★以下は、次のユーチューブ動画の前半部分の要約です。全体の議論を見たいかたは次からお入りください。
⇒ 日本だけに起きた奇跡 アメリカ人研究者はこう見た(銃と剣をめぐって)
1980年にアメリカで実写ドラマ化されたジェイムズ・クラベルのベストセラー小説「SHOGUN」。それが、ハリウッドの製作陣の手で、真田広之主演の戦国スペクタクル・ドラマシリーズ「SHOGUN 将軍」全10話として新たに映像化されました。米国ではFXとフールー(Hulu)、日本や英国を含む他の地域ではディスニープラス(Disney+)で2024年2月より配信が始まると、たちまち話題となり、絶賛の嵐といってもよいほどの高い評価を得ています。映画レビューサイト「ロッテントマト」では、批評家からも一般視聴者からも高評価が続出しています。
主演の真田広之は、プロデューサーも務め、「日本人として日本の文化を正しく世界へ紹介したい」という思いをこのドラマに込めたと言います。「僕はこのプロジェクトに参加できて本当にうれしいし、幸せです。僕にとって奇跡のようなプロジェクトでしたし、プロデューサーとして初めての経験でした。プロデューサーとして僕たちの文化について全てを語ることができました」と彼は語っています。
物語は、関ヶ原の戦い前夜の日本を舞台に、徳川家康や石田三成ら歴史上の人物にインスパイアされて、天下獲りに向けた陰謀と策略に明け暮れるさむらいたちの闘いを壮大なスケールで描きます。物語の主人公は、五大老と敵対し、命をかけて戦う武将・虎永(真田広之)です。そんなある日、英国人航海士ジョン・ブラックソーン(後の按針)が、虎永の領地へ漂着します。虎永は、戸田鞠子(アンナ・サワイ)に按針の通訳を命じ、次第に按針と鞠子の間には固い絆が生まれ始めます。一方、難破船にはマスケット銃や大砲、さらに銀貨などがあり、虎長は天下取りの最大のライバルである石堂和成(モデルは石田三成)に優位に立ちます。
このドラマを見た海外の人々の多くは、日本の歴史にも興味をもち、もっと知りたいと思うことでしょう。事実そんなコメントが散見されます。そして、日本史に関心をもった人々が戦国時代以後の日本の歴史を探るならば、ある不可思議な事実に突き当たるでしょう。それは日本だけに起きた奇跡であり、銃と刀にまつわる次のような奇跡です。
日本に鉄砲がもたらされたのは、1543年。その年にポルトガル人が日本の南の島、種子島に漂着したのです。そのポルトガル人から二丁の鉄砲を購入したその島の領主が、刀鍛冶に鉄砲の製作を命じ、その結果、鉄砲がこの極東の島国に伝来してから1年余りで、その国産化に成功したといわれます。それ以来鉄砲は、日本中に短期間で広まりました。
それは、その時代の日本が戦国時代で、鉄砲は敵に勝つために極めて威力のある武器となったからです。そして日本はまたたく間に、ヨーロッパのいかなる国にも勝る、世界最大の鉄砲の生産・使用国になったのです。
にもかかわらず、その後まもなく日本人は、鉄砲を捨てて、刀剣の時代に舞い戻りました。武器の歴史において、他に例のない、信じられない逆行が起こったのです。しかも日本の他の技術はゆっくりではありますが確実に進歩していたのです。日本人は、あまりこの事実を意識しませんが、この退行は世界史的な視野から見れば、驚くべき奇跡なのです。世界史において戦争は付き物で、戦争がある以上、つねにより威力のある武器が求め続けられるからです。
西洋では、ポルトガル人が日本に漂着し鉄砲をもたらしたころ、つまり地理上の発見時代から、やがて帝国主義列強の時代へと大きく変化していきました。そしてその間に植民地に対する戦争だけでなく、西洋諸国間や一国内でも多くの戦争を繰り返しました。
たとえばドイツ30年戦争、英蘭戦争、英米戦争、ナポレオン戦争などです。
つまり16世紀後半に西洋と日本は共に鉄砲の時代を迎えたにもかかわらず、その後、一方は鉄砲の使用の拡大による激しい戦争への道を歩み、他方は鉄砲の放棄あるいは削減にともなう平和への道を歩んだのです。
ではなぜ日本は、世界の歴史の流れに逆らって鉄砲を捨てる奇跡の道を歩んだのでしょうか。まず歴史的事実を確認しましょう。西暦1600年に、関ヶ原の戦いにおいて全国の大名がふたつに分かれ戦いました。。結果は東軍が勝利し、この軍を率いた徳川家康が、全国を支配する実権を握り、1603年に徳川幕府を開きました。最初に触れたテレビドラマ「Shogun」は、この時代を舞台としています。
そして1615年には家康は、大阪城に残っていた西軍の勢力を滅ぼしました。これによって戦国時代は終わり、その後1867年に徳川幕府が滅びるまでの250年間、日本はほぼ戦争のない平和な時代が続くのです。そして、鉄砲は、戦国時代の終わりと共に放棄されていったのです。平和な時代になったからこそ、鉄砲は必要なくなったのだと言えるかも知れません。
しかし、いくつかの疑問が残ります。最初の疑問は、鉄砲は放棄されてもなぜ侍は、その後もずっと刀を持ち続けたのかということです。 次の疑問は、戦国時代のあとなぜ日本は250年もの平和を維持することができたのかです。
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⇒ 日本だけに起きた奇跡 アメリカ人研究者はこう見た(銃と剣をめぐって)
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1980年にアメリカで実写ドラマ化されたジェイムズ・クラベルのベストセラー小説「SHOGUN」。それが、ハリウッドの製作陣の手で、真田広之主演の戦国スペクタクル・ドラマシリーズ「SHOGUN 将軍」全10話として新たに映像化されました。米国ではFXとフールー(Hulu)、日本や英国を含む他の地域ではディスニープラス(Disney+)で2024年2月より配信が始まると、たちまち話題となり、絶賛の嵐といってもよいほどの高い評価を得ています。映画レビューサイト「ロッテントマト」では、批評家からも一般視聴者からも高評価が続出しています。
主演の真田広之は、プロデューサーも務め、「日本人として日本の文化を正しく世界へ紹介したい」という思いをこのドラマに込めたと言います。「僕はこのプロジェクトに参加できて本当にうれしいし、幸せです。僕にとって奇跡のようなプロジェクトでしたし、プロデューサーとして初めての経験でした。プロデューサーとして僕たちの文化について全てを語ることができました」と彼は語っています。
物語は、関ヶ原の戦い前夜の日本を舞台に、徳川家康や石田三成ら歴史上の人物にインスパイアされて、天下獲りに向けた陰謀と策略に明け暮れるさむらいたちの闘いを壮大なスケールで描きます。物語の主人公は、五大老と敵対し、命をかけて戦う武将・虎永(真田広之)です。そんなある日、英国人航海士ジョン・ブラックソーン(後の按針)が、虎永の領地へ漂着します。虎永は、戸田鞠子(アンナ・サワイ)に按針の通訳を命じ、次第に按針と鞠子の間には固い絆が生まれ始めます。一方、難破船にはマスケット銃や大砲、さらに銀貨などがあり、虎長は天下取りの最大のライバルである石堂和成(モデルは石田三成)に優位に立ちます。
このドラマを見た海外の人々の多くは、日本の歴史にも興味をもち、もっと知りたいと思うことでしょう。事実そんなコメントが散見されます。そして、日本史に関心をもった人々が戦国時代以後の日本の歴史を探るならば、ある不可思議な事実に突き当たるでしょう。それは日本だけに起きた奇跡であり、銃と刀にまつわる次のような奇跡です。
日本に鉄砲がもたらされたのは、1543年。その年にポルトガル人が日本の南の島、種子島に漂着したのです。そのポルトガル人から二丁の鉄砲を購入したその島の領主が、刀鍛冶に鉄砲の製作を命じ、その結果、鉄砲がこの極東の島国に伝来してから1年余りで、その国産化に成功したといわれます。それ以来鉄砲は、日本中に短期間で広まりました。
それは、その時代の日本が戦国時代で、鉄砲は敵に勝つために極めて威力のある武器となったからです。そして日本はまたたく間に、ヨーロッパのいかなる国にも勝る、世界最大の鉄砲の生産・使用国になったのです。
にもかかわらず、その後まもなく日本人は、鉄砲を捨てて、刀剣の時代に舞い戻りました。武器の歴史において、他に例のない、信じられない逆行が起こったのです。しかも日本の他の技術はゆっくりではありますが確実に進歩していたのです。日本人は、あまりこの事実を意識しませんが、この退行は世界史的な視野から見れば、驚くべき奇跡なのです。世界史において戦争は付き物で、戦争がある以上、つねにより威力のある武器が求め続けられるからです。
西洋では、ポルトガル人が日本に漂着し鉄砲をもたらしたころ、つまり地理上の発見時代から、やがて帝国主義列強の時代へと大きく変化していきました。そしてその間に植民地に対する戦争だけでなく、西洋諸国間や一国内でも多くの戦争を繰り返しました。
たとえばドイツ30年戦争、英蘭戦争、英米戦争、ナポレオン戦争などです。
つまり16世紀後半に西洋と日本は共に鉄砲の時代を迎えたにもかかわらず、その後、一方は鉄砲の使用の拡大による激しい戦争への道を歩み、他方は鉄砲の放棄あるいは削減にともなう平和への道を歩んだのです。
ではなぜ日本は、世界の歴史の流れに逆らって鉄砲を捨てる奇跡の道を歩んだのでしょうか。まず歴史的事実を確認しましょう。西暦1600年に、関ヶ原の戦いにおいて全国の大名がふたつに分かれ戦いました。。結果は東軍が勝利し、この軍を率いた徳川家康が、全国を支配する実権を握り、1603年に徳川幕府を開きました。最初に触れたテレビドラマ「Shogun」は、この時代を舞台としています。
そして1615年には家康は、大阪城に残っていた西軍の勢力を滅ぼしました。これによって戦国時代は終わり、その後1867年に徳川幕府が滅びるまでの250年間、日本はほぼ戦争のない平和な時代が続くのです。そして、鉄砲は、戦国時代の終わりと共に放棄されていったのです。平和な時代になったからこそ、鉄砲は必要なくなったのだと言えるかも知れません。
しかし、いくつかの疑問が残ります。最初の疑問は、鉄砲は放棄されてもなぜ侍は、その後もずっと刀を持ち続けたのかということです。 次の疑問は、戦国時代のあとなぜ日本は250年もの平和を維持することができたのかです。
★以下は、次のユーチューブ動画の前半部分の要約です。全体の議論を見たいかたは次からお入りください。
⇒ 日本だけに起きた奇跡 アメリカ人研究者はこう見た(銃と剣をめぐって)