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長い平等の時代:縄文文明の原理03

2013年02月11日 | 現代に生きる縄文
(昨日、未完成のまま気づかに記事をアップしてしまったことをお詫びします。)

引き続き、安田善憲の『縄文文明の環境 (歴史文化ライブラリー)』を取上げながら、日本文化のユニークさ8項目の1項目目と触れ合う部分を中心に検討していきたい。今回は、この本で、縄文文明の原理のひとつに挙げている「②平等主義に立脚した社会制度を有していた」についてである。

縄文時代は戦争などによる集団殺戮がほとんどなかった。それは縄文時代が平等主義に立脚した社会だったからである。三内丸山遺跡から整然とならべられた墓がいくつも発見されたが、大小の差はほどんどなく副葬品にも差がなかった。縄文文化は、土器と貝や骨の装飾品、魚や動物を捕獲するための石製品はあるが、金属器をもたない。そして、どこの博物館にも人を殺すための武器は見つからない。人が集団で人を殺し合うことがめったにない世界が1万年以上続いたのである。

戦争がなかったのは、縄文時代がおおむね平等な社会だったからだ。エジプトやメソポタミアのように、巨大な権力をもった王は現れなかった。たしかに縄文中期以降は、階級差を示唆するものも存在するが、巨大権力が生まれなかったのは、階級社会の装置を文明原理に取り入れない、平等性を保つ何らかの独自の社会制度があったものとみなされる。生産物の貯蓄が容易なため貧富や階級差が生まれやすい穀物農業を受容することを回避する何らかの力が働いていたのであろう。

実際に、縄文時代終末期になるまでと稲作は定着しなかった。それはなぜか。第一に、ドングリやクリあるいは豊かな海の幸、そしてイノシシやシカなどに依存する社会が、稲作を必要としないほどに豊かだった。第二に、稲作をもたらした人々が、当初の段階ではきわめて少数であり、コロニーを作って稲作を行うほどの力がなかった。第三に、女性中心が重要な役割を担い、男性の指導性に依存しない縄文社会にあっては、男性指導型の稲作を実施に移すのが困難であったなど。

問題は、1万数千年も続いた、ほとんど階級差のない平等な社会であった縄文社会の影響が、現代にまでどのように続いたかということである。この問いは、縄文文化の他の要素、自然への畏敬を基礎とする宗教的な心性や母性原理の文化が、なぜ現代にまで影響を与えたかという問いと重なる。これらと合わせて、追ってまとめて考えてみたい。

とりあえず、これまでに書いてきた記事をもとに、かんたんにまとめると以下のようになるだろう。

①縄文時代から弥生時代への移行が、弥生人による縄文人の征服、縄文文化の圧殺という形で行われたのではなく、両者の融合というかたちで進んだので、縄文文化が濃厚に引き継がれたということ。→日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

②日本列島は、国土の大半が山林地帯だ。水田稲作の長い歴史があるが、その特徴は狭小な平野や山間の盆地などでほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきたことだ。つまり巨大な権力やそのイデオロギーによって縄文時代以来のアニミズム的心性や平等主義、母性原理の文化が圧殺されにくかったということ。→日本文化のユニークさ22:宗教的一元支配がなかった(2)

③大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。そのため、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかく、縄文時代以来の、自然への畏敬と生命の再生と循環の思想を基にする文化が生残ったのである。

大切なことは、世界のほとんどの地域で失われてしまった、農耕文明以前の森の文化が、暴力的な圧殺を免れて生残ったのは、ほとんど奇跡に近いような稀なことだということである。それは、奈良・平安から江戸時代へと至る長い日本の歴史のなかできわめて洗練されていった。しかも、高度に文明化されたハイテクノロジーの社会の基盤にそれが流れているのである。私たちは、そのユニークさをこれまでほとんど自覚してこなかったが、今こそしっかりと自覚すべきときだろう。

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《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

土器とヘビ:縄文文明の原理02

2013年02月09日 | 現代に生きる縄文
引き続き、安田善憲の『縄文文明の環境 (歴史文化ライブラリー)』を取上げながら、日本文化のユニークさ8項目の1項目目と触れ合う部分を中心に検討していきたい。1項目目は次のようなものであった。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

現代まで消滅せずに日本人のあり方の基層となっている縄文文化の記憶とは何だろうか。それは第一に、豊かな森と海に恵まれた自然の中で育まれた、自然への畏敬を基礎とする宗教的な心性であろう。それが多少とも現代にまで引き継がれている。第二には、農耕の発達にともなう階級の形成や、巨大権力による統治を知らない平等な社会が1万数千年も続いたことが、現代日本人の平等意識にまで何かしら影響を与えたのではないかということである。第三には、豊かな自然の恵みを母なる自然の恵みとみなす母性原理の心性である。これは「日本文化のユニークさ」の1項目目に基礎をおくが、母性原理の文化は、現代日本文化のかなり大きな特徴にもなっているので2項目として独立させた。

さて、第一点目から見ていこう。安田氏の本では、縄文文明の原理の6番目として次のように述べられている。

⑥あらゆる生命の中に人間の力を越えた存在を感じるアニミズムあるいはトーテミズムの世界観を一貫して持ちつづけ、宗教や呪術を重視し欲望を抑制し自然と共生する文明の装置と制度系を有していた。

自然崇拝的・アニミズム的な世界観は、縄文文明の原理の1番目、「狩猟・漁撈・採集活動を生業の基本とした、森の資源、海の資源を極限にまで利用する技術を発展させ、自然=人間循環系の文明原理を有していた」という縄文人のあり方と分けて考えることはできない。

さらに、縄文文明の原理の4番目として挙げられた「土器づくりへの異常なほどに執着」も、縄文的な世界観を深く物語っている。縄文人は、土器を使用することで森と海の資源を変化に富む食料として口にすることができた。しかし縄文人の土器づくりは、調理具としての意味だけではなく、呪術性をもった宗教色の強い意味合いをもっていた。土器づくりは祈りをこめた宗教的なな行為でもあった。土器づくりに宗教的な意味をこめる文明は、西アジアの麦作農耕地帯ではまれだという。

氷河期が終り、1万3000年前から気候が温暖化し湿潤化すると、乾燥した草原はしだいに縮小し、森が拡大し始めた。日本列島は周囲を海に囲まれた海洋性の気候であったため、他の地域に先がけてブナ・ナラ・クリなどの温帯の落葉樹の森が拡大していったという。土器は森の幸(木の実、山菜、シカ、イノシシなど)や海の魚介類をごった煮する道具として生まれた。それは森や大地や川や海の恵みを加工し食するために、なくてはならない道具だった。そのような自然の恵みへの感謝と畏敬の念が、土器づくりにも込められたからこそ縄文土器独特の意匠が生まれたのだろう。

安田氏は、縄文土器の縄文は雄と雌のヘビが交わる姿を表すという。ヘビがしめ縄のようにからまりあい、長時間交わり合う性のエネルギーの中に、縄文人は自然神の存在と生命への畏敬の念を感じたのだという。そしてヘビの脱皮は生命の再生と循環という、縄文人の世界観を体現していたのである。ヘビは大地と森の主であり、土器づくりにヘビへの畏敬の念を込めることが、大地と森の恵みに感謝と豊饒を祈ることにもつながっていたのである。しめ縄は、このようなヘビ信仰と密接に結びついているも言われる。

このような自然崇拝やアニミズム的な心性が、消えてしまわずに現代にまで多かれ少なかれ引き継がれていったのはなぜか。この点については、これまで不充分ながらある程度は触れてきた。以下を参照されたい。

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環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

縄文文明の原理01

2013年02月05日 | 現代に生きる縄文
前回までで日本文化のユニークさ8項目に従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業は終了し、さらに、これまでマンガやアニメなど日本のポップカルチャーについて発言した記事を集約・整理する作業も終わったことになる。今後はまた、そのつど読んだ関連本に刺激されて書いたり、折に触れて気づいたことを書いていくことになる。

今回は、久しぶりに縄文文化に触れる。日本文化のユニークさ8項目でいえば、次に関係する。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

これまでに無数の日本人論や日本文化論が書かれてきたが、その主張を縄文文化にまでさかのぼって基礎づけているものは意外と少ない。しかし日本列島に1万数千年も続いた縄文時代が、その後の日本の社会や文化に与えた影響はかなり大きいと思われる。縄文文化の影響を視野にいれながら日本人論・日本文化論を読み直すことはきわめて重要なことだ。

その作業が重要であるひとつの理由は、縄文文化という農耕文明以前の文化が消滅せずに、高度文明社会に生きる現代人の心の基層に息づいていることは世界史の流れの中でもきわめてまれなことで、それ自体が日本文化のユニークさをなすひとつの要因だからだ。この事実の重要さは、私たちが想像する以上に大きいのかも知しれない。いずれこの点にしぼってまとめてみたいと思う。

さて、今回は、安田善憲の『縄文文明の環境 (歴史文化ライブラリー)』を取上げながら、上に示した1番目の項目を考えていきたい。

本のタイトルからもわかるように著者は、縄文「文明」と呼ぶことを主張する。これには批判もあったようだが、著者は、文明の概念を変えるべきだという。縄文文化は、国家や都市あるいは金属という従来の「文明」の要素はたしかに持たない。しかし、1万3000年前に日本列島に成立した温帯の落葉広葉樹林の生態系に適応した技術・永続的な固有の装置・制度系・組織化された生活システムと精神世界が、縄文時代には確立していた。そうした自然=人間の循環系のシステムをこそ「文明」と呼ぶべきではないかというのだ。

その上で「縄文文明の原理」というべき、以下のような8点を指摘する。

①狩猟・漁撈・採集活動を生業の基本とした、森の資源、海の資源を極限にまで利用する技術を発展させ、事前=人間循環系の文明原理を有していた。

②平等主義に立脚した社会制度を有していた。

③おそらく縄文語は存在しただろうが、文明の情報伝達手段としての文字は持たなかった。ただし、文字にかわる何らかの情報伝達手段・情報交換のネットワークが形成された可能性はある。

④土器づくりに異常なほどに執着し、縄文土器は、組織化され制度化された美的伝統・知的伝統が存在したことを示している。

⑤土偶に示されるように、女性中心の文明原理に立脚していた。

⑥あらゆる生命の中に人間の力を越えた存在を感じるアニミズムあるいはトーテミズムの世界観を一貫して持ちつづけ、宗教や呪術を重視し欲望を抑制し自然と共生する文明の装置と制度系を有していた。

⑦大陸の北方と南方から伝搬する文化や文明の要素を、日本列島の中でうまく融合させ、先進性の高い技術を発展させた。

⑧大規模な巨木建築にみられるように、大規模な木造建築の文明装置を作り出す技術が存在した。(三内丸山遺跡、真脇遺跡など)

このような文明原理のいくつかは、現代日本人の心や文化にまで影響を及ぼしていることは、これまでにも何度も触れてきた。次回は、この本での各項目についての考察に触れながら、「現代に生きる縄文」という観点を中心にみていきたい。

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日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理


《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
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環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
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