夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

モネ展

2015-11-29 22:44:52 | 日記
先日、上野の東京都美術館に「モネ展――「印象、日の出」から「睡蓮」まで」を観に行った。
印象派のコレクションで知られるマルモッタン・モネ美術館所蔵の約90点の作品によって、モネの生涯をたどりながら、彼の世界に迫るという展覧会である。


この展覧会は「家族の肖像」から「最晩年の作品」まで、8つのパートに分かれていたが、特に印象に残った作品は、「霧のヴェトゥイユ」という1879年の作品。
ヴェトゥイユはパリ北西60㎞ほどにある町で、画面には12世紀の教会を中心に、セーヌ川の対岸から霧に包まれたヴェトゥイユの町が描かれていた。曖昧で朦朧とした印象であり、街並みが輪郭を失い、霧の中に溶けていきそうな錯覚を覚える。
風景を写実的に、細密に描き出すことは必ずしも必要ではなく、対象から浮かんだイメージを曖昧なままに表現するやり方もある。これは短歌にも通じるものがあり、景色が必ずしも読者の心内で鮮明な像を結ばなくてもよいのではないかと思った。

「鉄道橋、アルジャントゥイユ」(1874年)は、鉄道橋と川、周囲の緑、青空と白雲が描かれただけの小さな絵(14×23㎝)なのに、不思議に心が惹きつけられる。

「クルーズ川の渓谷、夕暮れの効果」(1889年)。モネは、フランス中西部のクルーズ川の渓谷の、時間帯で様々に変化する光の効果を何枚も制作しているそうだが、この作品は、日没の頃の、谷の山肌と川の青に夕陽の赤が刻々と変化していく印象を確かに捉えていた。
モネの作品には、タイトルに「効果」という言葉がよく出てくる。対象を画布上に正確に再現するのではなく、光の効果や、自分の心に対象がどう映ったかという印象、イメージを表現しているように感じた。


モネが睡蓮を愛し、ジヴェルニーの自邸に睡蓮の池を造り、絵のモチーフとして長年繰り返し描いたことはよく知られている。
モネ美術館には、世界で最も多くのモネの「睡蓮」が所蔵されているそうだが、年代の異なるそれらの作品を見ていると、一人の画家でも作風は次々に変わり続けることがよく分かる。
あくなき美の探求、表現の追求がそうさせるのだろうが、短歌においても、優れた歌人は多様な詠み方を常に自らに課し、歌風が変遷することを思い出した。

最晩年のモネは白内障が悪化し、一見荒々しく、何を描いているのかわからないような作品が多くなる。しかし、
「目を細めて見ると――。」
と、私の背後で鑑賞していた二人連れが話しているのが聞こえたので、試してみた。
確かに、目を細めて見ると、モネが視力の低下した眼で描こうとしたものがおぼろげに浮かんでくるように思われた。

この展覧会では、モネの家族思いの人柄や、浮世絵にも関心が高く美術品のコレクターとしても一流であったこと、長生きしたゆえに自身の成功をその眼で見ることができた一方、愛する家族や友人の死にも遭うなど、極めて振幅の多い人生を送ったことも伝わった。
何よりも、美の表現者として一生衰えることのない絵画への情熱を燃やしたモネの生き方に圧倒され、この展覧会を見ることのできた幸運を思った。

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