クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

クールジャパン関連図書の一覧(2)

2009年09月19日 | coolJapan関連本のレビュー
★『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る
この本は、『文藝春秋・特別版』平成18年8月臨時増刊号の中の特集「私は日本のここが好き!」で、この中でそれぞれ日本のよさを語った外国人52人に、さらに2人へのインタビューを加えて一冊の本にしたものだ。日本人がもっている良さを自覚し、それを持続していくことの大切さをつくづく感じさせる本だ。

★『格差社会論はウソである
この本のタイトルは刺激的だが、けっして現実にある格差を容認しようとする議論ではない。痛ましい現実に正面から立ち向かおうしない言葉だけの格差社会論は論外だが、統計資料などの根拠を示さず、日本の社会を否定的、悲観的にばかり見るのは危険だといっているのだ。マスコミによって暗い情報ばかり与えられていると見えにくいが、日本は今、困難な状況を克服してすばらしい国をつくっていくのにきわめて有利な立場にあるとし、それをしっかりとしたデータに基づいて主張している。この本でいちばん面白かったのは、日本のポップカルチャーが今世界に広がっている理由を日本の社会のユニークさ(知的な格差の少なさ)から論じている部分であった。

★『日本の曖昧力 (PHP新書)
著者、呉善花の「日本文化論」のほど、ながい歴史的なスパンの中でその特質を論じたものはないのではないか。欧米との比較ではなく、中国や彼女の出身国である韓国と比較することで、日本文化の特色を説得力をもって語ることに成功している。そして何よりも魅力なのは、日本のポップカルチャーが世界で受け入れられる理由を、縄文文化という歴史の根っこにさかのぼることで見事に解き明かしていることだ。日本のアニメやマンガの魅力をこのような歴史と文化の視点から主張した議論はこれまでなかったように思う。

★『アニメ文化外交 (ちくま新書)
著者は櫻井孝昌。コンテンツメディアプロデューサーという肩書きで、日本のアニメやファッションが世界の中でどのような位置を占め、外交上どのような意義があるかを研究しているという。また、世界中で「アニメ文化外交」講演を行っており、本書は各国で行った講演を通して、世界に日本のアニメがどのように受け入れられているかを、じかに肌で感じ取った最新のレポートになっている。

★『人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
町田宗鳳はこの本で、縄文文化もそうであったような「多神教的コスモロジー」の復活に、一神教文明行きづまりを打破する重要な意味があるかも知れないと主張する。私は、その多神教的世界観が、日本のアニメやマンガに、たとえ無自覚的にせよ、かなり反映されているのではないかと思っている。

★『日本の「世界商品」力 (集英社新書)
世界が、日本のサブカルチャーに魅せられ、日本が想像する以上にクールジャパン現象が広がっている。アニメ、マンガ、ゲームや映画だけでなく、商品のデザインのセンスのよさ、さらに歌舞伎などの伝統文化の華麗さ、優雅さにも関心が強まっている。クールという言葉を広く、上品、上等といった視点で見ると、日本には上質、上等な文化的産業や、商品がきわめて多い。こうした日本の産業がめざす次のターゲットは、世界中の中流層の人々にマッチしたクール製品を提供することにあるのではないか。著者・嶌信彦は、それらがこれからの日本経済の成長エンジンとなる可能性があるとし、成長戦略としてのプレゼンテーションを、本書で試みている。

★『ウォーター・マネー「水資源大国」日本の逆襲 (Kobunsha Paperbacks123)<imgsrc="https://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ishiinbr-22&l=as2&o=9&a=4334934420" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;">』
日本の水関連技術は、きわめてハイレベルで、世界リードしており、世界の水危機を救う可能性を秘めている。その「水テクパワー」は、世界が強く求める不可欠のものなので、水技術で、石油や食糧との取引おこなうこともありうる。ここから日本の逆襲がはじまるだろう、というのが著者の主張だ。

★『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命
ジャパナメリカ」は、もちろん日本のポップカルチャーが、アメリカに影響を与えている現代の状況を表現する造語である。本書の目的は、海外の人々が日本文化に心酔するジャパノフィリアと呼ぶもの(このブログでクールジャパン現象といっているもの)がどうして起ったのか、その原因を探ることである。

クールジャパン関連図書の一覧(1)

2009年09月16日 | coolJapan関連本のレビュー
これまでに、このブログで取り上げたクールジャパン関連本の一覧を作ってみました。取り上げた本を、取り上げた順に並べただけですが、紹介した時の文章から数行抜き出した文をそえておきました。これは、その(1)ということで、そのうち続編を出す予定です。

★『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』(中村知哉、小野打恵編著,日本経済新聞社2006年)
スタンフォード日本研究センター所長の中村知哉氏らが、「日本ポップカルチャー委員会」なる産学官コミュニティで4年にわたる議論をつみあげ、その成果に基づいて分担執筆した本。日本のポップカルチャーの現状と影響力を非常に広い視野からとらえた貴重な本だ。

★『数年後に起きていること―日本の「反撃力」が世界を変える』(日下公人著、PHP、2006年)
日本のアニメ・マンガが急速に世界中に広がり、そこに込められている日本的な生き方・考え方(日本精神)が、国境を超えて広がりつつあるという。ちょうと古代のギリシャ、ローマが、法律、思想、生活文化を輸出することで、国境の外に「ギリシャ、ローマ圏」を持っていたのと同じようなことを、今の日本のマンガ・アニメが行っている。

★『世界が認めた和食の知恵―マクロビオティック物語 (新潮新書)』(持田鋼一郎著、新潮社、2005年)アメリカと世界の和食ブームのきっかけを作った一人・久司道夫の世界での活躍や、日本古来の食の知恵を生かした食養法・マクロビオティックの考え方を紹介する。

★『日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書)
ノーベル賞という話題を通して、日本が非西欧世界の中でかなり特殊な位置にあることが明らかにされる。今、世界では先端的な科学研究が推進されている場は、北米大陸とヨーロッパに限られる。それは、科学分野のノーベル賞でどの国の授賞者が多いかを見れば一目瞭然だろう。それに対するきわめて少ない例外が、日本やオーストラリア、そしてイスラエルなのである。その中でも日本は、「自国で生まれ、自国語で世界最高度の教育を受けた科学者が、内外で世界をリードする研究を進めている」非常に例外的な国だという。

★『あと3年で、世界は江戸になる!-新「風流」経済学
平和と繁栄が長く続く国の典型は、江戸時代と今の日本であるという。江戸時代と、ここ50年ほどに日本が築いてきた文化は、世界に受け入れられる普遍性がある。江戸時代に創造され流行した文化は現在に受け継がれ、そして世界の人々が憧れるものとなった。寿司、天ぷら、サムライ文化、和服などがそうだ。が、それだけではなく、現代日本のマンガやアニメ、JPOPなどにも、日本の伝統的な精神が反映され、それが世界に受け入れられている。

★『「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート (生活人新書)
「ニッポン」社会入門というタイトルは、一見堅そうだが、サブタイトルからも分かるように、イギリス人記者のユーモア溢れる日本観察エッセイである。ちょっと皮肉っぽい、しかし新鮮な目で日本人を観察し、私たち日本人も「そうかも知れない」と思わず苦笑いする‥‥そんな文章もある。しかし、日本と日本人への共感に溢れた温かい文章も多い。私たちの知らない日本の魅力がこんなところにもあったのかと沢山の発見ができる本でもある。笑いながら、一気に読み通すことのできる面白さだ。
 
★『上品で美しい国家―日本人の伝統と美意識
伊藤洋一氏と日下公人氏との対話。日本の文化が庶民文化だからこそ、世界を席巻するという。たとえば歌舞伎は、江戸初期に貧しい芸人がやっていた町人の娯楽が人気となり、それが急速に地位が上がって、今では伝統と格式の代表のようになっている。料理でも、フランス料理や中国料理は宮廷料理として発展したが、日本料理は完全に庶民のものだ。たとえば寿司や天ぷらは、江戸の街角で職人が食べていた。寿司は当時のファーストフードだったのが、いつの間にか高級料理となって世界に広がった。カラオケも庶民の娯楽だが、これがひろがり始めた1970年代ごろから世界の「日本化」が始まったのではないか。
 
★『カウンターから日本が見える 板前文化論の冒険 (新潮新書)
カウンターでは、食べる人とつくる人が目と鼻の先にいて会話しながら料理をつくる。カウンターを挟んでの料理人と客の関係はいつも対等で、客がえばって失礼な態度をとると追い出されたたりする。またカウンターでは、料理人とそこに居合わせた見ず知らずの客たちが一体となって会話を楽しんだりする。こういう平等性や否権威性が、日本の庶民文化の底に流れているという。著者・伊藤洋一氏は、こういう日本独特のカウンターの店の特徴を「基本的に上座下座がない」、「形状は閉じているが、座る人間の関係は、店と客、客同士を含めてきわめてフラットだ」、「面と向かって座るテーブル席より場の雰囲気がほぐれる」、「常に情報の宝庫である」、「店と客のバトルの場でもある」などから捉えて、そこから日本文化の特質を描くことに成功している。

子供観の違いとアニメ

2009年09月13日 | マンガ・アニメの発信力の理由

8月28日付けの「ジャパナメリカ03」という記事に、pkさんから興味深いコメントをつけていただいた。
(ミラーブログhttp://cooljp.jugem.jp/の方のコメント欄です。)本質を突いたコメントだと思われ、コメント欄であまり人目に触れないのはもったいないので、ここでその文章を紹介しながら、私の応答も入れていきたい。

「日本のアニメと西欧のアニメは何が違うのか。たぶん、メインターゲットの「子供(未成年)」に対するスタンスの違いがかなり大きいからじゃないかな。


西欧では、子供は未完成な人間であって、教え導かなければいけない動物のようなモノ。洗礼を経て、教育で知性と理性を磨くことで、初めて一人前の「人間」に成ると考えているっぽい。」


子供観の違いというものは、かなり決定的だと私も思います。背後には、キリスト教とギリシア以来の哲学からくる人間観があるのでしょうね。幼児は、heやsheではなくてitで指すというものそういう人間観から来るのでしょう。理性をもってはじめて完全な人間であり、子どもはその意味で「人間になる途上の不完全な存在」という子供観ですね。


もうひとつ言うと、ヨーロッパ・ユーラシア的な文明の根底には、家畜・穀物文化がある。日本に、ヨーロッパ・ユーラシアに見られるような大掛かりな家畜文化を知らない。大陸の文明は、家畜を支配化において人間の手でコントロールすることを不可欠としていた。子どもも、理性と判断力をもった完全な大人になるまでは、大人に支配されコントロールされる対象と見なされる。そういう傾向が強いのだろうと思います。


大陸では、家畜・穀物文化が基盤をなしていたけれど、それに対して日本は魚介・穀物文化といわれる。魚介類は、あるものを捕るだけで、家畜のようにそれを制御して支配することはない。だから日本には、動物を去勢して飼いならすという文化も根付かなかったし、宦官も取り入れなかった。子どもも、家畜のように支配したり、完全に制御するという発想では見ない。
(この辺は『なぜ日本人は日本を愛せないのか―この不幸な国の行方』を参照してください。


「対して日本では、子供が動物(自然)に近いと考えてるのは同じだけど、むしろ成長する事で、子供が持って居る「何か」を失ってしまうと考えている。


知性と理性を持って、動物(自然)と一線を画し、神に近づく西欧と、自然にこそ神が存在すると感じ、それに近い子供に神性を見る日本と。


大人と子供、どちらが神と近いのか聞けば、間違いなく西欧は前者と、日本は後者だと答える思われ。そのせいか、日本人は大人になっても「子供のモノ」に抵抗が薄い。子供の感性を未成熟なモノとは感じてないからだろーね。西欧人は「アニメは子供のモノじゃないか」とよく言うけど。


これだけターゲット像に違いが在れば、供給する商品に差が在るのは当然。教育的、道徳的なコンテンツは大抵つまらなくなる。」


このあたりもずばり本質を突いていると思います。明治時代に日本を訪れた西洋人が、日本人が子どもを可愛がり、あるいは甘やかしそれでいて、子どもが堕落せずに大人になっていくのを不思議がる文章を書いていたのを思い出します。


そして、pkさんが指摘するような子供観の違いに関係するのでしょうが、日本には、子どもの自立的な文化がある。西洋では、マンガは親が子どもに買い与えるものだけど、日本では、子どもがある程度自由に買い求めることができる。だから子どもの反応がストレートに作品に反映していく。子どもとマンガ家の相互作用のなかで、作品が形成されていく。そんな違いも作品に大きく反映され、日本独自のマンガ文化が形成されていったのだと思います。


「もうひとつ面白いのは、「女の子向け」。JPOPのキーワードとも言える、「カワイイ」モノ(キティちゃんなど)がなぜ海外にあまり無いのか。少女マンガや、セーラームーンなどの少女アニメはJPOPが普及するまで、なぜ存在すら無かったのか。「子供」は居るけど、「女の子」は居ないみたいだ。この辺り、掘り返してみると、何か大きなモノが埋まってような気がする。(「萌え」が「カワイイ」の男性用の変化形だとするとさらに面白いかも)」


これも面白い指摘で参考になります。「女の子向け」のいくつものジャンルが確立していること自体が、世界に新鮮な驚きを与えたようですね。ヨーロッパのキリスト教的な伝統は、あきらかに文化のなかの女性的な要素を抑圧してきました。その無理やり抑圧したものが、歪んだ形で噴出すると、魔女狩りのようなものになるのでしょう。


国連で日本の女性差別が問題にされたりしているけど、表面を見ていただけでは分からない、文化の深い部分では、日本文化はキリスト教文化ほど女性的なものを抑圧していないような気がします。


いずれにせよ、pkさんのコメントで、私のなかでもいろいろなことがかなり整理されて見えてきたように思います。ありがとうございました。