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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

花火の季節になると 

2007年08月03日 15時58分36秒 | えいこう語る
2007・8・3
花火の季節になると、必ず思い出すお婆ちゃんがいます。
20数年前のことです。私は過疎化が進む故郷を、何とか元気付けようと思い、或るイベントを計画しました。
マスコミにも取り上げられ、2日間で村に訪れた観客数は、村の人口(当時2、000人)の倍近くになりました。
若者を対象にしたイベントだったので、前夜祭には、お年寄に喜んでもらおうと花火大会を企画しました。
花火屋さんにその趣旨を説明し、勉強していただき、予算の関係で100発だけでしたが、花火を打ち上げました。普通なら5分程度のものでしょうが、30分かけて上げてもらいました。
「どーん・・・ぱっ」 「どーん・・・ぱっ」それでも村人は大喜びです。
誰かが言いました。「花火も間が開きすぎて、過疎の村らしくて、いいんじゃないかい」・・・???
イベントが終わり後片付けをしていたら、近所で1人暮らしをしているお婆ちゃんが、缶コーヒーを差し入れてくれました。
「わし、この歳になるまで、函館の花火大会も1回も見たことなかったのに、死ぬ前に、自分のすぐ家の前で見れて、とってもうれしかったよ」と、言いました。
イベントの企画段階から、随分の批判や、非協力的なことも胸にしまい込んでいたので、このお婆ちゃんの一言に、思わず目頭が熱くなりました。
このお婆ちゃんの息子さんは、よその町で暮らしているので、一緒に住もうと話していたそうですが、「生まれた土地で死にたい」と、一人暮らしをしていました。
そのお婆ちゃん、日の暮れかけた国道を横断しようとして、車に追突され、亡くなってしまいました。
過疎の村の国道は、人も少ないので、まるで高速道路のようにスピードを出して走ります。お年寄や子供のゆっくりした歩行では、間に合わないのです。この近くでは以前に子供2人が、交通事故で亡くなっています。
私でも、車が遠くに見えて大丈夫と思い横断し、途中で小走りになる事もしばしばです。これから高齢化が進むと、過疎の村の国道は、とても危険なゾーンになって来ます。それがとても心配です。
花火の季節になると、何時も思い出す、お婆ちゃんのあったかい気持ちと、悲しい思い出です。


函館港花火大会 

2007年08月02日 14時37分31秒 | インポート
2007・8・1
函館山は大昔、陸から離れ海に浮かんでいた「ひょっこりひょうたん島?」のようだったんですが、陸と島の間に砂が堆積し、出来たのが函館市です。
ですから、頭が函館山で、くびれた胴体の部分に町並みがあるので、山から見る夜景が美しく「百万ドルの夜景」といわれます。
函館山の真下には、巴港と呼ばれる天然の良港があり、ペリーさんも来たし、北洋漁業の基地として、栄えてきました。それにより造船業も隆盛を極めましたが、北洋の衰退から町も元気を失い、夜景も今では30万人都市だから「30万ドルの夜景」かなと、寂しい冗談も出てきます。
昨夜8時、巴港に打ち上げられる花火を、10キロほど離れた、スーパーの駐車場で見物しました。
連打に歓声を上げる見物人。遠くで見ていると、打ち上がってから、少し間を置いて、どんー・どんーと音だけが聴こえてきます。お祭りや盆踊りで、酒を飲み過ぎたオジサンたちが叩く太鼓のようで、妙な感じです。
やはり花火は近くで、大きな音に驚き、首を上げ下げして見るのが一番のようです。
私の隣に両親と来た、小学校に上がっているかいないかのような、女の子とお父さんの会話です。
「広島と長崎の原爆みたい」・・・??!!
八月なので、大人が話していたのを覚えているのかな、としても、今始まったばかりなのに、衝撃的過ぎる発言。
わりとデリケートな私は、イラクでの夜間に飛び交う砲弾の事などを連想してしまい、気持が萎えてしまう。
花火の大輪の中になにやら絵が浮かぶが、私は、まったくピンとこない。その子供は「うさぎだ」・「ハトだ」と瞬時に答える。そう言われればそうである。子供の感性は鋭いと、感心しながらも、自分は完全に衰えていると、また落ち込んでしまう。
こうなると「夜間よく働いて、ご苦労さんですね」という救急車のサイレンの音までが、戦場を走る救助隊のように感じてしまう。
あまりしっかりしている子供に、情緒も何もあったものではないと思っていたら、ついに子供らしさが出た。
「お父さん、カタツムリして」・・・「カタツムリは危ないよ」と、お父さん。
今の花火、かたつむりの形なんだっけ、と考えたら、お母さんが「それは、肩車でしょう」と突っ込む・・・ヤッターぜ・ベイビー!
隣にいた私の妻も、笑をこらえていた。
子供の方を振り向くと、その後ろに大きなお月様が、薄雲にかすかに覆われてぼんやりと見える。それは、まるで函館市の景気の悪さを象徴しているように私には思えた。
しっかり者の子供に、最後まで心を惑わされ、さっぱり気持の盛り上がらなかった、花火大会でした。
忘れていました。こんなこともその子は言いました。
「花火と観客が勝負し、花火が勝っている」なんて、恐ろしい台詞もはいていました。・・・これは、天才(天災)だ?!と思い、私はメモってきました。


田舎のペット

2007年08月01日 05時54分08秒 | えいこう語る
2007・8・1
私の飲み仲間のMさんは、もうすぐ70歳になる。
一昨年軽い脳梗塞を患い、酒量もめっきり減った。元々真面目な女好きであるらしく、飲み会にも近所のおばさんたちがよく集まってくる。
女好きの男性は、ほとんどが動物好きだと勝手に思っている私だが、Mさんが飼っている犬の可愛がりようや、他人のペットがMさんになつく動作を見ていると、十二支が動物である事を実感する。
発病以来、歩くのが少し不自由になり、二匹飼っている、小型の犬を散歩させる時は、犬を引っ張る紐を自分の腰に結わえているが、どう見ても犬に引っ張られている、というふうにしか見えない。
「Mさん寄っていったら」と声をかけても、軽く手を上げるだけで、犬に引っ張られ帰宅状態だ。
つい最近の事である。
Mさんの車庫兼犬小屋に、車が突っ込んで、全壊した事件があった。しかし犬たちはとっさに身をかわし災難を逃れたのだ。
「田舎で暮らしているから、動物本来の危険予知能力が残っていたのだ」というようなことを話し、Mさんは涙を浮かべていた。
スキンヘッドの似合う、動物好きのMさん。世の中のめぐり合わせの妙なのか、なぜか奥さんが大の猫嫌いときている。
犬ばかりでなく猫にも優しいMさんを慕い、近所の猫のノラたちが集まってくる。
飲み仲間がMさん宅に集まると、餌をねだり、ガラス越しにベランダに並んでいる。
ご馳走を並べる奥さんの顔が引きつってくる。
Mさんの仲間には、さらに動物好きのYさんがいて、二人で窓を開けノラに餌を与える。
コノ野郎〃と青筋を立てた奥さんが、猫を蹴っ飛ばすのを何度も見た。
MとYさんは「やられるから逃げろ」と言い、ノラを外に出そうとするが、すでに酔いが回り、逃がすチャンスを失している。
まるで昭和30年代の、家庭内のどたばた劇が、目の前で繰り広げられる。でも、ノラはその程度では懲りたりはしない。
或る日Mさんの家で飲んでいたら、ノラが何と鼠を銜えて、ベランダを横切っていくではないか。
猫が鼠を捕るなんてことは、忘れてしまいそうな昨今にである。
「物置に時々野ねずみが入るので捕ってくれるのさ」とMさんの笑顔があった。
「よ!!大統領」と私は、奥さんに聞こえぬような小声で、颯爽と歩くノラの後ろ姿に声援を送った。
でも、奥さんの存在があって、ノラもノラらしく、共に暮らしていけるのだとも思った。