クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

「道」の文化という大切なもの

2020年04月22日 | 相対主義の国・日本
本ブログでは、日本文化の特徴の以下のようないくつかの項目の視点から総合的に把握することを志している。 ただ、これ以降は、これまで示してきたものと順番を少しかえる。いままで7番目にあった「絶対的理念への執着がうすかった」という項目を一番目に移動した。 この項目が、日本文化の特徴をもっとも全体的に表現していると思うからである。 また、新たに9番目の項目を加えた。

(1)日本文化は一貫して、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。 その相対主義的な性格は、以下の項目と密接に関連して形成された。

(2)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が,現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(3)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し,縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(4)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

(5)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略,征服されたなどの体験をほとんどもたず、そのため縄文・弥生時代以来,一貫した言語や文化の継続があった。

(6)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は,大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面をひたすら尊崇し、吸収・消化することで,独自の文明を発達させることができた。

(7)海に囲まれ,また森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方で,地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は,ほとんど流入しなかった。

(9)「武道」、「剣道」、「柔道」、「書道」、「茶道」、「華道」や「芸道」、さらには「商人道」、「野球道」などという言い方を含め、武術や芸事、そして人間のあらゆる営みが人間の在り方を高める修行の過程として意識され、それが日本文化のひとつの大きな特徴をなしてきた。

実は、トップに移動した日本文化の相対主義的性格については、残りの7項目が要因となって、いかにその性格が形成されてきたをまとめ、この4月にある論文集の中で公にした。それが、これまでこのブログで書いてきたことのかんたんな整理になっている。この論文の内容も、すべてではないが一部を要約してこのブログに順次掲載するつもりである。

新しく追加した9番目の内容については、これまでこのブログではほとんど触れていない。今後、少しづつ触れていきたいと思う。もしかしたら私たちは、「道」の文化という日本文化の大切な遺産を、ほとんど忘れかけているのかもしれない。言葉としては残っていても、その内実を現代人はほとんど受けついていないのではないか。その負の面をも含め、もう一度私たちはこの大切な伝統を思い起こし、その良い面を積極的に現代日本に生かしていくことが、今後の日本の社会にとってきわめて重要なことだと思う。

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「辺境」日本の世界史的な意味(6)現代のジャポニズム

2020年04月21日 | 相対主義の国・日本
そして現代の日本は、長い受容の歴史の結果、その豊かな蓄積の内側から次々と独自の文化を生み出すようになった。浮世絵に代表される江戸時代の豊かな庶民文化も、幕末から明治初期にかけてフランスなどヨーロッパに知られ、その流行はジャポニズムと呼ばれた。

それぞれの文化の背景にある宗教やイデオロギーに縛られずに、さまざまな要素を融合させてしまう柔軟さは、現代のポップカルチャーにもいかんなく発揮されている。それが、インターネットなどの情報革命によって江戸時代とは比較にならないほど広範に世界に影響を与え始めた。

現代のジャポニズム(マンガ・アニメに代表されるポップカルチャーなどの世界的な人気)は、中国文明だけではなく西欧文明やアメリカ文明の受容と蓄積が加わり、それが縄文時代以来の日本の伝統の中で練り直され、磨かれることによって豊かに開花したものといえよう。例を挙げればきりがないが、たとえば宮崎駿のアニメ作品のなかにどれだけ神道的な要素や古代中国的な要素や西欧的な要素が融合しているかを見ればよい。

今、世界は「普遍宗教」同士の深刻な対立を背景にした紛争やテロが後を絶たない。環境問題や経済の混乱の深刻化などにより、西欧近代の文明原理がかなり問題をはらむのではないかと疑われ始めもした。では日本は、それに替わる新たな「世界標準」を生み出すことが可能なのだろうか。これに対する私の答えは、上に述べたような「世界標準」という意味でなら「否」というものである。しかし、「世界標準」という言葉にこだわらずもっと柔軟な見方をすれば、必ずしも否と言えない。

逆説的なことだが、ひとつの「世界標準」にこだわらず、つまり絶対視せず、相対主義的な姿勢で自由に学び吸収しつづけたからこそ、そこから生まれた独自の文化が、今後の世界にとって新たなモデルになる可能性を秘めるようになったのではないか。

近年の日本人は、「世界標準」同士が張り合ったり、宗教同士が争い合ったりすることが、どれだけ悲惨な結果を生んできたか、そして今も生みつつあるかを、かなりよく知るようになった。そして自分たちのようにあまり原理原則にこだわらず、それぞれのいいところを自由に受け入れて、自分たちに合わせて作り替えていく行き方が、逆に豊かな結果をもたらすことをようやく知るようになった。そして、そういう日本のあり方や日本が発信する文化を、世界がクールと感じ始めたのではないか。

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
(5)『ユニークな日本人』グレゴリー・クラーク、竹村健一著、講談社現代新書、1979年
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

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「辺境」日本の世界史的な意味(5)相対主義の強み

2020年04月20日 | 相対主義の国・日本
「普遍的な文明」の絶対的な理念や中心軸、宗教をそのまま自文化の中に持ち込めば、自分たちの根底にある相対主義の文化が脅かさるから、無意識のうちに拒む。しかし、その相対主義を脅かさないかぎりでは、他文明の個々の成果をためらいもなく受け入れ、それをいつの間にか自分に合うものに造り変えてしまう。そこに日本文化のユニークさと不思議さがある。

日本文化の特異さのひとつは、「普遍的な文明」の「世界標準」によって完全に浸食されてしまわずに、農耕文明以前の自然崇拝的で、縄文的な文化が現代にまでかなり濃厚に受け継がれたことだ。これは世界史上でも稀有なことである。儒教や仏教を受容したときも、自分たちが元来持っていた自然崇拝的な宗教にうまく合うように変形した(神仏習合など)。

「世界標準」とは、まずはキリスト教、イスラム教、仏教、儒教など、それ以降の文明の基礎を築くことになった普遍宗教であろう。そして、それらの普遍宗教に基づいて生まれた文明の原理であろう。たとえばヨーロッパ文明は、キリスト教をひとつの基礎としながら、また一面ではそれと対抗しながら、近代の各種原理を生み出していった。「自由」「民主主義」「人権」「合理主義」「科学」「進歩」「自由主義経済」などがそれにあたる。そして、それらが現代のもっとも強力な「世界標準」になっていったのである。

「世界標準」の普遍宗教は、激しい闘争の中で民族宗教の違いを克服することによって生まれたとも言える。それもあって、それぞれの普遍宗教を背景にもつ「世界標準」自体は、お互いに相容れない傾向がある。自分こそ「世界標準」だと言い張って互いに争うのである。現在までのところ、その勝者が近代ヨーロッパだったわけだ。

ところが日本人は、そうした「世界標準」の原理原則にこだわらずに、自分たちに合わせて自由にいくつもの「世界標準」を学び吸収してきた。自文化のアイデンティティを根底から脅かすものはほとんど無意識に拒否するという強固な傾向により、一神教だけではなく、奴隷制も宦官も科挙も日本には入ってこなかった。しかし、一度取り入れたものは、その背景にある原理原則にこだわらず自由に組み合わせて、そこから独自のものを生み出すことができた。神道を残したまま儒教も仏教も西欧文明も自己流に消化し、併存させたのである。その受容性、あるいは相対主義こそが日本文化に豊かさと発想の自由さを与えた。

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
(5)『ユニークな日本人』グレゴリー・クラーク、竹村健一著、講談社現代新書、1979年
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

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「辺境」日本の世界史的な意味(4)日本がキリスト教を拒む理由

2020年04月19日 | 相対主義の国・日本
たしかに日本は「辺境」の島国であったためか、これまで「世界標準」や「普遍的な文明」を生み出すことはなかった。大陸で生まれた「世界標準」をひたすら吸収してきた。異民族に侵略・征服された経験をもたない日本は、海の向こうから来るものには一種の憧れをもって接した。そして外来の優れた文物だけを「いいとこ取り」(3)して、利用することができた。優れた文物だけを自由に取り入れられところに、「絶対的な価値観」を持たない相対主義の強みがある。そうやって形成された日本の文化は、「受容性」を特徴としていた。それは、もっぱら「師」から学ぶ姿勢で大陸の文明を吸収し続けることである。

そうやって中国文明を吸収し、それを自分たちの伝統に添う形で洗練させ、高度に発展させてきた。また西欧諸国による侵略を免れた日本は、かつて中国文明に接したときと似たような態度で、西欧文明に憧れ、その優れたところだけ(自分たちに消化できるものだけ)を取捨選択して吸収することができたのである。

しかし、無条件に何もかも受け入れたわけでもない。たとえば、中国から律令制度を取り入れながら、その重要な一部である、宦官や科挙の制度を受け入れていない。儒教は積極的に学びながら、儒教の根本原則の一つである同姓不婚という制度は日本に入ってこなかった。これは、同じファミリーネームをもつ男女は結婚できず、また異なる姓の男女が結婚すると、互いにもとの家の姓を名乗るという制度だ(4)。

明治維新以来の日本社会は、他のいかなる非西欧諸国よりも貪欲に西欧文明を吸収し、いち早く近代化することに成功したが、キリスト教徒は圧倒的に少ない。現代日本のキリスト教徒は百万人程度で、人口の1%にも満たず、この数字は明治以来ほとんど変わらない。明治以前は言わずもがなである。

日本は、一神教が浸透しなかった最大の国なのである。科学技術や政治・経済システムの面では近代文明を大幅に取り入れ成功を遂げながら、その文化の深層の部分では一神教を頑なに拒んでいる。おそらくそれは、農業文明以前の縄文的な心性が、現代の日本人にまで脈々と受け継がれていることから来る。母性的で相対主義的な日本文化にとって父性的な一神教の絶対主義は、きわめて馴染みにくいのである。

「普遍的な文明」の絶対的な理念や中心軸、宗教をそのまま自文化の中に持ち込めば、自分たちの根底にある相対主義の文化が脅かさるから、無意識のうちに拒む。しかし、その相対主義を脅かさないかぎりでは、他文明の個々の成果をためらいもなく受け入れ、それをいつの間にか自分に合うものに造り変えてしまう。そこに日本文化のユニークさと不思議さがある.

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
(5)『ユニークな日本人』グレゴリー・クラーク、竹村健一著、講談社現代新書、1979年
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
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日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)



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「辺境」日本の世界史的な意味(3)強力な宗教のない理由

2020年04月18日 | 相対主義の国・日本
もちろん日本人同士の紛争は多く経験しているが、同じ民族同士の戦争なら価値観を変える必要はない。しかし相手が異民族であれば、自民族こそが正義であり、優秀であり、あるいは神に支持されているなどを立証しなければならない。

他民族との戦争を通して、部族の神は、自民族だけではなく世界を支配する「正義の神」となる。そして「正義の神」相互の殺し合い、押し付け合いが行なわれる。社会は、異民族との戦争によってこそイデオロギー的になる。「普遍的な価値観」、「絶対的な価値観」によって戦いを合理化しなければならないからだ。

日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったために、西洋的な意味での神も、イデオロギーも必要としなかった。強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築なしに、自然発生的な村とか農村共同体に安住することができた。絶対的な理念による社会の統合を形成せず、相対主義的な文化と社会に甘んずることができたのである。

だからこそ、縄文時代以来の「森の思考」、自然を貴ぶ宗教や文化が、本格的な農耕の始まった弥生時代にも引き継がれ、さらに高度産業社会の現代にまで生き残ったのである。日本文化の特異さとは、縄文的な要素を多分に残した農耕文化、しかも牧畜を知らず、遊牧民との接触もなかった農耕文化の特異さということであろう。そして、農耕文化が、縄文的な心性を残しながら連綿と続くことができた条件の一つが、大陸の異民族による侵略・征服などがなかったということなのである。

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
(5)『ユニークな日本人』グレゴリー・クラーク、竹村健一著、講談社現代新書、1979年
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
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ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)


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「辺境」日本の世界史的な意味(2)城壁なき都市を作った唯一の国

2020年04月17日 | 相対主義の国・日本
日本は確かに地理的には「辺境」の島国であり、そのためか、これまで「世界標準」や「普遍的な文明」を生み出すことはなかった。大陸で生まれた「世界標準」をひたすら吸収してきた。しかし、日本と大陸を隔てる海は、古代の技術でも渡航困難なほどには広くないが、しかし大規模な移民や軍事攻撃を組織的に行うには広すぎた。もし渡航したとしても、軍団はバラバラに到着し、統一行動がとれない可能性が高かったであろう。大陸から適度に隔てられた日本は、高度な文化や知識は流入し得ても、短期での大量移民や大規模な軍事攻略は困難だったのである。

先進文明との適度な距離と列島としてのまとまりという稀有な条件が、日本の歴史に決定的に影響した。大陸から「狭くない海」で隔てられていたことは、日本を異民族との戦争のない平穏な社会にした。

一方、人類が大陸の大河の流域などで農業を始めた頃、その周囲には多くの遊牧民が勢力をもっていた。農耕民は、遊牧民から生命と財産を守るため、強いリーダーの下に結集し、攻撃を防ぐ施設を備えなければならなかった。つまり、城壁で囲まれた都市国家が生まれていったのである。中世以前の都市は、アテネ、ローマ、ロンドン、パリ、フランクフルト、バグダッド、ニューデリー、北京、南京など、すべて堅固な城壁で囲まれていた。

ただ日本だけが城壁で囲まれた都市がなく、城下町はあっても城内町は存在しなかった。日本列島は、険しい山と狭い平野は遊牧に適さかったし、海を越えて遊牧民が侵略してくることも、蒙古襲来以外にはなかった。異民族に侵略され、征服され、虐殺されるというような悲惨な歴史がなかった。明治維新に至るまでは、異民族との闘争とはほぼ無縁であり、だからこそ日本人は、「城壁のない都市」をつくったほとんど唯一の民族なのだ。

《引用・参考文献》
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
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「辺境」日本の世界史的な意味(1)否定的な史観を超えよ

2020年04月16日 | 相対主義の国・日本
以後、数回に分けて掲載するのは前回ふれた懸賞論文に応募し落選した論文である。このブログで折に触れて語った内容を下敷きにして論文としてまとめたものである

かつて丸山真男は、日本文化の特徴を次のように記した。「私達はたえず外を向いてきょろきょろして新しいものを外なる世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分自身は一向に変わらない」(1)。つねに外来の新しい文化に飛びついて、それを吸収し続ける日本文化は激しく変わるが、そういう姿勢そのものは変わらないというのだ。

内田樹は、こうした見方を受けていう、「世界のどんな国民よりもふらふらきょろきょろして、最新流行の世界標準に雪崩を打って飛びついて、弊履を棄つるが如く伝統や古来の知恵を捨て、いっときも同一的であろうとしないというほとんど病的な落ち着きのなさのうちに私たち日本人としてのナショナル・アイデンティティを見出したのです」(2)と。

この二人の日本理解は、かなり自己否定的ないしは自己揶揄的だ。確かに明治以来の日本人の、欧米崇拝や欧米文化や思潮の受容にはこう揶揄されても仕方のない傾向が見られたかもしれない。しかし、このような見方を日本理解の根底に据えているかぎり、日本の歴史や

文化の本質は見えず、きわめて底の浅い日本理解しか生まれないだろう。
大陸から海で隔てられた「辺境」に位置した日本にとっては、海の向こうから入って来るものはつねに崇拝の対象だった。中国や欧米の文明にたえず範を求め続けた。「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」(2)、これが辺境の限界だと内田はいう。日本人に世界標準の制定力がなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうことこそが、「辺境人」の発想だ。そして、それは「もう私たちの血肉となっている」から、どうすることもできない。だとすれば「とことん辺境でいこうではないか」。こんな国は世界史上にも類例を見ないから、そんな変わった国にしかできないことは何かを考えた方が有意義だ、というのがこの論者の主張だ。

しかし、こうした論には、日本の歴史や文化を見渡すうえでのもっとも大切な視点が抜け落ちている。私たちのナショナル・アイデンティティは、「ほとんど病的な落ち着きのなさ」のうちにあるのではなく、縄文時代に遡る歴史のもっとも深いところにどっしりと根をおろしている。それが見えていないから、きわめて否定的な語でしか日本人のアイデンティティを語れないのだ。

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)


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軸のない日本文化の不思議と利点

2017年02月09日 | 相対主義の国・日本
「軸のない日本文化」という表現は、これだけでは否定的な響きをもつかもしれないが、私はここでかなり肯定的な意味合いで語りたい。このブログで追求し続けている「日本文化のユニークさ8項目」のうち、第7番目に関係するものとして考えてみたいのだ。ひさしぶりの更新なので、ここにその8項目を再録しよう。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。

(6)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(7)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

つまり、日本の社会や文化は、宗教、イデオロギー、文化を統合する絶対的な理念という観点から見ると、他の世界の国々に比べて、これといった軸のない、きわめて相対主義的な特徴をもっているといえるのだ。これについは、このブログの「相対主義の国・日本」というカテゴリーでかなり論じてきているので、参照を願いたい。

◆『日本人はなぜ「小さないのち」に感動するのか
さて、この本の著者・呉善花氏は、日本社会の軸となる考え方や価値観が容易につかめず曖昧なことが、外国人にとって日本がわかりにくいことの大きな理由となっているという。欧米諸国ならキリスト教、中東諸国ならイスラム教というように、その社会の中心となる軸がはっきりしている。韓国や中国も、社会生活の面では儒教が軸になっているのは間違いないだろう。

それに対して日本の社会はどうか。儒教が軸になっているとも言えないし、かといって「武士道精神」、「仏教」、「神道」、それらのいづれか一つとも言えない。「仏教、神道、儒教、武士道精神などが融合したもの」といったところで、日本人もピンとこないし、外国人にはますますわからないだろう。それでいながら、日本の社会や文化は、その固有の伝統を失わずに存続し、現代もなお、他の国や社会にない調和と秩序を保ち、その新旧の文化の魅力を世界に発信し続けている。

著者によると、たくさんの軸があってそのどれも中心軸とは言えないということ自体が、韓国人や中国人から見ると不安でならないという。韓国人に言わせると「これだけわけのわからない神々を信じている国が、これだけ近代化されている」ということが不思議で不気味に見えるらしい。そして韓国人の反日教育の中に、日本人は文化的に未開で野蛮な人々だという教え方があるという。彼らにとっては、八百万の神々を信じるような自然信仰的な宗教性こそ、非文明的なのだ。一方、韓国は、李氏朝鮮時代に朱子学以外のあらゆる思想を排除し、朱子学一本を軸として作られた国なのだ。そうした伝統的価値観は、現代の韓国人の中にも生きており、日本人を見下す意識の背景となっているようだ。

しかし、一般的な韓国人にはもちえないような全く別の視点から見れば、日本人が、その社会を束ねる軸となるような中心的な理念を持つ必要がなかったのは、その幸運な地理的、歴史的条件によるものとも言える。上に再録した「日本文化のユニークさ8項目」で言えば、(4)(5)あたりが、それにいちばん深く関係するだろう。「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配」や「文化を統合する絶対的な理念」によって人々をまとめあげ、侵略してくる他民族と対抗する必要はなかったし、島国のなかで自ずとひとつのまとまりあり社会が保たれたのだ。

翻って現代社会を見ると、宗教的な理念やイデオロギーの対立がどれだけ人々を不幸にしているか。頻発するテロや、難民移入にともなう摩擦の背景にも、社会や文化をまとめる軸相互のぶつかりあいが背景にある。日本人が、そうした宗教的な理念の軸を相対化して見ることができるということ、それでいてこれだけの近代社会を形成しえたということ。この事実は、こらからの世界のあり方に重要なヒントを与えるかも知れないのだ。

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周囲とのシンクロが得意な日本人

2015年03月10日 | 相対主義の国・日本
前回とりあげたような「間人主義」的な日本人の行動の特徴は、具体的にはどんなところに見られるだろうか。日本人自身はあまり意識しなくとも外国人の目には際立って見える面がある。たとえば、ドイツ人でありながら日本で曹洞禅の修業をし、日本の禅寺の住職になったネルケ無方氏は、「日本人は人に合わせ、人とシンクロする性質がある」という(『日本人に「宗教」は要らない (ベスト新書)』)。欧米人は、そもそも他人とシンクロしようという意識がない。日本人のように人に合わせる、動作や気持ちにまで合わせるというのが苦手のようだ。

日本人が時間に厳格で正確なのも、日本人のシンクロしようとする性質によるのだろう。「空気を読む」というのも同じ性質によるもので、そもそもドイツ人には「空気を読む」とうような発想も概念もないという。日本人にとって空気を読めないということは、本人にとっても周囲の人にとっても苦痛であり、そこにいじめの一温床があるかもしれない。日本人のいじめは、「間人主義」の良さと裏腹の関係にあるのだろう。

日本人が移民の受け入れに後ろ向きなのも、以上のような日本人の特徴と関係があるようだ。日本人の社会は、他者とのシンクロを前提としている。シンクロするためのセンサーも敏感である。そこへ、そうしたセンサーやアンテナを備えていない人が大量に入り込んだらどうなるか。日本人の敏感なセンサーが、その危険さをキャッチしているからこそ、移民受け入れに消極的になっているというのだ。

浜口恵俊氏の『間人主義の社会日本』では、西欧的な「個人主義」を、①自己中心主義、②自己依拠主義、③対人関係の手段視、によって特徴づけ、一方、日本人の「間人主義」を、「人と人との間に位置づけて初めて"自分"という存在を意識する」あり方として特徴づけた。それは、具体的には①相互依存主義、②相互信頼主義、③対人関係の本質視、として表されるという。

ところで少し前にこのブログで、金谷武洋氏の『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』に触れ、「日本語は、共感の言葉、英語は自己主張と対立の言葉」であり、英語が「人間に注目する」のに対し、日本語は人間よりもその周りの舞台や背景、つまり「場所に注目」するという見方を紹介した(→世の中を平和にする日本語と縄文時代)。日本語の発想法の特徴が、日本人の「間人主義」とみごとに対応しているといえるだろう。このように、それぞれの分野で行われている議論がどのように関係するかを確認し、そこに通底する構造を明らかにし体系化する作業こそが今後、必要だと思う。

『間人主義の社会・日本』の著者・浜口氏は、この本の「はじめに」の中で、日本論を代表するものとしてべネディクトの『菊と刀』、中根千枝の『タテ社会の人間関係』、土居健郎の『「甘え」の構造 [増補普及版]』など、すぐれた理論がたくさんあるとしながらも、それらはいずれも、「日本人の社会的行為を規制している基底的な原理を不問にしたまま日本を論じている」と批判している。

ここでいう「基底的な原理」とは、人間が本来どのような社会文化的存在と見なされているかという「人間観」であり、その人間が織り成す間柄についての人々の考え方、すなわち「人間関係観」などのことである。それを著者がどのようにとらえていたかは、前回かんたんに紹介した。その研究は優れたものであり、私も興味深く読んだ。

一方で私自身の関心は、では著者の「間人主義」の人間観をもとにした理論と、「タテ社会の人間関係」や「甘えの構造」はどのように関係するかということである。その関係については、著者はもちろんほとんど何も触れていない。私の関心をもう少し一般化して述べよう。

これまでに日本人論、日本文化論といった類の本は、ほとんど無数といえるほどに生み出されている。本の題名に日本の二文字がなくとも、中身は日本人、日本文化とは何かを問うものも多い。もちろんそれらのすべてを読むのは不可能だが、おそらく何百冊とその関係の本を読んできた。それでいつも感じるのは、このテーマを巡る各分野からの数多くの優れた研究成果が、相互の関連が確認されながら蓄積されて、日本人の共有財産となっているという感じがしないのだ。

今、求められているのは、各分野からの日本論の多くの優れた成果をつきあわせて、相互にどのような関係や共通性や違いがあるのかを問い、それらを体系的に整理することではないか。私には、各分野からの研究の多くが、深いところで通底しているように見える。それらが、どのような類似性や共通性をもっているかを確認し、これまで先人が蓄積してきた日本人や日本文化についての議論を、いわば国民の共有財産とすることこそが求められている。私も、ささやかながらそんな作業の一助となれればと思う。

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日本人は集団主義ではない?

2015年02月23日 | 相対主義の国・日本
日本人がどれほど集団主義的かを見るため、「同調行動」の度合いを調べた心理学の実験があるという。10名弱のグループの各人に二枚のカードを配る。Aのカードにはある長さの一本の線が描かれ、Bのカードには三本の違った長さの線が描かれている。BからAと同じ長さの線を当ててもらうのだが、一人以外はサクラで嘘の答えをいう。その場合、本物の被験者が周囲のサクラに合わせて、間違って答えてしまう割合を調べるのだ。サクラに同調して間違えてしまう人が多ければ集団主義的(同調的)だし、そうでなければ個人主義的というわけだ。

結果はどうだったか。日本と米国の「集団主義の強さ」を比較した研究19件のうち、13件の結果は、日本人もアメリカ人も「同程度に集団主義的」で、さらに5件は「アメリカ人の方が集団主義的」という結果で、「日本人の方が集団主義的」と判断できたのはわずか1件だったという。(『日本人はなぜ存在するか』)

この実験だけでどちらの国民がより集団主義的かと安易に結論することはもちろんできない。少なくとも「日本人は集団主義的だ」という思い込みや「常識」は、考えなおす必要がありそうだ。たとえ集団主義的だとしても、何がどのように集団主義的なのか検討する必要はあるだろう。

◆『間人主義の社会日本 (東経選書)

浜口恵俊氏は『間人主義の社会 日本』の中で、日本人を「集団主義」と特色づけるにしても、それは必ずしも「個人主義」の対立項としてのそれではないという。そこには組織への全面的没入や隷属とは言い切れない側面がある。各人が互いに仕事上の職分をこえて協力しあい、それを通じて組織目標の達成をはかり、同時に自分の欲求も充たして、集団としての充実をめざすのが「日本的集団主義」だ。127「日本的集団主義」では、個人が「全体」に全面的に隷属し主体性を失うわけではないとすれば、上に紹介した実験の結果もうなずけるだろう。

日本は従来、西洋型の近代文明を吸収することに必死なあまり、「近代的個人主義」という価値観もあまりに自明なものとして受け入れてきた。その価値観の中心は、自己依拠を貫くことだという。すべてを自己自身の力と責任によってはかろうとする姿勢である。自己を律する強い自我が、社会の近代化を担ってきた。だから日本人もそういう近代的自我を確立しなければならないと考えられた。しかし近代的自我は、自己を信頼する一方で他者不信に陥りやすい。「近代的自我」や「西洋的個人主義」の価値観を無条件に受け入れるのではなく、私たち日本人が現実に生きている人間関係に即した人間観や価値観が打ち出されるべきだろう。浜口氏は、日本人のそうした基本的価値観を、西欧の「個人主義」と対比し、「間人主義」と呼ぶ。

「個人主義」は、①自己中心主義、②自己依拠主義、③対人関係の手段視、によって特徴づけえられるという。一方、「個人」に対して「間人」は、人と人との間に位置づけて初めて"自分"という存在を意識する。「間人主義」の特徴は次のようなものである。

①相互依存主義――社会生活はひとりでは営めない以上、相互の扶助が人間の本態だ、とする理念。
②相互信頼主義――自分の行動に相手もきっとうまく応えてくれるはずだ、とする互いの信頼感。
③対人関係の本質視――相互信頼の上に成り立つ関係は、それ自体が値打ちあるものと見なされ、「間柄」の持続が無条件で望まれる。

西洋的な「個人主義」では、人に頼る以前にあくまでも自己に依拠して社会を生き抜くことに価値を置く。頼みとできるのは自己以外にないことを前提にするから、他人との関係も結局は、自己にとって少しでも有用な手段であり、人間関係自体が無条件に尊ばれるのではない。それは、互いに独立した個人間での互酬的な契約関係なのである。そうした契約関係のもとでは、職務を越えてまで個人的な対人関係が拡散することはない。

一方、日本人は、自己は完全に他から独立した「個人」ではなく「間人」としてとらえている。自分を、人と人との「間柄」に位置づけられた相対的な存在と理解し、社会生活を自分一人の力で営むのは不可能だと感じている。自己依拠ではなく、相互依存こそ人間の本態だという前提なのだ。この相互に信頼し助け合う価値観が「間人主義」と呼ばれる。これは、これは、自己保持のために対人関係を手段視する「個人主義」とは、対照的な価値観だろう。

とするなら、個が全体に隷属するという意味合いを含む「集団主義」を単純に日本人の人間関係に当てはめるのは必ずしも適切でないだろう。個人が全体に隷属するというよりも、人間はお互いに依存しあって生きざるを得ないのだから、その関係を前提にして、自他を生かしていこうというのが、日本人の基本的価値観であり、人間観だ。日本人は、「個人主義」でもなく、「集団主義」でもなく、「間人主義」の価値観に基づいて社会や組織にかかわっているのだ。日本人の人間関係の根底に流れる、こうした価値観なり人間観なりを、「個人主義」に対するものとして明晰に概念化し、そういう価値観を日本人の共有財産として自覚化することが、今この上なく大切なことだと思う。浜口氏の『間人主義の社会 日本』は、今から30年以上前になされた、そういう優れた試みの一つだ。


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宗教で争わない日本の良さ(3)

2015年02月16日 | 相対主義の国・日本
今回は、「なぜ日本では宗教間の対立が起こりにくいのか」という問題を、本ブログの柱である「日本文化のユニークさ8項目」に沿って考えてみたい。この8項目を(1)から順にではなく、逆に(全部ではないが)たどると分かりやすいかもしれない。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

あれほど西欧の文物を崇拝し、熱心に学び、急速に吸収していったにもかかわらず、日本でのキリスト教の普及率はきわめて低かったし、今も人口の0.8パーセントを占めるにすぎない。キリスト教だけでなく、イスラム教なども含めた一神教そのものが日本では普及しない。それはなぜなのか。縄文時代以来の日本人の文化的「体質」によるというのが私の考えだ。そしてその「体質」こそが、宗教間の抗争が生まれにくい背景ともなっている。では、それはどのようなもので、なぜ現代にまで引き継がれたのか。次は三つの項目に沿って考えよう。ここは少し順番を変える。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、ほぼ一貫した言語や文化の継続があった。
(7)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。
(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。

まず島国日本は、大陸からの本格的な侵略、征服を経験しなかった。民族間の熾烈な抗争を経験することなく、大帝国の一部に組み込まれることもなかった。それは日本が大陸の「普遍宗教」による一元的な支配を受けなかったということをも意味する。「普遍宗教」とはキリスト教、イスラム教、仏教、儒教などだ。もちろん日本文化は、仏教、儒教の影響は大きく受けたが、支配をともなう外部権力による押し付けではなく、自分たちの文化的「体質」に合わせて改変しながら吸収することができた。だからこそ縄文時代以来の「体質」を失わずにすんだのだ。

「普遍宗教」は、それ以前の各地域の伝統的な多神教とは対立する。伝統社会の多神教は、日本では縄文時代の信仰や神道のようなもので、大規模農業が発展する以前の小規模な農業社会か狩猟採集社会の、自然との調和の中に生きる素朴な信仰である。大陸では、それらの多神教と抗争し、あるいはそれらを抹殺しながら「普遍宗教」が成立していった。

ユーラシア大陸のほとんどの文明では、異民族の侵入や民族間の戦争、帝国の成立といった大きな変化が起こり、自然と素朴に調和した社会はほとんど破壊されてしまう。その破壊の後に、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教といった「普遍宗教」が生まれてくる。そういう「宗教」が生まれてくる条件が、日本にはなかった。それほどに幸運な地理的な環境に恵まれていたともいえる。仏教の流入時に神道との小さな抗争はあったが、やがて日本の文化的「体質」にあわせて神仏習合が行われる。

このように日本では「普遍宗教」と伝統宗教との深刻な対立・抗争がなかった。抗争がないし、「普遍宗教」の一元的支配もなかったから、社会を一律に統合する絶対的・宗教的な理念への関心も薄かった。理念や原理への関心や執着が薄ければ、それをめぐって争い合う気にもならないだろう。争うどころか融合してしまう。宗教をめぐる日本人のこうした「融合体験」や、絶対的な宗教理念への執着の薄さが、教義を振りかざした深刻な宗教的な対立ほとんど生じさせないのだ。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。その一つの理由は、縄文時代が1万年以上も続き、その心性が日本人の文化的「体質」の一部となったからだろう。もう一つの理由は、日本が大陸から適度に離れた位置にあるため異民族による侵略、強奪、虐殺やその宗教の押し付けによって、自分たちの文化が抹殺されなかったからである。だからこそ、「普遍宗教」以前の自然崇拝的な心性を、二千年以上の長きにわたって失わずに心のどこかに保ち続けることができたのである。

つまり現代日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、アニミズム的な傾向が、ほとんど無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教・イスラム教など一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。縄文時代からの自然崇拝的・アニミズム的「体質」が、一神教に馴染まないのだ。

一神教は、砂漠的な風土の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教だ。それは父なる神を中心に一元的な男性原理システムを構築した。一神教はまた、しばしば暴力的な攻撃性をともなって他宗教・他文化と対立・抗争を繰り返した歴史をもつ。

男性原理的な一神教に対して、それ以前の農耕社会は、一般に地母神信仰に見られるような母性原理的な傾向をもつ。母性原理は、対立・抗争ではなく、多元的なものを包含し、相互に融和する傾向をもつ。農耕以前の日本の縄文的な基層文化も、土偶の表現に象徴されるようにきわめて母性原理的な特質をもっている。

母性原理的な縄文文化とその後の稲作文化とを基盤にして長い歴史を過ごした日本人にとって、父なる神を仰ぐ一神教の異質さは際立っていた。だからこそ一神教は日本では広がり得なかった。絶対的な宗教理念への執着も薄かった。その結果、宗教相互の熾烈な争いに巻き込まれることもなかったのだ。一神教な男性原理や、他宗教とのあくなき抗争を受け入れがたいと感じる日本人の心性は、縄文時代以来の日本の地理的・歴史的な条件によるともいえるだろう。


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ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
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宗教で争わない日本の良さ(2)

2015年02月13日 | 相対主義の国・日本
近年、英仏独をはじめヨーロッパ諸国でイスラム教国からの移民が増大し、それが様々な対立、混乱を引き起こしている。移民たちは低賃金の肉体労働に従事することが多いが、それがヨーロッパ各国の底辺層の仕事を奪い、失業した人々は移民を敵視するようになる。移民排斥を主張する右派的な政党が出てくる背景だろう。

そうすると移民の側も、彼らの宗教を核に結束し、対抗せざるを得ない。むしろ母国にいたころより宗教的な結束を強めていく。他方、移民を受け入れた側でも、対抗意識が高まり、イスラム教を敵視するキリスト教保守派が台頭する。こうして両宗教の対立はますます強まって、深刻な事態に陥っていく。

◆『無宗教こそ日本人の宗教である (角川oneテーマ21)』島田裕巳(2009年)
一方日本では、移民との宗教をめぐる対立はあまり見られない。日本は移民受入れに積極的でなく、移民の絶対数が少ないこともあるが、それでも海外からの労働者は少なくない。日本で海外からの労働者との間に宗教的な対立がほとんどないことの背景のひとつに、日本人の「無宗教」があるのではないかとこの本の著者はいう。海外から入ってきた人々とって、そういう日本では自分たちの宗教的アイデンティティを強調して、それを核に結束し、対抗する必要がほとんど意味ないのだ。

日本は、自分たちの教義に固執する特定の「宗教」が一大勢力をなす社会ではないので、外国人の信仰に干渉したり、宗教を理由に差別したりすることが少ない。そのため異文化と交わる局面で宗教的な対立を生みにくいのは確かだろう。日本が、そうした社会でありえたのは、独特の地理的条件や歴史的背景があったからだとは思う。しかし、そういう日本のあり方を世界にアピールすることは、特定の神や教義にこだわって対立や抗争を繰り返す愚かさを知ってもらう有効な手段かもしれない。

では、どうして日本はそうした社会になり得たのか。上の本の著者は、その背景のひとつを神仏習合に見ているようだ。神道と仏教が融合していれば、どちらか一つを選んで信仰するのは、かなり無理なことだ。「神道と仏教のどちらかに絞れない結果、無宗教と宣言する人間が増えたのかもしれない」と著者はいう。確かにアンケートに「無宗教」と答える人も、神道か仏教かにこだわらない形で何らかの宗教心はもっていて、ただ特定の宗教や教団に属していないだけかもしれない。かく言う私もその一人だ。

日本に仏教が伝来したことから既に神仏集合の兆しはあった。しかし著者によれば、神道の信仰と仏教の信仰とが、氏神と祖霊が融合することで庶民の生活の中で溶け合ったのは、近世に入って稲作が広まった時期と重なるという。稲作を中心とする村落共同体は、水田の水の管理を含め、村の共同の管理にかかわって、村全体で取り組んだり、決定したりすることが多い。そうした村の結束や統合のシンボルとなるのが、村の神社だ。神社では稲の収穫を祈ったり感謝したりする祭礼が行われる。

一方で村には共同の墓地があり、村に出た死者の葬儀や供養を行うのが村の寺である。それぞれの家では、先祖を祀り、先祖供養を行うが、五十回忌を経た死者は浄化され、個性を失い、祖霊の仲間入りをすると考えられた。柳田國男の説によれば、祖霊と神社に祀られた氏神とは同一のものだという。これも神仏習合のひとつの形だろう。

しかし私には、日本が特定の教義に固執する宗教に支配されなくなった背景は、さらに深い層に横たわっているように思われる。次回以降、日本文化のユニークさ8項目のほとんどに沿って、そうなった文化的・歴史的背景を探っていくことになるだろう。それは、これまでこのブログで考えてきたことを、宗教で争わない日本という観点から振り返り、整理しなおすという作業でもある。(この連載のタイトルは、最初「無宗教こそ日本の力」だったが、「宗教で争わない日本の良さ」に変更したことをお断りする。)

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宗教で争わない日本の良さ(1)

2015年02月12日 | 相対主義の国・日本
◆『無宗教こそ日本人の宗教である (角川oneテーマ21)』島田裕巳(2009年)

2015年1月7日に起こったフランス・パリでのシャルリー・エブド襲撃テロ事件や、続いて起こったISIL(いわゆる「イスラム国」)による日本人人質拘束事件は、日本人の宗教意識に微妙な影響を与えているかもしれない。これら以外でも、西アジアやヨーロッパで宗教にからむ事件や争いは頻発しており、これらが全体として日本人の宗教観に影響を与えている可能性がある。

2001年の同時多発テロをはじめ、その後も頻発し続けるテロの多くは、何かしら宗教を背景にもっている。宗教こそが、世界に対立や混乱を生み、平和の妨げになっているように見える。特定の宗教を熱心に信じるより、日本人のように「無宗教」でいる方が、はるかに価値があるのではないか。日本人は無意識にせよ、そう感じ始めていると著者はいう。では日本人にとって「無宗教」とは何を意味し、それはどんな経緯で形成されてきたのか。それを明らかにするのがこの本のテーマである。

この本に、日本人の宗教意識に関するかつての調査が紹介されている。オウム真理教の事件が起こった1995年以前、「あなたは、何か宗教を信じていますか」という問いに対し、全体のおよそ三分の一は信じていると答え、信じていないと答える人はおよそ三分の二だった。ところがオウム真理教の事件以降は、信仰率は20%台に落ち込んだという。2008年の読売新聞の調査では、何らかの宗教を「信じている」が26・1%、「信じていない」が71・9%で、以前に比べ信仰率が次第に低下している傾向があるかもしれないという。

いずれにせよ世界の平均と比べ、日本人の信仰率の低さは際立っている。2004年のイギリスBBCの調査によると、調査された世界11カ国で全体の9割近くが神を信じているという。ナイジェリア、インドネシア、レバノン、インド、メキシコ、アメリカ合衆国では9割を超え、イスラエルが8割、ロシア、韓国が7割、イギリスも7割近くが神を信じているという結果だ。これらを見ると、日本人の信仰率の低さは世界的に見て、例外的な現象だといえるだろう。

一方で日本人は、初詣や墓参りなどいわゆる宗教的な習俗にはきわめて熱心である。そんな状況を踏まえながらも著者はいう、日本人が「無宗教」であることに対して日本人自身のとらえ方が変化しているのではないか、と。日本人は、宗教について無節操で、寺も神社も参拝し、葬式は仏教、結婚式は神道、近年はキリスト教徒でもないのに教会で結婚式を挙げたりする。かつて、そんな無節操な「無宗教」性を日本人自身が自嘲する傾向があった。今もあるかもしれない。しかし一方で、日本人は近年「無宗教であることに誇りを感じるようになったのでないか」というのが著者の主張だ。

著者がここでいう「無宗教」は、日本人に宗教心や宗教的心性がないということではない。初詣などの宗教的行為(習俗)には多くの人々が参加する。それでいながら特定の宗教に固執して争いあうことはきわめて少ない。私は、そのような「無宗教」性の価値を日本人自身がしっかりと自覚し、むしろ世界に積極的に発信することが、いま重要になっていると思う。そうした視点も踏まえてこの本を紹介していきたい。

もちろんこの本のテーマは、本ブログの関心とも密接にからんでいる。例によって日本文化のユニークさ8項目で言えば、

(7)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。
(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

に深く関係し、

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。
(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。

にも何かしら関係しているであろう。いやむしろ、8項目のほとんどが多かれ少なかれ日本人の「無宗教」に関係しているかもしれない。

これらの項目と島田氏の本の内容を関係させて考えながら、なぜ日本人はいま、日本人の「無宗教」の意味を世界にアピールする必要があるのか、この問いに迫ってみたい。

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同じ命とみなす:相対主義の国・日本03

2012年12月30日 | 相対主義の国・日本
日本文化のユニークさ8項目に従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続けている。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

今回も引き続き、(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった」に関係する記事を集約し、整理する。

この7番目の項目は、これまでに考察した6項目のすべてが深く関係しており、それぞれの項目を論じたときにも、その項目との関係で日本人の相対主義的な世界観に触れてきた。ここではそれらの特徴が多かれ少なかれすべて相互に作用しあいながら、日本文化の相対主義が形成されてきたことを確認する。

今回は、日本文化のユニークさ(3)を、日本人の相対主義的な世界観との関係で取り上げる。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

大陸の多くの地域は「普遍宗教」に基づく支配構造に組み入れられていった。それゆえ文化が、絶対的な理念によって一元的に統合される傾向がある。日本列島は、「普遍宗教」による文化の一元的な支配に組み入れられることがほとんどなかった。「神仏習合」が生まれたことも、日本人に固有なアニミズムや自然崇拝宗教が受け継がれていった事実の一面を物語る。自然崇拝的な心性が生残ることによって、人間と他の生き物とをことさら区別しない傾向や、生き物を神として信心する風習も残った。

そして、日本人が本格的な牧畜を経験しなかったことも、上述のような傾向や風習を保ち続けたことと深く関係する。日本列島は平野が少なく急峻な山々にに覆われていて牧畜に適さず、しかもコメはムギに比べ生産性が高いので、必ずしも牧畜を必要としない。ともあれ、牧畜が持ち込まれなかったために豊かな森が家畜に荒らされずに保たれた。豊かな森と海に恵まれた縄文人の漁撈・採集文化は、弥生人の稲作・魚介文化に、ある面で連続的につながることができた。豊かな森が保たれたからこそ、母性原理に根ざした縄文文化が、弥生時代以降の日本列島に引き継がれていったとも言えるだろう。ここに、日本人の相対主義的な世界観の基盤がある。

さて、ヨーロッパの牧畜文化が、その思考法や価値観にどのような影響を与えたかを考察することによって、日本人の思考法や価値観との違いを浮き上がらせたのが、鯖田豊之の『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)』である。

ユダヤ教、キリスト教を生んだヘブライ人は、牧畜・遊牧の民であった。ヨーロッパでもまた牧畜は、生きるために欠かせなかった。農耕と牧畜で生活を営む人々にとって家畜を飼育し、群れとして管理し、繁殖させ、食べるために解体するという一連の作業は、あまりに身近な日常的なものであった。それは家畜を心を尽くして世話すると同時に、最後には自らの手で殺すという、正反対ともいえる二つのことを繰り返して行うことだった。愛護と虐殺の同居といってもよい。その互いに相反する営みを自らに納得させる方法は、人間をあらゆる生き物の上位におき、人間と他の生物との違いを極端に強調することだった。

ユダヤ教もキリスト教も、このような牧畜民の生活を多かれ少なかれ反映している。たとえば、放牧された家畜の発情期の混乱があまりに身近であるため、そのような動物との違いを明確にする必要があった。その結果が、一夫一婦制や離婚禁止という制度だったのかも知れない。「肉食」という食生活そのものよりも、農耕とともに牧畜が不可欠で、つねに家畜の群れを管理し殺すことで食糧を得たという生活の基盤そのものが、牧畜を知らない日本人の生活基盤とのいちばん大きな違いをなしていたのではないか。

一方、日本列島では縄文時代から弥生時代、さらにその後の時代へと自然崇拝的な森の思考が生残っていった。「普遍宗教」の圧倒的な力の前に屈することもなかった。それゆえ日本人は、絶対的な理念(形而上学的な原理)を打ち立てて、それとの関係で人間の価値を理解するような思考が苦手である。そうした思考法とは無縁に、人間も他の生き物や物と同じように、はかない存在ととらえる傾向がある。そして、遊牧や牧畜を背景にした、人間と他生物の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育くんだ。人間も他の生物の命と同じ、相対的なものと見なすのである。これもまた日本人の相対主義的な世界観の一部をなしていいる。

それに対して大陸の諸民族は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教教徒はもちろん、ブラフマン=アートマンの世界観を抱くインド人も、儒教中心の中国人も、多かれ少なかれ形而上学的な原理によって人間を価値付ける傾向があるという。儒教も、人間は自然界の頂点に立つ特別の選ばれた存在であるとみなすという。

《付記》
日本人が人間と生き物とを同じ命とみなす傾向は、日本人が本格的な牧畜を経験しなかったこととも深く関係する。日本文化のユニークさの背景に、日本人が牧畜生活を知らず、また遊牧民との接触がほとんどなかったことがあると指摘する論者はは多い。(『日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)』、『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)』、『アーロン収容所 (中公文庫)』など)

《参考図書》
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
蛇と十字架・東西の風土と宗教
森のこころと文明 (NHKライブラリー)
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
森を守る文明・支配する文明 (PHP新書)

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森の思考と母性原理:相対主義の国・日本02

2012年12月29日 | 相対主義の国・日本
日本文化のユニークさ8項目に従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続けている。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

前回から、(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった」に関係する記事を集約し、整理する。

今回取り上げる日本文化のユニークさ7番目は、「以上のいくつかの理由から‥‥」という出だしの言葉からもわかるように、これまでに考察した6項目のすべてが深く関係している。そのためもあり、それぞれの項目を論じたときにも、その項目との関係で日本人の相対主義的な世界観に触れてきた。ここではそれらの特徴が多かれ少なかれすべて相互に作用しあいながら、日本文化の相対主義が形成されてきたことを確認する。

日本文化のユニークさ、最初の2項目は以下の通りだが、両者は密接にからんでいるので、二つを合わせて論じたい。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

縄文人の思考、つまり自然崇拝的な森の思考が、現代の日本人の心にまで受け継がれているということは、逆に言えば、それが大陸の「普遍宗教」によって抹殺されずに生残ったということである。儒教、仏教、キリスト教、イスラム教など「普遍宗教」の影響の強い国々には、倫理・道徳などの面で絶対的な基準がはっきりしている。日本にはそれがない。「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどない」のである。日本文化のこの特徴は、どれほど強調しても強調し過ぎることはないほど重要である。

日本がそうあり得たのは、日本文化のユニークさ4項目目の、「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した文化や言語の継続があった」という特徴に密接に関係する。大陸からの侵略、征服がなかったというのは外的な理由である。一方に内的な理由もあっただろう。つまり、前農耕文化だが高度に発達した縄文文化の時代が1万5千年も続き、その自然崇拝的・母性原理的な森の思考が縄文人の確たる基盤となっていたため、絶対的正義を標榜する「普遍宗教」を受け入れるとき、そのまま受け入れずに、自分たちの心性に合うように骨抜きにしていったのである。

以上の事実を「母性原理」の観点から見ると以下のようになる。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない父性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。一神教を中心とした父性的な文化は、対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。母性原理は逆に相反する極をともに受容する。

世界史の流れは、母性原理的な文化から父性原理的な文化へと移行する傾向がある。大まかにいって農耕・牧畜が開始する以前は、母性原理の文化が広がっていた。これについては以下の記事を参考にされたい。

日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理
日本文化のユニークさ39:環境史から見ると(1)

日本列島に住む人々は、母なる自然の恩恵をじかに受け取りつつ世界史上でもまれな高度な漁撈・採集時代を生きた。そのため農耕の段階に入っていくのが大陸よりも遅く、それに応じて高度に発達した母性原理の文化がその後の日本文化の基盤となった。

縄文人の信仰や精神生活に深くかかわっていたはずの土偶の大半は女性であり、妊婦であることも多い。土偶の存在は、縄文文化が母性原理に根ざしていたことを示唆する。縄文土偶の女神には、渦が描かれていることが多いが、渦は古代において大いなる母の子宮の象徴で、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表す。

日本人が、絶対的な原理や正義へ執着が薄いことは、縄文時代以来の日本文化が母性原理の傾向を強くもっていることと大いに関係がありそうだ。

砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない父性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。一神教を中心とした父性的な文化は、対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。母性原理は逆に相反する極をともに受容する。

母性原理の日本文化は、「曖昧の美学」にも現れる。「曖昧」は成熟した母性的な感性となり、単純に物事の善悪、可否の決着をつけない。すべてを曖昧なまま受け入れる。能にせよ、水墨画にせよ、日本の伝統は、曖昧の美を芸術の域に高めることに成功した。それは映画やアニメにも引き継がれ、一神教的な文化とは違う美意識や世界観を世界に発信している。

農耕文明に入ってからも母性原理的な森の宗教の原型を色濃く残し、しかも大陸の高度文明の精華の部分だけを、その母性原理的な文化の中に取り入れることができた。中国文明だけではなく、下って西欧文明が流入したときも、母性原理的な基盤に抵触しないように何かしら変形して受け入れた。

ただし私たちは、縄文的な基層文化が私たちの個々の意識や文化の底流として生き残っていることにほとんど無自覚である。その基層文化が、自分たちに合わないものはフィルターにかけて排除する働きをしていることについても無自覚である。

その実、海外から入ってくる「高度な文明」には強力なフィルターがかかって取捨選択がなされている。近代文明をこれほど素早く受け入れながら、その根っこにあるキリスト教をみごとにフィルターにかけてしまったというのはその最たる例である。その結果私たちは、相変わらず相対主義的な価値観のもとに生活しているのである。

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《関連図書》
☆『中空構造日本の深層 (中公文庫)
☆『山の霊力 (講談社選書メチエ)
☆『日本とは何か (講談社文庫)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)

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