夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

「幾山河」と中国山地

2015-11-12 22:51:19 | 短歌
今回の牧水の全国大会で面白かったのは、お話をされた方々が口々に、牧水の「幾山河」の歌と中国山地との関わりについて言及されていたことだ。
長谷川櫂氏が述べられていたことを、以下簡単にまとめる。

今日、高梁から新見にかけての山々を見ていて、この歌がこの山々から生まれたのが分かった。「幾山河」はまさにこの景色を詠んでいると思った。
なだらかな丸い、幾つも重なった山々。土地が古びて無になっていく。東日本の厳しく切り立った山々や、九州の火山が多い山々とも違う。中国山地の山々でなければ成り立たない。
歌は、その土地から切り離せないところがある。土地と結びついている。
そういう意味で、新見の山々と牧水とが出会ったのは、奇跡的なことだ。

長谷川氏の講演に続いて行われたシンポジウムでも、パネリストの方々が、新見の山々を見て「幾山河」の歌はこれを詠んだものだと実感したと述べておられた。


(牧水二本松公園にある妻・喜志子の歌碑。「あくがれの旅路ゆきつつ此処にやどりこの石文の歌は残しし」)

さて、この日最後のシンポジウムは、「青春の旅 壮年の旅 牧水における旅の諸相」と題して行われた。
パネリストは栗木京子氏・小島ゆかり氏・米川千嘉子氏のお三方で、いずれも新聞歌壇の選者を務めるなどして著名な歌人である。コーディネーターは、歌人であり若山牧水記念文学館館長の伊藤一彦氏だった。

冒頭、伊藤氏から、〈自分と牧水との出会い〉について語ってほしいとリクエストがあり、お三方がそれに答えたところが印象に残った。
栗木氏は、初めて牧水を読んだとき、素敵と思った。男女問わず心を開いて受け入れてくれるところがある。万葉語も自然に声調の中に溶かし込むという生かし方をしている、と述べられていた。
小島氏は、今から10年前に、哲西町から声をかけられ歌碑などを訪れたそうだ。牧水という縁で今も皆さんとつながっていることに感謝していると語っていた。また、牧水の妻・喜志子に触れ、夫は旅をしなければ魂が死んでしまう人だということを理解しつつも、喜志子も生身の女性なので、色々と葛藤があり、歌を見ると屈折した思いも歌っているということを言われていた。
米川氏は、若山牧水賞を受賞した後、新聞などに牧水について書く機会が多くなり、その時に全集を読んだそうだ。米倉氏も夫が歌人なので、夫婦で歌人というのはどういうことか、歌人としてのやりとり、競合などについて、生々しく感じるものがある。喜志子の歌を見ていると、牧水に決して負けていないし、夫が新しく使った言葉を自分の歌に取り入れたりもしている、と話されていた。

時間の都合で最後まで聴けなかったのが残念だが、現代を代表する3人の女性歌人のお話はとても面白かった。