ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

5/12日 バスツアーで上高地へ その4(最終記事):河童橋を見てバスターミナルへ。旅の終わり

2019-05-17 07:03:18 | 草花
梓川を川原沿いに遡行して、上高地の代表的な場所、河童橋に向かいます。
このあたりから観光客をたくさん目にしますが、ひところのような喧噪ではなくて秩序ある人出にと様変わりしたようです。
バスターミナルに隣接している「上高地インフォメーションセンター」(記事中で後述)より頂いて来た上高地関係の年譜が手元にあります。 それによると

文政11(西暦1828)年に播隆上人が槍ヶ岳に初登頂しています。
明治10(西暦1877)年にガウランドが外国人として初めて槍ヶ岳の頂に登っています。
明治25(西暦1892)年に河童橋が初めて梓川に架かりました。この年にウェストンも槍ヶ岳に登り、
明治26(西暦1893)年に彼は穂高岳にも登っています。
明治40(西暦1907)年に焼岳が大爆発しますが、この爆発では川の堰き止めはありませんでした。
明治42(西暦1909)年に芥川龍之介が槍ヶ岳に登っています。
明治43(西暦1910)年に河童橋が吊り橋になりました。
大正4(西暦1915)年に焼岳が運命の大爆発をして、梓川が堰き止められて大正池が出現します。
昭和3(西暦1928)年に上高地は国の名勝天然記念物に指定されますが、その後の
昭和27(西暦1952)年に国の「特別名勝 特別天然記念物」にランクアップして指定されます。

叢生 ↓

根元から7本も幹が立っています。


カップル ↓

ここでもマガモのカップルを目にしました。



ミツバツチグリか? ↓

鮮やかな黄色い花が目に飛び込んできました。時季が早くて花がとても少ない時ですので、拘りを入れます。



河童橋が見えた ↓

やっと河童橋が見えて来ました。



河童橋の界隈 ↓





下から撮って見ます。なるほど確かに吊り橋になっていますね。


橋のすぐ上流の中州に下りて奥穂と吊尾根、その下の岳沢を眺めます。


このあたりからの穂高の眺めは生のものを上高地河童橋ライブカメラで見ることが出来ます。



バスターミナルに向かう ↓

風が冷たくなってきました。梓川の流れに沿ってバスターミナルを目指して歩いて行きます。



バスターミナル ↓

バスターミナルは普通に街なかのバス発着場なみに賑わっていました。



上高地インフォメーションセンター ↓

集合時間にはまだ時間がありましたので、バスセンターに隣接するインフォメーションセンターに入って展示物などを見てまわります。



集合時間 ↓

ツアーの添乗員さんとバスの運転手さんが出迎えてくれます。

時間通りにバスが発車して帰り道となります。(途中で二度ほどトイレ休憩が入ります。)

車窓から乗鞍岳 ↓

バスの車窓から乗鞍岳を撮ります。 このほかに平湯温泉あたりから笠ヶ岳の秀麗な姿が見えたのでしたが、撮り損ないました。
また、来る時にも木曽御嶽がチラリと見えたのですが、これも撮り損なっています。



最後のトイレ休憩 ↓

上下車線の別もありますが、今回もひるがの高原SAに立ち寄ります。時刻は午後六時少し前で、夕日によって画は色被りしています。(撮影者=小生 の影も右下隅に写り込んでしまいました。)



白山 ↓



SAからは往きも帰りも白山が見えていました。



最後のトイレ休憩を済ませて、バスは一路名古屋を目指します。

名古屋到着まで一時間半ほどありますので、小生は持って来ていたお酒を飲んでこの旅の締めくくりとしました。

名古屋に着いてから、駅の地下街で夕食をとります。流石に賑わいの時間であり、行列に並んでから食にありつけました。
コメント (6)
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