私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

心静かなれば衆は事を躁せず

2010-05-15 11:06:07 | Weblog
 今日は5月15日です。もう77年も前に起きた五・一五事件で、我が吉備の国が生んだ偉大な首相「犬養木堂翁」が暗殺された日です。奇しくも、今年は彼が暗殺されてた年齢77歳と同じ年月が経過した年でもあります。
 この木堂翁の慰霊祭が吉備津神社にある木堂の銅像前でも、しめやかに執り行われました。祝詞による慰霊祭です。仏式によるそれよりも、又、聊か趣を異にした神様な式でした。

   
 
 犬養毅は、当時、大の親友だった孫文など中国の要人と深い親交があり、それゆえに、犬養は満州侵略に強く反対しており、日本は中国から手を引くべきだとの持論を主張していたのです。この主張が、大陸進出を急ぐ帝国陸軍の一派と、それにつらなる大陸利権を狙う新興財閥に邪魔となり、それが5・15事件となって犬養毅は殺されたのです。

 首相官邸を急襲した軍人山岸 宏に木堂翁は言います。
 「話せば分かる」
 と。
 この木堂翁の言葉に、即座に呼応して、山岸が鋭く叫びます。 

 「問答はいらぬ。撃て撃て」

 と。すると、山岸の側にいた黒岩・三上等の銃が一斉に火を噴き、官邸内に「ダンー」という世界を圧倒するかのような、恰も、はらわたをえぐりとるようなずしりとした銃砲が官邸いっぱいに響き渡ります。
 これが、あの5・15事件の風景なのです。
 世界恐慌という荒波にもまれた日本の暗い世相を反映した日本歴史の中で、一番長い暗一日ではなかったかと考えられます。

 

 この木堂翁の「話せば分かる」の言葉の元になったのが、写真の掛け軸に書かれている言葉です。

      

 「心静かなれば即ち衆事を躁せず」
 例の漢文氏によると、「躁」とは騒がしく手荒な事なのだそうです。ゆっくりと心を落ち付けて静かに話せば、そこにいる人は、そんなに事を仰々しく荒立てなくても、案外、事は簡単に解決できるものなんだと、言う意味なのだそうです。
 「話せば分かる」の原典です。
 
 付けたしですが、木堂が総理大臣になったのは、昭和7年2月のことです。その時、木堂はもう77歳にもなっていて、当然、政界からも引退して、楽隠居を構えて、信州に隠居していたのです。
 ところがです。満州事変という思わぬ時局が展開され、日本は、国際的に孤立して将来の存亡に関わる瀬戸際な立場に立たされていたのです。要するに、日本がにっちもさっちもいかなくなったのです。
 こんな危急な日本から抜け出す行政手腕を持つ者は、日本広しとはいえ、犬養木堂しかいなかったのです。77歳の老人にもなっていた木堂にこの日本を、本気で、委ねたのです。
 それほど、どうにもならないせっぱつまった日本になっていたのです。その解決に、77歳の木堂翁に日本を託いたのです。今から考えると誠に理解しがたい摩訶不思議な日本になりきっていやたのです。
 それを裏返して言えば、木堂翁は、昭和初期における、他にいない、それだけ偉大な政治的超一流な人物だったと云えるのではないでしょうか。