山のあれこれ

山の楽しみのあれこれを紹介していきたいと思います。

回想 尾瀬から会津へ (4)

2009-10-30 | 山想
5月6日
今朝も素晴らしい天気なのだけれど、残念だが南会津ともお別れだ。「いずみや」さんの若奥さんに見送られて檜枝岐を後にする。バスは舗装道路の駒止峠を喘いで越えて田島に降りる。峠付近で時折り振り返ると、窓明、三つ岩、駒と白い輝きが山ひだの合間に見え隠れする。

峠からは会津の山と里が望まれた。新緑の木立の陰には水芭蕉の湿地が光り、山桜が彩り、田畑の土は黒い。田島(11時50分)よりバスを乗り換えて南下して山王峠を越えて栃木に入り鬼怒川温泉駅へ。浅草行きの東武電車にスキーを担いで乗り込んだのは僕一人だった。

1973年5月の記録
5/2,3
上野22:13=沼田1:48,2:30=大清水3:40,  大清水5:05…三平峠7:40…長蔵小屋8:30,9:45…燧岳13:10,15…ナデックボ入口13:40…沼尻14:00…長蔵小屋15:30
5/4
長蔵小屋7:45…沼山峠9:00,30…沼山休憩所9:45…上曲沢と道行沢出合13:45…七入14:50,15:10=檜枝岐
15:30
5/5
檜枝岐6:05…滝沢橋6:15…駒の小屋10:50…会津駒11:15,13:35…水路入口15:15
5/6
檜枝岐9:05=田島11:40,50=鬼怒川公園14:30, 鬼怒川温泉15:25=淺草18:05

上野-沼田620円、沼田-大清水(荷物込み)900円、七入-檜枝岐150円、檜枝岐-田島(荷物込み)730円
田島-鬼怒川温泉(荷物込み)1020円、鬼怒川温泉-淺草600円  交通費:4070円
長蔵小屋・夕食付き1200円、いずみや2泊・朝1・夕2 2800円 泊代4000円

エピローグ
この山旅は、積雪の奥深い山に一人で分け入った初めての冒険だった。今にして思えば一歩誤れば事故につながる無謀な山行だった。残雪期とはいえ、雪山の知識も技術もなく、高山の山歩きの経験も無い状態で、コース標識もない奥山の尾瀬から会津に一人でスキーを担いで出掛けた訳で、本の知識と山旅への憧れだけで、たまたま幸いにことを実行してしまった。この頃、山里から山里へ峠を越えての漂泊の山旅に憧れており、沼田街道とか会津西街道のことは知っていた。

 このときの反省から、きちんと山歩きと雪山の技術を覚えたくて山岳会に入会することになった。

スキーは、当時通った民宿で入手した185cmの合板のスキー板から締め具を外して山靴で履けるように工夫した。カンダハーといわれるL字型の鉄片を取り付け肉厚の皮革バンドで、靴先を押さえ、踵はスプリング式ワイヤーで張る。滑るときはワイヤーをスキー板の側面のフックに引っ掛け、歩くときはこのフックを外すと5cmほど踵が浮き歩くので具合が良かった。当時は、バックルの足首固定式の靴が出ていてスピードを競うゲレンデスキーの主流になりつつあったが、まだ紐締め式のスキー靴(そのまま平地を歩ける)と板との一式が民宿の納屋には幾つも転がっていた。そして、スキー技術は、足首フリーの山靴だから膝と足首を曲げて腰を落とし、直滑降、斜滑降、横滑りとプルークボーゲンしか出来なかった。スキーシールは持参したが、紐とテープで固定するのでシールと板の間に雪が入りズレやすく、担いでしまう方が多かった。その後、ジルブレッタ125Lや300も手に入れることになる。  

( 山で…その(6)より)
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回想 尾瀬から会津へ (3)

2009-10-29 | 山想
5月5日
快晴、6時 用意のザックを背に朝食取らずに出発。今日は予定外の会津駒ヶ岳を目指す。滝沢橋6時15分。左の林道へ、三つ岩への白い山並みのよく見える道を上がり水路のところからzig zagに登る。

20分ほど食事をして、さあ苦しい登りだ。こぶしと山桜が咲いている。ブナの太い幹の林立する登り。肩のスキー板が肩に食い込む。おまけに陽差しはまるで初夏で疲れた足に登りは辛い。30分ペースで喘ぎと樹間にら白い山腹が見えてきた。

ステップを切ってハイマツの斜面に上がると駒の広大な白い山頂が視界一杯に広がった10時30分。板をおろしてシールを貼り、もくもくとスキーを滑らす。ギラギラ光る5月の太陽に汗が噴き出るが、2000mの風は快い。山上ではスキーヤーがポール練習をしていた。駒の小屋は半分雪に潜っているが賑やかな顔が出入りしている。
さあ、頂上に向かう。

3度ほど大きくキックターンして登り切るとハイマツの途切れた黒土に三角点があった11時15分。中門岳の見える日当たりにポンチョを拡げご満悦。なんという眺めなんだ。ボンと正面に飯豊連峰が屏風のように見えていた。銀山湖が光り振り返れば燧岳が立ちはだかり、越後三山や会越の山々が。

2時間もこの光景を前にアイスミルクを舐めたりゴロゴロしていた。ようやく腰を上げたのは13時35分。スキーを履いてポール遊びの連中を横目にパラレルをきめて大斜面を滑り降り、モミツガを縫ってからブナ林に突っ込む。雑木と藪斜面を雪面を拾いながらようやく水路に降りた15時15分。林道をタラノメを摘みながら「いずみや」に急いだ。
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回想 尾瀬から会津へ (2)

2009-10-28 | 山想
5月4日
朝食の餅を焼いていたら爆音がした、ヘリ輸送だった。7時45分出発。晴れ、大江湿原を右手に沼山峠へ向かった。木陰で今回初めてシールを付けた。紐を数カ所で留めてスキー板のテールで引っ張り固定する。なかなか具合がよい、ナイロン毛だがよく効くし滑るし。峠から少し高みに登ってからシールを板から外して林間
滑降して林道に降りた。

林道の沼山峠には車が何台も止まっていて観光客のラジオが鳴っている。シャクだったのでさっさと林道を越えて谷に滑り降りることにした。ここには古くは沼田街道が上州側の片品村戸倉から沼山峠を挟んで道行沢から七入に降りて伊南川沿いに檜枝岐、大川村内川、田島、会津若松へと続いている。

峠の休憩所9時45分から林間に残っていた古いシュプールを目当てにいい気に滑り込んでいたら、どうも右に寄り過ぎて道行沢の枝沢の上曲沢に迷いこんでいたようだった。戻るのが億劫で沢にはまりこんでしまった。ずいぶんと降りてしまった。

林道は遙か上だし仕方なしに行けるところまでスキーで滑って行く。ここでスキーの真価が判った。足もとを雪解けの奔流で凄まじくえぐられている谷の通過。スキー無しではブリッジを踏み抜く危険地帯。這々の体で最後は滝に突き当たり仕方なくスキーを担いで藪斜面を高巻きして降りたところで、道行沢の沼田道の赤ペンキを見つけた。

いや、嬉しかった。沢沿いの古い道跡を辿り七入に着いた14時50分。七入では予定より2時間遅いバスにぎりぎり間に合った。車内で峠で会った人と再会して意気投合して、檜枝岐の民宿「いずみや」に同宿することになった。一人の酒より乾杯の酒はもっと美味い。
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回想 尾瀬から会津へ (1)

2009-10-27 | 山想
5月の燧岳と会津駒ヶ岳 1973.5.3~6 の山旅の話

5月2日
上野を22時13分の鈍行で出発。車内にスキーを持ち込む者も結構多い。

5月3日
沼田1時45分着、ステーションビバークのつもりでいたらバスが接続していた。大清水行と富士見下行、スキーヤーは後者が多い。大清水着3時40分、明るくなるまで休憩所で仮眠。5時05分発、寝過ぎてしまいバスに同乗していた大部分はすでにいなかった。

林道は根羽沢と分かれて一ノ瀬の小屋あたりまで広くなっていた。一ノ瀬から左へ車道から別れ冬路沢沿いに登っていく。何度か林道を横切るとzig zagに三平峠に向かい台地の上に出る。やっと雪が出てきたら三平峠曇り空。ここまでハイカーやワンゲル風の連中がガサゴソ通るので気恥ずかしくて肩に担いだスキーを履く気になんてなれなかった、数歩下り出すともう我慢できずに道を離れて右手の木立に入り高みに登り始め、周囲を見渡してからスキーを履いた。

ここで2人連れのスキーヤーが沼の方へ滑っていくのを見つけた。そこで負けじとばかり、ザックを背負い直して木立の斜面を沼めがけて大きく斜滑降しながらで滑り込んでいった。はじめはこの185cmのスキー板と山靴との履き具合が馴れず気を遣ったが、しばらくしてゲレンデスキーと大した差がないことがわかる。場所と使い方さえ覚えればさほど長さの違和感も感じないしむしろ便利な道具だ。白い沼を左手に樹林を滑走していく。

湖岸を歩くハイカーを横目に長蔵小屋の裏手のヒュッテの前に滑り込んだ8時30分着。こんなに早く着いてしまったのにお天気はさっぱりだし、どうしょうかと悩んでいたら、先ほどの二人のスキーヤーと出会う。

これから燧岳を越えて会津側へ行くのだがと誘ってくれた。さっそくザックを小屋に預けアノラックを腰に巻いてビスケット一袋を持って彼らの後を付いていった9時45分発。長英新道は沼の端のアザミ湿原へ出ると右手の林に分岐があり、ここからダラダラと約3時間の登りだ。

薄暗い樹林のなかの登りだし、ガスッているせいで余計に視界が悪い。景色もみえないし高度も稼げないしつまらない登りだ。滑降してきても登り返しがあるにちがいない。それでもようやく登りが急になり、ステップを切って直登していく。相変わらず層積雲の中の霧雨状のガスのなかだった。樹相がダケカンバにならないとまだまだだよ、と言われていた。

ようやく辿り着いたと思ったところは、ミノブチ岳のあたりだそうで沼の方からゴーゴーと冷たい風が吹き上がってくる。早々に尾根上に逃げ込んだ。ガスで何も見えず残念だ。狭い岩稜らしくハイマツ帯を越えると少し平らな所に出た。左手にナデックボ入口とありここにスキーをデポしてストックだけ持って俎へ登った。頂上着、13時10分ここだけは岩がきれいに露出していた。

二人連れに礼を言って別れ、視界不十分だがナデックボ沢を降りることにした。丁寧にスキー板を履き、さあ出発13時40分。降口から急斜面なので斜滑降と横滑り
とキックターンで慎重に降りて行く。なにしろ先が見えないので大胆に滑り込む訳にいかない。ザラメ状の雪面なので意外に滑りやすい、エッジが効くので、引っ掛かって転倒さえしなければ大丈夫そうだ。

まもなく緩斜面になり溝状のところを過ぎて再び、急斜面が始まる。一回横滑りをすると20~30mザーっともったいない位落下してしまう。しだいに調子づいてシュテムクリスチャニアで連続ターンをやってみる。下の方から声がしたので近づいてみると、先ほどの二人連れだった。下山コースを変更した模様。構わずその脇をすり抜けどんどん滑り降りた。

やがて広い原に出た。白い原と思ったのは沼で、沼尻だった。約20分で滑り降りた。視界不十分で先の見通しが利かないせいであろう、高度感が無く恐怖は感じなかった。翌朝、長蔵小屋から、沼の対岸に燧が見えた。小屋のオバサンから「よく降りてきなすったね」と言われた。ちょうどナデックボの降り口が少しくびれて白く見えた。

沼尻から沼の上(氷結)を歩いたり森を横切ったり、カンダハーを効かせて歩き回った。長蔵小屋着15時30分。
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流星群といえば

2009-10-22 | 山想
今話題になっているのはオリオン座流星群だ。なんでも10月19日から23日までの4晩にかけて東の空に発生して予想では一時間に50個も?飛び交うのだとか。
それで思い出すのが、ジャコビニ流星群。13年おきに発生して特に1972年の秋のものが有名。

じつは私は当時、大卒2年目。学生時代の山のグループの会合で、研究室当時の助手からコピーを見せられたのを覚えている。それには「ジャコビニ流星雨と書かれており流れ星が夜空から降りそそぐ…」との記事だった。で、この話に後押しされて友人のI南君と1972年10月8,9日東北の鳥海山に出掛けたのだった。

夜行列車は上野発21:05、象潟7:07着。鉾立から御浜小屋、頂上御室小屋14:10到着。前線が日本海から近づいているが、北に行けば高気圧の中に入り雲が切れる筈、2000mを越えて頂上近くに小屋のある山はいくつもなく鳥海山に決定した。

…安山岩の積み重なった頂上付近の岩の突起に腰を下ろしたのは8日の24時近かった。流星雨どころか、秋の日本海の空は、それこそ降るような星空だ。夕刻、周囲は月山、朝日、栗駒、焼石、和賀それから日本海の水平線がぐうっと弓なりに反った男鹿半島には、寒風山が、それらが1000m~1500の層積雲堤の上に頭を出している。…頂上の小屋番はすでに居らず今夜の祭典を見ようという登山者が20~30人ほど詰めかけていた。「あっ 見えた」「天の川の下」「あっ」見事な星くずの中にピュン、ピュンと、AM1:15に降りるまで10個ほど見えた。しかし、流星雨 ではなかった。皆さんによるといつもより少し多い程度の流れ星だったそうだ。…大の大人がはるばる北の山のテッペンまでやってきて、こうして空を眺めている。その行為がすごくロマンチックなんだ。翌朝、日本海に影を落とす影鳥海を後に南へ下った…。

10/9 御室小屋6:10、湯ノ台11:35、酒田14:18、新潟、乗り継いで大宮23:29着。上野~象潟 2150+急行300円…。以上は当時の山日記より。
これは新山が噴出する前の37年前のこと。

ちなみに、その晩の夜空が素晴らしかったこと、それから東北の山々に魅せられて通ったり、こんなことがいつまでも山歩きを続けていた理由のひとつかもしれない。
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