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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

北海道新聞「卓上四季」

2014年06月06日 12時47分17秒 | えいこう語る
※♪別れの何本杉?


今朝の「卓上四季」は、ヘルマン・へッセの詩の引用で、急激に右傾化される今の我が国に警鐘を鳴らしている。
ヒットラー政権誕生前夜の1932年の「花に水をやりながら」の詩だ。

花に水をやろう
花はもう疲れている
花はまもなく枯れる
もしかしたら明日にも
世界がまたしても狂気になり
大砲がとどろく前に もう一度
いくつかの美しいものを見て楽しみ
それらに歌を捧げよう

ヘッセは第二次世界大戦中、ドイツで出版を禁じられていた。

昨日の「卓上四季」は、次の詩を引用していた。
1904年の与謝野晶子の詩だ。
この年の2月10日、我が国は露国に宣戦布告した。

ああをとうとよ君を泣く
君死にたまうこと勿れ
親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

晶子は軍国主義が燃え立っていた社会では、大胆不敵な反戦主義者としてバッシングを受ける。

昨日の北海道新聞朝刊から、気になった記事。
※義務教育五歳児から
※PKO武器使用拡大へ新基準
※集団的自衛権・閣議決定急ぐ
※南スーダンへPKO派遣。陸自北部方面第5旅団(帯広)175名
※民主有志・集団的自衛権限定容認へ草案
※東電から報酬を得ていた田中知東大大学院教授を、公明党が原子力規制委員に了承
※大間原発稼動審査に備え、電源開発が追加地質調査
※福島第一・雨水保管タンク漏洩の可能性
※ガソリン166円・6週連続上昇

ヘルマン・ヘッセと与謝野晶子の詩は、アベシンゾウの心には響かないようだ。
詩を愛さないものは、生涯馬鹿で終わるといったのは、宗教改革者のマルティン・ルターであったように記憶しているが。


北の海岸物語

2014年06月04日 11時55分51秒 | えいこう語る
「スリーカード」


鰈が釣れだして、今日で3日だ。
初日4匹、次の日も4匹、昨日も4匹で竿を収めた。
日を追うにつれ、形が大きくなる。
妻は店のランチに出すから、遅くまでもっとたくさん釣りなさいという。
あなたにはたくさん釣るという意志がない、ともいう。
砂浜での釣りは、一人平均3本ぐらいは竿を用意する。
私は1本で勝負するので、もちろん数は釣れない。
隣にいる釣り人が、次々竿を引き上げている様は、魚と竿に振り回されているようで、なんだか滑稽だからだ。
釣りは自然の中でのんびり釣らせていただく、そんな感じがいい。
ところで鰈の形は、トランプのスペードに似ている。
4匹づつ3日というと、スリーカードのような感じだ。
賭博の嫌いな私だが、スリーカードというのは何かいいことがあるような気がして、竿を収めたのだ。
妻は、私に釣りのセンスがある様だから、もう少し頑張って欲しいという。
私には私流の釣り方があるのだと、言葉を呑み込みながら、釣った鰈の刺身で静かに冷酒を飲んでいる。

「ナマコ」


鰈釣りをしていても、じっくり竿の先を眺めているというタイプではない。
海岸を散歩しながら貝殻を拾ったりしている。
でも、昨日はナマコが砂浜に流れ着いていた。
鮭やタコやイカなど砂浜に上がっていて捕まえた事があるが、ナマコは生まれて初めてだ。
私が子供の頃、ナマコは売りものと考えていなかったようだ。地元で消費していた。
最近は中華料理の高級食材で、ウニより値段が高くなった。
そんなのことを考えていたら、アベシンゾウの顔が浮かんだ。時代が変わっても、憲法を解釈で変えようとするのは許さないと、ナマコの形状から手榴弾を連想し、嫌いなアベ総理を思い出したのだ。
ナマコは鰈の刺身と共に、晩酌の席をにぎわしてくれた。

「青空にカモメと飛行船」


昨日は、風もなく波もなく、かなり温度が上昇した前浜だった。
青空に大きな飛行船が飛んできて、銚子岬を越え大沼方面に飛んでいった。
釣竿の先を見つめていると、カモメが数羽両方向から飛んできてすれちがった。
同じ地域に住んでいるはずなのに、挨拶も交わさなかった感じがする。
カモメの目は細くて鋭い。でも、流し目が出来ればきっと色っぽいと、私は思っている。
カモメのジョナサンという小説があったが、すれ違い様、いい男のカモメに流し目を送るカモメって、なんだか粋で素敵な感じがする。
「よ!ジョナサン」なんて、青空に向って叫びたい、そんな心境にもなりそうだ。

「短編小説」


あまりの良い天気なので、釣りだけに集中しているのももったいない感じがする。
そこで、森瑤子の短編小説を砂浜に寝そべって読んだ。
随分前だが、妻と一緒に森さんの講演会に参加したことがある。
ある男性から手紙が届いた。「不倫して家を出た妻が森さんの小説のフアンで、自分も読んでみたが、妻が不倫した理由がわかった」と。
「別に私が不倫を勧めているわけじゃないわよ、ただの恋愛小説だから」といっていたのを思い出した。
森さんは、つばの大きな帽子をかぶっていたのが印象的だった。
羽を広げて砂浜を助走し、大空に飛び立つカモメのような、そんな感じの人だった。
別れた男女が天国で再開し、再び恋に落ちる。そんなラブストーリーを書いているに違いない。
昨日一日、浜辺で暮らしたので、私も「北の海岸物語」という短編を書く気分になった。


町会の役割

2014年06月03日 13時33分52秒 | えいこう語る
冬枯れのセピア色の山が、若草色に塗り替えられる。
やがて薄いピンク色が、山のあちこちに塗りこめられると、山は存在感を増し、春の鋭気が里を包む。
山桜の咲く頃、前浜では鰈が釣れ始めるとは、先人たちから伝えられた、浜の生活の歳時記でもある。
今年は水温が低く、前浜は不漁などという言葉では言い表すことのできない状態だ。
作家の水上勉の「飢餓海峡」という言葉が浮かんできそうな、今年の前浜だ。
道南の日本海側のアワビの養殖が盛んな町で、海水温の低下で8割のアワビが死んだと報道された。
この地域では数ヶ月前にも、海岸に魚が打ち上げられ、人間で言えば「低体温症」状態だったという。
そんな状態なので、山桜が咲いた頃竿を持って浜に出たが、当たりがまったくなかった。


先週の日曜日、サーフィンを楽しむ若者の隣で、釣りをしている若者がいたので声をかけてみた。
ボックスを開いて私に釣果を見せたが、そこには50センチ級のマツカワという高級鰈が入っていた。
そのほか30センチクラスの鰈もだ。
店に引き返し釣り竿を用意し、太平洋めがけて放り込んだ。
何と36センチのイシモチいう鰈が。
顔見知りののサーファーが「店の仕事の合間に、こんな大きな鰈を釣って幸せですね」と声をかけてくれた。
田舎でのスローライフが、テレビで好評のようだが、漁が不振な漁業のまちで、素人が大きな魚を釣ったというのが、何となく申し訳なさそうな感じがしてくる。
とはいえ家に戻って、早速捌いて刺身で一杯となった。
こんな日は、田舎暮らしもいいものだなと感じる。
村の守護神八幡神社も、不漁なので改築に十分な寄付が集まらなかったようだ。
工事の進捗状態を眺めていた神社の総代さんに「修復が終わったら大漁が期待できそうだね」というと「そうなったら、がっぱり寄付したいものだ」と笑顔を見せた。
魚も神隠しにあったような前浜だが、今年も夏祭りには町会連合会が、大いに盛り上げる企画をしたいと思っている。
町会ができることは、沈んだ地域の人々の顔に、一瞬でも笑顔を取り戻させることだ。
そこから大漁の幕が開く。
町会の役割は、八幡神社のお祭りを盛り上げ、神様に「大漁祈願」を聞いてもらう役なのかもしれないと思うこの頃だ。


NHK日曜短歌

2014年06月01日 10時31分48秒 | えいこう語る
日曜朝6時、NHK教育テレビの短歌から。

たいせつな人
またひとりいなくなり
かたつむりいる
ふしぎなこの世

私の家の庭はよその家より大きかった。池もあったのでよく庭で遊んだ。
角を出してゆっくり歩くカタツムリを見つけては、カタツムリは何のためにこの世に生まれたのだと思った。
無用という言葉がぴったりだと思った。
ビヤホールで、ニンニクの効いたエアスカルゴを食べた。
フランスでは料理になって日本では何の役にも立たないと、そんなことを思いながらこのんで食べていた。
大人になり、ゆっくり歩む大切さを、カタツムリから教わったような気がする。
消えたのは無用と思われたカタツムリではなく、人間なのだという、この句に妙に惹きつけられる。

震災に
共に揺られた冷蔵庫
しばらく耐えて
動かなくなり

※海藻の花畑。


3:11の東日本大震災。その後一生懸命頑張ったけど、心が壊れてしまったようだ。
咽喉もと過ぎれば熱さ忘れるというのが人間の習性だけど、震災で生き残った方が、希望を失い亡くなっているという現状も聞こえてくる。
それでも原発再稼動を進める、国って何なの、という声が聞こえてきそうな句だ。
でも俳句の先生がこうも付け加えた。
この句の後に来る言葉は「蹴っ飛ばしたらまた動く」そんな感じもいいよねと。
全てがゼロになった敗戦。それでも国民は雑草のように生きてきた。
ネバー・ギブアップの精神を思い出せと。
国民の命を守らない国家など、蹴っ飛ばしてやれと。
今朝の番組のゲストは作家だった。
「短歌とは、もっとも短い小説」と評していた。


想像性の乏しい総理だ

2014年05月31日 11時55分57秒 | えいこう語る
明治以降の我が国は、天皇の軍隊を持った。
国家防衛のためには、皇軍として死ぬことを厭わぬという軍隊だった。
第一次世界大戦の惨劇も忘れ、第二次世界大戦まで引き起こした人類。
最終的に軍隊は国民を守らず、暴走する存在であるという結論を確認した。それが歴史の真実だ。
ヒットラー率いるドイツの虐殺も酷かったが、日本軍の抵抗もまさに地獄だった。
人類史上最強、最悪の武器といわれる原子爆弾の投下にいたるまで、戦い続けたという事実。その上に憲法第9条があるというのを、国民は改めて確認をしなければならない。
さて安心・安全のクリーンエネルギーと政府が保証した原子力発電は、原子爆弾の強烈なエネルギーを電力に変えたものだ。
※緑が美しいウド。


チェリノブイリやスリーマイルの事故が起きても、よその国の出来事だと無関心を装っていた。
福島第一原発事故により、国民は原子爆弾投下の光景を思い出したのだが、アベ総理は福島県の一地域で起きた事故であるという考えしかないようだ。
軍隊を持たなければ国は救えないと集団自衛権の解釈行使を実行しようとしている。
軍隊とは、一戦を交えたら、より多くの殺戮を繰り返し、相手を屈服させる存在だ。
3:11の大震災では、自衛隊の活躍が国民の支持を受けた。
といって、自衛隊を国防軍に変えていいということではない。
自衛隊とは「憲法9条」により、自らの尊い命を守られている存在なのだ。
アベ総理は自衛隊の命を守らぬばかりか、他国の人々の命まで奪おうとしているのだ。
アベ総理は「憲法九条」をないがしろにし、国家の殺人を正当化しようとしているのだ。
さらに処理も出来ない原発を再稼動しようとする行為は、立派な犯罪である。
「よってアベ総理を終身刑とする」と判決を言い渡したところで、
先日に引き続き、裁判官としての夢から覚めてしまった。
今日は午前8時から、町会連合会主催の花一杯運動がある。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき、という言葉があるが、花を植える人の人生は、楽しく長い。町会の皆さんの共同作業で、今日は地域と皆さんの心にも花を植えて欲しい」。
こんな挨拶をしようと考えている、今朝の少々疲れ気味の私だ。