クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が

2012年02月28日 | いいとこ取り日本
◆内田樹『日本辺境論 (新潮新書)

これまで、現代日本の若者の間に和風志向や日本回帰の傾向が見られることをいくつかのデータで見てきた。それは、日本の社会や文化をバカにし欧米の文化に憧れ追い求めていた親の世代に比べるとかなり大きな変化である。このような変化をどのような歴史的なスパンで見るかによって、その意味のとらえ方ににかなりの違いが生じる。

論集『論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)』(1972年)の中に上山春平の「日本文化の波動」という論文がある。ここで上山は、日本文化がほぼ600年のサイクルで外に向かって開いたり閉じたりを繰り返していると指摘する。

まず西暦300年ごろからシナ文化の受け入れが始まり、900年ごろにそれが頂点に達する。894年は、菅原道真が遣唐使の廃止を建議した年だ。その後、仮名文字や大和絵など和風の文化が起こるが、平安時代はまだ唐風の影響をかなり残しての内面化であった。律令制も残り、唐文化に影響された公家文化も続いた。やがて1200年ごろから武士中心の時代に移り、それとともに文化の内面化が進んだ。日本独自の文化が生まれ、たとえば仏教では理論的なものは影をひそめ、浄土真宗や日蓮宗などきわめて単純で、日本の民衆の心をじかにとらえる宗派が活躍した。そうした内面化のクライマックスが1500年ごろであった。(遣唐使廃止の600年後)

その内面化の深まりに前後して、ポルトガル人の種子島漂着(1543年)などをきっかけに今度は西欧文化との接触が始まる。江戸時代は、鎖国体制の中で文化の内面化を進めながらも、出島を通して西欧文化を徐々に受け入れ続ける。そして1800年ごろから明治維新、近代日本へと再び活発に外の世界に対し始め、現代に至るという。彼の理論では、日本が外に開いて受け入れる傾向の頂点は、1500年頃から600年後だとして2100年頃になるし、事実そのように予想するサイクル図が掲載されている。

この論集が発行されたのは40年も前なので、上山はもちろん最近の若者の意識変化など知る由もない。現代は、古代や江戸時代に比べ時代の変化が飛躍的に早まっているから、上山の600年周期説にこだわる必要はまったくない。ただ、日本文化を見ると外来文化をひたすら受け入れた時期とそれを消化した時期とを繰り返してきたことを確認できればよいだろう。江戸時代は、鎖国という政策による遮断だから西欧文明を受け入れて内面化したのではない。しかし鎖国の中で日本独自の庶民文化が熟成されていったのは確かだ。

確認したいのは、かつて日本で唐文化の影響が頂点に達した後、今度はその消化、日本化に向かって進んでいったことだ。それと同じようなことが現代の日本で、今度は西欧文明との関係で起こり始めているのではないか、というのが私の仮説である。前に「その変化は、千年二千年単位の日本歴史のなかでも重要な変化であるような気がする」と言ったのはそのような意味である。つまり、遣唐使の廃止以降に起こった外来文化の内面化と対比できるようなプロセスが、現代の日本で、しかも若者を先頭にして起こり始めているような気がするのである。日本を取り巻く世界情勢の変化がそれを加速している。そのような世界情勢の変化との関係も含めてさらに考察を続けたい。

《関連図書》
欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)
論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)

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『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』

2012年02月24日 | いいとこ取り日本
◆『日本辺境論 (新潮新書)

ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)』(調査期間は2007~2008)で示された若者の和風志向・日本回帰という傾向を、別の調査で裏付けたい。

欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)』(山岡拓、2009)は、若者の消費動向を探るための調査結果をまとめたものだが、『ニッポン若者論』で示された傾向がより鮮明に見えてくる。その調査結果から浮かび上がる若者像をあらかじめ言葉で表現すると、以下のようになるという。

「今の若者が目指すのは、実にまったりした、穏やかな暮らしである。自宅とその周辺で暮らすのが好きで、和風の文化が好き。科学技術の進歩よりも経済成長を支える勤勉さよりも、伝統文化の価値を重視する。食べ物は魚が好き。エネルギー消費は少なく、意図しなくとも、結果的に『地球にやさしい』暮らしを選んでいるようだ。大切ななのは家族と友人、そして彼らと過ごす時間。親しい人との会話や、ささやかな贈りものの交換、好みが一致したときなどの気持ちの共振に、とても大きな満足を感じているようだ。彼らは消費の牽引車にはなれなくとも、ある意味では時代のリーダーなのかもしれない。」

この調査も、若者の価値観の変化の多様な側面がうかがえる。各章の見出しだけ見ても「若者男子は酒よりスイーツへ」、「縮小する性差」、「個の溶解と、浮上する共振型喜び」、「近代からの離脱と伝統文化への回帰」など興味尽きない。これらの傾向はすべて関連しているが、ここでは日本の伝統文化への回帰しようとする動きだけを取り上げる。この調査でも、和風志向の先頭に立つは20代の若者たちであることがはっきりする。その傾向は、茶道、華道、盆栽、神社仏閣、平安の美意識への関心から、日本の精神文化に深く分け入ろうとする傾向にまで及ぶという。

データで確認しよう。2008年の「若者意識調査」では、多様な項目から回答者に「重要であり、次世代に伝えたいと思うもの」を二つ選んでもらったという。20代でトップに選べれたのは「日本の伝統文化や季節感」で、4割を超えた。2位は僅差で、地球環境問題の重要性。逆に「経済成長やモノが豊かな暮らし」など戦後日本を代表する価値観の重要性を挙げた若者は、伝統文化の半分ほどの2割程度だったという。

さらに「神社仏閣、歴史的建造物」や「茶道や華道、日本画、書道など」等々、代表的な伝統文化を並べ、「5年前と比べて関心が高まったこと」を複数回答で聞いた結果、11項目中8項目で、20代の方が30~44歳より高くなったという。たとえば「神社仏閣、歴史的建造物」への関心が高まったと答えたのは20代で50%、30~44歳で44%であった。

「日本古来の精神文化」についても同様の結果(20代で38%、30~44歳で33%)が見られ、「日本の伝統家具やインテリア小物」への関心が高まったという率より、数パーセント高い。これは、和風志向が一時的な流行や表面的なファッションの問題ではなく、もっと深いところで進行していることを物語る。調査の回答者もまた、その半数近くが、和への関心の高低にかかわらず、「消費成熟化などで日本人が自国の伝統文化を見直している。短期的流行ではなく長期間続きそうだ」と答え、一時的な流行ではないという見方を示している。

若者の和風志向について、興味深いデータはまだたくさんあるが、その紹介自体が目的ではないのでこれぐらいでとどめたい。著者は、この調査結果の背景にあるものを「戦後日本の価値観からの離脱だ」と見ている。一方で「近代を貫く基本原理が内面からごっそり抜けおちた後の空洞を、より古い文化で埋めようとしているようにも見える」と言っている。

ここには時代的に二つの見方が語られている。若者が離脱しつつあるのは、戦後の価値観なのか、明治以降取り入れ続けた西欧近代の価値観そのものなのか、という二つだ。もちろん両方の見方ができる。二つの現象が重なっているともいえる。明治以降の日本人の傾向が変化し始めていると見るなら、それは現象をより深い視点からとらえていることになる。

これらの調査は、『日本辺境論 (新潮新書)』(内田樹、2009)がいう、文明の「保証人」を外部に求めようとする日本人のあり方が変化し始めていることを物語るのではないか。日本人に世界標準の制定力がなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうことこそが「辺境人」の発想で、それは「もう私たちの血肉となっている」からどうすることもできないと、かんたんに断定できない変化が、日本人に起こり始めているのではないか。

私が言いたいのは、日本人に「世界標準の制定力」があるかないかは別として、文明の「保証人」を外部にもとめていつも「ふらふらきょろきょろ」していた日本人の姿は、少なくとも今の若者には見られないということである。このような若者を中心とした日本人の変化をどのようにとらえるか、もう少し考察を続けたい。

《関連図書》
欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)
論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)

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その他の「日本文化のユニークさ」記事一覧

2012年02月22日 | 日本文化のユニークさ
このブログで、「日本文化のユニークさ」というカテゴリーの中で「日本文化のユニークさ01・02・03‥‥」というふうに通し番号をつけてアップしていた記事は、だいたい「日本文化のユニークさ5項目」に沿って書いたものだった。

しかしこのカテゴリー下では、通し番号もつけず、かならずしも5項目には沿わない記事も載せていた。それが以下のものだ。このへんでちょっと振り返っておくのも意味があるだろう。私自身の今後の便宜のためにも、一覧にしておいた。

日本人の人間観・その長所と短所(1)

日本人の人間観・その長所と短所(2)

日本人の人間観・その長所と短所(3)

「かわいい」と日本文化のユニークさ(1)

「かわいい」と日本文化のユニークさ(2)

東日本大震災と日本人(4)突きつけられた問い

日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(1)

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日本人が日本を愛せない理由(1)

日本人が日本を愛せない理由(2)

日本人が日本を愛せない理由(3)

日本人が日本を愛せない理由(4)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(1)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(2)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(3)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(4)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(5)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(6)

ユダヤ人と日本文化のユニークさ(7)

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『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』

2012年02月19日 | いいとこ取り日本
◆内田樹『日本辺境論 (新潮新書)

海の向こうから来た文明の基準に合わせることにつねに汲々とし、自ら文明の基準を生み出すことができない。それが「辺境」日本のさだめだと内田はいう。だから知識人のマジョリティは「日本の悪口」しか言わなくなる。「政治がダメで、官僚がダメで、財界がダメで、メディアがダメで、教育がダメで‥‥要するに日本の制度文物はすべて、世界標準とは比べものにならないと彼らは力説する。」

この悪口は、「だから世界標準にキャッチアップ」という発想と込みになっていて、その世界標準を紹介・導入するのことが自分たち知識人の存在価値だと感じている。これは本当にその通りで、私の友人にもそういう人物が多くて閉口する。そういう人間たちが中心になって作っているから、メディアもそういう論調になってしまう。

《関連記事》日本人が日本を愛せない理由(4)


たとえば、かつてとりあげた朝日新聞の「天声人語」の記事などもそういう傾向と根は同じだ。(→日本の良さはきちんと報じられない)。彼らにとって日本の良い点を素直に認めることはがまんがならないらしい。もし読者の方々が、日本は犯罪が増加傾向にあり、かつてほど安全ではなくなったという印象を持っているなら、それも同じ根っこからくるマスコミの印象操作による(→三橋貴明「犯罪が減り続ける国」)。

しかし私は、内田のいう辺境人の「呪縛」から日本人は徐々に解放されつつあると感じる。団塊世代はまだ「呪縛」のなかにいるが、若い世代には明らかに変化の兆しが見える。そう私が感じるのは、いくつかのデータや、インターネット上での傾向などを見たときの全体的な印象からだ。個々の現象を見ていたのでははっきりしないが、総合的に判断すると、「辺境人」からの解放という像が浮かび上がってくると思う。

三浦展の『ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)』は、綿密な調査に基づいて現代日本の若者の意識や行動を探っている。

戦後に生まれ育った世代は、「近代合理主義」「進歩」「科学」「未来」「夢」などの価値意識を当然のごとく受け入れ信じていた。社会が近代化するということは、科学技術が進歩し、国民の意識がより民主的で個人主義的な方向に進歩することであった。しかし、1990年のバブル崩壊以降に小学生時代を送った世代(Z世代)は、こうした価値観が溶解するなかで育った。現代の若者にとっては、近代的でないもの、科学では説明できないもの、伝統的なものが新たな魅力を持ち始めたというのだ。その傾向はいくつかのデータで確認できる。

たとえば、過去30年間の調査によると若者の地元志向は強まる傾向にある(1977年には今住んでいる地元が好きだと答えた若者が約3割だったのに対し2007年には約5割に増えている)。これは、地方の若者が東京などの大都市に憧れなくなったということだ。かつて地方から近代的な大都市への若者の出郷は、日本の近代化を象徴する現象だった。だから若者の地元志向が増えるということは、近代化の時代が終わったことを示すのではないかと三浦はいう。

Z世代にはさらに、一種の和風志向、日本回帰的な現象がみられるという。戦後長らく日本の若者は洋楽志向だったが、Z世代が好きな音楽は圧倒的にJポップである(80.5%)。Jポップだけでなく、民謡、三味線など日本の伝統音楽も近年若者に非常に人気があるという。全国の若者によさこい祭りが流行し(踊ったことがある男子44.0%、女子37.8%)、着物、浴衣、甚平、手ぬぐい、花火、和風の服装、小物、行事を好む者が多い。

よさこいはなぜ人気なのか。日本社会の既存の価値観が溶解し、地方でもその地方固有の生活や歴史が溶解した。そして、それに代わる新たな原理も見つからない。そうした地域社会で、人生の意味や価値を見いだせずに生きる若者や住民の気持ちのはけ口として、よさこい祭りが全国的に人気になっているのではないかと三浦はいう。

よさいこい祭りは「人間関係が希薄な都市において、新たなかたちの『つながり』を次々に形成していくことのできる祭りである。」それぞれの地域に独特の「何ものにも換えがたい自分や自分たちを表現する。‥‥その地域の習俗を活かしながら自分たちの感性で祭りや踊りを創造できる大きな喜びがあり‥‥マクロでグローバルな経済利潤の構造を超えて、ひとりひとりのミクロでローカルな自己実現という精神的な要因が『よさこい』系祭りの伝搬と生成の最も大きな理由である。」(よさこい研究者矢島妙子)

また、Z世代の調査結果で特に驚くべきは、彼らが、前世、死後の生まれ変わり、奇跡を信じるなど、非合理主義的な傾向が強いことだという。いくつか例を挙げれば、女子高校生の67.5%、男子高校生の75.5%が「奇跡」を信じ、女子高校生の54.5%、男子高校生の41.9%が「人間には前世がある」と信じているという。

いまの若い世代は、近代化が極限まで進んだ70年代(高度成長期の終わり)以降に育ったため、かえって科学では説明できないことに対する感覚に鋭敏になっているというのが三浦の理解だが、たしかにそういう傾向があるのだと思う。

この本では他にも多様な調査と分析が行われており、その解釈も単純ではない。ここでは「辺境論」との関係で押さえるべきところだけをかいつまんで紹介した。要点は、「近代合理主義」「進歩」「科学」といった価値だけを無条件に信奉する時代が確実に終わりつつあるということである。しかも、それが若者の意識や行動から確実に見て取れるということである。

「近代」や「科学」や「進歩」は、もちろん明治維新以来、日本が西欧から必死に学び、取り入れてきた価値である。辺境たる日本が、「世界標準」に追いつこうとして無我夢中で吸収してきたのである。その「呪縛」が、いま溶けはじめている。しかし、かつてのようにきょろきょろ見回して、次の新たな「世界標準」を見つけ出し、それに飛びつくこうとする行動が、若い世代に見られるわけではない。上に紹介した調査だけでも、自分たちの内側に自分たちの根拠を探ろうとする兆しが垣間見れるのではないだろうか。

この考察は、まだ何回か続けていきたい。


《関連記事》
若者の文化的「鎖国」が始まった?今後の計画など(1)

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『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が

2012年02月17日 | いいとこ取り日本
◆内田樹『日本辺境論 (新潮新書)

かつてこの本の短いレビューを書いたことがある。→クールジャパンに関連する本02


そこで「この本にはかなり不満がある」と書き、いずれ批判すべきところはきちんと批判しておこうと思いながら、そのままになっていた。最近たまたま友人から、この本が面白かったとのメールをいただき、2・3回やりとりをした。それが刺激となって、遅ればせながら書評するつもりになった。

内田はいう、日本人はどれほどすぐれた日本人論を読んでもすぐに忘れて次の日本人論に飛びつくことを繰り返しており、だから無数の日本人論が蓄積してよりすぐれた日本人論に高まっていくことがないと。私もこのブログを続けながらかなり多くの日本人論を読んできたが、同じような印象をもつ。同じようなことがさまざまな角度から繰り返し語られるが、それが国民の共通認識となってさらに発展してくという様子が見られない。

丸山真男は、「私達はたえず外を向いてきょろきょろして新しいものを外なる世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分自身は一向に変わらない」(『日本文化のかくれた形(かた) (岩波現代文庫)』)と、日本文化の特徴を指摘する。日本文化そのものはめぐるましく変わるが、変化するその仕方は変わらないということだ。

内田は、こうした日本論を引き継いで、それに「辺境」論という地政学的な補助線を引くことでさらに理解を進めようとする。私たちは変化するが、変化の仕方は変わらない。そういう定型に呪縛されている。その理由は、外部(かつては中国、今は欧米)から到来して、集団のありようの根本的変革を求める力に対して、集団としての自己同一性を保つためには、そうするほかなかったからだという。外来の思想の影響をもっぱら受容するほかなかった集団が、その自己同一性を保つには、アイデンティティの次数を一つ繰り上げるほかない。
「私たちがふらふらして、きょろきょろして、自分が自分であることにまったく自信が持てず、つねに新しいものにキャッチアップしようと浮き足立つのは、そういうことをするのが日本人であるというふうにナショナル・アイデンティティを規定したからです。世界のどんな国民よりもふらふらきょろきょろして、最新流行の世界標準に雪崩を打って飛びついて、弊履を棄つるが如く伝統や古来の知恵を捨て、いっときも同一的であろうとしないというほとんど病的な落ち着きのなさのうちに私たち日本人としてのナショナル・アイデンティティを見出したのです。」

内田の「日本辺境論」の根底に、このような日本理解がある。そして私がいちばん批判したいと思うのはまさにこの点なのだ。確かに明治以来の日本人の、欧米崇拝や欧米文化や思潮の受容にはこのような傾向が見られたであろう。しかし私には、これまでの日本人のあり方に、今大きな変化が起こっていると感じられる。しかもその変化は、千年二千年単位の日本歴史のなかでも重要な変化であるような気がする。内田には、それが全然見えていないのではないか。この本を読んだときに私がいちばん引っかかったのはこの点であった。

大陸から海で隔てられた「辺境」に位置した日本にとっては、海の向こうから入って来るものはつねに崇拝の対象だった。中国や欧米の文明にたえず範を求め続けた。「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない。」これが辺境の限界だと内田はいう。日本人に世界標準の制定力がなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうことこそが、「辺境人」の発想だ。そして、それは「もう私たちの血肉となっている」から、どうすることもできない。だとすれば「とことん辺境でいこうではないか」。こんな国は世界史上にも類例を見ないから、そんな変わった国にしかできないことは何かを考えた方が有意義だ、というのが本書の主張だ。

しかし、文明の「保証人」を外部に求めようとする日本人のあり方に、もし変化の兆しが見え始めているのだとしたら? ふらふらきょろきょろして外ばかり見ていた世代の「呪縛」から解放された世代の文化が育ち始めているのだとすれば? その時、内田の「辺境論」の前提が崩れることになる。私が、考察してみたいのはそのような変化の可能性である。
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日本に滞在する外国人へのアンケート実施の計画

2012年02月16日 | 日本についてのアンケート
YouTubeなどの日本関連の動画に世界中から寄せられたコメントを読んでいると、今世界中の多くの人々が日本に高い関心を示し、日本の社会や文化を賞賛し、日本や日本文化に強い憧れをもっていることが肌で感じ取れる。このようなコメントを読む機会がなければ、それはにわかに信じがたいことかも知れない。

もしそのような事実があったとしても、それを事実としてありのままに認めない傾向が日本人にはある。それは、自国の文化や社会を低く否定的に評価しがちな根強い性癖から来る。とくに大手の新聞にその傾向が強い。しかしその傾向が、現実に起こっている重要な現象を見損なわせるのだとしたら、これは大きな問題だ。

私は、インターネットなどから肌で感じ取れるそのような傾向をもう少し形あるものとして、あるいはデータのような形で、はっきりと示すことができないかと考えた。いちばんの正攻法は、世界中からアンケートをとることだ。今はインターネットを用いれば、個人で実施することもそれほど難しいはない。時間は少しかかるかもしれないが、そのような機能を持つウェッブサイトを作りたいと思う。

その前段階として、まず日本にいま滞在する外国人にアンケートをとってみたいと考えた。これなら個人的に知っている友人から出発して範囲を広げていくことができる。アンケートの内容はたとえば次のようなものだ。これはまだ思いつくままに列挙したに過ぎない。今後、さらに内容を検討していく必要があるだろう。

《質問内容の例》
★あなたが来日する前に日本に持っていたイメージと、実際に体験した日本との間にはどのような違いがありましたか。

★あなたが日本を旅行して(あるいは生活して)便利だなと思うのはどのようなところですか。

★あなたが日本を旅行して(あるいは生活して)不便だなと思うのはどのようなところですか。

★あなたが日本を旅行して(あるいは生活して)フラストレーションを感じるのはどのようなところですか。

★あなたにとって日本人や日本の社会の長所はどのようなところだと思いますか。

★あなたにとって日本人や日本の社会の短所はどのようなところだと思いますか。

★あなたが日本で体験した、いちばんうれしかったことはどのようなことでしたか。

★あなたが日本で体験した、いちばん嫌だったことはどのようなことでしたか。

★あなたが感じる日本人の魅力とは何ですか。

★あなたは日本の文化のどのようなジャンルに興味をもっていますか。

★あなたが感じる日本文化の魅力とは何ですか。

★あなたの国の文化・社会と日本のそれとのいちばん大きな違いとは何ですか。

★あなたが日本についてもっと知りたいことを具体的な質問の形で書いてください。
 (いくつでもいいです。)
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日本文化のユニークさ38:通して見る(後半)

2012年02月15日 | 日本文化のユニークさ
前回に引き続き「日本文化のユニークさ」5項目に沿って行った考察の21~36までを順にならべてみた。これに関連する記事で、他のカテゴリーでアップしたものもたくさんあるのだが、それらは個々の記事の中でリンクしてある場合もあるのでそちらをご参照願いたい。

今後も5項目に沿った形での記事は、「日本文化のユニークさ」プラス通し番号にして続けながら少しずつ内容を深めていければよいと思う。


日本文化のユニークさ21:宗教的一元支配がなかった(1)

日本文化のユニークさ22:宗教的一元支配がなかった(2)

日本文化のユニークさ23:キリスト教をいちばん分からない国(2)

日本文化のユニークさ24:自然災害が日本人の優しさを作った

日本文化のユニークさ25:日本人は独裁者を嫌う

日本文化のユニークさ26:自然災害にへこたれない

日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ

日本文化のユニークさ29:母性原理の意味

日本文化のユニークさ30:縄文人と森の恵み

日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤

日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)

日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)

日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

日本文化のユニークさ35:寄生文明と共生文明(1)

日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理

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日本文化のユニークさ37:通して見る

2012年02月14日 | 日本文化のユニークさ
このブログのカテゴリーの中で一番アップ数が多いのは「日本文化のユニークさ」である。その中でも01から通し番号をつけたものは、だいたい日本文化のユニークさ5項目に沿って考えてきたものだ。最初は、5項目ではなく3項目であったし、5項目になっても少し文章を変えたり付け加えたりしている。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(5)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

現在はこの5項目でまとめているが、今後また少し変わるかもしれない。ともあれ、その変遷も含めて通し番号で一覧できるようにしてみた。

現在は通し番号36まで来ているが、今回は01から20までを順にならべ、次回21から36までを順にならべてみたい。

《日本文化のユニークさ》01~20

日本文化のユニークさ01:なぜキリスト教を受容しなかったかという問い
日本文化のユニークさ02:キリスト教が広まらなかった理由
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった
日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない
日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観
日本文化のユニークさ07:ユニークな日本人(1)
日本文化のユニークさ08:ユニークな日本人(2)
日本文化のユニークさ09:日本の復元力
日本文化のユニークさ10:性善説人間観と日本の長所
日本文化のユニークさ11:平和で安定した社会の結果
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
日本文化のユニークさ14:キリスト教が流入しなかったこと
日本文化のユニークさ15:キリスト教が広まらなかった理由
日本文化のユニークさ16:自然環境が融和を促した
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
日本文化のユニークさ18:縄文語の心
日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
日本文化のユニークさ20:世界史上の大量虐殺と比較すると

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日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理

2012年02月12日 | 母性社会日本
前回の記事の最後近くで「文明そのものが、母性的な自然との一体化を脱して父性的な原理に立つことによって成立するともいえる」と書いた。これに対してコメントで、「果たして、そう言い切ってしまっていいでしょうか」との疑問をいただいた。なるほど、そう言い切るのはかなり乱暴だと私自身も思った。

ただ私が強調したかったのは以下のようなことだ。日本列島に住んできたわれわれは、「母なる大地」に象徴される豊かな自然の恩恵をたっぷり受けながら母性原理的な宗教を保ち続けることができたユニークな民族である。それに対して大陸の諸民族は、多かれ少なかれそうした「自然性」から脱することで「文明」をきずいていった。その違いにこそ、日本文化のユニークさを考える上での大切な観点が隠されているのではないか、ということである。

ともあれ問題を少し整理する必要があるだろう。世界史は大きな流れとしては狩猟・採集文明から農耕・牧畜文明へと変化していったといえるだろう。その流れを母性原理、父性原理の視点から考えるなら、狩猟・採集文明はどちらかというと母性原理が強く、農耕・牧畜文明はそこに父性的な原理も入り込んでくるといえるのではないか。さらに多神教・一神教という区分でいうなら、アニミズム的な自然崇拝では母性原理が強く、精霊崇拝からある程度明確な多神教という形をとるようになると多少ととも父性的な原理も入り込んでくる。そして一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という「地中海三宗教」において出現し、かなり父性的な性格の強い文明の基盤となっていくのである。

たとえば縄文人は、日常生活の根拠地としてムラの周囲のハラを生活圏とし、自然と密接な関係を結ぶ。生活舞台としてのハラの存亡に影響を与えることは、生活基盤の破壊につながりかねない。だから自然との共存共栄こそ、その恵みを永続的に享受する保障につながる。彼らは、ハラのさまざまな自然の背後に精霊を感じ、その恵みに抱かれて生きていることを実感しただろう。

一方、農耕民は自然をあるがままにせず、開墾し農地を確保する方向に進んでいく。ムラという人工空間の外にもう一つの人工空間としての農地=ノラを設け、その拡大を続ける。つまり農耕民はただ単に母なる自然の懐に抱かれているのではなく、自然を征服するという意識と態度を自覚していく。これは多かれ少なかれ母性原理からの脱却を意味する。

ところで日本列島に生きた人々は、農耕の段階に入っていくのが大陸よりも遅く、それだけ狩猟・採集の文明を高度に発達させた。世界でもめずらしく高度な土器や竪穴住を伴う狩猟・採集であった。このように高度に発達した母性原理的な縄文文化がその後の日本文化の基盤となったのである。しかもやがて大陸から流入した本格的な稲作は、牧畜を伴っていなかった。牧畜は、大地に働きかける農耕よりも、生きた動物を管理し食用にするという意味で、より自覚的な自然への働きかけとなる。そして牧畜は森林を破壊する。

さらに日本列島の人々は、他民族にも襲われずに、母なる大地の恵みを最大限に受けながら悠久の昔からそこに住み続けることができた。そのような条件にあったからこそ、自然の恵みを基盤とする自然崇拝的な宗教を大陸から渡来した儒教や仏教を共存さて、長く保ち続けることができたのである。神仏混淆とは、一方の文化が他方の文化を圧殺しなかった結果に他ならない。

一方大陸では、そのような条件に守られ続けることはほぼ不可能であった。それゆえ、多かれ少なかれ母性原理の文化から脱出せざるを得なかったのである。精霊信仰や自然崇拝はもちろん、部族の宗教を保つことも不可能だった。部族宗教相互の闘争が起こり、一方が他方によって抹殺され、やがて普遍宗教によって支配される大帝国も出現した。闘争や統合によって成立する宗教は、自然の恵みに抱かれる自然性の原理の宗教に比べれば、はるかに意識的であり、男性的・父性的な原理を含んでいるのである。

それゆえユーラシア大陸の歴史を巨視的に見ると、母性的な自然との一体性から脱し、農耕・牧畜によって自然に働きかけ征服し、部族相互の闘争を繰り返しながらより普遍的な宗教を形づくっていくという形で、父性的な要素を徐々に取り込んでいったのではないか。その極限にあるのが一神教的な西欧文明であり、その源のひとつがユダヤ教なのである。西欧文明のもう一つの源は、もちろん合理主義的なギリシャ文明である。

日本の歴史と文化のユニークさは、民族相互の抗争と無縁なところで母性原理的な森の宗教の原型を残し、しかも大陸の厳しい歴史の精華の部分だけを、その母性原理的な文化の中に取り入れることができたというところにあるのではないか。

《参考図書》
縄文の思考 (ちくま新書)
論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)

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