2015年5月13,14日 3月に開通した北陸新幹線で一泊二日の金沢観光に出掛けた。じつは母のショートステイがなんとかうまく行きだして、今回は2回目で約10年振りの夫婦旅だ。直前にならないと様子分からず、母の体調含めてなんとか行けそうだということで2日前の晩に宿だけ押さえてあとはすべて当日手配。AM11時ショートステイの施設に入所、スタッフさんとの面談、担当医の体調チェック、部屋とベッドの整理で3,40分過ぎて怪訝な顔つきの母を置いて帰宅した。
バタバタと身支度して東京駅に向かう。緑の窓口に並んでジパング手帳を見せて乗車券と特急指定席券(全車指定)を買う、金沢行き13:24「かがやき529」が入線、最後尾に行って顔つきを見に行く。ブルーと茶のなかなか落ち着いた品のある顔つきだ、Gran Classという豪華席も窓越しに覗いてみたりすっかりお上りさん気分。
車輌に入ると、ぷーんと新車の香り(自動車のと同じ)がした。連休の翌週でも6割位は埋まっていた。ホームで買ったお弁当を昼ビールで流し込んで発車を待つ。すーっと音もなく発車、走行中の振動も少なくこれで、トンネルが少なかったらもっと良いのに、大宮を過ぎたら次が長野。上野、大宮、長野、富山、金沢の5駅しか止まらない。15:57定刻通り金沢駅に滑り込んだ。
観光案内所で街の話しを聞いて正面玄関に出る、ガラスの大屋根とそれを支える巨大な木製(に見える)のねじれた柱が鼓門というシンボルだそうだ。近江市場の前を通り十間町のビジネスホテルに向かう。10数年前に白山山行の帰りに寄ったときと街の雰囲気がかなり違う。
お泊まりは近江市場と金沢城のあいだで質素だがロケーション良し。チェックインして近くの食事処を予約、黒門口から金沢城(跡)へ。
夕刻に暫し散策、広い芝生と広い空に満足、外濠を歩いて直ぐの予約した博労町“香りん寿司”へ。2時間ほどお酒と刺身と焼き物とお寿司をいただき、教わった「金沢白鳥路ホテル山楽」で温泉を楽しみ、宿へ戻る。
翌朝、食事前に金沢城と兼六園を巡る。ホテル6時20分発、涼しい早朝のお城散策、黒門口から入り清々しい広場は金沢大学の移転跡地、再建された50間長屋だとか、多数の石垣。
櫓跡に登れば南西には残雪の山々、新緑と青空がよく似合うお城だ。
次に石川門口から兼六園に、早朝散歩はなかなか大変なのだ、AM4:30~6:30まで入園料(\310)が無料とか。しかし、すでにその時間帯は諦めていたのだが、受付には「65才以上無料」の張り紙、しかも、受付さんの「そうは見えませんね」にすっかり気をよくして入園した。
じつは少し前にTVでタモリの散歩番組で高台の兼六園の水源の話しがあった。確かに霞ケ池の豊富な水量は一体どこから?辰巳用水といって犀川上流11kmから石管で金沢城まで引いたんだそうな。石管の遺跡や番組では、園外からの取水口まで映していたが、その辺りの確認で終わる。
空腹状態も我慢の限度に近づき始める頃、何とか宿(8:00)に辿り着いた。
一応、チェックアウトしてから手荷物を宿に預け、近江市場に出掛ける。
海産物売り場ではカミさんが東京魚河岸で鍛えた?掛け合いをしていたがどうやら買わされてしまったようだ。宅配便の手配を終えてからお寿司屋さんへ。
それから尾山神社と室生犀星の育った犀川付近を歩き、茶屋町へとカミさんはコースを考えていた。
腹ごしらえしてから、ビル街の日陰を伝い歩き尾山神社(9:30)へ、ここは前田利家と正室おまつを祀っている。
それから香林坊(ブランド店、老舗百貨店、繁華街)を通り犀川へ。犀川大橋(10:30)から右岸の桜古木並ぶ犀星の散歩道を桜橋まで上り奥医王山とか残雪の山々を眺め、今度は対岸を犀川大橋まで下る。
大橋袂の雨宝院(犀星が育った処)から犀星記念館(13:00)へ。
やや足も棒になり、反対側の東茶屋へ向かうべくこの日初めての循環バス(\200)に乗った。橋場で降りて浅野川大橋を渡り東茶屋街(15:~16:)に入る。
出格子のある古い街並みは2001年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。中韓ほか外国人が多数観光していた。
一日中金沢を歩いたお陰で土地勘もでき金沢城の緑を左手に見ながら宿に着いた。手荷物を受け取り、お礼を言って再び、近江町市場で早めの夕食を摂って金沢駅へ向かった。
帰りも指定席券を追加して東京行き19:39に乗車した。なんと足棒になる訳で歩数計は28354歩、帰宅したら30000歩を越えていた。たくさん歩いたお陰で、街ではいろいろの人に出会えた。皆さん親切で我々がウロウロしていると、大抵、向こうから声を掛けてくれた。先にたって案内してくれたり、街の変遷を紹介してくれたり、兼六園早朝無料も夕方、金沢城の散歩中に出会った人だった。緑が多くて、空を覆う電線が無くて、古い家並みや文化を大事にしてる金沢が好きになった。楽しい金沢旅行だった。
翌日午後、母をショートステイ先に迎えに行くと「あんた達、何しにきたの」ご機嫌だった。
バタバタと身支度して東京駅に向かう。緑の窓口に並んでジパング手帳を見せて乗車券と特急指定席券(全車指定)を買う、金沢行き13:24「かがやき529」が入線、最後尾に行って顔つきを見に行く。ブルーと茶のなかなか落ち着いた品のある顔つきだ、Gran Classという豪華席も窓越しに覗いてみたりすっかりお上りさん気分。
車輌に入ると、ぷーんと新車の香り(自動車のと同じ)がした。連休の翌週でも6割位は埋まっていた。ホームで買ったお弁当を昼ビールで流し込んで発車を待つ。すーっと音もなく発車、走行中の振動も少なくこれで、トンネルが少なかったらもっと良いのに、大宮を過ぎたら次が長野。上野、大宮、長野、富山、金沢の5駅しか止まらない。15:57定刻通り金沢駅に滑り込んだ。
観光案内所で街の話しを聞いて正面玄関に出る、ガラスの大屋根とそれを支える巨大な木製(に見える)のねじれた柱が鼓門というシンボルだそうだ。近江市場の前を通り十間町のビジネスホテルに向かう。10数年前に白山山行の帰りに寄ったときと街の雰囲気がかなり違う。
お泊まりは近江市場と金沢城のあいだで質素だがロケーション良し。チェックインして近くの食事処を予約、黒門口から金沢城(跡)へ。
夕刻に暫し散策、広い芝生と広い空に満足、外濠を歩いて直ぐの予約した博労町“香りん寿司”へ。2時間ほどお酒と刺身と焼き物とお寿司をいただき、教わった「金沢白鳥路ホテル山楽」で温泉を楽しみ、宿へ戻る。
翌朝、食事前に金沢城と兼六園を巡る。ホテル6時20分発、涼しい早朝のお城散策、黒門口から入り清々しい広場は金沢大学の移転跡地、再建された50間長屋だとか、多数の石垣。
櫓跡に登れば南西には残雪の山々、新緑と青空がよく似合うお城だ。
次に石川門口から兼六園に、早朝散歩はなかなか大変なのだ、AM4:30~6:30まで入園料(\310)が無料とか。しかし、すでにその時間帯は諦めていたのだが、受付には「65才以上無料」の張り紙、しかも、受付さんの「そうは見えませんね」にすっかり気をよくして入園した。
じつは少し前にTVでタモリの散歩番組で高台の兼六園の水源の話しがあった。確かに霞ケ池の豊富な水量は一体どこから?辰巳用水といって犀川上流11kmから石管で金沢城まで引いたんだそうな。石管の遺跡や番組では、園外からの取水口まで映していたが、その辺りの確認で終わる。
空腹状態も我慢の限度に近づき始める頃、何とか宿(8:00)に辿り着いた。
一応、チェックアウトしてから手荷物を宿に預け、近江市場に出掛ける。
海産物売り場ではカミさんが東京魚河岸で鍛えた?掛け合いをしていたがどうやら買わされてしまったようだ。宅配便の手配を終えてからお寿司屋さんへ。
それから尾山神社と室生犀星の育った犀川付近を歩き、茶屋町へとカミさんはコースを考えていた。
腹ごしらえしてから、ビル街の日陰を伝い歩き尾山神社(9:30)へ、ここは前田利家と正室おまつを祀っている。
それから香林坊(ブランド店、老舗百貨店、繁華街)を通り犀川へ。犀川大橋(10:30)から右岸の桜古木並ぶ犀星の散歩道を桜橋まで上り奥医王山とか残雪の山々を眺め、今度は対岸を犀川大橋まで下る。
大橋袂の雨宝院(犀星が育った処)から犀星記念館(13:00)へ。
やや足も棒になり、反対側の東茶屋へ向かうべくこの日初めての循環バス(\200)に乗った。橋場で降りて浅野川大橋を渡り東茶屋街(15:~16:)に入る。
出格子のある古い街並みは2001年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。中韓ほか外国人が多数観光していた。
一日中金沢を歩いたお陰で土地勘もでき金沢城の緑を左手に見ながら宿に着いた。手荷物を受け取り、お礼を言って再び、近江町市場で早めの夕食を摂って金沢駅へ向かった。
帰りも指定席券を追加して東京行き19:39に乗車した。なんと足棒になる訳で歩数計は28354歩、帰宅したら30000歩を越えていた。たくさん歩いたお陰で、街ではいろいろの人に出会えた。皆さん親切で我々がウロウロしていると、大抵、向こうから声を掛けてくれた。先にたって案内してくれたり、街の変遷を紹介してくれたり、兼六園早朝無料も夕方、金沢城の散歩中に出会った人だった。緑が多くて、空を覆う電線が無くて、古い家並みや文化を大事にしてる金沢が好きになった。楽しい金沢旅行だった。
翌日午後、母をショートステイ先に迎えに行くと「あんた達、何しにきたの」ご機嫌だった。
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