5月6日
今朝も素晴らしい天気なのだけれど、残念だが南会津ともお別れだ。「いずみや」さんの若奥さんに見送られて檜枝岐を後にする。バスは舗装道路の駒止峠を喘いで越えて田島に降りる。峠付近で時折り振り返ると、窓明、三つ岩、駒と白い輝きが山ひだの合間に見え隠れする。
峠からは会津の山と里が望まれた。新緑の木立の陰には水芭蕉の湿地が光り、山桜が彩り、田畑の土は黒い。田島(11時50分)よりバスを乗り換えて南下して山王峠を越えて栃木に入り鬼怒川温泉駅へ。浅草行きの東武電車にスキーを担いで乗り込んだのは僕一人だった。
1973年5月の記録
5/2,3
上野22:13=沼田1:48,2:30=大清水3:40, 大清水5:05…三平峠7:40…長蔵小屋8:30,9:45…燧岳13:10,15…ナデックボ入口13:40…沼尻14:00…長蔵小屋15:30
5/4
長蔵小屋7:45…沼山峠9:00,30…沼山休憩所9:45…上曲沢と道行沢出合13:45…七入14:50,15:10=檜枝岐
15:30
5/5
檜枝岐6:05…滝沢橋6:15…駒の小屋10:50…会津駒11:15,13:35…水路入口15:15
5/6
檜枝岐9:05=田島11:40,50=鬼怒川公園14:30, 鬼怒川温泉15:25=淺草18:05
上野-沼田620円、沼田-大清水(荷物込み)900円、七入-檜枝岐150円、檜枝岐-田島(荷物込み)730円
田島-鬼怒川温泉(荷物込み)1020円、鬼怒川温泉-淺草600円 交通費:4070円
長蔵小屋・夕食付き1200円、いずみや2泊・朝1・夕2 2800円 泊代4000円
エピローグ
この山旅は、積雪の奥深い山に一人で分け入った初めての冒険だった。今にして思えば一歩誤れば事故につながる無謀な山行だった。残雪期とはいえ、雪山の知識も技術もなく、高山の山歩きの経験も無い状態で、コース標識もない奥山の尾瀬から会津に一人でスキーを担いで出掛けた訳で、本の知識と山旅への憧れだけで、たまたま幸いにことを実行してしまった。この頃、山里から山里へ峠を越えての漂泊の山旅に憧れており、沼田街道とか会津西街道のことは知っていた。
このときの反省から、きちんと山歩きと雪山の技術を覚えたくて山岳会に入会することになった。
スキーは、当時通った民宿で入手した185cmの合板のスキー板から締め具を外して山靴で履けるように工夫した。カンダハーといわれるL字型の鉄片を取り付け肉厚の皮革バンドで、靴先を押さえ、踵はスプリング式ワイヤーで張る。滑るときはワイヤーをスキー板の側面のフックに引っ掛け、歩くときはこのフックを外すと5cmほど踵が浮き歩くので具合が良かった。当時は、バックルの足首固定式の靴が出ていてスピードを競うゲレンデスキーの主流になりつつあったが、まだ紐締め式のスキー靴(そのまま平地を歩ける)と板との一式が民宿の納屋には幾つも転がっていた。そして、スキー技術は、足首フリーの山靴だから膝と足首を曲げて腰を落とし、直滑降、斜滑降、横滑りとプルークボーゲンしか出来なかった。スキーシールは持参したが、紐とテープで固定するのでシールと板の間に雪が入りズレやすく、担いでしまう方が多かった。その後、ジルブレッタ125Lや300も手に入れることになる。
( 山で…その(6)より)
今朝も素晴らしい天気なのだけれど、残念だが南会津ともお別れだ。「いずみや」さんの若奥さんに見送られて檜枝岐を後にする。バスは舗装道路の駒止峠を喘いで越えて田島に降りる。峠付近で時折り振り返ると、窓明、三つ岩、駒と白い輝きが山ひだの合間に見え隠れする。
峠からは会津の山と里が望まれた。新緑の木立の陰には水芭蕉の湿地が光り、山桜が彩り、田畑の土は黒い。田島(11時50分)よりバスを乗り換えて南下して山王峠を越えて栃木に入り鬼怒川温泉駅へ。浅草行きの東武電車にスキーを担いで乗り込んだのは僕一人だった。
1973年5月の記録
5/2,3
上野22:13=沼田1:48,2:30=大清水3:40, 大清水5:05…三平峠7:40…長蔵小屋8:30,9:45…燧岳13:10,15…ナデックボ入口13:40…沼尻14:00…長蔵小屋15:30
5/4
長蔵小屋7:45…沼山峠9:00,30…沼山休憩所9:45…上曲沢と道行沢出合13:45…七入14:50,15:10=檜枝岐
15:30
5/5
檜枝岐6:05…滝沢橋6:15…駒の小屋10:50…会津駒11:15,13:35…水路入口15:15
5/6
檜枝岐9:05=田島11:40,50=鬼怒川公園14:30, 鬼怒川温泉15:25=淺草18:05
上野-沼田620円、沼田-大清水(荷物込み)900円、七入-檜枝岐150円、檜枝岐-田島(荷物込み)730円
田島-鬼怒川温泉(荷物込み)1020円、鬼怒川温泉-淺草600円 交通費:4070円
長蔵小屋・夕食付き1200円、いずみや2泊・朝1・夕2 2800円 泊代4000円
エピローグ
この山旅は、積雪の奥深い山に一人で分け入った初めての冒険だった。今にして思えば一歩誤れば事故につながる無謀な山行だった。残雪期とはいえ、雪山の知識も技術もなく、高山の山歩きの経験も無い状態で、コース標識もない奥山の尾瀬から会津に一人でスキーを担いで出掛けた訳で、本の知識と山旅への憧れだけで、たまたま幸いにことを実行してしまった。この頃、山里から山里へ峠を越えての漂泊の山旅に憧れており、沼田街道とか会津西街道のことは知っていた。
このときの反省から、きちんと山歩きと雪山の技術を覚えたくて山岳会に入会することになった。
スキーは、当時通った民宿で入手した185cmの合板のスキー板から締め具を外して山靴で履けるように工夫した。カンダハーといわれるL字型の鉄片を取り付け肉厚の皮革バンドで、靴先を押さえ、踵はスプリング式ワイヤーで張る。滑るときはワイヤーをスキー板の側面のフックに引っ掛け、歩くときはこのフックを外すと5cmほど踵が浮き歩くので具合が良かった。当時は、バックルの足首固定式の靴が出ていてスピードを競うゲレンデスキーの主流になりつつあったが、まだ紐締め式のスキー靴(そのまま平地を歩ける)と板との一式が民宿の納屋には幾つも転がっていた。そして、スキー技術は、足首フリーの山靴だから膝と足首を曲げて腰を落とし、直滑降、斜滑降、横滑りとプルークボーゲンしか出来なかった。スキーシールは持参したが、紐とテープで固定するのでシールと板の間に雪が入りズレやすく、担いでしまう方が多かった。その後、ジルブレッタ125Lや300も手に入れることになる。
( 山で…その(6)より)