函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
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脳が汚染水を処理できない「脳水大臣」

2023年09月02日 18時32分30秒 | えいこう語る

福島原発事故の汚染水の海中投棄問題。一番反対しているのは地元の漁師だ。にもかかわらずその対応は、経産大臣と総理だ。

 

汚染水の一番の責任者は東電だ。もはや東電は国の言いなりになり動いているようだ。漁業者の反発は大きい。その対応は農水大臣だが、東電と同じく、総理や経産大臣の陰に隠れてしまっている。

 

私もそうだが、汚染水について農水大臣の存在など忘れてしまっていた。海中投棄の責任を総理や経産大臣に任せっぱなしでいたせいか、久しぶりにマスコミの取材を受けた野村農水大臣が「処理水」を【汚染水】と発言した。

 

多分経産省では「処理水」に統一していたが、漁業者と直接接する農水省は「汚染水」の方がなじみ深かったのだろう。

 

テレビで久しぶりに野村大臣を見たが、ただのおやじに思える。どうも大臣としての風格など欠片もない、ただのおやじだ。このタイプなら私と同じように「汚染水」としか覚えていないはずだ。

 

中国が指摘するように、もともとは汚染水だからだ。記憶が薄れたが、東京五輪招致の時、アベシンゾウも「汚染水は完全にコントロールされている」と、世界に約束したはずだ。

 

コントロールされているどころか、洪水のように噴出していたのだ。タンクに貯めいていただけで、それが溢れたので、放出するために「処理水」と名称を変えただけだ。

 

放射性物質の中で、水に溶けないトリチウム以外は除いたというが、取り除いた放射性物質はどこに行くのだろうか。そんな疑問さえ出ないメディアの報道内容だ。

 

そのことを野村大臣に問えば「裏山に穴を掘って埋めているんではないの」?と話してくれるかもしれない。

 

放射能に汚染された多くのタンクの処理もどうなるのか、皆目国民には知らされていない。古くから「水臭い話」とか「水に流す」という言葉がある。

 

野村の爺の首をすげ替え、すべては「水に流し」希釈してしまおうという魂胆に違いない。この頃の国民は、時間が過ぎればいやなことは簡単に忘れる、というそんな風潮になっているようだから。

 

コロナのパンデミックで、緊急事態にも気軽に対応できる、そんな国民性を発揮したからだ。政府が最も驚いたのは、米国製のワクチンを無料だといえば、何回も接種する国民性を見たからだ。

 

「侍ニッポン」。国民に「矜持」などというものはすっかり薄れてしまっているようだ。「汚染水」を「処理水」といえば、そのうち何とも思わなくなる。

 

何なら、あと数カ月も経ったら【アルプス処理水】などと名称を変え、災害時の飲料水として、備蓄可能かもしれないと、政府は考えているかもしれない。

 

そんなふざけたことを考えてしまう、野村のおじさんを農水大臣に座らせる、キシダ政権だ。中国が福島沖の遠いところで、サンマ漁を始める。

 

トリチウムを多く含んだサンマが網に入ったと、言い出しかねないかもしれない。孔子の国も我が国と同じく、レベルが低下しているようだ。