函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館市の軍港化回避!

2021年04月04日 11時40分05秒 | えいこう語る
▼世の中は表があって裏がある。「裏を見せ表を見せて散るもみじ」この句は良寛の句ではないと言われるが、包み隠さず生きる自然体の心こそ、人間の願望だ。

▼4月2日の北海道新聞に【病院船の新造、政府が見送り、函館の関係者残念】という記事があった。災害時などに海上で患者を治療する、病院船の新規建造が、見送りになったということだ。

▼コロナの感染拡大により、与野党から導入に声が高まっていたという。だが船内での医療従事者の確保などの課題があるとし見送ったという。

▼この裏には、我が国の国防上の「三海峡封鎖」がある。ロシアの艦隊を外洋に出さないよう、対馬・津軽・宗谷海峡を封鎖する作戦だ。

▼津軽海峡は中央に公海があるので、他国の潜水艦などが入り込んでいると言われている。そこでミサイルを撃たれたら、函館などひとたまりもない。

▼ペリー来航以来、函館は軍港として米軍も注視していたというのは、私の妄想だ!。だが1997年に、日米間で合意された「日米防衛のための指針」通称・新ガイドラインでは、有事使用の可能性のある港湾として、北海道では苫小牧と“函館”が挙げられている。

▼私の妄想も捨てたものではないと、喜んでいられない。他にも函館港は、大型クルーズ船の入港整備で水深を掘り下げ、岸壁の延長も行っている。

▼観光での経済効果ばかりを取り上げているが
、私の妄想では、一朝有事には米空母の入港を見込んでの、安全保障上の軍港化の整備だと睨んでいる。

▼函館には海上と陸上自衛隊が駐屯し、戦艦を修理するドックもある。青森側と函館側に、ミサイル基地を整備すれば、津軽海峡封鎖ができる。

▼思い出してほしいが、日露戦争開戦時、ロシアのバルチック艦隊が、対馬海峡を通過したため、日本海軍が勝利した。

▼だが海軍は、津軽海峡通過を想定していた。もし艦隊を津軽海峡に移動させていたら、歴史は変わっていたかもしれないからだ。

▼時々津軽海峡を米空母が通過する。エンタープライズを見た私の友人は「まるで山が動いているようだった」と話している。青森と函館の最短距離は「約18キロ」しかないからだ。

▼私は津軽海峡を眺めるたび、開戦時の秋山真之の言葉を思い出す。「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」だ。私は「一戦」を「津軽海峡」に置き換えている。さらに「本日天気晴朗なれど津軽海峡波高し」もだ。

▼「病院船」に戻るが、表の経済効果だけを記事にしないで、裏にある軍事面の解説も、新聞社に期待したい。

▼さらに、市議会には、病院船と日米安保との関連性にも、質問を怠らないように期待したい
。スガ総理の顔は、裏が表に現れたような、権謀術数の権化のような顔に見えるからだ。

▼コロナ戦争の最中、なんだか裏に隠れていたものが、表面化してきているような動きがみられるからだ。

▼北海道に関して言えば、核のゴミ地下埋設問題だ。国は堂々と処理を推し進めている。さらに幌延町の核のゴミ地層処分研究センターも、現在の深さより150メートル深く掘削し、500メートルに掘り進める方針を決めたという。

▼アイヌ・モシリ(人間が住む静かな大地)に、政府は【核のウンコ】を、投げ捨てる算段のようだ。その省庁を【計算省】と呼ぶことにしたい。

▼寿都町が文献調査を開始した。2年間で20億円の補助金が配られるという。決して「うらやましい」と思うなかれ。“裏にやましい心”があれば、故郷は悲しむだけだからだ。


    寿の都の町が泣いている
              三等下