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マンガ・アニメの発信力と日本文化(4)相対主義(続き)

2010年12月21日 | マンガ・アニメの発信力の理由
マンガ・アニメの発信力の理由、5項目のうち④番目の「宗教的タブーのない自由な発想と表現、相対主義的な価値観の魅力」が、日本文化のユニークさ四項目とどうかかわるかを見ていこう。

なお日本アニメの相対主義的な価値観を表す代表的な作品に宮崎駿の『もののけ姫 』があるだろう。この作品がもっている文明観の深さについては『宮崎アニメの暗号 (新潮新書)』を紹介しながら簡単に触れた。(マンガ・アニメの発信力の理由03)

えみし(縄文人の末裔といわれる)の村のアシタカは、タタリガミに呪われた己の運命を見定めるため、西を目指して旅立つ。旅先で彼は、森を切り拓いて鉄を作るタタラの民とその長エボシや、森の山犬のとともに生きる少女サンに出会う。エボシたちは、生きていくためにシシ神の森を切り拓き、シシ神を殺そうとする。ヒロインのサンにとっては宿敵だが、一方でエボシは、女達や不治の病に苦しむ人々に生きる場を与え、頼りにされる指導者だ。ここには、単純に善や悪では割り切れない、人間の営みと、それによって失われていくものへの深刻な問いかけがある。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

縄文時代以来、日本人の心の中に無自覚に生き続けるアニミズム的、多神教的な心性が、日本人の相対主義的なものの見方の基盤となっている。

砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない男性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。西洋のような一神教を中心とした文化は、多神教文化に比して排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。排除の上に成り立つ統合は、平板で脆いものになりやすい。

縄文的な心性を受け継ぐ日本神話では、対立する極のどちらか一方が完全に優位を獲得し切ることはなく、一見優勢に見えても、かならず他方を潜在的に含んでおり、直後にカウンターバランスされる可能性を持つ。例えばアマテラスとスサノオの関係は、どちらかを一方的に善か悪に決めつけることができない。スサノオが天上のアマテラスを訪ねたとき、彼が国を奪いにきたと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るための誓いではスサノオが勝つ。その乱暴によって天界を追われたスサノオは抹殺されるどころか文化英雄となって出雲で活躍する。この二つの極は、どちらとも完全に善か悪かに規定されず、適当なゆり戻しによってバランスが回復される。(河合隼雄『中空構造日本の深層 (中公文庫)』参照)

このような相対的な価値観が、現代のマンガ・アニメにも受け継がれ、世界に発信されるメッセージのひとつとなっている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

牧畜文化が流入せず、遊牧民族との接触がほとんどなかったことが、また縄文人の心性が日本文化の深層に流れ続けた、一つの理由になっている。その結果、キリスト教の流入も拒まれ、自然崇拝的、相対主義的な世界観が伝統となり、マンガやアニメの世界観の背景になっていった。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

島国であり、ユーラシア大陸から適度が距離で離れているため、大陸の諸民族からの攻撃や虐殺、暴力的な支配をほとんど経験しなかった。それで、大陸の文化のうち自分たちに合う要素を抵抗感なく自由に取り入れ、自分のものにすることができた。かつては中国やインドから、近現代ではヨーロッパやアメリカから。日本人同士の紛争は多く経験しているが、同じ民族同士の戦争なら価値観を変える必要はない。しかし相手が異民族であれば、自民族こそが正義であり、優秀であり、あるいは神に支持されているなどを立証しなければならない。自分にとって都合のよい「普遍的な価値観」によって戦いを合理化しなければならないのだ。

他民族との戦争を通して、部族の神は、自民族だけではなく世界を支配する正義の神となる。武力による戦いとともに、正義の神相互の殺し合い、押し付け合いが行なわれる。社会は、異民族との戦争によってこそイデオロギー的になる。

ところが日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったために、西洋的な意味での神も、イデオロギーも必要としなかった。イデオロギーなしに自然発生的な村とか共同体に安住することができた。昭和の一時期を除いて、強力なイデオロギーによる文化の一元支配が、長い歴史のなかでほとんどなかったから、多様な文化アイテムを外国から自由に吸収し、並存させることができた。その、一元的にしばられない何でもありのごった煮のような状態から、自由な発想や組み合わせが生まれてくるのではないだろうか。(G・クラーク『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』参照)

(4)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

西洋人は、そしてユーラシア大陸の多くの民族も、宗教やイデオロギーのような原理・原則の方が優れていると思っている。ところが日本は強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築なしに、村的な共同体から逸脱しないで、それをかなり洗練させる形で、大きくしかも安定した、高度な産業社会を作り上げてしまった。イデオロギー的な宗教支配なくして、とくにキリスト教なくして、キリスト教から派生したはずの近代国家を形成したということ、農耕文明以前の、自然崇拝的な精神を基盤としたまま高度産業社会を発展させたということ。この事実は、文明史的な観点からいってもきわめて特異なことだろう。その特異さは、文化的な観点からいってもきわだっている。宗教などによる一元的な価値観の支配なくして高度に現代的な社会を営み、しかも世界のあらゆる文化的アイテムを相対化して自由に使いこなしながら、相対主義的な価値観にたった作品を次々の生み出してく。

一元的な宗教を基盤とし、多少なりともハードな統合性をもった文化から見ると、日本のポップカルチャーはどこか無原則的に見えだろう。その何でもありの柔軟性や融合性に、自分たちがよって立つ文明原理を根底から揺さぶり動かされるような衝撃と、同時に魅力を感じるのかもしれない。たとえその衝撃がどこから来るのかい無自覚であるとしても。

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