ぼーっとテレビを見ていたら
「〇〇が輩出した名門校」
と言っていました。
「〇〇を輩出」ではないの?
と調べたら
「輩出する」は本来自動詞だそうで
「が輩出する」が正しいとのこと。
しかし、最近は「を輩出する」と使われることが多く、
辞書にも載っていて、誤用とは言えないらしい。
ただ、「輩出」は「すぐれた人物が続いて世に出ること」なので
「〇〇(個人)を輩出した名門校」は間違いだそうです。
ぼーっとテレビを見ていたら
「〇〇が輩出した名門校」
と言っていました。
「〇〇を輩出」ではないの?
と調べたら
「輩出する」は本来自動詞だそうで
「が輩出する」が正しいとのこと。
しかし、最近は「を輩出する」と使われることが多く、
辞書にも載っていて、誤用とは言えないらしい。
ただ、「輩出」は「すぐれた人物が続いて世に出ること」なので
「〇〇(個人)を輩出した名門校」は間違いだそうです。
日本語能力試験向けの問題集にあった問題です。
問:( )に入れるのに最もよいものを、①②③④から1つ選びなさい。
かみなりのときは テレビの( )を抜いたほうがいい。
①アンテナ ②スイッチ ③アクセント ④コンセント
もちろん答えは
④コンセント
ですよね。
しかし、
A君が言った言葉に、私は固まってしまいました。
「先生、コンセントは壁についてるあれですよね?」
私:・・・
(そう言われれば・・・、あれは何?)
--アセッて調べる。
私:あ~っ、そうですね。
壁についているのがコンセントで、差したり抜いたりするのは「プラグ」です。
でも、プラグのことを「コンセント」と言うときもあります。
私もコンセントって言っていました。(笑
ごめんね~、こんな先生で。
でも、試験対策の問題集の問題としては、ちょっと問題かも。
朝、ニュースで飲食店で起きた殺傷事件のことを報じていました。
その中で、「男が男女4人を切りつけた」と言っていたのですが、
すごい違和感。
「~に切りつけた」ではないのかな?
調べてみたらこんな記事がありました。
あれっ!?
「を」を使う人の方が若干多い。
はっきりと結論は書いてありませんが、
「切りつける」の場合は「切る」動作が強まるだけでなく、
「その行為が、ある対象に向けられる意を表す」(大辞泉2版)
ということから、
「~に」の方がよさそう、ということのようです。
また、その事件について書かれた記事を見ると
「4人が切りつけられた」との表現も多いです。
これだと悩む必要がないですね。
日本語のテキストに出てきた会話
A: 加藤さんは いつ タイへ行きますか。
B: 今月の 終わりに 行く 予定です。
A: どのくらい いるんですか。
B: 1週間ぐらいの 予定です。
これは「~予定です」の練習だったんですが
D君の質問は、そこではなくて
「くらい」と「ぐらい」はどう違うんですか?
そんなこと考えてみたこともない。。
「う~ん、前にくる言葉によって違うようですね。」
と答えたものの..
「どのくらい」「どのぐらい」
「1週間くらい」「1週間ぐらい」
と何回も言っているうちに
どっちでもいいような気がしてきました。(苦笑
家に帰って、早速リサーチ!
飯間先生のブログにこちらの記事がありました。
それによると
『NHKことばのハンドブック 第2版』に、
「以前は次のような使い分けが行われていた」とあって、
(1)体言には「ぐらい」が付く。
(2)「この・その・あの・どの」には「くらい」が付く。
(3)用言や助動詞には、普通は「ぐらい」が付くが,「くらい」が付くこともある。
と載っているそうです。
さらに、この「以前」というのは江戸時代らしく、
名詞に付くばあいには濁音、
コ・ソ・ア・ドに付くばあいは清音、
活用語に付くばあいは清濁両形をとる傾向がある。
と『日本国語大辞典』に書かれているそうです。
結局、今は使い分けの基準があるわけではなく、
「くらい」が多く使われるということみたいです。
朝、テレビで
「今の気温はにじゅうごてんななどです」と言っていました。
25.7度
みなさんはどう言いますか?
やはり「ごてん」ですか?
私は「ごぉてん」と伸ばします。
おそらく学校でそういうふうに習ったのだと思いますが、
これは方言?
山形では①②を「いちまる」「にまる」と言う(習う)ように
地域的なもの?
で、調べました。
間違いではなさそうなんですが、確たる資料は見つけられませんでした。
ただ、「2」でも同じことが起こるということで
「PM2.5」の読み方についてアンケートをとった記事を見つけました。⇒こちら
「にぃてんご」が多いですが、「にてんご」の人もいますね。
普通、数を数える時って
いち にぃ さん しぃ ごぉ ろく しち はち きゅう じゅう
と拍をそろえて言いませんか?
いち、に、さん、し、ご・・・
と言うのは、号令をかけてる感じ?
だから「にぃてん」とか「ごぉてん」になるのでしょうか?
(4は小数の時「よんてん」と言うので、伸ばしません。)
ただ、点数を言う時は
2点「にてん」とか5点「ごてん」と言いますよね。
この違いは?
「てん」の後ろに数字があるかないかの問題?
わかりません。。
一応、「ごぉてん」が地域的なものではないことはわかりました。(苦笑
朝ご飯を食べているとき、某放送局でやっている「ことば検定」を見ます。
きょうの問題は
「人間到る処青山あり」の「青山」は元々どんな意味か?
というもので、
答えは
「墓地」
これは江戸時代末期、釈月性という僧が残した言葉だそうですが
蘇軾の詩の一節
「是(いた)る処の青山 骨を埋む可し」
がもとになっているとのことです。
意味は
人はどこにだって骨を埋める地があるものだ。
故郷ばかりが死に場所ではないのだから、志を持って郷里を出、おおいに活躍すべきである
読みは
じんかんいたるところせいざんあり
この場合「人間」は「じんかん」と読むんですね。
「人間(じんかん)」は「世の中」という意味だそうです。
同じように
「人間万事塞翁が馬」の「人間」も「じんかん」なんですって。
知りませんでした。
ただ、調べると「「にんげん」とも読む」となっているので、「にんげん」でも間違いではありません。
日本に来て約4か月のK君と日暮れ時の話をしていたら
隣で聞いていたA君(同じく来日約4か月)が
「カタワレドキ」ですね?
と言いました。
私 : カタワレドキ?
たそがれどき?
A君 : カタワレドキです。カタワレドキ。 (自信ありげに、キッパリ!)
K君も頷いています。
私 : カタワレドキ...ですか... (自信なさげに、辞書で探す)
→ 出てきたのは「片割れ月」(半分またはそれ以上欠けている月)
私 : ないですねぇ。。
???
マンガに出てきたの? (A君はマンガが好きです)
A君: はい、「君の名は。」に出てきました。
私 : あーっ、そうですか。。 (私は見ていません)
映画に出てきたんですね。
でも、ふつうは「夕暮れ時」とか「日暮れ時」と言います。
と、帰ってきたものの
「かたわれ時」なんて聞いたことないし。。。
調べました。
「かたわれ時」で検索したら、映画がらみの記事がずらり。
その中のこちらから
「かたわれ時」:映画「君の名は。」サウンドトラック収録曲のタイトル。
曲名の由来は、明け方頃の時間帯のことを呼ぶ「彼は誰時(かわたれどき)」と「片割れ」の合成語と思われる。
「彼は誰時(かはたれどき)」→「かわたれ時」
どんどん周りが明るくなってきて、そこに人がいるのはわかるようになるが、相手の顔がはっきり見えないので、
「そこにいるのは誰ですか?」つまり「君の名は?」と問いかける時間帯のことである。
「誰そ彼時(たそかれどき)」→「たそがれ時」
どんどん周りが暗くなっていき、相手の顔がはっきり見えなくなり、人の形もどんどん暗闇に溶け込んでしまうので、
「誰ですかあなたは?」「誰かそこにいるのですか?」と問いかける時間帯のことである。
なるほど。造語なんですね。
でも、「かはたれどき」は朝方の時間帯を指すとあります。さらに調べると
「彼は誰時(かはたれどき)」は、明け方頃の時間帯を指す。「彼は誰(かはたれ)」ともいう。
彼は誰時は元々、彼が誰か訊かなければ判らない、薄暗い朝方や夕方を指していた。
しかし、後には朝方に限定し、黄昏(誰そ彼)が夕方を指す、と区別して使われるようになった。
ということで、もともとは夕方の時間帯をも指していたんですね。
ガッテン!!
一方の黄昏の方も調べてみると
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略である。
夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると、誰かれとなく「そこにいるのは誰ですか」
「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味である。
対になる表現に夜明け前を表す「かわたれどき(彼は誰時)」があり、
本来はいずれも夜明け前・日没後の薄明帯を区別せず呼んだと推測される。
なるほど! こちらも朝夕、両方で使っていたと。
映画の中では
誰そ彼と われをな問ひそ 九月(ながつき)の
露に濡れつつ 君待つわれそ
という万葉集の句を用いて、黄昏の語源「(誰そ彼(たそかれ)」)について教えるシーンがあるそうです。
だったら、紛らわしく「かはたれ」を持ち出さなくても....と思ったりしますが、
ここはやはり語呂が大切? それともタイトルとの関係か?(苦笑
いずれにしても勉強になりました。
それにしても、おそるべしアニメの力!
朝、ニュースを見ていたら、首相が自民党東京都連の集まりで
「難しい選挙ではあるが、まなじりを決して勝ち抜く決意だ」と言っていました。
「まなじりを決して」 という言葉は久しく聞いたことがないような気がします。
「まなじり」が「目尻(めじり)」だということはわかりますし、
意味もなんとなく知っているつもりでしたが、「決する」がひっかかりました。
「決する」は「決まる」とか「決める」という意味の他に
「堤防が切れて水が流れ出る。また、堤防を破って水を流し出す。」という意味があるそうです。
「まなじりを決する」は
「目尻が切れるくらい、裂けるくらい、目を大きく見開いて気力を奮い立たせる」
ということなんですね。
ちなみに、「まなじり」の漢字は「眦」
昨夜、芸能人が俳句を作る番組を見ていて、気になった言葉。
銅像が帽子を「かぶさせられている」
違和感、感じません?
私の感覚だと「かぶせられている」なんだけど・・・
頭がこんがらかってきたので、整理します。
1)AがBに帽子をかぶせる=BがAに帽子をかぶせられる ・・・帽子をかぶせたのはA(=行為者)
2)AがBに帽子をかぶさせる=BがAに帽子をかぶさせられる ・・・帽子をかぶったのはB(=行為者)で、Aがそうさせた。
ですよね?
なので、「かぶさせられている」というなら、銅像さんが自分でかぶったことになるんだけど、
それは無理なので、やっぱり「かぶせられている」でしょう。
新聞のクロスワードパズルをやっていて、
中指の別称「高高指(たかたかゆび」が分かりませんでした。
これは、「丈高指(たけたかゆび」が音変化したものだそうです。
他の指にも別の言い方があるのかなと調べてみました。
一般的には
「親指、人差し指、中指(なかゆび)、薬指(くすりゆび)、小指(こゆび)」ですが、
医学用語では、番号を用いて
「第一指、第二指、第三指、第四指、第五指」
という言い方と
「母指(ぼし)、示指(じし)、中指(ちゅうし)、薬指(やくし)/環指(かんし)、小指(しょうし)」
があるそうです。
中指、薬指、小指は同じ漢字でも読み方が違っていますね。
人差し指は「人を指示するときの指」というのが本来らしいです。
漢語では
「拇指(ぼし)、食指(しょくし)、中指(ちゅうし)、無名指(むめいし)、小指(しょうし)」
「食指が動く」という慣用句がありますが、これは中国『春秋左氏伝』の故事によるもの。
楚の人が、鄭の霊公にすっぽんを献上した。
王族の子宋と側近の子家が、ちょうどそのとき霊公を訪問したのだが、
公子宋の食指(人差し指)がぴくりと動いた。
子宋はその指を指して子家に言った。
「いつでも、このようになると、必ずご馳走にありつけるんだよ。」と。
果たして、入室してみると、料理人がちょうどすっぽんをさばいていた。
という話から、「食欲がわく」という意味となり、転じて「興味や関心を持つ」という意味になったそうです。
そして、気になるのが「無名指」ですね。日本語でも「名無し指」という言い方がありました。
語源については、いろいろな説があるようですが、面白かったのが
昔から、薬指は病気を治すなど魔力の宿る指とする考えが世界中にあり、
大切な指とされたが、指の名前をあからさまに呼び周りに知られると、
災いがやってきたり呪いをかけられて、薬の効果が消えると信じられていたため名前を隠した。
というもの。 ⇒参考
その他に
人差し指を「塩嘗め指(しおなめゆび)」
薬指を「薬師指(くすしゆび)」「紅差し指(べにさしゆび)」
などがありました。
ここで、韓国語のお勉強。
順番に
「엄지손가락、집게손가락、가운뎃손가락、약손가락、새끼손가락」
人差し指の「집게」は「ニッパー」
日本語とは意味が違いますね。
韓国語では「손」が入って「손가락(手の指)」です。
なので、「발가락(足の指)」も気になってきました。
「엄지발가락、가운뎃발가락、새끼발가락」
とは言うようなんですが、
「둘째 발가락」と「넷째 발가락」は名前がないらしい。
考えてみると、親指、中指、小指は形状から来てるから手足関係なく使えるけど
人差し指と薬指は使い方(?)から名づけられているから、足には合わないですねぇ。
じゃあ、日本語では?
日常では「足の親指」とか言ってますけど・・・。
「母趾(第一趾、おやゆび)、第二趾、第三趾、第四趾、小趾(第五趾、こゆび)」
だそうです。
親指と小指だけ名前があるんですね。
医学用語では「指」と「趾」を区別するそうですが、一般的には「指」でよいそうです。