私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語―やせ我慢

2012-05-19 10:07:09 | Weblog
 「おほほ、小雪さんの瘠我慢ですか。いや、女の瘠がまんですか」
 喜智さまは、沈み行く夕陽の方にちらりと目をおやりになって、また、ゆっくりとややうつむき加減に、お話しを続けられました。
 「ひょっとしたら女が生きていくということは、今、小雪さんが言ったように、男さんには分らない瘠我慢の連続かもしれませんね。みんなに小さい時分から、我慢しろ、我慢しろと、それが女の唯一の歩む道であるかのように教えられきました。特に、私は武士の娘として父からも母から、常に、「顔色言葉使いも慇懃にへりくだり和順なるべし不忍にして不順なるべからず、奢りて無礼なるべからず、また、心遣いしてその身を堅く慎み護るべし」などと、教えられて育ちました。そのように女は女ゆえに、本当にそんな瘠我慢をしなくてはならないものなのでしょうかね。何もかもほっぽらかして男さんのように奔放な暮らしをしてはいけないものでしょうか。・・・・あらいやだ、林さまが男の人だということをすっかり忘れて身勝手なお話をしました。本当に失礼しました。」
 「あははははは」
 と、林さまは大笑いされたまま、何もおっしゃいません。

 「あらまあ、今日はどうかしていますよ、なにもかも変でごめんなさい。林さまのお酒がすっかりお冷めになっているのにも気が付かないなんて。須香さん熱いのと取り替えてきておくれかい。なにか肴も温かいもの、適当に見繕って頼むわね」
 「いやいやお酒はもうこれぐらいで私には丁度いいのです。もう結構です。それよりお茶でも、お須香さんとやら、一杯所望しますかね。」
 「はい」といってお須香さんがさっと腰を上げ,夕陽の廊下に出て行かれました。しばらく,林さまもお喜智さまも、お須香さんが立ち去った廊下の向こうの真っ赤な夕焼けが一杯に広がる日差しのお山の空を眺められておられるのでした。
 「でも考えてみたら、男にだって瘠我慢の連続みたいなもんです。案外、女だの男だのと言ってはいられない、此の世で暮らしている人みんな、男も女も持って生きていかなければならないものではないかと思います。将軍さまでも、この度の京での戦では随分と瘠我慢なさったように聞いております。」
 「やせ我慢ですって。この度の京での戦は、将軍様が臆病風を吹かせ,戦いが始まらない内から勝手に一人でさっさと船で江戸まで逃げ帰った卑怯者だと、宮内辺りではしきりに噂し合っておりました。それを私は聞いていたのですが。やっぱりあれも将軍様の瘠我慢だったのですかね。洪庵殿からの便りによると、大変聡明な将軍様だと聞かされていましたが」
 「瘠我慢だったのか臆病な卑怯者だったのかは、私にもはっきりとは分りかねますが、何らかのお覚悟は、将軍慶喜さまの心の奥底にも秘められて居られたのではと推測しております。今の時代を、しっかりと、とらえている人達が将軍様の周りにもたくさんおられると聞いておりますから、決して臆病風が吹いたなどとは私には考えにくいのですがね。でも、この度の高雅さまの事は、この徳川さまのなさりようと、些かかかわりがあったのではと思っております。「この卑怯者」と、世間さまからしきりに揶揄されている将軍様の今回のなさりように対して、尊王攘夷の人達はその怒りを佐幕派と見られた人に対して、狂ったよう向けられ、多くの悲惨な事件がそれを契機に頻発しております。その一つが高雅さまのあの事件につながったのではないかと、私は見ております」
 

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