函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ジャニー喜多川と統一教会

2023年09月19日 11時05分53秒 | えいこう語る

少年への性加害を巡り、ジャニーズ事務所所属のタレントのコマーシャル起用を、企業側が解約をし始めている。

 

企業側も莫大なCM 料を払わされているので

、この際それらの解消に出ているのかもしれないが、問題はジャニー喜多川個人の性暴力だ。

 

まじめなタレントに、その責任を負わせてはならない。ジャニーズ事務所とクライアントと広告会社・電通などの複雑な絡みもあると思うが、多くのまじめな所属タレントまで、被害を被るのは納得がいかない。

 

東京五輪での組織委員会と電通の絡みは、委員長も元総理の森喜朗だ。政府も加わっている、いわゆる国家ぐるみの犯罪だ。

 

五輪招致の国際会議の時も、当時のアベ総理が「福島原発の汚染水は完全にコントロールされている」という、世界に嘘をついたからだ。

 

その汚染水が今回溢れかえったので、海中投棄に踏み切った。コロナの蔓延で、五輪は1年延ばしの無観客だった。それに組織委員会の体たらく、五輪は何のための開催だったのか、今考えても理解ができない。

 

今や五輪問題は、電通と組織委員会の問題から、交渉役を担った高橋と青木の二人の犯罪のように、マスコミも誘導する。

 

ジャニー喜多川の性加害問題も、ジャニーズ事務所の存続が主で、加害者たちの保障問題に目を向けている。半面、ジャニーズのタレントのCM起用を、大手企業が契約解除している。

 

国民の目の届かないところで、関係者だけの‟禊”をしようとしているように思える。このトカゲのしっぽ切りに手を貸しているのが、マスコミのような気がする。

 

猛暑に続き我が国は、濃霧まで発生しているような気がする。つまりなかなか快晴がみられない、今の曖昧な日本だからだ。

 

さて自民党の国会議員180名もが関わっていた、統一教会問題だ。その教会の広告塔的存在が、元首相のアベシンゾウだ。

 

統一教会に家庭を崩壊されたという理由で、アベシンゾウを射殺した。戦後史に残る暗殺事件にもかかわらず、国民の反応は冷ややかに見える。もはや事件の内容も、忘れかけているような気がする。

 

さて、シンゾウが関わった森友学園問題も、裁判所は公文書の開示も認めなかった。もはやこの問題も、忘却の彼方に追いやってしまうのだろう。

 

そんな、国家が揺らいでいる間に、なんだか意味もない内閣改造に出た。女性大臣の起用は、単なる雛壇を飾るために思える。

 

キシダ総理だが、この人の性格と考えが、今の日本を曖昧にさせているような気がする。いや、曖昧の権化そのもののように見える。

 

この日本にかかる‟霧”が晴れた時【憲法改正】という、日本の戦前的世の中が、用意されているような気がしてならない。

 

キシダ総理は、米国と向き合うだけで、近隣の中国や朝鮮半島やロシアには、敵対関係を示し続けている。

 

それらの国の近代の歴史を考えてほしい。日本に侵略された歴史があるからだ。彼らの共通認識としては「敵は日本」なのだ。

 

それなのに日本は、憲法9条を破棄する【憲法改正】をもくろんでいる。周辺国にとっては、大日本帝国の復活に見えるに違いない。

 

アベシンゾウの遺志を受け継ぐというキシダ総理。アベは「前後レジームの解体」と叫んだ。それは周辺諸国から見れば、「大日本帝国」復活と理解されるだろう。

 

そんなことはないと、マスコミも徹底分析を試みない。国民も、まさか「大日本帝国」に回帰するなどとは考えていない。ここが今の日本の曖昧差の最大原因のように思う。

 

奥平康弘VS木村草太の対談集「未完の憲法」(潮出版社)の最終章で、故奥平康弘(東大憲法学教授)はこう結ぶ。

 

【敗戦により日本国憲法は出来上がった。国民は「憲法とは何か」ということを考えることなしに憲法が出来上がってしまった。自民党は55年の発足以降、憲法は押し付けだから全部改正しようと言い続けてきたのは、愚策だと思う。だが、憲法前文での政治的な語られ方は、時代を超え歴史を超え、普遍的な価値を持っている。前文は憲法の理念を語っているので、日本国憲法の『魂』だ。だから理想主義でいい】。

 

さらに木村も「日本国憲法と向き合う」ということの必要性を説く。それに同感し、奥平も「日々新聞に報じられる様々な出来事について、 憲法的視点から考えることは可能だと指摘する。

 

さらに奥平は【もし日本国憲法がなかったら、日本の官僚はもっともっと悪かっただろう。政治家や裁判官ももっと悪かっただろう。今の日本の水準には、とても達しえなかったはずだ】と指摘する。

 

そうであれば、ぞっとする日本になっていたのかもしれない。改めて【日本国憲法と向き合う】ということを実践していきたい。

 

さらにそれを後押しするのは、マスコミの務めだということも、改めて実感した。