クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

クールジャパン関連の本の一覧(2)

2011年01月27日 | coolJapan関連本のリスト
このブログでこれまでに取り上げて来た本の、ジャンル別の一覧表、前回は《クールジャパン関連》を取り上げた。ジャンルは、あくまでも便宜的なものだが、以下のように分けている。

《クールジャパン関連》、《マンガ・アニメ関連》、《日本人論・日本文化論》、《社会・経済関連》、《その他》

今回は《マンガ・アニメ関連》を取り上げる。まだこのブログで取り上げていない本も含まれるが、いずれ取り上げたものばかりだ。

《マンガ・アニメ関連》

◆ローランド・ケルツ『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命

◆アン・アリスン『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力

◆三原 龍太郎『ハルヒ in USA

◆櫻井孝昌『日本はアニメで再興する・クルマと家電が外貨を稼ぐ時代は終わった (アスキー新書 146)

◆櫻井孝昌『アニメ文化外交 (ちくま新書)

◆遠藤 誉『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす (NB online books)

◆鳴海 丈『「萌え」の起源 (PHP新書 628)

◆増田悦佐『日本型ヒーローが世界を救う!

◆青井汎『宮崎アニメの暗号 (新潮新書)

◆佐々木 隆『「宮崎アニメ」秘められたメッセージ―『風の谷のナウシカ』から『ハウルの動く城』まで (ベスト新書)

◆村瀬 学『宮崎駿の「深み」へ (平凡社新書)

◆東 浩紀『コンテンツの思想―マンガ・アニメ・ライトノベル

◆清谷 信一『ル・オタク フランスおたく物語 (講談社文庫)

◆斎藤 環『戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

◆永井 均『マンガは哲学する (岩波現代文庫)

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『世界史が伝える日本人の評判記』(3)

2011年01月26日 | 日本の長所
◆『世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)

この本の第1章は、「知的レベル・教育水準の高い日本」となっている。これについては、安土・桃山時代から幕末・明治初期まで日本を訪れた多くの外国人が指摘しており、確実にそういう事実があったのだといえるだろう。シュリーマンの『シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))』の中にも、「教育はヨーロッパの文明圏以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」という記述があった。時代を超えて多くの外国人が同様の指摘をしている。


ポルトガル出身のカトリック司祭、宣教師として戦国時代の日本で宣教した、ルイス・フロイスはいう。「われわれの間では、女性が文字を書くことはあまり普及していない。日本の高貴の女性は、それを知らなければ価値が下がると考えている。」(『ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)

この類の指摘は他にも多いが、ここでは幕末に黒船で来航したペルーの記述を挙げよう。

「読み書きが普及していて、見聞を得ることに熱心である。‥‥‥かれらは自国の事を知っているばかりか、他の国の地理や物質的進歩、歴史についてもかなりの知識を得ており、我々も多くの質問を受けた。‥‥‥長崎のオランダ人から得た彼らの知識は、実物を見たこともない鉄道や電信、銅板写真、ベキサン式大砲、蒸気船などにまで及んでおり、それを得意気に語った。またヨーロッパの戦争、アメリカの革命、(G.)ワシントンや(ナポレオン・)ボナパルトについても的確に語ることができた。‥‥‥」(『ペリー艦隊日本遠征記

幕末の日本人が知識欲にあふれていたことを物語る記録だが、こういう知識欲はどこから来るのだろうか。ひとつは日本の地理的な条件が関係しているのであろう。大陸から進んだ文明を吸収するのに遠すぎるほど離れてはいなかった、ただし大陸から日本を征服しようと攻撃するには海で隔てられすぎていた。侵略されることの恐怖や屈辱から自由に、海の向こうの高度な文明に憧れ続けることができた。それが幕末から明治期の西洋に向けられた憧れにも続いていった。海の向こうの「素晴らしい」文明を憧憬とともに夢中で学んだのだ。

また、異民族に制圧されたり征服されたりした国は、征服された民族が奴隷となったり下層階級を形成したりして、強固な階級社会が形成される傾向がある。たとえばイギリスは、日本と同じ島国でありながら、大陸との海峡がそれほどの防御壁とならなかったためか、アングロ・サクソンの侵入からノルマン王朝の成立いたる征服の歴史がある。それがイギリスの現代にまで続く階級社会のもとになっている。

すでに触れたが、日本にそのような異民族による制圧の歴史がなかったことが、日本を階級によって完全に分断されない相対的に平等な国にした。武士などの一部のエリートに権力や富や栄誉のすべてが集中するのではない社会にした。特に江戸時代、庶民は自らの文化を育て楽しみ、それが江戸文化の中心になっていった。庶民は、どんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持つことができる。自分の仕事に誇りや、情熱を持つことができる。階級によって分断された社会では、下層階級の人々はどこかに強力な被差別意識があり、自分たちの仕事に誇りをもつという意識は生まれにくい。奴隷は、とくにそういう意識を持つことができない。

この「当事者意識」(責任感)についてはすでに何度か触れているが、これが日本人の知的レベルや教育水準の高さにつながっていると思われる。自分が仕事や役割を通して社会の一翼を担い、貢献しているという「当事者意識」、責任感、誇りは、知識や技術において自分の能力をさらに高めようという向上心につながる。日本では、そのような向上心を庶民のレベルにおいても持つことができたのではないか。

この事実は、「マンガ・アニメの発信力の理由の「⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い」という項目にもつながっていると思う。

《関連記事》
日本文化のユニークさ11
マンガ・アニメの発信力と日本文化(5)庶民の力

《関連図書》
外国人が見た古き良き日本 (講談社バイリンガル・ブックス)
世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)
逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))
日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)

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『世界史が伝える日本人の評判記』(2)

2011年01月25日 | 日本の長所
◆『世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)

「日本の長所」11項目は、現代の日本を訪れた外国人による多数の感想(『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』、『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』などや、多くのブログなど)を参照して、最大公約数的なものを抽出したものだ。これらを、過去に日本を訪れた外国人たちの旅行記に記されたことと比較するとどんなことがいえるかを、少しづつ検討しはじめた。

今は試みとして二三の書物に当たっているだけだが、11項目のうち前半の特徴については、安土桃山の時代以来の日本に、ある程度当てはまると言えそうだ。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
7)清潔さ

一昨日(23日)には、おもに礼儀正しさに関係するものを選んだが、礼節や上品さ、優雅さなどは多かれ少なかれ、社会全体の規律や治安のよさにも関係すだろう。実際に、日本の礼儀正しさ以外のそうした長所に言及する言葉も散見されるが、多くの外国人がそうした事実に圧倒的に印象づけられていたと主張するには充分ではない。いずれ裏付けに充分な資料があつまったら取り上げたい。資料が集まれば集まるほど、それぞれの項目がしっかりと裏付けられていくと予測している。

ところで5)の後半、「親切、他人への思いやり」に関係することついては、やはり充分とは言えないが、いくつか言及がある。ここでは参考程度の意味で取り上げておきたい。

ブルーノ・タウトはドイツ生まれの建築家で1933年から数年、日本に滞在した。「日本の人達は、誰でも助力を求められると全力を挙げて援助する、これは単にそういう義務を感じるとばかりは云えないことであって、日本国民の傑出した能力に数えられるものではあるが、この種の助力には、非常に大きな欣びが認められるのである。」(『日本文化私観 (講談社学術文庫 (1048))』)

次はギリシア生まれのイギリス人で、明治時代の日本に住んだラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の言葉。「日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残虐さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的とも思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、眼を見張るばかりだ。」(『新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)』)

最後は、イギリス人の女性旅行家イザベラ・バードより。彼女は、1878年(明治11年)に、東京から、日光、新潟、さらに日本海側から北海道に至る北日本を旅した。この時代に通訳の男性一人を伴うだけでこうした旅行をすこと自体驚きだが、道中、まったく安全で心配もなく、女性が危険や無作法な目に合わず旅行できるのは日本だけだろうと、日本の安全性を身をもって実証したわけだ。以下は、日光に行く途中で雇った人力車の車夫たちついて語ったものだ。

「彼らは私に、細々と多くの世話をしてくれたのであった。いつも私の衣服から塵をたたいてとってくれたり、わたしの空気枕をふくらませたり、私に花をもってきてくれたり、あるいは山を歩いて登るときには、感謝したものだった。そしてちょうど今、彼らは山に遊びに行ってきて、つつじの枝をもって帰り、私にさようならを言うためにやってきたところである。」(『日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)』)

これはたまたまこの車夫たちが親切だったというだけのことではなく、多くの来日外国人たちが、これと同様の細やかな心遣いに接して、感激の言葉を残しているようだ。

《関連図書》
外国人が見た古き良き日本 (講談社バイリンガル・ブックス)
世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)
逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))

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『世界史が伝える日本人の評判記』(1)

2011年01月23日 | 日本の長所
◆『世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)

この本は、16世紀半ばのフランシスコ・ザビエルから20世紀後半のレヴィ=ストロースまで、日本を訪れた外国人が日本をどう見て感じたのかを、テーマ別に彼らの言葉を引用しながらまとめたものである。テーマは、「知的レベル・教育水準の高さ」、「精神性」、「伝統・芸能」、「自然美と感性」などである。日本人について語った外国人の旅行記の類をそれほど読んでこなかった私にとっては、この分野への気軽に読める良き入門書である。今後は、ここに出てくる外国人たちの本に直接あたって、このブログでも順次取り上げたいと思う。

『シュリーマン旅行記』のときと同じく、「日本の長所」の中のいくつかの項目との関連で見ていきたい。

「精神性を重んじる日本人」を語る第二章では、それと関連して日本人の礼儀について語られる言葉が多い。これは安土・桃山の時代から現代に至るまで、日本を訪れる外国人が抱く共通の印象のようだ。

まずは、フロイスの言葉。フロイスは、ポルトガルのイエズス会士で、1563年に来日した。「何しろこの国民は、その文化、作法と習俗の点で、言うも恥ずかしいほど、さまざまの事にかけてエスパニア人にまさっています。」(『完訳フロイス日本史〈1〉 (中公文庫)』)

「言うも恥ずかしいほど」に当時の日本人がまさっていたというのは信じられないくらいだが、同様のことが他の宣教師によっても確認されている。イタリア生まれのイエズス会士ヴァリニャーノだ。彼は1579年に来日して以来、三度日本を訪れている。彼は言う、

「人々はいずれも色白く、きわめて礼儀正しい。一般庶民や労働者でもその社会では驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ、あたかも宮廷の使用人のように見受けられる。この点においては、東洋の他の諸民族のみならず、我等ヨーロッパ人よりも優れている。」(『日本巡察記(東洋文庫 229)』)

「子供の間においてさえ、聞き苦しい言葉は口に出されないし、我等のもとで見られるように、平手や拳でなぐり合って争うことはない。きわめて儀礼的な言葉をもって話し合い、子供とは思えない重厚な、大人のような理性と冷静さと落ち着いた(態度)が保たれ、お互いに敬意を失うことがない。これはほとんど信じられないほど極端である。」(同上)

「日本人は他のことでは我等に劣るが、結論的に言って日本人が優雅で礼儀正しく秀でた天性と理解力を有し、以上の点で我等を凌ぐほど優秀であることは否定できないところである。」(同上)

「優雅で礼儀正しく秀でた天性と理解力を有し」ているなら、他のどんなところで劣っているのかと聞き質したいほどだ。他のところで彼が、「‥‥これほど邪悪な宗教(仏教など)や数多の(罪に陥る)機会や放縦さにもかかわらず」、日本人は優れた天性を保持していると言っているところから判断すると、やはり日本人が劣っている理由の中心は、キリスト教を信じていないことなのだろう。シュリーマンの見解とそっくりだ。宣教師であればなおさら、キリスト教を絶対とする立場から自由ではあり得ない。むしろ、にもかかわらずこれほどに日本人を高く評価せざるを得なかったということにこそ注目すべきかもしれない。

ところで戦国時代であったにもかかわらず、なぜ日本人は、優雅さや上品さや礼節を保ち得たのだろうか。しかも、一般庶民や労働者、子供までそうだというのである。これはあくまでも私の推測だが、「日本の歴史・文化のユニークさ」5項目のうち、

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

が大きく関係しているのではないかと思う。戦国時代ではあっても戦うのは日本人同士、一般の庶民がそれに巻き込まれて大量に虐殺されたりすることはあまりなかったし、敵方の奴隷にされたりすることもなかった。庶民が、代々続く長期的で安定した人間関係が予測できるなかでの戦国時代だったのである。だからこそ、優雅さや礼節や上品さを失わずに済んだのではないか。

そのころヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントの戦いが激しく、ユグノー戦争(1562~98年)では200万人から400万人の犠牲者が出ていた。また中南米では、カリブ海の島々の先住民は、スペイン人(イスパニア人)によってほぼ絶滅され、アステカ王国やインカ帝国も瞬く間に滅ぼされたのである。


《関連図書》
外国人が見た古き良き日本 (講談社バイリンガル・ブックス)
イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)
逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))

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『シュリーマン旅行記 清国・日本』(2)

2011年01月22日 | 日本の長所
◆『シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

シュリーマンは、将軍と大名の関係に触れ、大名が臣下として服従していながら将軍に対抗する姿勢ももつと言っている。そして日本の社会システムについて次のようにいう。

「これは騎士制度を欠いた封建体制であり、ヴェネチア貴族の寡頭政治である。ここでは君主がすべてであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕作された土地が見られる。」

ここで「労働者階級は無である」というのは、もちろん政治権力としては無であるという意味だろう。この本はフランス語でパリで出版されている。フランス革命時の「第三身分は無である」が意識された表現かもしれない。注目すべきは次の文章で、にもかかわらずどの階級でも、区別なく平和、満足感、秩序、勤勉さ(よく耕作された土地)が行き渡っているというのである。つまり、先に挙げた清潔さとともに「日本の長所」としてまとめた項目のいくつかが、シュリーマンの報告から浮き上がってくるのである。

玩具についての記述もある。「本は実に安価で、どんな貧乏人でも買えるほどである。さらに、大きな玩具屋も多かった。玩具の値もたいへん安かったが、仕上げは完璧、しかも仕掛けがきわめて巧妙なので、ニュルンベルグやパリの玩具製造業者はとても太刀うちできない。」

それだけ子どもが大切にされ、子ども文化が確立されていたということだろうか。これは、イザベラ・バードなどの次のような記述と比較すると面白い。イザベラ・バードは明治11年の日光での見聞として書いている。

「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたり、それに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭に連れて行き、こどもがいないとしんから満足することができない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている。毎朝六時ごろ、十二名か十四名の男たちが低い塀に腰を下ろして、それぞれの腕に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。その様子から判断すると、この朝の集まりでは、子どもが主な話題となっているらしい」。(『逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))』)

こういう伝統は、マンガ・アニメ文化や「かわいい」文化とどこかでつながっているのだろう。

最後に「日本文明論」という短い章で、シュリーマンは「日本の文明をどう見たか」をまとめている。

「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人はきわめて文明化されていると答えられるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。それに教育はヨーロッパの文明圏以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる。だがもし文明という言葉が次のことを意味するならば、すなわち心の最も高邁な憧憬と知性の最も高貴な理解力をかきたてるために、また迷信を打破し、寛容の精神を植えつけるために、宗教――キリスト教徒が理解しているような意味での宗教の中にある最も重要なことを広め、定着させるようなことを意味するならば、確かに本国民は少しも文明化されていないと言わざるを得ない。」

全体にシュリーマンは、当時の日本の姿を、ヨーロッパ人の偏見からきわめて自由に、好奇心と好意と尊敬に満ちた明晰な眼で観察している。しかし宗教的な観点では、やはりキリスト教の偏見から抜け切れていない。要するに彼は、宗教的な面以外では日本人は高度に文明化しており、教育はヨーロッパより普及しているが、われわれのようなキリスト教をもっていない以上、真の意味で文明化しているとは言いえない、と言っているのだ。

一瞬垣間見れるこのような限界は、にもかかわらず、この本の価値を少しも減じていない。彼が描き出す、当時の日本の現実のなまの姿が細部に渡って生き生きと輝いているからだ。

《関連図書》
古代への情熱―シュリーマン自伝 (岩波文庫)
外国人が見た古き良き日本 (講談社バイリンガル・ブックス)
イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)
逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))
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『シュリーマン旅行記 清国・日本』(1)

2011年01月21日 | 日本の長所
◆『シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

このブログの企画のひとつとして「日本の長所を、できるだけ過去にさかのぼって、たとえば安土桃山時代に日本を訪れた宣教師たちが本国に送った手紙、幕末や明治初期に日本を訪れた外国人による記録などで裏付けること」を挙げておいた。その時、例としてシュリーマンの上の本の一部を引用した。今回は、この本を取り上げたい。本のレビューのカテゴリーで取り上げるか「日本の長所」のカテゴリーで取り上げるか迷うところだが、後者に入れたいと思う。

古代への情熱―シュリーマン自伝 (岩波文庫)』であまりに有名なシュリーマンが、トロイア発掘(1871年)以前に世界漫遊の旅に出て、幕末(1865年)の日本にも上陸し、旅行記を残していたのである。翻訳(石井和子)の素晴らしさもあってとても読みやすく、内容も興味尽きない。素直に偏見なく観察し、理解し、正確に記録しようとするシュリーマンの強烈な好奇心がにじみ出ており、こうした精神のしなやかさや探求心が、トロイア発掘につながっていくのだとうことが納得できる。

シュリーマンはいう、「これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激しきった面持で日本について語ってくれた。私はかねてから、この国のを訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。」当時、日本を訪れた外国人たちが、その印象をどのように語っていたかが分かる一文である。

シュリーマンは、横浜から江戸に行く。当時、尊王攘夷運動が活発で外国人にとって江戸はかなり危険だったが、江戸を見たいという思いの方が強いのである。

浅草寺を訪れ、あるお堂の仏像の傍らに「おいらん」の肖像が飾られている事実に驚愕し、呆然としている。「日本人は、他の国々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。」「それは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われた。」

仏像と「おいらん」を並べてしまう日本人のタブーのなさ、宗教的ないい加減さ、というかおおらかさは、シュリーマンにとっても理解を超えていたのだろう。しかし、以下の記述からもわかるように、短い滞在(約3ヶ月)にも関わらず日本人の宗教心について全体的に的確にとらえている。

「日本人の宗教心について、これまで観察してきたことから、私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺の民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。」

ここで「真の宗教心」は、キリスト教を判断の基準としており、あとで紹介する彼の文章と合わせて考えると若干の偏見を感じるが、シュリーマンが観察した状況は、江戸時代も現代もほとんど変わっていないようだ。宗教儀式が娯楽と渾然一体となり、宗教なのか娯楽なのか習俗なのか分からないという状況も、今と変わらない。

「日本の長所」というより、昨日の「日本の長所は無宗教から」でも取り上げた「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった」というユニークさが、シュリーマンによっても観察されているようだ。

《関連図書》
古代への情熱―シュリーマン自伝 (岩波文庫)
外国人が見た古き良き日本 (講談社バイリンガル・ブックス)
イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
世界史が伝える日本人の評判記―その文化と品格 (中経の文庫)
逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))
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日本の長所は無宗教から

2011年01月20日 | 相対主義の国・日本
まず、これまで「日本文化のユニークさ」と呼んできたものを「日本の歴史・文化のユニークさ」とタイトルを変えたい。先日、これまでの4項目にひとつ加え5項目にしたあれだ。ここには歴史的な要素がかなり入っているからだ。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(5)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

その上で「日本の長所」11項目を見てみよう。上の5項目のうち新たに加えた(4)に深く関係する長所は、10)と11)だろう。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

私たちの日常生活は、ほとんど無宗教に近いかたちで営まれている。そういう制約のなさから生まれてくる自由なストーリーが、相変わらず多少とも宗教的な制約のなかで生きている人々にとっては、新鮮でクールなものと映る。そんな風に、私たちの文化の無宗教性を積極的にとらえた方が、熱烈なアニメブームの理由をより深く説明できるのではないか。アニメの背後にある私たちの文化の無宗教性、タブーのなさ、奔放で自由な表現、そうしたものに積極的な価値が見いだされ、それが世界でクールと受けとめられ始めているのではないか。

日本のファッションにしてもサブカルチャーにしても、なぜ世界で支持されるのかを考えると、結局は「自由」という言葉に突き当たると指摘されることも多い。たとえば、日本人は、「何よりも、自由に服をつくっています。いろいろな種類のファッションがあるのもいいですね」など、これに類する感想がじつに多いようだ。アニメの特徴のひとつにそれが扱う世界の「多様性」があるように、東京のファッションは「選択肢の多さ」が素晴らしいという外国人が多い。(『世界カワイイ革命 (PHP新書)』)

外国人は、日本、とくに東京に「選択肢の多さ」、そして「自由」、「可能性」というイメージをもっているようである。日本には、クリエイティブなジャンルにおけるタブーが少なく、製作者が自由に表現したりつくったりできる風土があるのだろうか。アニメは子どもが見るものという呪縛を打ち破ったのも、そうした自由の結果かもしれない。

ではなぜ日本で、そのような自由な風土が生まれたのだろうか。それは、やはり宗教による一元的な文化支配の歴史がほとんどなく、宗教的なタブーが少ないという事実から来るのだろう(「日本の歴史・文化のユニークさ(4)」)。

また、島国であり、ユーラシア大陸から適度が距離で離れているため、大陸の諸民族からの攻撃や暴力的な支配をほとんど経験しなかった(「日本の歴史・文化のユニークさ(3)」)。それで、大陸の文化のうち自分たちに合う要素を抵抗感なく自由に取り入れ、自分のものにすることができた。かつては中国やインドから、近現代ではヨーロッパやアメリカから。

そして、昭和の一時期を除いて、強力なイデオロギーによる文化の一元支配が、長い歴史のなかでほとんどなかったから、多様な文化アイテムが自由に並存することができた。伝統的なものも現代的なものも、東洋的なものも西洋的なものも、すべてが無原則的に(非イデオロギー的に)陳列された。その、一元的にしばられない何でもありのごった煮のような状態から、自由な発想や組み合わせが生まれてくるのではないだろうか。

もちろんこれは日本のサブカルチャーの自由な創造性を説明する、ほんの一側面にすぎないだろう。マンガにしぼっていえば、次のような興味深い指摘もある。欧米のマンガ市場はおとなが子どもに読ませたいものを買う市場なのに、日本のマンガ市場は子どもが自分で選んだ本を買う市場だった。それで、おとなが読ませたいものを書いたマンガではなく、子どもが読みたいものを書いたマンガが発達した。その結果、日本のマンガは欧米ではとうてい考えられないような表現の自由をかなり早くから確立していたのだという。(この指摘については増田悦佐の『日本型ヒーローが世界を救う!』を参照されたい。)

ともあれ日本の長所は、日本の文化が無宗教的で非イデオロギー的であることによって育まれている面があるのは確かだろう。いまや日本人は、自分たちが無宗教的であることに誇りを感じるようになってきているのではないだろうか。

≪関連記事≫
日本の長所は、島国の歴史がつくった
世界カワイイ革命(1)
世界カワイイ革命(2)

≪関連図書≫
無宗教こそ日本人の宗教である (角川oneテーマ21)
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日本文化のユニークさ22:宗教的一元支配がなかった(2)

2011年01月19日 | 相対主義の国・日本
「日本文化のユニークさ」に一項目を付け加え5項目とした。あらたに付け加えたのは次のような項目であった。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

これについてもう少し検討してみよう。呉善花が『日本の曖昧力 (PHP新書)』のなかで述べていることを参考にしたい。(この本についての私のレビューはこちら→クールジャパンの根っこは縄文?

日本列島は、国土の大半が山林地帯だ。水田稲作の長い歴史があるが、その特徴は狭小な平野や山間の盆地などでほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきたことだ。

一方中国大陸では、広大な平野部で大規模なかんがい工事を推し進める必要から、無数の村落をたばね無数の労働力を結集させる力が国家に要求された。巨大な専制権力が必要だったのだ。それを可能にするのに政治的、文化的な統治イデオロギーも必要だった。そのイデオロギーをやがては儒教が担うことになる。こうしてしだいに農耕文明以前の精神性(日本でいえば縄文的・多神教的な精神性)が失われていった。

逆に、日本列島のように農耕に適した土地がみな小規模だと、強大な権力による一元支配は必要なかった。島国であるため外敵の侵入を心配する必要もなかったから、軍事的にも大陸に比べ小規模でよかった。そのため日本では、強固な統治イデオロギーによる支配も必要とせず、縄文時代以来のアニミズム的な精神性が消え去ることなく残った。

さらに、一万数千年続いた縄文時代は、日本人の心の深層に多神教的な精神の強固な基盤を形作った。その精神は縄文語の中に深く刻まれていた。大陸から弥生人が稲作文明を伴って徐々に渡来してきたとき、縄文的な精神と縄文語は駆逐されるどころか、渡来人の文化や言葉を呑み込みつつ生き残っていった。それは、宗教的なイデオロギーによる一元的な支配を拒む力をもって日本人の心のなかに生き続けた。それゆえ仏教と神道は融合し、キリスト教はついにこの国に定着することがなかった。(次のエントリーを参照→日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り

ここで、「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった」ことの理由として今まで述べたことを、順番は逆にするが、もう一度整理してみよう。

①縄文的・多神教的な精神は、日本人の中に強固な基盤を作っていたので、宗教などによる一元的な支配を拒む力を保ち続けた。

②農耕に適した土地が小規模だったため、強大な権力とそのイデオロギーによる一元的な支配は必要ではなかった。

③異民族との激しい闘争をほとんどしてこなかったので、宗教やイデオロギーを押し付けられたり、それに抗して自分たちの宗教やイデオロギーを正当化して、イデオロギー的に武装する必要もなかった。

これらのことが、相乗的にはたらいた結果、「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどない」ままに高度な文明を作り上げるという、歴史的・文化的にきわめてユニークな日本という国が存在することができたのであろう。

《関連図書》
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
比較文化論の試み (講談社学術文庫 48)

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日本文化のユニークさ21:宗教的一元支配がなかった(1)

2011年01月18日 | 相対主義の国・日本
一昨日16日のエントリー「日本の長所は、島国の歴史がつくった」では、日本の長所11項目の中の多くが、日本文化のユニークさのなかでもとくに

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

に関係して育まれてきたのではないかと述べた。

このエントリーの最後で、日本の長所のうち「10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性」については、「別の観点から取り上げることになるので、今回は省略する」と書いておいた。実際、この点については、日本文化のユニークさのうち「異民族による侵略がなかったこと」にも関係するが、他の要素とも関係するからそれと合わせて書いた方がよいと思っていた。

だが、あらためて日本の長所「10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性」と、日本文化のユニークさ4項目とを比べてみると、4項目では何かが足ず、他の大切な要素が抜け落ちていることに気付いた。それが今日のタイトルに掲げた「宗教による一元的支配がなかった」ということだ。

「宗教による一元的支配がなかった」という事実については折に触れて取り上げてきた。次のエントリーでも少し触れている。

マンガ・アニメの発信力と日本文化(4)相対主義(続き)

必要な部分だけ紹介する。日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったために、西洋的な意味での神も、イデオロギーも必要としなかった。他民族との戦争を通して、部族の神は、自民族だけではなく世界を支配する正義の神となる。武力による戦いとともに、正義の神相互の殺し合い、押し付け合いが行なわれる。社会は、異民族との戦争によってこそイデオロギー的になる。日本は、異民族との戦争もイデオロギー的な抗争もなしに、自然発生的な村とか共同体に安住することができた。昭和の一時期を除いて、強力なイデオロギーによる文化の一元支配が、長い歴史のなかでほとんどなかったから、多様な文化アイテムを外国から自由に吸収し、並存させることができた。その、一元的にしばられない何でもありのごった煮のような状態から、自由な発想や組み合わせが生まれてくる。

ということでこの事実が、日本の長所「11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力」につながるもう一つの理由になるのだが、「10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性」も間接的につながっている。この点については日を変えてあらためてふれる。

また「マンガ・アニメ発信力の理由(5項目)

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力。
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観。
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする。

の④がこれと重なり、①の「多神教的な文化が息づいている」というもの逆に言えば「一神教的な文化が根づかなかった」ということだ。

このブログは、「日本文化のユニークさ4項目」を大元として、それとの関連で「日本の長所」や「マンガ・アニメの発信力の理由」を考えるという形をとっている。だとすれば「宗教による一元的な支配がなかった」は、その大元の一項目として入れておくべき重要なユニークさだろう。下の(3)の次にこれを入れて、5項目に増やしたい。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(5)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

例によって文言については、今後付け加えや変更を必要に応じて行っていくつもりだ。

《関連図書》
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
コメント (1)
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クールジャパン関連の本の一覧

2011年01月17日 | coolJapan関連本のリスト
このブログでこれまでに取り上げて来た本の、ジャンル別の一覧表をつくっていきたい。ジャンルは、あくまでも便宜的なものだが、

《クールジャパン関連》、《マンガ・アニメ関連》、《日本人論・日本文化論》、《社会・経済関連》、《その他》

の四つに分けた。とびとびになるとは思うが、ジャンルごとに順にアップしていきたい。

《クールジャパン関連》

◆加藤恭子編『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』(出窓社、2008年)        

◆加藤恭子編『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』(出窓社、2010年)

◆中村知哉、小野打恵編『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』(日本経済新聞社、2006年)

◆川口盛之助『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)』(2010年)

◆竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)』(2011年)

◆井沢元彦『人類を幸せにする国・日本(祥伝社新書218)』(2010年)

◆稲川素子事務所『どーもアリガトだよ―在日外国人32人の“渡る日本はいい人ばかりだった”』(メタモル出版、2000年)

◆奥野 卓司『ジャパンクールと江戸文化』(岩波書店、2007年)

◆櫻井 孝昌『世界カワイイ革命 (PHP新書)』(PHP新書、2009年)

◆マックス 桐島『ハリウッドではみんな日本人のマネをしている (講談社+α新書)』(2009年)

◆伊藤洋一氏・日下公人氏『上品で美しい国家―日本人の伝統と美意識』(ビジネス社、2006年)

◆日下公人『数年後に起きていること―日本の「反撃力」が世界を変える』(PHP、2006年)

◆杉山 知之『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』(祥伝社、2006年)

◆東浩紀編『日本的想像力の未来~クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)』(2010年)




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日本の長所は、島国の歴史がつくった

2011年01月16日 | 日本の長所
こブログの今後の大雑把な計画のひとつとして

日本の長所(11項目)を、日本文化のユニークさ四項目と関連付けて歴史的な背景をさぐること。日本人の長所はどんな歴史的背景から形成されたのかの考察。

というのを挙げておいた。

昨日は、日本文化のユニークさ4項目のうち、

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

について、世界史上での実態と少しだけ比較してみた。日本の長所が生まれてきた歴史的背景を考えるとき、この(3)の要因がいちばん大きいのではないかと思う。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

これら11項目のうち、少なくとも2)、3)、4)、5)、10)は、日本が異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたなかったことがかなり直接的な要因となっており、11)も間接的にはつながっていそうな気がする。

異民族による侵略とは、言葉も生活様式も習俗もまるで違う民族がとつぜん襲ってきて、強奪、虐殺、焼き討ちなどしたうえ、征服民として君臨し、生き残ったものたちは奴隷にされたり、隷属民として過酷な労働を強いられるというようなイメージだ。自分たちの仲間関係や、言葉や、文化やしきたりなども根こそぎ破壊される。

ユーラシア大陸では、中国や韓国も含め、複数民族が入り乱れてのこのような過酷な征服と隷属の歴史が繰り返されてきた。そのたびに文化が断絶し、生活が破壊され、一変したりするのが当然であった。そこでは長期的な相互信頼に基づく人間関係を育てることは難しい。だから、大陸の人々は傾向として、常に相手からつけこ込まれたり、裏切られたりするのではないかと怯え、逆にどうやったら相手を出し抜き、ごかませるかと、攻撃的、戦略的に身構えていることになるのだろう。

一方日本では、自分たちの言葉や文化や習俗が根こそぎ奪われてしまうような、異民族による侵略はなかった。国内に戦乱はあったにせよ、規模も世界史レベルからすれば小さく、長年培ってきた文化や生活が断絶してしまうこともなかった。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となった。

安定した長期的な人間関係と相互信頼を保つことが可能であり、大切だったからこそ、

2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり

などの長所がおのずと育まれたのだろう。1)の礼儀正しさというもの、そのような安定した人間関係を前提とし、またそれそ維持していくための知恵として生じたのかもしれない。伝統技術を世代から世代へ伝えることが可能だったから、職人的な仕事への誇りも育まれた。

11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

についてはどうだろうか。異民族に制圧されなかったことが、日本を相対的に平等な国にした。もし征服されていれば、日本人が奴隷となりやがて社会の下層階級を形成し、強固が階級社会が出来上がっていたかも知れない。江戸の庶民文化が花開いたのは、武士が、権力、富、栄誉などを独占せず、それらが各階級にうまく配分されたからだ。江戸時代の庶民中心の安定した社会は世界に類をみない。歌舞伎も浄瑠璃も浮世絵も落語も、みな庶民が生み育てた庶民のための文化である。近代以前に、庶民中心の豊かな文化をもった社会が育まれていたから、植民地にもならず、西洋から学んで急速に近代化することができたのである。

そして江戸庶民文化(ポップカルチャー)と現代のポップカルチャーは、豊かで創造的で活力のある庶民文化という点で、けっして断絶などしていない。むしろ江戸庶民の想像力と活力が脈々と受け継がれているからこそ、現代のポップカルチャーの興隆があるのだ。それは、異民族による侵略のなかった日本の歴史と無関係に生まれてきたのではない。

10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性

については、別の観点から取り上げることになるので、今回は省略する。

《関連記事》
日本文化のユニークさ09:日本の復元力

《関連図書》
中谷巌『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)
呉善花『日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない

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日本文化のユニークさ20:世界史上の大量虐殺と比較すると

2011年01月15日 | 侵略を免れた日本
5つ挙げた、このブログの今後の企画のなかで今回は、日本文化のユニークさ4項目の特徴を、それぞれ世界史での実態と比較して際立たせるという企画を取り上げたい。まずは4項目のなかの3番目についてである。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

この点については、これまでにも次のエントリーでも再三扱ってきた。

日本文化のユニークさ07:ユニークな日本人(1)
日本文化のユニークさ08:ユニークな日本人(2)
日本文化のユニークさ09:日本の復元力
日本文化のユニークさ11:平和で安定した社会の結果
日本文化のユニークさ16:自然環境が融和を促した
『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(1)


とくに最後のエントリーで触れた大石久和の『国土学再考 「公」と新・日本人論』は、西洋文明が、シュメール文明という源流の時代から、都市に城壁を築いて暮らしていた、つまりそれほどに民族間の闘争に対して常時、防衛体制をとることが必要だったことを強調している。実際、ユーラシア大陸の至るところ、つまり中国、朝鮮半島、インド、ロシア、西アジア、ヨーロッパにおいて、都市といえば外敵から身を守るための城壁都市(都城)をおいてほかはありえなかった。日本だけが城壁にかこまれない都市をもつことができた。つまり日本の歴史は、異民族同士の闘争や農耕民と牧畜民との闘争とは無縁だったということだ。

この本で紹介されている「歴史上の大虐殺ランキング」が参考になるかもしれない。マシュー・ホワイトという研究者が過去2000年におきた大量虐殺の歴史をまとめているのだ。(Selected Death Tolls for Wars, Massacres and Atrocities Before the 20th Century

もちろんトップは第二次世界大戦(5500万人)、二番目は毛沢東の文化大革命(4000万人)だが、三位がモンゴルによる征服(13世紀、4000万人)、追って順に、玄宗と楊貴妃の恋に続く安史の乱(8世紀、3600万人)、明王朝の滅亡(17世紀、2500万人)太平天国の乱(19世紀、2000万人)、インディアンの全滅(15~19世紀、2000万人)などと続く。

研究者によって被害者数に開きがあり順位をつけられないが、他に十字軍(11世紀、100~500万人)、フランス宗教戦争(16世紀、200万~400万人)などもある。これらは、ほとんどが異民族間の抗争、宗教間の対立にかかわっている。

これに対して、日本の最大の虐殺事件といわれる島原の乱(16世紀)の犠牲者はおよそ2万人だという。もちろん20世紀になってからは二つの世界大戦も含め、日本の加害、被害とも大きな数字になるが、江戸時代までの日本は、世界史上での数字に比べると、文字通り桁が違うことがわかる。

《関連図書》
増田悦佐『奇跡の日本史―「花づな列島」の恵みを言祝ぐ
 この本も第二章で日本の都市と世界の都市とを、城壁のあるなしの違いで論じ、城壁都市が、その内外でどれほどすさまじい生活格差を生んだかを興味深く語っている。

竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)
 この本では第四章で、とくに宗教戦争の悲惨さを強調している。たとえば欧州最後の宗教戦争と呼ばれた三十年戦争では、人口の何割もの犠牲者を出したが、日本の場合は、国内に宗教戦争がなかったことが、二千年以上も王朝を保つことができた要因のひとつだろうという。

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日本の長所はいつの世から?今後の計画など(2)

2011年01月14日 | 全般
引き続き、このブログでの今後の大雑把な計画、企画を挙げておきたい。

2)「日本の長所はいつの世から?」というタイトルについて。ブログのカテゴリー「日本の長所」では、現代日本を訪れたり、住んだりしている多くの外国人の感想などをもとにして、日本の長所を次の11項目に整理して、その裏付けとなるような事例も取り上げてきた。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

これらの長所を今度は、できるだけ過去にさかのぼって、たとえば安土桃山時代に日本を訪れた宣教師たちが本国に送った手紙、幕末や明治初期に日本を訪れた外国人による記録などで裏付けることができるかを、ゆっくりやってみたい。もちろん11)などは現代的視点からの特徴だし、すべての項目を文献的に確認できるわけではないとは思うが。

ひとつだけ例を挙げておく。7)に関連して、幕末の1965年に日本を訪れたシュリーマンの言葉だ。

「(横浜の)家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。」
「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。」(『シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

こんな感じでゆっくり集めていきたいと思っている。

3)上の11の長所を、日本文化のユニークさ四項目と関連付けて、歴史的な背景をさぐること。日本人の長所はどんな歴史的背景から形成さされたのかということだ。これは2、3回で終わる短期的な企画になるだろう。

<日本文化のユニークさ四項目>

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

(4)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

4)ブログのカテゴリー「日本文化のユニークさ」では、上の四項目についてかなり考察してきた。ただこれをもう少し世界史的な視点との比較を多く取り入れてさらに深く探求したいと思っている。たとえば(3)について、日本ではほとんどなく、世界史では数え切れなかった異民族同士に悲惨な戦いの実態を把握することで、日本史との違いを際立たせるなど。これもじっくりやっていければと思う。

5)エントリー「マンガ・アニメの発信力:異界の描かれ方」で触れたテーマを個々の作品について続けていくこと。「マンガ・アニメの発信力:BLEACH―ブリーチ―(2)」でやったことを、

BLEACH―ブリーチ―
涼宮ハルヒの憂鬱
DEATH NOTE デスノート
鋼の錬金術師
犬夜叉
幽・遊・白書
ヒカルの碁

などでもやっていくということだが、これがいちばん手ごわく、時間もかかりそうだ。日本文化の中での異界のとらえかかたを探る、それを世界の宗教と比較する、個々の作品を読み込むなどをしっかりしないとできない。

とりあえず頭に思い浮かぶのは、以上のような企画だ。続けるうちにまた新しいアイディアが生まれてくるかもしれないし、たち切れになる企画もあるかもしれない。マイペースでやっていければと思う。

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若者の文化的「鎖国」が始まった?今後の計画など(1)

2011年01月13日 | 全般
今回は、今後このブログでどんな話題を展開していきたいか、現時点での大雑把ないくつかの計画を書いておきたい。

1)まず今日のタイトルに掲げた「若者の文化的『鎖国』が始まった?」だが、「鎖国」という言葉を使うのはかなり誤解を招きやすいかもしれない。最近の若者に対する意識調査など読み取れる傾向をちょっと刺激的な言葉で表現しようとすると文化的「鎖国」という言葉もありかなと思った。若者が海外旅行や留学にあまり興味を持たなくなった、洋楽や洋画よりも、JPOPや邦画を好むようになった、日本的な伝統文化を誇りに思う率が高くなったなど、和風志向や日本回帰、伝統的な価値観の復活の傾向が、いくつかのアンケートからはっきりと読み取れる。

これはもしかしたら、長い日本の歴史の中で三番目の文化的・心理的な「鎖国」傾向が始まる兆しかもしれないと私は思っている。

遣隋使、遣唐使が中国から多くを学び取り、律令国家体制を築いたあと、やがて遣唐使を廃止して平安朝の国風文化が花開いたのをかりに第一の文化的「鎖国」とする。

第二番目は、フランシスコ・ザビエルなどイエズス会の宣教師たちがキリスト教とともに南蛮文化を日本にもたらしたあと、国内でのキリスト教の広がりに危機感を感じた江戸幕府がおこなった文字通りの鎖国である。その後、いくばくかの時を経て豊かな江戸庶民文化が開花した。

そして明治維新後は主にヨーロッパから、第二次大戦後はアメリカからも、日本人は必至にあまりに多くを学び、多くを取り入れ続けた。もちろん個別にはまだまだ学ぶべきことはあるだろうが、大勢としてはヨーロッパやアメリカと同列、いや一部はかなりすぐれたところまで来たと日本人は気づきはじめた。そこから第三の文化的、心理的「鎖国」が始まったのだ。そういう時代の流れを無自覚に、しかしいちばん敏感に感じとっているのが、20代の若者たちではないのか。

もちろんこれだけ情報化し、グローバル化した現代に文字通りの鎖国などありえない。しかし、「学ぶべきモデルはすべて欧米にあり」という心理的傾向は今の若者にはない。それが学ぶこと一般への情熱の減少にもつながっているかもしれない。そして日本の若者は、少しずつ始まった心理的な「鎖国」傾向のなかで、世界中から集められた素材で煮込んだポップカルチャーを生み出してきたのであり、それが知らず知らずのうちに世界に発信されるようになっていた。江戸時代の鎖国と違い、文化の出力の方は閉ざさしていないから、日本発ポップカルチャーは生み出されるとほぼ同時に世界に広まっていく。浮世絵が幕末になってやっと世界に知られたのと大きな違いだ。

日本の歴史は、国外から必死に学び取る時代と、内向化して学び取ったものを自分流に熟成して独自のものを生み出す時代とを、交互にくり返してきた。今は、ひたすら学び取る時代は終わり、次の段階に入りつつある時代なのではないか。日本史の、こうした長いスパンの中で、現代若者の意識変化や、世界に広がるクールジャパン現象を位置づけてみたい。ゆっくりやっていきたいが、こんな企画をひとつ考えている。

《関連図書》
欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)

《関連記事》
クールジャパンに関連する本02
  (『欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)』の短評を掲載している。)
コメント (2)
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『日本力』、ポップカルチャーの中の伝統(2)

2011年01月12日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『日本力』(松岡正剛、エバレット・ブラウン)

今度は、エバレット・ブラウンの発言から。彼が日本人を見ていて面白いと思うのは、ケータイ電話のストラップだという。ケータイにストラップをつけるのは、日本以外ではあまりない。海外では、ケータイは単なる機械だという。しかし日本人は、そこに自分の気持ちを入れる、命を与える。ものに命を与える日本人の心性が、彼は大好きだという。

現代の若者はケータイにストラップをつけることを、ただそうしたいから、そうしないと何となく物足りないと感じるからやっているのだろう。しかし、そこに日本人の伝統的な心が働いている。かつて日本の職人は自分の、命をものに入れていたという。お金のためだけにものをつくっていたのではない。

それと同様、今の若い人たちも無意識にものに命を与えている。そういう傾向が、今すこしずつ復活している。ネイルアートも、先日触れた「痛車」も「初音ミク」もそういう傾向の表れかもしれない。ヴォーカロイド「初音ミク」とCGによるこだわりのコラボは、コンピューターのプログラムによってまさに命を吹き込む作業で、かつての職人の心、もっとさかのぼれば縄文人の心が、現代の最先端によみがえっているのかもしれない。現代の日本人が、縄文的な心性を受け継いでいることをもっとも象徴的に表しているのが、ケータイ電話のストラップなのだろう。

ケータイのストラップが、日本人に独特な傾向の表れだということは、多くの人が指摘している。たとえば、以前にも紹介したことのある『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』で著者アン・アリスンは次のように言う。日本人はケータイに、ブランド、ファッション、アクセサリーとして多大な関心を払い、ストラップにも凝ったりする。そうしたナウい消費者アイテムにも、親しみ深いいのちを感じてしまうのが日本人のアニミズムだ。このように機械と生命と人間の境界があいまいで、それらが新たに自由に組み立て直されていく、日本のファンタジー世界の美学を著者は「テクノ-アニミズム」と呼ぶ。日本では、伝統的な精神性、霊性と、デジタル/バーチャル・メディアという現代が混合され、そこに新たな魅力が生み出されているのだ。(《関連記事》『菊とポケモン』、クール・ジャパンの本格的な研究書(2)

最近紹介した『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)』の基本コンセプトは、オタク文化と製造業の融合だったが、それを一言でいうならまさに「テクノ-アニミズム」ということになるだろう。かつての「たまごっち」というサイバー・ペットの世界的な流行も、日本的な「テクノ-アニミズム」が世界に受け入れられていく先駆けだったといえなくもない。

『日本力』の対談で取り上げられた話題は多岐にわたり、興味尽きない。ここでは、このブログのテーマに関わるかぎりでその一端を取り上げたにすぎない。

《関連記事》
『菊とポケモン』、クール・ジャパンの本格的な研究書(2)
オタク文化と製造業をどう結びるけるか(1)
オタク文化と製造業をどう結びるけるか(2)
マンガ・アニメの発信力の理由01:ソフトアニミズム

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