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今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

桜はなぜ日本文化の象徴なのか?—自然災害との関係

2024年06月02日 | 自然の豊かさと脅威の中で
★ここにリンクする動画は、世界の人々のために、桜がなぜ日本文化の象徴なのかを英語で解説したものである。以下はその日本語全訳である。映像は昭和記念公園や金沢城や兼六園で撮影した。美しい桜の動画もぜひ楽しんでください。
 ⇒ Why are cherry blossoms a symbol of Japanese culture? —Relationship with natural disasters

私は今75歳であるが、いまだに毎年桜の季節が訪れるのを楽しみにしている。今年は桜が満開になるのが例年に比べるとかなり遅かった。しかも東京ではその間あまり天気が良くなかった。4月7日ようやく晴れた日に、東京西部の昭和記念公園を訪れ、青空を背景に美しい桜の写真と動画を撮ることが出来た。その後、4月中旬に日本海側の石川県と新潟県を訪れたときにもまだ桜を楽しむことができた。

ところで石川県の能登半島では、今年1月1日に大きな地震があった。その地震の結果、能登半島の海岸では、最大4メートルもの大規模な海岸隆起があった。被害も深刻であった。能登半島に近い金沢市では、幸い私は被害の跡をほとんど見なかったが、金沢城の周囲で美しく咲く桜を見て、災害の多い日本と桜文化の関係を考えた。

日本人はなぜこれほど深く桜を愛するのだろうか。もちろん、それがあちこちで一斉に満開になったときのたとえようもない美しさが一番大きな理由だろう。葉が出ないうちに花だけが開花するためにその美しさがよけいに際立つ。そしてそれが本格的な春の訪れを告げるのだ。日本の春は、桜と切り離して語ることは出来ない。

桜は日本の四季の変化を象徴している。四季のある国は他にも多く存在するが、日本はとくに四季の違いがはっきりしている。そしてその変化を生活の中で意識し、深く味わう風習や文化が発達している。そして桜は季節の変化を最も鮮やかに告げるのだ。日本人は、満開の桜の下で、花見という風習によって春の到来を楽しむのだ。

しかし、日本人が桜を愛する別の理由もある。それは、花が咲いている期間が10日前後ときわめて短いことである。桜は、一斉に開花し、その美しさを一瞬、露わにすると、瞬く間に散ってしまう。花の命が短いからこそ、その短い時をより強くいとおしむのである。その短い花の命を惜しむかのように、人々は花見を楽しむのだ。

桜の花が咲く季節は、壮麗で魅惑的ですが、悲しいことに短命で、私たちの人生もまたはかないものだということを視覚的に思い出させてくれる。この意味で、花見は私たちに人生は短いこと、そしてその一瞬一瞬を大切にしなければならないことを思い出させてくれる。今日では、多くの人が家族や友人、同僚と桜の下で花見パーティーをただ単に楽しんでいるように見える。しかし、歴史的には桜の観賞が、何よりも瞑想的な意味があるものと認識されてきた。

そして今日でも、日本人が集まって桜を見物し、その美しさに驚嘆するとき、彼らは単にその花の美しさを楽しんでいるだけではなく、桜が表すより深い意味と背後の文化的伝統をもどこかで意識しているはずだ。彼らは、桜の下でただ飲んで歌って踊って楽しんでいるように見えても、今を楽しみながら人生の輝きや儚さを思い出しているのかもしれない。

実は、桜の中で私が一番好きなのは、散る桜の花びらの風景です。日本語には「花吹雪」という言葉があり、桜の花びらが雪のように散る美しい光景を表現している。雪のように舞い散る桜は、その美しさと儚さを際立たせます。日本の桜は、仏教の死生観、マインんどフルネス、今に生きるという教えと結びつき、人間の実存の永遠のメタファーとなっている。

この動画のタイトルは「桜はなぜ日本文化の象徴なのか?」だ。この問いへの答えは、桜が咲いている時が短いことに深く関係している。日本は国土の67%が豊かな森林に覆われ、四方が海に囲まれ随所に美しい海岸がある自然が豊かな国だ。しかし同時に、地震、津波、台風、大雨、洪水といった自然災害も多い。

1200年代の初頭(鎌倉時代初期)に鴨長明は『方丈記』という随筆を書いた。古典的な随筆の代表作の一つである。その冒頭にはこう書かれている。

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」

この文章は有名で、日本人なら誰でも聞いたことがあり、そしてその通りだと感じるだろう。こうした感覚は日本人の心に沁みついているからだ。日本人の歴史観や人生観は、こうした見方が底流になっている。つまりすべては移り変わり永遠にとどまるものは何もないということだ。

一方、ヨーロッパの国々ではどうだろうか。地震も津波も台風もほとんどなく、洪水があっても日本の洪水ほど急激な増水はない。つまり自然災害によってすべてが破壊されたり流されたりしてしまうことはほとんどない。ダヴィンチ、ニュートン、ルソー、モーツアルトの生家が今もそのまま残っている。日本では、彼らと同時代に活躍した人々の生家など、どこにも残っていない。もちろんそこには、石造りの建物と木の建物との違いもある。ともあれヨーロッパでは、古い時代の遺産の上に新しいものが積み重なっていく傾向がある。

ところが日本では、建物が木で出来ている上に自然災害が多いから、すべては時間の流れの中で消えていく傾向が強いのである。日本人は、すべてが流れ去り、消えていくという感覚が強く、そういう感覚を基礎にして日本文化が成り立っているのだ。ヨーロッパでは、変わりにくいから変わらないことを大切にする文化が育った。しかし日本では、すべてが変わってしまうから変わることを受け入れる文化が育った。何もしなくともすべてが変わってしまうから、変わることを前提とした文化が育ったのだ。そして人々は変わりゆく過程、消えゆく過程に美を見出したのだ。日本人が四季の変化を大切に感じる理由のひとつもそこにあるかもしれない。。

変化や儚さに美を見出す元々の日本人の傾向は、すべては無常であるという仏教の思想「無常観」の影響でさらに強まっている。 「無 
ここまで語れば、なぜ桜が日本文化の象徴であるのか、もう理解いただけただろう。日本人が桜を深く愛するは、そこに美しさと儚さが同居しているからだ。ごく短い間、美しく咲き誇り、そしてあっという間に散っていく桜。人々は、桜の美しくも短い命に、自分たちの命の儚さを重ね合わせて見ているのだ。豊かであると同時に、時に猛威をふるう自然の前で、人間の命がいかに儚いものであるかを、桜を見ながら実感する。その無常観が、日本の文化と美意識の根底にある。

江戸時代の学者本居宣長は、日本の思想や文化の研究者であった。彼の有名の和歌に次のようなものがある。

敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花(本居宣長)

If asked what the Japanese spirit is,
I would answer that
it is the mountain cherry blossoms
shining in the sunrise.

★ここにリンクする動画は、世界の人々のために、桜がなぜ日本文化の象徴なのかを英語で解説したものである。以下はその日本語全訳である。映像は昭和記念公園や金沢城や兼六園で撮影した。美しい桜の動画もぜひ楽しんでください。
 ⇒ Why are cherry blossoms a symbol of Japanese culture? —Relationship with natural disasters



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日本の不思議・災害を乗り越える優しさの力

2024年02月23日 | 自然の豊かさと脅威の中で
日本は豊かな自然と森に恵まれた島国であり、異民族の侵略を受けずに、長年平和に稲作農業を営んできました。ときに大きな自然災害によって、苦境に陥ることもありましたが、互いに助け合うことによって何度もその苦境を乗り越えてきました。稲作農業は、互いの信頼やそれに基づく相互の絆をさらに強めました。それが日本人の優しさを作り、その優しさ、互いに尊敬し合い助け合う精神が、たとえ大規模な自然災害を経験しても、力強く立ち直れる強さにつながっているのではないでしょうか。
★詳しくは、次のユーチューブ動画で語りましたので、そちらをご覧ください。
   ⇒日本の不思議:災害を乗り越える優しさの力

かつて埼玉県の公立高校で社会科の教師をしていたとき、多くのALT(assistant language teacher)と友達になりました。そして彼らが母国に帰る前に、日本での滞在中に感じたことについてアンケートをお願いしていました。その回答の中から二つ取り上げてみます。

たとえば、「 日本と、その国民、文化について、長所は何だと思いますか」という質問への答えは、「日本人は、とても親切で互いに気遣いあっているように思います。文化が「尊敬」を中心にして展開しているのは素晴らしいことだと思います。」

あるいは、「あなたの国の社会や文化と、日本のそれとのいちばん大きな違いはなんですか」という質問に対しては、「いちんばん大きな違いは、アメリカ文化が個人に根差した行動を重視するのに対し、日本ではすべてがよりグループ中心です。アメリカ人は、自分の意見をずばりと表明する傾向がありますが、日本人はもっと互いを尊敬しているように見えるところです。」等々です。

日本についてのこうした感想の中に「尊敬」という言葉がよく使われるのが、私はとても印象に残りました。インターネットや本の中でも、日本の良さを語るのにこの「尊敬」という言葉を使っているのをよく見かけます。たとえば、

「日本人に根付いている礼儀正しさを高く評価します。このような尊敬の念のある平和な態度は、日本のどこに行っても私を心地良くさせてくれる優しさと落ち着きを表しています。」(カナダ人)
「日本のコミュニティー精神です。ここの人たちはとても正直で、コミュニティーと個人の尊厳に非常に誇りを持っていると思います。そのため、コミュニティーは強固で、大変なときには互いに助け合います。」(南アフリカ人)

日本の良いところを説明するのに「互いに尊敬し合うところ」という風に、「尊敬」や「尊厳」という言葉を使うところが、私は印象に残りました。別の言い方をすると、ちょっと違和感がありました。その理由を考えると、たぶん私は、「個人の尊厳」「個人の自由の尊重」というように個人主義や自由主義の方にこそ、「尊重」「尊敬」「尊厳」などの言葉がなじむように感じていたからす。ところが、海外の人から見ると、個よりも集団を優先する日本人の態度の中に、他者への尊敬の精神を感じているらしいのです。

もう一例挙げます。日本に在住するアメリカ人の政治学者R・エルドリッチ氏がユーチューブのインタビュー動画で話したいたことです。彼は、22歳のときに英語の教員として兵庫県の多可町という小さな町に住み始めたました。日本酒の「山田錦」の発祥の地だそうです。彼はこう言います、「私は、個人主義で自己主張する国から来て、相手を考え、自分を控えめにする国、そして連携し、協力してものを作る地方の町に来て、特に田舎だったのでアメリカとすごく対照的で、すごく新鮮でした。そこが好きになり、そして日本人を好きになって、1年滞在の予定が2年になって、そして35年になって……。」

彼が好きな日本人の良いところとは次のような点だといいます。「自分を優先せずに遠慮して、相手を色々な形で優先したり、考えて、配慮する国民、非常に優しい国民。世界的にはそのように評価されている。これがおもてなしの精神に繋がるし、世界各地に日本のファンがいることにつながっている。」

エルドリッチ氏はここで「尊敬」という言葉は使っていませんが、自己主張が強い個人主義よりも、相手を様々な形で配慮したり、優先したりしようとするところに日本人の良さや優しさを感じているようです。それを別の言葉で言えば、相手への尊敬、互いの尊重ということであり、つまり、世界の人々は、自由や自己主張を優先する個人主義よりも、つねに周囲の人々を配慮しながら行動する日本人の優しさの中にこそ、互いを尊敬する精神を感じ取っているということでしょう。海外の人々が感じる日本人の良さとは、尊敬、尊重する精神、つまり、日本人の配慮の精神であり、優しさだったのです。

では、日本人の優しさはいったいどこから来るのでしょうか。ある意味でそれは、日本が、大陸から適度に隔てられた島国であるという特殊な地理的条件から来るとも言えるでしょう。ヨーロッパ大陸やアジア大陸などの大陸においては、異民族間の戦争や、侵略、虐殺が繰り返されてきました。そういう歴史の中では、信頼を前提とした人間関係は育ちにくいのです。戦争と殺戮の繰り返しは、不信と憎悪を残し、それが歴史的に蓄積されていきます。

一方、海に囲まれた日本では、異民族による大規模な侵略や殺戮をほとんど経験せず、自分たちの言葉や文化が根こそぎ奪われてしまうような体験もしませんでした。国内に戦乱はあったにせよ、その規模は世界史レベルからすれば小さく、長年培ってきた文化や生活が断絶してしまうこともありませんでした。異民族による侵略や虐殺のない平和で安定した社会は、長期的な安定した人間関係が生活の基盤となります。互いの信頼に基づく安定した人間関係を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値観となったのです。

一方で日本では、自然災害による大きな被害は何度も繰り返されました。しかし、相手が自然であれば誰を恨むこともできず、諦めるほかなりません。そして、後に残されたか弱き人間同士は力を合わせ助け合って生きていくほかないないのです。互いを尊敬し合って協力していくほかありません。東北大震災の直後に見せた日本人の秩序ある行動が、驚きと賞賛をもって世界に報道されたのを思い出します。
★続きは以下で御覧ください。⇒日本の不思議:災害を乗り越える優しさの力

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英国人記者が日本の四季を経験して変わった

2021年05月16日 | 自然の豊かさと脅威の中で
★「東京の四季 Four Seasons in Tokyo」を見て、外国の方々の反応 

インターネット上で様々なコメントを見ていても、多くの日本人が日本に四季のあることを誇りに思っているのは確かだろう。しかし、そんなコメントを見た外国人が、「四季は他の国々にもあるのに日本人がことさらそれを誇りに思うのはおかしい」とコメントし返すのを見かけることも何回かあった。

ところで、最近イギリス在住のある日本人女性が、自分のユーチューブチャンネルで、こんなことを語っているのを見かけた。日本に滞在しているイギリス人記者がイギリスの雑誌に書いた記事についてだ。彼は、確かにイギリスにも四季はあるが、日本に来てより季節を感じながら生きるようになったというのだ。春の桜、夏祭り、冬の鍋などを楽しみながら。さらに、日本に住んで、次に来る季節が楽しみになるようになり、自然の素晴らしさをより感じるようになったという。

確かに、日本人にとっては当たり前だが、外国人から見ると、日本では季節の行事や食べ物、人々の行動で、季節がより意識されるのかも知れない。日本人の生活や文化には、他の国に比べ、四季やその変化がより深く影響を与えているのかも知れない。

最近私は、「Four Seasons in Tokyo 東京の四季」という外国人向けのユーチューブ動画を作った(日英字幕付き)。これに対し、いつかのコメントを、チャンネルだけではなく、ツイッターやフェイスブックでもいただいた。特に私の動画に関連させ、ツイッターで上のイギリス人記者の感想を紹介し、意見を求めたら以下のような反応があった。

あるドイツ人女性は言う、「日本人は、季節の変化が生活や文化の一部になっていて、みんなが意識する。西欧では、その変化を個人として感じることはあっても、互いにあまり話さない。私が日本を愛する理由のひとつは、かれらの季節や自然へのこの態度です。それで彼は気候変動への意識が高いのかもしれません。」
最後の一文については、彼女の善意の誤解だとは思うが。

あるイギリス人男性は言う、「たぶん、それは降水量の違いにも関係するのではないでしょうか。英国は、日本に比べ降水量が少なく、それが季節の違いをそれほど強く意識させない原因の一つかもしれない。ドイツも似ています。また、夏は暖かく日当たりが良いですが、スペインほど晴れは多くないです。」
確かに、日本では梅雨があり、台風シーズンがあり、冬は日本海側では雪が多く、関東は晴れる日が多い。雨が季節に変化を与えているのは確かだろう。‎

また、ある男性(国籍不明)は言う、「日本では、それぞれの季節の特徴の差が大きいのではないでしょうか。そして台風や地震、津波などの自然災害も、日本人が季節や自然を強く意識する一因だと思う。」
この指摘はとくに重要だろう。日本は、森や海に恵まれて自然は豊かだが、台風や地震などの自然災害も多い。これが日本人独特の自然観や人生観を作り上げているのも確かだ。自然のこの二面性と四季の変化が、日本の文化に深いところで影響を与えているのだ。この点については、以前に書いたこの記事を参照してください。「大災害と日本人;自然の豊かさと脅威の中で(2)

上の記事で紹介したイギリス在住日本女性の動画はこちら「外国の人が感激「日本に住んで私はこんなに変わった!

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自然科学と西欧の風土:風土と日本人(4)

2014年03月10日 | 自然の豊かさと脅威の中で
◆『風土―人間学的考察 (岩波文庫)

今回は再び和辻「風土」論に戻って、モンスーン、砂漠、牧場という三類型のうち、ヨーロッパの「牧場」的風土をどのように論じているかを紹介したい。そこから日本の風土と文化をどう見るかという問題に立ち返るつもりである。

和辻は初めてヨーロッパを訪れたとき、そこに「雑草がない」という事実に驚き、それを一種の啓示としてヨーロッパ的風土の特性をつかみ始めたという。ヨーロッパの風土は「湿潤と乾燥との総合」というべきものである。モンスーン地域と違い、夏は乾燥期であるが、砂漠地域ほど乾燥してはいない。そして冬は雨季であり、夏と冬のこの特性は、南北の気候の違いを超えてヨーロッパに共通している。

そして夏の乾燥が、ヨーロッパを「牧場」的な風土にしている。夏の乾燥は雑草を繁殖させる湿気を欠いており、それが冬の湿潤と相俟って全土を牧場にしてしまうのだ。秋には穏やかな雨に恵まれて、暑さを必要としない冬草の類が柔らかに芽生えてくる。野原にのみでなく、岩山の岩の間にさえもこういう柔らかい冬草が育つ、つまり「牧場」化するのだ。日本の農業では夏の草取りが最重要の労働になるが、ヨーロッパでは雑草との戦いが不要だという。一度開墾された農地は「従順な土地」として人間に従うので、農業労働には自然との戦いという契機が欠けている。

さらにヨーロッパでは、風は一般にきわめて弱く、その弱さは樹木に端正で、規則正しい形を与えるという。不規則な形の樹木を見慣れてた私たちには、その規則正しい形が人工的にさえ見え、さらにはきわめて合理的であるという感じすら与える。 規則正しい形は日本では人工的にしか作りだせないが、ヨーロッパではそれは植物の自然な形なのである。一方、日本では不規則こそ自然な形である。そしてこのような違いは結局、風の強弱によるのである。暴風の少ないところでは木の形が合理的になる。すなわちそこでは自然は合理的な姿で現れるのだという。

自然が従順であることは、自然が合理的で、自然の中から容易に規則を見出す事ができるということだ。そしてこの規則にしたがって自然に対すると、自然はますます従順になる。こうし和辻は「このことが人間をしてさらに自然の中に規則を探求せしめるのである。かく見ればヨーロッパの自然科学がまさしく牧場的風土の産物である事も容易に理解する事ができるであろう」と主張する。

ところで、上に示されたような夏と冬の特徴はヨーロッパにほぼ共通だが、地中海沿岸の南欧と西欧とではもちろん違いもある。西欧は、南欧ほど太陽の光が豊かではなく、冬の寒さも厳しい。和辻は、南欧と違う西欧の特徴を、たとえば日光の乏しい陰鬱さとして論じている。陰鬱な曇りの日には、すべてはもうろうとして輪郭を明らかにせず、それは同時にまた無限の深さへの指標である。そこに内面性への力強い沈潜が引き起こされる。主観性の強調や精神の力説はそこから出てくるのであるという。

ともあれ、西欧のこのように温順な自然は、人間にとって都合のよいものである。そこはかつて恐ろしい森におおわれていたかもしれぬが、一度開墾され、人間の支配下に置かれると、もう人間に背かない従順な自然となった。実際西欧の土地は人間に徹底的に征服されていると言ってよい。

これに対し日本の国土は急峻な山地が多いこともあって人間の支配を受けにくい。日本人はただ国土のわずかな部分のみを極度に利用して生きている。そのわずかな部分も決して温順な自然とはいえない。それは隙さえあれば人間の支配を脱しようとする。この事が日本の農人に世界中で最も優れた「技術」を与えた。しかし日本人はこの「技術」のなかから自然の認識を取り出す事ができなかった。そこから生まれてきたものは「理論」ではなくして芭蕉に代表されるような「芸術」であった。

一方、西欧の従順な自然からは比較的容易に法則が見出される。そして法則の発見は自然をいっそう従順にさせる。このようなことは突発的に人間に襲い掛かる自然に対しては容易でなかった。そこで一方にはあくまでも法則を求めて精進する傾向が生まれ、他方には運を天に委ねるようなあきらめの傾向が支配する。それが合理化の精神を栄えしめるか否かとの分かれ道であったという。

さて、以上のような和辻の論は、モンスーン的風土の湿潤性が、人間を受容的・忍従的にするという論に比べると説得力があるように思われる。自然が規則的であればそこに法則を見つけやすいことは当然だからである。なぜ西欧において近代科学が生まれたのかという問いは、多くの人々が問うてきた大問題であり、それを一神教と結びつけて理解しようとする説もある。いくら絶対唯一の神を信じようと、現実は過酷であり、人間は不可解な神の意志に翻弄さえる。その計り知れない神の意志を少しでも知りたいという願望が、自然や社会の法則性を探る努力につながっていったというのである。西欧の自然が比較的に従順で規則的だったために、その努力が結果を生み出しやすかったのかもしれない。

西洋史学者の会田雄次は『合理主義―ヨーロッパと日本 』で、和辻の風土論を発展させるような形で、西欧に合理主義や近代科学が生まれた背景を探り、さらに日本ではなぜ西欧の近代科学をいち早く取り入れることが出来たのかを問題にしている。次回は会田雄次の論を追いながら考えていきたい。

《関連図書》
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見


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泥と稲作の文明:風土と日本人(3)

2014年03月01日 | 自然の豊かさと脅威の中で


まずお断りしたい。「日本人の宿命」というタイトルのもと何回かに分けて書くつもりでいたが、シリーズとしてのタイトルを「風土と日本人」に変えた。ご了承いただきたい。

前回まで和辻哲郎の『風土―人間学的考察 (岩波文庫)』を読みつつ、若干の批判を加えた。この本については後にまた触れるつもりだが、今回は以下の本に触れなが話を進めたい。

◆『砂の文明 石の文明 泥の文明

この本で著者・松本健一氏は、「泥」の風土で農耕を生業とすることで「泥の文明」が生まれ、「石」の風土で牧畜を生業とすることで「石の文明」が生まれ、「砂」の不毛な砂漠を隊商をくんで生活する民が「砂の文明」を生んだとする。これらはそれぞれ和辻のいう「モンスーン」、「牧場」、「沙漠」という、風土の三つの類型に対応するであろう。

泥の文明は、泥土が多くの生命を生むという事実のうえに成り立つという。生命がたくさん生まれるということは、「畏(かしこ)きもの」(本居宣長)としてのカミ(神)がたくさん生まれてくるということである。ここでいうカミとは、ゴッドではなく小さくとも人間を超えるような力をもつといいう意味で「畏きもの」である。天然の恵みもそうだが、病気や天災もそうである。人間の力を超えるものはすべてカミなのである。

一方、砂漠の砂は生命力を含まない。むしろ生命を排除する。水を含まず粒状でバラバラの砂の中に生物が棲むことはできず、植物がその中に根を下ろすこともできない。石の場合はどうか。全体が固定され場所によって薄い表土があるから植物は育つ。しかし石もあまり生命力は含まない。堅い岩を砕いて開発することで何とか植物を育てることができる。

こうした違いに対応して、著者は「泥の文明」の本質を「内部に蓄積する力」と捉える。「砂の文明」の本質は「ネットワークする力」であり、「石の文明」の本質は「外に進出する力」であるという。ちなみに安田善憲氏は、松本氏との対談(『対論 文明の風土を問う―泥の文明・稲作漁撈文明が地球を救う』)の中で、これらを生業のあり方からそれぞれ「稲作漁撈文明」、「遊牧文明」、「畑作牧畜文明」に対応するとし、それぞれの文明の背後にある特徴を「持続型」、「交渉型」、「拡大型」と捉えなおしてる。以下、この対談の内容も参考にしながら見ていこう。

さて「泥の文明」の本質である「内部に蓄積する力」とはどのようなものだろうか。この本では「石の文明」の本質である「外に進出する力」との比較で考えられているので、まずは「石の文明」に触れる必要があるだろう。「砂の文明」については後に触れる機会があると思う。

あらゆる宗教には、裁く神と赦す神の両面がある。それは父性原理と母性原の違いに対応する。キリスト教も、ユダヤ教から裁く神を受け継ぐが、キリストはその両面をもち、マリアは赦しのイメージが強い。この二面性は、とくに自然が豊饒な南欧のカトリックの国々で顕著である。一方、北欧や西欧に広がったプロテスタントの国々には、マリア信仰はない。父性原理の面が強いのである。これらの国々で利潤を生むものは自然の豊饒ではなく、労働である。プロテスタントでは、労働によって得られた富や利潤は労働の正当な対価として人間の手に入る。

自然が南欧ほど豊饒ではない北欧や西欧では、牧場が広がっていても、その表土はきわめて少なく、牧草ぐらいの根の浅いものしか育たないという。表土の下はすぐ石や岩盤であり、そこで可能な産業は牧畜ぐらいなのだ。しかも牛100頭ぐらいの牧畜では一家をやっと養えるくらいだという。牧畜を産業とするにはかなり広大な規模の牧草地が必要となる。しかもその産業を発展させようと思えば、牧草地を拡大していかなければならない。こうして北フランスやイギリスなど石の風土に成立した牧畜業は、不断に新しい土地を外に拡大する動きを生むという。これが、いわゆるフロンティア運動を生み、アメリカ、アフリカ、アジアへの植民地獲得競争を激化させた。つまり西欧に成立し、アメリカで加速されるフロンティア・スピリットは、牧畜を主産業とするヨーロッパ近代文明の「外に進出する力」を原動力としていたというのだ。

近現代の世界史は、西欧による世界征服、世界の植民地化の歴史とってもよく、なぜそのような歴史が展開したかを探ることは世界史の最重要のテーマといってもよい。上に挙げたのはその解釈のひとつであるが、もちろんこの問題については様々な取り組みがなされている。次回以降、和辻の風土論にも触れながら、その一端を紹介していくつもりである。

とりあえず、「石の文明」の「外に進出する力」に対して、「泥の文明」の「内部に蓄積する力」とは何かというテーマに移ろう。西欧では、拠点としての農村都市があり、そこを中心に牧畜のためのテリトリーを拡大し、次々にフロンティアを探していく。しかし「泥の文明」に根ざす農耕は基本的に定住し、そこで富を蓄積するかたちになる。ひとつの田、ひとつの村の内側でどれだけ富を蓄積していくかに力を尽くす。

また「畑作牧畜文明」地帯での麦作は、麦を蒔いて、麦踏みをし、刈入れする程度で農作業が単純であるため、奴隷を酷使し農耕地の面積を広げていけば生産性が上がった。そのため森林を一方的に破壊して農耕地を広げ、家畜の頭数を増やしていった。これに対して水田稲作農業は、作業工程がはるかに複雑で、種籾選びや苗代作り、田植え、水の交換など、蓄積された高度な技術が必要である。だから稲作は、生産意欲のない奴隷には任せられない。

そこでの技術革新とは、生産力を高めるための品種改良、品質管理、あるいは家の維持のための貯蓄、教育水準の高さ、さらには村(共同体)の繁栄のための相互扶助的な経済システムといった分野で発揮される。これが「内部に蓄積する力」である。拡大というよりも持続と守りを特徴とする。

和辻は、モンスーン的湿潤性と人間のあり方を直接に結びつけて、その特徴を「受容的・忍従的」とした。モンスーン的湿潤性は「泥の文明」を生み、「泥の文明」は水田稲作を特徴とする。それは「石の文明」がもっている「外に進出する力」の能動性に比べればたしかに受動的と言えるだろう。しかし、持続的に内部に蓄積していく発展の仕方は、単純に「受容的、忍従的」とは言い切れない積極性や能動性をも隠しもっているのではないだろうか。和辻の風土論は、モンスーン的湿潤性と人間の性格とを余りに一元的に結びつけることで何か大切なことを見落としているのではないだろうか。

《関連図書》
森から生まれた日本の文明―共生の日本文明と寄生の中国文明 (アマゾン文庫)
対論 文明の風土を問う―泥の文明・稲作漁撈文明が地球を救う
砂の文明・石の文明・泥の文明 (PHP新書)

《関連記事》
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東日本大震災と日本人(3)「身内」意識
『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(1)
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自然の二重性格が日本人を作った?:風土と日本人(2)

2014年02月10日 | 自然の豊かさと脅威の中で
◆『風土―人間学的考察 (岩波文庫)

引き続き「日本文化のユニークさ8項目」のうち、第6番目に関連して、和辻哲郎の『風土―人間学的考察』を取り上げ考えていきたい。

(6)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

和辻は、モンスーン的風土が人間に及ぼす影響の一般的性格について論じたことを基にして、その日本的な特殊形態について具体的に検討していく。しかし和辻の具体論に入る前に、前回触れた疑問の一つについて少し考えてみたい。それは、和辻の論がモンスーンとその湿潤性とに一元化しすぎているのではないかという疑問であった。和辻は、モンスーンの湿潤は、生命に豊かな恵みを与えると同時に、暴風雨や洪水として暴威をふるう。その二重性が人間に、自然への対抗心を失わせるというものであった。しかしたとえば日本列島に住んだ古代人が、この湿潤が恵みであると同時に破壊力にもなるから対抗する気力がなくなると感じたとは考えにくい。むしろもっと素朴に、周囲の自然の恵みによって自分たちは生かされているが、同時に地震や津波を含めた自然の破壊力よって大きな苦しみもなめる、と感じていたに過ぎない。つまり自然の「湿潤性」がもっている二重性を明確に意識していたのではなく、それ以前に、恵みと破壊を同時にもたらす自然そのものへの畏敬が、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)という、神の極端な二面性への信仰となり、また日本人独特の無常観をも醸成したのである。

さて、こうした疑問点を踏まえた上で日本についての和辻の風土論の具体的分析に入っていこう。日本においてモンスーンは、「台風」とよばれるような、「季節的ではあるが突発的」で猛烈な自然の力となる。一方でそれは日本海側に世界でもまれな大雪をもたらす。日本はモンスーン域の中でも大雨と大雪という二重の現象とともなうことで特殊な風土をもつ。それは「熱帯的・寒帯的」な二重性格と呼ぶことができる。

この二重性格はまず植物のあり方に明白に現れる。強い日光と豊富な湿気を条件とする熱帯的な草木が旺盛に繁茂し、盛夏のそれは熱帯地方とほとんど変わらない。その代表は稲である。一方では、寒気と少量の湿気とを条件とする寒帯的な草木も旺盛に繁茂する。麦がその代表である。こうして大地は冬には麦と冬草とに覆われ、夏には稲と夏草とに覆われる。しかしそのように交代し得ない樹木は、それ自身に二重性格を帯びる。たとえば熱帯的植物である竹に雪の積もった姿は、熱帯の竹に見られない弾力的な曲線を描く日本的な竹である。

日本のモンスーン的風土のこの二重性格は、人間の「受容的・忍従的」なあり方にも二重性格を与えるという。

日本の人間のモンスーン的な「受容性」は、第一に「熱帯的・寒帯的」という二重性を帯びる。それは、単に熱帯的な、単調な感情の横溢でもなく、また単に寒帯的な、単調な感情の持続性でもない。日本人の感情は、「豊富に流れ出でつつ変化において静かに持久する感情」である。四季おりおりの季節季節の「変化」が著しいように、日本人の受容性は「調子の速い移り変わり」といった性格をもつ。

それは大陸的な落ち着きを持たないとともに、きわめて「活発であり敏感」である。活発敏感であるがゆえに「疲れやすく持久性を持たない」。しかもその疲労は刺激のない休養によって癒されるのではなく、新しい刺激・気分の転換などの感情の変化によって癒される。しかしそのような変化の中で、もとの感情はひそかに維持され、その意味で「持久性を持たないことの裏に持久性を隠している」という。

第二に日本人の「受容性」は、「季節的・突発的」である。変化においてひそかに持久する感情は、絶えず他の感情に変転しつつ、しかも同じ感情として持久する。そのために、単に季節的・規則的にのみ変化するのでもなければ、また単に突発的・偶然的に変化するのでもない。それは、「変化の各瞬間に突発性を含みつつ前の感情に規定させられたほかの感情に転化する」という。

次に日本の人間のモンスーン的な「忍従性」もまた、風土の二重性格に対応した二重性をもっているという。

第一にそれは、「熱帯的・寒帯的」な二重性格である。すなわち単に熱帯的な、したがって非戦闘的なあきらめでもなければ、また単に寒帯的な、気の永い辛抱強さでもない。「あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従」である。暴風や豪雨の威力は結局人間を忍従させるのだが、しかしその台風的な性格は人間のうちに戦闘的な気分を湧き立たせずにはいない。だから日本の人間は自然を「征服」しようともせずまた自然に「敵対」しようともしなかったにもかかわらず、なお戦闘的・反抗的な気分において、持久的ならぬ「あきらめ」に達したというのである。日本の特殊な現象としてのヤケ(自暴自棄)は、このような忍従性を明白に示している。

第二にこの「忍従性」も、また「季節的・突発的」である。反抗を含む忍従は、それが反抗をふくむというその理由によって、単に季節的・規則的に忍従を繰り返すのでもなければ、また単に突発的・偶然的に忍従するのでもなく、「繰り返し行く忍従の各瞬間に突発的な忍従を蔵している」という。忍従に含まれた反抗はしばしば台風的なる猛烈さをもって突発的に燃え上がるが、しかしこの感情の嵐の後には突如として静寂なあきらめが現れる。

「受容性」における季節的・突発的な性格は、直ちに「忍従性」におけるそれと関連するのである。反抗や戦闘は猛烈なほど嘆美せられるが、しかしそれは同時に執拗であってはならない。「きれいにあきらめる」ということは、猛烈な反抗・戦闘をいっそう嘆美すべきものたらしめるのである。すなわち俄然として忍従に転ずる事、言い換えれば思い切りの良い事、淡白に忘れる事は、日本人が美徳としたところであり、今なおするところである。そのもっとも顕著は現れ方は、淡白に生命を捨てるという事である。

さて以上が、和辻の分析による、モンスーン的風土の日本的な特殊形態が日本人の性格に及ぼす影響の大筋である。私がこの部分を読んでの印象は、参考になりそうなことが書かれているが、たいへん分かりにくいということだ。みなさんはどう感じただろうか。私が分かりにくいと感じる理由の一つは、「受容性」と「忍従性」というそれぞれの言葉の意味が曖昧で、その違いもあまりはっきりしないことによる。

とりあえず辞書的な意味として「受容性」とは、周囲の事物をそのまま受け入れやすい性質であり、「忍従性」とは、耐え忍びがまんして従う性質のことである。風土との関係で言えば、それらは与えられた自然環境をそのまま受け入れる性質であり、与えられた自然環境にがまんして従うことである。受入れるにしても従うにしても、それほど大きな違いはない。ほとんど同じである。和辻は、「湿潤」が「自然への対抗」を呼覚まさず、「受容的」にすると言っているが、これは「忍従的」にすると言ってもほとんど同じである。だから、これら二つをわざわざ分けて語る和辻の論に説得力がないのではないか。

和辻は、日本人の「受容性」の二重性格を語るところで、「受容性」がどのように二重の性格を帯びているかを全く語らず、ただ感情が変化しやすいが、一方で持久する面もあると言っているに過ぎず、これでは何ら受容性の説明にはなっていない。

一方、「忍従性」の二重性格については、「あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従」という難解な表現を使っている。これは、基本的にはあきらめであるが、ときに突発的に反抗を繰り返すぐらいの意味だろうか。これは、俗に「日本人は熱しやすく冷めやすい」と言われるのと対応しているかもしれない。しかし、そういう性質が、風土の「熱帯的・寒帯的」、「季節的・突発的」という二重性から、具体的にどのように生まれてくるのかについては充分な説明がなく、ほとんど説得力がない。しかし、日本の風土と日本人の性格が大雑把に何となく、そんな対応関係で考えるのも面白そうだなというヒントにはなるかもしれない。

私たちが和辻の風土論を参考にできるのは、そこに示された日本人の性格との関係性の大枠をヒントにしながら、ある程度確実に言えることは何かを検討していくことだろう。次回以降、そんな作業を行ってみたい。

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自然の恵みと脅威:風土と日本人(1)

2014年02月08日 | 自然の豊かさと脅威の中で
◆『風土―人間学的考察 (岩波文庫)

今回は、ブログの柱である「日本文化のユニークさ8項目」のうち、第6番目に関連して、和辻哲郎のあまりに有名な『風土―人間学的考察』を取り上げたい。

(6)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

和辻は、上の本の中で風土をモンスーン、砂漠、牧場に分け、それぞれの風土と文化、思想の関連を追究した。日本はもちろんモンスーンに含まれる。モンスーンは季節風であり、特に夏の季節風で、熱帯の太洋から陸に吹く風である。だからモンスーン域の風土は暑熱と湿気との結合をその特性とする。湿潤なモンスーンが日本の自然を豊かにすると同時に、台風などの暴威ともなる。まさにこの二面性が日本人や日本文化の特性にどう関係するのかを和辻は考察している。

東北大震災からすでに3年が経とうとしている。あの震災とその後の津波や原発事故は、私たち日本人に強い衝撃を与え、その後の私たちの生き方や考え方に深い影響を及ぼした。しかし考えてみればそのような衝撃と影響は、日本人がはるか昔から大きな自然災害を経験するたびに何度も受けてきたものだ。和辻はこの本の中で震災や津波といった自然災害を直接論じているわけではないが、暑熱と結合する湿潤な自然が、しばしば大雨や暴風、洪水など荒々しい力となって人間に襲いかかることが、人間の態度や思考にどのような影響を与えるかを考察している。震災の記憶がまだ生々しく残っている今、和辻の風土論を読み直すことは何かしら意味があるかもしれない。

和辻は、モンスーン域の人間が、寒冷地や沙漠の人間に比べ、自然に対抗する力が弱く、受容的・忍従的になると言い、それはモンスーンの湿潤から理解できると言う。耐えがたく防ぎがたい湿気は、人間のうちに「自然への対抗」を呼覚まさない。その理由のひとつは、「陸に住む人間とって、湿潤が自然の恵みを意味する」からである。特に夏の暑熱と湿気のなかで大地に植物など多くの生命が豊かに育ち、成熟する。湿潤な自然は生命の豊かさに関係し、だから人間はそれに対して対抗的ではなく、受容的になるというのである。

理由の第二は、湿潤が自然の暴威をもたらし、しばしば大雨、暴風、洪水、旱魃などの荒々しい力となって人間に襲いかかるからである。それは「人間に対して対抗を断念させるほど巨大な力であり、従って人間をただ忍従的たらしめる」という。沙漠の乾燥も人間に死の脅威を与えるほどに厳しい。しかし乾燥は、湿潤と違って、同時に人間を生かす力ではない。人間は自分の生の力によって死の脅威に対抗しようとする。一方、湿潤な自然の暴威は、生を恵む力の暴威であり、この点で、沙漠の乾燥の脅威とは意味が違うというのだ。

こうして和辻は、こうしたモンスーン地域の人間のあり方を「モンスーン的」と名づけ、私たち日本人もまさにモンスーン的、すなわち受容的・忍従的であるとする。そしてさらに、その日本的な特殊性を吟味していく。私は、和辻のこの風土論に大方そうだろうと思いつつ、どこかで今ひとつ素直に受け入れがたいものを感じている。それがどこから来るのかは、もう少し和辻を論を追いながらはっきりさせていければと思う。

ただ今の段階でひとつ言えるのは、和辻の論がモンスーンと湿潤性とに一元化しすぎていることに不満があるということである。人間を含めたあらゆる生命を育む豊かな自然が、時に命を根こそぎにする脅威ともなりうる。そのような自然の脅威として地震や津波が日本人にとって持つ意味は、台風や大雨に比べ破壊力も格段に大きく、無視できるものではない。日本列島に住む人々は、縄文あるいはそれ以前の昔から、豊かな恩恵をもたらすと同時に、ときに狂暴化する自然のもとで生きてきた。地震や津波を含めた、そうした自然への畏敬が、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)という、神の極端な二面性への信仰となり、また日本人独特の無常観をも醸成したのである。

もうひとつ気になるのは、「忍従的」という言葉である。「受容的」の方は中立的なニュアンスに近いので気にならないが、「忍従的」の方はどこか否定的な響きがあって引っかかる。東北大震災と津波の被害のあと、日本人が示した行動は、否定的どころか世界に驚嘆される素晴らしいものだった。「東日本大震災と日本人(2)日本人の長所が際立った」や「日本文化のユニークさ24:自然災害が日本人の優しさを作った」などの記事を参照してほしい。「忍従的」にまつわる問題については、モンスーン的風土の日本的特殊形態についての、和辻の具体的な分析に触れるときにまた考えることになるだろう。

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大災害と日本人:自然の豊かさと脅威の中で02

2012年12月27日 | 自然の豊かさと脅威の中で
東日本大震災と日本人(3)「身内」意識

日本では、自分たちの言葉や文化や習俗が根こそぎ奪われてしまうような、異民族による侵略はなかった。国内に戦乱はあったにせよ、規模も世界史レベルからすれば小さく、長年培ってきた文化や生活が断絶してしまうこともなかった。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となった。

日本では、異民族による殺戮の歴史はほとんどなかったが、一方で自然災害による人命の喪失は何度も繰り返された。しかし、相手が自然であれば諦めるほかなく、後に残されたか弱き人間同士は力を合わせ協力して生きていくほかない。東北大震災の直後に見せた日本人の行動が、驚きと賞賛をもって世界に報道された。危機に面しても混乱せず、秩序を保って協力し合う日本人、それは日本の歴史の中で何度も繰り返されてきた日本人の姿であった。

豊かな森におおわれた島国であり、異民族の侵略を受けず、濃密な協力関係を保つことが稲作を可能にした。そんな国土が以下のような日本人の長所を作った。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり

大災害に直面すると、いや大災害に直面すればさらに、上のような長所が際立つのだろう。それを世界は驚きの目で見るのである。

日本文化のユニークさ24:自然災害が日本人の優しさを作った

異民族間の戦争の歴史の中で生きてきた大陸においては、信頼を前提とした人間関係は育ちにくい。戦争と殺戮の繰り返しは、不信と憎悪を残し、それが歴史的に蓄積される。一方日本列島では、異民族による殺戮の歴史はほとんどなかったが、自然災害による人命の喪失は何度も繰り返された。しかし、相手が自然であれば諦めるほかなく、後に残されたか弱き人間同士は力を合わせ協力して生きていくほかない。こうした日本の特異な環境は、独特の無常観を植え付けた。そして、人間への基本的な信頼感、優しい語り口や自己主張の少なさ、あいまいな言い回しは、人間どうしの悲惨な紛争を経験せず、天災のみが脅威だったからこそ育まれた。

地震を筆頭に 日本の自然は不安定であり、 いつも自然の脅威にさらされてきた。それが日本人独特の 「天然の無常観」を生んだと指摘したのは、戦前の日本の物理学者であり、地震学者でもあった寺田寅彦である。自然が猛威を振るうと、ある種のあきらめの状態のなかで耐えるほかない。しかしそれは悲観的で絶望ではなく「天然の無常」ともいうべき自然感覚による、自然への対処だった。(『寺田寅彦随筆集 (第5巻) (岩波文庫)』)

「天然の無常観」の奥にあるのは、はかなさや悲しみに打ちひしがれてしまうのではなく、それを受け入れたうえで、残された者同士がいたわりあって生きていこうとする決意だ。諦念に裏打ちされた前向きな姿勢だ。東日本大震災後にもはっきりとそれが見られた。日本人は、「天然の無常観」を連綿と受け継いでいる。だからこそ、家族を失った被災者が「こんなときだからこそ元気に生きていきたい」と語り、日本中が力を合わせて立ち直っていこうという雰囲気が瞬く間に生まれるのだろう。

呉善花も近著『日本復興(ジャパン・ルネッサンス)の鍵 受け身力』のなかで次のようにいう。

「日本人は甚大な被害を与える大地震・大津波が何度も繰り返される歴史のなかで、深い悲しみを乗り越え『すっぱりと過去への執着を断ち切り、気分を一新して新しい世の建設へ向かう』という、「前向きの忍耐』を余程のことしっかり根付かせてきたのに違い。今回の東日本大震災で、多数の被災者・救援者の方々に共通に見られる対処の姿勢から、私は強烈に教えられた。」

彼女によれば、日本文化は基本的に受け身をモットーとする文化だという。受け止める力によって、造り直して足場を固め、前へと進む反復する力が、日本文化を形成してきた。日本文化は、天災であれ海外から来る先進文化であれ、外部からくるものを押しのけて排除するのではなく、しっかり受け止め、取り込むことで前へと前進していくエネルギーを常に保持してきたし、これからも保持していくだろう。であるなら日本の未来は明るい。

日本文化のユニークさ26:自然災害にへこたれない

日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)』(2011年7月出版)によると欧米人は子供を守る時、加害者に正対して立ち向かうが、日本人は子供を抱き、加害者に背を向けるという。この日本人の行動には、長い年月の間にすり込まれた「恐ろしく強いものには抵抗しない」という行動規範が隠されているのではないか。そして、この「戦わない」という行動こそ、意外にも、日本人が災害にへこたれない理由のひとつではないかと著者はいう。侵略を受けてこなかった日本列島の住民にとって「最大の恐怖」は、自然災害であった。そして自然災害を敵にし戦うことの愚かさを、日本人は熟知していたのだ。

子供を抱きかかえ敵に背を向ける姿勢が、自然災害の多さと本当に関係するかどうかは分からないが、そういう日本列島に何代にも渡って住み着いてきたことが、日本人独特の自然観・人間観や行動様式を作ってきたことは確かだ。たとえば今回の津波のような巨大な自然災害に対しては、戦うことも抵抗することもできず、ただ黙って受け入れ、耐えるほかない。身内が死んでも、財産の一切を失っても、誰を恨むでもなく、きっぱりと現実を受容したうえで、新たに生活を立て直すしかない。そういう経験を何度も繰り返してきたからこそ、災害にへこたれない強さも育まれたのではないか。

著者は、政府が無能でも、東北地方は着々と復興していくだろうという。日本人は、指導者がいなくとも、それぞれの持ち場を支え助け合い、現場での復興を成し遂げてしまう力を備えているのではないかという。私たちは、自分たちでは十分自覚していない災害に対する対処方法を身につけている。地震と津波のあとに見せた日本人の秩序維持や他者へのいたわりはまさにそれだ。これが海外のメディアでは、驚嘆をもって報道された。

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森の文化:自然の豊かさと脅威の中で01

2012年12月26日 | 自然の豊かさと脅威の中で
日本文化のユニークさ7項目を8項目に変更した。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

これに従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続けている。

今回から(6)「森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。」に関係する記事を集約して整理する。ただし、最初はこれまでアップした記事からではなく、新たな記事となる。

では始めよう。

日本列島は、縄文時代以来、豊かな自然に恵まれた「森の列島」であった。これ程豊かな森に恵まれた島は、温帯地域ではめずらしいという。降水量に恵まれた風土は、森林の成育にとって好条件となった。この豊かな森の中で、その恩恵をたっぷりと受けて育まれたのが縄文文化であった。そして、現代に至る日本文化の基層には、豊かな森林という環境の中に1万数千年を生活し続けた縄文人の感性が脈々と受け継がれているのだ。

森は豊かな生態系を作る。多様な生物が森の中で、森に依存して生きる。縄文人は、沃土に支えられた多様な植生、そして多様な植生に支えられた多様な生き物とともに生きていた。豊かな大地と森には命を生み出す力があり、生み出されたすべての命には大いなる力が宿っている。人間の生命や力を超える力を持った無数の生命が、大地と森という大いなる生命から生まれてくる。そのような自然環境だからこそのアニミズムが生まれ、大地母神への信仰が生まれ、たくさんの神を信じる多神教が生まれたのである。

縄文文化の特色は、狩猟、漁労、採集を基本とする生活まら生まれたが、やがて定住し、中期からはヒエ、アワ、イモ類の栽培も始まる。晩期には稲作も始まっていた可能性が高い。

弥生時代になると本格的な稲作が受け入れられたが、羊や山羊などの肉食用の家畜は受け入れなかった。その理由のひとつとして考えられるのは、日本の稲作が、稲作漁撈文明である長江流域から直接に伝播した可能性が高いということである。長江文明も羊や山羊を持たない。もうひとつの理由として考えられるのは、森の民である縄文人が、森の若芽や樹皮を食べつくし、森を破壊する家畜を積極的に受け入れなかったのではないかということである。

ともあれ、弥生文化の流入は縄文文化を駆逐し去り、破壊し去ることがなかった。当時の、大陸から日本列島への渡航の困難さから考えても、一時に圧倒的多数の弥生人が渡来したことは考えにくく、少しずつ渡来した弥生人が先住の縄文人の文化の影響も受けながら徐々に融合していった可能性が高い。

一方で複数の研究者が、縄文晩期と弥生前期の稲作は同時に、パラレルに存在していたと指摘する。あるいは、縄文人が稲作において弥生人の影響を受けたとの推定もある。いずれにせよ日本人の特性は、縄文と弥生の二つの文化が結びついた「ハイブリッド民族」であり、森で育まれた平和で独創的な縄文文化と、稲作に象徴される保守性、協調性に優れた弥生文化が溶け合うことで生まれたといえよう。

日本の農耕の主流は水田の稲作であって、焼畑のように自然を食いつぶすものではなかった。ほとんどが低湿地の沖積平野、河口のデルタを利用しての水稲であった。大陸と違い、山地から短い距離を流れ下ってくる河は、よほど治水をしっかりしないとすぐに氾濫した。それゆえ昔から山々にはしっかりと木を植え、水源を確保し調整するための知恵と技術が生まれた。山岳信仰により乱伐がタブーとされた。日本人にとって国造りの基礎は木を植えることである。いや、国造り以前、有史以前から日本人は営々と木を植えてきたのだ。それは考古学的にも実証されることだという。

それでも大和朝廷による統一がなされると、森林破壊が始まった。天皇の死や政治不安のたびに、穢れを避けようと都が変えられた。頻繁な遷都により、膨大な樹木が消費された。大仏造りも森林の膨大な消費を伴った。戦乱による焼失で再建されれば、また森林が伐採された。江戸時代の再建では、近隣からの巨木入手が困難のため、遠路を山口県から運んだという。

しかし森林を破壊し尽くして文明そのものの消滅にまで至らなかったのは、日本が島国で、国土が荒廃して人が住めなくなったら、他に移動するところなどないということを知っていたからだろう。森がなければ日本は滅びるということを本能的に知っていたからだろう。もちろん水が豊富で砂漠化しにくいという自然条件にもよるところも大きいが、そのこと自体が日本人の生き方や信仰を根本のところで支える自然の恵みなのである。

日本人は、この島国の自然の恵み、森の豊かさが、自分たちの生活を、そして歴史と文化を支えてきたということを腹の底で分かっているところがある。だから奈良時代、室町時代、安土桃山時代、そして明治時代以降と、繰り返し外来文明が流れ込んできて、それを積極的に受け入れもしたが、日本の根幹をなす「森の文化」は、失われることなく保ち続けられたのではないだろうか。

《関連図書》
森から生まれた日本の文明―共生の日本文明と寄生の中国文明 (アマゾン文庫)
対論 文明の風土を問う―泥の文明・稲作漁撈文明が地球を救う
砂の文明・石の文明・泥の文明 (PHP新書)

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日本文化のユニークさ30:縄文人と森の恵み
日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤
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日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)
日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

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震災後、日本は何を生み出すのか07:贈与と媒介の文明

2012年05月11日 | 自然の豊かさと脅威の中で
◆『日本の大転換 (集英社新書)
◆『資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるか

『日本の大転換』で中沢氏は、新たなエネルギー革命とそれによる経済システムの変化は、それ以前の文明からの質的な転換を伴うだろうし、そうでなければいけないと指摘する。その転換は、以下のような特徴をもっているという。

① 生態圏の生成の原理を断ち切るのではなく、そこに立ち戻ってそこから新たな豊かさを生み出す文明への転換。

② 生態圏に属するものは、すべて全体とのバランスの中で相互に「媒介」し合っている。その「媒介」性に根ざす文明への転換。

③ 近代文明が忘れ去っていた「贈与」の次元を取り戻し、根幹とする文明への転換。

上でいう全体性や媒介性という考え方は、仏教でいう縁起(全体が相互に依存してなりたつ)の世界観に近い。

ところが、初期の資本主義が、「第5次エネルギー革命」(産業革命をともなう)の主燃料である石炭ときわめて親和性が高かったように、現代のグローバル資本主義は、「第7次エネルギー革命」を導き出した原子力の構造と、多くの同型性をしめすという。グローバル資本主義も原子力もともに、媒介性を切断する性格をもっているからだ。

原子力発電の技術は、もともと生態圏内に存在しなかったエネルギー現象を、生態圏の内部に無媒介にもちこむ技術であることはすでにもかんたんに触れた。原子力は、生態圏の全体とのバランスのなかでの相互依存性に組み込まれていず、それゆえひとたび大事故が起これば生態圏に決定的なダメージを与えてしまう。

人間は生態圏の内部に、それに依存しながら「社会」という「サブ生態圏」を作っている。「市場メカニズム」は、そのサブ生態圏内部で、それとは異質の原理で運動する。社会というサブ生態圏内部でのさまざまな相互依存関係を無視して独自の展開をしながらサブ生態圏を破壊するのだ。「第7次エネルギー革命」のもとで発展したグローバル資本主義は、この市場メカニズムの力で社会全体に深刻な影響を及ぼしている。世界各地で進む貧富の格差も、国家間の格差も、ヨーロッパ経済の危機さえも、グローバル化した市場メカニズムの破壊作用によるといえよう。

原子力とグローバル資本主義は、生態圏に対して異質な、「媒介性」を無視した運動をすることで、ともによく似た兄弟同士のような構造をもっているのだ。また原子炉は、核分裂反応が続かなければ稼働できず、資本主義も成長を続けなければ衰退する。この点でも両者はよく似ている。

サブ生態圏である社会は、一人一人の生身の人間の心のつながりでできている。さまざまなネットワークを通じて人間相互の心のつながりを維持することで社会は成り立つ。社会である以上、人間同士を結びつけようとする作用が内在している。個人間や集団相互間でなにかの交換が行なわれるときにも、モノにまとわる所有者の縁まで手渡されていくから、そこに必ず値段に還元できないプラスαが組み込まれる。そのとき交換は「贈与」の性格をおびるという。

生態圏もまた独立したモノ相互のたんなる交換ではなく、相互に依存しあう存在同士が「贈与」し合う関係によって成り立っているといってよい。サブ生態圏である社会も、さまざまな縁をもった人間相互の「贈与」関係によって成り立つ。家族でも職場でもサークルでも他のどのような組織や集団でも、互いに信頼し合ったり助け合ったりして成り立っている部分が大きい。それはたんなる「交換」関係ではない。

ところが市場に持ち込まれた商品は、すべての「縁」を断ち切られて、たんなるモノとして交換される。いっさいの「縁」を切り捨てられたモノなど生態圏には存在しないが、あたかも存在するかのようにして交換がなりたつのが、市場のメカニズムだ。グローバル資本主義は、そのメカニズムを巨大化して、生態圏もサブ生態圏もともに破壊していく。

原子力発電が稼働するまでは、人間が利用するすべてのエネルギーは、何らかかたちで太陽から「贈与」されたエネルギーを変換したものだった。人間は、それを漠然とでも感じ取っていた。原子力発電が動き出すと、「小さな太陽」を生態圏内に作ったのだと驕って、「贈与」によって自分たちの生存が成り立っていることを忘れてしまった。

第8次エネルギー革命は、「贈与」としての太陽エネルギーを媒介・変換する新しい技術を開発する方向で展開するだろうと中沢氏はいう。彼は、来るべきエネルギー革命の原型を植物の光合成に見出し、電子技術で光合成を模倣した太陽光発電が、新エネルギー革命の初期段階で重要な働きをするだろうという。この結論はあまりに平凡であり、現段階では従来のエネルギー源に比べあまりに発電力が小さい。

しかし一たび目標が定まったときの日本の技術開発力は過去にも実績があるから、太陽光発電に限らず「自然エネルギー」分野で飛躍的に技術開発が進む可能性は十分にありえるだろう。

前回、新たなエネルギー革命が起こるとすれば日本にその好条件がそろっていることを5項目挙げて指摘した。その5番目は次のようなものであった。

5)金融資本主義による国民経済の破壊の度合が少なく、一神教的ではない独自の文化に根ざした経済システムを構築できる余地を残している。

冒頭で、新たなエネルギー革命とそれによる経済システムの変化が、三つの特徴をもつ文明の質的な転換になるだろうという主張を紹介した。日本文明は、近代以前にこの三つの特徴を備えた、自然との「媒介型」の文明を築いていたのである。今でも、それはすべて消滅したわけではない。日本は、そういう自分たちの過去の文明を思い出すことによって、そこから文明の転換を成し遂げていく可能性をもっているのではないか。次回は、その可能性をもう少し探っていきたい。

《参考図書》
ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)
日本の大転換 (集英社新書)
資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるか
日本人て、なんですか?
日本復興(ジャパン・ルネッサンス)の鍵 受け身力
日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)


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『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が
『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』
『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が
『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら
『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力
『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力
『日本辺境論』をこえて(8)日本史上初めて
『日本辺境論』をこえて(9)現代のジャポニズム
『日本辺境論』をこえて(10)なぜ若者は伝統に回帰する?

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震災後、日本は何を生み出すのか04:一神教から仏教へ?

2012年05月03日 | 自然の豊かさと脅威の中で
◆『日本の大転換 (集英社新書)

2011年8月22日に出版された中沢新一のこの本は、新書でおよそ150頁ほどの小さな本だが、東日本大震災後の日本文明が根底から転換をとげていかなければならない理由を、西欧の近代文明の限界を明らかにしながら、哲学的な深い次元から考察した好著だ。彼の見解は、「震災後、日本は何を生み出すのか」という私の問いにとっても大いに参考になる。

中沢氏は、文明学者アンドレ・ヴァラニャックが人類が経験したエネルギー革命を以下の7段階に分類したこと(『エネルギーの征服―成熟と喪失の文明史 (1979年)』に触れ、では第8次のエネルギー革命はどのようなものになるかという根源的な問題を提出する。エネルギー革命の7段階とは次のようなものだ。

第1次革命:火の獲得と利用。
第2次革命:農業と牧畜の開始。新石器時代の始まり。
第3次革命:家の「炉」から治金の「炉」が発達して金属が作られるようになる。金属武器の発達が国家を生み出す。
第4次革命:火薬の発明。
第5次革命:石炭を利用した蒸気機関技術の確立。産業革命。
第6次革命:電気と石油。自動車産業の発達が現代資本主義のモデルとなる。
第7次革命:原子力とコンピュータの開発。

この7段階の中で第6次革命まではすべて、原子の外殻を形成する電子の運動からエネルギーが取り出されている。つまり、原子核の内部に踏み込んでエネルギーを取り出すことはしなかった。

人類と他のあらゆる生物が生きる生態圏は、さまざまな化学反応や電気反応が起こることによって生命活動が行われている。つまり、生態圏に生きるあらゆる生物は、安定した原子核の外側を運動する電子によって支えられている。原子核の融合や分裂は、生態圏の中には組み込まれていなかった。ところが第7次革命だけは、原子核の内部に踏み込んで、その分裂や融合を引き起こさせ、莫大なエネルギーを取り出した。原子炉内で起こる核分裂の連鎖反応は、もともと生態圏の外部にある太陽圏に属する現象なのである。

中沢氏は、第7次エネルギー革命の産物である原子力技術に対しては、一神教がその宗教的な対応物として存在するという。ほんらい生命圏には属さない「外部」を思考の内部に取り込んでつくられた思想のシステムこそ、ほかならぬ一神教だからだというのだ。

神がモーゼに語りかけた内容は、つまりこういうことだった。「世間の神々は、動物や男女の姿をしているが、自分はそういうイメージを拭い去った抽象そのものの神だ(偶像崇拝の禁止)。人や動物がすむ環境世界に属さない絶対的な神で、むしろ環境世界の外部にいて、そこから世界そのものを創造したのだ。」

そして一神教が重要なのは、それに特有な「超生命圏」的な思考が、世俗的な科学技術文明の深層構造に決定的な影響を及ぼしたからである。科学的な思考の根底には一神教的な発想が潜んでいるのだ。

アニミズムや多神教の神々は、どんなに超越的な振る舞いをしてみせようとも、それは恰好ばかりで、じっさいには生態圏の全体性の表現になっている。どんなにあがいても生態圏を超えるような存在ではないのだ。

原子力を生み出した科学的な思考のなかに、世界を超越的な(客観的な)視点から眺める一神教と同型の発想があるのだとすれば、来るべき第8次革命は、どのような宗教思想とのアナロジーがふさわしいのか。中沢氏は、次のエネルギー革命を「一神教から仏教への転換」として理解することができるという。

来るべき第8次エネルギー革命は、一神教的な世界観から仏教的な世界観への転換とパラレルなのか。これについては次回、詳しく中沢氏の議論をおいながら考えていきたい。

《参考図書》
ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)
日本の大転換 (集英社新書)
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震災後、日本は何を生み出すのか03:世界が注目する

2012年05月02日 | 自然の豊かさと脅威の中で
◆『日本人て、なんですか?

この本は、竹田恒泰と呉善花との対談本であり、2011年11月3日に出版された。震災後の日本についてを中心に扱っている本ではないが、第一章で東日本大震災で見せた日本人の底力について語り合っている。それ以外にも参考になることが多かったので、これをきっかけにして考えたことを書きたい。

最初に、竹田氏氏が金沢の友人から聞いたという感動的な話を紹介したい。その友人は、地震直後に米、塩などをトラックに積んで被災地に運んだ。自分で調べると石巻の小学校が救援物資が足りないことが分かり、そこに向かった。ところが、そこの代表は「ありがたいが、自分たちは食糧が足りているので、この先の山を越えた村へもって行ってください」と言う。それで言われた村に行くと、今度はその村の人が「この奥にまだ物資が足りない避難所があるので、そちらへ」と言う。それで言われたところへ行くと、また同じように「うちは足りているので、この先の‥‥」と言う。

同じようなことが繰り返され、巡った場所がなんと11か所になり、12か所目の女川方面の村でようやく救援物資を受け取ってもらった。地元の被災者たちは、涙を流がしながら、拝まんばかりに感謝の気持ちを示してくれたという。

友人がその後、家に帰ってテレビを見ていると、ちょうど「うちは足りている」と言っていたいつかの避難所が紹介されていた。それを見て彼は驚愕したという。そこの人たちが、一日おむすび一個という状態で耐えていたのだ。足りていると言いながら実は足りていなかった。おそらく11か所の避難所は、みな同様の状態だったのである。

実際にこれに類する譲り合いやいたわり合いの精神は、被災地の各地に見られたであろう。個々の避難所でも、秩序が保たれ、少ない物資をみんなで分け合って耐えていた事実が数多く報告されている。

震災後、日本は何を生み出すのか02:誇りに感じた日本人」の調査結果で見たような、震災後の意識変化が、とくに若者のあいだでどのように表現されているかも、この本で語られている。「物よりも金よりも人の絆です。家族もそうですし、友だちもそうです。物が一切消え失せても、人間関係だけは残ります。そのことを強く知らされました」というのが、若者たちの共通の思いだったというのだ。

私にとって興味深かったのは、竹田氏と呉氏のあいだでちょっとした認識の相違が出ているところだ。震災とは直接はかかわらないことだが、まず竹田氏は、現代の日本人がかつての日本人の良さをかなり失ってしまったという認識をもつ。これに対して呉氏は言う。

「‥‥私は日本がいまもなお「夢のような国」の資質を失っていないと感じられます。私に限らず多くの外国人が、本音では同じように感じているはずなんです。ですから私は、日本人自身がそのことに気づくこと、つまり大切なものを再認識すること、そこが本格的な日本復興のスタート地点になると思います。」

私も、どちらかと言えば呉氏の感覚に近い印象をもつ。内側から見ると日本人は大きく変化したように感じられるが、外の世界からは、日本人が社会に秩序と調和を保つ力は驚くべきものと見られている。インターネット上に溢れる世界中からのコメントがそれを物語る。震災時の日本人の行動により、そういう日本人の資質がさらにはっきりと証明されたと見なされているようだ。

日本人は近年、行き過ぎた個人主義に疲れ、近代化とか合理主義とかいう西欧の価値観を無条件には信じられなくなった。明治以来、吸収してきた価値観を疑い、日本人が古来持っていた人と人、人と自然との共生関係に根ざす文化を見直すようになった。そちらの方が自分たちに合うと感じるようになった。東日本大震災は、そうした自文化の再認識を一歩深める結果となったのだ。

ところで世界の人々もまた、今、民族間の抗争や富める者と貧しい大衆との対立、個人や集団間の競争に混乱し、疲れ果てている。そんな世界にとって、これだけの経済大国でありながら、和合や調和の文化を残している日本は、大きな救いに感じられるのではないか。日本は何かが違う。今世界を押し動かしている対立、抗争の原理とは違う流れが、日本には残っている。日本から学び取るべき大切なものがあるのではないか。そんな直感が、世界的な「クール・ジャパン」現象の根底にはあるような気がする。

震災後の日本人の、古来からの自分たちの文化を再認識する動きと、世界が日本に注目する動きとが、重なり合いながらともにさらに大きな動きになっていくことを願う。

《参考図書》
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震災後、日本は何を生み出すのか02:誇りに感じた日本人

2012年04月30日 | 自然の豊かさと脅威の中で
東日本大震災は、日本人の心にもっとも深く刻まれた経験、民族の「原体験」を思い起こさせた。自然の猛威に打ちのめされながら、そのたびに助け合いつつ、いたわり合いつつ再生してきた経験が、日本人のもっとも日本人らしいところを形づくっている。この震災は、そういう日本人の根っこにある記憶を呼び覚まさせたと思う。

震災後一年を超え、震災が日本人の意識にもたらした変化についての調査がいくつも行われている。ここではその代表的なものを一つだけ挙げておこう。

社会の絆、8割が重視=大震災で意識変化-内閣府調査

内閣府が31日発表した「社会意識に関する世論調査」で、東日本大震災以後、社会との結び付きについて「前よりも大切だと思うようになった」と答えた人が79.6%で、「特に変わらない」19.7%を大きく上回った。被災者に対する支援活動の輪が広がり、助け合いの意識が高まったことの表れとみられる。

また、震災後、強く意識するようになったことについて複数回答で尋ねたところ、「家族や親戚とのつながりを大切に思う」が67.2%でトップ。以下、「地域でのつながり」59.6%、「社会全体として助け合うこと」46.6%、「友人や知人とのつながり」44.0%と続いた。(2012/03/31、時事通信社)
 (引用ここまで)

大災害で、みんなが協力し合わなければならない状況を経験したのだから、このような意識変化は当然だと思うかもしれない。しかし、そういう感覚は日本人にとっては当然かもしれないが、世界の常識は必ずしもそうではない。

たとえば、「マイケル・サンデル教授も称賛した日本の「助け合い」精神、共同体意識という強みと、その先にある課題(武田斉起:日経ビジネス20011/4/25)」という記事は、去年4月16日、NHKテレビで放送されたマイケル・サンデル米ハーバード大学教授による特別講義『大震災 私たちはどう生きるのか』に関してレポートしている。その中で武田氏は、震災時の日本人の行動を語った次のような二つの言葉を紹介している。

米ニューヨークタイムズ紙は、「日本の混乱の中 避難所に秩序と礼節」と題する記事(3月26日)の中で、「混乱の中での秩序と礼節、悲劇に直面しても冷静さと自己犠牲の気持ちを失わない、静かな勇敢さ、これらはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ」と評した。

米国のある学生は「カトリーナの時は正反対の状況で、避難者が移った先でさえも便乗値上げが起こった。日本人は略奪をしない、間違ったことはしないという秩序立った精神、責任感といったものが人々の間で共有されている。日本という国全体がそう思っているように見えた。本当に感心し、驚いたし、何だか希望のようなものを感じた」と発言した。別の学生は「同じ人間として誇りに思った」と。


これに類する賞賛は当時かなり多く紹介されていたから、それらを通して日本人は、大災害時には略奪や暴動や無秩序が世界の常識なのだということを知ったはずだ。災害時に略奪や暴動が常態ならば、その経験を通して人々は何を学び、意識をどのように変化させるだろうか。略奪を受けて逆に「社会との結びつきや助け合い」こそ大切だと思う例も少しはあるかもしれないが、多くの場合は、「災害時には周囲の人々は信用できない。人を頼りにせず自分や家族を守ることが大切だ」と思うのが自然だろう。

日本で東日本大震災以後、社会との結び付きについて「前よりも大切だと思うようになった」と答えた人が圧倒的に多かったのは、実際に助け合いやつながりが大切な役割を果たしていたことを見たり、経験したりしたことが前提となってのことだろう。

だからこそ今度の大震災は、「助け合い」精神や共同体意識の大切さを思い起こさせた。つまり日本人の根っこの記憶、「原点」をよみがえらせた。忘れかけていた「国民性に織り込まれている特性」を復活させ、日本人の意識を変化させたのである。

この連載のタイトルは、「震災後、日本は何を生み出すのか」だが、実は生み出す以前に自分たちにとっていちばん大切なものを思い出すことこそが先なのである。震災は、それを思い出すきっかけになったし、それがが日本の本格的な復興にとっても重要なのだ。遠い昔から日本人は、そうやって復活してきたからである。それは、自己否定や自己卑下、過去否定をやめて、日本人としての誇りを取り戻すことでもある。自分たちの文化は何でもダメだと思う態度をやめて、素晴らしいところはこんなに素晴らしいと素直に気づくことである。

《参考図書》
ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)
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震災後、日本は何を生み出すのか01

2012年04月29日 | 自然の豊かさと脅威の中で
この問いは、ずっと心の中にあった。東北大震災後の日本は、どのように変わったのか、あるいはどのように変わろうとしているのか。震災後まもなくこのような問いを意識しつつ、いくつかの記事を書いた。

東日本大震災と日本人(1)
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「東日本大震災と日本」は、もう少し長く続けていくつもりだったが、テーマが大きすぎて続けられなかった。あれから一年経って、もう一度この問いを考えてみようと思った。この一年の間に、同じような問いに触れたいくつかの本が出版された(下の参考図書)。これらの本もヒントにしながら、この問いをさらに深く考えて行ければと思う。

4月27日の記事で日本人のクリエイティビティ(創造性)を話題にしたとき、世界が日本人をクリエイティブだと見ているのに日本人はそう思っていないという認識ギャップについても語った(→日本人はクリエイティブ、なぜ?)。

創造性の問題に限らず、日本人は一般に自民族や自文化を不当に低く評価する傾向があることは、これまで何度か触れてきた。過去の自文化を激しく否定することは、外来の新文化を効率よく吸収するのに必要な心理的な処置だった面は確かにある。

しかしそうした心理的傾向は、守るべき自分たちの良さまでもためらいもなく捨て去ってしまうという無視できない弊害も伴っていた。最近は、自分たちが忘れ去ってきた伝統の良さを見直そうという動きが、若い人々を中心に起こっていることも見てきた。

東北大震災は、日本人が忘れ去ってきた自分たちの良き伝統をもう一度思い起こそうとする動きをさらに強く促したのだと思う。大震災の後に、その恐怖と不安の中で日本人が見せた冷静さ、混乱のなさ、相互のいたわり合い、保たれた秩序などが、世界中で驚きをもって報道された。海外で報道された記事中の驚きと賞賛の言葉には次のようなものが多かった。

誰もが冷静で落ち着いていた。なぜあのように冷静でいられるのか。
誰もが忍耐強く秩序を保って行動し、規律が保たれていた。
略奪行為もなく暴動も起きず、食料を奪い合う住民の姿もみられない。
最悪の状況下でも他人を気遣い、思いやりを失わなわなかった。
混乱の中でも自分の職務を責任をもって果たそうしていた。
   (→東日本大震災と日本人(2)日本人の長所が際立った

このブログで考察している「日本文化のユニークさ」5項目(最近6項目に変更)の3番目は次のようなものであった。(5項目のすべてについては→日本文化のユニークさ37:通して見る参照)

(3)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

国が海で囲まれていて外敵の侵入による文化破壊や、異民族支配による伝統との断絶がなかった日本は、人間相互の極度の不信を知らない。そのかわり自然を前にしての人間の無力さは何度も経験してきた。

おそらく日本列島に人々が住み始めて以来、東北大震災に匹敵する、いやそれ以上の地震や津波は何度も何度も繰り返されているのである。そのたびに私たちは、それ以前に築いてきたすべてを失い、大自然の猛威の下でまったく無力な存在であることを思い知り、それ故いたわり合いながら再出発することを、数えきれぬほど繰り返してきたのである。それは日本人の「原体験」となった。

だからこそ私たちは、東北大震災のような大災害に遭遇して日本人としての「原体験」を思い起こすのだ。日本人は今、たとえはっきりと自覚していなくとも、大災害を経験した先祖たちがどうしてきたかを多かれ少なかれ思い出している。「近代化」「西洋化」の名のもとに否定し、忘れ去ってきた過去の日本人の生き方を、その意味を、今度の大震災をきっかけにして呼び覚ましている。

日本の自然は、豊饒な恵みを与える母なる自然であると同時に、「荒ぶる」自然でもある。縄文人は、そのような自然に育まれ、そして翻弄されながら、その「原体験」に即した「宗教」を持った。東北地方の人々は、日本人の「原体験」の記憶をもっとも深く心に刻んでいる人々だ。世界の人々を感動させたのは、遠い過去から日本人が重ねてきた経験と行動のよみがえりだった。日本人は、東北の人々の態度や行動に触発されて、忘れかけていた自分たちの本来の姿を思い起こしているのだ。

新しい文明を夢中で吸収しようとするあまり、自分たちの過去や伝統を否定し、いともかんたんに忘れ去ってきた日本人。しかし東北大震災は、実は日本人が世界が驚嘆するような性質を失わずにいることを思い起こさせた。大切なことは日本人自身が、世界が驚嘆した自分たちの長所をはっきりと自覚することである。よみがえらせ、守るべきものが何なのかを自覚することである。そこから、震災後の日本の進むべき道も見えてくるはずである。

《参考図書》
ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)
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日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(1)

2011年12月01日 | 自然の豊かさと脅威の中で
太平洋戦争は、東京大空襲や沖縄戦、そして広島、長崎で多くの犠牲者を出して終結を迎える。アメリカ軍の攻撃によってあれほどの悲惨な現実を味わったにもかかわらず、日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか? 

このテーマは、少しこれまでの流れと違うのだが、日本文化というより日本人のユニークさを考えるうえで大切なことだと思うで取り上げてみたい。ある本を読んでいたら、その著者が上の問いにこう答えていた。シベリアでのロシア兵の残虐な態度に比べ、進駐軍としてやってきた米兵の態度があまりに良好だったからだと。

私は、この答えはあまりに表面的なもので、本当の答えは、もっと深い、日本人や日本文化の根底にかかわるところにあるのではないかと思った。そして自分なりに考えられる理由として次の二点を挙げてみた。

ひとつは、戦時体制下で押さえつけられ、無理を重ね犠牲を強いられていた日本人ににとって、アメリカがある意味で「解放者」としての役割を果たしたという理由から。これは日本文化の特性とは別の理由なのだが、当時の日本人の多くが一種の解放感をもって進駐軍を迎え、また実際にGHQの指導のもと、戦時体制を打破する多くの改革が次々に行われ、それが日本人にも肯定的に受け入れられたということは見逃せないだろう。GHQの改革のもと日本人は、辛く苦しかった過去を払しょくし、新しい日本を復活させようとした。アメリカを憎むいとまはなかったし、憎んで抵抗することは日本を再生させる妨げになった。

もちろんGHQ主導の改革には、日本を二度とアメリカに刃向えないよう骨抜きにすようとする意図もあっただろうが、当時の日本人には改革による解放感の方が大きかった。

二つ目の理由は、これまで考察してきた日本文化のユニークさ5項目(日本文化のユニークさ26:自然災害にへこたれない参照)のうち

(3)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

に関係する。

日本人は、異民族によって苦しめられるよりも自然災害によって苦しめられる方が圧倒的に多かったから、戦争によって被害を受けても、敵国を憎むというより、あたかも自然災害によって被害を受けた時のような反応を示してしまう傾向があるのではないか。自然災害の場合は、憎む相手もいない、自分に降りかかった悲惨な状況をただ受け入れ、生き残ったものが協力し合って、未来に立ち向かっていくほかない。戦争の被害の後にも、過去何千年も自然災害に対して繰り返してきた反応を、自然にしてしまうのではなかろうか。

沖縄の人々は、太平洋戦争の最後期にあれほど悲惨な体験をし、大きな犠牲を出しながらも、米兵や日本兵への憎しみがいまだに激しく続いているようには思えない。むしろ、その深い悲しみは昇華され、内面化されて沖縄の人々の穏やかさを形づくっているよいうな気がする。「花」という歌は、その昇華された悲しみを美しく歌い上げている。

沖縄の人々のこのようなあり方は、東日本大震災後の東北の人々が示した態度と似ている。東北の人々は震災後に、家族や知り合いに多くの犠牲者を出しながら、静かに耐え忍んで、残された者同士で励ましあい、前向きに生きていこうとした。そういう自然災害後の東北の人々の態度と、戦争という最大の人災後の沖縄の人々が示した態度には、深い共通点があるようだ。そして東北に人々も沖縄の人々も、縄文の血を受け継ぐ原日本人にもっとも近い。

とりあえず、私が考えた理由はこれだけだったのだが、最近会田雄次という歴史学者の『合理主義(講談社新書)』という古い本を読んでいて、もう一つ理由がありそうだと思った。
これについては、次回論じてみたい。

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