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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

騙されてはならない

2015年02月13日 15時47分11秒 | えいこう語る

▼ 今朝、20センチも雪が積もった。朝に弱い妻も早起きをしての除雪が始まる。ほんのかすかに湿り気のある雪なので、雪かきはしやすい。投げやすいのだ。これより、ほんのわずかに湿り気があると、重くなり身体に負担がかかる。「雪かきに最適の雪だね」と妻が言う。「いい雪だね」。私もそう思う。若い時と違い、老体になると、雪にもいい雪と悪い雪があるのだ。

▼ 風があり、顔面に雪のシャワーを浴び、童心に返ったような気分になる。家の前はすぐ海なので、雪は海岸の方に捨てる。砂に生育する硬質の草の林に、スズメが寒風を避けるように、群れなしたたずんでいる。灰色の空にはカモメが一羽、私の頭上を旋回している。♪トンビがぐるりと輪をかいた♪とは、三橋美智也の歌だが、♪カモメがぐるりと輪をかいた♪と、思わず口ずさんでしまう私だ。

▼ なんだか、そんな光景を見て一句作りたくなった。「寒スズメ津軽海峡冬景色」 「カモメ舞う津軽海峡冬景色」。石川さゆりさんのヒット曲しか浮かばぬ、創造性に欠ける早朝の私だ。家の前の除雪が終わり、一息ついたところで「町会おじさん雪かき隊」の登場だ。主に身体の不自由な方や、独居老人家庭の除雪を行う。「すまないね、ありがとう。お茶でも飲んでいって」といわれるのが、こちらのパワーの源になる。

▼ 高齢者を狙った、振り込め詐欺が続出している。詐欺にかからないよう随分注意をしているようだが、詐欺師たちの手口は日々上達進化しているので、騙される人が後を絶たない。最近の手品もそうだ。目の前で行っても、どう凝視していても、その手口がまったくわからない。なぜこうも、日本人は騙されやすくなったのだろう。

▼ 除雪を終えて新聞を開くと、アベ総理の施政方針演説が掲載されていた。「日本を取り戻す。そのためにはこの道しかない」という。どの道なのだろうか。岩倉具視の言葉を引用し「日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない」といい、明治の日本人にできて、今の日本人にできない訳はないともいう。今こそ、国民と共に、この道を、前に向って、再び歩みだす時だ」と力説している。

▼ ちょちょちょちょちょっと待ってんな、この道と言うのはもしかして、いつか来た道とちゃうかいな。ごっつい軍靴の足音が、坂の上めざして進むのと、なんだか、おんなじ気がするが・・・ラッスンゴレライ・ラッスンゴレライ。私もよくわからないが、最近テレビで「ラッスンゴレライ」なる意味不明の言葉で、テンポよく語る漫才師がいる。意味不明の総理がいる日本には、ぴったりの漫才師の登場のような気がするので、つい私も真似てみた。

▼ 庭に目を向けると、外は絶え間なく細雪が降っている。明日の朝も、雪かきが待っているのだろう。最後に一句、搾り出してみた。

「降る雪や明治は近くなりにけり」   三等下


神の声を聞け

2015年02月11日 14時12分43秒 | えいこう語る

▼ ヨルダン軍による、報復空爆が始まった。数日で、7千人ものイスラム国兵士を殺害したという。さらに有志連合による空爆と、地上戦による殲滅作戦が行われようとしている。中東の空は晴れる暇がないのではないかと、毎日が憂鬱な気分だ。仲裁の労をとる国などいないというのも、不幸だ。というより、地獄に近い悲しみだ。国連がダメなら、ローマ法王とエリザベス女王と天皇陛下が出て行き、手打ち式を行ってもらえないものかと、真剣に考えてしまう。

▼ イスラム教について調べようと思ったら、私の店にやってくる、若い「エホバの証人」からいただいた本があった。何時もは、パンフを配布していくのだが、私も時間がある時は、話し相手になる。ある時、青年はチベットの田舎に行くという。若いだけに、もっと都市部の方がいいといったので、星がきれいなはずだ、それを眺めて「目覚めよ」と、激励した。帰国後、チベットでの布教活動の報告をしてくれ、よかったら貰ってくださいと、いただいた本だ。

▼ 他に数冊、ちょっぴり関連するところだけを拾い読みしてみた。イスラム教徒は、世界中に9億人以上いるといわれる。イスラム国側にいるのはスンニー派で、カリフ(ムハンマドの後継者)は選挙で選ぶそうだ。ヨルダン側のシーア派は20%で少数派だ。ここは預言者の血統を引く者から、カリフを選ぶそうだ。シーア派のムハンマドの孫に、フサインがいる。

▼ フサインで思い出したが、ブッシュ元米大統領のイラク攻撃は、イラクのフセインとアルカイダが、手を結んでいるとデマを飛ばし、仕掛けた戦争だ。その時の、イラク兵士の一部が、イスラム国の戦闘員になったようだ。

9:11の貿易センタービルのテロ事件。標的になったアルカイダは、元々米国がソビエトのアフガン侵攻を防ぐための、傭兵組織だったという。「昨日の味方を今日の敵に」して戦う米国も、自国の権益を守るためには、なんでもやるという、節操のない国のようだ。

▼ よく理解しないまま、イラク攻撃に参加したコイズミ総理も、ブッシュに負けずノー天気そうに見えるが、嗚呼見えて、なかなかの策士のようだ。それが、現在のイスラム国の戦いに、我が国を引きずることになっているのだ。さらにアベ総理、アホノミクスといわれても、油の原産地中東へ出かけ「人道支援」なるもので、油に火を注いだ。ブッシュ→コイズミ→アベ=ホップ・ステップ・ジャンプというところか。

▼ ヨルダンを軍事支援するオバマ大統領の就任時、かすかに記憶していたのが父親の名だ。アフリカ生まれで、フセインという。たぶんムスリム(イスラム教徒)なのだろう。イラクのフセイン軍の一部が、イスラム国で戦い、ヨルダンにはムハンマドの孫のフセインもいる。世の中は、複雑怪奇な関連性で成り立っているようだ。

▼ 話は飛ぶが、古代ペルシャには拝火教があり、マギと呼ばれた。祭儀に火を使い、きわめて異様な幻想に包まれていたので、マギ的から、マジック(魔法)になったそうだ。

私が作った詩に「マジシャン」というのがある。「もし私が、世界一のマジシャンなら、指を鳴らしただけで、世界中の憲法に、日本国憲法第九条を書き込んでやる」というものだ。まったく、そんな気分の今の中東情勢だ。昨夜読んだ本の中から、間違いもあるかもしれないが、私が記憶したのは、この程度のものだ。

▼ もう一つ、私が友人からいただいたもので、サハラ砂漠の砂がある。海岸の砂とはまったく違い、顔料にでもなりそうな粒子のこまい、さらさらした茶褐色の砂だ。これなら風で、様々な芸術的砂山を造形させるに違いないと、想像を掻き立てさせる。砂漠に「三つの彩」があるというのは、評論家であり哲学者の、故森本哲郎氏だ。

▼ 三彩は「青い天空・黄金の太陽・褐色の大地」だという。砂漠の都市に、見事な色彩のモスクがある。モスクはこの三彩のエッセンスを凝縮したものだという。さらに、砂漠の中のテントの中は、天幕に覆われた天国だとも言う。モスクとはそのものが天国ではないかとも言う。

▼ 砂漠は知らぬ間に形を変える。毎日が同じのように見えるが、同じではない。モスクに沈む太陽、コーランの詠唱があり「永遠のいま」を見事に表現しているという。私と小・中・高が同じで、世界を一人旅するのが好きな女性に、一番心に残った風景を尋ねると「砂漠に一人立ったこと。モスクに夕日が落ちてコーランが聞こえてきたこと」と話していた。

▼ さらにシャルル・ド・フコーの言葉だ。イスラム教徒が日に五回、メッカに向い礼拝する姿を見て「ままならぬ羨望と嫉妬を感じるようになった」と。私はこの言葉に接し、かつて我が国にも「宮城礼拝」があった。さらに、終戦の日の皇居で、国民が平伏す光景を思い出し、ムスリムの人たちに、妙な親近感を覚える。

▼ イスラム教とは「服従により神に達する道」だという。その教えを、毎日5回繰り返し、アラーの神に服従するのだそうだ。ジーハード(聖戦と言われるが)は、自分たちの都合によいように解釈してはならないと、ムハンマドは語っているはずだ。

▼『有志連合、さらに非有志連合国の、全ての為政者よ。あなた方の神の、真の声を聞く心を取り戻してほしい』。数冊のイスラムに関わる本を一度に読んで、カオスの世界に入りこみ、絶対神「アラー・マ」になった錯覚を覚えた、懺悔多すぎる今日の私です。


怒れば地獄

2015年02月09日 11時10分54秒 | えいこう語る

▼ イスラム国人質事件から、毎日のように考えるが、「テロとの戦いに屈しない」というのは、なんだか男らしくて勇ましく、正当性があるように聞こえる。だが、時間が経過し、その気持ちがどれほど持続しているかだ。もはや、アベ総理の談話や国会答弁の中からは、その怒りは、真摯に伝わってはこない。単なる有志連合に加盟し、集団的自衛権を行使する国にしたいというだけの、個人的情熱しか感じられない。

▼ こんなことを話したら非礼極まりないが、立ち入り禁止場所に侵入し、誰もが予測付く事態に遭遇した事件だ。カメラマン後藤氏の、戦争による弱者の悲劇を拡大しないための行動は、人間として賞賛に値するものだ。だが「全ての責任は私にあります」と、後藤氏はメッセージを残した。

▼ 一国の総理なら、そのメッセージを尊重し、報復にはやる国民の気持ちに、待ったをかけるぐらいでなければならない。総理自らが報復を煽り、国民を戦争に巻き込むというのは解せない。それは、後藤氏のメッセージを理解していないことになりはしないか。何度も言うが、アベ総理は、国民と違う日本語の解釈をしているようだ。さらにアベ総理の戦闘精神は、イスラム国と同様に思える。などと、考えてしまうから、この事件から心が晴れないのだ。

▼ 9:11以降に、米国はイラク攻撃の決議をした。だが、イラクかどうかもはっきりしないのに、むやみに攻撃してはよくないとして、反対した議員もいた。当時の国内感情では、反対する者はテロを支援したと見なされたに違いない。だが、オール賛成ではないところが、民主主義国家、米国の米国たるゆえんだ。

▼ 我が国も国会で「テロに屈せず有志連合に中で支援する」というような決議に、山本太郎議員を除き、全員が賛成したという。集団的自衛権を行使できる国へ、数歩前進した決議だ。こともあろうに、「テロは許さない」という、国民の多くの感情に迎合し、共産党まで同意したというから、九条改正のハードルは、相当低くなったようだ。

▼ この内容を私は他のブログで知った。北海道新聞では見なかった。あったとしても、目に付かないほどの小さな記事だったのかもしれない。一人の議員しか反対しなかったというのは、体制翼賛的風が、わが国に吹き始めてきたのではないかと、感じるからだ。新聞も一面に書くほどの内容だと思うのだが。

▼ 一度お会いして話したことがある、元外務省官僚の天木直人氏は、著書「さらば外務省」にこう書いている。米国がイラク攻撃をする時、特命全権大使としてレバノンに駐在し、我が国が米国に支援することに懸念し、当時の小泉首相に意見具申した文章だ。

▼ 「今回の対イラク攻撃を含め、中東情勢は今世界にとって人類にとって、最大の転換期を迎えている。今こそわが国の中東外交が試されていると、本使はレバノンに勤務して実感するのである。本電を総理、官房長官に供覧願いたい」。

▼ もちろん、外務省内で没にされ、解職となる。この内容は、今の有志連合と共に、テロ攻撃に参加する現状と同様に思える。イラク攻撃の時は後方支援で終わったが、今回は日本人殺害の画像が世界中に知れ渡ったので、九条改正には絶好のチャンスと見て「テロには絶対屈しない」と、大見得を切ったのだ。

▼ 一国の宰相を「臆病」か「勇敢」かで、判断してはならない。

米国ならそれでもいいが、わが国は「勇敢」とは「蛮勇」の意味もある。「臆病」とは「思慮深い」という意味もある。「蛮勇」を諌めるのは「思慮深さ」だ。戦後最大の、戦争へする国への、参加の危機を前に、「思慮深さ」こそ、わが国の総理の最大の資質に違いない。

▼ふと、窓に目を向けると、外は雪。忠臣蔵のあの名場面を思い出した。アベの殿が、血相を変えて小刀を振りかざす。「殿中で御座る。お家転覆になりまするぞ」。・・・「おのおの方、出陣は取り止めで御座います。」という、大石蔵之助役はいないものだろうか。


俳句と短歌と川柳と

2015年02月08日 12時06分13秒 | えいこう語る

▼俳句は世界一短い詩といわれる。大宇宙を手のひらのなかに閉じ込め、小宇宙に凝縮する俳人は、魔法使いではないかと思う。そこに7・7の字数を加える短歌は、さらに広い優雅な世界を醸し出す。私の感覚で例えれば、3畳間と6畳間の世界のような感じだ。

▼ 学生時代の友人の、3畳間のアパートは一人でも狭かった。でも、朝まで語り合うには結構広い空間だった。俳句はそんな感じに思える。短歌は,6畳間のアパートへ引越しした気分だ。少し優雅さが加わった世界観に満ち溢れた感じだ。それが私の俳句と短歌に対する感情だ。

▼ NHK全国短歌大会をテレビで観た。その中で、注目した句がある。「乳欲(ほ)りてまぶたふくらみ泣き顔が土偶のようだと娘は笑ふ」。生まれたばかりの目も開かぬ赤ん坊は、まぶたが大きく腫上がっている。それを土偶のようだと笑う娘をそばで見る、母の句だ。

▼ 私の隣町で発掘された、北海道初の国宝「中空土偶」。私は何度か対峙し、縄文時代と交信している。土偶は生まれてまもなく亡くなった、子供の再生を願って作られたものだそうだ。だがこの土偶は40センチ近くもある大きなものだ。皮製の刺繍のある服も着て、身体は大人だが顔は子供のようだ。

▼ 生まれてまもなく亡くなったので、今度生まれる時は、このような立派な大人になるまで生きて欲しいとの願望が、この土偶が伝えるメッセージのように思う。ある時、この土偶を見ていて、ダウン症特有の顔なのではないかと、ふと感じたことがある。立派な土偶だが、同じような形態のものは周囲から一切出ていない。津軽海峡を渡ってきたものなのか、様々謎を秘めているのも、この土偶の魅力だ。

▼ そんな短歌大会を見終わって、我が家の夕食の時間だ。今日は安くて美味しい牛肉を購入したので、すき焼きにしますと、妻が言う。寒さ厳しい中で、先ほどの大賞に選ばれた句を酒の肴にし、和やかな食卓だ。ここで短歌の一つも出ないのが、非才な私だ。短歌ならず川柳を一句。「半額を熟成肉と笑う妻」。

▼笑う食卓に、無粋な顔がテレビに映る。北方領土の日の大会で、なにやら意味不明の言葉を発している、アベ総理に一句捧げよう。「人質は北方領土とロシア言う」。おまけにもう一つ。「そういえば亜細亜は一つイスラムも脱亜入欧進軍喇叭」。短歌まで川柳になってしまった、我が家の夕食風景だ。


言葉の意味の多様化の中で

2015年02月07日 10時55分29秒 | えいこう語る

▼ 生活も環境もほぼ同様な時代は、言葉の意味はきわめて多様性に欠ける。なぜなら、価値観がほぼ同じだからだ。人々の生活や環境が変化し多様化した現在では、受け止め方にも違いが出てくる。随分前から感じていたことだが「イスラム国人質事件」を境にして、日本語は、さらに国際的にも多様化しているようだ。

▼ 最近の国会討論会、日本語で話しているのに、内容がまったく噛み合っていない。単純に言えば「戦う国」にしたい与党側と「戦わない国」にしよとする野党側の応戦なのだが、野党側にも「戦う国」にしたい者もいて、聞いている国民は狐や狸にだまされた感じだ。国会というのは、美しく正しい日本語をぶち壊す場所だというのを、あらためて実感する。

▼ 「戦う国」は、放棄したはずの我が国だが「テロには屈しない」,「罪を償わせる」といえば、なんとなく国民も「そうだ」と同調してしまう。つまり、言葉の意味の多様さが、「戦える国」への大きな流れに、国民を巻き込むつもりのようだ。そんな中、さらに驚いたことがある。昨年9月に「日本はイスラム国と戦う有志連合に加盟した」と、外務大臣が答弁したことだ。

▼ その後に、総理が中東を訪問し「イスラム国と戦う国に人道支援する」というなら、いくら田舎に住んでいる私でさえも「日本はイスラム国と戦う」と、宣言したと思ってしまう。イスラム国側だって、お金持ちの日本が、敵陣営に資金援助したら大変と考えるだろう。「そりゃないよ、アベ総理」といいたい。でも総理側では、そんな考えはイスラム国と同じだという。「そりゃないよ、アベ総理」。

▼ ニューヨーク・タイムスやトルコの新聞は「罪を償わせる」とアベ総理が発言したことに対し「涙ながらに復讐を誓った」と、報道した。NYタイムスの東京支局長は、日本は“変化してくるかも”しれないと、発言している。アベ総理は変な言動が大過ぎるから、海外がそう思うのだ。

▼ もし、私がNYタイムスの支局長なら「日本国のイスラム国と戦う国への人道支援とは、有志連合に加盟し、宣戦布告した。アベ総理は、自国の憲法第九条を有名無実化した。首相自ら、憲法違反を犯したのである」と、報道する。

▼ それに対し、アベ総理は「憲法改正は、国民の生命・身体を守るためだ」と弁明する。それに対しては「九条を改正してまで「戦う国」にし、多くの国民の命を犠牲にすると公言した。自己責任を国民に押し付けているだけで、日本の総理が、一番日本語の意味をまちがって使用している」と、報道するだろう。

▼ さらに、アベ総理は「憲法改正の発議は来年の参議院選挙後」だという。それに対しては「参議員選で、国民はアベ政権を圧勝させると、国民自身も憲法違反に加担することになる」と報道する。

▼今日は、NYタイムスの椴法華支局長になった気分で、アベ総理の発言の曖昧さについて、感想を述べてみた。という私の日本語も、意味がよく伝わらないかもしれないけれど。