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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

霊は本当にいるのだろうか

2007年08月19日 10時06分42秒 | えいこう語る
私のお寺は浄土宗、開祖は法然上人である。年4回のお寺参りがあり、8月は今年3回目のお寺参りである。私も役員の1人なので会計を手伝うのにお寺に出かけた。
お盆の法要なので、昨年のお盆から数えて亡くなった檀家の方をお弔いする儀式がある。今年は8人である。檀家総数約100軒では、年間の死亡者は4人程度なので、多すぎる人数である。それぞれのご遺族の代表者が、名前を呼び出され、祭壇に手を合わせると、参加者全員が念仏を唱え死者の供養をする。
若くして病死した母親、夫に先立たれた50代のご夫人。入院後、すぐに亡くなった方、全員顔見知りなので、毎年悲しい思いをする、8月のお寺参りである。
昼食をいただくのにお寺の台所に行くと、二人の檀家の奥さんが食事をしていた。その一人は先月72歳で亡くなった、お寺の総代の奥さんである。
その人の弔辞は、同じ総代の私が書き、読み上げた。
奥さんはその時のお礼を私に述べた。
「亡くなってから1ヵ月経ちましたね。月日の経つのが早いのを感じます。お父さんの事だから元気で、西方浄土へと旅立っているのでしょうね」と話したら「お父さんはまだ家にいるんですから。私には良くわかるんです」と返ってきた。
話し掛けて気がついたのだが、この奥さん村でも霊感が強くて名前が知れわたっている方だ。他人の霊がとり付いて、周囲が驚いたと言う話は何度も聞いている。
それに今日は今までになくオシャレだし、目も輝き、毅然とした話し振りだ。
なんだか心がざわめき、食事ものどを通らなくなり、急いで本堂に戻った。
仕事に戻り、総代長にそのことを告げたら「他人の霊も見るのだから、身内の霊は尚更見えるのだろう」と言った。
それにしても、お盆の法要にふさわしい話題だねと、二人で笑ったが、あの奥さんの堂々とした態度を見ると、霊と会話できる人はこの世にたくさんいるのではないかと思ってしまう。
そう言えば、弔辞を読むにあたり、奥さんに故人の人となりを伺ったら「私をとても大事にしてくれた人です」と初めに言った言葉を思い出した。
生前愛し合ったので「千の風になって」のように「私は死んでなんかいません、何時もあなたを見守っています」と言う台詞を直接的に信じれば、「まだ家にいます」というのは理解できる。
しかし、私としては、早く西方浄土へ旅立ってもらい、先に亡くなった多くの檀家の人たちと一緒に、私たちがやがて訪れる時の、快適な居場所を確保して欲しいと願っている。
今まで亡くなった各総代に対する弔辞の最後には、このお願いだけは皆さんにしているからだ。


憲法第九条のある国にいて

2007年08月18日 10時17分48秒 | えいこう語る
外敵からの脅威に対する、個別的自衛権、さらに集団的自衛権問題。国の危機管理が強面に叫ばれると、自己防衛をするのが「あたりまえ論理」が主流を占めてくる。
8月に入って、身近な人と戦争を語る機会が何度かあった。日米安保がある限り、一般的には集団的自衛権も認めざるを得ないだろうと言う話になる。
勝つまで戦うのが軍隊である。負けると戦争責任を追及されるからだ。戦争が始まると勝利者のみに正義は与えられ、敗者には戦争犯罪が適用される。
身近なところでは東京裁判がその例である。インドのパル判事が全員無罪を主張したのは、勝者側からの一方的裁判は、平等でないと言う意味に理解する。日本軍の行動を支持してくれたように、靖国神社にある石碑には書いてあったが、私には自衛に為の戦争だと主張する人たちが、勝手に理解しているように思えた。
広島、長崎に原爆を2発も落として、いまだその犯罪性が問われないのも、軍隊はどんな手段を用いても、勝てば糾弾されないと言う戦争裁判の持つ、普通の裁判とは違う側面があるからだ。
アフガンやイラクでの米国の戦争をみても、間違いだと大勢の国民が認めても、用意に撤退しないのは、戦争責任問題が出てくるからだ。
戦争は少なくとも国民の生命・身体・財産の保存の為に行われていないようだ。国家の中枢にいる人たちの何らかの利権確保の為に、行われていないだろうか。
先の大戦で、とりわけ日本軍の犠牲になったアジアの人々は、2,000万人を超えるという。人間が悪魔になれるのが戦争である。
もし自分が軍人であり、8月15日のあの放送を聞いたと想像してみるとしよう。これで無益な人殺しをしなくても良いと、喜んだに違い無い。
そして、新憲法第九条を聞いた時、なんと素晴らしい条文だと、日本の未来に希望を持ったに違いない。
憲法第九条のある国に生まれたことに誇りを持ち、人類の夥しい流血によりこれを手に入れたという自覚を忘れず、何時までもその条文が改正されないよう監視するのが、国際平和に貢献できる、唯一の私たち日本人の役割ではないかと思う。


白い恋人」と北海道

2007年08月17日 16時46分52秒 | えいこう語る
北海道に住んでいても、札幌に行くとお土産に買って来る。
コンパクトで10個ぐらい買っても、手提げ袋一つで済むサイズだ。
誰にプレゼントしても喜ばれ、それに美味しい。北国の清潔な雪のイメージが品名に含まれていて、それが北海道を代表する商品になっている。
その石屋製菓が賞味期限を改竄したということで、道民の驚きも大きい。
この会社はサッカーのコンサドーレの大スポンサーでもあり、社長は、歴代の知事とよくテレビに出ては、北海道応援団長的存在の人であった。
北海道は沖縄と共に、開発局があり、土地の広さゆえ、インフラの整備や、農林水産業の補助金など、国に対する依存体質が強いところだ。
1983年、北海道の真の自立をめざし、本来の開拓精神を取り戻そうと提唱した、革新道政がスタートした。その呼びかけに道民も企業も一斉に立ち上がった。Sビール会社をはじめ、石屋製菓もその中にいた。
道民が一丸となって新しい北海道づくりに目覚めた時代だった。
革新道政から始まった、この北海道活性化運動(一村一品運動)が、やがて政治路線が曖昧になるH知事に引き継がれ、現在の自民党道政に変わっていく20数年間で、運動の基本精神にも企業家精神が、徐々に頭を持ち上げて来たとしても不思議な事ではない。
当時、北海道を活性化するのに、「官民報」が一帯となって協力することが相乗効果を生むと言われた。
行政の組織力と民間の発想と行動、それを支える報道機関の役割がコミットすれば、マチの停滞ムードが払拭されるのも、私も体験している。
しかし役人と言うのは、それをシステム化し効率をはかり成果を強調する。
大分県と北海道は、一村一品運動の先駆けをした。その悪い面を見たような「白い恋人」問題を考えながら、新任の知事が就任以来、テレビを賑わしている宮崎県のことを心配する事がある。
個性的で行動力とアイディアのある知事が、県をアピールするには良いが、それに乗じて、役人や生産業者、観光業者のモラルの低下をするのを心配している。
北海道物産展は全国的にも人気であるが、参加している業者は、地元に事務所だけを置き、商品だけを扱う道外業者が多いのも最近判明した。
宮崎産マンゴウ-が、一個1万円を超え喜んでいるが、夕張メロンと偽り、よそで採れた物を販売している実態を見れば、手放しでは喜べないような気がする。
「白い恋人」問題も地元のマスコミ報道も、ありきたりの企業倫理問題としてしか扱っていないが、「政官業」の関連性に踏み込まなければならない問題だと思う。
あらゆる組織のあり方が、複雑に入り込んでいる今、「バレなければ良い」と言う精神が様々な分野で、根強くはびこっている。また組織が大きくなると、罪の意識もそれなりに拡散してしまう。
新聞記者から聞いた事があるが、購読者が減少するような記事は、上司がもみ消すと言っていた。住民も地域のことを悪く書かれると、新聞不買の声があがったりする。自分たちにとっては不都合な事でも、真摯に受け止める気持ちが無いと、報道する側も住民側にも、真実を見る目が何時までも養われないのではないだろうか。
ともあれ、この問題一企業の問題でなく、北海道全体の問題であると思う。
特に長く行政に携わり歴史を掌握している、自治労組織が検証すべき問題だと思うが、お得意の「自己批判」などと言うのも、死語であるような実態であれば、北海道は何時までも図体ばかりがでっかくて、中身がないといわれてもしょうがない。


62回目の8月15日

2007年08月15日 17時03分24秒 | えいこう語る
先日テレビで、漫画家の水木しげるさんの戦争体験をもとにした「総員玉砕せよ」を見た。ニューギニア戦線は、食糧難と物資不足、さらには伝染病の蔓延、頼みの援軍さえなく、引き返すことも出来ず、全員玉砕と言う無謀な命令を下した。
なぜ生きてはいけないのか、なぜ死ななければならないのか、自分の命を国家に翻弄され、死んでいかなければならない戦争の悲惨さが描かれていた。
水木さんの隊の参謀は、自分が玉砕を見届けると言って、部下を突撃させ、自分だけが生きのびようとした。それが戦争の本質を除かせた、強烈な一場面であった。
私の親戚にも、わずかしか生還できなかった戦場にいた人がいた。自分は大学出の上官だったから、蛇もトカゲも食べたが食料が確保でき、それで餓死せずに助かったと、酒を飲んだ時に一度だけもらした事があった。
沖縄戦線での、ひめゆり部隊の映画もテレビで放映していた。
校長先生が、軍の命令を伝え、私の気持も察してくれと、自分勝手なことを言い、責任を逃れようとした場面があった。責任を果たすのは自分の上位の人たちに対してであって、自分の下にいる者に対する責任が無かったのは、前述した、参謀と同じである。
戦後、B・C級戦犯になって、処刑された軍人が千人近く居たとされるが、公開されないでいるのか知らないけれど、ほとんどが最高責任者である、大元帥閣下の戦争責任を口にした者はいなかったようだ。恐ろしい時代であり、恐ろしい教育である。
戦後60年の節目に、靖国神社を見学した事がある。
当時の世界情勢からして「自衛の為の戦争」というのは一見正しいように思えるが、どれほどの人が無残で意味のない死を遂げさせられたかを念頭に置き、靖国神社をお参りすると、戦争が人間のもっとも愚かな行為だということに気付く。8月15日というのは、私には「責任のとりかた」についてを考える日ではないかと、今年はテレビの番組から教えられたような気がする。。
議員の事務所経費の問題、社会保険庁や林野庁の問題、イラク戦争への米軍への支援、身近には市町村合併など、過ぎた事だから「しかたがない」が、いまだに国中にまかり通っていれば、62年たった今でも、以前、精神面で成長の無い国になっているような気がしてならない。


子供たちが泳がなくなった理由

2007年08月15日 16時58分31秒 | えいこう語る
北海道もこの数日、猛暑と言ってもいいくらいの暑さが続いている。
海が目の前なのに、泳いでいる子供たちがいない。
私達が子供の頃は、ウニが商品としての価値がなかったので、海水浴と言えば、ウニを捕って食べた。焚き火の中に放り込んだ焼きウニはとても美味しかった。ウニと同じく最近は貴重になったなまこも、捕ってはすぐかじりついた。捕りたては塩味も適度に効いていてとっても美味しかった。ウニを食べるため、泳ぎも、潜るのも自然に身に付いた。
水中メガネをかけ昆布を掻き分けて潜って行くと、岩の間にびっしりウニが詰まっていた。息切れして海面に顔を出すが、潮に流され場所がわからなくなると困るので、すぐに潜った。海の中には様々な魚が泳いでいて、天然の水族館だった。岩の間から突然カジカが現れて、水中メガネではそれがとっても大きく見え、怪獣だと声を上げ、海水を飲んだ事も何度もあった。
その頃築港が整備されていなかったのか、烏賊釣り漁船が、泳いでいけそうな距離に停泊していた。そこに大勢で泳いで行き船の底を潜ったり、船の上から飛び込んだりした。夏の砂浜は広々として、野球や相撲を楽しんだ。落とし穴だって無数に作って遊んだ。流木だってたくさんあったので、何時も焚き火をしたし、消防に注意される事なんかまったくなかった。
いじめや喧嘩もなく、上級生の言う事を聞いていれば、事故も無く楽しかった。
テレビの普及やゲームのせいも大いにあるかもしれないが、あの美味しいウニを捕ってはいけなくなったあたりから、子供たちは海の魅力から離れてしまったような気がしている。
子供たちのいない夏の海岸は、寂しいものがある。
一番寂しがっているのは海そのものかもしれない。2007・8・14