私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語

2012-05-30 10:53:57 | Weblog
 「まあなんときれいな着物ですこと。一寸袖を通してみなさい」
 お粂さんは、その着物を小雪の肩に指し掛けます。鶴が、今にも、大空へ羽ばたいるのではと、思うようなようなふわっとした自分の体の力がどこかへ飛び去ってしまったかのような不思議な感覚に陥りました。今まで身につけたことが無い軽ろやかさがありました。天の羽衣を身に纏い大空を飛んでいる天女の気分は、こんな気分なのかしらと、ふと思うのでした。
 「ほんとによく似合います 小雪さん」
 と言うお久さんの、やや、やっかみ半分の言葉が、「小雪さん」という言葉の跳ね上がりからも感じられました。しかし、小雪には、この着物の図柄を一目見たときから、最愛の高雅さまをあのように惨い事件に巻き込まれて失われたのも関わらず、女の我慢であったのかもしれませんが古い家柄を必死になって守ろうとなされた喜智様の数々の苦脳が、着物に画きこまれたような鶴の飛翔の中に感じられるよう小雪には思われました。
 「ほんとによくお似合いすこと。ぴったりだよ小雪、流石、堀家の大奥様ですこと。目が肥えていらっしゃるわ」
 そんな周りの言葉も小雪の耳には入らないかのようにその鶴の絵柄を愛しそうに眺め続けていました
 でも、この鶴をあしらったお喜智から贈られた着物は、結局、最期の小雪の晴れ姿になろうとは、その時は誰にも思いもつかないことでした。
 
 それからまた時は少し動きました。
 青龍池の花菖蒲の花々が美しく咲き乱れ、お山から吹き降りるそよ風に載って、卯の花の花びらがゆらりゆらり揺れながら辺りに舞い散っております。皐月の空には、あちらこちらと元気よく色とりどりの五月幟もはためきだしました。お山の新緑の木々の葉が、吹く風にそよぎ、朝日にきらきらと輝き、一時の刻々を思い思いに変化させる白、青、緑、黄などの色とりどりに見せています。「これもお山の七変化でおすな」小雪は小窓から見えるお山を見ています。
 緑一杯の風が、お山から甍の上を通り過ぎて、小雪の部屋にも舞い飛び込んできました。
 「小雪さん、堀家の須香さんよ」という、幾分「また?」という気持ちを含んだお粂さんの例の声です。
 あの夜以来、お須香さんは、どのような風の吹き回しかは知らないのですが、やれお饅頭だとか、やれ何だとかと言って、何くれと無くこの家を訪ねてきては、自分の娘でもあるかのように、小雪と親しくお話して帰られることが多くなりました。
 「今日は何かしら」と、とんとんと下へ降りて行きました。入り口の土間にお須香さんともう一人、ついぞ見たことの無いご婦人の方がこちらに笑顔を見せながら立っておられました。
 林さまとお会いしたあの夜、親切にもこの大阪屋まで送ってくださった時にお話になっておられた、備中庭瀬にお住まいのお須香さんの妹さんのお真木さんでした。あの新之介さまのおっかさんです。 
 「お忙しい所をごめんなさいな。この屋の女将さんに聞くと『今なら大丈夫だ』と言われるもんで、新之介の最期の様子を、此の真木が母親としてどうしても、くわしく聞かせてほしい』というもんで尋ねて来たのよ。お願いするは」
 と、お須香さん。

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