函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

憲法を守らなくなくなった国

2023年09月03日 20時25分39秒 | えいこう語る

「立憲主義」とは「国家権力を制限し、国民の権利・自由を守ることを目的とする考え」という理解をしている。

 

我が国の憲法の主眼は「国民主権」だ。そうであれば「立憲主義」を守ることが「民主主義国家」のあるべき姿だだろう。

 

しかし最近の我が国の政府は「立憲主義」を守っていないような気がする。近年の出来事で国民を無視し、国家権力を際立たせたのが、福島原発事故の汚染水の海中投棄だ。

 

デブリに直接触れた放射性汚染水だ。漁業者や国民の多くが反対している。だが溢れかえったので、海に放出するしかないというのは非科学的だ。

 

さらに政府や東電は、その判断を国民に任せているような気がする。太平洋に放出というのは、汚染水が出た時点で、それしか方法を考えていなかったのだ。

 

「溢れかえれば海洋放出しかない」。政府や東電は初めから計画していたのだ。にもかかわらず「漁民の理解がなければ放出しない」との約束は、その時にはそういうより仕方がなかったのだ。だが最終的には、海洋投棄を漁民も理解するだろうという考えだ。

 

最高法規である憲法も、解釈により「なんとかなる」というのがアベシンゾウ以来の政府の考えになっている。さらに「閣議決定」なるもので政権が運営できると考えている。

 

憲法56条には【行政権は内閣に属する】とある。内閣法第4条には【内閣がその職権を行うのは閣議によるものとする】とある。

 

つまり閣議決定とは【行政権を持つ内閣の決定】で、国会の審議を得なくてもいいという解釈になるという。

 

ということであれば、三権分立など機能しなくなる。だがアベシンゾウはその閣議決定を乱用し、次々法案を通過させていく。

 

閣議決定の乱用は「例外状態」を一般化する、きわめて全体主義国家へと変容していく。そんな状態を喝破したのが、イタリアの哲学者ジョルジュ・アガペンだ。

 

アガペンはコロナ・ウイルスの拡大で、行政権力がコロナ危機を理由に「緊急事態」を宣言し、「移動の自由」などの権利を制限したことや、そうした「例外状態」が長引いて常態化することをひとびとが「やむをえない」と受け入れ、やがて慣れてしまう危うさに懸念を表している。

 

コロナが蔓延するから。とりあえず米国製のワクチンを打とうという。なぜ日本製を許可しないのか、国民は不思議に思っていたはずだ。

 

それも何回も打った。何回も打たなければならないワクチンなんて、本当は効いていないのか?と思いながらも。国民の同調圧力のすごさを生まれて初めて見た。

 

この同調圧力が「閣議決定」を容認させていないかアガペンでなくとも心配になる。「溢れた」から海に投棄する。それがごく当たり前の考えではないかと思っている国民が多いのが、なんだか心配になる。

 

憲法第9条がありながら、世界最大級の軍事大国になり、軍事費の拡大にも国民は反論しない。そこが哲学者アガペンが心配するところだ。

 

憲法をないがしろにする政府があって、それを阻止できない国民がいる。立憲主義も民主主義を崩壊し始めている、それが今の日本ではないか。

 

「目覚めよ!」と叫ぶ宗教団体がある。統一教会を信奉するより「目覚めよ!」という宗教を信奉した方が、憲法を守る正しい政府になりそうな気がしてくる。

 

それにしても「統一教会」の司令塔のアベシンゾウが殺害されたにもかかわらず、廃教にしない日本もおかしいものだ。