ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

5/12日 バスツアーで上高地へ その2:焼岳登山口 梓川を穂高橋 田代橋で渡り、田代池へ

2019-05-15 07:05:50 | 草花
梓川の右岸の道を歩いていますが、このあたりが大正4年に焼岳が大爆発をして、焼岳の土石が崩れ落ちた通り道のようで、あたりは今でも細い木ばかりの、主に白樺の林となっています。
大正池の成因はこの土石流によって梓川が(一夜にして)堰き止められたことによると聞きます。

梓川の流れを見ることなしに山裾寄りの道を北上しています。
焼岳 ↓

すぐ近くから見上げる焼岳は迫力満点で、この山のどのあたりから土石流を発生させたのか、そんなことを推測しながら眺めて歩いています。



(ベニバナ?)イチヤクソウ ↓

この道沿いではこの草の群落をたくさん見ました。花の時季に来たらさぞや・・・・と思われます。



柳の仲間 ↓

”柳”も芽吹いていました。



広い道歩き ↓

広い林道歩きは続いています。道の両側は白樺や落葉松のほっそりした幹が立ち並んで居ます。



六百山 ↓

梓川をはさんで対岸には六百山が聳えています。



穂高連峰 ↓



ここからも穂高連峰の眺めは抜群でした。



白樺林 ↓

細い幹の白樺が立ち並んだ向こうには穂高連峰があります。



やっと出て来た太い樹 ↓

太い幹を持った樹がやっと出てきました。おそらくこのあたりが焼岳大爆発に伴う土石流の走った岸辺端になるのでしょうね。この樹なら爆発当時よりも以前からこの場所に生えていたと思われます。



焼岳登山口 ↓

道に年配の男性が一人いました。彼に話しかけると、焼岳を登って来たそうです。しかし、登山路は未だ季節が早くて通行止めだったようです。


実はこの場所は小生も通ったことがあります。もう5年ほど前のことですが、前穂高の岳沢を下りて、ここに来て、焼岳を登ってから、飛騨の中尾温泉に下りて、そこから新穂高まで歩いたことがあるのです。



ニリンソウ ↓

上高地にはニリンソウが群れを成して咲くのを見たことがありますが、この道ではここで一度だけ見ました。



梓川 ↓

大正池のところから歩き始めましたが、本日はまだ一度も川の流れを見ていなかったのです。
つまり、ここでこの日初めて川らしい景色を見たことになります。



田代橋 ↓

その梓川を、穂高橋と田代橋で渡り、対岸(流れの左岸)に行きます。
これから田代池を見て、もう一度ここに戻ってくることにします。



林間の道 ↓



このあたりから人とすれ違いますが、異国語の人が多くなります。



マガモ ↓

静かな空間で、マガモの番を見ました。



川沿いの道 ↓

木の板敷きの至れり尽くせりの道を進みます。



野猿(やえん) ↓

対岸と往復して人や荷物のやり取りをする、やや原始的な施設を見ていきます。



穂高岳連峰 ↓

湿地状態の開けた場所で一休みを入れます。
その間に若い女性ばかりの中国語を話す5人組に写真撮影を頼まれました。シャッターを-押した後に、中国から来たの?と聞くと違うと言います。
話す言葉は中国語でしたので、疑問に思っていると「香港」だと言います。
彼らは返還後の今でも「中国」と「香港」はそれぞれ別の国と認識しているのですね。



田代池 ↓

田代池に着きました。池と言っても流れの開けたところで、水深は無いに等しいくらいで、とても浅いと思いました。
でも、どこか郷愁を感じる場所に思えます。
コメント (4)
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