クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

フランス人は何を恐怖したのか?ーマンガ・アニメが世界に与えた衝撃

2024年06月23日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
これまでに自分のユーチューブチャンネルに投稿した動画から、クールジャパンに関係するものをいくつか選んでリストアップしてみた。

★⇒フランス人は何を恐怖したのかーマンガ・アニメが世界に与えた衝撃
フランスのTVではじめて日本のアニメが放送されたのは1972年で、子供たちの圧倒的な人気を得た最初の作品は1978年の「UFOロボ グレンダイザー」でした。1980年代後半からは、「ドラゴンボール」「うる星やつら」「キューティー・ハニー」「Dr.スランプ」「めぞん一刻」「キャッツ・アイ」「北斗の拳」「キャプテン翼」といった大ヒット作が立て続けに放送されました。その後も「キン肉マン」「シティハンター」「気まぐれオレンジ☆ロード」「らんま1/2」「美少女戦士セーラームーン」といったヒット作が放送されますが、その人気は1990年代中ごろから落ち込み始めたといいます。その大きな理由が日本製アニメに夢中になる子供たちの親世代からの激しい批判、ジャパンバッシングだったのです。
当時の日本アニメへのバッシングにはいくつかの理由があったようですが、そのいちばん深い理由は、大人たちの恐れではなかったかと、『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす』の著者トリスタン・ブルネ氏は言います。その深い恐れとは何だったのか。

★⇒世界的ユーチューバーが日本に移住・その理由は日本人の英語力?
ピューディパイ(PewDiePie)という世界的なユーチューバーは、チャンネル登録者数が世界で最初に1億人を突破したYouTuberであり、King of YouTubeとも言われている。個人運営のYouTubeチャンネル世界一位を長らく保ち、今は二位になったが、それでも1億1千万人以上の登録者がいいる。彼はスウェーデン人だが、英語で発信するゲームの実況プレイで登録者数を伸ばした。
 彼は2022年に妻や愛犬二匹とともにイギリスから日本に移住し、東京の世田谷区に住み始めた。日本に移住して一年が経ったころに彼はジャパンレビューというタイトルの動画を投稿し、日本の好きなところと嫌いなとことを挙げている。日本の好きなところの第一に挙げていることが、実は日本人の英語力のなさに深く関係している。日本人が英語に弱いことと、ピューディパイの日本移住がどう関係するのか。動画で確認してください。

★⇒ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を!役所広司主演『Perfect Days』
『Perfect Days』の監督のヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders)は、数々の受賞歴に輝くドイツ人巨匠です。1982年の『ことの次第』が、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。1984年の『パリ、テキサス』がカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞。1987年、『ベルリン・天使の詩』ではカンヌ国際映画祭にて監督賞を受賞などです。そして『Perfect Days』は、2023年第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所広司が最優秀男優賞を受賞しました。

ヴェンダース監督は、日本で感銘を受けたサービスの質や公共の場の清潔さが刺激となって、この『Perfect Days』という映画を作り上げたといいます。では、その内容と日本のサービスが清潔さがどのようにつながるのでしょうか。この動画では、まずこの映画の内容に触れたうえで、動画の最後にこの問いに答えたいと思いす。

マンガ・アニメが世界の人々の人生に与えた衝撃

2024年05月21日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
★この記事の内容は、次のユーチューブ動画の前半部分です。議論の全体は次の動画で御覧になれます。
 ⇒ マンガ・アニメが世界の人々の人生に与えた深刻な衝撃

最近私は、自分のXアカントで海外の人々に次のような質問を投げかけて見ました。
What manga or anime had the most influence on your life? What kind of impact did that have? If possible, please also tell me your country name.
あなたの人生に最も影響を与えた漫画やアニメは何ですか?それはどのような影響を与えましたか?可能であれば国名も教えてください。

この質問に対して世界各国からおよそ50の回答がよせられました。回答で挙げられたマンガやアニメは多種多様、影響の内容も同様で、40以上の作品名が挙げられていたので、集計してランキングするのはあまり意味がない感じでした。それでも、挙げられた回数が多かった作品をあえて列挙すると、ドラゴンボールが5回、セーラームーンが3回、ナルト、らんま1/2、るろうに剣心、AKIRA、デスノートが各2回でした。あと宮崎駿の作品が4作品挙げられていました。それぞれの人生にどんな影響を与えたかについては、代表的なものをいくつか選んで、この動画の最後に紹介したいと思います。

ここではまず、ある本を紹介しながらフランスの子供たちの心にアニメとマンガがどのような影響を与えたかを語りたいと思います。ここに語られていたのと同じような影響を世界各国の子供、そして若者たちが受けていたと思われるからです。本のタイトルは『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす』です。著者はトリスタン・ブルネ氏で、1976年生まれ、フランス人「オタク」の第一世代を自称するマンガ・アニメ通です。日本マンガの翻訳家であると同時に日本史の研究者であり、日本の大学等でフランス語、フランス思想の講師もつとめるとのことです。

彼によると、フランスのTVではじめて日本のアニメが放送されたのは1972年で、子供たちの圧倒的な人気を得た最初の作品は1978年の「UFOロボ グレンダイザー」でした。フランスで日本のアニメが本格的に放送されるにようになったのは、放送局が民営化される過程でコンテンツ不足に悩み、それを補うのに安い日本製アニメが輸入されたからでした。当時、フランスの小学校は水曜日が休日で、その日の子供向け番組にアニメが放映され、大勢の子供たちを夢中にさせたのです。水曜日のアニメを待ち遠しく待ったそうした子供たちの一人がこの本の著者トリスタン・ブルネ氏だったのです。

1980年代後半からは、「ドラゴンボール」「うる星やつら」「キューティー・ハニー」「Dr.スランプ」「めぞん一刻」「キャッツ・アイ」「北斗の拳」「キャプテン翼」といった大ヒット作が立て続けに放送されました。

その後も「キン肉マン」「シティハンター」「気まぐれオレンジ☆ロード」「らんま1/2」「美少女戦士セーラームーン」といったヒット作が放送されますが、その人気は1990年代中ごろから落ち込み始めたといいます。その大きな理由が日本製アニメに夢中になる子供たちの親世代からの激しい批判、ジャパンバッシングだったのです。
当時の日本アニメへのバッシングにはいくつかの理由があったようですが、そのいちばん深い理由は、日本のアニメが西欧にない異質な世界観・価値観を子供たちに注ぎ込むことへの大人たちの恐れではなかったかと、著者は言います。

★この記事の内容は、次のユーチューブ動画の前半部分です。議論の全体は次の動画で御覧になれます。
 ⇒ マンガ・アニメが世界の人々の人生に与えた深刻な衝撃

世界は日本からこれを学びたい!日本では当然の光景だが

2024年05月01日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
この記事は、次の動画の内容の5分の1程度の紹介です。全体はこちらで御覧ください。⇒世界は日本からこれを学びたい!日本では当然の光景だが Fusion of tradition and future!


米国の第96回アカデミー賞では、日本から山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』そしてビム・ヴェンダース監督の『Perfect Days』の三作品がノミネートされ、そのうち『ゴジラ-1.0』と『君たちはどう生きるか』が、それぞれ視覚効果賞と長編アニメ賞に輝きました。そして『ゴジラ-1.0』は日本だけでなく米国や世界の多くの国々で日本映画として記録的なヒットとなりました。

さらに最近では、真田広之主演の戦国スペクタクル・ドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』がハリウッド製作陣の手で映像化され配信が始まりました。米国ではFXとフールー(Hulu)、日本や英国を含む他の地域ではディスニープラス(Disney+)で配信され、世界的に絶賛の嵐といってもよいほどの高い評価を得て、話題となっています。

《中略》

40年前に比べれば世界中の人々の日本への関心と知識は大幅に増しています。日本を旅行した人の数もはるかに多くなっています。マンガやアニメをきっかけにして日本文化に関心をもち学び始めたり、日本語を学ぶ人の数も激増しています。だからこそ日本を見る眼も深まっているし、本物の日本の映像や文化を強く求めるようになっているのでしょう。真田広之が願ったように日本をテーマとした作品がますます増えていくでしょうが、それらは、本当の日本を描くことが何にもまして大切な条件になるでしょう。日本関連の作品が成功するか否かは、底の浅い安っぽい日本のイメージではなく、真の日本の姿をどれだけ映し出すかにかかってくるのです。

では何が日本文化をそれほど魅力的なものにしているのでしょうか。前回の私の動画『日本人のどこがユニーク? 世界の130人が熱く語る!』でも紹介したように、私は最近、自分のX(ツイッター)アカウントで次のような質問を投げかけて見ました。

「日本人や日本の文化・社会のユニークさは何だと思いますか。一つ二つ挙げてみてください。」この質問に幸い多くの回答が寄せられ、二日ほどでおよそ130になりました。その内容も様々な視点からの興味深いものばかりでした。その中には、ある共通の見解を示すものがかなり多く含まれていました。それは、日本文化の魅力の一側面を確実に表現していると思われます。そのいくつかを拾ってみましょう。

「本当に私が日本社会で最も素晴らしいと思うのは、本質的な日本らしさを保ちながら、変化し、適応し、外から新しい要素を加えていく能力です。言語であれ、技術であれ、文化であれ。」

《以下略》

この記事は、次の動画の内容の5分の1程度の紹介です。全体はこちらで御覧ください。⇒世界は日本からこれを学びたい!日本では当然の光景だが Fusion of tradition and future!


マンガに救われ人生を変えたアメリカ人

2017年03月06日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『日本のことは、マンガとゲームで学びました。

前回取り上げたフランス人、トリスタン・ブルネ氏も日本のアニメやマンガに大きく影響されて人生の方向を決定づけ、やがて日本に住むようになった人だが、今回取り上げるアメリカ人、ベンジャミン・ボアズ氏もまたマンガやゲームで育ち、やがて「麻雀」に出会ってとりつかれ、大学で麻雀をテーマに研究し、日本で幅広く活躍するようになった人だ。

この本は、そんな彼がどのようにして日本のポップカルチャーにはまり日本の魅力に目覚めていったかをマンガを中心に描き、時折短いエッセイをはさんで紹介する。「日本のことはほとんどマンガやゲームで学んだ」、「ボクの血の半分は日本のポップカルチャーでできている!」と断言するほどののめり込みようだ。

なにしろ4歳でスーパーマリオにはまり、14歳で『らんま1/2』に初恋、日本語のマンガ・ゲームを楽しむために、伝統あるアメリカの高校で仲間と運動して日本語クラスを創設、そして、20歳のときチベットで麻雀と出会い、東大・京大大学院で麻雀研究論文執筆したという行動派の「オタク」だ。そのハマりようがどれほどであったか、マンガによる数々のエピソードで楽しく読める。

その中のひとつのエピソード。20歳になる前、彼は深刻な人生の谷間に落ち込んだ。両親の離婚や他にも様々な問題をかかえ、大学も休学して目的も将来も見失っていた。感情というものを失い、暗い屋根裏でひたすらゲームやマンガで過ごすゾンビのような毎日。そんなとき偶然出会ったのが、「西原理恵子先生」の『はれた日は学校をやすんで』だったという。中学生くらいの少女の話で、日本語のセリフはあまり理解できなかったけど、「この人はボクの気持ちがわかる」と、なぜか思って涙が止まらなくなった。彼は聖書のようにその本を持ち歩くようになり、犬が死んでしまう話を読む度に必ず声をあげて泣いた。この本で自分の中の「悲しい」という感情を取り戻したというのだ。

その後、危機を脱出するためチベットで一人修行したときも、そのマンガをずっと読んでいた。そのチベットで麻雀と出会い、やがて日本に来て「西原理恵子先生」のマンガを探しているとき、彼女の『まあじゃんほうろうき』を発見。そこから日本の「麻雀マンガ」というジャンルに出会い、その専門性や、麻雀がからんだ複雑なストーリー展開に驚愕する。さらに日本に「雀荘」という世界があるのを知り、あとはもうその世界にのめり込むほかなかった。復学したアメリカの大学では日本の麻雀文化をテーマに論文を仕上げ、さらに京都大学大学院でも「麻雀と社会」をテーマに研究したという。

そしてついに、人生の危機脱出のきっかけを与えてくれた「西原理恵子先生」と、ある麻雀大会で感激の対面を果たしたという。一人の日本人のマンガ家の作品が、こうして彼の人生を救い、彼の人生を決定づけていったことを思うと、なにか不思議な感じだ。ともあれ、半端なくマンガやゲームや麻雀にのめり込んだ男の半生を描くマンガは、日本のポップカルチャーの影響力を物語るひとつの例ととしても興味深い。

アイデンティティ危機:アニメがフランスに与えた「共感」と「恐れ」(4)

2017年03月05日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす

フランス人から見た日本のイメージには両極端があるという。日本はまず遥か遠い国という圧倒的な距離を感じさせるが、その距離は良い方にも悪い方にも作用する。良い方に転じたとき、日本はとてもエキゾティックで、自分たちとは異なる価値観や深い文化を持った国と見える。浮世絵に触発されてジャポニズムがフランスを席巻した背景にはそれがあり、そのイメージは今に引き継がれているだろう。

他方、その距離感が悪い方に転じると、自分たちには理解できない不気味な国となる。日本を非人間的な国と感じる人は、著者が子どものころにもかなりいて、日本人はロボットみたいに感情がないとうステロタイプの偏見がとても強かったという。こうした否定的な印象と深い文化を持つ国という肯定的な印象とが状況毎に入れ替わるのが一般的なフランス人だという。ジャパンバッシングは、その否定的なイメージが前面に出た事件だったともいえよう。

ところで、これまで見てきたように日本のアニメやマンガは、かつてフランスに存在しなかった価値観や世界観を読者に与えたからこそ支持され、共感されてきた。しかしそれは、フランス社会に馴染むことのできない若者たちの格好の避難場所にもなっているのではないか。毎年パリで盛大に催され近年は20万人を超える来場者がある「ジャパンエキスポ」は、日本でもよく知られるようになった。そこに集まる若い世代は、コスプレやヴィジュアル系の格好など何の躊躇もなく楽しみ、無批判に日本のマネをしていると著者はいう。

日本人の場合は、「オタク」であろうと日本人であることに変わりなく、日本の中でほとんど無自覚にそのアイデンティティを保つことができる。むしろ「こんな作品が読める国に生まれてよかった」と自分のナショナル・アイデンティティを強化することもありうる。

しかしフランスのオタクは、オタクであることによってフランスという文化秩序の外に出てしまう可能性がある。日本人は日本のサブカルチャーにどっぷり浸かってもアイデンティティ危機には陥らないけれど、フランス人の場合はそれがアイデンティティの危機を招くこともあるというのだ。「ジャパンエキスポ」などで無邪気に得意げにコスプレする若者には、一種の逆ナショナリズムの態度があるのではないか。フランスの価値観に合わなければ日本に合わせ、日本にどっぷり浸かればいい。そう思うことでそこを避難場所にし、依存する。日本の過度な理想化には、フランス社会に居場所がない若者たちのアイデンティティの危機という問題が潜んでいるのではないか。

著者自身、これは少し大げさな見方かも知れないと断っているが、逆にいえばそういう危惧を感じざるを得ないほどに、日本のサブカルチャーの影響が大きくなっているということだ。これはフランス国内の問題だと片付けることもできるが、私たちにとって大切なのは、この問題も含めて全体として日本のアニメやマンガがフランスや世界にどれほど大きな影響を与えているかを、過大にも過小にも偏らずに理解することだと思う。この本は、フランスのオタク第一世代を自認し歴史家としての分析力を持つ著者が、自分のアニメ体験とフランス全体での出来事を適度に交差させつつ広い視野から語っており、その意味でも重要だと思う。

本ブログでは、日本のマンガ・アニメの発信力の理由を以下の視点から考えてきた。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが豊かな想像力を刺激し、作品に反映する。

②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の独自性。

③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。

④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想・表現と相対主義的な価値観。

⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。

今回取り上げた本は、日本のアニメやマンガのとくに上の④や⑤に関係する特徴を著者の体験を踏まえつつ語っている。日本の巨大な庶民階層の価値観とは、契約よりも信頼を重視し、敵対する相手にも何かしら共感し和解し合える要素を見出そうとするものであり、フランスの子供や若者は、そうした価値観が反映したアニメやマンガに、自国の作品に感じ得ない「共感」を見出したのであった。

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移民とつながる:アニメがフランスに与えた「共感」と「恐れ」(3)

2017年02月28日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす

1990年代中ごろから、日本アニメへの激しいバッシングによってアニメ放映量は激減する。バッシングの背後には、日本のアニメがフランスや西洋の価値観を脅かすという一種の「恐れ」があった。それほどに子供たちの日本アニメへの親近感は一般的なものになっており、フランスの若年層のアイデンティティ形成に無視できない影響を与えていた。日本アニメのヒーローは、フランスの作品にない独特の親近感をもって子供たちの世界や人間関係、価値観を変えていたのだ。

ところでバッシングによって日本のアニメが放送されなくなると、アニメファンはテレビから離れ、自分たちから積極的に作品を探し始めた。そしてファン同士のネットワー作りやコンテンツを輸入する出版社への要求が高まり、それらが組織化・現実化し,次第に大規模になっていった。

さらにテレビアニメが減るのと並行して、それに代わるもうひとつの巨大市場がフランスに誕生する。それは日本マンガだ。93年にはメジャー出版社から「ドラゴンボール」のフランス語版マンガが刊行され大人気となった。テレビに自動的に流れていたアニメを見ることができなくなり、それなら原作マンガを読んだ方がよいと自分から探すようになったのだ。

フランスにも「バンドデシネ」(BD)と呼ばれるマンガの伝統があったが、幼児向けか芸術的な大人向けが主流で、少年少女向けが抜けていた。その市場の溝に日本のマンガが広がった。アニメを奪われて作品に飢えていた少年少女たちが熱狂したのも当然だ。そして、それまでテレビから流れるアニメを受身で見ていたファンたちは、自分で作品を選び、購入したり輸入したりする積極的な消費者になっていった。

さて、こうしてフランスに広がった日本のアニメやマンガは、日本では想像できないようなある「働き」をなしていた。著者が生まれ育ったのは、パリの東に位置するトロシーというニュータウンだったが、ここはフランスの中間層と他国からの移民を融和させよういう国の政策が絡んで生まれた街だったという。それで彼の通った小学校は生徒の3分の1ほどが移民の子供で、他地域に比べ大きな割合だった。しかしそんな政策とは裏腹に自分の子供は移民と関わらせたくない親が多かった。

子ども同士は、ときにケンカをしてもそれほど移民を気にしていたわけではないが、移民を気にする親たちのギスギスした意識があり、子どももどこかでそれを感じていた。そんな中で、出身や人種の違いをまったく感じさせずに友人と語り合える話題が、日本のアニメだったというのだ。それを話しているときは、彼らへの恐れは乗り越えられていたと著者はいう。

そんな経験は、著者だけではなくフランスのあちこちで起きていたはずだという。たとえば彼の友人のアレクシーは、中学生のときに一人の移民系の「不良」に声を掛けられた。その彼に「ドラゴンボールの専門家は君だろう?」とストーリーの続きを質問され、びっくりしたけど、妙に自慢げな気持ちになったという。人種や世代を超えてこうした関わりを可能にしたのは、日本のサブカルチャーがもつ「共感」的な世界観だっただろう。アニメを通じて、自分が属する社会の価値観を乗り越えた人と人との関係の可能性が感じられる。移民問題に悩むフランスにとって、アニメやマンガのもつこの生産的な側面は意外と重要な意味をもっているのではないかと著者は考えている。

一方で、フランスの少年少女たちが、フランスではなく日本のアニメやマンガに親しみを感じ夢中になり、アイデンティティ形成にまで影響を与えるようになると、日本では生まれ得ない問題も生まれると著者はいう。次回はこの問題を考えてみよう。

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日本の価値観の魅力:アニメがフランスに与えた「共感」と「恐れ」(2)

2017年02月26日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす

前回触れたように1978年にフランスのTVで「UFOグレンダイザー」が始まると爆発的な人気となった。それはなぜだったのか。日本では「マジンガーZ」ほどはヒットしなかった「グレンダイザー」がフランスで大ヒットとなったのは、登場人物へのフランス流の命名の工夫などの小さな改変が効果的に働いたというフランス側の要因もあったようだ。

しかし著者がとくに関心をだくのは、日本のアニメ「グレンダイザー」のストーリーがフランス国内やアメリカで作られた作品と根本的に違うという点だった。それはこの作品が見る者にもたらす感情的な没入感の強さ、一言でいうと「共感」できる度合いの強さだったと著者はいう。

それまでのフランスの子供向けアニメは、善人と悪人がはっきりしていて、親の代わりに物事の是非を教訓的に教えるような構造のものが多かった。ところが「グレンダイザー」では、登場人物らの意味や役割は固定的ではなく、ケンカ相手が親友になったり競争相手になったりして、その関係がつねに揺れ動く。

そして悪役さえ共感の余地が残されていた。悪人だがその人間性に共感できる人物、あるいは自分なりの理想を求める人物として描かれていった。「グレンダイザー」ではないが、「機動戦士ガンダム」の中の、敵でもあり英雄でもあるシャア・アズナブルがその代表だろう。

また主人公の設定も複雑で「グレンダイザー」のデュークは、自分の星から地球に来るとき、自分以外の星の住民はみな殺されて自分だけが生き残ったが、自分も重い死の病いを抱えるという運命を背負っている。見るものが自分のことのように「共感」できる主人公は、それ以前のフランスのアニメにはなかったという。

日本の多くのアニメは多かれ少なかれ、見るものを「共感」させる同様の力をもっていた。悪人さえも、もしかしたら友人になれたかもしれない人間性をもって描かれる。それらは、フランスの作品とは世界観が根本的に異なっていたのだ。

日本の製作者は日本の子供向けに作ったのであり、海外でどんな反応を得るかを作る段階で意識してはいない。しかしフランスの子供たちは、その日本的な世界観と物語に深く「共感」してしまった。それは、フランス社会にはこれまでなかった世界観だった。日本アニメへのバッシングは政治的なかけひきと絡み合って利用された面もあるが、その背景には、従来の西欧にはなかった異質の世界観に子供たちが没入していくことへの、フランスの大人たちの恐れがあったのではないかと著者は見る。

フランス社会は、ルソーの社会契約説やフランス革命以来、「個人の権利」という考え方を国の根幹に据える。自分にも他者にも個人の権利があるから、相手の権利を傷つけないかぎり自分を主張する自由と権利があるが、自分の権利を侵かそうとするものは、はっきりと「敵」とみなされる。そうであればたとえ王であろうと敵として断罪される。

ところが日本では、権利の主張よりも共感の雰囲気を重視し、共感への信頼によってコミュニケーションを作り上げようとする。他者との共感をベースに社会を成り立たせる日本人は、敵役にも共感できる側面を含ませ、それが自ずと物語の魅力や深みになるのだが、それは元来日本人がもっている世界観や価値観の反映である。日本人は「個人の権利意識が希薄だ」とよく言われるが、逆にフランス人は権利意識を主張しあうことにプレッシャーを感じており、日本人の価値観が新鮮に映るのかもしれない。

フランスのように個人同士も契約関係を基盤にする社会では、日本アニメのような共感をベースにする物語は圧倒的に異物であり、しかしだからこそ共感や感動の度合いが深く、面白かったのだと著者はいう。それはフランスや西欧世界が持つ世界観の欠陥を埋め合わせ、フランス人のアイデンティティーの欠けた部分を補う働きをもった。だからフランス人は、日本のアニメを見てある意味でホッとしたのだという。

以上の見方は、フランス人「オタク」の第一世代を自認する著者が日本アニメを夢中で見ながら育った体験を踏まえているので重みがある。しかし著者を含めた新世代の子供たちがアニメに夢中になればなるほど、親たちは危機感を感じた。その危機感の根元がどこにあるのか親たちが自覚していたかどうかはわからない。しかし、日本アニメの共感をベースにした世界観そのものが子供たちを夢中にさせ、しかもそれがフランス共和国の基本的な神話を崩しかねないという漠然とした「恐れ」が、極端なジャパンバッシングを引き起こしたと著者は見ている。

そして日本アニメへの激しいバッシングによってアニメ放映量は激減する。しかし皮肉なことにアニメに目覚めた子供たちは、その関心を日本のマンガに向け始め、結果としてフランスでは日本マンガの大ブームが沸き起こるのだ。

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アニメがフランスに与えた「共感」と「恐れ」(1)

2017年02月25日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす

著者のトリスタン・ブルネ氏は、1976年生まれで、フランス人「オタク」の第一世代を自称するマンガ・アニメ通だ。日本マンガの翻訳家であると同時に日本史の研究者であり、日本の大学等でフランス語、フランス思想の講師もつとめるという。

この本はフランスにどのようにアニメが導入され、定着していったかを、子供時代からの彼自身の経験を中心に具体的に、かつ当時のフランスの社会状況や時代の流れも視野に入れて語っていく。個人的な体験を語る部分は、面白いだけでなく、偽りもてらいもない誠実で温かいペンの運びが心地よい。また彼を取り巻く当時のフランスの状況や歴史に触れる部分も、歴史の専門家としての適度なバランス感覚や視野の広さが感じられ、好感がもてる。

読みながらいちばん強く印象に残ったのは、日本のアニメやマンガが、それを視たり読んだりして育ったフランスの子供たちにどのような深い影響を与えたかを繰り返し語る部分だ。これまでも断片的には、外国人によるそうした言葉に接したことはあるが、これほど本格的に、深い洞察力をもって、日本のサブカルチャーが他文化の人々に与えた影響を語る本に出会ったのは初めてであった。これは私にとって大きな収穫であった。

フランスのTVではじめて日本のアニメが放映されたのは1972年で、「ジャングル大帝」(後半部分のみ)だったが、子供たちの圧倒的な人気を得た最初の作品は1978年の「UFOロボ グレンダイザー」であった。フランスで日本のアニメが本格的に放送されるにようになったのは、放送局が民営化される過程でコンテンツ不足に悩み、それを補うのに安い日本製アニメが輸入されたからだ。当時、フランスの小学校は水曜日が休日で、その日の子供向け番組にアニメが放映され、大勢の子供たちを夢中にさせた。水曜日のアニメを待ち遠しく待ったそうした子供たちの一人がこの本の著者だった。

フランスのテレビ放送の民営化が本格化した1980年代中盤は、フランスのお茶の間に日本のアニメが浸透した時代でもあった。日本製アニメの放映量は急速に増し、80年代後半からは、「ドラゴンボール」「うる星やつら」「キューティー・ハニー」「Dr.スランプ」「めぞん一刻」「キャッツ・アイ」「北斗の拳」「キャプテン翼」といった大ヒット作が立て続けに放送された。

その後も「キン肉マン」「シティハンター」「気まぐれオレンジ☆ロード」「らんま1/2」「美少女戦士セーラームーン」といったヒット作を放送するが、その人気は1990年代中ごろから低迷し始めたという。その大きな理由が日本製アニメに夢中になる子供たちの親世代からの激しい批判、ジャパンバッシングであった。その批判に耐えかねた放送局が日本のアニメの放送量を大幅に減らしたのが原因だった。

なぜジャパンバッシングが始まったのか。いくつかの理由が重なっているようだが、その背景には、オイルショック(1973)をいち早く抜け出し経済成長を続ける日本への漠然とした恐れと反感があったのではないかという。またある女性政治家が、テレビの民営化を進めたシラク政権を攻撃して自分への支持を得るため、ジャパンバッシングを利用して日本アニメを「恐ろしいもの」と批判する本を出版した。この本はベストセラーになり、当時の親世代に絶大な影響をもたらしたという。

しかし著者は、当時の日本アニメへのバッシングにはもっと深い理由があったのではないかと考える。それは、日本のアニメが西欧にない異質な世界観・価値観を子供たちに注ぎ込むことへの恐れであり、これを語ることに本書の大事なテーマがあるようだ。次回はこの点をさらに探っていこう。

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アニメのユニークさと日本の伝統(3)

2015年02月11日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『日本のアニメは何がすごいのか 世界が惹かれた理由(祥伝社新書)

この本では日本のアニメのユニークさを、①ロボット・アニメ、②スポ根アニメ、③魔法少女アニメ、④ヤングアダルト向けアニメという視点から捉えていた。私の関心は、これらが日本の伝統とどのように関わるかだった。今回は、その③と④について見ていこう。

③魔法少女アニメ‥‥母性社会日本

欧米では、「日本アニメでは女の子がヒーローとして活躍する作品が多いのか」と質問される場合が多いという。しかし逆に、欧米ではなぜそういう作品がほとんどないのだろうか。むしろ私たち自身がそう問うべきかもしれない。欧米の方にこそ、男性と女性の役割の違いに関して、文化的に根深い区別意識があるのではないか。それは、一神教という父性原理の宗教を文化的背景としてもっているということであり、それゆえ女が男のような「ヒーロー」として活躍するという発想が生まれにくいということだろう。

日本の文化的伝統は、そのほぼ対極にある母性原理を基盤とするものだった。このブログの柱である日本文化のユニークさ8項目でいえば、

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

ということである。

父性原理と母性原理の比較についてはこれまで繰り返し語ってきた。ここではひとつだけ関連記事を紹介しておこう(→マンガ・アニメと中空構造の日本文化)。ここでも語ったように、西洋のような一神教を中心とした文化は、多神教文化に比べて排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除したり、敵対者と見なす。これが一神教の父性原理だ。一神教は、神の栄光を際立たせるために、敵対する悪魔の存在を構造的に必要とする。唯一の中心と敵対するものという構造は、ユダヤ教(旧約聖書)の神とサタンの関係が典型的だ。絶対的な善と悪との対立が鮮明に打ち出されるのだ。また、父性的なものに対して母性的なものが抑圧され、その抑圧されたものが「魔女」のような形をとって噴出し、さらに「魔女狩り」のような集団殺戮を生む背景となっていった。

ひるがえって日本の場合はどうか。縄文人の信仰や精神生活に深くかかわっていたはずの土偶の大半は女性であり、妊婦であることも多い。土偶の存在は、縄文文化が母性原理に根ざしていたことを示唆する。縄文土偶の女神には、渦が描かれていることが多いが、渦は古代において大いなる母の子宮の象徴で、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表す。こうした縄文の伝統は、神々の中心に位置する太陽神・アマテラスや、卑弥呼に象徴されるような巫女=シャーマンが君臨する時代にも受け継がれていった。そして、日本はそういう母性原理的な伝統が、男性原理の宗教によって駆逐されずに、現代まで何らかの形で受け継がれてきたのである。

現代日本のアニメ作品に多くの魔法少女が「ヒーロー」として描かれるのは、むしろ日本の伝統からしてごく自然なことなのである。しかし欧米のファンにとってはそれが新鮮だった。女の子が、男のヒーローのように、しかも魔法を使って大活躍する、それは父性原理の強い欧米では生まれにくい発想だった。神は「父なる神」、つまり男性であり、ヒーローもおのずと男性という発想になる。アメリカのセーラームーンのファンは、自分の国に溢れているありきたりの男性スーパーヒーローとのちがいに惹かれていった。普通の女の子がスーパーヒーローに変身する物語に魅了されたのだ。また、誰か一人を特別扱いしたり悪者にしたりする(善と悪の対立)のではなく、さまざまな要素を絡めて描く複雑なストーリーが絶賛されたのだ。 セーラームーンの魅力は、「戦闘とロマンス、友情と冒険、現代の日常と古代の魔法や精霊とが混在し、並列して描かれている点だ」という。物語と登場人物をさまざまな方向から肉づけすることで、ほかのスーパーヒーローものよりも、「リアル」で感情的にも満足できる、というのだ。

海外でのこうした反応からも、日本の魔法少女アニメがいかにユニークなものだったかがわかるだろう。

④ヤングアダルト向けアニメ‥‥子どもと大人の区別が曖昧な日本

欧米では子ども文化であるマンガ、アニメだが、日本では、はっきりとした区別はなく大人をも含んだ領域としても確立している。マンガ、アニメは、大人が子どもに与えるものではなく、大人をも巻き込んだ独立したカルチャーとしての魅力や深さをもっている。ではなぜ欧米では、マンガ・アニメが子どもに限定されるのか。ここにもキリスト教文化の影響があり、日本はその影響をあまり受けていないという文化的な背景の違いがあるようだ。

欧米では、子供は未完成な人間であって、教え導かなければいけない不完全な存在、洗礼を経て、教育で知性と理性を磨くことで、初めて一人前の「人間」に成るとという子ども観があるようだ。子どもは「人間になる途上の不完全な存在」で、大人とは明確に区別される。一方日本では、もともと子ども文化と大人文化に断絶がなかったからこそ、マンガ・アニメが大人の表現形式にもなり得たのだ。欧米のアニメーションの根底に依然として「アニメーションは子どもが観るもの」という常識があるのとは、まさに対照的だ。

欧米を中心とする世界の常識を唯一無視してきたのが、日本のアニメだった。日本のアニメは、「子どもが観るもの」という常識を無視して、製作者たちがそこで様々な映像表現の可能性をさぐる場となった。その複雑な世界観やストーリー展開の魅力は、アニメーションで育った世界の若者たちに、乾いた砂に水が浸み込むように自然に受け入れられていった。

「子どもが観るもの」には様々な制約がある。その制約がはじめからなければ、マンガ・アニメという表現の場は、逆に限りなく自由な発想と表現の場になる。実写映画は、登場する生身の人間のリアリティに引きずられて発想と表現に自ずと制限がかかる。マンガ・アニメはその制約がなく、想像の世界は無限だ。子どもと大人の領域が融合しているため、エロや暴力の表現が、子供の世界にまで入り込んでいる。これが、批判や拒否の理由とされることもあるが、国際競争力の強さになっている現実もある。

さて、本ブログでは、日本のマンガ・アニメの発信力の理由をこれまで以下の視点から考えてきた。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが豊かな想像力を刺激し、作品に反映する。

②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の独自性。

③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。

④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想・表現と相対主義的な価値観。

⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。

これらは、あくまでも暫定的なものであり、今回の考察を含めて、今後さらに項目や内容は変化していくと思う。いずれにせよ、世界の若者が日本ののポップカルチャー魅せらるのは、その「オリジナリティ」によるのだろう。そして「日本でしか生まれないものを次々に創り出していく」その独創性の背景には、日本独特の文化的背景がある。それをさらに明らかにしていくのが私の課題だ。

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2015年02月10日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『日本のアニメは何がすごいのか 世界が惹かれた理由(祥伝社新書)

著者・津堅信之氏は、この本で日本のアニメのユニークさを、①ロボット・アニメ、②スポ根アニメ、③魔法少女アニメ、④ヤングアダルト向けアニメという視点から捉えていたことは、前回見た通りだ。今回は、そのそれぞれが日本の社会・文化的伝統とどのような関わりがあるかを見ていこう。

①ロボット・アニメ‥‥「テクノ-アニミズム」

これは、このブログの中心テーマである日本文化のユニークさ8項目でいえば、

(1)「漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている」

に深く関係する。現代日本人の中に縄文的な心性が流れ込んでいるといっても、では、私たちの中の何が縄文的なのかいまひとつピンと来ない。しかし、私たち日本人の多くが、楽しんで読んだり見たりした作品の中にそれが表れているとすれば、これかと納得しやすいのではないか。

「テクノ-アニミズム」は、アン・アリスンが『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』の中で使った言葉だ。この本で著者は、縄文時代とか縄文文化とかいう言葉はいっさい使っていない。しかし、鉄腕アトムなどを例にしながら、テクノ-アニミズムという言葉を使って現代日本のポップカルチャーのある一面を特徴づけている。アニミズムとはもちろん、巨石からアリに至るまであらゆるものに精霊が宿っていると感じる心のことだ。それがテクノロジーとどう関係するのか。

鉄腕アトムでは、たとえば警察車両が空飛ぶ犬の頭だったり、ロボットの形もイルカ、カニ、アリ、木まで何でもありだ。マンガ・アニメに代表される日本のファンタジー世界では、あらゆるものが境界を越えて入り混じっているが、その無制限な融合を可能にする鍵が、テクノロジーの力なのだ。メカと命あるものの結合によってテクノ-アニミズムが生まれる。

アトムそのものがテクノ-アニミズムのみごとな具体例だといってもよい。アトムはメカであると同時に、「心」をもった命とも感じられる。正義や理想のために喜んだり、悩んだり、悲しんだりするアトムの「心」に、私たちは感情移入してストーリーに胸を躍らせる。

手塚治虫によってアトムというロボットに「命」が吹き込まれた(アニメイトされた)が、アトム誕生の背後にある道は、かなたの縄文的アニミズムにまで続いている。アトムやドラえもん、初音ミクなどに見られるように、日本人はテクノロジーや機械と生命や人間との境界をあまり意識せず、アトムやドラエもんが人間的な感情を持つことに違和感を感じず、現実のアイドルのように初音ミクに熱狂する。

西欧に共通するキリスト教的な世界観では、人間が世界の中心であり、人間、生物、無生物は明確に区別されるが、日本人にはそういう意識があまりない。生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しないアニミズム的文化が現代になお息づき、それが多かれ少なかれ作品に反映するから、アトムやドラエもんが生まれてくるのだろう。日本では、伝統的な精神性、霊性と、デジタル/バーチャル・メディアという現代が混合され、そこに新たな魅力が生み出されているのだ。

②スポ根アニメ‥‥「道」の重視

「長期間の放映を通じて、ひとりの主人公の成長を描く『大河ドラマ』的なドラマ構成」という日本アニメの特徴は、それだけ日本人が、野球やサッカーやバスケットボールやテニス、そして囲碁やクラッシク音楽やカルタなどの「修行」を通して人間が成長していく姿を見るのが好きだからだろう。(漫画やアニメが好きな人なら、上にあげたそれぞれのジャンルにどのような漫画・アニメが対応しているかすぐ思い浮かび、そこでどんな成長物語が展開したか懐かしく思い出すだろう。)

それらは、日本人にとってたんなるスポーツや娯楽ではない。野球であろうとサッカーであろうと囲碁であろうと、それぞれの道で厳しい修行を通して、達人の域に達する魂の修行の場だという捉え方をする。そういう文化的な伝統があるから、スポーツや囲碁やクラッシク音楽の「修行」を通して主人公が成長して行く過程を見るのが好きなのだ。そして「修行」を好む日本人の伝統は、禅の修行やその影響を受けた剣道や各種の芸道の修行という伝統につながっているだろう。さらには神道の伝統にまで連なっているかもしれない。

日本アニメと「道」との関係については、今回触れるのが初めてだが、追ってもっと詳しく考えてみたい。


③魔法少女アニメ‥‥母性社会日本
④ヤングアダルト向けアニメ‥‥子どもと大人の区別が曖昧な日本

については、次回に見ていくことにしたい。


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2015年02月09日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『日本のアニメは何がすごいのか 世界が惹かれた理由(祥伝社新書)

著者・津堅信之氏は、『日本アニメーションの力』などでかなり専門的に日本アニメの発達史などを研究・発表してきた人
である。その著者が新書で一般向けに日本アニメの歴史や特徴、海外での受容の現状などをまとめたのがこの本である。しかし引用元の注などもしっかりしており、日本アニメの海外への影響力を含め、偏らずにその実情を知るにも、充分に信頼できる一冊であると思う。

たとえば著者は、「とかく日本人は、自国のコンテンツ(伝統文化・芸能を含む)が海外で受け入れられていることに対する過度の喜び」があり、その喜びと期待が海外での受け入れの実情への「誤解」を産んでいると指摘する。ごく少数のマニアックなファンの熱気を、全体の熱気と勘違いする傾向があるというのである。そうした見方も含めて海外でのアニメ受け入れの現状を正確に捉えることは重要で、その意味でもこの本は参考になる。

私自身の関心は、日本の伝統的な社会や文化のあり方が、現代アニメにどのように影響しているかを探ることにある。もちろんこの本は、そういう関心から書かれたものではないし、そうした話題に触れてもいない。しかしこの本では、第2章「アニメ=日本のアニメとは何か」で、日本独自のアニメーションの特徴をいくつかに分けて見て行く。これが私の関心へのヒントになりそうなので、以下この章を中心に紹介する。

①ロボット・アニメ
日本の本格的なテレビアニメが『鉄腕アトム』だったことの意味は大きい。その後の日本特有のアニメ制作方法を方向付けただけでなく、「人気漫画のテレビアニメ化」という路線としも受け継がれた。さらに「心を持ったロボット」という印象的なキャラクターがその後の日本のアニメに与えた影響も大きい。もちろん日本のロボット・アニメでは『ガンダム』に代表されるような兵器としてのロボットも重要だが、いずれにせよ「ロボットが身近な存在」という設定は日本のアニメの特徴のひとつだ。

②スポ根アニメ
その代表作『巨人の星』は、たんにスポ根アニメにとどまらず、日本アニメのひとつの典型となった。それはまず「長期間の放映を通じて、ひとりの主人公の成長を描く『大河ドラマ』的なドラマ構成」という独自性だ。また少ない動画枚数で絵のクオリティーや動き方を工夫する演出方法を生み出したという点だ。スポ根アニメは『キャプテン翼』や『スラムダンク』などヨーロッパで知名度が高く、有名サッカー選手たちが翼の影響を大きく受けた話などは有名だが、いっぽうアメリカではスポ根アニメの人気は低調のようだ。

③魔法少女アニメ
海外では、女の子が「ヒーロー」となるアニメはきわめて少ないが、日本アニメでは女の子が「ヒーロー」として活躍する作品が多い。その中心となるジャンルが「魔法少女アニメ」である。欧米のキリスト教社会では、魔法を使う少女=魔女が伝統的に忌避される傾向があり、それだけ日本アニメの魔法少女ものが日本アニメの特徴のひとつとして際立つし、注目されるのかもしれない。

④ヤングアダルト向けアニメ
海外で製作されテレビで放映されるアニメーションは、ほぼ子供向け、幼児がせいぜい小学生までを対象とする。しかし日本アニメでは、中高生などのヤングアダルト向けの作品が重要な位置を占める。海外で日本のアニメに注目が集まるのは、主としてこうしたヤングアダルト向け作品であり、海外での愛好者もヤングアダルト世代が多い。

以下、⑤「アニメ誕生」では、日本のアニメがまずはデズニーを手本とし、その絶大な影響を受けながら、独自の日本アニメを生み出していく過程が描かれ、⑥「スタジオジぶり」では、アニメ界の「独立国」ジブリの、宮崎駿や高畑勲による日本のアニメ界ではユニークな歩みが語られる。

さて、私の関心は、日本の社会や文化の伝統的なもの特徴が、現代日本のアニメのどのような側面に表れているかを探ることであった。結論から言えば、上に紹介した①~④の特徴はすべて、日本の社会や文化のユニークさに多かれ少なかれ関係していると思われる。すでにこのブログで触れてきたこととも重なるので、それらを紹介しながら次回に見ていこう。そのさい、それぞれのキーワードとなるのは以下である。

①テクノ・アニミズム、②「道」の重視、③母性社会日本、④子どもと大人の区別が曖昧な日本

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マンガ・アニメが呪縛を解く

2013年12月14日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
一ヶ月ほど前に「日本的想像力」の可能性(1)という記事で、宇野常寛氏の『日本文化の論点 (ちくま新書)』という本を紹介した。そこで宇野氏は、「失われた20年」と呼ばれた世紀の変わり目に、戦後的なものの呪縛から解き放たれたもうひとつの日本が生まれ、育ってきていると書いている。それは、サブカルチャーやインターネットといった、新しい領域の世界であり、〈昼の世界〉に比べ陽の当たらない、いわば〈夜の世界〉だという。

「失われた20年」とは、バブル景気が崩壊した翌年の1991年から去年2012年までを指すが、この20年の間に日本人の心のなかに重大な変化が起こったのは確かなようだ。これについては、

『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』

で論じたことがある。

戦後に生まれ育った世代は、「近代合理主義」「進歩」「科学」「未来」「夢」などの価値意識を当然のごとく受け入れ信じていた。社会が近代化するということは、科学技術が進歩し、国民の意識がより民主的で個人主義的な方向に進歩することであった。しかし、1990年のバブル崩壊以降に小学生時代を送った世代(Z世代)は、こうした価値観が溶解するなかで育った。現代の若者にとっては、近代的でないもの、科学では説明できないもの、伝統的なものが新たな魅力を持ち始めたというのだ。その傾向はいくつかのデータで確認できる。

たとえば、過去30年間の調査によると若者の地元志向は強まる傾向にある(1977年には今住んでいる地元が好きだと答えた若者が約3割だったのに対し2007年には約5割に増えている)。これは、地方の若者が東京などの大都市に憧れなくなったということだ。かつて地方から近代的な大都市への若者の出郷は、日本の近代化を象徴する現象だった。だから若者の地元志向が増えるということは、近代化の時代が終わったことを示すのではないかと三浦はいう。詳しくは上に紹介した記事を参照されたい。

「近代合理主義」「進歩」「科学」「未来」「夢」などのに代表される価値観は、戦後はとくにアメリカ的な価値観と重なって意識されていた。西洋的な価値観が、圧倒的な物質文明を誇るアメリカによって代表されていたのだ。しかし、こうした近代的な価値観は、環境破壊問題やバブル崩壊の中で無条件に素朴に信頼すべきものではなくなった。福島原発の事故は、そうした価値観への不信を決定的なものにした。そして逆に、近代的価値観では見落とされたり、軽視されたりしていた伝統的なものや、科学では説明できないものへの関心が復活しつつあるのだ。

この時期と、日本のアニメやマンガに代表されるポップカルチャーが本格的に世界進出していった時期とが重なる。この時期の日本のアニメ事情を、津堅 信之著『日本アニメーションの力―85年の歴史を貫く2つの軸』を参考にみてみよう。

この本では、「アニメブーム」を、新たな様式や作風をもつ作品が現れて、その影響下で多くの作品が量産され、新たな観客層も広げていく現象ととらえている。その上でアニメブームを三期に分類している。

第1次アニメブーム:1960年代
『鉄腕アトム』放送開始をきっかけとして、省力化システムによって日本独自のテレビアニメが続々と制作された。特にSFものが流行。
第2次アニメブーム:1970年代
『ヤマト』から『風の谷のナウシカ』に至る作品の中で、青年層がアニメに熱狂し、アニメ観客層を大幅に拡大した。
第3次アニメブーム:1990年代後半から
『もののけ姫』(1997年)の成功。海外で anime という言葉が一般化し、アニメが日本発の世界的な大衆文化として認識された。

1990年代の前半の日本アニメは、『紅の豚』(宮崎駿監督、1992)や『平成狸合戦ぽんぽこ』(高畑勲監督、1994)などのスタジオ・ジブリ作品が話題になる。この頃から、輸出された日本アニメが、一般的なテレビアニメも含めて、オリジナルなまま公開、放映され、しかも日本作品であることが認識された上で受け入れられるようになったという。その意味でも anime の本格的な世界進出が始まった時代といえよう。

そして1995年は、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』と『新世紀エヴァンゲリオン』という話題作が登場した。しかも『攻殻機動隊』は、1996年8月に、アメリカ「ビルボード」誌のホームビデオ部門のヒットチャートで第一位を獲得したという。この頃からマスコミで「ジャパニメーション」という言葉が盛んに使われはじめた。それと前後して anime という言葉が世界に広がる。この1995年頃に、第3次アニメブームが始まったともいわれる。ちなみに宮崎駿の『もののけ姫』(1997)と並び『千と千尋の神隠し』(2001)も、この時期の作品であり、ともに日本やその伝統や神話に深くかかわる作品であることは象徴的である。とくに後者は、第52回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞や、第75回アカデミー長編アニメ賞受賞などを受賞し、海外で圧倒的な評価を得た。

第1次アニメブームのころから公開、放映され続けた多くのアニメ作品の中で、いつごろから近代的価値観の枠から自由な作品が多くなったか、その時期を明確にいうことはできない。第1次ブームの頃には、『鉄腕アトム』に代表されるような一種の科学信仰が色濃く残っていたのは確かだろう。その後に生み出された多様なアニメ作品のなかで徐々に、1990年のバブル崩壊以降に小学生時代を送った世代(Z世代)の価値観の変化に対応するような作品が多く生み出されていく。逆に、生み出されたアニメ作品が、子供や若者の価値観に影響を与えるという相互作用もあっただろう。『新世紀エヴァンゲリオン』に見られるような、何らかの形で世界が破壊された後を舞台とするようなアニメは、この時期の前後に多く存在し、若い世代に与えるその影響力はかなり大きかっただろう。それは、何らかの形で近代文明への懐疑の心を育てる。

一方で近年、『らき☆すた』や『かみちゅ』に代表されるような「神道ジャンル」とよばれるマンガやアニメが人気になっているのも、若い世代のあいだで日本の伝統的なものが積極的に興味をもたれていることのひとつの証だろう。科学で説明しきれないものや日本の伝統をテーマとした多様なアニメ作品が、続々と生み出されているのだ。これは、「アニメは子どもが見るもの」という縛りの中にとどまっていては、決して起りえなかった現象だろう。

マンガ・アニメ作品と時代の価値観の変化というテーマは、興味尽きないものがある。いずれ本格的に取り組んでみたいと思う。いずれにせよ、1990年代からの最近までの「失われた20年」とは、日本人の価値観に重大な変化が起こった時代であり、それは今も続いている。日本人は今、戦後の呪縛どころか、近代的価値観の呪縛からも自由になりつつある。そして新たな価値観をまさぐりつつあるのだが、その試みは、一方で伝統への回帰という形をとる。西洋のルネサンスは、古代ギリシャへの回帰でもあった。日本人には、縄文時代にまで遡る太古の伝統が受けつがれている。縄文文化に対応する西欧のケルト文化はほぼ消滅してしまった。農耕以前の文明までを視野に入れたまさぐりが、今日本でなかば無意識に行われているのかもしれない。そのようなまさぐりが、もっとも色濃く反映されているのが、マンガ・アニメに代表される、日本のポップカルチャーであり、しかもその影響力が世界に広がっている。そのことの意味は計り知れないものがある。

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日本ポップカルチャーはクリエイティブ?

2013年12月05日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『世界でいちばんユニークなニッポンだからできること 〜僕らの文化外交宣言〜

この本の著者の一人・櫻井氏の「アニメ文化外交」は、世界の様々な地域に及び、報告もされてきたが、アメリカでの活動と報告はこれまでほとんどなかった。しかしこの本では、アメリカでの状況も報告されている。2007年頃から世界を飛び回っていた櫻井氏が、本格的にアメリカに出向いたのは、2010年夏だった。その旅のスタートは、西海岸南端のサンディエゴで開催される「コミコン」から。これは、スパイダーマンなどのアメコミや、スター・ウォーズ、スター・トレックなどのSF映画もの中心のイベントらしく、それらを装ったコスプレイヤーが多いが、若者とくに女子のコスプレで圧倒的に多いのは日本のアニメキャラや初音ミクだったという。ガンダムやけいおん!のフィギュアも大人気であった。

この夏の櫻井氏の全米行脚のメインは、東海岸ボルチモアの「オタコン」へのゲスト参加だった。この年で17回目になる「オタコン」は、日本ポップカルチャー紹介イベントの老舗で、この年の動員数は約3万人とのこと。ここでは、著者が参加してきた世界中の日本ポップカルチャー系イベントの中では、群を抜いてコスプレ率が高く、来談者の半数以上がコスピレイヤーだったらしい。しかもそのキャラクターは、日本一色。

この年のアメリカ訪問での、櫻井氏にとって重要だったもう一つのイベントは、10万人規模で開催されたニューヨーク・アニメ・フェスティバルへの参加だった。ニューヨークでの講演や対話を通して興味深かったのは、接した人々が、ニューヨークを世界の最先端とは思っておらず、むしろ日本や東京を最先端と思っていることだとという。世界中を回って実感していたことを、世界の最先端を行くはずのニューヨークの人々にも感じ、さらに強い印象をもったのだろう。日本は、クリエイティブなジャンルにおいて、日本にしかないものを作り出す国だ。世界中で、日本のポップカルチャーを愛する若者たちがそう思っている。そして、世界の最先端を走っていると誰もが思うニューヨークでも、若者達が日本こそ世界の最先端を行くと感じている。日本人は、それで慢心する必要はないが、世界中でそのように思われているということにもっと自覚的であった方がいい。自己卑下するのではなく、現実の等身大の日本を自覚することが大切なのだ。

さて、日本のポップカルチャーのオリジナリティや創造性は、どこから来るのだろうか。本ブログでは、日本のマンガ・アニメの発信力の理由をいかの視点から考えてきた。これらのすべてが、多かれ少なかれオリジナリティを生み出す源泉になっているといえよう。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが豊かな想像力を刺激し、作品に反映する。

②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の独自性。

③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。

④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想・表現と相対主義的な価値観。

⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。

日本のポップカルチャーについて世界の若者がもっとも評価する点は、その「オリジナリティ」だ。「日本でしか生まれないものを次々に創り出していく」独創性、その独創性のかなめは、「日本のアニメだけが、アニメーションは子どもが観るものという世界の常識を無視して作られている」ことだ。これは5項目でいえば、③に関係が深い。もともと子ども文化と大人文化に断絶がなかったからこそ、マンガ・アニメが大人の表現形式にもなり得たのだ。アメリカのアニメーションの根底に依然として「アニメーションは子どもが観るもの」という常識があるのとは、まさに対照的だ。

この常識、アメリカだけでなく世界の常識を唯一無視してきたのが、日本のアニメだった。日本のアニメは、「子どもが観るもの」という常識を無視して、製作者たちがそこで様々な映像表現の可能性をさぐる場となった。その複雑な世界観やストーリー展開の魅力は、アニメーションで育った世界の若者たちに、乾いた砂に水が浸み込むように自然に受け入れられていった。

「子どもが観るもの」には様々な制約がある。その制約がはじめからなければ、マンガ・アニメという表現の場は、逆に限りなく自由な発想と表現の場になる。実写映画は、登場する生身の人間のリアリティに引きずられて発想と表現に自ずと制限がかかる。マンガ・アニメはその制約がなく、想像の世界は無限だ。その特徴が、上の④「宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想・表現と相対主義的な価値観」という日本文化の性格と重なって、日本アニメの最大の特徴である「多様性」を生み出していったのだ。

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ロシアの若者も熱狂した上坂すみれ

2013年12月01日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『世界でいちばんユニークなニッポンだからできること 〜僕らの文化外交宣言〜

著者・櫻井孝昌氏の何冊かの本についてはこれまでたびたび取り上げてきた。

『日本はアニメで再興する』(1)
『日本はアニメで再興する』(2)
アニメ文化外交 (ちくま新書):YouTubeでのJapan熱を裏付ける本(1)
アニメ文化外交 (ちくま新書):YouTubeでのJapan熱を裏付ける本(2)
「カワイイ」文化について
世界カワイイ革命 (1)
世界カワイイ革命(2)
マンガ・アニメの発信力:「かわいい」文化の威力

出版される度に取り上げるのは、アニメ・マンガが世界にどのように広がっているか、その現場からのなまのレポートとして貴重だからだ。今回取り上げる上の本も、その最新のレポートとしての意味合いもある。今回は、著者の単著ではなく、声優・上坂すみれとの共著である。

彼女のことは、この本ではじめて知ったが、櫻井氏との因縁浅からざるものがあるようだ。というよりも、日本のマンガやアニメがロシアで熱狂的に受け入れられる今、声優・上坂すみれの出現はたんなる偶然とも思えない。なぜなら彼女は、高校生の頃からのソ連・ロシアおたくで、現在上智大学のロシア語学科に在籍する学生でもあるからだ。11月23日・24日にはモスクワの日本フェスティバルで熱唱したばかりだ。ツイッターでその記事を紹介しておいたので参照されたい。



彼女へのインタビューのいくつかを紹介しよう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ―ライブを終えた手応えは。

 私の拙いロシア語を聞いてくれて、すごい歓声をくれて、とにかく「うれしい」としか言えない。そもそも歌が日本語だし、歌も私も知らない人もたくさんいるだろうから、本当にみんな聞いてくれるかどうかけっこう不安だった。でも、日本から来たファンがペンライトを配ってくれてうれしくて、ロシア人が楽しそうに振っているのを見ると、これからロシアでペンライトが人気になるんじゃないかなと。いつかモスクワ「赤の広場」で歌い、ロシア人がペンライトを振ってくれたらいいな。いけますかね(笑)。それが夢になりました。

 ―ロシア各地からファンが来ていた。

 ライブ後に写真を撮ったり、サインを書いたり。モスクワから離れた都市から来た人もいて、私のサインで喜んでくれたり、「ツイッターを見ています」「写真を見ています」「歌を聞いています」と言ってくれたりするのに本当にびっくりした。


 ―自分を一言で説明すると?

 私はロシアも好きだし、そうじゃない要素も入っているので、一つの形容詞には決め難い。でも強いて言えば、ロシア、ソ連、ロリータ・ファッション、サブカルチャー、ミリタリーなど。きっと日本の声優の中では、ロシアが一番好きなのは私だと思う。これから日本にロシアの良さを広め、ロシア人が日本を待っているということを広め、自分もロシア語を勉強していく。大学卒業後もロシア語を勉強して、今度はロシア語だけでトークを展開するライブができるよう頑張りたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、紹介した上の本は、彼女と櫻井氏が交互に各章を書く構成になっており、当然ロシアのマンガ・アニメファンの現況を語る部分も多い。ロシアの若者の、日本のアニメやマンガに対する知識量が半端でないことは、彼女も強く実感しているようだ。櫻井氏は、極端に言えば、日本とロシアの関係が、モスクワの若者からの日本への片思いのような状況になっているという。

2010年にモスクワで行われた「ジャパン・ポップカルチャー・フェスティバル」(今回、上坂すみれが出演したJ-FESTの前身)では、ロシアで初上映になった『エヴァンゲリオン新劇場版:破』を見るため、氷点下の中、最前列は5時間も前から若者達が並んでいた様子は、以前の本でも紹介されていた。他にも、オーディションで選ばれた一般のロシア人女子が、原宿ファッションの人気ブランドを着こなす「原宿ファッションショー」の熱狂ぶりや、劇場版『涼宮ハルヒの消失』上映後の、絶賛の声の嵐など。この映画の複雑な世界観もすんなり受け入れて楽しめるほど、ロシアの若者も日本のアニメで育ってきたのだ。

初音ミクも間違いなくロシアに浸透しているといいう。ロシアだけでなく世界中のコスプレやアニメのイベントに行くと、現在もっとも多いのは、初音ミクなどボーカロイドのキャラクターのコスプレイヤーだという。初音ミクは日本語だからよいという膨大な数の若者が世界中で増えている事実があるようだ。櫻井氏は、「アニメが日本語を世界に広めたように、初音ミクの存在が日本の歌全体に対する関心の先がけになっている可能性はきわめて高い」という。

海外で、日本に関心の高い女子たちに人気の高いジャンルは「ビジュアル系」だという。モスクワのある女子は、男のものだったロックの魅力を女子に教えてくれたのが日本のビジュアル系だと語った。ともあれ日本語を話せないロシアの女の子が、日本語で歌える歌がいくつもあるというのだ。ロシアの女子が日本の歌を日本語で歌うのは、いわば「日常」になっているという。ロシアの若者にとって日本がどれほど特別な国になっているか、多くの日本人は知らない。

そんな中で上坂すみれが出現し、櫻井氏との協力のもと先月、モスクワに乗り込んだ。そしてロシア語で語りかけながら日本のアニメソングを歌った。彼女のアニメやロリータファッションへの愛は半端ではないが、ロシアへの愛も半端ではない。それがロシア人に伝わらないはずはない。この二つの要素が、彼女とロシアの間でどんなケミストリーを生み出すか、今後が楽しみだ。ロシアの若者たちからの、日本のポップカルチャーへの一方的な愛が、上坂すみれの出現を触媒にしてどんな新たな反応を示していくか、今後じっくり見守っていきたいと思う。

ちなみに下の動画でも、私が読めないロシア語のコメントがかなり多い。

上坂すみれ「七つの海よりキミの海」



AKB48が意味すること:「日本的想像力」の可能性(4)

2013年10月23日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『日本文化の論点 (ちくま新書)

著者によれば、現代の情報社会では一人の天才の仕事よりも、100人の凡才の部分的な才能を集約化した仕事の方が精度が高く、クリエイティブなものを残しやすくなっているという(集合知)。その代表が初音ミクやニコニコ動画であり、その象徴がAKB48である。とすれば、前回見たような日本社会の特質、「権威や権力を尊重せず、知的エリートにコントロールされることを嫌う平均的に知的レベルの高い巨大な大衆が存在する社会」は、情報社会がもっている潜在的な創造性を、より大きく開花させることのできる社会なのかもしれない。

現に著者は、政治や経済といった昼の世界に対し、陽の当たることのない夜の世界、すなわち、日本のインターネット環境やサブカルチャーの世界に、今後の日本の可能性を見ている。ここ数十年、この陽の当たらない世界では、異様なまでの生成・進化が絶え間なくなく起こってきた。誰も発想しなかったような多様で数奇なアイディアと創造性が渦巻いていた。それは、日本社会の片隅、周辺領域にすぎないが、この夜の世界にこそ日本の希望がある。そこで生まれてきたアイディアや技術が、この国を変えていく手がかりになる可能性がある。

マスメディアは、中心から周辺へ情報を一方的に発信し、一点に関心を集めることで個と社会を結び付けてきた。しかし複雑化し多様化した社会は、そのようなマスメディアの回路では対応しきれなくなった。したがって21世紀は、ポストマスメディアすなわちソーシャルメディア的なものに支えられた社会を考えなければならない。テレビなどのマスメディアによって成立した国民的娯楽の象徴がプロ野球だったとするなら、ポストマスメディアの時代のそれに当たるのは何か。著者は、それに当たるもっとも近い例としてAKB48が考えられるという。

これまで国民的興行は、マスメディアを通じてしか形成できなかったが、AKB48はマスメディアに依存せず、現場+ソーシャルメディアで国民的な興行をなしえた最初の文化現象だ。他にコミックマーケットやニコニコ動画が、やはりマスメディアとは切り離された世界で巨大な動員力をもつ。

当初、AKB48の選抜メンバーは秋元康が専制的に選抜メンバーを選んでいたということだが、やがて「運営側が一方的に選抜メンバーを決定するのはおかしい」、「もっとフェアに」という声がファンに広がり、その声を抑えきれなくなって、今の選抜総選挙という形が生まれたという。

ここでは、未完成のものを応援することでレベルを上げていくという、ファン参加型のゲームが成立している。これは、最初から完成されたものを受け取るだけの文化とは決定的に違う。たとえば西洋のプロフェッショナルリズムをアジアががんばって輸入し学んで、完成度の高いものを送り出すというシステムとは、楽しみ方の大元が違う。初めから完成度の高いものが登場してしまったら、ファンは楽しめないのだ。

現在AKB48は、JKT48、SNH48を結成し、アジア諸国への進出を試みる。アジア諸国では、はたして未完成なものに消費者が参加し、手を加えることで楽しみを生み出す参加型(ゲーム型)の文化運動はどこまで受容されるか。すでに述べたようにこの本での著者の主張は、「日本的想像力はソフトウェアを輸出するだけでは世界に拡大しない。ハードウェアを輸出し、日本的な楽しみ方、消費環境を定着させることではじめて輸出できる」というものであった。そして、AKB48の海外展開は、まさに日本的想像力の普遍性を問うものになる。21世紀の日本文化のゆくえを象徴する論点がここに存在するという。

ここでいう日本文化のゆくえへの問いは、著者が本の最初に提示した、現代の日本的想像力が21世紀のスタンダードな「原理」になり得るかどうかとという問いに関係している。

著者は、これから先の世界では、「日本のような」国が増えていく、すなわちキリスト教的な文化基盤もなければ、西欧的な市民社会の伝統もない、にもかかわらず民主主義を実現させ消費社会を謳歌する「日本のような」社会がアジアを中心に拡大するから、日本的想像力が世界に広がっていくと考えているようだ。

しかし、「日本のような」国は、一面で日本のようでありながら、多面で日本のようではありえない。私が、「日本的想像力」が成り立つ空間がどのような日本的伝統に根ざして形成されたかを強調したのは、アジア諸国の、「日本のよう」でありながら「日本のようではありえない」側面を際立たせたかったからだ。確かにキリスト教的、西欧的な伝統をもたなくとも、民族相互の闘争や西洋による植民地化を経験してきた国も多い。宗教的なものの束縛や格差も、日本よりかなり大きな国が多い。「日本的想像力」空間が生まれるのに、日本文化のユニークさ8項目が、多かれ少なかれすべて関係しているとすれば、現代の日本的想像力が、21世紀のスタンダードな「原理」になることはそれほど容易なこととは思えない。

ただし、西欧とはまったく異質な歴史と伝統をもつ日本が、西欧的な近代文明の原理をいち早く学んで近代化を成し遂げることが出来たように、「日本的想像力」が他国に受け入れられていくことは、まったくあり得ないことではない。おそらくそれは「日本的想像力」が、学んで受け入れたいと思わせるだけの強い輝きを放っているかどうかにかかっているだろう。