先日(5/16)、「断捨離2」の記事の中で話題にした、『ミュージック・ライフ』1981年3月号から、ジャパン関連の記事の紹介。
残念ながら、バンドの活動を伝えるカラーグラビアはわずか2頁だけ。来日前なのでしかたないか。ロンドン公演の時の2枚の写真が掲載されており、
「孤独な影」は、ジャパン4枚目のアルバムで、日本では1980年12月にリリース。ジャパンとしては商業的に最も成功したアルバムとされる。本国でも評価が高く、発売数日で前作「クワイエット・ライフ」の売り上げを超え、それまでジャパンを酷評していた批評家たちも、手のひらを返したように褒めはじめたのが、ミック・カーンには腹立つ出来事だったという。
この3月号には、1981年度ML人気投票の最終結果が発表されており、ジャパン関係だけ取り上げると、以下のようであった。
海外グループとしては、上位にクイーン、KISS、レインボウ、ホワイトスネイクらがいるのに、それに続く人気なのがすごい。
また、ベスト・ドレッサーの2位にデヴィッドが選ばれているのは、女性ファンの絶大な人気があったことを思わせる。(1位はデヴィッド・ボウイ、3位はクイーンのロジャー・テイラー。)この当時、二色に染め分けていたヘア・スタイルや、ごくごくシンプルなお洒落が高評価のポイントということが書いてあるが、やっぱ顔でしょ。
ML独占特別企画として、「本邦初公開 ミック・カーンの誌上彫刻個展」というカラー写真付きの記事があるのは、とても嬉しい。これは、1980年の12月に、ロンドンのハミルトンズ・ギャラリーで開かれていた個展で、地元ロンドンの新聞や雑誌でも好評を博していたらしい。誌上では12の作品が紹介されているが、そのひとつひとつにミック自身の解説が付いている。
『ミック・カーン自伝』にも出てくるが、元チューブウェイ・アーミーのゲイリー・ニューマンとは、この個展を彼が訪れたのがきっかけで意気投合したらしい。彼は後日、新曲でベースを弾いてくれないかとミックに連絡し、ミックは彼のニュー・アルバムに参加する(後に『ダンス』(1981)というアルバムになる。)
この3月号には、ミックとゲイリーの対談が収められており、当時レコーディング中だったこのアルバムの話題も出てくる。ゲイリーはミックについて、「君は僕が今まで聴いたどのベース・プレイヤーとも違ったプレイをするよ。とってもいい事さ。」また、「君にはずいぶん影響を受けたよ。」などと絶賛している。
最後になるが、私がこの3月号でいちばん印象に残ったのは、「ジャパン・オフィシャル・ファン・クラブ発足のお知らせ」だった。ジャパン・メンバー自らにより公認されたファン・クラブということで、会員を募るファン・クラブ加入申込書が付いている。入会金1,500円、年会費2,500円で、入会した会員への特典として、会員証+パスケース、ジャパン・メッセージ入りソノ・シート、会報(季刊誌)、B5サイズ及びウォーレット・サイズ写真(メンバー各人、グループ)、ジャパン商品購入優待割引券などが付いてくる、とある。……これが現在の話だったらどれほどよかったろう、と思わずにいられなかった。
残念ながら、バンドの活動を伝えるカラーグラビアはわずか2頁だけ。来日前なのでしかたないか。ロンドン公演の時の2枚の写真が掲載されており、
ジャパンの比類なき美意識が生んだ傑作「孤独の影」は、今まで彼等を無視し続けてきた人々さえも、その世界に引き込んでしまうのに十分だった。来日公演を目前にひかえて、ロンドンで行われたコンサートも前売りが売り切れるという好評振り。3度目の来日コンサートでは、またもや私達をおどろかせてくれそうだ。
というコメントがついている。「孤独な影」は、ジャパン4枚目のアルバムで、日本では1980年12月にリリース。ジャパンとしては商業的に最も成功したアルバムとされる。本国でも評価が高く、発売数日で前作「クワイエット・ライフ」の売り上げを超え、それまでジャパンを酷評していた批評家たちも、手のひらを返したように褒めはじめたのが、ミック・カーンには腹立つ出来事だったという。
この3月号には、1981年度ML人気投票の最終結果が発表されており、ジャパン関係だけ取り上げると、以下のようであった。
海外グループ ジャパン 6位
男性ボーカル デヴィッド・シルヴィアン 6位
ギタリスト ロブ・ディーン 18位
ベーシスト ミック・カーン 7位
ドラマー スティーヴ・ジャンセン 6位
キーボード リチャード・バルビエリ 6位
ライヴ・パフォーマンス ジャパン 8位
ベスト・ドレッサー デヴィッド・シルヴィアン 2位
ベスト・アルバム ジャパン「孤独な影」 3位
男性ボーカル デヴィッド・シルヴィアン 6位
ギタリスト ロブ・ディーン 18位
ベーシスト ミック・カーン 7位
ドラマー スティーヴ・ジャンセン 6位
キーボード リチャード・バルビエリ 6位
ライヴ・パフォーマンス ジャパン 8位
ベスト・ドレッサー デヴィッド・シルヴィアン 2位
ベスト・アルバム ジャパン「孤独な影」 3位
海外グループとしては、上位にクイーン、KISS、レインボウ、ホワイトスネイクらがいるのに、それに続く人気なのがすごい。
また、ベスト・ドレッサーの2位にデヴィッドが選ばれているのは、女性ファンの絶大な人気があったことを思わせる。(1位はデヴィッド・ボウイ、3位はクイーンのロジャー・テイラー。)この当時、二色に染め分けていたヘア・スタイルや、ごくごくシンプルなお洒落が高評価のポイントということが書いてあるが、やっぱ顔でしょ。
ML独占特別企画として、「本邦初公開 ミック・カーンの誌上彫刻個展」というカラー写真付きの記事があるのは、とても嬉しい。これは、1980年の12月に、ロンドンのハミルトンズ・ギャラリーで開かれていた個展で、地元ロンドンの新聞や雑誌でも好評を博していたらしい。誌上では12の作品が紹介されているが、そのひとつひとつにミック自身の解説が付いている。
『ミック・カーン自伝』にも出てくるが、元チューブウェイ・アーミーのゲイリー・ニューマンとは、この個展を彼が訪れたのがきっかけで意気投合したらしい。彼は後日、新曲でベースを弾いてくれないかとミックに連絡し、ミックは彼のニュー・アルバムに参加する(後に『ダンス』(1981)というアルバムになる。)
この3月号には、ミックとゲイリーの対談が収められており、当時レコーディング中だったこのアルバムの話題も出てくる。ゲイリーはミックについて、「君は僕が今まで聴いたどのベース・プレイヤーとも違ったプレイをするよ。とってもいい事さ。」また、「君にはずいぶん影響を受けたよ。」などと絶賛している。
最後になるが、私がこの3月号でいちばん印象に残ったのは、「ジャパン・オフィシャル・ファン・クラブ発足のお知らせ」だった。ジャパン・メンバー自らにより公認されたファン・クラブということで、会員を募るファン・クラブ加入申込書が付いている。入会金1,500円、年会費2,500円で、入会した会員への特典として、会員証+パスケース、ジャパン・メッセージ入りソノ・シート、会報(季刊誌)、B5サイズ及びウォーレット・サイズ写真(メンバー各人、グループ)、ジャパン商品購入優待割引券などが付いてくる、とある。……これが現在の話だったらどれほどよかったろう、と思わずにいられなかった。
またお邪魔致しました。(笑)
そしたらなんと!楽しみにしておりました先日の続「MUSIC LIFE」の記事が!!!
いや~そうでした~ML恒例の人気企画!ありましたね~これ、これ!こちらの各部門に分かれた人気投票!!!(笑)
これにはもう~気合が入りましたね~
当時ファンは皆さんそうだったのではないでしょうか?
(笑)
また途中経過を交えた中間発表なるものも・・・
まるで今で言うAKB48の総選挙も真っ青の盛り上がりぶりをみせましたよね(笑)
当時如何に・・・ロック少年、少女がどれほどロックバンドやロック・ミュージックに熱狂していたかが、こういった「MUSIC LIFE」などの音楽雑誌の企画の徹底振りからも伺えます。
自分の支持するアーティストがどこまで上り詰めるか
今考えると笑えますが・・・(笑)
本当に手に汗をにぎりましたね~。
もう~ドキドキ、ハラハラ結果が楽しみでございました
それから,ゲイリーのインタヴュー記事まで?今となっては色々と思う事もありますが(苦笑)
加えてデヴィと、ミックの個展時のこの数枚のグラビアも見れましたし、もう~この度の、ちかさださんのこちらの特集は私としては大満足でございました~。(笑)
ラストの「ジャパンオフィシャルファンクラブ」
今となっては信じ難いことですが(笑)
当時はこれが本当に存在していたのですよね~(笑)
ちかさださん!これには私も同感でございます(笑)
もう~ご覧下さい!この様々な特典!!出血大サービスですよ~、ファンにとっては垂涎モノの数々!!!
いや~今またコレ考えていただけないものでしょうか?・・・(笑)
私も久しぶりに『ミュージック・ライフ』を読んでみて、当時の洋楽ファンと、そして編集さんや担当記者の熱い思いが伝わってくるように感じました。
当時は、海の向こうのミュージック・シーンはなかなか情報が入らず、飢餓感があったので、みんなこうした雑誌をむさぼるように読んでいたのですよね。
また、こうした雑誌があることによって、自分のお目当てのミュージシャンだけでなく、他のグループやアーティストの動向にも自然に目が行き、興味がたこつぼ化することが避けられていたように思います。
ありがとうございました。
そうですね、現在と違ってインターネットも無い時代ですから、ちかさださんがおっしゃる様に海外のアーティストの近況なんて殊更に知る術も無く・・・
情報源は全て雑誌で、「頼みの綱」は音楽雑誌のみと言ったところがありました。(笑)
(かなり読み漁りましたね~)
当時の洋楽ファンの多くは、おそらく殆んどがちかさださんがおっしゃる所の正しく「飢餓状態」でしたね(笑)
今では考えられませんが・・・
当時の少しでもロックに目覚めた10代の少年少女達の殆んどは、洋楽ファンが多くを占め・・・
海外アーティストの言わば「洗礼」といったものを受けたのでは無いでしょうか?(笑)
洋楽ファンの人口の高さがこの度のMLの人気投票の結果を見ても分かりますね。
今は良い時代になりましたね~
タイムスリップして昔の自分に教えてあげたいくらいです。(笑)
う~ん、でも・・・そのような時代だったからこそ・・・
送り手側も受け手側も・・・そこまで熱くなられた・・・
ミュージシャンや音楽に熱狂出来たのかもしれませんね・・・
もし・・・今の様に、なんでもお手軽に、すぐ手に出来たり、情報を瞬時に得ることができたとしたら・・・
どうだったのだろう・・・
当時は活字から色々と想像したり、憶測したりするしか無いわけですから、(笑)
それはもう~言ってみれば、ミュージュシャンのイメージだって想像の産物になっている可能性もある訳ですよね(笑)
その純な思い・・・
ある意味そのイメージとリアルの危うさの様なものが・・・だからこそ・・・
あれだけ10代の少年、少女の思いを描き立て、アーティストなり音に熱狂し熱く語れたのだと思います。
「古き良き時代」だったのでしょうか?(笑)