「日本の長所」というテーマで何回か連載したが、この連載は、今後も飛び飛びになるかも知れないが続けていくつもりである。それと併行して「日本文化のユニークさ」と題して別の連載を行なう。今日が第一回目。これは5~6回ほどで終わる予定。
日本文化のユニークさということと、日本にキリスト教がほとんど広まらなかったこととは、密接なつながりがあると思う。それと、日本のアニメ・マンガが世界に広まっていることとも、深いつながりがある。なぜそういえるのかを、今後何回かに分けて検討していきたい。
なお、この連載にあたっては以下の本を主に参考にしている。
★ 鯖田 豊之 『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)』
★立花均『日本人の価値観―「生命本位」の再発見』
★イザヤ・ベンダサン 『日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)』
★会田 雄次『アーロン収容所 (中公文庫)』
★C・W. ニコル『誇り高き日本人でいたい』
★グレゴリー・クラーク 『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』
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日本文化の特徴として、異質な文化を自分の社会のなかにためらわず積極的に取り入れて自分のものとしていくという貪欲さがある。かつては中国から、明治以降は西欧から多くの文化を取り入れて来た。とくに明治以降の西欧からの取り入れは凄まじく、その貪欲さがあったからこそ、非西欧世界ではいち早く近代化に成功した。
しかし、あれほど西欧の文物を崇拝し、熱心に学び、急速に吸収していったにもかかわらず、日本でのキリスト教の普及率はきわめて低かったし、今も人口の0.8パーセントを占めるにすぎない。なぜなのだろうか。
私たちが自覚していると否とにかかわらず、日本の文化には日本の文化なりの成り立ちや仕組みがあって、それと根本的に相容れないものは、受け入れてことなかったのであろう。あるいは、受け入れてきたものは、これも無自覚のうちに、日本文化の仕組みに合うように変形して取り入れて来たのかもしれない。
では、キリスト教とは相容れない日本文化の仕組みや構造とは何なのか。これは日本文化を考察する上ではきわめて大切なポイントになるのではないかと思う。しかし、この問いを体系的に本格的に論じた研究は、これまでほとんどなかったのではないか。
私が読んだ中で何人かの人が、それぞれにこの問いに答えている。それらを紹介しながら、少し探求を続けてみたい。
日本文化のユニークさということと、日本にキリスト教がほとんど広まらなかったこととは、密接なつながりがあると思う。それと、日本のアニメ・マンガが世界に広まっていることとも、深いつながりがある。なぜそういえるのかを、今後何回かに分けて検討していきたい。
なお、この連載にあたっては以下の本を主に参考にしている。
★ 鯖田 豊之 『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)』
★立花均『日本人の価値観―「生命本位」の再発見』
★イザヤ・ベンダサン 『日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)』
★会田 雄次『アーロン収容所 (中公文庫)』
★C・W. ニコル『誇り高き日本人でいたい』
★グレゴリー・クラーク 『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』
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日本文化の特徴として、異質な文化を自分の社会のなかにためらわず積極的に取り入れて自分のものとしていくという貪欲さがある。かつては中国から、明治以降は西欧から多くの文化を取り入れて来た。とくに明治以降の西欧からの取り入れは凄まじく、その貪欲さがあったからこそ、非西欧世界ではいち早く近代化に成功した。
しかし、あれほど西欧の文物を崇拝し、熱心に学び、急速に吸収していったにもかかわらず、日本でのキリスト教の普及率はきわめて低かったし、今も人口の0.8パーセントを占めるにすぎない。なぜなのだろうか。
私たちが自覚していると否とにかかわらず、日本の文化には日本の文化なりの成り立ちや仕組みがあって、それと根本的に相容れないものは、受け入れてことなかったのであろう。あるいは、受け入れてきたものは、これも無自覚のうちに、日本文化の仕組みに合うように変形して取り入れて来たのかもしれない。
では、キリスト教とは相容れない日本文化の仕組みや構造とは何なのか。これは日本文化を考察する上ではきわめて大切なポイントになるのではないかと思う。しかし、この問いを体系的に本格的に論じた研究は、これまでほとんどなかったのではないか。
私が読んだ中で何人かの人が、それぞれにこの問いに答えている。それらを紹介しながら、少し探求を続けてみたい。