goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

地球的規模の漫才!

2015年02月05日 09時00分29秒 | えいこう語る

▼ 政治家の物まねで一番好きなのは、ザ・ニュースペーパーのコイズミ元総理の真似だ。あれは金メダルものだ。ブッシュ元米大統領の家族が茶の間で観たら、アゴが外れるほど笑うに違いない。だが、コイズミさんのように、キャラが強すぎると、コンビを組むのは難しい。コイズミ&ホソカワさんの、コンビ「アイム・総理」も、ボケとツッコミとしては、ベストコンビだと思ったが「脱原発」のコントは、本来の笑いを忘れてしまったので、観客の受けはよくないようだ。真面目な漫才など、ありはしないからだ。

▼ 今や漫才師たちは、知性と教養も兼ね備え、報道番組まで仕切っている。我が国のメディアは漫才に乗っ取られたといっても過言ではない。メディアを制したのだから、我が国は漫才によって導かれている国なのかもしれない。だが、漫才師たちは自分たちの立場というか、分際をわきまえているようだ。イスラム国事件に対しての、コントがない。政治を嘲笑するようでなければ,漫才の真価が疑われるのではないか。

▼ イスラム国による人質事件。政治評論家、中東専門家、さらに軍事専門家などの解説に、心を引かれたものはなかった。その中で、キャラが際立ったのは、なんといっても後藤健二さんの母上だ。「原発発言」が視点としては飛び抜けていた。だが、母上のこの発言は意味深だ。この事件に端を発し、日本が欧米列強と共に戦う国になるのではという示唆だ。もし戦えば狙われるのは原発だ。さらに原発は、最大の武器である“原爆の製造”が可能だ。母上はそんなことを懸念したのではないかと、私は先読みした。母上はボケをかまし、アベ総理に対し強烈なギャグをあびせたのだ。それにメガネを変えるという、センスもなかなかの余裕だ。

▼ 政治討論会「イスラム国人質事件の真相」。司会やゲストは、知性派漫才集団だ。スペシャル・ゲストは、もちろん母上だ。様々な角度からユーモアあふれる大討論会だ。この手の番組はまともにいくと、放送禁止だ。こうなればユーモアしかない。ユーモアの中に真実を入れるのが、知性派漫才家たちの、底力だ。サブタイトルは「戦後70年・日本の明日を考える」だ。「朝生テレビ」は眠いので「昼生テレビ」だ。この時間は、国会中継の視聴率は、ゼロになるに違いない。

▼ 番組の途中で、我が北海道出身の「タカ&トシ」の漫才を入れてもらう。題は「日本とイスラム国」だ。タカ(太った方):我が国は、テロに絶対屈しない。イスラム国に対抗する国に支援を続ける。トシ(サルに似ている方):中東諸国は同じアジア民族ではないか。タカ:有志連合と一緒に、最前線で戦いたい。・・・トシ:欧米か!と、タカの頭をぶん殴る。こんなギャグでいかがでしょうか。

▼最近、イスラム国に脳内を占拠され、酸欠状態だったので、少し視点をずらし考えて見ました。なんだか、心が少し和らいだ感じです。


身のほど

2015年02月04日 09時53分31秒 | えいこう語る

▼ 昨夜読んだ本の中に「イソップ物語」に関する記述がある。人間が神様に、他の動物には翼や速い足を贈ったのに、裸のままで置かれた人間には、何も与えなかったのかと尋ねた時「お前たちには一番大きな贈り物をしてやったはずだ。お前は理性を持っているではないか。それは他のどんな贈り物より力のあるものなのだ」。

▼ この解釈は、すべての人間は神からこんないい贈り物をもらっているのに、ある人はそれに気が付かず、むしろ捨てているのではないかと。イソップ物語の多くはは「身のほど」について、語っているのではないかという。さらに、毎日の新聞を埋め尽くしている様々な出来事、それにイソップの寓話を当てはめてみると、2千年以上も前に作られたのに、現在にも立派に通用する智恵の書であることに気付くのではないか、とも。

▼ さて、2月3日の北海道新聞のトップ。「首相、9条改正に意欲」だ。イソップ流に解釈すると、アベ総理は「身のほど」知らずだ。最高の贈り物とされる「理性」を、まったく自覚していないのだ。

▼ 「日本国憲法第九条」は、人類が神の意思に反し、殺戮を重ねたことに反省し、理性を取り戻し、二度と再び戦争は起さないと誓った叡智の結集である。それをいとも簡単に捨て去るというのは「身のほど」知らずにもほどがある、のではないかと私は激怒する。

▼ イスラム国人質事件の後藤健二さんは、イスラム国潜入の前に「責任は私にある」と明言した。潜入自体「身のほど」知らずに違いない。だが、彼は友人を救うのは自分しかいないと、死も覚悟の決意をしたのだ。九条を改正し、戦う国にして大勢の犠牲者を出す。さてアベ総理は「責任はすべて私にある」というのだろうか。そうではあるまい。

▼ 「われわれは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と、憲法を自分勝手に解釈し、公言するに違いない。

▼ 総理のおじいさんも、A級戦犯を免れ総理になり「日米安保条約」を締結し、再び戦う国への布石を打ったのだ。どうやら「身のほど」のわきまえない家系のようだ。

▼ さて、イソップ物語から。「安全な高い場所にいる山羊が、その下を通った狼に悪口をさんざんあびせた。すると狼はこういいました。そんなふうにオレの悪口を言っているのはお前じゃない。お前のいる場所だ」。

▼ 組織人といわれる現代人。とかく組織の中の自分を本来の自分と錯覚しがちだ。組織に組み込まれた役割としての人間になりきってしまい、その挙句、人間としての役割を忘れてしまうのだ。「九条改正」など、この山羊の話と同じではないか。総理という場所がそういわせているのだ。イソップ物語が理解できないなら「チャップリンの演説」をお勧めしたい。

▼ 「九条の会」の発起人である、哲学者梅原猛さんの言葉だ。「戦争が起こった以上は、潔く戦おうと思った。でも靖国だけは行きたくないと思った。私は戦争で死ぬ理由が見つからなかったからだ」。

▼ 後藤さんが戦争で死んだ理由を、みんなで考えてみよう。その解明こそが、神が人間に贈った「理性」だからだ。

▼昨夜、久しぶりに読み返した本。森本哲郎著「ことばへの旅⑤」。・・・自分の胸に手を当てながら。


どう考えていいのか

2015年02月03日 09時49分38秒 | えいこう語る

▼ 毎日頭を離れないのが、イスラム国人質事件だ。結果は最悪の事態になったが、この事件は、単なる殺人事件ではなく、我が国が戦争する国になる可能性を秘めた事件だからだ。多分、私は同じようなことを主張しているに違いない。ただ角度を変えながら、この問題に自分の限りある能力を屈指し、様々な分析を加えよう思っている。とはいっても、浅い知識からでは、想像の域を過ぎないが。でも考えずにいられないのが、この事件だ。

▼ 身近な人の死に際し、どんな慰めの言葉があるだろうか。まして、首を切られるという残虐なテロだ。語る言葉はたくさん捜せたとしても、どれも、適格で重要なものではないように思える。遺族の心中など、癒す言葉などないのだ。

▼ 「起きて見つ寝て見つ蚊屋の広さ哉」。この句は、加賀の千代女と思われていたが、実は、浮橋という遊女の歌だという。仔細はここでは説明しないが、元禄7年(1694年)に京都の出版社から出た「物おもう比(ころ)」という本に収められているという。

▼ 一人残された者の思いが、蚊屋という狭い空間に、いっぱいに広がる。何と趣があり深みのある歌であろうか。どんな慰めの言葉も入り込めない、遺族だけが味合う想いなのだろう。

▼ なぜこの句をブログに登場させたかというと、後藤健二さんは「これは自分の責任だ」という、メッセージを残しているからだ。報復など望んでいないはずだ。しかし、アベ総理は「罪を償わせる」と激怒する。海外にいる日本人の安全には、過激になってはいけないという、野党の追及には「法の裁きをかける」ともいう。

▼ 言葉は、時に武器よりも暴力的であることもある。ここは日本的な心の奥深さを発揮し、二人の犠牲者と遺族や世界中で痛みを分かち合ってくれる親日派の人々に対し、後世に残る一句をひねり、自衛隊派遣などという暴挙は謹んで欲しいものだ。

▼私にはそんな句は浮かばないが、我が国の総理なら、そのぐらいの教養を有して欲しいものである。


煽ってはならない

2015年02月01日 13時20分49秒 | えいこう語る

▼「テロには絶対屈しない」「卑劣な行為は許さない」等等、総理や外務大臣の勇ましい声明が、まるで進軍ラッパのように聞こえる。それに呼応し、米大統領は「アベ総理と共にテロと戦う」という声明を出した。この声明、アベ総理が戦えば、米国はさらに強力に支援するというように聞こえる。

▼ 「ちょっと待った」といいたい。もしかして、日本をテロとの戦いの最前線に巻き込み、米軍が支援に回るという姿勢で、米軍の中東での直接関与を、和らげようという作戦ではないか。

▼ 「積極的平和主義」とは、資金援助だけではなく、最前線で戦う意志を示したのだと、米国は解釈しているのだろう。「集団的自衛権の行使容認」や「九条改正への意欲」を分析すれば、日本は「日米安全保障条約」を、口約束だけではなく、実際に履行しようとする気持ちになっていると、米国は考えているのだ。

▼ 「戦後レジュームの解体」は、米国の支配下から完全に独立し、米国と対等の国になるという意思表示に違いないと。もし、私が米国の軍事関係者ならそう解釈する。戦後70年という節目の年に、アベ総理は日本のあるべき姿を世界に向け発信するために、中東訪問を行ったのだ。

▼ 「人道支援」とは「美しい日本の美しい言葉だ」。結果、想定されたように、二人の日本人人質は殺害された。加害者は「テロ集団」だ。「テロには絶対屈しない」という言葉に、国民の多くは支持している。何より12月の選挙で、国民が支持したのはアベ政権だからだ。

▼ 政府のこのようの急激な流れに、メディアは棹さす事もできない。テロの残虐さだけを報道するだけでは、政府の方針に加担するだけに過ぎない。「戦後70年・危機迫る人質事件」というような、テレビ討論会を実施してほしいものだ。

▼ 今朝五時頃、トイレに起きたので人質事件がどう推移しているか、テレビを観た。後藤さんが殺害されたというので、総理も起きて官邸に移動している場面が流れている。海は時化ている。テレビを消し、寝床に入り夢を見た。

▼ 我が国は、戦勝国である米国より、世界に誇るべき憲法第九条をいただいた。それは、先の大戦で、人類が犯した殺戮を、二度と起さないという、恒久平和への宣言である。国民の皆に告ぐ。数千万人もの犠牲者を出した、あの戦いを思い浮かべて欲しい。今、我が国は卑劣なテロ行為により、二人の尊い命が奪われた。しかし、彼らはこれ以上の犠牲者を望んではいない。ここで、報復などと言うことを煽ってはならない。なぜなら、報復こそ、連鎖の終わりなき始まりである。我が国は、日本国憲法第九条の規定により、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄することを、再び世界に誓いたい。平成27年2月1日。     御名御璽。

▼昭和天皇が、国会にお出ましになられ、こんな声明を読み上げた。「天皇陛下万歳」の大合唱が続く中、戦争をしない国に生まれて、よかったと思いながら、遅い目覚めになってしまった。