日本のアニメ・マンガやポップカルチャーの発信力の理由(下の五項目)のそれぞれが、日本文化のユニークさ四項目のとどんな関係があるかという観点から、何回かに分けて考えてきた。
①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力。
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観。
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする。
その過程で、②の項目を追加したが、今他の項目でもいくつか表現を変える必要があると感じている。ひとつは昨日触れた⑤についてである。⑤は、コンテンツの魅力といいうより、そういう魅力が生まれてくる基盤を述べている。それでこんな風に変更をしたい。
⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。
これも、まだあくまでも仮のものだが、こんな表現ではどうだろうか。なお「民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民」という特徴は、「日本文化のユニークさ」の方の一項目として新たに付け加えたいと思う。
さて次に、これは新たに項目を作るべきか、すでにある項目の一つに付け加えるべきか迷っていることがある。まず次の作品群を見てほしい。
『BLEACH―ブリーチ― 』
『涼宮ハルヒの憂鬱』
『DEATH NOTE デスノート』
『鋼の錬金術師』
『犬夜叉』
『幽・遊・白書』
『ヒカルの碁』
ざっと思いついた主な作品だけでもこれだけ挙がるのだが、これらに共通する内容上の特徴は何だと思われるだろうか。
そう、これらのいずれもテーマが何らかの形で、あの世、霊、異界、異次元などに深くかかわるのである。もちろんそれぞれが異界を描く仕方はさまざまだ。ひとつの宗教に縛られないだけに、自由に多様な仕方で描かれている。しかし、この世界と異界が密接に結びついていたり、自由に行き来ができるところに大きな特徴があるような気がする。たとえば『デスノート』などはどちらかというとキリスト教的なにおいがする。『犬夜叉』などは純日本的である。『ブリーチ』は、日本的なイメージも強調されるが、その異界観は独特である。いずれにせよ、この世と異界との間に厳密な区別がなく、その自由な交流のなかでストーリーが展開するのが特徴だ。
こうした特徴も、ここにもこれまで見てきたような日本文化のユニークさが背景にあってのことなのだろうか。だとすれば、どんな背景がどのように関係するのだろうか。日本人の異界観や霊界観は、仏教の影響も受けているだろうが、しかしテレビ番組などでよく取り上げられる怨霊とか地縛霊とかは、もともとの仏教とは関係がないといわれる。キリスト教だったら、教義としてある程度はっきりした「死後世界」観があるだろうが、日本人はそういう「明文化」できるうようなあの世観をもっていない。でいながら、あの世や霊界を意外と近しいものと感じている。
日本人が漠然と無意識に受け継いできた「あの世」観とはどんなものだったのか。それが現代のマンガやアニメにどのように反映しているのか。今後は、個々の作品も取り上げながら、おいおい探っていきたい。
それで、この特徴を①に追加して以下のように文章を変えることも考えている。
①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
しかし、これもあくまでも暫定的なものである。あの世や異界と自由に交流するのが日本的な特色なのか、またそれを縄文時代以来の心性と結びつけていいのか、検討を要する。もしかしたらこのこの特徴は独立した一項目にするかもしれない。いずれにせよ、もう少し勉強し、じっくり考えたい。
①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力。
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観。
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする。
その過程で、②の項目を追加したが、今他の項目でもいくつか表現を変える必要があると感じている。ひとつは昨日触れた⑤についてである。⑤は、コンテンツの魅力といいうより、そういう魅力が生まれてくる基盤を述べている。それでこんな風に変更をしたい。
⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。
これも、まだあくまでも仮のものだが、こんな表現ではどうだろうか。なお「民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民」という特徴は、「日本文化のユニークさ」の方の一項目として新たに付け加えたいと思う。
さて次に、これは新たに項目を作るべきか、すでにある項目の一つに付け加えるべきか迷っていることがある。まず次の作品群を見てほしい。
『BLEACH―ブリーチ― 』
『涼宮ハルヒの憂鬱』
『DEATH NOTE デスノート』
『鋼の錬金術師』
『犬夜叉』
『幽・遊・白書』
『ヒカルの碁』
ざっと思いついた主な作品だけでもこれだけ挙がるのだが、これらに共通する内容上の特徴は何だと思われるだろうか。
そう、これらのいずれもテーマが何らかの形で、あの世、霊、異界、異次元などに深くかかわるのである。もちろんそれぞれが異界を描く仕方はさまざまだ。ひとつの宗教に縛られないだけに、自由に多様な仕方で描かれている。しかし、この世界と異界が密接に結びついていたり、自由に行き来ができるところに大きな特徴があるような気がする。たとえば『デスノート』などはどちらかというとキリスト教的なにおいがする。『犬夜叉』などは純日本的である。『ブリーチ』は、日本的なイメージも強調されるが、その異界観は独特である。いずれにせよ、この世と異界との間に厳密な区別がなく、その自由な交流のなかでストーリーが展開するのが特徴だ。
こうした特徴も、ここにもこれまで見てきたような日本文化のユニークさが背景にあってのことなのだろうか。だとすれば、どんな背景がどのように関係するのだろうか。日本人の異界観や霊界観は、仏教の影響も受けているだろうが、しかしテレビ番組などでよく取り上げられる怨霊とか地縛霊とかは、もともとの仏教とは関係がないといわれる。キリスト教だったら、教義としてある程度はっきりした「死後世界」観があるだろうが、日本人はそういう「明文化」できるうようなあの世観をもっていない。でいながら、あの世や霊界を意外と近しいものと感じている。
日本人が漠然と無意識に受け継いできた「あの世」観とはどんなものだったのか。それが現代のマンガやアニメにどのように反映しているのか。今後は、個々の作品も取り上げながら、おいおい探っていきたい。
それで、この特徴を①に追加して以下のように文章を変えることも考えている。
①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
しかし、これもあくまでも暫定的なものである。あの世や異界と自由に交流するのが日本的な特色なのか、またそれを縄文時代以来の心性と結びつけていいのか、検討を要する。もしかしたらこのこの特徴は独立した一項目にするかもしれない。いずれにせよ、もう少し勉強し、じっくり考えたい。