山のあれこれ

山の楽しみのあれこれを紹介していきたいと思います。

回想 尾瀬から会津へ (1)

2009-10-27 | 山想
5月の燧岳と会津駒ヶ岳 1973.5.3~6 の山旅の話

5月2日
上野を22時13分の鈍行で出発。車内にスキーを持ち込む者も結構多い。

5月3日
沼田1時45分着、ステーションビバークのつもりでいたらバスが接続していた。大清水行と富士見下行、スキーヤーは後者が多い。大清水着3時40分、明るくなるまで休憩所で仮眠。5時05分発、寝過ぎてしまいバスに同乗していた大部分はすでにいなかった。

林道は根羽沢と分かれて一ノ瀬の小屋あたりまで広くなっていた。一ノ瀬から左へ車道から別れ冬路沢沿いに登っていく。何度か林道を横切るとzig zagに三平峠に向かい台地の上に出る。やっと雪が出てきたら三平峠曇り空。ここまでハイカーやワンゲル風の連中がガサゴソ通るので気恥ずかしくて肩に担いだスキーを履く気になんてなれなかった、数歩下り出すともう我慢できずに道を離れて右手の木立に入り高みに登り始め、周囲を見渡してからスキーを履いた。

ここで2人連れのスキーヤーが沼の方へ滑っていくのを見つけた。そこで負けじとばかり、ザックを背負い直して木立の斜面を沼めがけて大きく斜滑降しながらで滑り込んでいった。はじめはこの185cmのスキー板と山靴との履き具合が馴れず気を遣ったが、しばらくしてゲレンデスキーと大した差がないことがわかる。場所と使い方さえ覚えればさほど長さの違和感も感じないしむしろ便利な道具だ。白い沼を左手に樹林を滑走していく。

湖岸を歩くハイカーを横目に長蔵小屋の裏手のヒュッテの前に滑り込んだ8時30分着。こんなに早く着いてしまったのにお天気はさっぱりだし、どうしょうかと悩んでいたら、先ほどの二人のスキーヤーと出会う。

これから燧岳を越えて会津側へ行くのだがと誘ってくれた。さっそくザックを小屋に預けアノラックを腰に巻いてビスケット一袋を持って彼らの後を付いていった9時45分発。長英新道は沼の端のアザミ湿原へ出ると右手の林に分岐があり、ここからダラダラと約3時間の登りだ。

薄暗い樹林のなかの登りだし、ガスッているせいで余計に視界が悪い。景色もみえないし高度も稼げないしつまらない登りだ。滑降してきても登り返しがあるにちがいない。それでもようやく登りが急になり、ステップを切って直登していく。相変わらず層積雲の中の霧雨状のガスのなかだった。樹相がダケカンバにならないとまだまだだよ、と言われていた。

ようやく辿り着いたと思ったところは、ミノブチ岳のあたりだそうで沼の方からゴーゴーと冷たい風が吹き上がってくる。早々に尾根上に逃げ込んだ。ガスで何も見えず残念だ。狭い岩稜らしくハイマツ帯を越えると少し平らな所に出た。左手にナデックボ入口とありここにスキーをデポしてストックだけ持って俎へ登った。頂上着、13時10分ここだけは岩がきれいに露出していた。

二人連れに礼を言って別れ、視界不十分だがナデックボ沢を降りることにした。丁寧にスキー板を履き、さあ出発13時40分。降口から急斜面なので斜滑降と横滑り
とキックターンで慎重に降りて行く。なにしろ先が見えないので大胆に滑り込む訳にいかない。ザラメ状の雪面なので意外に滑りやすい、エッジが効くので、引っ掛かって転倒さえしなければ大丈夫そうだ。

まもなく緩斜面になり溝状のところを過ぎて再び、急斜面が始まる。一回横滑りをすると20~30mザーっともったいない位落下してしまう。しだいに調子づいてシュテムクリスチャニアで連続ターンをやってみる。下の方から声がしたので近づいてみると、先ほどの二人連れだった。下山コースを変更した模様。構わずその脇をすり抜けどんどん滑り降りた。

やがて広い原に出た。白い原と思ったのは沼で、沼尻だった。約20分で滑り降りた。視界不十分で先の見通しが利かないせいであろう、高度感が無く恐怖は感じなかった。翌朝、長蔵小屋から、沼の対岸に燧が見えた。小屋のオバサンから「よく降りてきなすったね」と言われた。ちょうどナデックボの降り口が少しくびれて白く見えた。

沼尻から沼の上(氷結)を歩いたり森を横切ったり、カンダハーを効かせて歩き回った。長蔵小屋着15時30分。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする