
花火の季節になると、必ず思い出すお婆ちゃんがいます。
20数年前のことです。私は過疎化が進む故郷を、何とか元気付けようと思い、或るイベントを計画しました。
マスコミにも取り上げられ、2日間で村に訪れた観客数は、村の人口(当時2、000人)の倍近くになりました。
若者を対象にしたイベントだったので、前夜祭には、お年寄に喜んでもらおうと花火大会を企画しました。
花火屋さんにその趣旨を説明し、勉強していただき、予算の関係で100発だけでしたが、花火を打ち上げました。普通なら5分程度のものでしょうが、30分かけて上げてもらいました。
「どーん・・・ぱっ」 「どーん・・・ぱっ」それでも村人は大喜びです。
誰かが言いました。「花火も間が開きすぎて、過疎の村らしくて、いいんじゃないかい」・・・???
イベントが終わり後片付けをしていたら、近所で1人暮らしをしているお婆ちゃんが、缶コーヒーを差し入れてくれました。
「わし、この歳になるまで、函館の花火大会も1回も見たことなかったのに、死ぬ前に、自分のすぐ家の前で見れて、とってもうれしかったよ」と、言いました。
イベントの企画段階から、随分の批判や、非協力的なことも胸にしまい込んでいたので、このお婆ちゃんの一言に、思わず目頭が熱くなりました。
このお婆ちゃんの息子さんは、よその町で暮らしているので、一緒に住もうと話していたそうですが、「生まれた土地で死にたい」と、一人暮らしをしていました。
そのお婆ちゃん、日の暮れかけた国道を横断しようとして、車に追突され、亡くなってしまいました。
過疎の村の国道は、人も少ないので、まるで高速道路のようにスピードを出して走ります。お年寄や子供のゆっくりした歩行では、間に合わないのです。この近くでは以前に子供2人が、交通事故で亡くなっています。
私でも、車が遠くに見えて大丈夫と思い横断し、途中で小走りになる事もしばしばです。これから高齢化が進むと、過疎の村の国道は、とても危険なゾーンになって来ます。それがとても心配です。
花火の季節になると、何時も思い出す、お婆ちゃんのあったかい気持ちと、悲しい思い出です。