夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

筒井筒

2013-02-02 22:33:48 | 教育

(國學院大學図書館蔵 奈良絵本『伊勢物語』)

今、一年生の古文の授業では、『伊勢物語』第二十三段の「筒井筒」の話を教えている。
幼な恋の男女が年頃になって結ばれるところまでを前回やって、今日はその続き。

これまでの内容をちゃんと覚えているかどうか、指名して質問し、確認していく。

幼い頃は井戸のもとで仲よく遊んでいた男女が、大きくなって相手を異性として意識し合うようになったこと。互いに恥ずかしがっていたけれど、男の方はこの女を妻としたいと思い、女の方もこの男を夫にと思いつつ、親が他の男と結婚させようとしても、聞き入れなかったこと。やがて男の方から求愛の歌を贈って来、女の方もそれに応える歌を詠み、二人の間に歌のやりとりが続いて、ついにかねてからの望みのごとく、二人は結婚したこと。

今日の場面では、結婚後の二人に危機が訪れる。
数年経つうちに、女の親が亡くなり、生活が不如意になっていくので、二人とも貧乏なままでいられようかといって、男は河内の国、高安の郡の、裕福な家の娘に通うようになる。

ここは現代人の感覚では誤解を招くところなので、前回の授業で、平安貴族の結婚のあり方について、あらかじめ説明してある。
当時は通い婚が普通で、結婚とは夫が妻の実家に通い、夫婦生活をすることだったこと。
妻の実家は、家を挙げて婿に奉仕するものであったこと。
そのため、妻の親が死んだり落ちぶれたりして貧しくなると、夫は通って来なくなったり、妻を捨てたりもあったこと。

しかし、この元からの妻は、嫌だと思うそぶりも見せず、夫が新しい妻のもとに通うのを送り出してやるので、男は「異心(ことごころ)」があるのではないかと疑わしく思う。そして、河内の妻のところに行くように見せかけて、前栽(せんざい=庭の植え込みの草木)のもとに隠れて、妻の様子をうかがっていた。すると、元からの妻は、上手に化粧をして、物思いに沈んだ様子で外を眺め、
  風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ
と、たった一人で山を越えて出かけてゆく夫の身の上を案じる歌を詠んだので、夫は限りなく愛しく思い、河内の妻のところには、通わなくなってしまったそうな。

ここまでを語句調べの答え合わせと、口語訳の添削(どちらも、授業始めに板書させてある)を済ませながら理解させる。その後、発問を二つ。

Q1 「異心」とは誰の、どんな心ですか?また、夫はなぜそれを疑ったのですか? 
A1 「元からの妻の、浮気心」というのは、辞書も使ってすぐ答えられるのだが、「夫の留守中に別の男を引き入れているのではないかと邪推したから」は答えられる者がいなかった。というか、それが普通の高校生だと思う。(「間男」あるいは、「密通の可能性を懸念した」などと即答されたら嫌だろうな。)

Q2 元からの妻はなぜ、「あしと思へるけしきもなくて、出だしやりければ」、嫌だと思っている様子もなく、夫を送り出してやったのですか?
A2 シンプルだけど、いい答えが出た。「別れたくなかったから」。…その通りだよなあ。幼い頃から思っていた相手で、親が別の男に嫁がせようとしても、心に決めた人がいると聞き入れず、かねてからの願いが叶ってようやく結ばれたのに、今更だれを好きになれるわけもない。恨むとしたら、親を早くに亡くして、夫への奉仕が思うようにできなくなった、我が身の運のつたなさくらいしかないと、この女性は必死に耐えていたにちがいない。夫を愛しているから、たとえ他の女性に通って行くとわかっていても、嫌な顔も見せず、逆に夫の身の上を案じる思いを詠んだりしたのだろう。

生徒の答えによって、このときのこの女性の哀切な心情がじわじわと胸の内に広がっていくような気がした。『伊勢物語』は歌物語であり、それぞれの段では、和歌の詠まれた状況を簡潔な文体で記し、読者の興味や感動の中心が和歌にくるような書き方をしている。和歌以外では、登場人物の行動・状況についての説明や心情表現は、極力削ぎ落とされているので、時々立ち止まって、直接書かれていない心情や、行動の理由を考えてみる必要があるのだ。

『伊勢物語』については特に、口語訳を完成させれば学習目標が達成するわけではない。情報的に圧縮された物語内容を解凍し復元しつつ、和歌に集約された登場人物の心情に自分を重ねて共感的に理解したり、この段を通して作者が描こうとしたものを考え味わうところまでいって初めて、学んだといえるように思う。言葉をもとに、想像力を働かせて読むことをこれほど求められる作品はないし、平安貴族の生活・慣習や信仰、また和歌について色々と教えることができるので、『伊勢物語』の古文の教材としての素晴らしさを思う。(もちろん、「九十九髪」のように向かない段もあるが。)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
風の靴さんへ (ちかさだ)
2013-02-07 12:02:22
コメントありがとうございます。

「感性の曇り」「想像力の欠如」、今の社会の問題は、まさにそこに起因していると思います。

だから、生徒たちには、「若くて感性が柔軟なうちに、音楽、美術、文学、演劇、映画などジャンルはなんでもいいから、偉大な芸術家が心血を注いで創り上げた、本物の作品に触れなさい」ということを強調しています。大人になって感性が枯れてきてからでは、もう手遅れだ、と。

今は、一流の作品に触れるのに、必ずしも大金は必要でなく、文庫本一冊で名作も読めるし、クラシックの名曲も無料でDLできるよ、ということも話すのですが…。

古文の授業でも、自然や人間に対して鋭敏な感性を持っていた古代の日本人から、生徒が多くのものを感じ取ってくれたら、と思っています。

ありがとうございました。
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無題 (風の靴)
2013-02-03 13:41:29
Q&Aは非常に面白かったです。(笑)

これは・・・同じ事柄でも十人十色で解釈も感じ方も人それぞれ・・・
生徒さん方の答えは、ちかさださんの立場から致しますと相当に興味を掻き立てられた事と思います。(笑)

今の社会で問題になっている多くの事柄は・・・

所謂・・・感性の曇り(鈍さ)「想像力の欠如」のなせる業だと私は感じずにはいられません・・・
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