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今日も人生はライフ

60代主婦の日常はけっこうビジー。

伯母、生還

2012年08月01日 | 母と伯母

老人ホームに入居している伯母が、意識もうろう状態となり病院へ
救急搬送されたのは7月半ばのことだった。医師からは「延命治療
をするかどうか」の意思確認までされてしまい、一時はどうなることか
と危ぶんだが、何とか持ち直して先日退院の運びとなった。
むしろ、前よりちょっとだけ元気になったかもしれないから めでたい
ことだ。

もうすぐ89歳になろうという伯母の後見をするのは、妹であり唯一の
身内である私の母だ。在宅時代はもちろん、ホームへ入居後も伯母
のために奔走し続けてきた。今回も、入院期間中一日おきに病院へ
通ったというから、驚くべき精神力だと思う。

娘である私たち姉妹も、伯母をめぐる諸々について、出来る限り母の
手助けをしているつもりでは
あるけれど、やっぱり温度差がある。
伯母も遠慮するし、私たちの方も
あまり出しゃばれない。その点、実の
姉妹という絆はなかなか大した
ものなのかもしれない。

とはいうものの、今回の入院騒ぎで母は疲れ切ってしまった様子だ。
しばらくは自分のことだけを考えてゆっくりしてほしい。
「おかあさんには、娘が二人もいるんだから安心して」 と、この際
言っておこう。

 

 

 

 


ああ、めんどくさい!

2012年05月19日 | 母と伯母

外貨預金を解約したいという伯母の依頼を受け、銀行に連絡してみた。
本人が高齢なので、代わりに手続きをしたいと
伝えると、なかなか面倒な
やり方を教えてくれた。

解約を申請する所定用紙は現在の伯母の居住地、すなわち老人ホーム
へ送ってくれるというのは良いのだが、問題はそこへ
記入する内容なのだ。

円普通預金の口座番号が必要なのだが、伯母の記憶の中にはその通帳も
キャッシュカードも存在しない。

  「銀行の人が来て申込書は書いたけど、そんなもの作った
   覚えはないのよね~」

銀行に尋ねてみるが、もちろん教えてはくれない。契約時、伯母がキャッシュ
カードを作ったかどうかくらい教えてくれたっていいじゃないのと思うけれど、
もちろんダメ。キャッシュカードを作ったかどうか
確認するには本人といえども
暗証番号が必要なんですって。もちろん伯母に
尋ねても、そんなもの知らない
というばかり。しっかりしてくれ~と言いたいのをぐっと我慢。88歳の人を責める
わけにもいかない。

再度銀行に尋ねる。

  「じゃあ暗証番号を忘れてしまった場合はどうしたら?」

  「暗証番号再設定の申請をして下さい。新しい暗証番号が
   届いたらそれを使ってキャッシュカードを作ったかどうか
   電話による確認ができます」

キャッシュカードの有無が分かって初めてスタートラインに立てるという
わけである。キャッシュカードがあれば良し(いや、良しじゃない。伯母は持って
ないというんだから再発行手続きが必要よね
)、もし作ってなか
ったということが分か
ったらどうするのか。伯母本人が直接銀行の
人と話をする必要があるん
ですって。

じゃあ、最初からキャッシュカードがないという想定で話を進めるわけに
はいかないのかと訊いていみたら、それもノー。 紛失したなら
再発行の
申請が必要だし、最初からないならないで、手順に従ってその事実を確認
しなくては
ダメなんですって。

なんという杓子定規。おまけに一連の手続きを本人以外の人間がやろう
としているから
その面倒くささといったら…。


 

 


疲れてるかも

2011年06月26日 | 母と伯母


伯母が退院後入居する予定の有料老人ホームへ、昨日荷物を運びこんだ。
これでようやく受け入れ体制が整ったことになるから、まずはひと安心である。

伯母の気持ちが固まるのを待ち、ホームを選び歩き、銀行と交渉---は大げさ
だけど---するところまでがけっこう大変だった。そこまでを第一段階だとすると、
引っ越し作業は次のステージに上がったということで、はかどり感がちょっと
嬉しい。

ただ、母も私も少々疲れて来ているかもしれない。この間はちょっとした行き
違いが原因で険悪ムードになってしまった。

引越し荷物の運び出し時間が、業者の都合で早まることになり、そのことを
母が連絡してきた。「13時の予定が11時になったからね」 と母は確かに
言ったのだそうだが、私は12時になったと思いこんでしまった。

前日になって私の勘違いが明らかになると、そこでちょっとしたバトルが…

母「私は11時って絶対言ったの!」

私「しょうがないでしょ。勘違いしちゃったんだから」

「あなたともあろう人が何で間違うのよ」

「そんなこと言われたって思い違いはあることでしょ」

「もう~~、11時って言ったのに~」

「大した違いはないじゃない」

「そうだけど! 私が言い間違えたんじゃないってこと分かってよね」

「はいはい、私が勘違いしました。ごめんなさい!」

まるで子どもの喧嘩だ。

でも、譲るのは私の方でなくっちゃね。84歳の高齢者を相手に本気で言い合い
をするわけにはいかない。とはいえ、疲れて来ると忍耐の方も切れ加減になる
ものです。


銀行のルール

2011年06月02日 | 母と伯母

退院の日まで1カ月を切ったが、伯母はなかなか気持ちを決められないでいる。
 「有料老人ホームに入居するなら、この間見学したところがいいわ」 という
ところまではこぎつけたのだが、自宅へ帰るという選択肢もすっぱり捨てきる
ことができないらいしい。

まあ、それはそれとして、周囲の者は準備だけはしておく必要がある。
まず手配しておくべきことは、ホームへ入る時に支払う入居一時金を用意
すること。入院中で、しかも車いすを手放せない伯母本人が銀行窓口へ
行くのはほとんど無理なので、代わりの者が手続きをするにはどうしたら
よいかを銀行の窓口で尋ねてみた。

結論---かなりめんどくさい。

代わりに手続きをする者と本人、それぞれの身分証明書が必要なのは言う
までもないが、何のために必要なお金なのか、その用途を証明する書類が
要るんですって。たとえば入院費用なら病院の請求書とかね。

「老人ホームに支払う入居一時金なんですけど」

「そうしますと、契約書の写しを見せていただくことになります」

「でも、契約の時にお金が要るんですよ」

「ああ、そうですよね……」

そもそも、本人以外が窓口でお金を引き出すという事態を銀行は想定していない
のだそうだ。少なくとも頭がしっかりしている人物ならば、這ってでも窓口へ
来いってことらしい。

やっぱり、介護タクシーに車いすごと伯母を乗っけて、銀行の前に横付けするしか
ないかも。



老人ホーム見学週間

2011年05月19日 | 母と伯母

大腿骨の骨折で入院リハビリ中の伯母、退院後の暮らしをどうするか
なかなか結論を出すことができず、周囲の者も気がもめるところである。

伯母の希望は、自宅へ戻ってこれまで通りヘルパーさんの助けを受け
ながら気ままにひとり暮らしをすること。私たちもそうさせてあげたいのは
やまやまなれど、車いすが手放せない状態になってしまった伯母を1人
でおくのはとっても不安。

主治医の意見も同様で、退院したらどこか気に行った老人ホームで
暮してはどうですか、と勧める。煮え切らない伯母のきもちが固まるのを
待っていては後手後手になるのは必至。母と私は有料老人ホームの
見学だの説明会だのに出かけることにした。一週間で3つのホームを
回ろうという強行スケジュールだ。

法外な入居一時金を払わなくても、けっこういい有料老人ホームがあち
こちにある。10年前とはずいぶん状況が変わってきたのだと実感しつつ、
いくつかのホームを見て回りながら、私もいつかこんなところで暮らしたい
と思ったりしている。

どう頑張っても、私の方が夫より長生きしそうですもんねぇ。


あの人に似ている

2011年05月15日 | 母と伯母

母からの電話は、開口一番ある人物の名前を思い出してちょうだい、
というものだった。

「ほら、あの人の名前、何て言ったっけ。知らない? ほら、作家で、
1年くらい前に亡くなった、最後はお寺にこもって座禅して、テレビにも
よく出てたでしょ。ちょっとなまりのある、よくしゃべる。一時盗作騒ぎ
に巻き込まれた人。 名前の最後に”へえ”がつくの」

こんな曖昧なヒントで 「ああ~ 立松和平ね!」 と答えが出る人は
いるだろうか。まあ、いるかもしれない。私には無理だったけど。
結局 「作家、60代で死去、訛り、盗作」 と検索ワードを入れたら
一発で突きとめることが出来たから、インターネットはすごいなあ
という話である。

ところで、なぜ立松和平の名前を、母は思い出したかったのか。その
理由を聞いて笑ってしまった。孫娘の一人(私にとっては姪)が交際
している彼氏の顔が和平さんにそっくりなんですって。彼に紹介された
瞬間、母は挨拶も忘れてその顔をしげしげと見つめたまま、目が離せ
なくなってしまったとか。

「大学の同級生で就職先も同じっていうから、きっと優秀な人なんだ
ろうし、人柄も良さそうなんだけど…」 と飲み込んだ言葉のその先は
何? 「いえね、M子にとっては、顔はどうでもよかったんだなあって…」

これって、いろんな人に失礼な発言だと思いますが。


鍵のゆくえ

2011年03月20日 | 母と伯母

地震の翌日、地震とは全く関係のない事情で大腿骨を骨折した伯母だったが、
緊急入院の後、無事に手術が終わった。その2日後、病室を移ることになった
のだが、身内の付き添いは不要と言われ、病院にすべてお任せで引越し完了。

ところが、問題がひとつ発生した。ベッドサイドの貴重品ボックスに入っていた
はずの伯母宅の玄関キーが行方不明になってしまったのだ。手術当日付き添っ
た母によると、その日はボックスの中に確かに鍵を見たと言う。だが、移った先の
病室の貴重品ボックスを確認したら入っていなかった。

考えられることは三つ。

1 元の病室の貴重品ボックスに残されたままになっている

2 移った先のベッド回りのどこかにある

3 母が鍵を持ち帰って、そのことを忘れてしまっている

私は 「病院に問い合わせたらいいじゃない」 とごく当たり前の助言をしたのだが、
人見知りが激しい上に電話嫌いの母は、簡単には行動に移せない。

「手術が終わった時には、確かに見たの。金庫の中に絶対あったのを私が
覚えてる。ああ、鍵があるなあ、持って帰った方がいいかしらとチラッと思った
んだけど、持って帰らなかったよのねぇ。あの時、持って帰っちゃえば良かった。

新しい部屋のベッドの回りは、徹底的に探したけど、なかったの。ひょっと
したら、うっかり私が持ち帰ったかもしれないと思ったから、帰ってからも探した。
でもやっぱり病室の中だと思う。

きのう看護師さんに訊けばよかった。電話で問い合わせるのって失礼じゃない
かしらね。今度行く時に尋ねればいいかな。

手術が終わった時には、確かに見たの。金庫の中に絶対あったのを私が……」

話は振り出しに戻り、エンドレスに繰り返される。同じストーリーを3,4回聞かされた
あと、私の我慢も限界に達し、冒頭の3つの可能性を宣言したのである。

「可能性をひとつずつ消していくしかないでしょ。それには、まず病院に電話で
問い合わせる。明日の朝かけてみたら?」 ちょっと冷たいかなと思いつつ、話を
打ち切ったのであった。


    ***********

そして翌日、打って変わって明るい声の母から電話。

「鍵あったわよ! 元の病棟の看護師さんに見に行ってもらったら貴重品ボックスの
奥の方に残ってたって。あなたが言ってくれた3つの可能性のうちの一番目だった」

あら、良かったわねと答えつつ、実は母の意外な理解力に驚いていた。順序立てて
説明する私の話など上の空で、一方的に自分の言い分を何度も何度も繰り返して
いる母だと思っていたが、ちゃんと私の 「3つの可能性」 を咀嚼していたのね。

お見それしました。

 


強運の持ち主

2011年03月16日 | 母と伯母

86歳になる伯母のことである。身寄りは、妹である私の母のみ。自力歩行が出来
ない状態で、ヘルパーさんの助けを借りながら1人暮らしをしている。母はもちろん
だが、姪の私たち姉妹が思うのは、どこか快適な老人ホームに入居してくれたら
安心なんだけどなあ、ということ。

だが、伯母は今の気ままな生活を捨てがたいらしく 「そのうちにね」 と言いつつ
まったくその気はなさそう。何とかなると思っているのだろう。実際、骨折や心臓の
手術で入院を何度も経験しながら、そのたびに復活を遂げて帰ってくるという、なか
なか強い星を持っている人ではあるのだ。

そして、今回の大地震。伯母の住むところでは大きな被害はなく、ヤレヤレと胸を
なでおろした矢先に、何とその日の夜中部屋で転んで大腿骨を骨折してしまった
という。だが、えーっ! と青ざめたのは一瞬のこと。

手術後の静養とリハビリに約4カ月の入院が必要と聞いて、実は母も私たち姉妹も
「あら~、却ってよかったかもねぇ」 と不謹慎な安堵をしてしまった。どんな必要が
生じるか分からない災害時なのに、交通手段が不完全な今の状況では、私たちが
おいそれと駆けつけることも出来ない。病院で手厚く看護してもらえるのなら、それに
越したことはないのである。

入院に付き添った母の感想-----「きれいな病室、暖かい布団、行き届いた看護、
とにかく病院に入ってくれてひと安心だわ。お姉さんったら、ホント強運の持ち主」


医者の言葉

2010年11月08日 | 母と伯母

「10年生きようとは思わず、1日1日を楽しく暮らして行って下さいね」

かかりつけの医師から、開口一番こんな言葉をかけられたら、状況にもよるけれど
普通ドキリとするだろう。心臓のエコー検査を受けた実家の母から電話。検査結果の
説明の際、こんな風に言われたのだそうだ。

母は動転し、心臓の状態がどうなのか、病名はいったい何なのか、その肝心なところを
見事に聞きもらしていた。それで、一緒に病院へ行ってもう一度話を聞いてほしいと言う
ので、出かけて行った。

結論を言うと、母の心臓は高齢に伴う石灰化により、大動脈弁が狭くなってしまって
いるということらしい。健康な人の二分の一の幅、でも心臓の肥大が進んでいる
わけではないので手術をして弁を交換するなどの処置は今のところ不要
。年に一回
の検査で様子を見ればよいということだ。
ひとまず安心。何しろ84歳である。心臓だって
くたびれてこようというものだ。

母自身、100歳まで生きたいとは思っていないであろうが、そうはいっても、冒頭のような
せりふを聞かされては動揺するのも無理はない。お医者さんには慎重に言葉を選んでほしい
ものである。この先生、人柄は良さそうなんだけれど、ちょっとおっちょこちょいの軽口癖が
あるかも。
別れ際の一言がこれですから。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。余命は50年 ! 」
 


85歳の乙女たち

2008年11月29日 | 母と伯母

伯母が、英国から一時帰国した学生時代のお友だちを囲んで会食するというので、
付き添いとして都心のホテルに出かけた。歩行のおぼつかない伯母のために、
私は車椅子係である。大したことはない仕事だと思っていたのだが、けっこう
忙しい半日となってしまった。

ホテルの玄関でタクシーから降りた伯母を出迎え、車椅子に乗せて集合場所の
ロビーへ向かう。全部で7名、肘掛け椅子を車座にして、まずは再会の
ごあいさつだ。話の花が咲いてすっかり寛ぎモード。ランチはどうなったの、
とヤキモキする私。「お食事はどこにしますか」と水を向け、ようやく、隣接
する同系列ホテルのレストランで食事と決まった。

杖をつく人、歩行補助車にすがって歩く人、そして車椅子の伯母・・ホテルの
日本庭園を、大名行列よろしく老婦人の団体がソロソロと進んで行く。細い道が
渋滞してしまったが、紳士淑女のホテル客の皆さん、文句も言わずに待って下さる。

中華レストランの円卓に全員が落ち着き、料理の注文。これが大変。ちっとも
決まらない。仕方ないので、一人一人の希望を確認してはウェイトレスさんに
取り次ぐことに。私と同様、付き添いで参加した娘さん二人と協力してテーブルの
回りを飛び回った。

料理を待つ間、聞くともなく耳に入って来る会話は、すっかり学生時代に戻った
ようで楽しそう。机を並べて同じ時を過ごした仲間同士のつながりって、いいもの
だなあ。こうして集まれるということは、少なくとも脳みそは元気だからこそ。
私もちょっとだけあやかりたいと思った。85歳の年齢までは望まないけどね。

さて、支払いの段になり、再び「若い者三人」が円卓の回りを走り回って集金。
コートを手渡し、忘れ物の有無をチェック、ホテルの玄関まで誘導し、無事に
お別れすることが出来てホッとしました。パックツアーの添乗員さんの大変さが、
ほんの少し分かったような気がするかも。





「はとバス」はどう?

2007年03月22日 | 母と伯母

「地方から上京する知人を、どこか楽しい場所へ案内したい」と実家の母が言うので、
いくつかのプランを提案した。もっとも、来週早々に行きたいという無茶な要望なので、
すばらしいプランというわけにはいかない。
  
* ドラリオン * 歌舞伎 * 宝塚 * お芝居 * はとバス観光

まあ、こんな感じ。だがーーーー
  
   「ドラリオンて何? サーカスみたいなもの? ちょっとね~。
    歌舞伎も宝塚もなんだかねぇ。お芝居は森光子でしょ、どう
    かなあ。はとバスもありきたりよねぇ・・・」

   「おかあさんじゃなくて、A子さんが楽しめるかどうか考えて
    よね」

   「じゃあ、はとバスにする。桜が見られるコースがいいわ」

それでは、といくつか候補をあげてみる。

   「飛鳥山? 行ったことある。小石川後楽園もあるある。六義
    園ねぇ、ここも行ったわ。隅田川の川下りかぁ、これもやっ
    たことあるのよねぇ」

   「だからぁ、お母さんが行ったことあるかどうかじゃなくて、
    A子さんを案内するんだから」

まったく、自分が楽しむことっきゃ考えていない母の自己チューぶりには、困ったもんです。


母とランチ

2006年07月20日 | 母と伯母

 恒例の、というほどではないけど、きのうは実家の母と妹と
東京駅で待ち合わせてお昼ご飯を一緒に。母の歩調に合わせて
歩いていると、5月の旅行を思い出す。  自分のいつものペース
とはほど遠いゆっくりとした歩き方だから、時々つんのめりそうに
なる。

おまけに今日の母は、雨用の靴が足に合わないと言い、必 携品で
ある杖を忘れ、せめて杖代わりになるはずの傘は折り畳みだし~。
危なっかしいったらありゃしない。でも、そんな母がきのう岩手旅行
から帰って来たばかりと聞いて、妹も私も口あんぐりだった。

新幹線の切符と旅館の予約だけしてお友達との一泊ふたり旅。   
元気だねぇ、おかあさん。


旅行に出ます

2006年05月16日 | 母と伯母

明日から十日間、実家の母と妹、そして私の三人で中欧へ旅行に出かける。
ウィーン、ザルツブルク、プラハ、ブダペストの各都市を巡る旅。   

四年前、同じメンバーでドイツへ行った時の母のセリフ。      

   「私の年を考えたら、もう海外旅行をするチャンスなんて、
    そうそうないと思うの。だから、最後と思ってつき合ってね」   

あれから四年が過ぎ、80歳目前の母は      

   「こんどこそ、もうホントに最後になると思う。
    あなたたちには、面倒かけるかもしれないけど、よろしくね」   

四年前にも最後って言ったじゃん、という突っ込みは もちろん胸に納める。   
でも、本当に今回はぎりぎりセーフ。いやアウトに片足つっこんだ微妙な
セーフかもしれない。この四年で脚も  心臓も弱ってしまった母。
糖尿病まで引き連れての綱渡りツアーである。

 妹も私も、今ひとつ心が弾まないのは(もちろん母には内緒)母を何とか
無事につれて帰らなくちゃという責任の重さを背負ってるからかもしれないなあ。


大丈夫か?母

2006年02月28日 | 母と伯母

都美術館に展示されている、娘の卒業作品を見に、またもや連れ立って
出かけた母と妹と私の三人である。

広い上野公園を母の歩調に合わせてゆっくりと歩いていたつもりだったが、
何度も足を止めて休憩する母。この春過ぎに、母はヨーロッパ旅行を予定
しているというのに、ちゃんと歩けるのだろうか。   

妹が思わず問いかける。 

   「おかあさん、大丈夫なの? ツアーなんだからみんなに
    ついて歩かないといけないのよ」   

母は答えて言う。      

   「あなたたちの歩く道って無駄が多いでしょ。だから疲れるのよ。
    これが添乗員さんだったら、きっと最短距離を歩いてくれる
    だろうから安心してついて行けるの」   

くーっ、言ってくれるじゃない。確かに上野公園の中で道に迷ってあっちこっち
引っ張り回したのは私ですけどね!今年の11月で80歳になる母。糖尿病だし、
足腰はすっかり弱っている母。でも、気持ちはまだまだ前向きであると思いたい。 


やっぱり母が大事

2005年07月29日 | 母と伯母

糖尿病患者のための「教育入院」が終わり、母が退院した。   
脳の検査結果は異常なし、心臓の弁のひとつが少し固くなって
いるけれど、今のところは大丈夫という医師の所見で  まずは
ひと安心だった。   

とは言っても、以前のような過労を誘発するような生活はやめて
ほしいというのが、私たち子供の願い。まず、2番目の伯母が
入院しているリハビリ病院へ行くの  は週一回くらいに減らそうね。
それも、妹か私が付き添うってのはどうだろう。   

それから、認知症の方の伯母の後見人を、弁護士なり何なりに
変更出来ないか考えなくちゃね。今は2番目伯母が後見人なんだけど、
それは名ばかり。実際には母が動いていたんだから。   

きょう、妹と私がかわした会話。「お母さん以外に身寄りのいない
伯母さんたちだから、私たちが手助けしなくちゃならないのは、仕方ない」    
「でも、それは私たちのお母さんの為なんだよね。お母さんが大事だから、
伯母さんのことも考えるってことだよね」   

そう、これが私たちの本音です。