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母性社会日本の意味(2)

2020年10月17日 | 母性社会日本
いま、「日本文化の母性原理とその意味」という論文を書いており、ほぼ完成した。ある紀要に発表する予定だが、ここではその結論部分だけ、二回に分けて掲載しようと思う。今回は、その後半である。

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西洋近代における自然科学の急速な発展は、「近代的自我」の目覚めと無縁ではない。自我を自然対象と切り離し、客観的な観察対象とする姿勢は、観察の意志を持った自律的な主体の成立と分かちがたく結びついている。そして観察者の状況に左右されない「普遍性」をもった科学的な知は、その応用である科学技術と相俟って、全世界を席巻する強大な力となり、その結果、非西欧世界の大部分が植民地化されていったのである。

西洋のような父性原理の一神教を中心とした文化は、母性原理の多神教文化に比して排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。排除の上に成り立つ統合は、平板で脆いものになりやすい。キリスト教を中心にしたヨーロッパ文化の危機の根源はここにあるかも知れない。そして父性原理を背景とする西欧の「近代的自我」も同様の危機をはらんでいると言えよう。それは、ひたすら科学の進歩や経済の発展を目指して突き進む男性像が中心的なイメージとなっている。そのような自我のイメージと相容れない要素が、抑圧され排除される傾向が強いのだ。具体的には、女性的なもの、異質な文化、無意識、そして病や死だ。

これに対し日本人の精神性の根底には母性的なものが横たわり、物事を区分したり一つの極を中心して堅く統合しようとする傾向は弱い。むしろ両極端をも包み込んでいくような融合性、曖昧性を特性とする。父性原理の伝統に根差した近代西欧は、自我を対象から切り離し、客観的に分析する方法を徹底的に洗練させていった。それに対し母性原理の伝統に育まれた日本文化は、融合性や曖昧性、自然との一体性や、仏教で説かれるような宇宙との融合というあり方を洗練させたのである。

このような日本文化や日本人のこころの在り方は、その独特の美学とも結びついている。それが「曖昧の美学」だ。「曖昧」は成熟した母性的な感性であり、母性原理と結びついている。単純に物事の善悪、可否の決着をつけない。一神教的な父性原理は、善悪をはっきりと区別するが、母性原理はすべてを曖昧なまま受け入れる。能にせよ、水墨画にせよ、日本の伝統は、曖昧の美を芸術の域に高めることに成功した。それは映画やアニメにも引き継がれ、一神教的な文化とは違う美意識や世界観を世界に発信している。また日本が、かつては中国文明、さらには欧米の文明をほとんど抵抗なく吸収できたものこの融合性によるのかもしれない。

重要なことは、「日本的自我」の在り方を「近代的自我」と比較し、劣ったものとして批判することではない。むしろ、日本人の自我の在り方の特性を歪めずに、優劣の判断から自由に、事実として正確に把握することである。我々は、すでに西欧で生まれてた科学技術や社会制度を大幅に受け入れ、これからも受け入れ発展させ続けるだろう。それは父性原理も基づく制度を受け入れ、それを枠組みとする社会に生きているということなのだが、自分たちの特性を充分に理解しないまま受け入れたため、あちこちで混乱を生じているのも事実だ。その混乱を少なくするためにも、自らの在り方への十全な自覚がますます大切になる。その自覚によってこそ混乱への正しい対処法が生まれてくるのだ。

また、現代の国際関係は、父性原理の力学で動いているもの厳然たる事実だろう。そこに自らの母性原理を充分に自覚しないまま関わることで無用な混乱や不利益が生じている場合がある。国際関係で不利益を被らないためにも、彼我の違いを明確に認識しておくことが必要だ。先進7ヶ国首脳会議(G7)において、非キリスト教圏からの参加、つまり母性原理の国からの参加は日本だけである。その意味を自覚して行動すべきだろう。さらに言えば、自らの母性原理の在り方を充分に自覚し、それをこれからの世界にどう生かせるか、その積極的な意味を認識することが、今後の日本にとってきわめて重要な課題なのではなかろうか。

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日本人の価値観―「生命本位」の再発見
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母性社会日本の意味(1)

2020年10月16日 | 母性社会日本
いま、「日本文化の母性原理とその意味」という論文を書いており、ほぼ完成した。ある紀要に発表する予定だが、ここではその結論部分だけ、二回に分けて掲載しようと思う。

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戦後における日本人論、日本文化論は、R.ベネディクトの『菊と刀』で、日本の文化を「恥の文化」とし、西欧の「罪の文化と比較したのに始まると言ってよよいが、それは同時に二類型による比較文化論の代表例でもあった。この本は今日まで読みつがれ、またこの本に影響を受けたり、それを批判的に乗り越えようとするなどして、その後様々な日本人論が生まれた。母性原理の日本を論じる本稿とこの本の主題は、直接関係しないのでその内容にまでは立ち入らない。しかし、ベネディクトが、日本を「恥の文化」と捉え、西欧の「罪の文化」は内面的な行動規範を重んじるのに対し、恥の文化は外面的な行動規範を重んじるとしたとき、そこに価値判断が忍び込んでいたのは確かなようだ。恥という外面的な行動規範より、罪という内面的な行動規範のほうが優れているという密かな価値判断が見え隠れするのである。さらに言えば、「罪の文化」には、内面的で自律的な行動規範を重視する「近代的自我」に対応し、「恥の文化」は、外面的で他律的な行動規範に影響される「非近代的自我」が対応する。そしてベネディクト以来の、欧米人による多くの日本人論がまた、このような欧米的な価値観を基準にした分析だったのも確かである。

欧米の研究者だけではなく日本人の研究者が日本の社会や文化、そして日本人のこころの在り方を論じるときにも、西欧的な価値基準を絶対視し、それによって日本の在り方を論評するという姿勢から自由になっていない場合がいまだに多い。特に「近代的自我」は、近代民主社会の基盤としてほとんど絶対視される傾向があった。近代的自我を唯一の正しい在り方として捉えるかぎり、日本人の自我の在り方が批判的にしか見れないのは当然であろう。そこから「日本人には自我がない」とか、自己主張が弱く集団に埋没するだとかいう批判が生まれる。

しかし、日本人の自我が西欧人の自我に対して発達が遅れた劣ったものする見方は危険である。すでに見たように日本人は、外(他人)に対して自分を社会的に位置付ける場合、資格よりも場を優先する。資格によるヨコのつながりよりも、会社や大学などの枠(場)の中でのつながり(タテの序列的な構成になっている)の方がはるかに重要な意味をもっている。日本人のアイデンティティは、その個人が所属する「場」によって支えられる傾向がある。そして日本人の自我は、つねに「場」に開かれており、「場」との相互関係のなかで変化する。自他の区別は弱く、自我は曖昧な全体的関連のなかにあり、また自らの無意識との切り離しも強くない。そしてこの事実は、すでに確認してきたように、日本が縄文時代に深い根をもつ母性原理の強い社会を歴史的に形成してたことと深く関係し、この母性原理の社会こそが、日本人の自我形成の基盤となっている。

一方、西洋で生まれた「近代的自我」は、父性原理の一神教、とくにキリスト教の伝統を背景にして生まれたと言えよう。「包含」よりも「切断」を特徴とし、物事を明確に区分する父性原理の思考法は、個の独立という考え方と結びつきやすい。しかし、もちろん最初から個人主義や近代的自我が確立されていたのではなく、キリスト教の伝統が根強かった中世には、個人の意思や欲望が尊重されていたわけではない。父性原理の宗教の基盤の上に、絶対的な神との長い関係と戦いの中で、徐々に人間の自由意志や主体性を確立するに至った。父性原理的な宗教の伝統の中にあり、それに支えられていたからこそ、「個人」の重要性を認識するようになったのだろう。

ここで、本稿の冒頭近くで触れたことをもう一度確認したい。「母性原理」と「父性原理」にしても、あるいは「母性宗教」と「父性宗教」にしても、それは価値的な優劣を意味するものではない。現実の宗教そして文化は、両要素がさまざまに交じり合い融合しており、ともに重要な働きをなしている。どちらが強く働いているかの違いがあるだけである。だとすれば、父性原理をその背後にもつ「近代的自我」を基準として、母性原理に根差す「日本的自我」を一方的に批判するのは、あまり生産的とは言えないでろう。

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YouTubeで英語による日本文化の発信、チャレンジは始まった!

2020年10月10日 | 全般
SNSを使って英語でどれだけ日本文化を発信できるかというのが、最近の私の活動の中心で、このブログの更新が途切れているのも、私の関心がそちらに変化しているのが主な理由だ。これまでは、TwitterやFacebookが主な活動場所であった。とくにTwitterは、フォローも1万人を超え、私のtweetも毎回1万人前後の人が見てくれるようになった。

→ Tokyonobo 

ここでいろいろ交流できたことは、日本文化論をまとめるにあたっても、何かしら役に立つのではないかと思っている。

ここ数か月は、Youtubeにもチャレンジし始めた。Youtubeでは、音声も英語なのでよりハードルが高くなる。私の英語での動画をどれだけ外国の人々に見てもらえるか、大変だが挑戦のし甲斐はある。チャンネル登録者がようやく100人を超えた程度だが、継続していれば必ず爆発的に増加するときがやってくると信じている。

→ Kiyosumi Garden・清澄庭園

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コンテンツは、ツイッターへの投稿などでこれまでに蓄積した写真と、これから撮る動画の組み合わせてで、とりあえず東京の日本庭園や大公園を紹介していくことだ。前回は清澄庭園でアップロード、次回は上野公園ということで準備している。この方式だと、これまでに撮りためた写真を再利用して比較的気軽に一つの動画を作れるという利点がある。神社と寺の違いを説明しながら、日本の宗教の特質に迫るという企画も考えている。ここでも、これまでに撮りためた写真が大いに利用できる。東京やその周辺の紹介が終わったら、東京以外の名所にも対象を広げていくことができるだろう。

これまでの活動で、世界中に日本や日本文化のファンが信じられないほと多く存在することはわかっているので、日本文化の紹介という企画は、やり方次第では、かならず伸びるコンテンツだと思う。問題は、英語力をどれだけ高められるかだ。

Youtubeで英語で日本文化を世界にどれだけ発信できるか

2020年10月03日 | 全般
このブログを、ほとんど更新しなくなって久しいが、最近、ここに書き溜めたものをまとめる形で、短大の紀要に発表するための論文を書いている。実は昨年、「日本文化の相対主義的性格とその現代的意味」という論文を同じ紀要に発表したが、それはこのブログの9項目の視点のうちのひとつ、「(1)日本文化は一貫して、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。 その相対主義的な性格は、以下の項目と密接に関連して形成された」に対応するものだった。これは残りの項目を概観する意図も込めてまとめられた。

現在は、「(3)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し,縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた」に関連す論文を書いている。タイトルは「日本文化の母性的性格とその意味」。やはり、このブルグに書き溜めたものを整理して書いている。小まめにこのブログを更新していたころの蓄積が大いに役に立っているわけだ。

そんなわけで、日本文化論全体への関心も、再び高まり始めており、全体の構想を一冊の本にまとめるためにも、このブログの更新を再び活性化する意欲が湧いてきている。

ただ、この数年は、日本文化についての英語による世界への発信に私の関心が向いており、もっぱらそちらにエネルギーを注いていた。活動場所は、ツイッターが中心であった。

→ Tokyonobo 

ここでいろいろ交流できたことは、日本文化論をまとめるにあたっても、何かしら役に立つのではないかと思っている。

さらに最近は、英語によるYoutubeでの発信も始めた。初心者で不慣れだから動画作りに時間がかかり、まだチャンネル登録者もほとんどいない状態だが、徐々に工夫して発信力をたかめていくつもりだ。

今日は、久しぶりに東京、江東区にある清澄庭園という日本庭園を約6分の動画にしてYoutubeにアップした。今後、日本の庭園や寺社を英語で解説した動画をいくつかアップしていく予定だ。英語での発信がどれだけ通用するか、チャレンジし続けたいと思う。

→ Kiyosumi Garden・清澄庭園

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「森林の思考」と「砂漠の思考」

2020年09月30日 | 母性社会日本
鈴木秀夫氏の『森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)』については、まだここで論じたことはなかったと思う。最近、母性社会としての日本を論じる論文を書いていて、この本にも触れたので、論文のその部分をここに紹介したい。

地理学者の鈴木秀夫氏は、「森林の思考」と「砂漠の思考」という二類型によって人間の思考の違いを分析する。まずは、人間が周囲の環境を見るさいの「視点」の違いが指摘される。森林では地上に視点を置き、その視点から発想する傾向が強く、砂漠では広域を上から鳥瞰するような視点から発想が強い。森林的思考とは、視点が地上の一角にあり、下から上を見る姿勢であり、砂漠的思考とは上から下を見る鳥の眼を持つことであるという。

森林では、周囲を木々に囲まれる狭い視野から周囲を見渡し、樹林にさえぎられた空を見上げることになる。森林は湿潤地帯であり、食物は比較的豊富で種類も多い。そこでは食物や水をめぐって生死を分けるような重要な決断に迫られることは多くない。全ての物はお互いに相まって存在する。草木が繁茂し、多くの動物が住む森林地帯では多神教が生まれやすい。そして、実が朽ちて土に帰り、また芽生えてくる循環的な輪廻転生の概念も加わる。

これに対し、砂漠で生き残るのに最も重要なことは水を見つけ、食べ物を見つけることだ。そのため、長い距離を移動しなければならず、広範囲を視野に入れて行動する必要がある。遠くの泉に今、水があるかないか、生死を分ける決断をして行動しなければなない。それゆれ砂漠民は、鳥のように上から自分と全体を認識する必要に迫られる。そして、砂漠的思考の「上からの視点」が、天、すなわち一神教の神を生み出したというのである。広大な砂漠の中で人間は、風に飛ばされる砂粒と変わらない。そんな人間と万物を創造し、支配するのが絶対的な神であるという一神教が成立する。時間も空間も含めてすべてが、この絶対神によって創造されたのである。一神教の神のイメージは、砂漠の風土と砂漠民の生活に密接に関係しつつ成立した。
森林の思考とは、極端に言えば「世界は永遠に循環し、続く」という思考であり、砂漠の思考とは、逆に「世界は始まりと終わりがある」というものだ。

こうした思考の違いはやがて、キリスト教的な世界観と、仏教的な世界観のとの違いへと発展していく。しかしそれは、どちらが優れているとか、どちらが正しいとかの問題ではなく、森林あるいは砂漠という、それぞれその風土に生きるために必要な思考から生じた違いである。

こうして、多神教や、さらには仏教を生んだのが森林であり、ユダヤ教やキリスト教そしてイスラム教を生んだのが砂漠であった。歴史的に言えば、人類は狩猟・採集の時代には、圧倒的に森林的な思考が優位であった。森林に囲まれた環境では多神教的な宗教が生まれ、砂漠の環境では一神教的な宗教が生まれる傾向が強い。人類が農耕・牧畜を始めるころから、一神教的な文化の影響が徐々に森林的な思考の世界にも広まっていった。

ただし森林と砂漠とは言っても、必ずしも現在の気候風土とそのまま合致してはいない。いまから数千年前に地球が砂漠化していた頃につくられた思考方法を人類は綿々と受け継ぎ、こうした思考方法が現代の人間に対しても明らかに大きく影響している。森林的思考を代表する地域は日本である。対して砂漠的思考を代表するのは、欧米諸国である。以上の考察から、森林的思考が母性原理の文化に対応し、砂漠的思考が父性原理の文化に対応することは、容易に推察できるであろう。

鈴木秀夫氏が考察した「森林の思考」と「砂漠の思考」の違いは、かつて人類が経験した気候変動と世界史の展開のなかでも、大枠としては確認できるだろう。狩猟・採集の時代には「森林の思考」が優位であり、それゆえ宗教も自然崇拝的で母性的な性格のものであった。やがて人類が農耕を開始しても、豊饒な大地を基盤にする母性的な宗教が支配的であった。

農耕の開始は,大地を母とし,農耕を生殖活動と同じとみなす母性的宗教の世界観と結びつく。世界に広く出土する土偶も,豊饒な母なる大地をあらわす地母神である。それは多産,肥沃,豊穣をもたらす生命の根源でもある。地母神への信仰は,アニミズム的,多神教的世界観と一体をなす。

しかし、古代地中海世界では紀元前1500~1000年頃に大きな世界観の変化があったという。それまでの大地に根ざす女神から、天候をつかさどる男神へと信仰の中心が移動したというのだ。これには紀元前1200年頃の気候変動が関係しており、北緯35度以南のイスラエルやその周辺は乾燥化した。その結果、35度以北のアナトリア(トルコ半島)やギリシアでは多神教や蛇信仰が残ったが、イスラエルなどでは大地の豊饒性に陰りが現れ、多神教に変わって一神教が誕生する契機となったという。

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「道」の文化という大切なもの

2020年04月22日 | 相対主義の国・日本
本ブログでは、日本文化の特徴の以下のようないくつかの項目の視点から総合的に把握することを志している。 ただ、これ以降は、これまで示してきたものと順番を少しかえる。いままで7番目にあった「絶対的理念への執着がうすかった」という項目を一番目に移動した。 この項目が、日本文化の特徴をもっとも全体的に表現していると思うからである。 また、新たに9番目の項目を加えた。

(1)日本文化は一貫して、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。 その相対主義的な性格は、以下の項目と密接に関連して形成された。

(2)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が,現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(3)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し,縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(4)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

(5)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略,征服されたなどの体験をほとんどもたず、そのため縄文・弥生時代以来,一貫した言語や文化の継続があった。

(6)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は,大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面をひたすら尊崇し、吸収・消化することで,独自の文明を発達させることができた。

(7)海に囲まれ,また森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方で,地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は,ほとんど流入しなかった。

(9)「武道」、「剣道」、「柔道」、「書道」、「茶道」、「華道」や「芸道」、さらには「商人道」、「野球道」などという言い方を含め、武術や芸事、そして人間のあらゆる営みが人間の在り方を高める修行の過程として意識され、それが日本文化のひとつの大きな特徴をなしてきた。

実は、トップに移動した日本文化の相対主義的性格については、残りの7項目が要因となって、いかにその性格が形成されてきたをまとめ、この4月にある論文集の中で公にした。それが、これまでこのブログで書いてきたことのかんたんな整理になっている。この論文の内容も、すべてではないが一部を要約してこのブログに順次掲載するつもりである。

新しく追加した9番目の内容については、これまでこのブログではほとんど触れていない。今後、少しづつ触れていきたいと思う。もしかしたら私たちは、「道」の文化という日本文化の大切な遺産を、ほとんど忘れかけているのかもしれない。言葉としては残っていても、その内実を現代人はほとんど受けついていないのではないか。その負の面をも含め、もう一度私たちはこの大切な伝統を思い起こし、その良い面を積極的に現代日本に生かしていくことが、今後の日本の社会にとってきわめて重要なことだと思う。

「辺境」日本の世界史的な意味(6)現代のジャポニズム

2020年04月21日 | 相対主義の国・日本
そして現代の日本は、長い受容の歴史の結果、その豊かな蓄積の内側から次々と独自の文化を生み出すようになった。浮世絵に代表される江戸時代の豊かな庶民文化も、幕末から明治初期にかけてフランスなどヨーロッパに知られ、その流行はジャポニズムと呼ばれた。

それぞれの文化の背景にある宗教やイデオロギーに縛られずに、さまざまな要素を融合させてしまう柔軟さは、現代のポップカルチャーにもいかんなく発揮されている。それが、インターネットなどの情報革命によって江戸時代とは比較にならないほど広範に世界に影響を与え始めた。

現代のジャポニズム(マンガ・アニメに代表されるポップカルチャーなどの世界的な人気)は、中国文明だけではなく西欧文明やアメリカ文明の受容と蓄積が加わり、それが縄文時代以来の日本の伝統の中で練り直され、磨かれることによって豊かに開花したものといえよう。例を挙げればきりがないが、たとえば宮崎駿のアニメ作品のなかにどれだけ神道的な要素や古代中国的な要素や西欧的な要素が融合しているかを見ればよい。

今、世界は「普遍宗教」同士の深刻な対立を背景にした紛争やテロが後を絶たない。環境問題や経済の混乱の深刻化などにより、西欧近代の文明原理がかなり問題をはらむのではないかと疑われ始めもした。では日本は、それに替わる新たな「世界標準」を生み出すことが可能なのだろうか。これに対する私の答えは、上に述べたような「世界標準」という意味でなら「否」というものである。しかし、「世界標準」という言葉にこだわらずもっと柔軟な見方をすれば、必ずしも否と言えない。

逆説的なことだが、ひとつの「世界標準」にこだわらず、つまり絶対視せず、相対主義的な姿勢で自由に学び吸収しつづけたからこそ、そこから生まれた独自の文化が、今後の世界にとって新たなモデルになる可能性を秘めるようになったのではないか。

近年の日本人は、「世界標準」同士が張り合ったり、宗教同士が争い合ったりすることが、どれだけ悲惨な結果を生んできたか、そして今も生みつつあるかを、かなりよく知るようになった。そして自分たちのようにあまり原理原則にこだわらず、それぞれのいいところを自由に受け入れて、自分たちに合わせて作り替えていく行き方が、逆に豊かな結果をもたらすことをようやく知るようになった。そして、そういう日本のあり方や日本が発信する文化を、世界がクールと感じ始めたのではないか。

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
(5)『ユニークな日本人』グレゴリー・クラーク、竹村健一著、講談社現代新書、1979年
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「辺境」日本の世界史的な意味(5)相対主義の強み

2020年04月20日 | 相対主義の国・日本
「普遍的な文明」の絶対的な理念や中心軸、宗教をそのまま自文化の中に持ち込めば、自分たちの根底にある相対主義の文化が脅かさるから、無意識のうちに拒む。しかし、その相対主義を脅かさないかぎりでは、他文明の個々の成果をためらいもなく受け入れ、それをいつの間にか自分に合うものに造り変えてしまう。そこに日本文化のユニークさと不思議さがある。

日本文化の特異さのひとつは、「普遍的な文明」の「世界標準」によって完全に浸食されてしまわずに、農耕文明以前の自然崇拝的で、縄文的な文化が現代にまでかなり濃厚に受け継がれたことだ。これは世界史上でも稀有なことである。儒教や仏教を受容したときも、自分たちが元来持っていた自然崇拝的な宗教にうまく合うように変形した(神仏習合など)。

「世界標準」とは、まずはキリスト教、イスラム教、仏教、儒教など、それ以降の文明の基礎を築くことになった普遍宗教であろう。そして、それらの普遍宗教に基づいて生まれた文明の原理であろう。たとえばヨーロッパ文明は、キリスト教をひとつの基礎としながら、また一面ではそれと対抗しながら、近代の各種原理を生み出していった。「自由」「民主主義」「人権」「合理主義」「科学」「進歩」「自由主義経済」などがそれにあたる。そして、それらが現代のもっとも強力な「世界標準」になっていったのである。

「世界標準」の普遍宗教は、激しい闘争の中で民族宗教の違いを克服することによって生まれたとも言える。それもあって、それぞれの普遍宗教を背景にもつ「世界標準」自体は、お互いに相容れない傾向がある。自分こそ「世界標準」だと言い張って互いに争うのである。現在までのところ、その勝者が近代ヨーロッパだったわけだ。

ところが日本人は、そうした「世界標準」の原理原則にこだわらずに、自分たちに合わせて自由にいくつもの「世界標準」を学び吸収してきた。自文化のアイデンティティを根底から脅かすものはほとんど無意識に拒否するという強固な傾向により、一神教だけではなく、奴隷制も宦官も科挙も日本には入ってこなかった。しかし、一度取り入れたものは、その背景にある原理原則にこだわらず自由に組み合わせて、そこから独自のものを生み出すことができた。神道を残したまま儒教も仏教も西欧文明も自己流に消化し、併存させたのである。その受容性、あるいは相対主義こそが日本文化に豊かさと発想の自由さを与えた。

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
(5)『ユニークな日本人』グレゴリー・クラーク、竹村健一著、講談社現代新書、1979年
《関連図書》
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肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

「辺境」日本の世界史的な意味(4)日本がキリスト教を拒む理由

2020年04月19日 | 相対主義の国・日本
たしかに日本は「辺境」の島国であったためか、これまで「世界標準」や「普遍的な文明」を生み出すことはなかった。大陸で生まれた「世界標準」をひたすら吸収してきた。異民族に侵略・征服された経験をもたない日本は、海の向こうから来るものには一種の憧れをもって接した。そして外来の優れた文物だけを「いいとこ取り」(3)して、利用することができた。優れた文物だけを自由に取り入れられところに、「絶対的な価値観」を持たない相対主義の強みがある。そうやって形成された日本の文化は、「受容性」を特徴としていた。それは、もっぱら「師」から学ぶ姿勢で大陸の文明を吸収し続けることである。

そうやって中国文明を吸収し、それを自分たちの伝統に添う形で洗練させ、高度に発展させてきた。また西欧諸国による侵略を免れた日本は、かつて中国文明に接したときと似たような態度で、西欧文明に憧れ、その優れたところだけ(自分たちに消化できるものだけ)を取捨選択して吸収することができたのである。

しかし、無条件に何もかも受け入れたわけでもない。たとえば、中国から律令制度を取り入れながら、その重要な一部である、宦官や科挙の制度を受け入れていない。儒教は積極的に学びながら、儒教の根本原則の一つである同姓不婚という制度は日本に入ってこなかった。これは、同じファミリーネームをもつ男女は結婚できず、また異なる姓の男女が結婚すると、互いにもとの家の姓を名乗るという制度だ(4)。

明治維新以来の日本社会は、他のいかなる非西欧諸国よりも貪欲に西欧文明を吸収し、いち早く近代化することに成功したが、キリスト教徒は圧倒的に少ない。現代日本のキリスト教徒は百万人程度で、人口の1%にも満たず、この数字は明治以来ほとんど変わらない。明治以前は言わずもがなである。

日本は、一神教が浸透しなかった最大の国なのである。科学技術や政治・経済システムの面では近代文明を大幅に取り入れ成功を遂げながら、その文化の深層の部分では一神教を頑なに拒んでいる。おそらくそれは、農業文明以前の縄文的な心性が、現代の日本人にまで脈々と受け継がれていることから来る。母性的で相対主義的な日本文化にとって父性的な一神教の絶対主義は、きわめて馴染みにくいのである。

「普遍的な文明」の絶対的な理念や中心軸、宗教をそのまま自文化の中に持ち込めば、自分たちの根底にある相対主義の文化が脅かさるから、無意識のうちに拒む。しかし、その相対主義を脅かさないかぎりでは、他文明の個々の成果をためらいもなく受け入れ、それをいつの間にか自分に合うものに造り変えてしまう。そこに日本文化のユニークさと不思議さがある.

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
(5)『ユニークな日本人』グレゴリー・クラーク、竹村健一著、講談社現代新書、1979年
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)



「辺境」日本の世界史的な意味(3)強力な宗教のない理由

2020年04月18日 | 相対主義の国・日本
もちろん日本人同士の紛争は多く経験しているが、同じ民族同士の戦争なら価値観を変える必要はない。しかし相手が異民族であれば、自民族こそが正義であり、優秀であり、あるいは神に支持されているなどを立証しなければならない。

他民族との戦争を通して、部族の神は、自民族だけではなく世界を支配する「正義の神」となる。そして「正義の神」相互の殺し合い、押し付け合いが行なわれる。社会は、異民族との戦争によってこそイデオロギー的になる。「普遍的な価値観」、「絶対的な価値観」によって戦いを合理化しなければならないからだ。

日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったために、西洋的な意味での神も、イデオロギーも必要としなかった。強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築なしに、自然発生的な村とか農村共同体に安住することができた。絶対的な理念による社会の統合を形成せず、相対主義的な文化と社会に甘んずることができたのである。

だからこそ、縄文時代以来の「森の思考」、自然を貴ぶ宗教や文化が、本格的な農耕の始まった弥生時代にも引き継がれ、さらに高度産業社会の現代にまで生き残ったのである。日本文化の特異さとは、縄文的な要素を多分に残した農耕文化、しかも牧畜を知らず、遊牧民との接触もなかった農耕文化の特異さということであろう。そして、農耕文化が、縄文的な心性を残しながら連綿と続くことができた条件の一つが、大陸の異民族による侵略・征服などがなかったということなのである。

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
(5)『ユニークな日本人』グレゴリー・クラーク、竹村健一著、講談社現代新書、1979年
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
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「辺境」日本の世界史的な意味(2)城壁なき都市を作った唯一の国

2020年04月17日 | 相対主義の国・日本
日本は確かに地理的には「辺境」の島国であり、そのためか、これまで「世界標準」や「普遍的な文明」を生み出すことはなかった。大陸で生まれた「世界標準」をひたすら吸収してきた。しかし、日本と大陸を隔てる海は、古代の技術でも渡航困難なほどには広くないが、しかし大規模な移民や軍事攻撃を組織的に行うには広すぎた。もし渡航したとしても、軍団はバラバラに到着し、統一行動がとれない可能性が高かったであろう。大陸から適度に隔てられた日本は、高度な文化や知識は流入し得ても、短期での大量移民や大規模な軍事攻略は困難だったのである。

先進文明との適度な距離と列島としてのまとまりという稀有な条件が、日本の歴史に決定的に影響した。大陸から「狭くない海」で隔てられていたことは、日本を異民族との戦争のない平穏な社会にした。

一方、人類が大陸の大河の流域などで農業を始めた頃、その周囲には多くの遊牧民が勢力をもっていた。農耕民は、遊牧民から生命と財産を守るため、強いリーダーの下に結集し、攻撃を防ぐ施設を備えなければならなかった。つまり、城壁で囲まれた都市国家が生まれていったのである。中世以前の都市は、アテネ、ローマ、ロンドン、パリ、フランクフルト、バグダッド、ニューデリー、北京、南京など、すべて堅固な城壁で囲まれていた。

ただ日本だけが城壁で囲まれた都市がなく、城下町はあっても城内町は存在しなかった。日本列島は、険しい山と狭い平野は遊牧に適さかったし、海を越えて遊牧民が侵略してくることも、蒙古襲来以外にはなかった。異民族に侵略され、征服され、虐殺されるというような悲惨な歴史がなかった。明治維新に至るまでは、異民族との闘争とはほぼ無縁であり、だからこそ日本人は、「城壁のない都市」をつくったほとんど唯一の民族なのだ。

《引用・参考文献》
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

静かに桜咲く新宿御苑

2020年04月16日 | 全般
静かに桜咲く新宿御苑


3月23日に新宿御苑を訪れた。満開になった桜も多く、夢中で写真をとった。桜の時期でこんなに人が少ない御苑ははじめただ。コロナ問題が深刻化するなか、いやだからこそか、桜の美しさが身に染みた。これらの写真も海外発信用のツイッターにまず投稿したものだが、新宿御苑は訪れたことのある海外の人も多く、懐かしむ声も多かった。同じ日に撮影したYoutube動画を見たある外国人は、次のように感想を書いてくれた。

「お気に入りの公園。日本への旅行のたびにガールフレンドと何度も訪れた。あなたの動画を見て、彼女はほとんど泣きそうだった。この公園が懐かしい。
My favorite park! My girlfriend and I go to Shinjuku Gyoen several times each trip to Japan! She almost cried watching your video! We both miss this park! Thank you for posting this!」

Youtubeの動画は以下で。Sinjuku Gyoen Garden Cherry Blossoms in the Wind

桜咲く静かな上野公園

2020年04月16日 | 全般
桜咲く静かな上野公園

3月22日に上野公園にいった。コロナウィルスの問題は徐々に大きくはなっていたが、いまほどの緊張感はなかった。国立博物館に向かう有名な桜並木も通行禁止にはなっていなかった。満開には少し早かったが、宴会のない、そして外国人観光客もほとんどない上野公園は、静かに桜を楽しむことができた。一連の桜の写真は海外発信用のツイッターにも掲載したが、コロナ騒ぎで気持ちが落ち込むなか、日本の桜を見れてうれしいというものが多かった。このような感想は、世界に感染が広がるごとに増した。

以下は同じ日に撮影して投稿したYouTube動画である。例年に比べての人通りの少なさがよくわかると思う。

Quiet Ueno Park with Cherry Blossoms(桜咲く静かな上野公園)

※この記事は、一度誤って未完成のまま投稿したものをすぐに削除し、再投稿したものである。ご迷惑をおかけしました。

「辺境」日本の世界史的な意味(1)否定的な史観を超えよ

2020年04月16日 | 相対主義の国・日本
以後、数回に分けて掲載するのは前回ふれた懸賞論文に応募し落選した論文である。このブログで折に触れて語った内容を下敷きにして論文としてまとめたものである

かつて丸山真男は、日本文化の特徴を次のように記した。「私達はたえず外を向いてきょろきょろして新しいものを外なる世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分自身は一向に変わらない」(1)。つねに外来の新しい文化に飛びついて、それを吸収し続ける日本文化は激しく変わるが、そういう姿勢そのものは変わらないというのだ。

内田樹は、こうした見方を受けていう、「世界のどんな国民よりもふらふらきょろきょろして、最新流行の世界標準に雪崩を打って飛びついて、弊履を棄つるが如く伝統や古来の知恵を捨て、いっときも同一的であろうとしないというほとんど病的な落ち着きのなさのうちに私たち日本人としてのナショナル・アイデンティティを見出したのです」(2)と。

この二人の日本理解は、かなり自己否定的ないしは自己揶揄的だ。確かに明治以来の日本人の、欧米崇拝や欧米文化や思潮の受容にはこう揶揄されても仕方のない傾向が見られたかもしれない。しかし、このような見方を日本理解の根底に据えているかぎり、日本の歴史や

文化の本質は見えず、きわめて底の浅い日本理解しか生まれないだろう。
大陸から海で隔てられた「辺境」に位置した日本にとっては、海の向こうから入って来るものはつねに崇拝の対象だった。中国や欧米の文明にたえず範を求め続けた。「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」(2)、これが辺境の限界だと内田はいう。日本人に世界標準の制定力がなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうことこそが、「辺境人」の発想だ。そして、それは「もう私たちの血肉となっている」から、どうすることもできない。だとすれば「とことん辺境でいこうではないか」。こんな国は世界史上にも類例を見ないから、そんな変わった国にしかできないことは何かを考えた方が有意義だ、というのがこの論者の主張だ。

しかし、こうした論には、日本の歴史や文化を見渡すうえでのもっとも大切な視点が抜け落ちている。私たちのナショナル・アイデンティティは、「ほとんど病的な落ち着きのなさ」のうちにあるのではなく、縄文時代に遡る歴史のもっとも深いところにどっしりと根をおろしている。それが見えていないから、きわめて否定的な語でしか日本人のアイデンティティを語れないのだ。

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)


このブログの今後の展望:海外発信とそのフィードバック

2020年04月15日 | 全般
 このブログをほとんど更新しなくなって久しい。しかしクールジャパンという言葉に関係するテーマから関心が遠のいたわけではない。実はこのブログに書いてきた内容をもとに去年、アパ懸賞論文に応募したりしている。ただ、この懸賞論文のテーマは「真の近現代史観」であったが、私の論文のタイトルは「『辺境』日本の世界史的意味」であり、近現代史というより縄文時代も含めた日本文化全体を扱うものだったので、はじめから賞を得る可能性は低いと思っていた。事実、賞を得ることはできなかった。しかし、自分の考え方をまとめるよいきっかけにはなったと思う。数日後から、この論文の内容をこのブログに順次掲載しようと思う。

 ところでここ数年、私はもっぱらツイッター(Tokyonobo)フェイスブックで海外に向けて日本文化を発信することを主に行っていた。しかし、たとえばツイッターには文字数の制限もあるし、もっと本格的に海外発信したいという思いもあって、ここ数週間は、ユーチューブで実験的に何回か投稿している。いまはまだ試行錯誤段階だが、近々、ここで語ってきたようなことを基礎として、本格的に英語で発信を始めようと思っている。

 とりあえず試作的に投稿したものをここにいくつかリンクしておきたい。これまでにツイッターに投稿した豊富な写真をもとにして練習用につくったものである。

最初は、Why do Japanese love cherry blossoms? 美しい桜の写真もかなり好評であった。

次は、Why do Japanese love hot springs?

さらに、Kimono ----- Rivaval of the Tradition

一番最近のは、Yosakoi Festival (よさこい祭り)--Why is it so popular in modern Japan?

まだ、チャンネル登録者数が57名ときわめて少ないが、そこは気長に、大きな夢をもって投稿を続ける予定である。ユーチューブ投稿が本格化すれば、そこでの反響に対する考察などがここでもできるかもしれない。