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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

探偵ごっこ

2014年06月11日 13時04分11秒 | えいこう語る
5月3日、函館市が大間原発建設差し止め訴訟を起こした。
自治体初の提訴は、全国に波紋を呼んでいる。
訴訟費用にと、全国からの寄付金は、すでに2000万円を越え、基金を創設するそうだ。
函館市町会連合会も、大間原発建設中止委員会(案)を設置し、市民の安心・安全な暮らしを守るため、本格的に反対運動を展開することになった。
そのガイドライン作りを、私が行っている。
184の町会が集まる大所帯なので、文章作りには一字一句配慮が欠かせない。様々なことを想定し、文章は次々書き換えられる。
無難なところで妥協してしまえば、この手の戦いはスタート時点で負け戦になるから、頭の中は混乱するばかりだ。
原発関係の資料だけを読み漁っていては、かえって見えなくなるものがある。そこで、固まった頭を客観的な視点に戻すため、ミステェリー作家の内田康夫の「坊ちゃん殺人事件」を読む。
主人公はご存知、ルポライター浅見光彦だ。
※海霧の銚子海岸を走る?江ノ電だ。


殺人など無縁の地方の町に、二つの殺人事件が起きる。
人が見落としがちなことに注目しながら、外堀から中心に向かって問題を解決していこうというものだ。
その町の歴史や特徴がよく描かれ、読者までもが主人公と一緒にその町を訪ね歩いている気分になる。読み出し始めてまもなく、内田康夫ワールドに引き込まれ、作家の筆力に感心する。
久しぶりに探偵物を読み、もやもやがすっきりした感じだ。
といったところで、今朝の朝刊だ。
2年後に開業の北海道新幹線の駅名が、今日発表されるという。
これまで双方が主張してきたのは、駅ができる地元北斗市は「北斗函館」、新幹線誘致で主導的な存在を示した函館市は「新函館」だ。
調整が付かず、JR一任となったが、不祥事続きのJR北海道は、知事に下駄を預けた。そこで知事が「新函館北斗」を選び、函館に配慮した采配になった。
この結末への流れが出来たのは、函館市商工会議所会頭である松本氏が、「新函館北斗」でいいのではないかと発言したことだ。
松本氏は、はるみ知事の函館の後援会会長だ。鶴の一声決着というところか。
JRと知事の関係だが、JRの安全対策第三者委員に知事が就任し、今それが妥当かどうか問われている。
北海道経済界と道は、新幹線の札幌延伸早期着工を求めていたが、国交省が5年短縮するという大判振る舞いに出た。
さらに、道内の高速道路も採算が合わないと、工事を凍結していたのを再開するという。
国が手厚く手を差し伸べる、ここに結びつくものは何か?
原発ではないだろうか。
泊原発再稼動と核廃棄物の幌延の研究施設への埋め立てだ。
しかも、はるみ知事は北電から政治献金をちゃっかりいただき、政治資金の管理団体のトップを、元北電会長が勤めていたのも判明した。
それにはるみ知事は、経済産業省(元通産省)の官僚だ。その通産省の先輩で札幌出身の町村信孝衆議員は、はるみ知事の後見役という存在だ。次期4選目もはるみ知事で行くようだ。
そんなことをまとめ、推理していくと、なんだか北海道の未来は、一本の線路でつながっているように思えてならない。
高速道路建設再開の新聞の見出しは「凍結解除」だった。
こうなると心配になるのが、函館市長の「大間原発建設凍結宣言」だ。「春になれば凍結は解ける」という声も出ているが、本人は凍結一点張りだ。
※羽根を広げるとバットマンのようで、死神の使いのような感じがする海鵜。


私が探偵小説を書くとしたら、その題名は「一本道殺人事件」で、罪もない多くの住民が、次々犠牲になっていくというものだ。
でも、私の場合。たぶん迷宮入りという結果になりそうだ。
この題材で、我が北海道の直木賞作家佐々木譲氏に、ぜひ上梓していただきたいものである。


少年よ垣根をとりはらへ

2014年06月10日 10時48分11秒 | えいこう語る
北海道が、確か「農林00号」などといった、寒冷地用の米作りにいそしんでいたのは、遠い昔の話だ。
温暖化の影響と新種改良が功を奏したためか、今、北海道米が全国区になっている。
タレントの「マツコ・デラックス」が、ふくよかな肉体で北海道米のCMに出て、売れ行きも好調のようだ。
「でっかいどう・北海道・うまいどー」そんな感じだ。
その北海道で「寒地米づくりの父」といわれたのが、大阪で生まれ、後に仙台藩士となり、維新後、札幌近郊の島松で稲作に成功した「中山久蔵」だ。
稲作は40歳から始めたそうだ。
実った米は周囲に分け与え、「自利利他」の精神は久蔵の人柄をしのばせるものだ。
久蔵の旧宅兼駅逓所は、クラーク博士が明治10年帰国の途に着く時「少年よ大志を抱け」の言葉を残したところとして知られる。
この言葉のあとには・・・「この老人のように」という言葉が続いていたとされる。
さて、久蔵翁やクラーク博士の言葉が今の若者に、どれほど受け継がれているかが心配になる、今時の最高学府の学食風景だ。
※お寺での花見会の席。お年寄りはおおぜい集まると、よく笑う。


学食と呼ばれる学生食堂で、ついたてで仕切る「ぼっち席」なるものが出現しているという。
もちろん、一人ぼっちの席というものだ。
知らない相手とは、顔を合わせたくないという、今時の若者の要望に迎合する学校側もナンセンスだ。
同じ学校の仲間だ、それぞれが話し合い情報を交換し、交流を深め自分を磨いていくのが学校というものだろう。
昔の話をして笑われるが、私の学生時代は、とにかく大衆酒場で安酒を飲んだ。
店は畳の上に長椅子だったので、相席は当たり前で、隣の大人たちから声をかけられた。
学生は貧乏と相場が決まっているので、話題が楽しければ酒を飲ませてくれた。・・・私は酒場で、社交学科の単位を取得したのだ。
妻は「あなたは知らない人にもすぐ話しかける」というが、それで旅がより楽しくなり、思わぬ得をしたというのは、妻も認めるところだ。
新聞に載っていた「ぼっち席」の学校は、京大・学習院・神戸大などだ。たぶん他の学校も「右並へ」になるのだろう。
孤独死を防ぐため「一人の不幸も見逃さない」というのが、町会のテーマだ。
大学生がこんな体たらくであれば、これからの超高齢化社会へ不安は増してくる。・・・国家崩壊の一歩だ?!。
「少年よ垣根をとりはらへ」と、声を大にして言いたい。
そして「右並へ」の精神は、アベ政権下では禁句だというのも、学校側に伝えたい。
高齢者と呼ばれる域に達した、ある町内会長の、世の中を憂う叫びだけど。


集団的自衛権とテロ

2014年06月09日 11時28分14秒 | えいこう語る
イシバ現自民党幹事長の、集団的自衛権についての国会論戦は、戦争を想定しての論戦だ。
「誰が国家・国民を守るのか。そのためには何をなすべきか」とたたみ掛ける。憲法遵守の相手は、当然弱腰に見えるので、論戦は不利となる。
イシバ幹事長に対抗すればどうしたらいいかといえば、戦争を想定した状態から抜けたところで、議論しなければならない。
例えばこうだ。
集団的自衛権の行使が国会を通過したら、米国より我が国の方が、テロの可能性が出てくるという考えだ。
米国最大の助っ人を、テロ集団が黙っているわけはない。
日本は島国だ。どこからでも容易に侵入できる。拉致だってしたい放題だ。北朝鮮方式の採用だ。
さらに、今の過密状態の東京で、テロを防げるだろうか。
自爆テロなど数件も発生すれば、パニック都市になるに違いない。
次期東京オリンピックなど、開催不可能だ。
テロ集団は、開催数年前から日本に潜伏し、日常生活の中に紛れ込んでしまうだろう。
集団的自衛権の行使とは、テロを受けやすい国家になるということだ。
国民の生命を守るに一番有効なのは「憲法第9条」を遵守することだということが、戦後の歴史で証明されている。
こんな論戦を張ってみたらいいのではないかと、ユーチューブでイシバ幹事長の高飛車な論戦を観て、一人で興奮している。
※半世紀前と同じ釣りの風景だ。竿が竹からプラスチックやカーボンになっただけ。
この砂浜に魚雷が突っ込んで来て、水しぶきを上げていたと、先輩たちから聞いたことがある。


隣の一人暮らしのおばさんが入院しているので見舞いに行った。
地元の病院で4人部屋に入っている。
地元なので全員顔見知りだ。全員と話さなければならないのが、町会長の役割だ。
「もう家には帰れないので、終の棲家になってしまった」という声は、自分に言い聞かせているのか、誰かに届けいうとしているのか。
すこしは元気が出る話でもというので、昔はイカもイワシもブリもマグロも随分獲れた話をする。
「働いて働いて、毎日疲れたけど、昔の方がよかったね」と目を輝かせる。
ところで、皆さんの介護はどのくらいですかと聞くと「私は浄土真宗だけど、まだ戒名はもらっていないの」と答える。
介護という言葉が、戒名と聞こえる年齢なのだ。
でも、おばあちゃんからすれば、なぜ戒名を聞くのかと、変に思ったのかもしれない。
戦争時の話しになった。
昭和20年7月15日、我が村も米軍機の襲撃を受け、4人の犠牲者が出た。
その時、妹が足を打たれ数日後に亡くなったというおばあちゃんの話だ。
火葬は敵襲を受けるとして土葬にし、戦後、棺桶ごと掘り出して火葬にしたと、おばあちゃんがその時の状況を詳しく説明してくれた。
病棟の全員が「戦争は絶対ダメだ」と口をそろえた。
病院の消毒と独特のにおいが、映画で観た野戦病院の光景を一瞬脳裏に蘇らせた。
先の大戦で、兵士の犠牲者の大半が食糧不足による餓死だというのは痛ましい。
おばあちゃんたちの「病院の食事がうまいので楽しみだ」という言葉を聞き、私もうれしくなった。
病院の食事係には、私の同級生もいる。
ぜひ、そのことを伝えたいものだ。


高齢化社会について考える

2014年06月08日 10時58分32秒 | えいこう語る
町内会会館があるが、何か行事がないと使わない。
近所のお年寄りが、散歩がてらに立ち寄るような施設にしたいというのが、これからの私の町会の目標だ。
地域の過疎化と高齢化に対処するため、組織力が弱まる5つの町会を一つに再編し、強化政策を実施した。
といえば、すごいと思うが、そうならざるを得ない状況になった、地域社会の衰退ぶりがあるというのが実情だ。
ローキー度事件で田中角栄に論告求刑をした、元最高検察庁検事の堀田力さんが主催している「さわやか財団」がある。
そこが主催したフォーラムが函館市内であり、パネリストの一人として、参加して来た。
なぜ私にというと、函館市の町会連会に依頼がり、町会再編をして何かやりそうな感じがするというので、町連会長が私を指名したということらしい。
新聞報道で知っていたが、介護保険制度の改正が目前に迫り、介護度1・2が市町村の扱いになるという。
その対策には、地域社会による助け合いが必要になるというので、堀田さんが厚生省の担当職員を連れ、全国を回っている。
当然参加者は専門職ばかりだ。定員の倍も集まったので、制度改正に対する学習意欲を感じるが、堀田さんの人間的な魅力によるものもあと担当者はいう。
私以外のパネリストは、専門職だ。理路整然と実行していることと理想像を語る。
私はというと、完全に部外者だ。打ち合わせ時点で、堀田さんから「川口さんは普段町会長として、地域で高齢者と向き合っているその実例を話していただきたい」といわれた。
※サーフィンスタイルも様々だ。


実は事前に、何を述べるかを堀田さんに提出してある。
私の特徴は、体制批判精神が多い。そこを強調すると場が壊れるので、何か示唆的なものをというのが、堀田さんの会話から充分伝わってきた。
昼食をとりながらの40分ほどの打ち合わせだが、堀田さんの人柄をひしと感じた時間だった。
コーディネーターが堀田さんで、パネリストにはランダムに振ってくる。
パネリストの特徴を、打ち合わせの短い間に完全に掌握しているような感じだ。
私は、ある老人と付き合い、亡くなったので弔辞を読んだという話しをした。
堀田さんのフォローはこうだ。
「川口さんは、漫談を話したのではありません。高齢者とどう向き合うかという、姿勢を話したのです」。
法律家というのは人権を守る専門家なんだなと、改めて実感した。

毎日新聞のコラム「余禄」から。
シドニーの高齢者施設に入居しているジョージは、時おり旧宅が恋しくなるらしい。ある日こう宣言した。「俺は今からこの塀を乗り越えて脱走する。賛成してくれる者はこのはしごを支えてくれ」。
何人かの仲間が梯子を支えた。塀を乗り越えると、そこには施設職員が待ち構えて、手を差し伸べた。「シドニーへようこそ」。
付き添われて周囲を一周したジョージは、仲間の拍手に迎えられ、満足げにソァーに戻った。実際に豪州であった話を、認知症専門医である橋本篤さんが「寄り添って」という詩集につづっている。
「そこには、何事もなかったかのように、静かな時間が流れていた」と、一騒ぎの後を詩はそう記している。
最後にコラムはこう語っている。
「塀を乗り越える闘志ジョージは、明日の自分かもしれない。この街へようこそ、といえる街がほしいものだ」と。


原発と軍隊

2014年06月07日 13時52分05秒 | えいこう語る
集団的自衛権について、憲法解釈で容認しようというアベ政権の目論見が、日々着々と進行しているのがマスコミの報道で明らかだ。
ここに至って、私たちというより私は、日本国憲法をどれほど理解しているかといえば、条文を全て読んだ記憶もない。
熟知している条文といえば「憲法第9条」ぐらいのものだ。
原発だってそうだ。
危険が迫らなければ勉強しようという気が起きない。
そういえば試験が近付かないと、勉強しなかったというのを思い出した。
「三つ子の魂百まで」
「少年老い易く学成り難し」
確か、学校の先生や親戚のおじさん、親も言っていたのを思い出す。
3:11以降、原子力関係は、ある程度勉強した。
※青空にはカモメが似合う。戦闘機はだめだ。


今は「日本国憲法」「集団的自衛権」「法とは何か」など読み始めている。
私の学習意欲を後押ししてくれるのは、間違いなくアベ総理だというのが最近気がついた。
福島第一原発事故の現場で、総指揮を取っていた吉田昌郎所長が亡くなり「吉田調書」なるものが存在していた。
政府は非公開にしようとしているが、今後の事故防止のためにも、情報は公開すべきだ。
その中で驚くのは、事故が起きて4日目に、最前線で働く9割の人が、吉田署長の命令に反し10キロ離れていた第2原発に避難していたという。その中には危機管理の専門家もいたという。
最悪の場合の対処ができない状態だっという。
この事実を知り、私はこう考える。
命令違反といえば言えるが、家族だって待っている、誰だって命は失いたくないのだ。
それでも、原発再稼動に踏み切る我が国。
福島原発に事故を踏まえれば、次に事故が起きた場合、全員が避難するだろう。
命令違反せず死を恐れない存在は、自衛隊のままでは無理なので、軍隊にしなければならない。
軍隊には軍規がある。命令には絶対服従だ。
チェリノブイリでも、軍隊が活躍し多くの犠牲者が出たが、石棺で囲うことが出来たのだ。
集団的自衛権は国家国民を守るためだという、自衛隊を軍隊にしようとしているのは、原発事故にも絶対退却しない軍隊で対処しようという魂胆に違いない。
自衛隊の皆さん、国家のためにあなた方が犠牲になって、命を捨てても、家族も国民も喜びませんよ。
靖国神社に祭られたら、先人たちに、なぜ命を失ったのだと叱られますよ。
靖国神社は、国家により命を奪われることがないようにという、神社なのですよ。
法の勉強はいいけど、寝床で読むと眠れなくなるのが、この手の本の特徴だ。
あれこれ、普段予想だにしないことまで考えてしまうからだ。