となっている。

日本人はクリエイティブ、なぜ?(1)へのコメントで漫画家の方が、「この国のクリエイティブさはやはりすごいと思います。まずは圧倒的な層の厚さ。多くの人が、何かしら描いたり書いたりできる。アマチュアの質と量が、プロの頂点を押し上げてくれています。」と書き込まれていたが、その層の厚さが他の多くの分野にも当てはまるのだ。「初音ミク」が新たな潮流になりつつあるのも、プロではない無数の人々が作曲し、CGを作り、協力しあいながら作品を作り上げていくからだろう。大衆相互の切磋琢磨が、日本人の創造性のひとつの源泉となっている。

ここまでの議論をまとめよう。まず日本人の縄文的な古層と現代の最先端のテクノロジーという類を見ない組み合わせが、創造性のひとつの源泉となっている。しかし、それだけではなく、その古層の上に、中国文明やインド文明や西欧文明のさまざまな要素が自由に融合されていった。そして、それらを学びとり、消化し、そこから自由な発想で新しいものを生み出すことのできる層の厚い大衆がいた。これらの特徴は、現代にまで引き継がれ、複合的に働くことで現代日本人の創造性を形づくっている。

「日本文化のユニークさ」(5)(6)は、ここまで述べてきたことかなり重なるのだが、次回かんたんに触れてみたい。

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日本人はクリエイティブ、なぜ?(2)

2012年05月12日 | 全般
4月27日付の「日本人はクリエイティブ、なぜ?(1)」では、「最もクリエイティブな国・都市」は日本・東京 でも日本人は自信がない──Adobe調査」という記事に触れながら、世界で日本がいちばんクリエイティブな国と思われているのは、どのようなところがそう思われているのかという問題や、日本人自身は自分たちをクリエイティブだとは思っていないという、世界の見方と自己認識とのギャップの問題を考えた。これについては、日本人は本当にクリエイティブなのか、そうだとしらどうしてかなどいくつかのコメントをいただいた。

世界の主な国に日本人がクリエイティブだとみなされているのは確かだとして、ではなぜクリエイティブなのか。今回はそれを考えたい。その理由はひとつではなく、複合的に説明すべきなのではないか。私にやはり「日本文化のユニークさ6項目」が大いに関係していると思う。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきたこと。

(3)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(5)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(6)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

このうち(1)(2)(3)は、合わせて一つの理由として考え、(5)(6)も同様に合わせて考えると、三つほどの理由に整理できるかもしれない。

まず第一の理由は、現代日本人に縄文人の心性が地下水脈のようにして受け継がれているということである。その事実がどうして日本人の創造性に関係があるのか。たまたま一昨日、一年以上前に書いた記事にツイートしてくれた方がいた。その記事を読み直したら、まさに縄文的心性と創造性という今回のテーマにぴったりの内容だった。それは次の記事である。

『日本力』、ポップカルチャーの中の伝統(2)

記事の内容を要約しながら考えよう。

ケータイにストラップをつけるのは、日本以外ではあまりない。海外では、ケータイは単なる機械だという。しかし日本人は、そこに自分の気持ちを入れる、命を与える。現代の若者はケータイにストラップをつけることを、ただそうしたいから、そうしないと何となく物足りないと感じるからやっているのだろう。しかし、そこに日本人の伝統的な心が働いている。

そういう傾向が、今すこしずつ復活している。ネイルアートも「痛車」も「初音ミク」もそういう傾向の表れかもしれない。ヴォーカロイド「初音ミク」とCGによるこだわりのコラボは、コンピューターのプログラムによってまさに命を吹き込む作業で、かつての職人の心、もっとさかのぼれば縄文人の心が、現代の最先端によみがえっているのかもしれない。

菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』で著者アン・アリスンも次のように言う。日本人はケータイに、ブランド、ファッション、アクセサリーとして多大な関心を払い、ストラップにも凝ったりする。そうしたナウい消費者アイテムにも、親しみ深いいのちを感じてしまうのが日本人のアニミズムだ。このように機械と生命と人間の境界があいまいで、それらが新たに自由に組み立て直されていく、日本のファンタジー世界の美学を著者は「テクノ-アニミズム」と呼ぶ。日本では、伝統的な精神性、霊性と、デジタル/バーチャル・メディアという現代が混合され、そこに新たな魅力が生み出されているのだ。

世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)』の基本コンセプトは、オタク文化と製造業の融合だったが、それを一言でいうならまさに「テクノ-アニミズム」ということになるだろう。かつての「たまごっち」というサイバー・ペットの世界的な流行も、日本的な「テクノ-アニミズム」が世界に受け入れられていく先駆けだったといえなくもない。

以上のいくつかの例が示しているのは、現代の最先端のテクノロジーと農耕文明以前の、人類の最古層の心性との、他国ではありえない驚くべき結びつきである。その意外な組み合わせから、世界から見て思いもよらぬアイディアや製品が生まれてくるのだ。農耕文明以前の文化の記憶は、ユーラシア大陸ではほとんど失われてしまっている。ヨーロッパも中国も、お隣の朝鮮半島でさえその例外ではない。だからこうした組み合わせによる発想自体が、日本以外では生まれようがないのだ。そこに日本人の創造性の一つの秘密がある。

ちなみに、日本に牧畜文化が存在しなかったことは、縄文的なアニミズムが存続するひとつの理由になっている。牧畜を行う地域では、人間と家畜との間に明確な区別を行うことで、家畜を育て、やがて解体してそれを食糧にするという事実の合理化を行う傾向がある。人間と、他の生物・無生物との境界を強化するところでは、アニミズム的な心性は存続できないのだ。


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震災後、日本は何を生み出すのか07:贈与と媒介の文明

2012年05月11日 | 自然の豊かさと脅威の中で
◆『日本の大転換 (集英社新書)
◆『資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるか

『日本の大転換』で中沢氏は、新たなエネルギー革命とそれによる経済システムの変化は、それ以前の文明からの質的な転換を伴うだろうし、そうでなければいけないと指摘する。その転換は、以下のような特徴をもっているという。

① 生態圏の生成の原理を断ち切るのではなく、そこに立ち戻ってそこから新たな豊かさを生み出す文明への転換。

② 生態圏に属するものは、すべて全体とのバランスの中で相互に「媒介」し合っている。その「媒介」性に根ざす文明への転換。

③ 近代文明が忘れ去っていた「贈与」の次元を取り戻し、根幹とする文明への転換。

上でいう全体性や媒介性という考え方は、仏教でいう縁起(全体が相互に依存してなりたつ)の世界観に近い。

ところが、初期の資本主義が、「第5次エネルギー革命」(産業革命をともなう)の主燃料である石炭ときわめて親和性が高かったように、現代のグローバル資本主義は、「第7次エネルギー革命」を導き出した原子力の構造と、多くの同型性をしめすという。グローバル資本主義も原子力もともに、媒介性を切断する性格をもっているからだ。

原子力発電の技術は、もともと生態圏内に存在しなかったエネルギー現象を、生態圏の内部に無媒介にもちこむ技術であることはすでにもかんたんに触れた。原子力は、生態圏の全体とのバランスのなかでの相互依存性に組み込まれていず、それゆえひとたび大事故が起これば生態圏に決定的なダメージを与えてしまう。

人間は生態圏の内部に、それに依存しながら「社会」という「サブ生態圏」を作っている。「市場メカニズム」は、そのサブ生態圏内部で、それとは異質の原理で運動する。社会というサブ生態圏内部でのさまざまな相互依存関係を無視して独自の展開をしながらサブ生態圏を破壊するのだ。「第7次エネルギー革命」のもとで発展したグローバル資本主義は、この市場メカニズムの力で社会全体に深刻な影響を及ぼしている。世界各地で進む貧富の格差も、国家間の格差も、ヨーロッパ経済の危機さえも、グローバル化した市場メカニズムの破壊作用によるといえよう。

原子力とグローバル資本主義は、生態圏に対して異質な、「媒介性」を無視した運動をすることで、ともによく似た兄弟同士のような構造をもっているのだ。また原子炉は、核分裂反応が続かなければ稼働できず、資本主義も成長を続けなければ衰退する。この点でも両者はよく似ている。

サブ生態圏である社会は、一人一人の生身の人間の心のつながりでできている。さまざまなネットワークを通じて人間相互の心のつながりを維持することで社会は成り立つ。社会である以上、人間同士を結びつけようとする作用が内在している。個人間や集団相互間でなにかの交換が行なわれるときにも、モノにまとわる所有者の縁まで手渡されていくから、そこに必ず値段に還元できないプラスαが組み込まれる。そのとき交換は「贈与」の性格をおびるという。

生態圏もまた独立したモノ相互のたんなる交換ではなく、相互に依存しあう存在同士が「贈与」し合う関係によって成り立っているといってよい。サブ生態圏である社会も、さまざまな縁をもった人間相互の「贈与」関係によって成り立つ。家族でも職場でもサークルでも他のどのような組織や集団でも、互いに信頼し合ったり助け合ったりして成り立っている部分が大きい。それはたんなる「交換」関係ではない。

ところが市場に持ち込まれた商品は、すべての「縁」を断ち切られて、たんなるモノとして交換される。いっさいの「縁」を切り捨てられたモノなど生態圏には存在しないが、あたかも存在するかのようにして交換がなりたつのが、市場のメカニズムだ。グローバル資本主義は、そのメカニズムを巨大化して、生態圏もサブ生態圏もともに破壊していく。

原子力発電が稼働するまでは、人間が利用するすべてのエネルギーは、何らかかたちで太陽から「贈与」されたエネルギーを変換したものだった。人間は、それを漠然とでも感じ取っていた。原子力発電が動き出すと、「小さな太陽」を生態圏内に作ったのだと驕って、「贈与」によって自分たちの生存が成り立っていることを忘れてしまった。

第8次エネルギー革命は、「贈与」としての太陽エネルギーを媒介・変換する新しい技術を開発する方向で展開するだろうと中沢氏はいう。彼は、来るべきエネルギー革命の原型を植物の光合成に見出し、電子技術で光合成を模倣した太陽光発電が、新エネルギー革命の初期段階で重要な働きをするだろうという。この結論はあまりに平凡であり、現段階では従来のエネルギー源に比べあまりに発電力が小さい。

しかし一たび目標が定まったときの日本の技術開発力は過去にも実績があるから、太陽光発電に限らず「自然エネルギー」分野で飛躍的に技術開発が進む可能性は十分にありえるだろう。

前回、新たなエネルギー革命が起こるとすれば日本にその好条件がそろっていることを5項目挙げて指摘した。その5番目は次のようなものであった。

5)金融資本主義による国民経済の破壊の度合が少なく、一神教的ではない独自の文化に根ざした経済システムを構築できる余地を残している。

冒頭で、新たなエネルギー革命とそれによる経済システムの変化が、三つの特徴をもつ文明の質的な転換になるだろうという主張を紹介した。日本文明は、近代以前にこの三つの特徴を備えた、自然との「媒介型」の文明を築いていたのである。今でも、それはすべて消滅したわけではない。日本は、そういう自分たちの過去の文明を思い出すことによって、そこから文明の転換を成し遂げていく可能性をもっているのではないか。次回は、その可能性をもう少し探っていきたい。

《参考図書》
ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)
日本の大転換 (集英社新書)
資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるか
日本人て、なんですか?
日本復興(ジャパン・ルネッサンス)の鍵 受け身力
日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)


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『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が
『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』
『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が
『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら
『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力
『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力
『日本辺境論』をこえて(8)日本史上初めて
『日本辺境論』をこえて(9)現代のジャポニズム
『日本辺境論』をこえて(10)なぜ若者は伝統に回帰する?

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ユニークさ全項目を振返る(日本文化のユニークさ総まとめ01)

2012年05月08日 | 日本文化のユニークさ
「震災後、日本は何を生み出すのか」の連載は、もう1・2回続けるつもりであるが、今回は連載を休んで今後の長期的な計画について触れておきたい。

このブログの中心になっているのは、「日本文化のユニークさ」というカテゴリーものとに書いている一連の記事である。そこでは日本文化のユニークさを5項目にわけ、それにしたがって考えてきたが、最近これにさらに1項目を加えて6項目にすると書いた。6項目にすると次のようになる。これもまだ暫定的なもので、今後項目の追加や文章表現の変更もありうる。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきたこと。

(3)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(5)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(6)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

それぞれの項目ついては、カテゴリー「日本文化のユニークさ」で何回かづつ主題的に論じたり、別のカテゴリーで折に触れて論じたりしている。あるいは、カテゴリー「日本の長所」や「マンガ・アニメの発信力の理由」などで関連した記事を書いたりしている。要するに6項目のそれぞれに関係する記事が、いろいろなカテゴリーや、かなり長い期間の間に散在している。

そこで今後の計画のひとつとして、上の6項目のそれぞれに関連してアップした記事をできるだけ拾い集めて整理し、筋道だてて論じてみたいと思う。たとえば(1)の縄文文化関係で、これまで書いてきたことすべてを整理してまとめる。(2)以下についても同様に整理して、書き直してみるということである。4・5年前に書いたこともすべて拾い集めて整理したい。もちろんこれまで触れなかったようなことも必要に応じて書き加えていく予定であるが、基本的な考え方としては、これまで書いてきたことの総まとめ的なことをしてみたいということである。

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震災後、日本は何を生み出すのか06:日本の好条件

2012年05月06日 | 全般
前回の記事へのコメントで、「仮定の話が多すぎる。論拠となる土台の構築が欲しい」とのご批判をいただいた。確かにその通りだと思う。

今日のニュースでは「北海道電力泊原発3号機の定期検査入りで5日、国内で稼働する原発がゼロになることで、関西電力も原発ゼロのまま夏を迎える可能性が高まってきた」と報じられ、今夏の日本の電力不足がますます深刻になるという。このような状況下、新エネルギー開発への切迫度は、ますます日本で強まっていく。もちろんだからといって、それだけで日本で新エネルギー革命がおこるとは限らない。あくまでも日本で新エネルギー革命がおこる条件の問題なのだが、その条件について経済分野で参考になる主張があるので紹介したい。

歴史を振り返ると、これまで大々的なバブル崩壊を経験したのちに新たな成長モデルを築きあげることができた国が、世界の経済的な覇権を握ったという。それは、オランダ、イギリス、アメリカの三国であり、しかもこれらの国が構築した新成長モデルは、必ず「エネルギー」が絡んでいたというのだ。

1637年にチューリップバブルで崩壊したオランダは、その後風力エネルギーの活用、宗教がからまない交易の拡大、株式会社制度の発展などで世界経済の覇権を握る。

次にイギリスは、1720年に南海株式会社の株式大暴騰と大暴落を経験し、その反省から資本主義の基本となる仕組みを整えていったという。さらに産業革命で圧倒的な生産力を得た。ナポレオン戦争でオランダがフランスに占領されると、ヨーロッパの海上貿易の主役は完全にイギリスに移った。一時は、世界の輸出総額の半分をイギリスが占めたという。これはヴァラニャックのいう第5次エネルギー革命に対応する。

さらにアメリカはの場合は、フォードがT型フォードを発売し、これによって現代につらなる成長モデルの萌芽が生まれた。その後1929年の大恐慌を経て、アメリカがイギリスに替わって世界経済の覇権を獲得した。アメリカが新たな成長モデルのために活用したエネルギーは、もちろん石油である。これがヴァラニャックのいう第6次エネルギー革命である。(『2012年 大恐慌に沈む世界 甦る日本』)

日本は1990年にバブルが崩壊している。2008年にはアメリカ発でサブプライムローン危機が起こった。中国でのバブル崩壊もささやかれ、欧州の経済危機も大恐慌寸前の状態とまでいわれている。しかも日本で起こった原発事故により、原子力エネルギーの限界が意識され始めた。つまりこれをきっかけにして第7次エネルギー革命の時代が終わる可能性が高いのだ。

上述の本で三橋氏は、新たな成長モデルを確立する可能性がいちばん高いのは日本ではないかとする。そのための条件がもっともそろっているのが日本だというのだ。その条件を、彼が挙げたものを参考にしながら列挙してみよう。

1)新エネルギーへの切迫性。中国や米国はなおも原子力に頼ろうとする意識が強いが、日本の場合は、原子力へ不信感は強烈でしかもエネルギー問題がきわめて切実である。これが第一の条件であり、すでに挙げたものである。

2)ほとんどの生産工程を自前でまかなえる。アメリカの製造業は衰退分野が多い。中国は、製品の核心部分は輸入に頼り組み立てのみ行うことが多い。日本の場合は多様な生産技術の組み合わせの中や競合の中から、エネルギー関連の新技術が生まれてくる可能性が高い。

3)資本財の輸出割合が高い。資本財(将来の生産のために使用する機械、設備などの財)が総輸出額の50%を超える。それだけ基幹的な技術での蓄積があるということで、これも新技術の開発に有利な条件だ。

4)公務員の割合が他国に比べて少なく、民間の供給能力が高い。その分、デフレに苦しめられているが、民間の自由な発想を経済に投入しやすい。それを可能にする言論の自由も保障されている。

5)金融資本主義による国民経済の破壊の度合が少なく、一神教的ではない独自の文化に根ざした経済システムを構築できる余地を残している。

以上のうち、1)については三橋氏があまり強調していない条件である。日本の切実さは群を抜いているが、現在の日本からどんな新エネルギー技術が生まれるか、それが新時代を担いうるのかまったく未知数である。ここで、可能性のある新技術を具体的に挙げる準備はないが、いつか検討してみたい気持ちもある。

5)は、三橋氏が挙げていない条件である。そして、これが前回挙げた中沢氏のモデルと関連するものである。三橋氏には、その「成長モデル」や「覇権」という言葉遣いからも分かるように、今後の世界を決定づけるようなモデルが、これまでの「成長モデル」や世界観を根底から覆すようなものになる、あるいはなるべきだという発想はない。あくまでも第7次エネルギー革命までの成長モデルの延長線上で次の時代を考えている。

これに対して中沢氏の発想は、この原発事故をきっかけにして、これまでの一神教的な近代文明とはまったく異質のモデルが生まれてくるだろうし、くるべきだと考えている。そして、近代文明の受容と発展にこれほど成功しながら、近代文明とは異質の、自然との「媒介型」の文明をも体内に保存している文明として、日本文明に期待しているのである。

次回は、条件の5)をより詳しく検討するという形で、中沢氏の大転換論に立ち戻りたい。

《参考図書》
ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)
日本の大転換 (集英社新書)
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震災後、日本は何を生み出すのか05:新エネルギー革命は日本から?

2012年05月04日 | 全般
◆『日本の大転換 (集英社新書)

もともと人類は、自分たちの生態圏を超えた思考はしなかった。神々すらも生態圏を超える存在ではなかった。ところが一神教は、「人類の思考の生態圏にとっての外部を自立させて、そこに超越的な神を考え、その神が無媒介的に生態圏に介入することによって、歴史が展開していく」という発想に立った。こういう超越論的な立場から自然や歴史を見る視点を基盤として近代の科学・技術は生まれた。

さらに、一神教が思考の生態圏に、超越神という「外部」とそこからの介入とを想定したことは、生態圏にほんらい存在しなかった核反応という太陽圏の現象を持ち込んだことときわめてよく似た発想なのである。原子力発電は生態圏内部の自然ではないのに、一神教的な発想を知らない日本の科学者は、あたかもそれが自然の一部であるかのように扱ってしまった。そもそもここに間違いの根本があったのかもしれない。

ところで仏教は、生態圏の外部に超越者を立てることを否定する。自然宗教である神道は、仏教から高度の理論を借りて自らの思想を表現することに成功した。逆に仏教は日本で、神道を通して具体的な自然に即した民衆の宗教となった。仏教はどこの世界でも自然宗教と折り合いがよいという。そして一神教的な文明は、仏教的な世界観を基盤にした文明へと変わっていくのではないか。

日本文明は、自然と人工とを明確に区別しない。自然の力を受け入れて人工の組織の内部に組み込んでいく。自然と人為とが接し、交じり合うインターフェイス型の思考法が発達した。日本人は、自分たちが作った世界が、転変する自然の法にたえずさらされており、世界が無常であることを深く実感していた。人々の生き方にもそれが深く刻まれている。

日本文明は、自然の営みに逆らわず、生態圏の生成に即して作られてきた媒介型の文明である。一神教的な発想から生まれた原子力発電やグローバル経済は、自然を内部に深く組み入れる日本文明にとっては、もともと異質な性格をもっていたのである。

原子力発電の技術は、自ら生み出す大量の放射性廃棄物を安全に処理することができないという致命的な欠陥をもつ。生態圏内に生きる者の視点からは、原子力発電から脱出することこそが、生態圏を守るための正しい選択になる。

いま日本は、原子力発電再開が否かを巡って激しく対立している。いずれにせよ、原子力発電所が老朽化するという事実と、新たな原発を造ることは用地の確保などの問題からほとんど不可能だという事実とにより、原発とともに展開した第7次エネルギー革命の時代は、日本でもっとも早く衰退していくだろう。だからこそ、第8次エネルギー革命への圧力は、日本がいちばん強く受けることになる。今はそれが「夏の電力不足への不安」として露見している。

しかし、その圧力のもとで日本文明は、新たな世界観に立ったエネルギー技術を生み出す潜在的な力を秘めている。中沢氏は、新たなエネルギー革命の可能性は日本文明にとって大きな僥倖(ぎょうこう)だという。それは、たんなるエネルギー革命にとどまらず、経済を含む文明のあり方を根本から変えていく変革になるだろう。

そのような大きな転換は、日本でこそ起こる可能性が高い。大地震と津波のあとにあれほど深刻な原発事故を経験した日本だからこそ、原発を基礎にした第7次エネルギー革命を超えていく必要にもっとも迫られるのだ。しかも変革は、日本文明の本来の姿に立ち返えり、その源泉からエネルギーをくみ取ることによってこそ可能だ。「どんな文明も、自分をつくりなしたおおもとの原理に帰るのでなければ、未来への可能性をみずから開いていくことはできない」からである。

一神教的な発想が科学技術を生み出し、そして第5次、6次、7次と世界のエネルギー革命を推進した。その発想が世界を覆い尽くすようになった。そして環境や経済など、さまざまな面で問題を露呈しはじめた。日本で起こった原発事故も、現代文明がかかえる問題の深刻な現れであった。しかし日本には一神教的ではない文明のあり方の記憶が色濃く残っている。それどころか、農耕と牧畜の発達による第2次エネルギー革命よりも前の記憶が、縄文の記憶として人々の心の中にも文明の形の中にも深く刻み込まれている。

そして、第8次エネルギー革命の原理は、一神教的な近代文明以前の文明のあり方に立ち返り、そこから新たな活力をくみ取ることによってしか生み出されないだろう。日本は、この震災によって衰退するのではなく、新たな文明を生み出す重要な役割を担っていると自覚すべきなのではないか。

《参考図書》
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