(『ジャパン写真集 Japan Sons of Pioneers』 シンコーミュージック)
今日もテストの採点をしながら、カセットBの方を聴いた。時々、手を止めてじっと聞き入りつつ。
Cassette B
1.Bamboo Music
2.Taking Islands in Africa
Encore
3.Life In Tokyo
4.Canton
5.Good Night
カセットBは、デヴィッドの、「ココデ、ワタシノ、トモダチヲ紹介シマス。ヤノアキーコー、サカモトリュウイチ!」という言葉で始まる。
坂本龍一・矢野顕子夫妻の登場に、会場のボルテージが一気に高まる。観客たちが、「教授~!」と黄色い声を上げるのが聞こえる。
デヴィッドと坂本龍一の親交についてはよく知られていても、ジャパンの日本武道館でのコンサートにいきなり登場するとは、当日の観客にとってはこの上ないサプライズだったのではないかと思う。
「バンブー・ミュージック」は、デヴィッドと坂本龍一の共作で、シンセサイザーの音にはさすがに時代を感じるが、曲そのものはいまだに新鮮。矢野顕子の歌声がコーラスで絡んでくるのも耳に心地よい。
1曲終わって、ここで今度は高橋幸宏(坂本龍一と共に、当時YMOのメンバー)が登場。ジャパンファンにとっては周知のことだが、高橋幸宏はデヴィッドの弟でドラム担当のスティーブ・ジャンセンの友人であり、ドラムの師でもある。映像がないので実際の演奏がわからないのだが、この時はツインドラムだったのだろうか?
最後の「グッドナイト」は、デヴィッドと矢野顕子のデュエットで、たぶん坂本龍一が伴奏。短いけれど、美しい曲。
歌い終えて、デヴィッドが、“Thank you, Good night!”と観客に挨拶して、コンサートが終わる。
カセットBでの、演奏曲と登場するミュージシャンのあまりの豪華さに、目がくらみそうな気持ちがする。
この夜(1982年12月8日)にこのライブに行けた人は、きっと一生の思い出だろうな。
とてもうらやましい。
当時、「こんなジョークをデヴィッドでもいうのか~」と思いましたね~正直以外でした。(笑)
それから、ユキヒロさんを、紹介をする際「ココデ、ボクノ、オクサンヲ、ショウカイシマス、タカハシ、ユキヒロ~」とも言って居りました。
(デヴィッドもなかなか言うな~)と(笑)
やっぱりこのジャパンの解散というのは、当時まぁメンバーはどうだったかその辺は分かりませんが・・・
ファンは一様に皆感慨深いものがあったのではないでしょうか?・・・
ジャパンは(進み過ぎていた)が故に、不遇なバンドでもあった・・・
彼らの本質を見誤った多くの人々・・・・
単なるミーハーバンドと切り捨てられた
ようやくその真価が認められ、やがて彼らの影響等からニューロマブームが訪れた。
しかしジャパンは”それを見とどけたかの様”に、「いよいよこれから」、と言う時期に彼らは、あっさりと幕を下ろしてしまった・・・・
実働期間4年・・・
実に潔い幕引きだったのだと思う。
「ジャパンとは一体何だったのか?・・・」
20才そこそこという若さで、あれだけ独創的且つ、クオリティの高い作品を残した。
彼等は、真に「天才集団」だったのではないでしょうか?
デヴィッド・シルヴィアンを「早熟の天才」と呼ばずしてなんと呼ぶのか・・・・?
やっぱり、後にも先にもジャパン程ドキドキ感や、スリルと期待を感じさせてくれるバンドはなかなか居ませんよね。(笑)
ある意味「不可解な謎解き」の様なものを私達に残しているのではないでしょうか?
ジャパンと言う一見自閉的少年?青年軍団
「JAPAN」の世界は・・・・
シルヴィアンの表現は、外側に向けて開いてはいない・・・・
常に彼の表現は内側に向けて開いていた・・・
しかし、その彼等が、即ち「閉じたまま」で、自己を確立してい行くまでの姿は悲壮感さえ漂う・・・
彼等にとって、試行錯誤が許される「ジャパン」とは所謂「学びの場」であったのではないでしょか?
斜に構えた10代の頃、”有りと有らゆるもの中で”自分にとってJAPANは「理想的な着地点」の様に感じたものでした・・・
それだけ、あの頃は「彼が総てであったのだな~」と
今書いていてふっと当時(10代)の心境に返っている自分です。(笑)
しかし、ちかさださんがおっしゃる通り!こちらのカセットに収録されているLiveは、ゲストでこれだけの面子!!本当に超豪華過ぎて倒れそうですよね。(笑)
誰が書いていたのか忘れましたが、〈ジャパンは、ある意味で彼らの支持層とは逆行する、高度で独創的な演奏形態を保持している。誤解してほしくないのだが、10代の若者に支持されるグループとしては、本格的で職人的な音作りをするということを言いたいのだ〉という内容のことを書いていた方がおられました。
このカセットを聴いていて、改めてその見方が正鵠を射ていたことがわかりました。
4人のメンバーが、若くしてそれぞれのスタイルを確立し、「ジャパン・サウンド」としか形容しようのない独自の音楽を創り上げたのは、ひいき目なしに見てもすごいことだと思います。
1曲1曲を通して、グループの4人それぞれの演奏にこもったクールな熱気(たとえは変ですが)が伝わってきました。
彼らの解散が、ちょうど30年前の今頃であったことを思うと、感慨深いものがありますね。
ありがとうございました。